大正時代の庶民と金持ちの食事を比較してみた
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- Опубліковано 7 вер 2024
- 明治時代が終わり、約15年間続いた大正時代。
日本史上で短いながらも歴史を揺るがす様々な出来事があったり、産業が大きく発展した時代でもありました。
その発展は庶民の生活にも大きな影響をもたらしたと言われています。
では、時代の変化によって人々の食生活はどのように変わっていったのでしょうか。
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大正時代が舞台のはいからさんが通るを読むと食事風景や文化が載ってます。
ハイカラさんは当時の上級国民よ
ちょっと後の時代になるけど阪急百貨店の名物がライスカレーで、それを目当てに来る客が多かったけど、金のない客はカレーを頼めないのでご飯だけ頼んで、付け合わせの無料のソースをかけたソーライスを食べた。それを小林一三はご飯だけでも歓迎として逆に宣伝したという逸話がありますよね。
My grandma was born in 1917. She liked Japanese foods than yōshoku. Her family was midle class and her family was an ancestral Tsugaru Clan samurai.She lived in samurai house.
I like Japanese foods too.I live in Los Angeles.In the here many Asian and Japanese supermarkets. We can buy Japanese foods. I'm so happy.
離島出身で海の漁師の娘だった母は、米は正月に食べられたらよし、先ず食べられなかったって言ってました。
サツマイモばかり食べてたと。
魚介類には事欠かなくて、海藻、サザエやアワビ、ハマグリ、冬は牡蠣、ナマコやタコ、ウニをよく捕まえて食べたてたそう…ワラビ等の山菜や川の魚は食べなかった。殆んど自給自足。
芋意外は、今よりも贅沢な話をしてた。
一方、海無し県の夫の身内の昔話を聞くと、山菜やタケノコは勿論、タニシ、シジミ、コイ、イナゴに蜂の子にマムシ等も食べてたそう。
米は小作人だったので、こちらも滅多に食べられなかったそうです。
海が無い、大きな河川も無い所では、食生活も貧相だった様です。
なので、夫の実家の食事と言ったら…
今も肉は殆んど食べず、食べる魚も限られて、家で採れた野菜や山菜が主で今も相変わらず質素と言えば聞こえは良いが…
相変わらず貧相です。
流石に昆虫食は無くなりました。
今では蜂の子(ヘボ)の方が高いから…😅
現代では寧ろ麦飯や雑穀が健康にいい、と下手したら白米より高かったりするし、野菜中心でお味噌汁の食事が長寿食とされてるんだから、皮肉なもんですね。😅
昭和25年生まれですが昭和30年代はお肉は月一回位でした。🍛が出たらおお騒ぎでした。卵もめつたに食べられずゆで卵をお腹いつぱい食べることを夢のみていました。
雑穀入りのごはんは健康に良さそうだし、今ではそっちの方が高価ですよね。マツタケの話もそうだが、全てが全て大正時代の方が貧しいというわけではなさそう。
大正時代の1円=現代の4000円くらい。1つ25銭のコロッケは1000円くらいになる
こう見るとちょっと奮発すれば食えそうだけど、これは大卒の公務員初任給を現代の公務員初任給に換算したもので、当時の公務員はエリートだから一般庶民の年収はこの半分以下くらい
(公務員初任給50円、新聞記者25円くらい)。しかも、この時代は親同居、子沢山で8人、10人家族も普通なので、月収10万くらいで家族養うこと考えれば手が出せるものではないかも
明治の軍人、大将クラスの月給が194円だったようですから
色々考えてしまいますね。
南方熊楠が昭和天皇に粘菌の標本を森永のミルクキャラメルの箱に入れて献上した話がありますね。
当時卵はかなりの高級品だから安いものの代名詞にするのは違うと思う。
そうですね
親父もタマゴは昔から値段の上昇が少ないと言ってました
戦後すぐ生まれですが
今では雑穀のほうが高くて何種類も混ぜた雑穀米の方が栄養価も食物繊維も豊富で香りも豊か
もしかしたら当時のお百姓さんはわかっていて雑穀米や糧飯を食べていたのかもしれませんね
大正時代から昭和初期は各家庭で差が随分あった様ですね。両親の実家は共にかなり裕福でしたが、父方は明治生まれの祖母ですら若い頃から西洋料理を好み、近所の洋食屋から料理を運ばせていました。逆に母方の実家は使用人の手前華美な生活を好まず質実剛健な考え方だったようで、西洋料理も月に一度か二度ぐらいしか食べに行きませんでした。
ですから両親の話は同じ時代とは思えないぐらいに違っていました。
当時の世界から見れば、庶民が飢えず食べられるだけ、驚異的な国。
地域差とあるんで海から離れ離れる程に食が貧しくなったイメージが強いです
夏目漱石は胃潰瘍に悩まされていて「神経質のせいで胃潰瘍になるのか、胃潰瘍のせいで神経質になるのか」という言葉も残しているが、今では
胃潰瘍や胃癌の原因のほとんどはピロリ菌だと知られている。漱石は実は甘い物が大好きでイギリス留学の後は自宅にアイスクリーム製造機まで買って
自作していたほどだったが、明治時代当時は既にあった、チョコレートやハチミツには抗ピロリ菌効果があるが運が無いことに何故かこれらには手を出して
いなかったらしい。もし漱石が毎朝チョコレートやハチミツを毎朝食べていたら胃潰瘍(一説には胃癌とも)で若くして死ぬことはなかったかもしれない。
昭和世代ですが昔小学生のころ良くおばあちゃんが、オムライスやカレーライスにトンテキなど作ってくれてたのを思い出した母の洋食よりも好きでした
庶民の朝食が質素だったといっても、ご飯と味噌汁と漬物があれば十分だと思う。自分なんか毎朝トースト1枚とコーヒーだけだ。
6:48「挽肉のつみ入」めっちゃ美味そうなんだけど笑
今でも高くて手が出せない果物ってありますよね
高いブランドのイチゴとか、シャインマスカットとか…
なんで数千円以上するのかと聞きたい!
シャインマスカット好きじゃなくてよかった
様々な食べ物が本当にたくさん溢れてる現在ですが、なぜか大正時代や古き良き時代の昭和に、私はタイムトリップしてみたい気持ちになります。カレーやポークカツやコロッケなどを食べる事が夢になってたであろう時代。きっと、カレー屋さんや洋食屋さんにやっと来れた人達は、目を輝かせて食事してたでしょう。家族で食べに来れて帰宅した際には、今日は美味しかったね、又いつか行こうね。なんて、話し合っていたでしょう。なんて想像しました。そういう事を楽しみにして、普段は素朴で地味に暮らしていた平和な時代。いい時代だったと思うのは私だけかもしれません。^ ^
明治後期から大正を経て昭和中期まで 感覚はあんまり変わってない 日本のブレイクスルーは1970年代 コンピューターの黎明期 合わせてベビーブーム そして1番日本が頑張ってた時代 やっぱり 頑張らないとねこの令和も 当時のやうにがむしゃらに
ひぇー!一日にお米を6合って・・・・信じられないなぁ・・・今じゃ精々1合かなぁ・・・お米が余るわけだねぇ
明日のおやつはキャラメル😋w
力仕事してますが4合は流石に食べられないですね😅 むしろ疲れて量が減ってる気がします
うちの母や祖父母は祖父母が開拓した山に住んでて田んぼと酪農してたからか、白米は食べるけど雑穀は牛の餌だって言って絶対に食べなかった
あと、祖父母は余った牛乳で牛乳風呂にもよく入ってたからかお肌はツルツルだったな
母は牛乳飲み過ぎたからもう要らないと口もつけないけど
子供の頃の50年前にキャラメルもらってまずっと思ってずっ~と金出して買う気しなかったけど時代が違うやな。
鬼滅の刃でも甘露寺と竈門の落差が今、以上に落差が激しかったんだな。
しいたけは、かつては高級品だった。なぜなら人口栽培ができなかったから。
だから、しいたけと松茸を比較するのは違うと思うな。
当時の庶民が肉魚を普通に食べていたら、よりガチムチな体格になっていたのだろうか
明治の頃の話だったか、日本で暮らしていた西洋人の医者が自分が雇ってた力仕事の男たちが米の飯ばかり食べてるのを見て、
「我々のように肉を食えば、体も大きくなりパワーアップしてもっと働かすことができる♪」と思い
西洋流の食生活に変えさせたところ、皆肉で胃もたれして消化不良を起こし、パン食もたらふくは食えずにカロリー不足。
痩せ細って体力も落ちて仕事量も落ちてしまい。「とにかく米を食わせてくれ~」と泣きつかれたとか。
ありがとうございます。やはり我々は米食ってなんぼなんですね。@@user-bv9oy7uh8y
西洋人と日本人では、体質が全く違うそうですよ😮
やっぱり昔の人の服装好き
パフェーがいつ頃からパフェになったのか気になるw
俺朝食べないし昼一合夜は酒とつまみ。四合って💦
(*^ー゚)b グッジョブ!!😊
何回か拝見させて頂き登録させて頂きました。
歴史好きなので今後も宜しくお願い致しまする。
m(._.)m
日本の土壌では海外の種も良く育つって証拠ですかね?
西洋化の一環としてチャブ台ってなんかよく分からん政策ですね笑
現代女性の方が戦後よりも栄養失調で栄養状態が悪い。
痩身への執着のせいで摂食障害の自覚が無い人も多い。
食料があっても豊かに食生活を送れる訳では無い。
大正がどういう時代かは知らんけど、大正生まれは不憫だよ
1日6合のコメと漬物ばかり食べていたら脚気の患者も多かったことでしょう。生活レベルは小作人ばかり多かった農村は江戸時代と大差なかった様ですね。都市部と農村の格差が如何に大きかったかですね。
うーん。玄米や麦飯なら脚気にはならない。大正時代は原因もわかってきたはず。
@@awayasumio 農村はそうだけど、都市部は相変わらず「江戸患い」だよ。鈴木梅太郎がビタミンを発見したのが明治43年だけど、それ以降も脚気=細菌説を信じる学者も多くて試行錯誤してた。都市部で流行って地方に戻ると治ることが、感染病説をなかなか否定できない根幹があった
海軍では実験の結果、タンパク質の食事を増やすと脚気が減ったことがわかり、それまでの米や麦飯を廃止してパンや肉類を導入してる
😅😅
見たいのですが、この声、頭痛くなります。変換せず普通の声にして頂ければうれしいのですが。。。
ミルクキャラメルは、美味しいけれど、歯にくっつくのでした。😂
今、米が高級品になってきている。
雑穀米 栄養あります
父より卵が高かったという話は良く聞きました。
地域差でしょ
ちゃぶ台の使用が西洋化って意味わからん
どうにも的外れな政策に思えてしまう
江戸時代まではお膳で
食べていたので
家族で囲んで食べる事が
なかったからですよ
ちゃんと文献確認してから動画作った方がいいよ。
秋田の角館に旅行に行った時郷土食を予約してたべた。不味くて食べられたものでは無かった。大阪に住んでいたのでやはり食は大阪と納得した。大阪は江戸時代から物の集積所だったから食が肥えていたのだろう。鰹節も昆布も大阪に集まってから地方に送られていたからと想う。江戸っ子は蕎麦の食べ方は少し汁に浸けてスルッと食べると 自慢してるが、関西ではたっぷり浸けて食べる。何故なら醤油は和歌山湯浅や小豆島から沢山入る。だからチマチマ食べるようなことはしない。松たかこさんが、得意になって江戸っ子の蕎麦の食べ方を話していた。可哀想に思った。つゆが薄くなる事なんか気にしない。ちなみに、つけ汁は熊本の「名水のたましずく」が美味しい。わたしの意見
一般庶民がまともな食事をしたのって昭和60年以降じゃないかな〜?
そんなことないよ(笑)40年代には普通の生活に入っているよ。
それはないわw
ないない
借金、国と国民苦しかったんですけど😃
当方、昭和50年代生まれだけど、親は40年代には大体皆が普通3食を満足食べていたと言いますよ