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今回は、過去のヤマレコで行ったアンケート企画「なぜ山に登るのか?」について、その内容を踏まえて実際どういうパターンがあるのか、掘り下げて解説をしました!みなさんは、なぜ山に登っていますか?登山の好きなところはどこでしょうか。山をやっていない人にも魅力が伝わるような皆様の経験や回答をぜひコメント欄にお寄せください!他に解説してもらいたいことなども含めて、コメント・ご意見・感想をお待ちしてます!
どんなに有名な写真家の写真よりもどんなに有名な画家の絵よりも実際のやまから見える景色にはかなわないこのパノラマ感や色、季節、気温など五感を全て合わせて山の臨場感。これは、登った人にしかわからない。だから人に言葉では伝えないな。登ってみ、としか言えない。
ガチのインドア派からのダイエットマラソンからのガチマラソンからのトレラン。山に入るようになったのは、マラソンは単調だったから。走る場を山に移して視野が一気に広がった。涼しかった。景色に感動した。体力配分に苦闘した。身体の動かし方がまるで判ってないんだと女性に抜かれるたびに落ち込んだ。20-30キロ縦走するのに登山道を繋いだ。道を繋ぐのに色んな情報を拾い集めた。自分でコースを作って時間を決めてご当地グルメを探した。同じ山でもルートが違うと難易度が途端に変わる。飽きないです本当に。
山は現代人にとって最高のデトックスだと思います
いつも単独で主に低山を登っています。沢山ある理由の中であえて一つだけ挙げるとすれば『一人になるため、自分と向き合い色々な考えを巡らせるため』が私の山に登る理由です。毎回素敵な配信を有り難うございます。
無になってる自分。ゆる山ですが、そのゆる山から、壮大な景色、山並みを見ること。山頂に着いた時の達成感。登山者との会話や挨拶。下山した時の爽快気分になれ、夢のような時間だと毎回のように思います。見たい景色を眺めに頑張って登ってます。癒され、身を軽くさせ、リフレッシュ出来るからかな?!まだ、昨年始めたばかりの初心者ですが、登山を趣味にできて良かったです。
生物調査で未調査地域が多い離島や山に行っていたのがきっかけです。最初の頃は山に入っても予定した調査が終了すれば山頂は目指さず下山していましたが、そのうち「せっかく来たのだから山頂まで行こう」という気持ちが出てきて山頂まで行くことが多くなりました。そして山頂付近でしか見られない植物相や昆虫相があることを知ってからは必ず登頂するようになりました。それぞれの山の山頂付近でしか見られない固有の生物を見つけるのが楽しみです。今では山歩き自体も楽しくなりました。
「なぜ山に登るの?」は、「なぜ3Kな事までして山に登るの、変なんじゃない?」という問いかけです。理解されることはないので、「景色が壮大で綺麗だからだよ」 と言って、最高の写真を見せてお茶を濁しておけば良いと思います。だいたい他人の趣味なんて理解できるものではない。私の場合は、山行を重ねる毎に変わってきました。 最初の頃は、計画を立てる時の妄想が一番楽しかった。登頂すると頂上から見える次の山に登りたくなった。 ガイドブックで紹介される縦走コースを歩いて見たくなった。 雪山にチャレンジしたくなった。 そして居心地の良い山小屋・管理人さんのところを見つけた。 更に歳をとると高山植物や紅葉が目当てとなった。 今は過去に訪れたところを再訪して想い出にひたるのが楽しみとなり、ほぼ登山は修了しました。
自然の中に身を置く事が体、精神衛生上良いですね。又、同じ山でも季節を変えると表情が違い感動したり、残念だったりします。 天候の変化で身の危険⚠️を五感で感じ、少しは危険察知に役立つ目的も有ります。😅
街に比べて五感をフルに働かせて、アドレナリンやエンドルフィン出してる感じがたまらん。街では得られない。その後の爽快感は中毒性がある。
登山の魅力が沢山ありすぎて一言では言えないです。悩み事があっても無心で歩いたり、どんな山でも山行が終わる時は心がスッキリします。チャレンジ的な山行でも準備して達成できたら嬉しいです。惰性の部分もあるかもしれないですが、同じ道でも上りと下り、右側歩くか左側歩くかでも違って感じますし、時間帯や季節や天候で違って感じるので何回歩いても飽きないです。
山が教えてくれるから、山に登ってます。
「なんて景色だ」「気持ちよすぎる」「怖すぎるゾ!ココは」「こんなに寒いのか」「あれ?ヤバい、ヤベーぞ!」いろいろ学びます。否応なく教えられますwww
登山だけは、なぜそれをやるのかって聞かれる趣味ですよね
登山は、クライミングや冬山などの難易度が高いジャンルを除けば、自分のレベルに合った目標を設定することで達成率がかなり高い趣味と思います。勿論キチンとした準備が必要というのは前提ですが。頑張ったご褒美として高確率で達成感を得られる。天気良ければ雄大な眺望も見られる。そして経験値が高くなればその分高い目標設定が可能になる。お年寄りの登山が増えてるようですが、子供の頃の夢はいつしか消え地道に平凡な生活をしてきた方にとって、この身の丈にあった達成感は大きな魅力だなあと思います。
兎に角、歩くとき、何も考えなかったり、色々考えたりする事がいい。勿論下山後の温泉も目的の一つだし、惰性もあるかも知れない。改めて考えるのはいいですね。
ほんとにロジカルでわかりやすいです
最初はコロナ禍の運動不足解消のため始めました。今は下山後の温泉、ビールを楽しみに良い汗をかくために登っています。平日にUA-camを見ながら登山計画を考えるのも楽しいですね。特に予定がなければ近所のハイキングコースを歩いて惰性で飲みに行くことも多いですね。
ドMだからwwwハァハァ言ってツラくてキツくて脹脛がぎゅいーんってなるのを味わいたいから!
なぜ山にのぼるのか?私の場合は基本ソロ登山なので、登っている時や下山している時に余計な事を考えなくて良いから(無我の境地😅)と登ってみたい山を実際に自分が体験して感じてみたいから。5番目と6番目ですね。それと下山後のビールの美味さを知っていしまったから。
ありきたりですけど、心のデトックスですね。自然に身を置いて、一人ぼーっとするのが好きです。最近では山頂には目もくれず、メジャーなルートを途中で離れて、マイナーなルートの途中でのんびりして引き返す事が多くなりました。
ダイエットのウォーキングの延長戦で始めた自分からすると、山登りは辛いし森の中は動物の気配で怖いしよく怪我して痛いし、好きじゃないんですよね。それなのに、次の週どこ登ろうかなっていつも考えてしまいます。でも、やりがいあるから楽しいですよね。自分の友達に話しても、実は登山が好きだったって人と、全く理解できない人とに分かれますね。山に興味ない人に何が楽しいのって聞かれても、山登りのドMは発言しかできない自分がいますw
絶景を見たいから!
私が山に登る理由のひとつは自分が登ったピークを他の山や、山麓、車窓から見えること、地図見ても、これも登ったなぁと感じられるところですかね。 遠くから見える山の形だけでも、それぞれの登山の苦労や楽しさを思い出せますし、長い稜線を踏破した時は、よくぞここまで歩けたなと自分ながら感心することもあります。特に晴れの日の中央道は運転してるだけで楽しめます。
伯耆大山の半分崩落した稜線を歩くのが、たまらなく大好きです!ホント楽しくってしかたない😂
頂上まで己の身体1つだけでしか辿り着けない。五体満足の有り難さを改めて実感できるから山へ登ります。しかしその登山の付加価値があまりにも素晴らし過ぎて遊びとしては1番尊くて1番値打ちがあると自負しております。遊びの頂点が登山です
子どもが外で遊んでいません。視覚一つだけとっても両目でナマのモノを見ないと距離感も量感も質感も感じ取れません。バーチャル(ゲームやTVモニタ)になった途端、1眼だから「錯覚的」に距離感・量感を感じているだけです。雲泥の差です。まだ、聴覚、嗅覚、触覚、味覚、圧覚なども残っています。モニター見ても感じ取れるのは似非ステレオ聴覚くらいです。「心身の発達段階」で屋内や親に監視された屋外(公園等)で遊んでいては感覚の発達は知れてます。ましてや忍耐力・分析力・問題解決力・仮想力など養われる筈がありません。子どもたちが“我慢できず、すぐ挫折し、思考をめんどくさがる”自立心が弱いままの大人になるのは当然です。指示待ち族にならない方がおかしい。たまに山に登ったって、毎日、外で遊ばない限り、3、40年前のような子どもの環境には戻りません。たまの山登りは外遊びが好きになるキッカケです。GPSやスマホ、遥かに不審者に対する防犯対策は昔より発達(その気になれば近所と徒党を組む事だってできる)してるのに、我が子が“いびつな人間”に育ってしまう事の方に危機感がないのだろうか?不思議でしょうがない。
そうですね。NHKの「北アルプスの名峰」でどんなに素晴らしい映像を見ても実際に2500m超級の稜線で見る「圧倒的な空間感」は自分の目で見ないと分かりませんものね。
@@ZinedineChikane 人間の目は2眼。テレビカメラ、コンデジ、スマホは1眼。どちらが距離・量・質を感じるかは「物理的」に明白。当然、キレ堕ちた稜線の恐怖感もまるで違う。1960年代くらいまで親は「子どもを外で遊ばせなければマズい」って、感覚的に解ってたのに、どーして今は分らなくなっちゃったのか。。。
ダイエットと健康増進と気分のリフレッシュかな稜線を歩くのが至福の時間
なぜ登り始めたかはハッキリしていて、がんになったからです。運動はがん再発リスクを低減させるそうで、登山はうってつけだなと。ただ、登り始めたら自身の運動能力の低さを突きつけられ、多くの山は自分には無理と分かり登山は諦めようかと思ったのですが…。花をきっかけに植物や生物や地学など理科に興味が出て勉強を始め、山で見たものと知識をリンクさせることを楽しむようになりました。なので、登山は知的好奇心を満たすきっかけであり手段ですね。
登山は人が感じる感情のフルコンプリートだからだと思います。決して楽しい、綺麗だけでは人は満足しません。絶えず危険と隣り合わせなのも満足度を上げてくれます。登山が趣味な人は、サラリーマンの勤め人とか公務員とか定年退職した人とかが多い様に感じます。自営業の人はあまりいない様な感じがします。何より最高に良いのは、一般的な登山は他人と競争するという概念がない事だと思います。自分との対話と言うか登山している時は本来の自分になれるのもあると思います。なんかスピリチュアル的になってしまいました 笑
風呂を最高に楽しむための準備運動と思っていますし周りにもそう言っています。なので少しでも危ないと思えばサクッと諦めます。
コロナ禍で伊勢原市役所で頂いた「大山めぐりルート観光ガイド」がきっかけで、このガイドを歩いた線で埋め尽くしたくソロ山歩を始めました1年半で目標の「神奈川100座」を達成し、歩いて分かったのは「山頂に行かなくても森の中を歩くだけで何か力を貰えますよ」と、人に勧めたいです今は、ヤマピーに時期を外して、東丹沢の季節の移り変わりを楽しんでます、今月は大山寺の🍁紅葉です😊
他のスポーツからの鞍替え組が多いと思います。自分の場合はゴルフ⇒登山 その逆の人も知ってます。飽きがくるわけではないけど別のアクティビティをしたいと思う人は多い。
素敵な投稿をありがとうござました。返答としては『私もなんで登るのか知りたいよ!』ですかね(笑ただ私は多分、2なのかなと思います。去年の11月にうつ病から休職になり、そこからバイクで日本中を回っていました。その際にライダーの服装で開聞岳に登り、今年は岩木山に。怖くて座り込み、逃げたい、でも動けない、どうしようって。で、いまここで乗り越えられなかったら、もうずっと逃げ続けることになるんじゃないかとなり、がむしゃらに登頂をしました。その延長で装備を整え、甲斐駒とかに行ったわけですが・・いつか問題を起こさないように気をつけます(笑
特急列車に乗りたいから。がきっかけです。登山を始めたばかりの頃は、特急ラビューで飯能や秩父に行っていました。そこから色々な山を知り、車窓から見える山がどんどん「登ったことがある山」に。乗り物に乗るのがますます楽しくなりました。
乗り鉄なので、山に行くために鉄道に乗るのか、鉄道に乗るために山に行くかという状況です。最近は鉄道の比率が高くなりました。
私の場合は、そこに山がなかったからです。大都会の真ん中に生まれて生活してきたので周辺には自然がほとんどありません🏙️俗世界から離れて非日常を体験しに行っている感じです⛰️
私は山に登ることで達成感を感じ、達成感を通して自身の成長も感じることがてきる。自身が成長できると、自身の将来は明るいと希望が持てる気がします。特に変なストレスとか閉塞感を感じているときはこのメンタルの改善効果があると思っています。人に言っても伝わらないと思いますが。
簡単ん😮ん楽しいから😆ですよ!!ただ それだけ🤣😝🤣
どこまで行けるのか確かめる為に登ってますね。
無駄に他人と競い合わないためにもこれは大事かもですね。
球技だと相手がおり、どうしても競ってしまう。歳をとるにつれて、他人と競うのは無意味と感じるようになり、他人と競わない山歩きにのめりこんでしまった
ツーリングが趣味でよく山に走りに行ってけどある時登山口を見つけて「この道を行けばあの山の頂上まで行けるんだ」と思い立ったのが始まりだった気がします
達成感とスリルですソロ&ロングはすこし無理できるので挑戦できることが楽しいです。登山口に行くまでのルートや暗闇の中のスタート、明るい時間に降りて来れるか、稜線や山頂から見える絶景を見た時の感動など魅力がいっぱいです。そういうコースはすごい体力の人も来ているので刺激をもらえるのも楽しいです。破線や修験道、登山道ではないけどあるける尾根などはさらにスリルを味わえるので行ってみたいです
今年から低山登山を始めました。やはり周りから『なんで山に登るの?』と聞かれます。『好きなアーティストのライブに行くのと似てて😊その日にしかない、最高の景色をこの目で見て体感しに行くんだよー』または『人生を見つめ直しに行ってる。自分の歩幅なんてたった数十cmなのにひたすら足を前に出すだけであーんな遠くの山のテッペンまで行けるんだよーすごくないー?』相手により、このどちらかを答えています😁
いろいろ理由があるけど、集約すると、「そこに山があるから」になる。山頂や稜線から見える山へ次に行きたくなるのはそうかも。苦しい登りで心が無になり日頃の悩みから解放されるのもいい。目的の半分は山頂に到達することで、残りは無事下山し反省会で美味しいお酒を飲むこと。(以前はお酒の方がもっと比率が高かったが )山に行くために鉄道に乗ること、帰路の車内で夕焼けに輝く山々をみて一杯やりながら、その日の山行を振り返るのはなんとも言えない。
自分は意識も高くないし立派な目標なんかも無いのでラクして登れるのならそうしたいところですが、山はそこにしかない景色、世界がある。これはもう実際に体験しないと絶対にわからないこと。しかも、いわゆる旅行とも違って山の上はどれだけお金を出しても自分の足で歩かないと辿り着けない。まさにプライスレスですよね。入場無料の展望台付きアスレチックランドみたいなもんですよ。あと、自分はそこまででもないけど、コレクション的な楽しみもありますよね、達成感とか。純粋にとてつもない非日常的な山の上でフツーにご飯を食べるってだけでも何だか楽しい。だから理由なんてあげればいくらでもあると思うし、いろんな楽しみ方もあって良いですね。
何にしても山登りが、帰って来た時に種々の理由(多分無意識が大部分)で心地良いからだと思います。マコロリーさんは、山が有るの後にしかも未踏峰と言ってたいたと思います。マロリーさんは、初登頂が楽しみだったと思います。私は歩いていた頃は、何時もニコニコの登山道歩きの安全登山でした。人生色々、山登り色々で理由も色々。
基本ソロです、希にスコッとギャーが入るゾーンに入る時が有るんです、その時は禅で言う無心に近い状態に成るんですよね、その時は時間が空白に成ると言うか、何か違う感覚、時が(多分短時間)何とも心地よい時間が体感出来る時が有るんですよね脳内ドーバミンが多分出て入るのかも五感➕な何とも言えない感覚が良きです。 パーティー登山では体感出来ませんです。
①山でしかできない体験をしたい②困難を達成したい③ドキドキを感じたい⑦実は惰性でいってるだけこれらが自分に当てはまります下山後の温泉が楽しみだから!というのもあります
トレーニング目的ですねジムで筋トレするより楽しくて癒されます
膝のケガに対する修行、膝パットの具合、一番は景色・花、季節の変化
山荘のカレーや鍋焼きうどんが食べたいから
極めて個人的なことですが、今日、僕の会社の方で亡くなられたという報せがありました。ショックを受けました。なんだろう、山に、なにか歩きたい、そう、今日思う瞬間がありました。山を歩こう、山を登ろう、そう想っています。 コメント失礼いたしました。
ソロで行くのか誰かと行くのかで目的も分かれていそうな質問ですね。修験者みたいな猛者が何考えてるのかは気になりますが、少数派でしょうね。アンケートの中にはいなさそう?私はまずは観光地から用心深く行ききます。初心者ですから。自然に踏み込むと逆に、人間の製造した素晴らしいものの数々に目が行くようになりました。ゴアテックスなんて見たことなかったし。「これがゴアテックスかー!」って思ったのも最近のことです。そうなると工業製品ってすごいなとか、人間の歴史すごいなとか、生態系すごいなとか。「なぜこれがこうなっているのか」とか、思考そのものが普段から面白くなります。知らず知らずにお世話になっていた文明のもの、見過ごして生活していた部分を見直せたことが嬉しいです。電気が使えるってすごいなとか。様々な技術者に支えられて生活してるんだなとか。この会社ってどんなもの作ってるのかな?とか。山用品を作る人達のこだわり動画とか、見る意味がわかるようになりました。自分が登山しなければ「ただのお金持ちの道楽じゃないの?」っていう変な先入観で、終わってしまうところでした。「危ないことする物好きな人達」とかね。なんならちょっと嫌ってるくらいの。そういうマイナス面がひとつひとつ解消していくのはよかったです。
個人的には人間って単純に 「高所から下界を見下ろす」 ことに快感を感じる部分が根源にある気はします。自分はクルマであちこち巡って、訪ねた先をジョギングすることをライフワークにしてるのですが…先日、海沿いコースにまさかの激坂があって予想外の高所に持っていかれたのですが、途中で景色が開けて崖下の海を見下ろしたら感動しました。都心では雨後の筍のようにタワマンがニョキニョニ林立してますが、単純に 「達成感」 や 「一人になって自分を見つめる」 であれば、別に山である必然性はないと思うのですが、一つしかない頂上から下界を見下ろすコトを目標に頑張るという一点に尽きる気がします。
登山はとても好きなのですが『なぜ山に登るのか?』ではなく『なぜ山に登るための資金と時間を他の方は調整できるのか?』という疑問を最近持ってる。給料が上がらないのに物価だけが上がってきてそのぶん明らかに趣味に傾倒はできなくなったのは僕だけじゃないと思うけど。
山でしか感じられない恐怖感がある。滑落、道迷い、日没、天気の急変、凍結、雪崩、落石、熊、虫、ケガ、空腹、渇き、排泄、電波切れ、バッテリー切れ、車のスタック、狭い道の離合、林道通行止め、バスの時間、心霊、不審者それら全てをクリアして下山した後のメシと温泉と反省会♨️🍚😂
目的を考える、計画に際して確かに大切なポイントだなと感じました。習慣化してるというのもありますが一人山旅その行程全てを楽しむのが主目的です。後はオシャレをして街にでかけるようにお気に入りのウェアとコーディネートで山を楽しむ、てのもあります。
山に登る理由は、その山の残された記憶に触れるため・・・でしょうか。里山には、昔そこで生活されていた人たちの生きるために歩いた道の痕跡や、様々な願いがかけられた祠などが埋もれています。いずれ朽ちて無くなっていくその情景をすこしでも後世に残したい、これが原動力です。
カイヨワは登山はめまいの遊びと分類していますね。ドキドキする、ヒヤッとする感覚が楽しいということですね。
なぜ?と問われると”なんとなく”という感じです。もともと無趣味な人間だったのですが何故か山にはまってます。なぜなのか自分でも良くわかりません。
最終回?
www
良い最終回だった
山行かないと運動しないからかな😅下界にはないものが山にはあります。でも人にはおすすめしないかな。得るものに対し苦労が多いと思うから。
山頂でなくても山中で食べるおにぎりほど美味いものはないから
10年くらい前、友人に誘われて軽いハイキングに行き、その時食べた「コンビニおにぎり」が異様に美味かったのを今でも脳裏に焼き付いてる。
もちろんAWE体験をしたいから!登山は色んなAWE体験をさせてくれる
新しいウェアや装備を買ってしまったから…行かないと元が取れないから、という理由もなくはないです😂
日本には古くからの思想に森羅万象神が宿って居ると言われてます。特に山は特別な存在、私の場合は参拝がメイン、なので登らせて頂く。道中森林、草木との会話が有り山頂には山の神の祠、そこで合掌。至福の時間を山から頂いています。
禅です。登りはとくに、文字通り無心になれます。山でなくてもいいじゃん、と山に行かない人に突っ込まれましたが。
なぜなのか・・・都会の喧騒を忘れ大自然の景色で非日常感を楽しみつつデジタルデトックスでリフレッシュしたいからです、と答えようかと思ったけど、本音は美女同僚達と山で食べるおにぎりがおいしいからです。と答えます(笑)
私はあの稜線に乗って向こう側が見えた時が気持ちいいから登ってるかなぁ、
亡くなった父が学生時代から山岳とカメラを趣味としていました。色々な山から富士山を撮影し、亡くなった今でも父の写真は映像画として使って頂いています。父がどんな山から富士山を見ていたのか知りたくて私は登山を始めました!今では、山行計画をあれこれ考える時間とその時々の目標を定めて登るのが好きです!因みに単独登山です。非日常を楽しみたいので、世間話的な会話を耳にしたくないと言う思いがあります。(笑)全然関係ない質問をさせて頂きます。雪山登山でピッケルを持たなければならない山の条件てあるのでしょうか?私は12本アイゼンとワカンは持っていて、北横岳などの雪山に行っていました。イメージでは急登や雪崩の起きやすい所にはピッケルが必要なのかなと…トレッキング程度ならピッケルは無くても良いのでしょうか?
滑落停止にピッケルを使います。また、ストックでは身体を支えるのに心もとない、ピッケルで「ぶっさしながら」登りたい時ですかね。
そこに行かないと見えない景色を見たいから
全身ブランドの富裕層もワークマン+枯れ枝の貧乏人もトレランの猛者でもおデブちゃんでもそれぞれに合った方法でアプローチすれば、平等にゴールに辿り着けることかな
孤独 孤高
同じ景色は二度とないから、かな😊
言われてみればなんで山登ってるんだろう
アンチエイジングですね、体力だけでなく肥満解消、技術向上アンチエイジングにピッタリ。大体ソロです
人類は元々チンパンジーなどの類人猿ですから山に居ると癒される訳ですよ。(°▽°)
今回は、過去のヤマレコで行ったアンケート企画「なぜ山に登るのか?」について、
その内容を踏まえて実際どういうパターンがあるのか、掘り下げて解説をしました!
みなさんは、なぜ山に登っていますか?
登山の好きなところはどこでしょうか。
山をやっていない人にも魅力が伝わるような
皆様の経験や回答をぜひコメント欄にお寄せください!
他に解説してもらいたいことなども含めて、コメント・ご意見・感想をお待ちしてます!
どんなに有名な写真家の写真よりも
どんなに有名な画家の絵よりも
実際のやまから見える景色にはかなわない
このパノラマ感や色、季節、気温など五感を全て合わせて
山の臨場感。これは、登った人にしかわからない。だから
人に言葉では伝えないな。登ってみ、としか言えない。
ガチのインドア派からのダイエットマラソンからのガチマラソンからのトレラン。
山に入るようになったのは、マラソンは単調だったから。走る場を山に移して
視野が一気に広がった。涼しかった。景色に感動した。体力配分に苦闘した。
身体の動かし方がまるで判ってないんだと女性に抜かれるたびに落ち込んだ。
20-30キロ縦走するのに登山道を繋いだ。道を繋ぐのに色んな情報を拾い集めた。
自分でコースを作って時間を決めてご当地グルメを探した。
同じ山でもルートが違うと難易度が途端に変わる。飽きないです本当に。
山は現代人にとって最高のデトックスだと思います
いつも単独で主に低山を登っています。沢山ある理由の中であえて一つだけ挙げるとすれば『一人になるため、自分と向き合い色々な考えを巡らせるため』が私の山に登る理由です。毎回素敵な配信を有り難うございます。
無になってる自分。
ゆる山ですが、そのゆる山から、壮大な景色、山並みを見ること。
山頂に着いた時の達成感。
登山者との会話や挨拶。
下山した時の爽快気分になれ、夢のような時間だと毎回のように思います。
見たい景色を眺めに頑張って登ってます。
癒され、身を軽くさせ、リフレッシュ出来るからかな?!
まだ、昨年始めたばかりの初心者ですが、登山を趣味にできて良かったです。
生物調査で未調査地域が多い離島や山に行っていたのがきっかけです。
最初の頃は山に入っても予定した調査が終了すれば山頂は目指さず下山していましたが、そのうち「せっかく来たのだから山頂まで行こう」という気持ちが出てきて山頂まで行くことが多くなりました。
そして山頂付近でしか見られない植物相や昆虫相があることを知ってからは必ず登頂するようになりました。
それぞれの山の山頂付近でしか見られない固有の生物を見つけるのが楽しみです。
今では山歩き自体も楽しくなりました。
「なぜ山に登るの?」は、「なぜ3Kな事までして山に登るの、変なんじゃない?」という問いかけです。理解されることはないので、「景色が壮大で綺麗だからだよ」 と言って、最高の写真を見せてお茶を濁しておけば良いと思います。
だいたい他人の趣味なんて理解できるものではない。
私の場合は、山行を重ねる毎に変わってきました。
最初の頃は、計画を立てる時の妄想が一番楽しかった。登頂すると頂上から見える次の山に登りたくなった。
ガイドブックで紹介される縦走コースを歩いて見たくなった。
雪山にチャレンジしたくなった。
そして居心地の良い山小屋・管理人さんのところを見つけた。
更に歳をとると高山植物や紅葉が目当てとなった。
今は過去に訪れたところを再訪して想い出にひたるのが楽しみとなり、ほぼ登山は修了しました。
自然の中に身を置く事が体、精神衛生上良いですね。
又、同じ山でも季節を変えると表情が違い感動したり、残念だったりします。 天候の変化で身の危険⚠️を五感で感じ、少しは危険察知に役立つ目的も有ります。😅
街に比べて五感をフルに働かせて、アドレナリンやエンドルフィン出してる感じがたまらん。
街では得られない。
その後の爽快感は中毒性がある。
登山の魅力が沢山ありすぎて一言では言えないです。悩み事があっても無心で歩いたり、どんな山でも山行が終わる時は心がスッキリします。チャレンジ的な山行でも準備して達成できたら嬉しいです。惰性の部分もあるかもしれないですが、同じ道でも上りと下り、右側歩くか左側歩くかでも違って感じますし、時間帯や季節や天候で違って感じるので何回歩いても飽きないです。
山が教えてくれるから、山に登ってます。
「なんて景色だ」
「気持ちよすぎる」
「怖すぎるゾ!ココは」
「こんなに寒いのか」
「あれ?ヤバい、ヤベーぞ!」
いろいろ学びます。
否応なく教えられますwww
登山だけは、なぜそれをやるのかって聞かれる趣味ですよね
登山は、クライミングや冬山などの難易度が高いジャンルを除けば、自分のレベルに合った目標を設定することで達成率がかなり高い趣味と思います。勿論キチンとした準備が必要というのは前提ですが。頑張ったご褒美として高確率で達成感を得られる。天気良ければ雄大な眺望も見られる。そして経験値が高くなればその分高い目標設定が可能になる。お年寄りの登山が増えてるようですが、子供の頃の夢はいつしか消え地道に平凡な生活をしてきた方にとって、この身の丈にあった達成感は大きな魅力だなあと思います。
兎に角、歩くとき、何も考えなかったり、色々考えたりする事がいい。勿論下山後の温泉も目的の一つだし、惰性もあるかも知れない。改めて考えるのはいいですね。
ほんとにロジカルでわかりやすいです
最初はコロナ禍の運動不足解消のため始めました。
今は下山後の温泉、ビールを楽しみに良い汗をかくために登っています。
平日にUA-camを見ながら登山計画を考えるのも楽しいですね。
特に予定がなければ近所のハイキングコースを歩いて惰性で飲みに行くことも多いですね。
ドMだからwww
ハァハァ言ってツラくてキツくて脹脛がぎゅいーんってなるのを味わいたいから!
なぜ山にのぼるのか?
私の場合は基本ソロ登山なので、登っている時や下山している時に
余計な事を考えなくて良いから(無我の境地😅)と
登ってみたい山を実際に自分が体験して感じてみたいから。
5番目と6番目ですね。
それと下山後のビールの美味さを知っていしまったから。
ありきたりですけど、心のデトックスですね。
自然に身を置いて、一人ぼーっとするのが好きです。
最近では山頂には目もくれず、メジャーなルートを途中で離れて、
マイナーなルートの途中でのんびりして引き返す事が多くなりました。
ダイエットのウォーキングの延長戦で始めた自分からすると、山登りは辛いし森の中は動物の気配で怖いしよく怪我して痛いし、好きじゃないんですよね。
それなのに、次の週どこ登ろうかなっていつも考えてしまいます。
でも、やりがいあるから楽しいですよね。
自分の友達に話しても、実は登山が好きだったって人と、全く理解できない人とに分かれますね。
山に興味ない人に何が楽しいのって聞かれても、山登りのドMは発言しかできない自分がいますw
絶景を見たいから!
私が山に登る理由のひとつは自分が登ったピークを他の山や、山麓、車窓から見えること、地図見ても、これも登ったなぁと感じられるところですかね。
遠くから見える山の形だけでも、それぞれの登山の苦労や楽しさを思い出せますし、長い稜線を踏破した時は、よくぞここまで歩けたなと自分ながら感心することもあります。
特に晴れの日の中央道は運転してるだけで楽しめます。
伯耆大山の半分崩落した稜線を歩くのが、たまらなく大好きです!
ホント楽しくってしかたない😂
頂上まで己の身体1つだけでしか辿り着けない。五体満足の有り難さを改めて実感できるから山へ登ります。
しかしその登山の付加価値があまりにも素晴らし過ぎて
遊びとしては1番尊くて1番値打ちがあると自負しております。遊びの頂点が登山です
子どもが外で遊んでいません。
視覚一つだけとっても両目でナマのモノを見ないと距離感も量感も質感も感じ取れません。バーチャル(ゲームやTVモニタ)になった途端、1眼だから「錯覚的」に距離感・量感を感じているだけです。雲泥の差です。まだ、聴覚、嗅覚、触覚、味覚、圧覚なども残っています。モニター見ても感じ取れるのは似非ステレオ聴覚くらいです。
「心身の発達段階」で屋内や親に監視された屋外(公園等)で遊んでいては感覚の発達は知れてます。ましてや忍耐力・分析力・問題解決力・仮想力など養われる筈がありません。
子どもたちが“我慢できず、すぐ挫折し、思考をめんどくさがる”自立心が弱いままの大人になるのは当然です。指示待ち族にならない方がおかしい。
たまに山に登ったって、毎日、外で遊ばない限り、3、40年前のような子どもの環境には戻りません。たまの山登りは外遊びが好きになるキッカケです。
GPSやスマホ、遥かに不審者に対する防犯対策は昔より発達(その気になれば近所と徒党を組む事だってできる)してるのに、我が子が“いびつな人間”に育ってしまう事の方に危機感がないのだろうか?
不思議でしょうがない。
そうですね。
NHKの「北アルプスの名峰」でどんなに素晴らしい映像を見ても
実際に2500m超級の稜線で見る「圧倒的な空間感」は自分の目で見ないと分かりませんものね。
@@ZinedineChikane
人間の目は2眼。テレビカメラ、コンデジ、スマホは1眼。
どちらが距離・量・質を感じるかは「物理的」に明白。
当然、キレ堕ちた稜線の恐怖感もまるで違う。
1960年代くらいまで親は「子どもを外で遊ばせなければマズい」って、感覚的に解ってたのに、
どーして今は分らなくなっちゃったのか。。。
ダイエットと健康増進と気分のリフレッシュかな
稜線を歩くのが至福の時間
なぜ登り始めたかはハッキリしていて、がんになったからです。運動はがん再発リスクを低減させるそうで、登山はうってつけだなと。ただ、登り始めたら自身の運動能力の低さを突きつけられ、多くの山は自分には無理と分かり登山は諦めようかと思ったのですが…。花をきっかけに植物や生物や地学など理科に興味が出て勉強を始め、山で見たものと知識をリンクさせることを楽しむようになりました。なので、登山は知的好奇心を満たすきっかけであり手段ですね。
登山は人が感じる感情のフルコンプリートだからだと思います。
決して楽しい、綺麗だけでは人は満足しません。
絶えず危険と隣り合わせなのも満足度を上げてくれます。
登山が趣味な人は、サラリーマンの勤め人とか公務員とか定年退職した人とかが多い様に感じます。
自営業の人はあまりいない様な感じがします。
何より最高に良いのは、一般的な登山は他人と競争するという概念がない事だと思います。自分との対話と言うか登山している時は本来の自分になれるのもあると思います。
なんかスピリチュアル的になってしまいました 笑
風呂を最高に楽しむための準備運動と思っていますし周りにもそう言っています。
なので少しでも危ないと思えばサクッと諦めます。
コロナ禍で伊勢原市役所で頂いた「大山めぐりルート観光ガイド」がきっかけで、このガイドを歩いた線で埋め尽くしたくソロ山歩を始めました
1年半で目標の「神奈川100座」を達成し、歩いて分かったのは「山頂に行かなくても森の中を歩くだけで何か力を貰えますよ」と、人に勧めたいです
今は、ヤマピーに時期を外して、東丹沢の季節の移り変わりを楽しんでます、今月は大山寺の🍁紅葉です😊
他のスポーツからの鞍替え組が多いと思います。自分の場合はゴルフ⇒登山 その逆の人も知ってます。飽きがくるわけではないけど別のアクティビティをしたいと思う人は多い。
素敵な投稿をありがとうござました。
返答としては『私もなんで登るのか知りたいよ!』ですかね(笑
ただ私は多分、2なのかなと思います。
去年の11月にうつ病から休職になり、そこからバイクで日本中を回っていました。
その際にライダーの服装で開聞岳に登り、今年は岩木山に。
怖くて座り込み、逃げたい、でも動けない、どうしようって。
で、いまここで乗り越えられなかったら、もうずっと逃げ続けることになるんじゃないかとなり、
がむしゃらに登頂をしました。
その延長で装備を整え、甲斐駒とかに行ったわけですが・・
いつか問題を起こさないように気をつけます(笑
特急列車に乗りたいから。がきっかけです。
登山を始めたばかりの頃は、特急ラビューで飯能や秩父に行っていました。
そこから色々な山を知り、車窓から見える山がどんどん「登ったことがある山」に。
乗り物に乗るのがますます楽しくなりました。
乗り鉄なので、山に行くために鉄道に乗るのか、鉄道に乗るために山に行くかという状況です。最近は鉄道の比率が高くなりました。
私の場合は、そこに山がなかったからです。大都会の真ん中に生まれて生活してきたので周辺には自然がほとんどありません🏙️
俗世界から離れて非日常を体験しに行っている感じです⛰️
私は山に登ることで達成感を感じ、達成感を通して自身の成長も感じることがてきる。自身が成長できると、自身の将来は明るいと希望が持てる気がします。特に変なストレスとか閉塞感を感じているときはこのメンタルの改善効果があると思っています。
人に言っても伝わらないと思いますが。
簡単ん😮ん
楽しいから😆ですよ!!ただ それだけ🤣😝🤣
どこまで行けるのか確かめる為に登ってますね。
無駄に他人と競い合わないためにもこれは大事かもですね。
球技だと相手がおり、どうしても競ってしまう。歳をとるにつれて、他人と競うのは無意味と感じるようになり、他人と競わない山歩きにのめりこんでしまった
ツーリングが趣味でよく山に走りに行ってけどある時登山口を見つけて
「この道を行けばあの山の頂上まで行けるんだ」と思い立ったのが始まりだった気がします
達成感とスリルです
ソロ&ロングはすこし無理できるので挑戦できることが楽しいです。登山口に行くまでのルートや暗闇の中のスタート、明るい時間に降りて来れるか、稜線や山頂から見える絶景を見た時の感動など魅力がいっぱいです。そういうコースはすごい体力の人も来ているので刺激をもらえるのも楽しいです。破線や修験道、登山道ではないけどあるける尾根などはさらにスリルを味わえるので行ってみたいです
今年から低山登山を始めました。
やはり周りから『なんで山に登るの?』と聞かれます。
『好きなアーティストのライブに行くのと似てて😊その日にしかない、最高の景色をこの目で見て体感しに行くんだよー』
または
『人生を見つめ直しに行ってる。
自分の歩幅なんてたった数十cmなのに
ひたすら足を前に出すだけで
あーんな遠くの山のテッペンまで行けるんだよーすごくないー?』
相手により、このどちらかを答えています😁
いろいろ理由があるけど、集約すると、「そこに山があるから」になる。山頂や稜線から見える山へ次に行きたくなるのはそうかも。苦しい登りで心が無になり日頃の悩みから解放されるのもいい。目的の半分は山頂に到達することで、残りは無事下山し反省会で美味しいお酒を飲むこと。(以前はお酒の方がもっと比率が高かったが )山に行くために鉄道に乗ること、帰路の車内で夕焼けに輝く山々をみて一杯やりながら、その日の山行を振り返るのはなんとも言えない。
自分は意識も高くないし立派な目標なんかも無いのでラクして登れるのならそうしたいところですが、
山はそこにしかない景色、世界がある。これはもう実際に体験しないと絶対にわからないこと。
しかも、いわゆる旅行とも違って山の上はどれだけお金を出しても自分の足で歩かないと辿り着けない。
まさにプライスレスですよね。入場無料の展望台付きアスレチックランドみたいなもんですよ。
あと、自分はそこまででもないけど、コレクション的な楽しみもありますよね、達成感とか。
純粋にとてつもない非日常的な山の上でフツーにご飯を食べるってだけでも何だか楽しい。
だから理由なんてあげればいくらでもあると思うし、いろんな楽しみ方もあって良いですね。
何にしても山登りが、帰って来た時に種々の理由(多分無意識が大部分)で心地良いからだと思います。マコロリーさんは、山が有るの後にしかも未踏峰と言ってたいたと思います。マロリーさんは、初登頂が楽しみだったと思います。私は歩いていた頃は、何時もニコニコの登山道歩きの安全登山でした。人生色々、山登り色々で理由も色々。
基本ソロです、希にスコッとギャーが入る
ゾーンに入る時が有るんです、その時は禅で言う無心に
近い状態に成るんですよね、その時は時間が空白に
成ると言うか、何か違う感覚、時が(多分短時間)
何とも心地よい時間が体感出来る時が有るんですよね
脳内ドーバミンが多分出て入るのかも
五感➕な何とも言えない感覚が良きです。
パーティー登山では体感出来ませんです。
①山でしかできない体験をしたい
②困難を達成したい
③ドキドキを感じたい
⑦実は惰性でいってるだけ
これらが自分に当てはまります
下山後の温泉が楽しみだから!というのもあります
トレーニング目的ですね
ジムで筋トレするより楽しくて癒されます
膝のケガに対する修行、膝パットの具合、一番は景色・花、季節の変化
山荘のカレーや鍋焼きうどんが食べたいから
極めて個人的なことですが、今日、僕の会社の方で亡くなられたという報せがありました。ショックを受けました。なんだろう、山に、なにか歩きたい、そう、今日思う瞬間がありました。山を歩こう、山を登ろう、そう想っています。 コメント失礼いたしました。
ソロで行くのか誰かと行くのかで目的も分かれていそうな質問ですね。
修験者みたいな猛者が何考えてるのかは気になりますが、少数派でしょうね。アンケートの中にはいなさそう?
私はまずは観光地から用心深く行ききます。初心者ですから。
自然に踏み込むと逆に、人間の製造した素晴らしいものの数々に目が行くようになりました。
ゴアテックスなんて見たことなかったし。「これがゴアテックスかー!」って思ったのも最近のことです。
そうなると工業製品ってすごいなとか、人間の歴史すごいなとか、生態系すごいなとか。
「なぜこれがこうなっているのか」とか、思考そのものが普段から面白くなります。
知らず知らずにお世話になっていた文明のもの、見過ごして生活していた部分を見直せたことが嬉しいです。
電気が使えるってすごいなとか。
様々な技術者に支えられて生活してるんだなとか。この会社ってどんなもの作ってるのかな?とか。
山用品を作る人達のこだわり動画とか、見る意味がわかるようになりました。
自分が登山しなければ「ただのお金持ちの道楽じゃないの?」っていう変な先入観で、終わってしまうところでした。
「危ないことする物好きな人達」とかね。なんならちょっと嫌ってるくらいの。
そういうマイナス面がひとつひとつ解消していくのはよかったです。
個人的には人間って単純に 「高所から下界を見下ろす」 ことに快感を感じる部分が根源にある気はします。自分はクルマであちこち巡って、訪ねた先をジョギングすることをライフワークにしてるのですが…
先日、海沿いコースにまさかの激坂があって予想外の高所に持っていかれたのですが、途中で景色が開けて崖下の海を見下ろしたら感動しました。都心では雨後の筍のようにタワマンがニョキニョニ林立してますが、
単純に 「達成感」 や 「一人になって自分を見つめる」 であれば、別に山である必然性はないと思うのですが、一つしかない頂上から下界を見下ろすコトを目標に頑張るという一点に尽きる気がします。
登山はとても好きなのですが『なぜ山に登るのか?』ではなく『なぜ山に登るための資金と時間を他の方は調整できるのか?』という疑問を最近持ってる。給料が上がらないのに物価だけが上がってきてそのぶん明らかに趣味に傾倒はできなくなったのは僕だけじゃないと思うけど。
山でしか感じられない恐怖感がある。滑落、道迷い、日没、天気の急変、凍結、雪崩、落石、熊、虫、ケガ、空腹、渇き、排泄、電波切れ、バッテリー切れ、車のスタック、狭い道の離合、林道通行止め、バスの時間、心霊、不審者
それら全てをクリアして下山した後のメシと温泉と反省会♨️🍚😂
目的を考える、計画に際して確かに大切なポイントだなと感じました。習慣化してるというのもありますが一人山旅その行程全てを楽しむのが主目的です。後はオシャレをして街にでかけるようにお気に入りのウェアとコーディネートで山を楽しむ、てのもあります。
山に登る理由は、その山の残された記憶に触れるため・・・でしょうか。
里山には、昔そこで生活されていた人たちの生きるために歩いた道の痕跡や、様々な願いがかけられた祠などが埋もれています。いずれ朽ちて無くなっていくその情景をすこしでも後世に残したい、これが原動力です。
カイヨワは登山はめまいの遊びと分類していますね。ドキドキする、ヒヤッとする感覚が楽しいということですね。
なぜ?と問われると”なんとなく”という感じです。
もともと無趣味な人間だったのですが何故か山にはまってます。
なぜなのか自分でも良くわかりません。
最終回?
www
良い最終回だった
山行かないと運動しないからかな😅
下界にはないものが山にはあります。
でも人にはおすすめしないかな。
得るものに対し苦労が多いと思うから。
山頂でなくても山中で食べるおにぎりほど美味いものはないから
10年くらい前、友人に誘われて軽いハイキングに行き、
その時食べた「コンビニおにぎり」が異様に美味かったのを今でも脳裏に焼き付いてる。
もちろんAWE体験をしたいから!登山は色んなAWE体験をさせてくれる
新しいウェアや装備を買ってしまったから…行かないと元が取れないから、という理由もなくはないです😂
日本には古くからの思想に森羅万象神が宿って居ると言われてます。特に山は特別な存在、私の場合は参拝がメイン、なので登らせて頂く。道中森林、草木との会話が有り山頂には山の神の祠、そこで合掌。至福の時間を山から頂いています。
禅です。
登りはとくに、文字通り無心になれます。
山でなくてもいいじゃん、と山に行かない人に突っ込まれましたが。
なぜなのか・・・都会の喧騒を忘れ大自然の景色で非日常感を楽しみつつデジタルデトックスでリフレッシュしたいからです、と答えようかと思ったけど、本音は美女同僚達と山で食べるおにぎりがおいしいからです。と答えます(笑)
私はあの稜線に乗って向こう側が見えた時が気持ちいいから登ってるかなぁ、
亡くなった父が学生時代から山岳とカメラを趣味としていました。色々な山から富士山を撮影し、亡くなった今でも父の写真は映像画として使って頂いています。
父がどんな山から富士山を見ていたのか知りたくて私は登山を始めました!今では、山行計画をあれこれ考える時間とその時々の目標を定めて登るのが好きです!因みに単独登山です。非日常を楽しみたいので、世間話的な会話を耳にしたくないと言う思いがあります。(笑)
全然関係ない質問をさせて頂きます。
雪山登山でピッケルを持たなければならない山の条件てあるのでしょうか?私は12本アイゼンとワカンは持っていて、北横岳などの雪山に行っていました。イメージでは急登や雪崩の起きやすい所にはピッケルが必要なのかなと…トレッキング程度ならピッケルは無くても良いのでしょうか?
滑落停止にピッケルを使います。
また、ストックでは身体を支えるのに心もとない、ピッケルで「ぶっさしながら」登りたい時ですかね。
そこに行かないと見えない景色を見たいから
全身ブランドの富裕層もワークマン+枯れ枝の貧乏人も
トレランの猛者でもおデブちゃんでも
それぞれに合った方法でアプローチすれば、平等にゴールに辿り着けることかな
孤独 孤高
同じ景色は二度とないから、かな😊
言われてみればなんで山登ってるんだろう
アンチエイジングですね、体力だけでなく肥満解消、技術向上アンチエイジングにピッタリ。大体ソロです
人類は元々チンパンジーなどの類人猿ですから山に居ると癒される訳ですよ。(°▽°)