聖書が教える地獄/三綿 直人【なるほどTheBibleシリーズ68】

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  • Опубліковано 23 січ 2025

КОМЕНТАРІ • 18

  • @gokato555
    @gokato555 7 місяців тому +15

    三綿先生、わかりやすいメッセージ有難うございます。感謝です。地獄(ゲヘナ)は、よくハデス(黄泉)と混同されることがあるようですが、いずれにしても神様から完全に遮断された世界には行きたくないです。今、生きている間に一人でも多くの人が神様に立ち返り、救われることをお祈りいたします。

  • @chiek5676
    @chiek5676 6 місяців тому +3

    言いづらい地獄について、勇気をもって語って下さりありがとうございます! 私も最近ハッキリ語るよう導かれています。先日友人のご主人に伝道したときも3回は、語りました。幸い信じて下さいました。神の愛とは究極、地獄から救う愛ですよね。

  • @まるさくら-b3d
    @まるさくら-b3d 7 місяців тому +4

    他の教会へ通っているクリスチャンの方に、このチャンネルを紹介しました。
    今では毎日聴いてます!
    分かりやすくて、紹介してくれてありがとうと言われました🎉
    地域教会は違えども、クリスチャンは聖霊によって、本当に繋がってると思わされました。
    これからも、油注がれたメッセージの為にお祈りしております✝️

  • @ryoku4649
    @ryoku4649 7 місяців тому +9

    地獄に関するシェアの殆どが、本当に酷くおどろおどろしくて、エグくて、とても見聞きに耐えない内容ばかり(いやその、実際そうだと思うけれど)ですが、今回、それらを本当に冷静にシェアしてくださいましたね。

    • @user-ll9ct1xv9
      @user-ll9ct1xv9 7 місяців тому +3

      でも、第1ペテロ3:18,19節に、キリストは、私たちを神のみもとに導くために、黄泉にくだり死者の霊たちのところに下りみことばを語られた。っと書いていますよ、その結果、墓がひらいて眠っていた多くの、聖徒たちの体が生き返って聖都にはいったマタイ27章52、53節、地獄の話をする前に、黄泉にも救いがあることも、書いてあります、地獄の話しは、人にトラウマを与えるだけだと思います地獄のはなしは、オーム、イスラムより怖い、キリスト教になるとおもいます。

    • @ryoku4649
      @ryoku4649 7 місяців тому +1

      @@user-ll9ct1xv9
      "キリストも一度罪のために死なれました。正しい方が悪い人々の身代わりとなったのです。それは、肉においては死に渡され、霊においては生かされて、私たちを神のみもとに導くためでした。
      その霊において、キリストは捕らわれの霊たちのところに行って、みことばを語られたのです。"
      ペテロの手紙 第一 3章18~19節
      聖書 新改訳©2003新日本聖書刊行会
      この御言葉ですが、あなた様が所属しておられるであろう教会の牧師に直接、ご質問されるのがベストだと思います。もちろん、三綿さん直接でもいいとは思いますが。

    • @ryoku4649
      @ryoku4649 7 місяців тому +5

      @@user-ll9ct1xv9
      この1ペテロの御言葉、私は注意して解釈しないといけないと思います。
      この御言葉を「死者の霊に福音を伝えれば、その死人も天国に行ける」と解釈してミニストリーをしているグループがあるので。
      明らかにサウル王さんが敵の刃に倒れる前日に霊媒師の元に出向いた罪、そのまんまです。
      それに、第一ペテロの御言葉を引用するよりも、むしろ黙示録20章を読まれた方が、今回の三綿さんの動画に近い内容かと思います。

    • @user-ll9ct1xv9
      @user-ll9ct1xv9 7 місяців тому +3

      ご返事嬉しいです、ありがとうございます、さて、第1ペテロ3章18節の「 ~私たちを、神のみもとに導くために19節その霊においてキリストは、とらわれの霊たちのところにいって、みことばをかたられたのです」その結果マタイ27章52節があるのです「また墓がひらいて、眠っていた、多くの聖徒たちの体が生き返った。」と書いてあります。まだペンテコステの前に墓らよみがえった人たちは、どこで、福音を聞くことができたのでしょ、キリストはそ囚われた霊たちのところに行ってみことばを、語られたのです。ペテロ3章19が、書かれているとうりです、そこはノアの時代に、従わなかった霊たちの場所だったっと言うことが、明らかです20節。またヨハネ5章28節この事に驚いては、なりません、墓のなかにいるものがみな、子の声を聞いて出て来るときがきます、29節善を行った者は、よみがえって命を受け、悪を行った者は、よみがえって、さはきを受けるのです。」ここも、墓のなかのでき事ですが、ここは、私たちクリスチャンでは、ないのです、なぜなら善を、行った人々のすくいで、クリスチャンは、24節誠に、誠に、あなた方に告げます。私の言葉を聞いて、わたしを遣わしたかたをしんじるものは、えいえんの命を持ち、さばきに合うことがなく死から、いのちに移っているのです。」このお言葉が、クリスチャンの立場なのです、信仰による救い。ちなみに行いによる救いはマタイ25章の、「小さい者の一人したことは、わたしに、したのです~~。」全世界のさばきのときの、行いによる救いと、ヨハネ5章27~29は、同じだということがわかると、おもいます。ながながと、失礼いたしました。

    • @user-ll9ct1xv9
      @user-ll9ct1xv9 7 місяців тому +2

      追伸、三綿さん、の黙示録20章も聖書ですのでわかってるつもりですが、地獄のはなしは、使徒や、パウロの、なかには、みられないのです、また多くのひとに、トラウマを与えるっと危険な、ものと考える者としての良い意味での反論っと理解していただけたら、感謝です。