1936年 阪急ブレーブス

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  • Опубліковано 4 лис 2024

КОМЕНТАРІ • 1

  • @kes7774
    @kes7774 6 років тому +11

    戦前の投手の投球フォームを研究する上で大変貴重な資料ですね。
    特に重松の戦前映像の現存は、武末悉昌説もしばしば挙げられる「本邦初のアンダースロー」論争に対する有力な資料となりえるでしょう。
    なお、00:02辺りから順番に4人の投手が投球しますが、
    最も手前でアンダースローで投げる22番は重松通雄、
    最も奥側でサイドスローで投げる3番が石田光彦、
    石田の手前で投げるオーバースローの19番が丸尾千年次・・・と思うのですが、
    丸尾の横でサイドスロー気味のアンダーで投げている20番の投手が、ちょっとよく分かりません。。。
    というのも、1936年の阪急軍で20番を付けているのは、監督の三宅大輔だったからです。
    翌1937年にはアンダースローの中田武夫が20番を付けたそうなので、
    ひょっとするとこの映像は1936年ではなくて、1937年のものなのかもしれません。
    なお、1938年には中田が出征で退団し、新たに投手の高橋敏が20番を付けるのですが、
    同年に丸尾も出征で退団して19番が不在となるので、36年に三宅監督も投手陣に混じって
    投球練習していたというのでなければ、1937年の可能性が最も高そうです。
    戦後の武末や武智文雄のフォームの源流となったであろう重松や中田のアンダー、
    ドン・ドライズデールや森安敏明のように左足を思い切り胸まで引き上げてから勢い良く放る石田のサイド、
    当時の流行を感じさせる左足を高く蹴り上げる丸尾のオーバー、どれも興味深いです。