木久扇たっぷり この与太郎キャラ・・・只者じゃない!【落語】

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  • Опубліковано 5 лют 2025
  • 0:48片岡千恵蔵伝 12:36鮑のし 42:09彦六伝 52:36道具屋
    「片岡千恵蔵伝」
    木久蔵の手による新作落語「彦六伝」「昭和芸能史」と交わる部分が多く高座で彦六伝をかけてもネタの進行によっては彦六以外の芸人や役者の物真似(片岡千恵蔵、嵐寛寿郎、大河内傳次郎、市川右太衛門、月形龍之介など)も披露するため彦六伝と昭和芸能史を半分ずつ演じる二作折衷の形態を取ることもある。また自由度の高さから古典、新作を問わず様々な噺の枕にも多用しており名実共に木久蔵の代名詞となっている。
    「鮑のし」
    仕事に行ったが身体の調子が悪くなって帰って来た甚兵衛さん。考えてみたら腹が減ってるんだと
    思い、飯食わせろと女房のお光に言うが「ご飯なんて無いよ」「無ければ炊けよ」「お米が無いんだよ」「じゃ~、買ってこようか」「買っておいで」「オアシをおくれ」「オアシが無いよ」「何にも無いんだな。明日から仕事に行くから今日は食べさせてくれ」それだったらと、お光はある提案をするが・・・
    「彦六伝」
    芝居噺・怪談噺の大家と謳われた八代目林家正蔵こと彦六が織り成す日常風景の姿を切り取り弟子である木久蔵が経験した失敗談や体験談を交えつつ脚色を加えて編み出した滑稽噺。この噺が出来たきっかけは、彦六が1982年に死去した際に彦六の遺体が献体されたので木久蔵は彦六の遺体と対面も葬儀を行うも出来なかった。その悔しさから「せめて師匠の名前と逸話だけでも後世に残したい」と、思い出話をまくらで話したところ受けたので内容を付け足しているうちに40分近い一席になった。 彦六の没後数十年が経過しているにもかかわらず学校寄席の場では(彦六そのものを知らない)学生に『体と声が震える面白いお爺さんの噺』として受けるのだという
    「道具屋」
    江戸時代から口演されてきた伝統的な前座向きの噺です。軽妙で面白く、よく知られる落語の一つです。古くからある小咄を集めて一席の落語にしたオムニバス形式の落語で与太郎が伯父にいわれて道具屋になるが、へまばかりして失敗を繰り返すという内容です。別名「道具の開業」とも呼ばれます。三十すぎてもぶらぶらしている甥の与太郎に伯父が自分の内職の道具屋をさせることにしますが・・・古典落語をベースにしていますが、声劇台本として作成されています。元の落語に様々なアレンジが加えられている場合があります
    初代 林家 木久扇
    1960年落語界入り。弟子入りしていた漫画家清水崑の紹介で三代目桂三木助に入門。三木助は弟子には「木久」の字をつけていたので、木久男の名をもらう。3代目三木助死後、三木助の死後まで残っていた門弟達は三木助と同じ筋である8代目桂文楽、5代目柳家小さんを前に次の新たな師匠を決めさせられ、木久蔵(当時・木久男)以外の門弟は皆小さんを選択したが木久男は8代目林家正蔵一門へ移籍した。三木助の病床時に林家正蔵が見舞金を贈ってきたことに対し「これが一番嬉しい」と三木助の妻が言っていたため。当時の木久男はまだ前座になりたてで、落語界の人間関係をよく理解していなかったと語る。
    三木助の未亡人(女将さん)に連れられて8代目林家正蔵(後の彦六)宅へ行き、正蔵門下に移籍した際、「三木助の弟子だったから「木」と言う字は残そう。私は正蔵だから「蔵」と言う字をあげる。永く久しく続くように「久」と言う字で繋いだらどうだ」と語り、 「林家木久蔵」と新たな芸名を与えられた。本人は「二人の師匠の名前が入っているから凄く誇りにしている」と語っていた。息子のきくおが真打昇進する際に「木久蔵」を襲名させ自らは「笑点」の企画として新しい芸名を公募し「林家木久翁」が候補に上がったが読みが同じ「林家 木久扇」を本人が選んだ。
    トークなしで純粋に落語だけを楽しみたい方はこちらでどうぞ
    落語の蔵: / @repli455
    #片岡千恵蔵伝 #鮑のし #彦六伝 #道具屋 #落語

КОМЕНТАРІ • 2

  • @孝前田-o1t
    @孝前田-o1t 10 днів тому +2

    待ってましたスーパースター!(=^・^=)
    確かに只者ではありませんね😊

    • @SSgriper
      @SSgriper  10 днів тому

      待ってましたとはありがてえ(^^♪