Розмір відео: 1280 X 720853 X 480640 X 360
Показувати елементи керування програвачем
Автоматичне відтворення
Автоповтор
私は若いとき、2回肺結核にかかりました。18歳の時は、ストレプトマイシンで治しましたが、この薬は弱く、再発しやすく、28歳の時、再発し、このとき、菌を全滅させるリファンプシン(尿が赤くなる)を使い、完治しました。(40年前)結核が治っても、病巣が残るので、数年に一回(たぶん、検査機関が変わったとき)、精密検査になります。40年前も、結核が早く見つければ、入院せずに、薬だけで完治していました。問題は、医者の資質で、40年前も結核患者が少なくなったので、レントゲン写真から、結核を判断できる医師が少なくなっていました。昔は、健康診断で要検査になると、入院していた医者に診断書を書いてもらっていた記憶があります。
治って良かったですね、私はどんな感染症でも差別は駄目だと思います。
40年感染症専門臨床検査技師ですが、現在また上昇傾向にあります、捕食されても生きてます。空気かんせんします。健康人はN95マスク排菌者はサージカルマスク、部屋の換気も大事です
ストレプトマイシンが発明されるまでは、外科的処置で肋骨を折って、肺を潰すことで結核菌の活動を抑制する方法が取られてました。背中側から大きく切開して肋骨を数本、人為的に折って肺を潰すそうです。うちの父も若い時にその処置受けました外傷が癒えた頃、冬も温暖な外房(房総半島)の療養所で体力回復のために日がな一日釣りをしてたそうですw毎日新鮮な魚食べられて、楽園みたいだったと言ってます。房総半島には沢山の結核患者療養施設があったそうですいまも、背中には大きな傷跡がハッキリ残ってますね
タイトルだけで興味が。10年ほど前職場でも結核出た。超大部屋だったので「遠くの席の人も希望すれば保健所で検査受けられる」言われたわ…
以前勤めていた会社で結核患者が出て全社員検査とか色々大変だったなぁ
ああ野麦峠はじめ、いくつかの小説で結核の悲惨さが描かれていますね。明治時代の治療法と言えば栄養をとって安静にしている他ありませんでしたが、その一方で青カエルを飲む、一家そろって石油を飲むなどという迷信が昭和になってもはびこっていたとか。貧しかろうが裕福であろうが罹ったら最後、隔離や差別で周囲と切り離されてしまいます。それこそが結核の真の恐ろしさでしょうね。
当時を考えるとぞっとします。
この2020年になっても伝染病差別が起きるとは思わなんだ
友人一人結核で亡くしました。結核は怖いぞ。
大正生まれの祖母が「自分が女子高時代は同級生が2人結核で亡くなってな...」としみじみ語っていたのが印象的でした
やっぱり結核は疫病の優等生じゃの増えたいって言う生物の本能を着実に実行してる
根絶なんてまだまだですね;
根絶するのが先か脳以外が全身義体が可能になるのが先か、怯えなくて良くなるのはいつなのかね....
@@けてるでりしゃす 様脳が感染したらどうしようも無いですけどね😓
@@けてるでりしゃす 『脳以外義体』っていう世界が実現したとして、その時代でも流行る病原体ってコンピューターウィルスと変わらんなって思った。
古い富豪の家とかにたまに開かずの間みたいなのあるけど、結核の隔離部屋だったんですよね。
今は特に病原菌やウイルスについて出来るだけ知識を増やすべきですね。とても参考になった動画でした。ありがとうございました。
このチャンネルの動画見て知ったこと。宿主は口語では「やどぬし」、学術用語では「しゅくしゅ」「しゅくしゅ」って読みが気になって調べて知りました。
今でも結核を患っている患者さんが入院する場合感染予防の為基本個室対応で部屋への出入りも気を使うから大変でした。
『霧の都ロンドン』なんて言われてましたが、煤煙によるスモッグで、それで肺を傷めた、なんてのもあったとか。近頃の若い医者は結核を知らん!と、昔父が言ってましたっけ。
何十年か後には「コロナ・新型コロナとは何か?」みたいな動画がたくさんありそう
そうなって欲しいものです😟
20年前、職場で結核が発生したときは大騒ぎになったとても小さな職場だったが、みんなで保健所行ったり、一人隔離されたり、で社長は相当心労を重ねたんだろうなもういない
結核は感染力が強いんですよ。昔勤めていた会社で、人の飲み物を飲みたがる変な人(変人A)が居ました。その人は、飲み物(缶コーラとか缶コーヒーなど)を飲んでいる人が居ると、そばに寄って来て「少し飲ませてくれ、口を付けないで飲むから」と言います。ほとんどの人は「嫌だよ」と言って飲ませませんが、中には口を付けても良いよと言う人(良い人B)も居ました。そんなある日、健康診断の結果、変人Aが結核に感染している事が分りましたが、他の人に病気をうつす可能性が少ないと言うことで、会社を休むことなく働いていました。そしてさらに1年後、良い人Bさんが結核を発病し、結核専門の病院に1年間以上入院しました。特に話題には成りませんでしたが、30人ほどしかいない部署で2年で2人が発病した訳で、変人Aの結核が、良い人Bに感染したとしか思えません。変人Aは、何処ででも人の飲み物を欲しがった筈ですので、飲み物と同時に病気をもらう機会も多いと考えられます。人が何かを食べていたり飲んでいるときに、少しちょうだいと言ってくる相手は要注意です。もし断れない状況なら「もう飲み終えたから、あげる」と言って接触を回避しましょう。
BGMの音量をチョット下げて下さい。
他界した祖母が生前兄弟の半数は戦時中、前後直ぐの頃に結核で死んだと言ってたわ。当時は栄養状態や衛生状態が悪かったから発症率が高かったらしい。ストレプトマイシンが出て治る様になったけどやっぱり栄養状態が良くないから治癒に時間がかかったみたいです。
健康第一ですね。😊
口にも出ますよね。その場合穿屈性潰瘍を作ってます。肺は乾酪壊死を起こしてしまいますよね。その場合病理組織像だと中心から乾酪壊死層、類上皮細胞層、リンパ球層、となってますよね。
結核菌の増殖スピードの遅さは細菌界でも顕著で、15時間以上かかります(ゆっくり感染していってね!と言わんばかりのスピードです)。名前(マイコバクテリウム)の由来ともなっているミコール酸で菌体を完全にガードできるので、マクロファージの中(消化酵素の海)でもテントを張って悠々自適に生活できるわけです。
微熱が出て来る頃に、生物の生存本能からか?性欲が急激に高まったそうですから、欲求不満とされたのですね。
もしかして菌はそこまで計算して他の宿主に移りやすいように……!
日本で言えば新見南吉・宮沢賢治が若くして結核で亡くなりました
高杉晋作、沖田総司も結核で亡くなりました。晋作の辞世の句「面白きこともなき世を面白く住みなす者は心なりけり」野村望東尼の合作とか?私の大先輩、予科練経験者で片肺なのに93歳で車運転しています。結核経験者は癌にかかりにくいとか?
面白い動画だから早く広告付きますように!
18歳の時に結核になり1年くらい入院ししました!結核は完治しない病と聞きました😂歳を取ってからの再発の可能性が高くなると説明を受けました😂
思い出した~~ビートたけしがCMしてたな。
結核は人の次に歴史の偉人を亡き者にしてる
結核発病過去にありました。4ヶ月隔離入院、死にかけた。完治に1年ちょい、今も、肺が弱い
お身体を大事になさってください。
空気中のサンプル検査で地域差があったはず。大体少し考えるとわかるエリアは高い。
高三の卒業の1ヶ月位前に、他所のクラスに結核の生徒が出た。私は、結核の免疫を持って無いから非常にビビって直ぐ知り合いの病院に駆け込んだ。結局事なきを経たが、まあ怖かったな。
マクロファージの中で増殖していたなんて。
昔は不治の病として言われましたね‼️
今では不治ではなくなりましたが、まだまだ人類を困らせていますね;
結核で仕事がなくなって帰省で全国に広がるって流れは感心しちゃいました。武漢ウィルスと被って同じようなことが起きるんだなーと。
エイリアンじゃん!
結核で怖いのは、菌がどんな抗生物質も効かない耐性菌になってしまうことです。原因は、治療を中途半端で辞めてしまうことです。私の場合、半年入院し、完治するまで5年かかりました。薬が1年くらいで、半年置きの経過観察です。
昔はマイコバクテリウムをミコバクテリウムと言ってたのよ・・・
サナトリウムにもロマンを感じてしまう。
新撰組の沖田さんも結核でお亡くなりになりましたよね…かの池田屋事件でも血を吐いて倒れたとか…加州清光もその時に折れてしまったし…新撰組や日本刀が好きな者としてはとても悲しくなりますね…
美形の剣士と貧乏な文学青年がかかる病気ですね。(勝手なイメージ)
かなり以前、咳が長く続いたので、医者へ行ったら、早朝の受付待合に、黒いオーラの若者が、本物の結核の人だった。
メタボが悪く言われるけど、メタボと結核はカブらない🎵でぶで60前に死なんよ。
どちらにせよずっと健康でいたいですね・・・!
結核から生延びた人は長寿です。癌や糖尿病・感染症など成人病になり難いせいかもしれない。日本人が世界的に長寿国になったのは、結核のせいかもしれない。結核菌は人の免役力を活性化するのではないかと考えられています。
今日はコロナだな
私は若いとき、2回肺結核にかかりました。
18歳の時は、ストレプトマイシンで治しましたが、この薬は弱く、再発しやすく、28歳の時、再発し、
このとき、菌を全滅させるリファンプシン(尿が赤くなる)を使い、完治しました。(40年前)
結核が治っても、病巣が残るので、数年に一回(たぶん、検査機関が変わったとき)、精密検査になります。
40年前も、結核が早く見つければ、入院せずに、薬だけで完治していました。
問題は、医者の資質で、40年前も結核患者が少なくなったので、レントゲン写真から、結核を判断できる医師が
少なくなっていました。
昔は、健康診断で要検査になると、入院していた医者に診断書を書いてもらっていた記憶があります。
治って良かったですね、私はどんな感染症でも差別は駄目だと思います。
40年感染症専門臨床検査技師ですが、現在また上昇傾向にあります、捕食されても生きてます。空気かんせんします。健康人はN95マスク排菌者はサージカルマスク、部屋の換気も大事です
ストレプトマイシンが発明されるまでは、外科的処置で肋骨を折って、肺を潰すことで結核菌の活動を抑制する方法が取られてました。背中側から大きく切開して肋骨を数本、人為的に折って肺を潰すそうです。うちの父も若い時にその処置受けました
外傷が癒えた頃、冬も温暖な外房(房総半島)の療養所で体力回復のために日がな一日釣りをしてたそうですw
毎日新鮮な魚食べられて、楽園みたいだったと言ってます。房総半島には沢山の結核患者療養施設があったそうです
いまも、背中には大きな傷跡がハッキリ残ってますね
タイトルだけで興味が。10年ほど前職場でも結核出た。超大部屋だったので「遠くの席の人も希望すれば保健所で検査受けられる」言われたわ…
以前勤めていた会社で結核患者が出て全社員検査とか色々大変だったなぁ
ああ野麦峠はじめ、いくつかの小説で結核の悲惨さが描かれていますね。明治時代の治療法と言えば栄養をとって安静にしている他ありませんでしたが、その一方で青カエルを飲む、一家そろって石油を飲むなどという迷信が昭和になってもはびこっていたとか。貧しかろうが裕福であろうが罹ったら最後、隔離や差別で周囲と切り離されてしまいます。それこそが結核の真の恐ろしさでしょうね。
当時を考えるとぞっとします。
この2020年になっても伝染病差別が起きるとは思わなんだ
友人一人結核で亡くしました。結核は怖いぞ。
大正生まれの祖母が「自分が女子高時代は同級生が2人結核で亡くなってな...」としみじみ語っていたのが印象的でした
やっぱり結核は疫病の優等生じゃの
増えたいって言う生物の本能を着実に実行してる
根絶なんてまだまだですね;
根絶するのが先か脳以外が全身義体が可能になるのが先か、怯えなくて良くなるのはいつなのかね....
@@けてるでりしゃす 様
脳が感染したらどうしようも無いですけどね😓
@@けてるでりしゃす 『脳以外義体』っていう世界が実現したとして、その時代でも流行る病原体ってコンピューターウィルスと変わらんなって思った。
古い富豪の家とかにたまに開かずの間みたいなのあるけど、結核の隔離部屋だったんですよね。
今は特に病原菌やウイルスについて出来るだけ知識を増やすべきですね。とても参考になった動画でした。ありがとうございました。
このチャンネルの動画見て知ったこと。
宿主は口語では「やどぬし」、学術用語では「しゅくしゅ」
「しゅくしゅ」って読みが気になって調べて知りました。
今でも結核を患っている患者さんが入院する場合感染予防の為基本個室対応で部屋への出入りも気を使うから大変でした。
『霧の都ロンドン』なんて言われてましたが、煤煙によるスモッグで、それで肺を傷めた、なんてのもあったとか。近頃の若い医者は結核を知らん!と、昔父が言ってましたっけ。
何十年か後には「コロナ・新型コロナとは何か?」みたいな動画がたくさんありそう
そうなって欲しいものです😟
20年前、職場で結核が発生したときは大騒ぎになった
とても小さな職場だったが、
みんなで保健所行ったり、一人隔離されたり、
で社長は相当心労を重ねたんだろうな
もういない
結核は感染力が強いんですよ。
昔勤めていた会社で、人の飲み物を飲みたがる変な人(変人A)が居ました。
その人は、飲み物(缶コーラとか缶コーヒーなど)を飲んでいる人が居ると、そばに寄って来て「少し飲ませてくれ、口を付けないで飲むから」と言います。
ほとんどの人は「嫌だよ」と言って飲ませませんが、中には口を付けても良いよと言う人(良い人B)も居ました。
そんなある日、健康診断の結果、変人Aが結核に感染している事が分りましたが、他の人に病気をうつす可能性が少ないと言うことで、会社を休むことなく働いていました。
そしてさらに1年後、良い人Bさんが結核を発病し、結核専門の病院に1年間以上入院しました。
特に話題には成りませんでしたが、30人ほどしかいない部署で2年で2人が発病した訳で、変人Aの結核が、良い人Bに感染したとしか思えません。
変人Aは、何処ででも人の飲み物を欲しがった筈ですので、飲み物と同時に病気をもらう機会も多いと考えられます。
人が何かを食べていたり飲んでいるときに、少しちょうだいと言ってくる相手は要注意です。
もし断れない状況なら「もう飲み終えたから、あげる」と言って接触を回避しましょう。
BGMの音量をチョット下げて下さい。
他界した祖母が生前兄弟の半数は戦時中、前後直ぐの頃に結核で死んだと言ってたわ。当時は栄養状態や衛生状態が悪かったから発症率が高かったらしい。ストレプトマイシンが出て治る様になったけどやっぱり栄養状態が良くないから治癒に時間がかかったみたいです。
健康第一ですね。😊
口にも出ますよね。その場合穿屈性潰瘍を作ってます。
肺は乾酪壊死を起こしてしまいますよね。
その場合病理組織像だと中心から乾酪壊死層、類上皮細胞層、リンパ球層、となってますよね。
結核菌の増殖スピードの遅さは細菌界でも顕著で、15時間以上かかります(ゆっくり感染していってね!と言わんばかりのスピードです)。
名前(マイコバクテリウム)の由来ともなっているミコール酸で菌体を完全にガードできるので、マクロファージの中(消化酵素の海)でもテントを張って悠々自適に生活できるわけです。
微熱が出て来る頃に、生物の生存本能からか?性欲が急激に高まったそうですから、欲求不満とされたのですね。
もしかして菌はそこまで計算して他の宿主に移りやすいように……!
日本で言えば新見南吉・宮沢賢治が若くして結核で亡くなりました
高杉晋作、沖田総司も結核で亡くなりました。晋作の辞世の句「面白きこともなき世を面白く住みなす者は心なりけり」野村望東尼の合作とか?私の大先輩、予科練経験者で片肺なのに93歳で車運転しています。結核経験者は癌にかかりにくいとか?
面白い動画だから早く広告付きますように!
18歳の時に結核になり1年くらい入院ししました!
結核は完治しない病と聞きました😂
歳を取ってからの再発の可能性が高くなると説明を受けました😂
思い出した~~ビートたけしがCMしてたな。
結核は人の次に歴史の偉人を亡き者にしてる
結核発病過去にありました。4ヶ月隔離入院、死にかけた。完治に1年ちょい、今も、肺が弱い
お身体を大事になさってください。
空気中のサンプル検査で地域差があったはず。大体少し考えるとわかるエリアは高い。
高三の卒業の1ヶ月位前に、他所のクラスに結核の生徒が出た。私は、結核の免疫を持って無いから非常にビビって直ぐ知り合いの病院に駆け込んだ。結局事なきを経たが、まあ怖かったな。
マクロファージの中で増殖していたなんて。
昔は不治の病として言われましたね‼️
今では不治ではなくなりましたが、まだまだ人類を困らせていますね;
結核で仕事がなくなって帰省で全国に広がるって流れは感心しちゃいました。
武漢ウィルスと被って同じようなことが起きるんだなーと。
エイリアンじゃん!
結核で怖いのは、菌がどんな抗生物質も効かない耐性菌になってしまうことです。
原因は、治療を中途半端で辞めてしまうことです。
私の場合、半年入院し、完治するまで5年かかりました。薬が1年くらいで、半年置きの経過観察です。
昔はマイコバクテリウムをミコバクテリウムと言ってたのよ・・・
サナトリウムにもロマンを感じてしまう。
新撰組の沖田さんも結核でお亡くなりになりましたよね…
かの池田屋事件でも血を吐いて倒れたとか…加州清光もその時に折れてしまったし…
新撰組や日本刀が好きな者としてはとても悲しくなりますね…
美形の剣士と貧乏な文学青年がかかる病気ですね。(勝手なイメージ)
かなり以前、
咳が長く続いたので、医者へ行ったら、
早朝の受付待合に、黒いオーラの若者が、
本物の結核の人だった。
メタボが悪く言われるけど、メタボと結核はカブらない🎵
でぶで60前に死なんよ。
どちらにせよずっと健康でいたいですね・・・!
結核から生延びた人は長寿です。
癌や糖尿病・感染症など成人病になり難いせいかもしれない。
日本人が世界的に長寿国になったのは、結核のせいかもしれない。
結核菌は人の免役力を活性化するのではないかと考えられています。
今日はコロナだな