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老人保健施設のディケアで働いてた時、隼→疾風と乗り継いだ爺様がいらっしゃった。いろいろ話を聞いたがよくある老人の自慢話でなくリアルな話もずいぶん聞きました。「疾風はどんなでしたか?」速いとかリキがあるとかの答えを期待したら「とにかく寒い飛行機だった」排気管の一部を操縦席に通すだけの簡単な暖房がついていなかったって。熱線入り下着を使うと無線が聞こえなくなるし高度が上がるにつれ寒くて困ったそうです。今なら良い捨てカイロがあるのにね。
[電熱服は役に立たない!誰だ!こんな役ただづを作ったバカは!!]
いい話しを、聴けて良かったですね。私は、ビルマにいた方に「インパール作戦ですか?」と、聞いてみたら、「牟田口💢」と不穏になってました。ある意味予想通りでした😅
おれ、聞いたのはコレダメダ!花と散ろうぜ!銃剣突撃したら向こうが逃げてった
その電熱服、不燃材が入れてあったようなのだが、それが偏ると本体が焦げはじめ、最後はカチカチ山に…
おお、これこそ実際に乗った戦闘員しか言えない、知らない現場の声ですね!もう少し戦争が続いていたら改良されて暖房がついてたもしれない。こういう話、大好きです。
この機体は日本が持ってる『足りないぶんは工夫で補う』の精神が如実に出てて好きだな。今と違って基礎技術が未熟な状態でこれだけの物を作れたのは、開発者さん達の根強い根性の賜物だと思う。
足らぬたらぬは工夫が足らぬ、ですか
P47はエンジン径が大きい。基礎技術は大差無かったが資材量や生産技術に問題があった。同じサイズ・回転数で米国が2000馬力級を作れたか疑問だ。国民性とも言っていい、アメ車やハーレー見ても分かるだろう。まして開発時にあった100オクタン燃料が確保できなくなり異常燃焼に伴うシリンダー異常過昇が起きたり回転数を上げれば軸受け負荷増と、ケルメット不良による耐久性にも影響する。当時の状況を安易に設計のせいにするのは問題がある。余裕ある設計をする余地が無かったのが問題ではあったが。
根本的にプロペラ径が小さすぎたので、全体の設計がおかしなことになってしまった。色々新基軸も採用しているが、基本的に1000馬力級戦闘機の延長線上の機体設計で、大馬力搭載機としては根本的な設計変更が必要だった。この辺りが過去の実績にばかり期待した行政運営故に生じる問題点だ。高高度戦闘機としての中島のキ87と立川キ94の明確な差、あるいはドイツとしては異色だったのFw190のように、逐次新しい血を注いでいかないと技術は停滞すると思う。
アメリカの2000馬力エンジンも不具合多発で、B29も飛行する毎にエンジン交換してたのを知らないんだな。エンジン不調で太平洋に墜落も普通に起きてたと戦後にアメリカパイロットが出版した本で内情を書いている。因みにサイパン島に当初から配置されたアメリカ人パイロットの中で終戦まで生き残ったのは彼ら11人のグループ(乗員11名で運行)だけだったようでアメリカ側の戦果記録などは大嘘ばかりだ。
@@ネロは日本へ止まる 様 B29のR-3350がやっかいな代物であったのは事実ですが、日本上空で無双した現実の前では無意味です。ネット上のヨタ記事を拾ってきただけでしょう?それが本当なら日本の都市が灰になることはなかったでしょうね。
開発経緯や戦歴だけではなく機体やエンジン他まで冷静に丁寧に諭すような解説は本当に素晴らしいです。
四式戦闘機はもっと評価されて良いと思う。やれ五式戦が良かったとか紫電改の方が優れていたとかいう声を聞くけれど、日増しに戦局が悪化する中、連合軍機に十分対抗できる戦闘機を終戦の1年前に投入出来た事は凄い事ではないだろうか。
あと、フィリピンや大陸等、どこにでも湧いて出てきたことも大きい。五式戦闘機や紫電改は、日本本土でしか出現しなかった。
既存の戦闘機を上回る性能を有しながらも、生産性にまで配慮しているところが素晴らしい。職人芸で作られ、試作段階では優れているけれども、量産したらダメだった、というのでは、実際の戦争では話にならない。あと五式戦も、エンジンのない飛燕の機体+信頼性に定評ある金星エンジンという成り立ちの戦闘機であり、大戦末期でありながら、そこそこ性能がよく、なおかつ稼働率が高いという点で、評価できる機体だと思っている。
紫電改が過大評価。
もっと言えば海軍が過大評価ってことか
陸軍は関東軍の暴走や日米開戦をけしかけたイケイケのイメージだったけど、兵器開発の担当部署は凄く現実的で柔軟、話のわかる感じが面白いですね。
どかkで「どうせ我が国の工業力では大したモノは作れない。だったらバックアップ体制を整えたり、適所適材を第一に考えよう」という方針だったんでしょうね。
昔、祖父が四式戦に乗っていたと言ってたけど、個体差が一式戦より酷かったと言ってたな、祖父は良い個体だったみたいで整備と燃料さえしっかりしていれば、苦杯を舐めるのは少なかったらしい…
当時の日本には未だ工業製品の均一化と言う概念が無かったので個体差が激しかった様ですね。戦後に成ってアメリカからマスプロ化と言う概念を教えられて今日の日本車への信頼に繋がった訳です。結果論ですが本当に戦争してはイケナイ相手としてしまった訳です。其れでもアメリカの効率的な作戦のお陰で死亡者が軍民合わせても300万人チョットで済んだので、ある意味良い相手では有りましたね。
中島製機体の個体差は、三菱より圧倒的にマシで、両社で作られた零戦では、中島の方が製造期間が短いのに製作数は多く、バラツキも圧倒的に少なかったそうです。三菱のは、良い出来のは良いが、駄目なのは全く駄目との事で、中島のは部品の互換性が比較的有るが、三菱のは、全くとの事です。(^_^;)
気持ちは分かりますが其れでは駄目なのですよね。低性能でも品質が揃わなければマスプロ化とは言えないのです。松下やトヨタで有名に成った品質改善はマスプロ化の一端だったのですが、現在では其の意味を本当に知ってる人は社員でも殆ど居ないと思います。残念な事です。
@@はやしたかやす中島製零戦は「殺人機」とまで現場で言われていたと聞いたが? 燃料切り替えコックの軸が折れて墜落した機もあったとか
@@田中一郎-v7g諸説あり、五十歩百歩です、
面白かったです!四式戦で最も評価されるべきは「必要な時期に間に合わせた」という点です。同時期に開発スタートしながら量産すらできなかった烈風とは好対照。
だから疾風とF6Fの評価は高く、雷電、烈風、F4Uの評価は低い。
@@RohikiMyao コルセアくんはラバウルで日本航空隊の精鋭達と環境悪いなか(向こうもだが)互角に戦ってラバウル落ち着いた頃には使いやすいグラマンに場所取られてたから許したげて…
@@RohikiMyao その評価の低いF4Uが、1970年代後半まで現役だった国があるんだよね。評価が高いはずのF6Fは、1960年には輸出されたものも含めて全機が退役している。そして、なぜかレシプロ戦闘機による最後の空中戦でP-51を相手に勝っているんだよね。
疾風の試行錯誤しながら開発熟成した結果、五式戦、紫電改に至る。昔40年台に買ってもらった戦闘機の本では、疾風と零戦の評価は高かった。五式戦はデータがなかったが、紫電改は生産数少なすぎで書いてなかった。
フィリピン、大陸、日本本土と、日本陸軍航空隊のあるところ、どこにでも湧いて出た。ここが、海軍の紫電改と違うところ。
日本軍機の中で唯一「後継機」を名乗れる機体ですね辛酸をとはいかずともあの状況で局所的に戦況を4割位までは持っていけるポテンシャルのあった本機はなんだかんだ一番現実的に日本軍機の中で一番優秀なんじゃなかろうか…うぽつです!
個体では優秀でもたった3500機の生産では主戦力にはならない量産性・保守性。実践における撃墜数など全体的なウエイトでみれば零戦が優秀だったって事になる
@@akibanokitune それはごもっともだと思います。ですが、私が云っている事はあくまでも戦局に対して云々ではなく「後継機」を名乗るに足る優秀さかどうかを述べているのである訳でして、ここで引き合いに零戦を出すのは私の云っている事と少し焦点がずれているように思われます。寧ろ貴方の仰有るような焦点であれば私は隼を推したい(陸軍脳)少し脱線しましたが、以上になります。余談ですが私の云う「後継機」という観点ではMr.windowさん的にはどの機体がおすすめですか?
@@akibanokitune それを言い出したら、一式戦闘機は約5,700機。製造数では10,000機超の零戦の足元にも及ばない。
@@akibanokitune 疾風の生産数の3500機という数字、当時の日本の工業力と時期、そして米軍からの空襲まで考えると破格の数字なんですよねそれだけ疾風の生産性は良かったということ
@@akibanokitune 何言ってんだ?零戦と疾風の登場した時期考えろよ
アメリカで好評価だったのは純粋に戦闘機としての飛行性能にあったと思います、速度と運動性のバランスが取れている、P47は大重量なので、急降下からの引き起こしに課題があり、F4Uは失速の悪癖があった、疾風はパイロットからすると自由に飛び回ることができる、敵のいない試験飛行ですからわかる気がします、
但し調査した米軍も舵がやや重いと言う欠点も指摘してます。アメリカが評価したのは20ミリ機関砲を標準装備し、更に機首にも装備可能としていた重火力でこれはF86や後々バルカン砲にもフィードバックされてます。
バランスの良い機体はパイロットに好かれますね。扱いずらいf4uより万人受けするf6fの方がパイロットに好まれたとか聞いたことあります
@@momiji4932 零戦と比べて耐久力が高かったり、空母への発着もしやすかったから多くの熟練パイロットが育ったんよね
@@にっしーダヨしかも失速しやすいだけで旋回速度なら日本機以上という
@@ばなお-i6i高速時なら尚更旋回性が良くなるという……
完璧とは言えなくても、必要な時、必要な場所に存在したのは大事だと思う。
だから疾風はF6FやFw190と同じく高く評価しています。性能も良いけど開発行政を評価して。逆に評価低いのは雷電、烈風、F4U。
@@RohikiMyao F6Fなんて性能が落ちるのを承知で生産性を重視した割に敵の戦闘機以上の性能を有してますからね。
旧海軍の戦争指導者にその言葉を言ってやりたい。
まさにそれ、必要な時に必要な場所に必要な数。( ´・∀・`)これぞ王道にして正論なりさ。
オクタン価に関しては最近になって面白いエンジンも出てきました。通常オクタン価の低いレギュラー(88~90)ガソリン仕様のエンジンにハイオク(大体98~100)入れても問題なく動作するだけですが、スバル(旧中島飛行機)のCB18(2代目レヴォーグより搭載)は希薄燃焼を実現するためにほとんどレギュラー専用になっているそうです。
終戦時18だった俺のオヤジは軍事工場で誉を作っていた。工作精度がガタガタで絶対回らないエンジンを作っていたらしい。測定器が舶来品使っているようじゃあ外国に勝てるか!?と、嘆いていた。終戦時、ひまし油が余っていて天ぷらを揚げたらピーピードンドン・・・
流麗にしてマッシヴ連合軍の大戦後期の新型機と並べても遜色無い力強さを感じさせるデザイン一番好きな日本戦闘機です!
「疾風」が戦果を上げることができたのは、「零戦」「隼」に次ぐ生産機数を揃えることができたことも大きい要因だ。
零戦に対して生産性に優れる隼よりも、3割も工期を短縮していますからね、設計段階で量産性を考慮されていた。
深山を作るためにアメリカの四発旅客機買ってそれバラした結果優れた量産方法が見つかって増えたらしいね、やっぱ日本軍の兵器で四式ってつくやつ基本強い説
それでもたったの3500機だもんなショボ過ぎた
@@武闘派の猛毒 四式中戦車「あ?」
@@ヨシフスターリン-x8o チトも強いやん(WT脳)
ついに来た…個人的に日本機で一番好きな機体
「中島飛行機エンジン史」昭和62年の初版本は私の宝物です。まだ中川良一氏もご存命でした。
ここまで質の高い四式戦の解説動画は少ないと思います。応援しています。僕は、開発中だったキ44-3がそのままキ84試作機の母体になったのだと思います。キ44-3で拡大された19平米の主翼と、キ84試作1号機の主翼は同じものです。せっかく設計して作った19平米の主翼を1機限りで見送った理由としては翼面荷重もさることながら、当時開発中だった2式20ミリ機銃(ホ5)が翼内に収まらなかった可能性が高いと思っています。栗田艦隊の反転についても僕も妥当だと思います、当時使用可能だった艦隊燃料の問題(というか栗田艦隊が当時使えたタンカーの決定的な不足)があり、突入を強行していれば多数の艦艇が洋上でガス欠になる可能性が高いです。ひとつ気になったのがオクタン価です。4式戦に87オクタン燃料があてがわれたかという点です。開戦時点で日本陸軍の南方向け航空燃料は87オクタンと91オクタンが半々ぐらいで、戦争が進むにつれて次第に91オクタンの割合を増していき、最終的には第一線機はほぼ全面的に91オクタンが使用されるようになります。量はともかく質的には向上が見受けられます。個人的には、オクタン価もさる事ながらエンジンオイルと点火プラグの質が悪影響を与えたのではないかと疑っています。なお終戦時の陸軍航空揮発油の保有量約30000キロリットルに対して91オクタン燃料が約20000キロリットルを占めており、87オクタンは3000キロリットルしかありません。そういえば陸軍が航空機の機内燃料タンクを胴体内に置きたがらなかったという話は、どこかで古峰文三さんが言ってたような気がしたのを思い出しました。長々と長文失礼しました。
この二式戦三型乙という機体は存在が確認されていません。wikiはちょっと先走っているようですが。キ四十四Ⅲという機体に37mm機関砲を搭載する計画が確かにあったがその前提は、キ八十四の元となる19平米の大面積主翼。そしてホ三〇一は言うまでもなく特殊な構造のロケット砲で、搭載数9発しかないから搭載可能だった。鍾馗の翼にやはりホ5は載らなかったと見るべきかと思います。
主翼内部の構造を見ると、2式戦も4式戦も主翼は前桁と後桁をもつ二本桁構造(前が主で後は副)ですが、少なくとも二式戦2型では桁を屈曲させるなど脚部の収納部や機銃の収容にかなり苦労してる様子が伺えます。主翼面積が小さいだけでなく、2式戦は翼厚比が薄く設定されています。
そのテスパイの話なら知ってますが、主翼を伸ばしたという表現が引っ掛かってます。胴翼の取り付け部分をあまり変えずに伸ばすことで翼面積を大きくしたともとれ、そうであれば元々窮屈な翼内にホ5を収めるのは厳しいものになるでしょう。それからリンク先のページによればキ44-3はハ145を搭載するとなっていますが、ハインケルさんの二式戦解説動画ではハ45としており一見すると食い違いがあるように見えます。そもそも4式戦がハ45なのに、その前段階の2式戦3型がハ145装備なのは何故か。それは当初、海軍で言う誉11型相当をハ45、誉21型相当をハ145と名称を定めていたものが、時期が進むにつれ誉21型相当をハ45と呼称するよう変化したからで、つまり2式3型の頃「ハ145」と呼ばれていた発動機が4式戦の頃には「ハ45」と呼ばれるようになっただけでいずれも同じ誉21型相当の発動機です(ややこしい・・)これによりハ145の名が示す発動機は一旦宙に浮いた存在になります。のちにハ145という名称は、戦争末期に誉の改良型の1つとして名称が復活するので、なおさらややこしいです。
@@St-wood 古峰氏のお名前も出ているので、1010 St-woodさんと、寄って立つ所は余り変わらないと思うのですが、丁度先月のmilitary classics誌で鍾馗の特集を組んでいまして以下のことが指摘されています。キ四十四Ⅲの計画は『キ八十四として仕切り直され、結果として「キ四十四Ⅲ」と言う戦闘機は幻の翼として消えることになった。』キ四十四Ⅲが試作され、昭和16年8月に初飛行して12月に審査を完了したとする説があるが、これは当初「ハ一四五」と呼ばれた「ハ四五-二一」を搭載するキ八十四Ⅰとの混同からの誤解。(St-woodさんご指摘の通り)二式戦三型と言う機体が無かったわけではなく、武装強化型の二型丙を当初、三型と呼称していた。時期的に見てこれがキ八十四の試作と混同された原因と思われる。以上一連の記事で無視出来ないのは、鍾馗が不意自転、それも水平スピンという危険な特性を持つ欠陥機と見なされていた、との事実でこれは繰り返し述べられています。これに加えて、大きすぎる着陸速度、失速特性、ホ五を搭載出来ない小さい主翼、直径にして8cm小さくなるハ四五の採用と言った新たな要求。そして先の不意自転に対しては胴体延長してモーメントアームを大きくしつつ、垂直尾翼面積の拡大。ハ四五のプラットフォームとして抜本的な機体の新設計を必要とする良い機会でもあり、そしてそれは疾風において見事に結実した、と見て良いかと思います。
昔ははやてじゃなくてしっぷうと呼んじゃってた思い出
漂う烈風感
いいのよ、しっぷうでも。
俺は戦艦「やまと」と「だいわ」は違う船だと思っていた。小学生の頃の黒歴史・・・
ナルガやん
川内をかわうちと呼んでいたのは良い思い出
必要な性能は満たしていて、大量生産出来て維持管理がしやすかったんですね。機械として一番重要な事ではないでしょうか。
中島の品質は怪しいよ
@@田中一朗-y2b 坂井三郎が三菱製の零戦を好んだって話だろうけど、中島じゃ零戦の図面を書き直したって話だよ。あまりにも生産性が悪かったから。兵器には量産性も大切。さしずめ日本機はガンダム、米軍機はGMでしょう。日本機は大量生産できないから1機1機の性能を少しでも上げることばかり考えていたが、米軍機は多少性能を妥協しても作りやすさや乗員保護を考えていた。飛行機は壊れたらいくらでも作れるがパイロットはそうはいかないって考えの国に勝てるわけがない。
精鋭部隊を編成するために優秀なパイロットや整備員、そしてパーツ類をかき集めてしまったら、その他の部隊はガタガタになってしまったって事ですよね…。集中運用したほうが戦力になるんでしょうけど、そんな事をしなくてはならなかった時点で先が見えたという事でしょうね。
一兵卒で徴兵された人が書いてました。部隊で知合いに会いビックリ、その知り合い飛行機の操縦出来る人物。操縦士になれるのに、鉄砲担ぎとは、と。
陸軍ではアグレッサー部隊を編成し、出張しての空戦機動に係る指導をやって全体の底上げを図っています。
7:18頃の米軍機の防弾性能についての説明文で12.7mm(3インチ)とありますが、1インチは24.5mmなので12.7mmは0.5インチになりますよ。(3インチだと76.2mm)
オクタン価についての説明が簡潔で正確。素晴らしい!
戦後って、なぜか陸軍機の評価が低いんだよね。零戦神話で海軍機が総じてイメージが良いせいだと思うけど
海軍将校が戦後批判したせい
陸軍機は、乗ってみれば分かる良さ。隼は乗り心地は上等なズボンですし、鍾馗は陸軍のパイロット教育が悪かったから扱い辛いと評価されただけですし、飛燕はエンジン問題が解決できなかった。この疾風は多少問題はあるとはいえ、隼と鍾馗の問題を解決でき、隼と鍾馗の得意な戦法をやれたのだから素晴らしい機体ですよね。
@@tanuhano ここで問題です。陸軍が船を持ってます。それは何故?
@@呑龍ハルカ たぬはって子面白いですねw ドMかな?
@@tanuhano あきつ丸が対潜用の航空機積まないといけないのは何故ですか?シベリアに行ってって何?ノモンハン事件の事?シベリア出兵とごっちゃになるからそこは分けて。この戦闘は陸軍は引き際が分かっているっていう良い例じゃないかな?独ソ不可侵条約が結ばれたらソ連が強気に出て紛争が泥沼化するのは猿でもわかるだろw 戦果にしたって戦後の資料から分かったことだし陸軍はかなり慎重だと思うよ。海軍みたいに過大報告しないからな!何で対米戦以外から話持ってくるかなぁ〜面倒臭い仮想敵米海軍で整備してた日本海軍のやってる事がままごとだからしょうが無いけどさ海軍はどうしてそうなったっていう戦闘が多過ぎる。戦果も陸軍に嘘教えて次の作戦に支障が出るし、はっきり言って陸軍の比にならないほどゴミだと思う。
陸軍は海軍にくらべればまだ現実的だったとういべきかな。しっかり揃える時に揃えられ性能もそこそこ。それは基本的なことだが最も重要なことだ。
陸軍は性能優先だけど海軍は稼働率優先だから仕方ないですね。海軍機(艦載機)は故障や不調で稼働率低いなんて話にならないですから。
@@呑龍ハルカ 飛燕は飛んだ機体もエンジンが予定通りの馬力出てないのが殆どで絶好調時の飛燕はF6F翻弄してますよ。
@@呑龍ハルカ まぁマウザー装備の丙型じゃなければ。あと絶好調時の飛燕はF6Fに40キロ優速で戦えたそうです。
@@こうでん-q6x 好調とか不調とかある時点で工業製品として…
@@こめつぷ それでも陸軍は性能を優先したんですよ。海軍は艦載機だからそんなのお断りですけど。因みに米軍がいち早く2000馬力を投入出来たのは大量生産で故障を補って不調な機体を後方に下げても十分な数が前線に揃うようにしていたからです。戦闘による損失より故障に損失の方が多かったぐらいですから。
大変解り易い解説でした。私個人は確かに欠点を持ってはいたけど、必要な時に必要な性能をもって登場した当時最良の陸軍機の一機だったと思っています。ですが改良型のキ116がもっと早く生産されていればと思わずにはいられません。真正面から敵新鋭機に立ち向かえるのは疾風以外は飛燕位だし、疾風よりもエンジンで泣かされている事を思えば遥かにマシです。五式戦は安定感は得られたけど、どこまでやれたかは、やはり未知数な部分があると個人的に思っています。私は太田市の人間なので中島贔屓なのですw少し脱線しますが、祖父が言うには大泉工場と本工場を結ぶ道では翼等が牛車の荷台で運ばれていたそうです。トラックも枯渇していたのですかね?また父が幼い頃は本工場はまだ爆弾の穴だらけで壁等も崩壊していたので中が覗けたそうです。
トラック自体元々無かった上に道路も悪かったからね。
アメリカ側は飛燕を零戦や隼よりも相手しやすいってボロクソに酷評してたけどな
資材面や基礎力・工作技術で他国に劣る当時の日本が2000馬力エンジンを開発し、一応の運用をしていた事が本当に凄い。主さんが5式戦の回で「当時の日本が戦力化できる限界が1500馬力エンジンまでだった」って仰ってたけど、本当にそうだなって思った。いくらエンジン馬力が高くても、整備できる範囲のものでなければ真の力は発揮できない。でもやっぱり2000馬力エンジンは魅力よね笑当時の日本が2000馬力エンジンではなく、1500馬力エンジンを中心に運用していたらどうなっていたんだろうって考えてしまう。
ご存知だとは思いますが、エンジン出力には、①離昇出力②公称出力③常用出力があり、どれを指すかで話は変わります。意地悪かもしれませんが(笑) 基本的に日本のミリオタ界では離昇出力を用いることが多いので、それに沿ってコメントさせて頂きます(長い前置きでした…)離昇1500馬力前後でザッと思い付くところでは、三菱 火星11型、ハ104(火星の18気筒版)、金星60系中島 ハ109(ハ5系列)、ハ115-2(栄の水メタ噴射)、護、ハ45(誉)ざっとこんなところでしょうか? しかしながらこのうち金星60系(公称1350馬力)は従来の金星40系を造り替え水メタ噴射も取り入れており、巷で言われる金星のイメージからは程遠いエンジンと思われます。ハ109は動画中にあるように信頼性に欠け、護は問題外。ハ115-2も金星60系と同じく栄に水メタ噴射装置を取り付けたもの。水メタ噴射を取り入れている発動機は誉と大差ない登場時期で、乱暴な括り方をすると技術レベルも近いモノでしょう。火星は11型相当(離昇1500)が14試局戦に搭載されましたが、要求目標に達せずより大馬力の火星23型搭載へとテコ入れされました。火星18気筒版のハ104は飛龍に搭載され離昇1900馬力。水メタ噴射の搭載をしなかったことから比較的信頼性は高いとのことですが、いかんせん乾燥重量約950kgと重いエンジンですね。ざっと纏めるとこんな感じでしょうか。またもし誉を切り捨てるとするならば中島でその代替の開発は促進される可能性があるとも思われます。これらのエンジン事情でどうやりくりして行くかは考え方次第でしょうか。ここからは私個人の意見です。ハ45ですが動画内にあるように21型は運転制限をかけられ実質11型相当に抑えられた性能で運用され、ある程度の信頼性も確保しておりました(少なくとも部品さえあれば一定の稼働率を保てる)。公称出力1600馬力であるため、ある意味誉こそが1500馬力前後の戦闘機用エンジンとしては日本が望み得る発動機では?と思っております。その後改良を重ね運転制限はかなり解消され、名実ともに2000馬力クラスのエンジンになったわけですしね。長文失礼しました。
すみません。コメント書いてから一個抜けているのに気がつきました…もう一つプラスするとすればハ104と同じくハ115(栄12型)相当に水メタ噴射を装着せずに、圧縮比もそのまま単純に18気筒化した仮想ハ45もありでしょうか。以下単純にハ115に4気筒分追加した場合、離昇1450馬力 公称一速全開(高度2850m)1414馬力 二速全開(6000m)1260馬力上記のようになりますが、繰り返しますがこれは圧縮比そのままハ115の数字を18気筒で計算しただけなので、重量の増減やその他要因で変動することはご注意下さい。まさにジャスト1500馬力クラス? 自分で書いておいてなんですが、これはこれでありなのかな? 明らかな性能低下は免れ得ませんが、発動機回りの信頼性向上は見込めそうで史実のハ45よりは早期に投入可能か?その後段階的に水メタ噴射で改良を重ねれば、、ただどの程度性能低下するか不明なため、14試局戦のように要求性能に満たないため水メタ噴射でテコ入れ!って増加試作機を作ってる間になりそうですし、なんともビミョーなラインですねぇ。
@@かなしげ-n1x わざわざ説明していただいてありがとうございます。私自身エンジンについては全くの無知で、なんとなくコメントしただけなので...。誉はガチャ運次第で信頼性に欠けていたことから、ちゃんと動く1500馬力エンジンを搭載した戦闘機(5式戦等)を中心にもっと配備してたら本土防空戦の結果も少しくらいは変わったのかな〜っていうど素人の想像です笑文字からして3種類の出力の意味は何となく分かります。離昇出力は飛び上がるために使う出力、公称出力はカタログ値?性能値で表記される時の出力、常用出力は巡航速度で飛んでる時に使う出力って意味でいいんですかね?エンジンの重さ次第で鈍足になってしまうのを考えると難しい判断ですね。
@@ぽん-r9k2o コメントつけながら遅レス申し訳ありません。常用出力は仰るニュアンスで合っております。巡航で連続可能な運転数の馬力、言葉にするとわかりづらいですね(笑)私もカイザー様と同じように、劣る技術・工業力の中でよくぞここまでやったな、という想いがあります。かのドイツですら2000馬力クラスのレシプロエンジンには手を焼きまともに実用化できませんでしたからね(まぁドイツはジェットエンジンという実にエレガントな解答ありますが)。
@@かなしげ-n1x ↑本当に造詣が深い方なんですね。もしかして現役のエンジニアの方ですか?
物資不足の日本では精一杯の性能だったのでしょう、海軍と違いとんでもない要求はしない陸軍は良いねパイロットの生存性も考えた防弾板など、バランスの取れた機体だね。
少ない技術蓄積の中、苦闘した若いエンジニアたちの姿を想像し感動しました。綺麗事なしなら 学ぶ=パクる であり、当時のエンジニアは国家存亡をかけて 学んでいた=パクっていた と思います。いまの中国みたいに。主さんの技術、歴史への造詣の深さに感嘆しつつ、酔った頭でタイプする元エンジニアでした。。
パクるなら丸ぱくりでいいんだが日本人は凝り性ばかりだからパクるんでもよりよくしようと頑張るのが効率悪くする。 中国人はそこら辺の割り切りは冷酷だね、無責任とも言い換えられるが
誉エンジンの悪戦苦闘が戦後、かのスカイラインの伝説S20型エンジンに繋がるから中島飛行機のエンジニアのレガシィは確実に存在しますね
ちなみにハー40で死ぬほど苦労した川崎はそれをDD51型ディーゼル機関車の液体変速機開発に活かしてます。
三菱自動車には、「土星」を意味する「サターン」エンジンがありました。
知覧の四式戦を「元は飛べる状態だった〜」とか「翼をぶった切って(しかも実際は切られてない)〜」とか「杜撰な管理が〜」などなど身勝手な義憤に駆られて声高に言う人多いけど、実の所は「あんな本土の端っこで、しかも普段は写真撮影禁止とか俺たちの欲を満たせないじゃん!」ってのがマニア達の本音だろうな。そもそもそんな義憤に駆られてるマニア連中と同じ穴のムジナが部品を盗んでいってるわけだから。ホント今の四式戦は良い終の住処を見つけたと思う。知覧でとても綺麗に保存されてるので一見の価値あり。
@@NV124KX660 知覧の記念館は菅原元将軍が中心となって作られた慰霊施設が母体ですからね。旧知覧町民も旧軍関係者とは良好な関係でしたし。良くありがちな「戦争反対・戦争犯罪の反省」みたいな思想に染まってないトコに展示されてるんですから今の四式戦は幸せだと思いますよ。そもそも四式戦は飛行機であっても戦闘機。エリア88の真のセリフを借りるなら「戦闘機は闘いの無い空を飛ぶ機体じゃない」です。
京都の「嵐山美術館」にあった機体ですね。知覧に移動する際に、切断して運搬したと聞いていますが、嵐山にあった頃にはすでに飛行できない状態でした。
それは都市伝説です。 そんな事はありません。
飛燕の液冷エンジンで苦労したメカニックからも慣れ親しんだ空冷は歓迎されたでしょうね💡
まともに稼働すれば…って言うやつですが、何か70年経った今のスバル車にまでそれを引き継いで居る様に感じます。性能的には他社に無い面白く楽しい車を生み出す反面、不具合や謎の故障に苦しめられる事しばしば…以前乗って居たインプレッサなんかそうでしたが新車で納車され1年ちょっとの間に次から次へと不具合が出て10回程度は整備工場行きでしたね。調子良い時は本当楽しい車なんで手放せ無い訳で痛し痒しでした。
四式戦の稼働率の低さについては、動画で述べられているように、さまざまな原因が指摘されていますが、潤滑油の問題も重要な要因の一つだったと考えられます。高性能なエンジンを運用するには適切な潤滑油が不可欠ですが、日本軍の潤滑油供給は悪化の一途をたどっていました。一度使用した潤滑油を濾過しただけの「航空鉱油乙」も使用されていたようで、これを「誉」エンジンに使用した場合、焼き付きが発生する可能性が高かったと考えられます。さらに、兵站を維持できないような作戦を立てた結果、兵士を餓死させる事態を招き、それに伴って徴兵が増加し、生産力は一層低下していきました。このような状況下では、生産力が落ち込む中で高性能なエンジンの精度を維持することは極めて困難だったのではないでしょうか。
うまく言えないのですが、一昔前の架空戦記のここが足りなかったので本来の性能が出せなかった!みたいな判官贔屓のようなのが無い、ある意味冷徹な性能評価がとても良い解説だと思います。最後まで見終えてその後皆さんのコメントも拝見しましたが、良い動画には良いコメントが集まるのだなぁと思いました♪
短所ばかりクローズされがちですけどまあ満足できる性能があり量産性(機体の)が高いのである程度数も揃えられ何にもまして間に合った兵器紫電改烈風等よりよほど良い機体だと思います。
素晴らしい解説どうもありがとうございました!このチャンネルは最高ですね、次回も期待しております(^^)
UPありがとうございます。Egの設計を優先し、生産性と予備パーツの供給不足。整備性を考慮したのが救い。基礎工業力不足がすべてだわな。
ここまで客観的に詳しく解説出来るなんて凄い事だと思います。周知の僅かな知識で変に持ち上げたり、自虐的でもない。
疾風開発の話で「わざと操舵を重くした」となんかで読んだ事がある。軽いと空中分解の危険があり、それの補強で機体が重くなる悪循環に陥るとかなんとか、あとプロペラ直径を抑えて加速力と脚の長さも抑えてあるとか。その反面最高速度が少し犠牲になってるとも。
「世界の傑作機」だったかな。 ただプロペラ径はもう少し・・・
疾風派と紫電改派はきのこたけのこ戦争並にわかれるよね
隼派です(新派閥)
九九艦爆は脚がかわいいのよ(瑞鳳)
初期彗星すき
ここまで疾風も紫電改も無し
最新技術(当時)モリモリのキ64が好きです
どうせ後半は艦載する必要がないし、5式か疾風か紫電改のどれかに陸海問わず一本化して集中して作った方がよかったんじゃないかな(後出し結果論)
二本軍にそんな柔軟性を期待してはならない(非情)
五式戦は首無し飛燕がたくさんあったので、信頼性のある1500馬力級の金星と組み合わせるのは理に適っている。疾風と紫電改は選択と集中をするか、局地戦を疾風に、艦載機を紫電改にするというように、陸海軍別で同じエンジンの局地戦を作らないようにした方がよかったかもしれない。
バランスが良く美しい形の垂直尾翼実物が見たくて鹿児島旅行の時鹿児島市内からバスに90分乗車し知覧特攻平和会館まで見に行きました
疾風は一番カッコいい日本軍機だと思ってます。タミヤの48のプラモデル作って色んな角度からながめた思い出。
同感、まさに今手元にあります。
鍾馗、疾風ときたら、次は隼の紹介をしてほしいな〜
やっぱり3000機作れたのはなんか別格に期待されてるよなぁ。 まぁ下手をすればずっと零戦だけの海軍よりは陸軍パイロットは恵まれてるのかもしれない。機体に合わせた職人気質気味な日本の航空パイロット、中でも海軍パイロットは陸軍パイロットを馬鹿にするくらいには職人気質っぽいけど、士官パイロットの数とかでも見えるけど思っている以上に陸軍航空隊は欧米よりの空軍よね。
大きな流れに必死に抗っているようで胸が痛い…
後期に出てくる制式戦闘機としては一番ましかな?
「疾風ができてきた時、なぜか私に乗ってみろという話になった」と、大叔父が言っていました。それまでにない複雑な機構で、いざ降りようとした時、脚を出せなかったので胴体着陸で降りたそうです。「せっかくの新機を一機、つぶしてしまったが、怒られもしなかった。説明もしないで飛ばした上官が悪いんだから仕方ない」だそうです。彼は開戦時からの戦闘機乗りで、戦争末期には帝都防空隊で飛燕に乗ってB29を迎撃。その後、満州士官学校の教官として赴任していたところ、終戦でソ連の侵攻にあって、シベリア・ウズベキスタンと抑留されて帰ってきました。
疾風及び誉エンジンは、困難な時代と基礎技術の不完全さを鑑みても、一定の成功と呼べると考えます。後に、1970年代以降の「軽薄短小」の物作りコンセプトを先取りした感もあります。総てに、惜しむらくはって付言が付きますけど、出来る事を出来る範囲を超えて完成させた存在と呼べる‼️
レーシングエンジンであって、軍用エンジンじゃなかった
日本軍に対しては徹底的に辛口なこのチャンネルにしては、珍しく高く評価された機体ですね
『われわれの設計した飛行機で、亡くなった方もたくさんあることを思うと、いまさらキ27がよかったとかキ84どうだったと書く気にはなりません』
某堀○技師なんかは余裕で自分の設計した以外の日本機、発動機をこき下ろしていまして・・・
エンジンの開発がいかに難しいか…ロケットでも日本はアメリカの技術供与がなければまじで不可能だった。それだけエンジンはあらゆる技術の粋を集めたもの。戦争に勝つためにも無理してでも大馬力戦闘機を作らなけらばならないのは理解しなければならないのだろう。エンジンとして形作っただけでも十分難しいことなんだよ。
アメリカのロケットなんてドイツからフォンブラウン引き抜いたお陰でしょ。
24分もの動画の編集ご苦労様でした😉
4式戦は全体の姿形に締りがなく、スペック倒れの凡庸機という印象があります。一撃離脱戦を想定した割に、(墜落防止のため)突っ込むと機首が上がって降下を続けられず敵機を追いかけられないとか、トホホな逸話もあります。それが「何をやらせても出来るが、何をやらせても大したことのない機体」という評価に集約されている気がします。同じエンジンでも紫電改はかなりの空戦性能があり、またキ100の方がエンジンは非力なのに「1機でキ84三機に勝る」と言われてしまうのは、数字では表せない戦闘機として重要な「何か」が欠けていたのではと思えます。スペック上は高性能な(はずな)のに実際の戦闘で弱いのは、現代機ではユーロファイター・タイフーン に似ていると感じます。推力重量比・維持旋回率等の「数字」で優位なはずなのに、ラファールとの格闘戦で10戦全敗を喫した時も、勝敗を分けたのは「センサーフュージョンによるパイロットの状況認識」「PESAレーダーの走査速度」「フライバイワイヤの優秀性」「推力重量比の不利を覆す高い空力性能」等、数値化が難しく、実機での戦闘経験がなければ重要性に気付きにくい要因でした。
過給機付きレシプロ航空機エンジンは 理論上、ブーストを上げれば比例的に出力もアップしますから、より高ブーストでエンジンを回せるハイオク燃料は 必需品であったと言っても過言ではなかったと思います。日米関係の雲行きが怪しくなっても、我が国は 外国(米国)に全面的に高オクタン値航空燃料を頼るという有様です。そんな中、100オクタン燃料使用をベースとして設計され、圧縮比アップ、エンジン回転速度アップ、ブースト値アップのハー45は 他の問題が一切なくても、スペック上のパフォーマンスを低オクタン燃料で発揮するのは当然困難で、このエンジンはこの問題の象徴とも言えます。デェスレイ光線兵器やエグイ731部隊の生物兵器に金と他の開発リソースを雨あられの様に投入する前に、100+オクタン航空燃料自造を先ず軌道に乗せる必要があったと感じています。
ハ45を最大出力で運用できたのは、パレンバン近郊に駐屯し、刈谷大尉クラスの整備士を抱え、豊富に予備部品を保有していた場合ですね。実際のパレンバン近郊の航空部隊は隼か飛燕装備で、部品に乏しい部隊が多いですね。一方、本土防空に従事していれば、燃料の質に問題有りで、部品の供給は前線よりマシ、といったところ。現実は中島と陸軍航空審査部位しか扱えない、と言ったところでしょうか。
@@ルレックス 返信ありがとうございます。インドネシア原油は 日本にとって幸いにも航空燃料を製造するのに適したタイプで、遅れていた当時の我が国の石油化学技術でも89~93オクタンの燃料が精製出来たらしいです。やはりネックは 本土への運搬ですね。
@@kojimasukura3493 タンカーは、行きの空ブネは無視して帰りの満タンのフネだけが狙われたらしい
何気に栗田艦隊の反転が正しかったと思う理由が気になるそれと最初の方にあった鍾馗の写真の後ろに九六戦いるよね
あのとき海軍が壊滅してたらアメリカ軍がただでさえ好き勝手動いてるのに更に好き勝手動きだすからってことじゃね?
@@yatousenpai ただでさえ好き勝手に動かれてるなら、海軍壊滅しても何も変わらんやろ。
命令自体が中途半端だったので、途中で空母追い回したりして突入のチャンスを失った
スマートな機体デザインに4枚ペラ…陸軍機好きの双璧は飛燕と疾風が鉄板かな😆
昔、発売されてたF4UかF6Fに「2000馬力級エンジンには、少なくとも直径4mクラスのプロペラが必要で、疾風にしろ紫電改にしろ小さ過ぎた」と書いてありました。
イカロス出版の陸軍機特集の本だったかな?自分も読みました。なんでコルセアがあのような機体形状になったかというと、ご指摘の通り、プロペラ直径を稼ぎたかったから。(そのせいで主脚に問題が生じたけど…)ちなみに四式戦のプロペラ直径は3.1m。ちっさいね。主脚トラブルを恐れ、直径の大きなペラの採用は見送られたらしいです。
@@ちゃむピョロン 彩雲の設計時に戦闘機より大径のプロペラ積んで大丈夫かな?って悩んだらしい
零戦は英雄ジーク王の名をとりジーク、疾風は敵機ネーミング担当者自身の名前をとりフランク、共に敵国より実力を評価され敬意有る名前を与えられた名機だと思います。個人的には陸軍機では5式が好きですが日本最高性能な戦闘機だったと思います。
疾風のキャノピーが隼や鍾馗より後方に位置してるのは…下方視界を確保するためだよね。主桁に超々ジュラルミンを採用出来たら主翼に20㎜機関砲を2✖2丁装備できたし、さもなくば主脚の位置を翼端側へ配置できるから四枚プロペラをもっと大口径に出来たのかもしれない。
最後の所のBGMはなんていうんですか?
某惑星では音速を出せる戦闘機達と戦っているってヤベーな
ミグと戦うスカイレーダー
当時の日本では、P-51Dがあってもスピットファイアがあってもどれも整備不十分になっただろうしなあ
曾祖父が疾風乗りでした(謎定期)高出力エンジンもプロペラも、そもそも冶金技術の時点で何もかも技術レベル低かった日本で、連合各国の名機に引けを取らないこれだけ優秀な戦闘機を作ったという開発者には本当に頭が下がります。なお、アメリカもR-3350(B-29のエンジン)の稼働率と不具合に終戦まで悩まされたが、「壊れたならまた作ればいいじゃない!」で乗り切った模様。
物量の違いなんですかね
ワオー。疾風乗りの親戚の方ですか❗当たり外れがあった機体を操ったのですね。頭が下がります。
海軍も紫電、紫電改なんか止めて、疾風に1本化しとけば良かったのにと思う。でもそうなると例のアレ付けろとかで足を引っ張られて駄作機化する未来も見えるのが嫌すぎるorz
まずは俗にいうネジの規格から統一すべきですよね、あの話は。陸と海ではネジの向きが逆で、同じエンジンでも互換性が皆無またはほとんど無かったと言われていますし。次に銃砲類の弾薬の共通化。例えばなぜ航空機用の20mmだけで最大3つも使っているんだ?と。
@@ルレックス 陸と海ではネジの向きが逆で、という事実はさすがにないです、W
部品の工作機械は米国製で、1000馬力級の栄エンジンでは十分な精度を維持出来たのですが、2000馬力級となると1000馬力級とはけた違いの部品精度を求められ、それは無理だった。結局熟練工が手作業で一つずつ精度を出すしかなく工程から熟練工が兵隊に取られていなくなるとそれも難しくなった。精度の甘い部品でエンジンを組むと、ガスケットの質が悪いこともあってオイル漏れがひどかった。操縦席の窓は油汚れで真っ黒になったらしい。米国の2000馬力級エンジンを造った高精度な工作機械は戦略物資として戦前でも輸出禁止されてたため、日本は輸入できなかった。
ドイツからは独ソ戦争が始まってシベリア鉄道が使えなくなり工作機械が輸入出来なくなった。
いいよなぁ四式戦闘機は…それに比べて四式中戦車は…
@@呑龍ハルカ チヌ改・チト・チリ「嫌です…」
@@呑龍ハルカ 一方ヨーロッパの同盟国は逆をやった(アハトアハト)
形だけは日本製ww2戦車の中で一番好きです。尚戦果は…。
4:20のbgmってなんと言う曲ですか?教えていただけたら幸いです。
カレンデュラです
@@北海道旅客鉄道会社を そうなんですね、ありがとうございます(´▽`)
47戦隊の稼働率は有名ですね。整備班長の考えで時限交換により稼働率を上げたと聞いてます。現在の航空会社もやはり時限交換して居ると聞きます。内地と外地の差が大きく出てしまいますね😰244戦隊にしても同じで内地で在るだけに交換部品については問題が無かったと聞いたことが在ります…47 . 244戦隊と云う防空戦隊だからこそ、優先されたのでしょうが😥戦後、米国でのテストで120オクタン燃料と高品質オイル使用で682キロの速度が出たのは有名な話ですね。願わくば、知覧特攻平和会館に在る疾風が飛行可能状態にして欲しいですね。
但し米軍の試験ではプラグも米国仕様に交換してます。
40~50年前宇都宮自衛隊基地に里帰りした疾風を見ました。このとき飛行したのを思い出しました。父が陸軍航空隊だったので一緒に見ました。その後聞いた話では胴体を切断して飛べなくなったと聞きました。どこかの博物館に展示されているのでしょうね。当時撮影した写真を見て思い出しました。
それは都市伝説です。 切断なんてされていません。 正規の方法で分解して運ばれました。
7:08 米軍機の防弾鋼板が12.7ミリ(3インチ)になっているけど、3インチなら76.2ミリでしょう。さすがにそこまでやったら戦車並みなので1/2インチかな?
やっぱり補給って大事
わかりやすい!ありがとうございました!
陸軍の飛行機への要求は割と手堅いですね。海軍とは大違いだw 重戦と軽戦の考えがあったからまだ良かったのかもしれませんね。1式2式の正式な後継機として見た目も日本機らしさが出てて好きな機体です。
その代わりというか、ろくに考えもせず試作機の開発命令乱発してメーカーの設計者を疲労困憊させていましたけどね。
海軍は、迎撃機として上昇力重視で開発した雷電で、格闘戦をしようとするなど、搭乗員の意識が切り替えられなかったところが陸軍と違ったのでしょう。
いやあ面白かった! ありがとうございます。 やっぱりハ45の実質出力は1600馬力だったんですね。 これで燃料と機銃弾積んで時速600キロでる四式戦は凄い。
(恐らく運転制限解除後の)疾風は調子が良ければ戦闘重量で650-60km/h出たそうですよ
@@呑龍ハルカ その数十年後にロケットに使われる技術で草
@@呑龍ハルカ 酸素魚雷だったか別ににほんさいきょーとか言うつもりは無いけど酸素魚雷は当時の日本が世界に誇っていい技術だよね
@@ホモサピエンス-x9q そのデータも確か運転制限ありでテストしてる
@@こめつぷ さん酸素魚雷は射程距離や雷速は優れていたけれど、起爆装置に問題があり、航走中に爆発したり、敵艦を捉えているのに爆発しないなどのトラブルが続出しています。また自慢の長射程も、遠距離からの雷撃では命中しないため、どこまで有効かは疑問が残ります。その上、危険な酸素を使用し、さらに炸薬量が多いため、誘爆による艦船の沈没にもつながっていました。他国はそこまで酸素魚雷に必要性を感じていなかったという面もあります。ちなみに雷跡の出ない魚雷としては、ドイツは電動による魚雷を実用化しています。
アメリカのツインワスプと比較して、直径・重量で相当小さいのだから、どっかにシワ寄せが来る。そこがつらいのう。
8:57 設計ミスなのか?ケルメットの鉛が25%含まれてるべきところを20%しか含まれてなくて故障したんじゃなかったっけまあ、こなんなモノですらまともに作れない時点で先行き怪しいけどね
日本の航空機開発で最後までネックだったのはエンジンでしたね…そもそもエンジンを自国開発できるだけで凄いんですがね…
誉は完璧なエンジンではなかったですけど、小型、軽量、高性能という現在の日本が得意とする技術の先駆けとなったのではないでしょうか。まぁ戦場で使用するには不向きですけどね。内地の整備隊は驚異的な頑張りだったと思います。
はぇ〜…燃料の質とかよくわからなかったけど、英本土防空隊のマーリンに150オクタン価をぶち込んでたのはすごいことだったんやなぁ…
リクエストですが、Me109かMe110の解説動画をお願いします。
自分は知覧で実物の疾風を間近で見た時、紫電改やヘルネコに機体形状が似ている気がすると思いました。国は違えども技術者達が考える先は似たような物になるんだなって
そりゃまあ、物理法則に国境はないわけですからね
現代もF15とSu27なんかは、形が似ていますね。一昔前のT-2とジャギュアがそっくりでした。
アメリカはP-47を1941年(昭和16年)の9月に開発完了し、この時点で2000馬力級エンジンを実用化していて、同時期の日本は1500馬力エンジンの開発に四苦八苦してたんですね。こんなに差があったとは。でも意外に陸軍は海軍より、想像以上に次期戦闘機の開発に熱心だった感じがする。それにしても、当時の技術者も軍も星型空冷エンジンの正面投影面積にこだわるなぁ。そもそも様々な技術も足りないのにコンパクトで高出力のエンジン開発を目指さない方が良かったと思う。コンパクトにしたせいで隙間が狭くなり、冷却、耐久性・メンテナンス性・改善の余地などイロイロ問題が起き、解決もやりにくくなったじゃん。もっとも、こういうところが開発ノウハウの蓄積の差なのだろう。さらにプロペラさえ、まともに開発・生産も困難なレベルだったとは。ところで黒江少佐って、色んなところで現れますね。
それでも「日米の基礎技術に大差はない」と書き込む人がいました。残念ながら航空機技術は英米には劣っていましまた。2段2速スーパーチャージャー付きマーリン/グリフォンエンジンや実用化されたターボチャージャーや液体/気体式耐gスーツ ジャイロ式照準器等と比較して我が国の空戦フラップが霞むほど技術差がある。今後我々ができるのはひたすら勤勉に研究と開発する事です。
@@donaldminion3462 漏れないパッキンとか
馬力が2倍になっても速度は2の3乗根倍にしかならない。空気抵抗を減らす方が有効で、液冷がものにできない以上、投影面積にこだわるのは当然。
@@jx6004 とノウハウが足りず拘った為、冷却不足等の不具合と安定した大馬力エンジンを供給できず惨敗。大型機用の火星でさえWP-R2800の直径より小さい。
@@zubizuberpapa 雷電の開発を始めたころの火星は1400馬力しか出ていませんよ。それでも空気抵抗減らすためにシャフトを延長してカウリングの先を絞ろうとした。結局それが原因で起きた振動問題を解決できずに開発が遅れ、実用になったころには国内に攻め込まれていた。疾風は戦場が国外の時点で投入できたのだから、どちらが役に立ったかは明白。
小さい頃は零戦信者だったけど、この動画シリーズで「陸軍機も結構すごいな」と知りました。ありがとうございます。まあそりゃあね?米や独と比べちゃうとアレだけどね?
途中でエンジン生産の下請け供給体制の話が出てきましたが、末期になると都市部の大空襲で消滅した下請け工場とかもたくさんあったんですかね涙多分下町でも軍需産業を支えた小さい工場もたくさんあっただろうしこの辺りはエンジン開発の本とか太平洋戦争末期の生産体制の書籍を読むと出てきますかね当時の技術者や開発者は疎開とかもあっただろうし、結果はともかく生産管理とか想像するだけでゾッとします涙インターネットもFAXもない時代だから郵便と電話、メッセンジャーをフルに駆使して書類とかのやり取りしてたんですかね
疾風は隼の製造ラインを立川飛行機に譲渡してまで作った甲斐があったと思いますね。蛇足ですが、10年前、日○の整備士養成校で零戦と隼三型の製造をしましたと説明を見たときは、馬鹿かこのパワポ作った奴は、ってなりましたね。同じエンジンを積んだ紫電、紫電改はもう少し煮詰めれば良かったのかも。
日立では零戦を生産していますね。正確に言えば、零戦21型をベースに座席を追加した複座練習機バージョンですが。
隼は日産(に吸収されたプリンス自動車の前身の中島飛行機)が作った。
そのパワポの意図する所は発動機の話だったんでしょうね。
まあ日本軍向けにトラック作っていたと言うよりもウケが良いですからね、航空機は。
米軍は疾風の被害を受けて運用してたマスタングB/C型からキャノピー以外にも細かい部分で改良され低高度寄りに調整された過給機のD型を要求してる
この結果高高度性能が悪い(但しあくまでも米軍機としては)と言う評価に繋がってしまった。
臨時防空第502戦隊の話の時のイラスト、疾風じゃなくてキ87Ⅱじゃないですか?
間違いなくキ87-IIですね。排気タービンが見えちゃってますし。まぁ、隼鍾馗疾風の流れをちゃんと汲んだ機体なんで大間違いと言うわけでもありませんが…。
うp主が分かってないわけ無いだろwイメージ画像だろ
国力・工業力に劣る以上、既存の安定した枯れた技術を駆使して、安定して生産するために、大幅な割り切りが必要なのでしょうか。試作機・正式採用機あわせても、日本軍機は数が多すぎると思うのですが・・・大本営が総合的な戦略立案・陸海軍の協働・調整の場でなく、またそのような機能を有していないのも拍車をかけたような気がします。四式戦、零戦、紫電改に限らず、メッサーシュミットやフォッケウルフなど、名機ではあるのですが、負けた側の悲しさか、どこかに悲劇性というか、悲しさを感じてしまいますね。
高い加速力、異様な見た目で知名度の高い雷電も、海軍の局地戦闘機として、期待された紫電も冶金技術や、整備技術、エンジンシステムなどが足を引っ張って、活躍でなかったり、高い機動性、速力の早い陸上爆撃機の銀河や、艦上爆撃機の彗星は整備がしにくいと嫌われ、日本機は一種の芸術作品になってしまった故の悲しみを背負ってる気がする……。もしかしたら、終戦ぎりぎりで初飛行をこなした震電、初飛行を控えて飛ぶことのできなかったキ-94Ⅱ、他にもペーパープランで雑誌などでは夢物語として語られる陣風、閃電も、日本の技術不足によって実現したとしても、満足行く結果にはならなかったのかもしれないね……。
最後のまとめが自分の考えとあんまり変わらないので安心しました、もっと落胆するかもって思ってました。
よく聞く話なんだけど、同じエンジンの紫電改は回転数制限があって、それを無視してエンジンを回せば水平速度で640キロは出たと、最近の戦記本に書いてあるが、あのずんぐりした胴体でとても、そんな速度がでるようにはとても見えないんだが、逆に言うなら紫電改が640キロ出るなら、空力的に紫電改よりも優れている疾風なら、もっと速度がでてもいいと思うのだが?紫電改640キロ説は、本当なのでしょうか?
空気抵抗の抗力を考えたら300~400馬力増して40キロupは考えづらいですねぇ
誉の運転制限を解除した疾風乙型は、陸軍の計測値で660km/hを叩き出しています。
機体の空気抵抗の他にプロペラ径の関係もありますよ。一式·二式·四式の中島機は陸軍の要求もあって加速性能重視の傾向があり、加速時に空力·パワーロスとプロペラ自体の空気抵抗の少ない小径のプロペラを採用しています。海軍機はトップスピードを取って大径プロペラを採用する傾向があったようです。零戦と隼が良い比較例でしょう。
@@呑龍ハルカ 疾風「当たり前や!俺を誰だと思ってんや!大東亜決戦機やで。疾風組は構成員3500人もとい、3500機おるんやで!どうだ」(笑)失礼しました。
ずんぐりはしてるもののレイノズル数がまあまあ低くなるよう胴体形状に工夫が施されているので…
栗田艦隊の反転は、妥当ということでしたが、その理由が気になります。できれば、動画で解説してほしいです。
疾風まってました。相変わらずの日本機ディス。でもこのディスには愛を感じます。
質問をお願いします。> Bf109を筆頭にスピードファイターが…ああいった速度性能重視の戦闘機をスピードファイターというようですが、逆に零戦とか隼みたいな旋回性能重視の戦闘機は何というのでしょうか。
@@ミドリ-g4y なるほど
@シゲのチャンネル ドッグファイターとも言うぞ
俺の一番好きな戦闘機だぁ(*´∇`*)
一応、米のマスタング、独のジェット戦闘機に次いで、列強国たるものの最後の意地を見せつけた機体だったよな。これが登場して3000機も量産されてなかったら世界大戦の日本の戦力評価は1段階下だったとも言える
四式戦VS紫電改の精密な性能比較知りたいです。
速度と航続距離は疾風、運動性と火力と加速力は紫電改。特に疾風の火力不足は致命的。12.7ミリ機関銃改造のホ5なんてセコハン機関砲は使い物にならなかった。海軍の99式2号機関砲の方が威力あった。
@@KI-yk2nv さん発射レートはホ5で弾丸威力は99式但しホ5は機首搭載可能で実質モーターカノンをダブルで搭載しているのと同じになったそうです。
そういえば、世界で唯一残った飛べる状態の疾風はどうなったんだろ、長らく雨ざらしにされていたらしいけど
五式戦についても言えることですけど、どうしてもっと早く金星エンジン搭載機を実用化しなかったんだろうなあ・・・と思いますね。数字的な性能は落ちるとしても稼働率は飛躍的に上がっただろうに。
金星エンジンが1500馬力になるのは戦争末期で、それ以前では1300馬力でしたから…
金星は50系が限界。火星で1500馬力出していれば。
日本で最も優秀な戦闘機だったと思う。
老人保健施設のディケアで働いてた時、隼→疾風と乗り継いだ爺様がいらっしゃった。いろいろ話を聞いたがよくある老人の自慢話でなくリアルな話もずいぶん聞きました。「疾風はどんなでしたか?」速いとかリキがあるとかの答えを期待したら「とにかく寒い飛行機だった」排気管の一部を操縦席に通すだけの簡単な暖房がついていなかったって。熱線入り下着を使うと無線が聞こえなくなるし高度が上がるにつれ寒くて困ったそうです。今なら良い捨てカイロがあるのにね。
[電熱服は役に立たない!誰だ!こんな役ただづを作ったバカは!!]
いい話しを、聴けて良かったですね。私は、ビルマにいた方に「インパール作戦ですか?」と、聞いてみたら、「牟田口💢」と不穏になってました。
ある意味予想通りでした😅
おれ、聞いたのはコレダメダ!花と散ろうぜ!銃剣突撃したら向こうが逃げてった
その電熱服、不燃材が入れてあったようなのだが、それが偏ると本体が焦げはじめ、最後はカチカチ山に…
おお、これこそ実際に乗った戦闘員しか言えない、知らない現場の声ですね!もう少し戦争が続いていたら改良されて暖房がついてたもしれない。こういう話、大好きです。
この機体は日本が持ってる『足りないぶんは工夫で補う』の精神が如実に出てて好きだな。今と違って基礎技術が未熟な状態でこれだけの物を作れたのは、開発者さん達の根強い根性の賜物だと思う。
足らぬたらぬは工夫が足らぬ、ですか
P47はエンジン径が大きい。基礎技術は大差無かったが資材量や生産技術に問題があった。同じサイズ・回転数で米国が2000馬力級を作れたか疑問だ。国民性とも言っていい、アメ車やハーレー見ても分かるだろう。まして開発時にあった100オクタン燃料が確保できなくなり異常燃焼に伴うシリンダー異常過昇が起きたり回転数を上げれば軸受け負荷増と、ケルメット不良による耐久性にも影響する。当時の状況を安易に設計のせいにするのは問題がある。余裕ある設計をする余地が無かったのが問題ではあったが。
根本的にプロペラ径が小さすぎたので、全体の設計がおかしなことになってしまった。色々新基軸も採用しているが、基本的に1000馬力級戦闘機の延長線上の機体設計で、大馬力搭載機としては根本的な設計変更が必要だった。
この辺りが過去の実績にばかり期待した行政運営故に生じる問題点だ。
高高度戦闘機としての中島のキ87と立川キ94の明確な差、あるいはドイツとしては異色だったのFw190のように、逐次新しい血を注いでいかないと技術は停滞すると思う。
アメリカの2000馬力エンジンも不具合多発で、B29も飛行する毎にエンジン交換してたのを知らないんだな。
エンジン不調で太平洋に墜落も普通に起きてたと戦後にアメリカパイロットが出版した本で内情を書いている。
因みにサイパン島に当初から配置されたアメリカ人パイロットの中で終戦まで生き残ったのは彼ら11人のグループ(乗員11名で運行)だけだったようでアメリカ側の戦果記録などは大嘘ばかりだ。
@@ネロは日本へ止まる 様 B29のR-3350がやっかいな代物であったのは事実ですが、日本上空で無双した現実の前では無意味です。
ネット上のヨタ記事を拾ってきただけでしょう?それが本当なら日本の都市が灰になることはなかったでしょうね。
開発経緯や戦歴だけではなく機体やエンジン他まで冷静に丁寧に諭すような解説は本当に素晴らしいです。
四式戦闘機はもっと評価されて良いと思う。やれ五式戦が良かったとか紫電改の方が優れていたとかいう声を聞くけれど、日増しに戦局が悪化する中、連合軍機に十分対抗できる戦闘機を終戦の1年前に投入出来た事は凄い事ではないだろうか。
あと、フィリピンや大陸等、どこにでも湧いて出てきたことも大きい。
五式戦闘機や紫電改は、日本本土でしか出現しなかった。
既存の戦闘機を上回る性能を有しながらも、生産性にまで配慮しているところが素晴らしい。
職人芸で作られ、試作段階では優れているけれども、量産したらダメだった、というのでは、実際の戦争では話にならない。
あと五式戦も、エンジンのない飛燕の機体+信頼性に定評ある金星エンジンという成り立ちの戦闘機であり、大戦末期でありながら、そこそこ性能がよく、なおかつ稼働率が高いという点で、評価できる機体だと思っている。
紫電改が過大評価。
もっと言えば海軍が過大評価ってことか
陸軍は関東軍の暴走や日米開戦をけしかけたイケイケのイメージだったけど、兵器開発の担当部署は凄く現実的で柔軟、話のわかる感じが面白いですね。
どかkで「どうせ我が国の工業力では大したモノは作れない。だったらバックアップ体制を整えたり、適所適材を
第一に考えよう」という方針だったんでしょうね。
昔、祖父が四式戦に乗っていたと言ってたけど、個体差が一式戦より酷かったと言ってたな、祖父は良い個体だったみたいで整備と燃料さえしっかりしていれば、苦杯を舐めるのは少なかったらしい…
当時の日本には未だ工業製品の均一化と言う概念が無かったので個体差が激しかった様ですね。戦後に成ってアメリカからマスプロ化と言う概念を教えられて今日の日本車への信頼に繋がった訳です。結果論ですが本当に戦争してはイケナイ相手としてしまった訳です。其れでもアメリカの効率的な作戦のお陰で死亡者が軍民合わせても300万人チョットで済んだので、ある意味良い相手では有りましたね。
中島製機体の個体差は、三菱より圧倒的にマシで、両社で作られた零戦では、中島の方が製造期間が短いのに製作数は多く、バラツキも圧倒的に少なかったそうです。
三菱のは、良い出来のは良いが、駄目なのは全く駄目との事で、中島のは部品の互換性が比較的有るが、三菱のは、全くとの事です。(^_^;)
気持ちは分かりますが其れでは駄目なのですよね。低性能でも品質が揃わなければマスプロ化とは言えないのです。松下やトヨタで有名に成った品質改善はマスプロ化の一端だったのですが、現在では其の意味を本当に知ってる人は社員でも殆ど居ないと思います。残念な事です。
@@はやしたかやす中島製零戦は「殺人機」とまで現場で言われていたと聞いたが?
燃料切り替えコックの軸が折れて墜落した機もあったとか
@@田中一郎-v7g諸説あり、五十歩百歩です、
面白かったです!
四式戦で最も評価されるべきは「必要な時期に間に合わせた」という点です。同時期に開発スタートしながら量産すらできなかった烈風とは好対照。
だから疾風とF6Fの評価は高く、雷電、烈風、F4Uの評価は低い。
@@RohikiMyao コルセアくんはラバウルで日本航空隊の精鋭達と環境悪いなか(向こうもだが)互角に戦ってラバウル落ち着いた頃には使いやすいグラマンに場所取られてたから許したげて…
@@RohikiMyao
その評価の低いF4Uが、1970年代後半まで現役だった国があるんだよね。
評価が高いはずのF6Fは、1960年には輸出されたものも含めて全機が退役している。
そして、なぜかレシプロ戦闘機による最後の空中戦でP-51を相手に勝っているんだよね。
疾風の試行錯誤しながら開発熟成した結果、五式戦、紫電改に至る。昔40年台に買ってもらった戦闘機の本では、疾風と零戦の評価は高かった。五式戦はデータがなかったが、紫電改は生産数少なすぎで書いてなかった。
フィリピン、大陸、日本本土と、日本陸軍航空隊のあるところ、どこにでも湧いて出た。
ここが、海軍の紫電改と違うところ。
日本軍機の中で唯一「後継機」を名乗れる機体ですね
辛酸をとはいかずともあの状況で局所的に戦況を4割位までは持っていけるポテンシャルのあった本機はなんだかんだ一番現実的に日本軍機の中で一番優秀なんじゃなかろうか…
うぽつです!
個体では優秀でもたった3500機の生産では主戦力にはならない
量産性・保守性。実践における撃墜数など全体的なウエイトでみれば零戦が優秀だったって事になる
@@akibanokitune それはごもっともだと思います。ですが、私が云っている事はあくまでも戦局に対して云々ではなく「後継機」を名乗るに足る優秀さかどうかを述べているのである訳でして、ここで引き合いに零戦を出すのは私の云っている事と少し焦点がずれているように思われます。
寧ろ貴方の仰有るような焦点であれば私は隼を推したい(陸軍脳)
少し脱線しましたが、以上になります。
余談ですが私の云う「後継機」という観点ではMr.windowさん的にはどの機体がおすすめですか?
@@akibanokitune
それを言い出したら、一式戦闘機は約5,700機。
製造数では10,000機超の零戦の足元にも及ばない。
@@akibanokitune
疾風の生産数の3500機という数字、当時の日本の工業力と時期、そして米軍からの空襲まで考えると破格の数字なんですよね
それだけ疾風の生産性は良かったということ
@@akibanokitune 何言ってんだ?零戦と疾風の登場した時期考えろよ
アメリカで好評価だったのは純粋に戦闘機としての飛行性能にあったと思います、速度と運動性のバランスが取れている、P47は大重量なので、急降下からの引き起こしに課題があり、F4Uは失速の悪癖があった、疾風はパイロットからすると自由に飛び回ることができる、敵のいない試験飛行ですからわかる気がします、
但し調査した米軍も
舵がやや重い
と言う欠点も指摘してます。
アメリカが評価したのは20ミリ機関砲を標準装備し、更に機首にも装備可能としていた重火力で
これはF86や後々バルカン砲にもフィードバックされてます。
バランスの良い機体はパイロットに好かれますね。扱いずらいf4uより万人受けするf6fの方がパイロットに好まれたとか聞いたことあります
@@momiji4932 零戦と比べて耐久力が高かったり、空母への発着もしやすかったから多くの熟練パイロットが育ったんよね
@@にっしーダヨしかも失速しやすいだけで旋回速度なら日本機以上という
@@ばなお-i6i高速時なら尚更旋回性が良くなるという……
完璧とは言えなくても、必要な時、必要な場所に存在したのは大事だと思う。
だから疾風はF6FやFw190と同じく高く評価しています。性能も良いけど開発行政を評価して。逆に評価低いのは雷電、烈風、F4U。
@@RohikiMyao F6Fなんて性能が落ちるのを承知で生産性を重視した割に敵の戦闘機以上の性能を有してますからね。
旧海軍の戦争指導者にその言葉を言ってやりたい。
まさにそれ、必要な時に必要な場所に必要な数。( ´・∀・`)
これぞ王道にして正論なりさ。
オクタン価に関しては最近になって面白いエンジンも出てきました。
通常オクタン価の低いレギュラー(88~90)ガソリン仕様のエンジンにハイオク(大体98~100)入れても問題なく動作するだけですが、
スバル(旧中島飛行機)のCB18(2代目レヴォーグより搭載)は希薄燃焼を実現するためにほとんどレギュラー専用になっているそうです。
終戦時18だった俺のオヤジは軍事工場で誉を作っていた。
工作精度がガタガタで絶対回らないエンジンを作っていたらしい。
測定器が舶来品使っているようじゃあ外国に勝てるか!?と、嘆いていた。
終戦時、ひまし油が余っていて天ぷらを揚げたらピーピードンドン・・・
流麗にしてマッシヴ
連合軍の大戦後期の新型機と並べても遜色無い力強さを感じさせるデザイン
一番好きな日本戦闘機です!
「疾風」が戦果を上げることができたのは、
「零戦」「隼」に次ぐ生産機数を揃えることができたことも大きい要因だ。
零戦に対して生産性に優れる隼よりも、3割も工期を短縮していますからね、設計段階で量産性を考慮されていた。
深山を作るためにアメリカの四発旅客機買ってそれバラした結果優れた量産方法が見つかって増えたらしいね、やっぱ日本軍の兵器で四式ってつくやつ基本強い説
それでもたったの3500機だもんな
ショボ過ぎた
@@武闘派の猛毒 四式中戦車「あ?」
@@ヨシフスターリン-x8o チトも強いやん(WT脳)
ついに来た…
個人的に日本機で一番好きな機体
「中島飛行機エンジン史」昭和62年の初版本は私の宝物です。まだ中川良一氏もご存命でした。
ここまで質の高い四式戦の解説動画は少ないと思います。応援しています。
僕は、開発中だったキ44-3がそのままキ84試作機の母体になったのだと思います。キ44-3で拡大された19平米の主翼と、キ84試作1号機の主翼は同じものです。
せっかく設計して作った19平米の主翼を1機限りで見送った理由としては翼面荷重もさることながら、当時開発中だった2式20ミリ機銃(ホ5)が翼内に収まらなかった可能性が高いと思っています。
栗田艦隊の反転についても僕も妥当だと思います、当時使用可能だった艦隊燃料の問題(というか栗田艦隊が当時使えたタンカーの決定的な不足)があり、突入を強行していれば多数の艦艇が洋上でガス欠になる可能性が高いです。
ひとつ気になったのがオクタン価です。4式戦に87オクタン燃料があてがわれたかという点です。
開戦時点で日本陸軍の南方向け航空燃料は87オクタンと91オクタンが半々ぐらいで、戦争が進むにつれて次第に91オクタンの割合を増していき、最終的には第一線機はほぼ全面的に91オクタンが使用されるようになります。量はともかく質的には向上が見受けられます。
個人的には、オクタン価もさる事ながらエンジンオイルと点火プラグの質が悪影響を与えたのではないかと疑っています。
なお終戦時の陸軍航空揮発油の保有量約30000キロリットルに対して91オクタン燃料が約20000キロリットルを占めており、87オクタンは3000キロリットルしかありません。
そういえば陸軍が航空機の機内燃料タンクを胴体内に置きたがらなかったという話は、どこかで古峰文三さんが言ってたような気がしたのを思い出しました。
長々と長文失礼しました。
この二式戦三型乙という機体は存在が確認されていません。wikiはちょっと先走っているようですが。
キ四十四Ⅲという機体に37mm機関砲を搭載する計画が確かにあったがその前提は、キ八十四の元となる19平米の大面積主翼。そしてホ三〇一は言うまでもなく特殊な構造のロケット砲で、搭載数9発しかないから搭載可能だった。
鍾馗の翼にやはりホ5は載らなかったと見るべきかと思います。
主翼内部の構造を見ると、2式戦も4式戦も主翼は前桁と後桁をもつ二本桁構造(前が主で後は副)ですが、
少なくとも二式戦2型では桁を屈曲させるなど脚部の収納部や機銃の収容にかなり苦労してる様子が伺えます。主翼面積が小さいだけでなく、2式戦は翼厚比が薄く設定されています。
そのテスパイの話なら知ってますが、主翼を伸ばしたという表現が引っ掛かってます。
胴翼の取り付け部分をあまり変えずに伸ばすことで翼面積を大きくしたともとれ、そうであれば元々窮屈な翼内にホ5を収めるのは厳しいものになるでしょう。
それからリンク先のページによればキ44-3はハ145を搭載するとなっていますが、ハインケルさんの二式戦解説動画ではハ45としており一見すると食い違いがあるように見えます。
そもそも4式戦がハ45なのに、その前段階の2式戦3型がハ145装備なのは何故か。
それは当初、海軍で言う誉11型相当をハ45、誉21型相当をハ145と名称を定めていたものが、時期が進むにつれ誉21型相当をハ45と呼称するよう変化したからで、つまり2式3型の頃「ハ145」と呼ばれていた発動機が4式戦の頃には「ハ45」と呼ばれるようになっただけでいずれも同じ誉21型相当の発動機です(ややこしい・・)
これによりハ145の名が示す発動機は一旦宙に浮いた存在になります。
のちにハ145という名称は、戦争末期に誉の改良型の1つとして名称が復活するので、なおさらややこしいです。
@@St-wood
古峰氏のお名前も出ているので、1010 St-woodさんと、寄って立つ所は余り変わらないと思うのですが、丁度先月のmilitary classics誌で鍾馗の特集を組んでいまして以下のことが指摘されています。
キ四十四Ⅲの計画は『キ八十四として仕切り直され、結果として「キ四十四Ⅲ」と言う戦闘機は幻の翼として消えることになった。』
キ四十四Ⅲが試作され、昭和16年8月に初飛行して12月に審査を完了したとする説があるが、これは当初「ハ一四五」と呼ばれた「ハ四五-二一」を搭載するキ八十四Ⅰとの混同からの誤解。(St-woodさんご指摘の通り)
二式戦三型と言う機体が無かったわけではなく、武装強化型の二型丙を当初、三型と呼称していた。時期的に見てこれがキ八十四の試作と混同された原因と思われる。以上
一連の記事で無視出来ないのは、鍾馗が不意自転、それも水平スピンという危険な特性を持つ欠陥機と見なされていた、との事実でこれは繰り返し述べられています。
これに加えて、大きすぎる着陸速度、失速特性、ホ五を搭載出来ない小さい主翼、直径にして8cm小さくなるハ四五の採用と言った新たな要求。そして先の不意自転に対しては胴体延長してモーメントアームを大きくしつつ、垂直尾翼面積の拡大。
ハ四五のプラットフォームとして抜本的な機体の新設計を必要とする良い機会でもあり、そしてそれは疾風において見事に結実した、と見て良いかと思います。
昔ははやてじゃなくてしっぷうと呼んじゃってた思い出
漂う烈風感
いいのよ、しっぷうでも。
俺は戦艦「やまと」と「だいわ」は違う船だと思っていた。小学生の頃の黒歴史・・・
ナルガやん
川内をかわうちと呼んでいたのは良い思い出
必要な性能は満たしていて、大量生産出来て維持管理がしやすかったんですね。
機械として一番重要な事ではないでしょうか。
中島の品質は怪しいよ
@@田中一朗-y2b 坂井三郎が三菱製の零戦を好んだって話だろうけど、中島じゃ零戦の図面を書き直したって話だよ。あまりにも生産性が悪かったから。兵器には量産性も大切。さしずめ日本機はガンダム、米軍機はGMでしょう。日本機は大量生産できないから1機1機の性能を少しでも上げることばかり考えていたが、米軍機は多少性能を妥協しても作りやすさや乗員保護を考えていた。飛行機は壊れたらいくらでも作れるがパイロットはそうはいかないって考えの国に勝てるわけがない。
精鋭部隊を編成するために優秀なパイロットや整備員、そしてパーツ類をかき集めてしまったら、その他の部隊はガタガタになってしまったって事ですよね…。集中運用したほうが戦力になるんでしょうけど、そんな事をしなくてはならなかった時点で先が見えたという事でしょうね。
一兵卒で徴兵された人が書いてました。部隊で知合いに会いビックリ、その知り合い飛行機の操縦出来る人物。操縦士になれるのに、鉄砲担ぎとは、と。
陸軍ではアグレッサー部隊を編成し、出張しての空戦機動に係る指導をやって全体の底上げを図っています。
7:18頃の米軍機の防弾性能についての説明文で12.7mm(3インチ)とありますが、1インチは24.5mmなので12.7mmは0.5インチになりますよ。
(3インチだと76.2mm)
オクタン価についての説明が簡潔で正確。
素晴らしい!
戦後って、なぜか陸軍機の評価が低いんだよね。零戦神話で海軍機が総じてイメージが良いせいだと思うけど
海軍将校が戦後批判したせい
陸軍機は、乗ってみれば分かる良さ。
隼は乗り心地は上等なズボンですし、鍾馗は陸軍のパイロット教育が悪かったから扱い辛いと評価されただけですし、飛燕はエンジン問題が解決できなかった。
この疾風は多少問題はあるとはいえ、隼と鍾馗の問題を解決でき、隼と鍾馗の得意な戦法をやれたのだから素晴らしい機体ですよね。
@@tanuhano ここで問題です。陸軍が船を持ってます。それは何故?
@@呑龍ハルカ たぬはって子面白いですねw ドMかな?
@@tanuhano あきつ丸が対潜用の航空機積まないといけないのは何故ですか?
シベリアに行ってって何?ノモンハン事件の事?シベリア出兵とごっちゃになるからそこは分けて。
この戦闘は陸軍は引き際が分かっているっていう良い例じゃないかな?独ソ不可侵条約が結ばれたらソ連が強気に出て紛争が泥沼化するのは猿でもわかるだろw 戦果にしたって戦後の資料から分かったことだし陸軍はかなり慎重だと思うよ。海軍みたいに過大報告しないからな!
何で対米戦以外から話持ってくるかなぁ〜面倒臭い
仮想敵米海軍で整備してた日本海軍のやってる事がままごとだからしょうが無いけどさ
海軍はどうしてそうなったっていう戦闘が多過ぎる。戦果も陸軍に嘘教えて次の作戦に支障が出るし、はっきり言って陸軍の比にならないほどゴミだと思う。
陸軍は海軍にくらべればまだ現実的だったとういべきかな。しっかり揃える時に揃えられ性能もそこそこ。それは基本的なことだが最も重要なことだ。
陸軍は性能優先だけど海軍は稼働率優先だから仕方ないですね。
海軍機(艦載機)は故障や不調で稼働率低いなんて話にならないですから。
@@呑龍ハルカ
飛燕は飛んだ機体もエンジンが予定通りの馬力出てないのが殆どで
絶好調時の飛燕はF6F翻弄してますよ。
@@呑龍ハルカ
まぁマウザー装備の丙型じゃなければ。
あと絶好調時の飛燕はF6Fに40キロ優速で戦えたそうです。
@@こうでん-q6x 好調とか不調とかある時点で工業製品として…
@@こめつぷ
それでも陸軍は性能を優先したんですよ。
海軍は艦載機だからそんなのお断りですけど。
因みに米軍がいち早く2000馬力を投入出来たのは大量生産で故障を補って不調な機体を後方に下げても十分な数が前線に揃うようにしていたからです。
戦闘による損失より故障に損失の方が多かったぐらいですから。
大変解り易い解説でした。私個人は確かに欠点を持ってはいたけど、必要な時に必要な性能をもって登場した当時最良の陸軍機の一機だったと思っています。
ですが改良型のキ116がもっと早く生産されていればと思わずにはいられません。
真正面から敵新鋭機に立ち向かえるのは疾風以外は飛燕位だし、疾風よりもエンジンで泣かされている事を思えば遥かにマシです。
五式戦は安定感は得られたけど、どこまでやれたかは、やはり未知数な部分があると個人的に思っています。
私は太田市の人間なので中島贔屓なのですw
少し脱線しますが、祖父が言うには大泉工場と本工場を結ぶ道では翼等が牛車の荷台で運ばれていたそうです。トラックも枯渇していたのですかね?
また父が幼い頃は本工場はまだ爆弾の穴だらけで壁等も崩壊していたので中が覗けたそうです。
トラック自体元々無かった上に道路も悪かったからね。
アメリカ側は飛燕を零戦や隼よりも相手しやすいってボロクソに酷評してたけどな
資材面や基礎力・工作技術で他国に劣る当時の日本が2000馬力エンジンを開発し、一応の運用をしていた事が本当に凄い。主さんが5式戦の回で「当時の日本が戦力化できる限界が1500馬力エンジンまでだった」って仰ってたけど、本当にそうだなって思った。いくらエンジン馬力が高くても、整備できる範囲のものでなければ真の力は発揮できない。
でもやっぱり2000馬力エンジンは魅力よね笑
当時の日本が2000馬力エンジンではなく、1500馬力エンジンを中心に運用していたらどうなっていたんだろうって考えてしまう。
ご存知だとは思いますが、エンジン出力には、
①離昇出力
②公称出力
③常用出力があり、どれを指すかで話は変わります。意地悪かもしれませんが(笑) 基本的に日本のミリオタ界では離昇出力を用いることが多いので、それに沿ってコメントさせて頂きます(長い前置きでした…)
離昇1500馬力前後でザッと思い付くところでは、
三菱 火星11型、ハ104(火星の18気筒版)、金星60系
中島 ハ109(ハ5系列)、ハ115-2(栄の水メタ噴射)、護、ハ45(誉)
ざっとこんなところでしょうか? しかしながらこのうち金星60系(公称1350馬力)は従来の金星40系を造り替え水メタ噴射も取り入れており、巷で言われる金星のイメージからは程遠いエンジンと思われます。
ハ109は動画中にあるように信頼性に欠け、護は問題外。ハ115-2も金星60系と同じく栄に水メタ噴射装置を取り付けたもの。水メタ噴射を取り入れている発動機は誉と大差ない登場時期で、乱暴な括り方をすると技術レベルも近いモノでしょう。
火星は11型相当(離昇1500)が14試局戦に搭載されましたが、要求目標に達せずより大馬力の火星23型搭載へとテコ入れされました。
火星18気筒版のハ104は飛龍に搭載され離昇1900馬力。水メタ噴射の搭載をしなかったことから比較的信頼性は高いとのことですが、いかんせん乾燥重量約950kgと重いエンジンですね。
ざっと纏めるとこんな感じでしょうか。またもし誉を切り捨てるとするならば中島でその代替の開発は促進される可能性があるとも思われます。これらのエンジン事情でどうやりくりして行くかは考え方次第でしょうか。
ここからは私個人の意見です。ハ45ですが動画内にあるように21型は運転制限をかけられ実質11型相当に抑えられた性能で運用され、ある程度の信頼性も確保しておりました(少なくとも部品さえあれば一定の稼働率を保てる)。
公称出力1600馬力であるため、ある意味誉こそが1500馬力前後の戦闘機用エンジンとしては日本が望み得る発動機では?と思っております。
その後改良を重ね運転制限はかなり解消され、名実ともに2000馬力クラスのエンジンになったわけですしね。
長文失礼しました。
すみません。コメント書いてから一個抜けているのに気がつきました…
もう一つプラスするとすればハ104と同じくハ115(栄12型)相当に水メタ噴射を装着せずに、圧縮比もそのまま単純に18気筒化した仮想ハ45もありでしょうか。
以下単純にハ115に4気筒分追加した場合、
離昇1450馬力 公称一速全開(高度2850m)1414馬力 二速全開(6000m)1260馬力
上記のようになりますが、繰り返しますがこれは圧縮比そのままハ115の数字を18気筒で計算しただけなので、重量の増減やその他要因で変動することはご注意下さい。
まさにジャスト1500馬力クラス? 自分で書いておいてなんですが、これはこれでありなのかな? 明らかな性能低下は免れ得ませんが、発動機回りの信頼性向上は見込めそうで史実のハ45よりは早期に投入可能か?
その後段階的に水メタ噴射で改良を重ねれば、、ただどの程度性能低下するか不明なため、14試局戦のように要求性能に満たないため水メタ噴射でテコ入れ!って増加試作機を作ってる間になりそうですし、なんともビミョーなラインですねぇ。
@@かなしげ-n1x
わざわざ説明していただいてありがとうございます。私自身エンジンについては全くの無知で、なんとなくコメントしただけなので...。
誉はガチャ運次第で信頼性に欠けていたことから、ちゃんと動く1500馬力エンジンを搭載した戦闘機(5式戦等)を中心にもっと配備してたら本土防空戦の結果も少しくらいは変わったのかな〜っていうど素人の想像です笑
文字からして3種類の出力の意味は何となく分かります。離昇出力は飛び上がるために使う出力、公称出力はカタログ値?性能値で表記される時の出力、常用出力は巡航速度で飛んでる時に使う出力って意味でいいんですかね?
エンジンの重さ次第で鈍足になってしまうのを考えると難しい判断ですね。
@@ぽん-r9k2o
コメントつけながら遅レス申し訳ありません。
常用出力は仰るニュアンスで合っております。巡航で連続可能な運転数の馬力、言葉にするとわかりづらいですね(笑)
私もカイザー様と同じように、劣る技術・工業力の中でよくぞここまでやったな、という想いがあります。かのドイツですら2000馬力クラスのレシプロエンジンには手を焼きまともに実用化できませんでしたからね(まぁドイツはジェットエンジンという実にエレガントな解答ありますが)。
@@かなしげ-n1x
↑
本当に造詣が深い方なんですね。もしかして現役のエンジニアの方ですか?
物資不足の日本では精一杯の性能だったのでしょう、海軍と違いとんでもない要求はしない陸軍は良いねパイロットの生存性も考えた防弾板など、バランスの取れた機体だね。
少ない技術蓄積の中、苦闘した若いエンジニアたちの姿を想像し感動しました。綺麗事なしなら 学ぶ=パクる であり、当時のエンジニアは国家存亡をかけて 学んでいた=パクっていた と思います。いまの中国みたいに。
主さんの技術、歴史への造詣の深さに感嘆しつつ、酔った頭でタイプする元エンジニアでした。。
パクるなら丸ぱくりでいいんだが日本人は凝り性ばかりだからパクるんでもよりよくしようと頑張るのが効率悪くする。 中国人はそこら辺の割り切りは冷酷だね、無責任とも言い換えられるが
誉エンジンの悪戦苦闘が戦後、かのスカイラインの伝説S20型エンジンに繋がるから中島飛行機のエンジニアのレガシィは確実に存在しますね
ちなみにハー40で死ぬほど苦労した川崎はそれをDD51型ディーゼル機関車の液体変速機開発に活かしてます。
三菱自動車には、「土星」を意味する「サターン」エンジンがありました。
知覧の四式戦を「元は飛べる状態だった〜」とか「翼をぶった切って(しかも実際は切られてない)〜」とか「杜撰な管理が〜」などなど身勝手な義憤に駆られて声高に言う人多いけど、実の所は「あんな本土の端っこで、しかも普段は写真撮影禁止とか俺たちの欲を満たせないじゃん!」ってのがマニア達の本音だろうな。そもそもそんな義憤に駆られてるマニア連中と同じ穴のムジナが部品を盗んでいってるわけだから。
ホント今の四式戦は良い終の住処を見つけたと思う。知覧でとても綺麗に保存されてるので一見の価値あり。
@@NV124KX660
知覧の記念館は菅原元将軍が中心となって作られた慰霊施設が母体ですからね。旧知覧町民も旧軍関係者とは良好な関係でしたし。良くありがちな「戦争反対・戦争犯罪の反省」みたいな思想に染まってないトコに展示されてるんですから今の四式戦は幸せだと思いますよ。
そもそも四式戦は飛行機であっても戦闘機。エリア88の真のセリフを借りるなら「戦闘機は闘いの無い空を飛ぶ機体じゃない」です。
京都の「嵐山美術館」にあった機体ですね。知覧に移動する際に、切断して運搬したと聞いていますが、嵐山にあった頃にはすでに飛行できない状態でした。
それは都市伝説です。 そんな事はありません。
飛燕の液冷エンジンで苦労したメカニックからも慣れ親しんだ空冷は歓迎されたでしょうね💡
まともに稼働すれば…
って言うやつですが、何か70年経った今のスバル車にまでそれを引き継いで居る様に感じます。
性能的には他社に無い面白く楽しい車を生み出す反面、不具合や謎の故障に苦しめられる事しばしば…
以前乗って居たインプレッサなんかそうでしたが新車で納車され1年ちょっとの間に次から次へと不具合が出て10回程度は整備工場行きでしたね。
調子良い時は本当楽しい車なんで手放せ無い訳で痛し痒しでした。
四式戦の稼働率の低さについては、動画で述べられているように、さまざまな原因が指摘されていますが、潤滑油の問題も重要な要因の一つだったと考えられます。高性能なエンジンを運用するには適切な潤滑油が不可欠ですが、日本軍の潤滑油供給は悪化の一途をたどっていました。一度使用した潤滑油を濾過しただけの「航空鉱油乙」も使用されていたようで、これを「誉」エンジンに使用した場合、焼き付きが発生する可能性が高かったと考えられます。
さらに、兵站を維持できないような作戦を立てた結果、兵士を餓死させる事態を招き、それに伴って徴兵が増加し、生産力は一層低下していきました。このような状況下では、生産力が落ち込む中で高性能なエンジンの精度を維持することは極めて困難だったのではないでしょうか。
うまく言えないのですが、一昔前の架空戦記のここが足りなかったので本来の性能が出せなかった!みたいな判官贔屓のようなのが無い、ある意味冷徹な性能評価がとても良い解説だと思います。
最後まで見終えてその後皆さんのコメントも拝見しましたが、良い動画には良いコメントが集まるのだなぁと思いました♪
短所ばかりクローズされがちですけどまあ満足できる性能があり量産性(機体の)が高いのである程度数も揃えられ何にもまして間に合った兵器紫電改烈風等よりよほど良い機体だと思います。
素晴らしい解説どうもありがとうございました!
このチャンネルは最高ですね、次回も期待しております(^^)
UPありがとうございます。
Egの設計を優先し、生産性と予備パーツの供給不足。
整備性を考慮したのが救い。
基礎工業力不足がすべてだわな。
ここまで客観的に詳しく解説出来るなんて凄い事だと思います。周知の僅かな知識で変に持ち上げたり、自虐的でもない。
疾風開発の話で「わざと操舵を重くした」となんかで読んだ事がある。
軽いと空中分解の危険があり、それの補強で機体が重くなる悪循環に陥るとかなんとか、あとプロペラ直径を抑えて加速力と脚の長さも抑えてあるとか。その反面最高速度が少し犠牲になってるとも。
「世界の傑作機」だったかな。 ただプロペラ径はもう少し・・・
疾風派と紫電改派はきのこたけのこ戦争並にわかれるよね
隼派です(新派閥)
九九艦爆は脚がかわいいのよ(瑞鳳)
初期彗星すき
ここまで疾風も紫電改も無し
最新技術(当時)モリモリのキ64が好きです
どうせ後半は艦載する必要がないし、5式か疾風か紫電改のどれかに陸海問わず一本化して集中して作った方がよかったんじゃないかな(後出し結果論)
二本軍にそんな柔軟性を期待してはならない(非情)
五式戦は首無し飛燕がたくさんあったので、信頼性のある1500馬力級の金星と組み合わせるのは理に適っている。
疾風と紫電改は選択と集中をするか、局地戦を疾風に、艦載機を紫電改にするというように、陸海軍別で同じエンジンの局地戦を作らないようにした方がよかったかもしれない。
バランスが良く美しい形の垂直尾翼
実物が見たくて鹿児島旅行の時
鹿児島市内からバスに90分乗車し
知覧特攻平和会館まで見に行きました
疾風は一番カッコいい日本軍機だと思ってます。タミヤの48のプラモデル作って色んな角度からながめた思い出。
同感、まさに今手元にあります。
鍾馗、疾風ときたら、次は隼の紹介をしてほしいな〜
やっぱり3000機作れたのはなんか別格に期待されてるよなぁ。
まぁ下手をすればずっと零戦だけの海軍よりは陸軍パイロットは恵まれてるのかもしれない。
機体に合わせた職人気質気味な日本の航空パイロット、中でも海軍パイロットは陸軍パイロットを馬鹿にするくらいには職人気質っぽいけど、士官パイロットの数とかでも見えるけど思っている以上に陸軍航空隊は欧米よりの空軍よね。
大きな流れに必死に抗っているようで胸が痛い…
後期に出てくる制式戦闘機としては一番ましかな?
「疾風ができてきた時、なぜか私に乗ってみろという話になった」と、大叔父が言っていました。それまでにない複雑な機構で、いざ降りようとした時、脚を出せなかったので胴体着陸で降りたそうです。「せっかくの新機を一機、つぶしてしまったが、怒られもしなかった。説明もしないで飛ばした上官が悪いんだから仕方ない」だそうです。彼は開戦時からの戦闘機乗りで、戦争末期には帝都防空隊で飛燕に乗ってB29を迎撃。その後、満州士官学校の教官として赴任していたところ、終戦でソ連の侵攻にあって、シベリア・ウズベキスタンと抑留されて帰ってきました。
疾風及び誉エンジンは、困難な時代と基礎技術の不完全さを鑑みても、一定の成功と呼べると考えます。
後に、1970年代以降の「軽薄短小」の物作りコンセプトを先取りした感もあります。
総てに、惜しむらくはって付言が付きますけど、出来る事を出来る範囲を超えて完成させた存在と呼べる‼️
レーシングエンジンであって、軍用エンジンじゃなかった
日本軍に対しては徹底的に辛口なこのチャンネルにしては、珍しく高く評価された機体ですね
『われわれの設計した飛行機で、亡くなった方もたくさんあることを思うと、いまさらキ27がよかったとかキ84どうだったと書く気にはなりません』
某堀○技師なんかは余裕で自分の設計した以外の日本機、発動機をこき下ろしていまして・・・
エンジンの開発がいかに難しいか…
ロケットでも日本はアメリカの技術供与がなければまじで不可能だった。
それだけエンジンはあらゆる技術の粋を集めたもの。
戦争に勝つためにも無理してでも大馬力戦闘機を作らなけらばならないのは理解しなければならないのだろう。
エンジンとして形作っただけでも十分難しいことなんだよ。
アメリカのロケットなんてドイツからフォンブラウン引き抜いたお陰でしょ。
24分もの動画の編集ご苦労様でした😉
4式戦は全体の姿形に締りがなく、スペック倒れの凡庸機という印象があります。
一撃離脱戦を想定した割に、(墜落防止のため)突っ込むと機首が上がって降下を続けられず敵機を追いかけられないとか、トホホな逸話もあります。それが「何をやらせても出来るが、何をやらせても大したことのない機体」という評価に集約されている気がします。
同じエンジンでも紫電改はかなりの空戦性能があり、またキ100の方がエンジンは非力なのに「1機でキ84三機に勝る」と言われてしまうのは、数字では表せない戦闘機として重要な「何か」が欠けていたのではと思えます。
スペック上は高性能な(はずな)のに実際の戦闘で弱いのは、現代機ではユーロファイター・タイフーン に似ていると感じます。推力重量比・維持旋回率等の「数字」で優位なはずなのに、ラファールとの格闘戦で10戦全敗を喫した時も、勝敗を分けたのは「センサーフュージョンによるパイロットの状況認識」「PESAレーダーの走査速度」「フライバイワイヤの優秀性」「推力重量比の不利を覆す高い空力性能」等、数値化が難しく、実機での戦闘経験がなければ重要性に気付きにくい要因でした。
過給機付きレシプロ航空機エンジンは 理論上、ブーストを上げれば比例的に出力もアップしますから、より高ブーストでエンジンを回せるハイオク燃料は 必需品であったと言っても過言ではなかったと思います。日米関係の雲行きが怪しくなっても、我が国は 外国(米国)に全面的に高オクタン値航空燃料を頼るという有様です。そんな中、100オクタン燃料使用をベースとして設計され、圧縮比アップ、エンジン回転速度アップ、ブースト値アップのハー45は 他の問題が一切なくても、スペック上のパフォーマンスを低オクタン燃料で発揮するのは当然困難で、このエンジンはこの問題の象徴とも言えます。デェスレイ光線兵器やエグイ731部隊の生物兵器に金と他の開発リソースを雨あられの様に投入する前に、100+オクタン航空燃料自造を先ず軌道に乗せる必要があったと感じています。
ハ45を最大出力で運用できたのは、パレンバン近郊に駐屯し、刈谷大尉クラスの整備士を抱え、豊富に予備部品を保有していた場合ですね。
実際のパレンバン近郊の航空部隊は隼か飛燕装備で、部品に乏しい部隊が多いですね。
一方、本土防空に従事していれば、燃料の質に問題有りで、部品の供給は前線よりマシ、といったところ。
現実は中島と陸軍航空審査部位しか扱えない、と言ったところでしょうか。
@@ルレックス 返信ありがとうございます。インドネシア原油は 日本にとって幸いにも航空燃料を製造するのに適したタイプで、遅れていた当時の我が国の石油化学技術でも89~93オクタンの燃料が精製出来たらしいです。やはりネックは 本土への運搬ですね。
@@kojimasukura3493 タンカーは、行きの空ブネは無視して帰りの満タンのフネだけが狙われたらしい
何気に栗田艦隊の反転が正しかったと思う理由が気になる
それと最初の方にあった鍾馗の写真の後ろに九六戦いるよね
あのとき海軍が壊滅してたらアメリカ軍がただでさえ好き勝手動いてるのに更に好き勝手動きだすからってことじゃね?
@@yatousenpai
ただでさえ好き勝手に動かれてるなら、海軍壊滅しても何も変わらんやろ。
命令自体が中途半端だったので、途中で空母追い回したりして突入のチャンスを失った
スマートな機体デザインに4枚ペラ…
陸軍機好きの双璧は飛燕と疾風が鉄板かな😆
昔、発売されてたF4UかF6Fに「2000馬力級エンジンには、少なくとも直径4mクラスのプロペラが必要で、疾風にしろ紫電改にしろ小さ過ぎた」と書いてありました。
イカロス出版の陸軍機特集の本だったかな?自分も読みました。なんでコルセアがあのような機体形状になったかというと、ご指摘の通り、プロペラ直径を稼ぎたかったから。(そのせいで主脚に問題が生じたけど…)ちなみに四式戦のプロペラ直径は3.1m。ちっさいね。主脚トラブルを恐れ、直径の大きなペラの採用は見送られたらしいです。
@@ちゃむピョロン 彩雲の設計時に戦闘機より大径のプロペラ積んで大丈夫かな?って悩んだらしい
零戦は英雄ジーク王の名をとりジーク、疾風は敵機ネーミング担当者自身の名前をとりフランク、共に敵国より実力を評価され敬意有る名前を与えられた名機だと思います。個人的には陸軍機では5式が好きですが日本最高性能な戦闘機だったと思います。
疾風のキャノピーが隼や鍾馗より後方に位置してるのは…下方視界を確保するためだよね。
主桁に超々ジュラルミンを採用出来たら主翼に20㎜機関砲を2✖2丁装備できたし、さもなくば主脚の位置を翼端側へ配置できるから四枚プロペラをもっと大口径に出来たのかもしれない。
最後の所のBGMはなんていうんですか?
某惑星では音速を出せる戦闘機達と戦っているってヤベーな
ミグと戦うスカイレーダー
当時の日本では、P-51Dがあってもスピットファイアがあっても
どれも整備不十分になっただろうしなあ
曾祖父が疾風乗りでした(謎定期)
高出力エンジンもプロペラも、そもそも冶金技術の時点で何もかも技術レベル低かった日本で、
連合各国の名機に引けを取らないこれだけ優秀な戦闘機を作ったという開発者には本当に頭が下がります。
なお、アメリカもR-3350(B-29のエンジン)の稼働率と不具合に終戦まで悩まされたが、「壊れたならまた作ればいいじゃない!」で乗り切った模様。
物量の違いなんですかね
ワオー。疾風乗りの親戚の方ですか❗当たり外れがあった機体を操ったのですね。頭が下がります。
海軍も紫電、紫電改なんか止めて、疾風に1本化しとけば良かったのにと思う。
でもそうなると例のアレ付けろとかで足を引っ張られて駄作機化する未来も見えるのが嫌すぎるorz
まずは俗にいうネジの規格から統一すべきですよね、あの話は。陸と海ではネジの向きが逆で、同じエンジンでも互換性が皆無またはほとんど無かったと言われていますし。
次に銃砲類の弾薬の共通化。例えばなぜ航空機用の20mmだけで最大3つも使っているんだ?と。
@@ルレックス 陸と海ではネジの向きが逆で、という事実はさすがにないです、W
部品の工作機械は米国製で、1000馬力級の栄エンジンでは十分な精度を維持出来たのですが、2000馬力級となると1000馬力級とはけた違いの部品精度を求められ、それは無理だった。結局熟練工が手作業で一つずつ精度を出すしかなく工程から熟練工が兵隊に取られていなくなるとそれも難しくなった。精度の甘い部品でエンジンを組むと、ガスケットの質が悪いこともあってオイル漏れがひどかった。操縦席の窓は油汚れで真っ黒になったらしい。米国の2000馬力級エンジンを造った高精度な工作機械は戦略物資として戦前でも輸出禁止されてたため、日本は輸入できなかった。
ドイツからは独ソ戦争が始まってシベリア鉄道が使えなくなり工作機械が輸入出来なくなった。
いいよなぁ四式戦闘機は…それに比べて四式中戦車は…
@@呑龍ハルカ チヌ改・チト・チリ
「嫌です…」
@@呑龍ハルカ 一方ヨーロッパの同盟国は逆をやった(アハトアハト)
形だけは日本製ww2戦車の中で一番好きです。尚戦果は…。
4:20のbgmってなんと言う曲ですか?
教えていただけたら幸いです。
カレンデュラです
@@北海道旅客鉄道会社を そうなんですね、ありがとうございます(´▽`)
47戦隊の稼働率は有名ですね。
整備班長の考えで時限交換により稼働率を上げたと聞いてます。
現在の航空会社もやはり時限交換して居ると聞きます。
内地と外地の差が大きく出てしまいますね😰
244戦隊にしても同じで内地で在るだけに交換部品については問題が無かったと聞いたことが在ります…
47 . 244戦隊と云う防空戦隊だからこそ、優先されたのでしょうが😥
戦後、米国でのテストで120オクタン燃料と高品質オイル使用で682キロの速度が出たのは有名な話ですね。願わくば、知覧特攻平和会館に在る疾風が飛行可能状態にして欲しいですね。
但し米軍の試験ではプラグも米国仕様に交換してます。
40~50年前宇都宮自衛隊基地に里帰りした疾風を見ました。このとき飛行したのを思い出しました。父が陸軍航空隊だったので一緒に見ました。
その後聞いた話では胴体を切断して飛べなくなったと聞きました。どこかの博物館に展示されているのでしょうね。当時撮影した写真を見て思い出しました。
それは都市伝説です。 切断なんてされていません。 正規の方法で分解して運ばれました。
7:08 米軍機の防弾鋼板が12.7ミリ(3インチ)になっているけど、3インチなら76.2ミリでしょう。さすがにそこまでやったら戦車並みなので1/2インチかな?
やっぱり補給って大事
わかりやすい!
ありがとうございました!
陸軍の飛行機への要求は割と手堅いですね。海軍とは大違いだw 重戦と軽戦の考えがあったからまだ良かったのかもしれませんね。1式2式の正式な後継機として見た目も日本機らしさが出てて好きな機体です。
その代わりというか、ろくに考えもせず試作機の開発命令乱発してメーカーの設計者を疲労困憊させていましたけどね。
海軍は、迎撃機として上昇力重視で開発した雷電で、格闘戦をしようとするなど、搭乗員の意識が切り替えられなかったところが陸軍と違ったのでしょう。
いやあ面白かった! ありがとうございます。 やっぱりハ45の実質出力は1600馬力だったんですね。 これで燃料と機銃弾積んで時速600キロでる四式戦は凄い。
(恐らく運転制限解除後の)疾風は調子が良ければ戦闘重量で650-60km/h出たそうですよ
@@呑龍ハルカ その数十年後にロケットに使われる技術で草
@@呑龍ハルカ 酸素魚雷だったか
別ににほんさいきょーとか言うつもりは無いけど酸素魚雷は当時の日本が世界に誇っていい技術だよね
@@ホモサピエンス-x9q そのデータも確か運転制限ありでテストしてる
@@こめつぷ さん
酸素魚雷は射程距離や雷速は優れていたけれど、起爆装置に問題があり、航走中に爆発したり、敵艦を捉えているのに爆発しないなどのトラブルが続出しています。
また自慢の長射程も、遠距離からの雷撃では命中しないため、どこまで有効かは疑問が残ります。
その上、危険な酸素を使用し、さらに炸薬量が多いため、誘爆による艦船の沈没にもつながっていました。
他国はそこまで酸素魚雷に必要性を感じていなかったという面もあります。
ちなみに雷跡の出ない魚雷としては、ドイツは電動による魚雷を実用化しています。
アメリカのツインワスプと比較して、直径・重量で相当小さいのだから、どっかにシワ寄せが来る。そこがつらいのう。
8:57 設計ミスなのか?ケルメットの鉛が25%含まれてるべきところを20%しか含まれてなくて故障したんじゃなかったっけ
まあ、こなんなモノですらまともに作れない時点で先行き怪しいけどね
日本の航空機開発で最後までネックだったのはエンジンでしたね…
そもそもエンジンを自国開発できるだけで凄いんですがね…
誉は完璧なエンジンではなかったですけど、小型、軽量、高性能という現在の日本が得意とする技術の先駆けとなったのではないでしょうか。まぁ戦場で使用するには不向きですけどね。内地の整備隊は驚異的な頑張りだったと思います。
はぇ〜…燃料の質とかよくわからなかったけど、英本土防空隊のマーリンに150オクタン価をぶち込んでたのはすごいことだったんやなぁ…
リクエストですが、Me109かMe110の解説動画をお願いします。
自分は知覧で実物の疾風を間近で見た時、紫電改やヘルネコに機体形状が似ている気がすると思いました。国は違えども技術者達が考える先は似たような物になるんだなって
そりゃまあ、物理法則に国境はないわけですからね
現代もF15とSu27なんかは、形が似ていますね。一昔前のT-2とジャギュアがそっくりでした。
アメリカはP-47を1941年(昭和16年)の9月に開発完了し、この時点で2000馬力級エンジンを実用化していて、同時期の日本は1500馬力エンジンの開発に四苦八苦してたんですね。こんなに差があったとは。
でも意外に陸軍は海軍より、想像以上に次期戦闘機の開発に熱心だった感じがする。
それにしても、当時の技術者も軍も星型空冷エンジンの正面投影面積にこだわるなぁ。
そもそも様々な技術も足りないのにコンパクトで高出力のエンジン開発を目指さない方が良かったと思う。
コンパクトにしたせいで隙間が狭くなり、冷却、耐久性・メンテナンス性・改善の余地などイロイロ問題が起き、解決もやりにくくなったじゃん。
もっとも、こういうところが開発ノウハウの蓄積の差なのだろう。
さらにプロペラさえ、まともに開発・生産も困難なレベルだったとは。ところで黒江少佐って、色んなところで現れますね。
それでも「日米の基礎技術に大差はない」と書き込む人がいました。残念ながら航空機技術は英米には劣っていましまた。2段2速スーパーチャージャー付きマーリン/グリフォンエンジンや実用化されたターボチャージャーや液体/気体式耐gスーツ ジャイロ式照準器等と比較して我が国の空戦フラップが霞むほど技術差がある。今後我々ができるのはひたすら勤勉に研究と開発する事です。
@@donaldminion3462 漏れないパッキンとか
馬力が2倍になっても速度は2の3乗根倍にしかならない。空気抵抗を減らす方が有効で、液冷がものにできない以上、投影面積にこだわるのは当然。
@@jx6004 とノウハウが足りず拘った為、冷却不足等の不具合と安定した大馬力エンジンを供給できず惨敗。
大型機用の火星でさえWP-R2800の直径より小さい。
@@zubizuberpapa 雷電の開発を始めたころの火星は1400馬力しか出ていませんよ。それでも空気抵抗減らすためにシャフトを延長してカウリングの先を絞ろうとした。結局それが原因で起きた振動問題を解決できずに開発が遅れ、実用になったころには国内に攻め込まれていた。疾風は戦場が国外の時点で投入できたのだから、どちらが役に立ったかは明白。
小さい頃は零戦信者だったけど、この動画シリーズで「陸軍機も結構すごいな」と知りました。ありがとうございます。
まあそりゃあね?米や独と比べちゃうとアレだけどね?
途中でエンジン生産の下請け供給体制の話が出てきましたが、末期になると都市部の大空襲で消滅した下請け工場とかもたくさんあったんですかね涙
多分下町でも軍需産業を支えた小さい工場もたくさんあっただろうし
この辺りはエンジン開発の本とか太平洋戦争末期の生産体制の書籍を読むと出てきますかね
当時の技術者や開発者は疎開とかもあっただろうし、結果はともかく生産管理とか想像するだけでゾッとします涙
インターネットもFAXもない時代だから郵便と電話、メッセンジャーをフルに駆使して書類とかのやり取りしてたんですかね
疾風は隼の製造ラインを立川飛行機に譲渡してまで作った甲斐があったと思いますね。
蛇足ですが、10年前、日○の整備士養成校で零戦と隼三型の製造をしましたと説明を見たときは、馬鹿かこのパワポ作った奴は、ってなりましたね。
同じエンジンを積んだ紫電、紫電改はもう少し煮詰めれば良かったのかも。
日立では零戦を生産していますね。正確に言えば、零戦21型をベースに座席を追加した複座練習機バージョンですが。
隼は日産(に吸収されたプリンス自動車の前身の中島飛行機)が作った。
そのパワポの意図する所は発動機の話だったんでしょうね。
まあ日本軍向けにトラック作っていたと言うよりもウケが良いですからね、航空機は。
米軍は疾風の被害を受けて運用してたマスタングB/C型からキャノピー以外にも
細かい部分で改良され低高度寄りに調整された過給機のD型を要求してる
この結果高高度性能が悪い(但しあくまでも米軍機としては)
と言う評価に繋がってしまった。
臨時防空第502戦隊の話の時のイラスト、疾風じゃなくてキ87Ⅱじゃないですか?
間違いなくキ87-IIですね。
排気タービンが見えちゃってますし。
まぁ、隼鍾馗疾風の流れをちゃんと汲んだ機体なんで大間違いと言うわけでもありませんが…。
うp主が分かってないわけ無いだろw
イメージ画像だろ
国力・工業力に劣る以上、既存の安定した枯れた技術を駆使して、安定して生産するために、大幅な割り切りが必要なのでしょうか。
試作機・正式採用機あわせても、日本軍機は数が多すぎると思うのですが・・・
大本営が総合的な戦略立案・陸海軍の協働・調整の場でなく、またそのような機能を有していないのも拍車をかけたような気がします。
四式戦、零戦、紫電改に限らず、メッサーシュミットやフォッケウルフなど、名機ではあるのですが、負けた側の悲しさか、どこかに悲劇性というか、悲しさを感じてしまいますね。
高い加速力、異様な見た目で知名度の高い雷電も、海軍の局地戦闘機として、期待された紫電も冶金技術や、整備技術、エンジンシステムなどが足を引っ張って、活躍でなかったり、高い機動性、速力の早い陸上爆撃機の銀河や、艦上爆撃機の彗星は整備がしにくいと嫌われ、日本機は一種の芸術作品になってしまった故の悲しみを背負ってる気がする……。
もしかしたら、終戦ぎりぎりで初飛行をこなした震電、初飛行を控えて飛ぶことのできなかったキ-94Ⅱ、他にもペーパープランで雑誌などでは夢物語として語られる陣風、閃電も、日本の技術不足によって実現したとしても、満足行く結果にはならなかったのかもしれないね……。
最後のまとめが自分の考えとあんまり変わらないので安心しました、もっと落胆するかもって思ってました。
よく聞く話なんだけど、同じエンジンの紫電改は
回転数制限があって、それを無視してエンジンを回せば
水平速度で640キロは出たと、最近の戦記本に書いてあるが、
あのずんぐりした胴体でとても、そんな速度がでるようには
とても見えないんだが、逆に言うなら紫電改が
640キロ出るなら、空力的に紫電改よりも
優れている疾風なら、もっと速度がでてもいいと思うのだが?
紫電改640キロ説は、本当なのでしょうか?
空気抵抗の抗力を考えたら300~400馬力増して40キロupは考えづらいですねぇ
誉の運転制限を解除した疾風乙型は、陸軍の計測値で660km/hを叩き出しています。
機体の空気抵抗の他にプロペラ径の関係もありますよ。
一式·二式·四式の中島機は陸軍の要求もあって加速性能重視の傾向があり、加速時に空力·パワーロスとプロペラ自体の空気抵抗の少ない小径のプロペラを採用しています。海軍機はトップスピードを取って大径プロペラを採用する傾向があったようです。零戦と隼が良い比較例でしょう。
@@呑龍ハルカ
疾風「当たり前や!俺を誰だと思ってんや!
大東亜決戦機やで。疾風組は構成員3500人
もとい、3500機おるんやで!どうだ」(笑)
失礼しました。
ずんぐりはしてるもののレイノズル数がまあまあ低くなるよう胴体形状に工夫が施されているので…
栗田艦隊の反転は、妥当ということでしたが、その理由が気になります。できれば、動画で解説してほしいです。
疾風まってました。
相変わらずの日本機ディス。でもこのディスには愛を感じます。
質問をお願いします。
> Bf109を筆頭にスピードファイターが…
ああいった速度性能重視の戦闘機をスピードファイターというようですが、逆に零戦とか隼みたいな旋回性能重視の戦闘機は何というのでしょうか。
@@ミドリ-g4y なるほど
@シゲのチャンネル ドッグファイターとも言うぞ
俺の一番好きな戦闘機だぁ(*´∇`*)
一応、米のマスタング、独のジェット戦闘機に次いで、列強国たるものの最後の意地を見せつけた機体だったよな。
これが登場して3000機も量産されてなかったら世界大戦の日本の戦力評価は1段階下だったとも言える
四式戦VS紫電改の精密な性能比較知りたいです。
速度と航続距離は疾風、運動性と火力と加速力は紫電改。特に疾風の火力不足は致命的。12.7ミリ機関銃改造のホ5なんてセコハン機関砲は使い物にならなかった。海軍の99式2号機関砲の方が威力あった。
@@KI-yk2nv さん
発射レートはホ5で弾丸威力は99式
但しホ5は機首搭載可能で実質モーターカノンをダブルで搭載しているのと同じになったそうです。
そういえば、世界で唯一残った飛べる状態の疾風はどうなったんだろ、長らく雨ざらしにされていたらしいけど
五式戦についても言えることですけど、どうしてもっと早く金星エンジン搭載機を実用化しなかったんだろうなあ・・・と思いますね。
数字的な性能は落ちるとしても稼働率は飛躍的に上がっただろうに。
金星エンジンが1500馬力になるのは戦争末期で、それ以前では1300馬力でしたから…
金星は50系が限界。
火星で1500馬力出していれば。
日本で最も優秀な戦闘機だったと思う。