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サムネの写真は二二六事件時の戒厳司令官だった香椎中将かな?
お疲れ様です😊
サムネは香椎浩平中将。
二・二六事件の時の写真やな
大変腑に落ちる解説の動画です。ありがとうございます。なるほど、このような土壌があったから兵隊の命を軽視するような官僚然とした軍人が生まれてしまったんですね……また、満州事変は陸軍内での「下剋上」を可能とする大チャンスになったわけで、そりゃあ陸軍が「暴走」するのも納得です。
帝国陸軍末期は25歳前後で佐官になる人まで出てきた。組織は勃興期と終末期で昇進が加速度的に早くなる。
終戦時は本土決戦準備でかなり、部隊を作らなければならないので、そうなるんでしょうね?
叔父も中尉だったですが、敗戦でこれまでのキャリア否定で食うに困った世代…でも今の老人比べて昭和期の老人だった明治大正生まれは柔軟な思考持っていたと思います。親がs18産まれですが新しいモン拒否困ったものです。叔父はホント何でもするって感じでした。
敗戦直前でも流石に少将は皇族と死後昇進以外は42以降にならないとなれなかったらしい
旧陸軍の場合、大佐と新品少尉で給料に五倍近い差があった(自衛隊の場合は勤続年数にもよるが新品の3尉と1佐でも倍程度)という問題が…
空挺隊員で2等陸佐が落下傘降下して一回の落下傘手当ての金額が2等陸士の1ヶ月分の給料と同じ
何が問題なのかww公務員なんだし倍額でも贅沢
むしろ、「出世しないと早期退職」というのもセットであった。また、「幼年学校→士官学校コース」での教育が偏っているため、軍の外では食ぅ術がない」という…。学校付き将校制度をもっと早く導入してたら、意外と皆幸せになれてたのかもしれない。日露戦争時の年度の士官学校卒業者異常に多くなってる問題とかも面白い。
陸軍4個師団削減問題(宇垣軍縮)や海軍軍縮問題(ワシントン・ロンドン体制)への反対運動が反政府運動にまで発展していったと論じている歴史学者もいらっしゃいますね。(簡単にいえば任官ポストの減少と予備役編入の前倒しによる給与・恩給受給額の減少という経済的問題に着目した議論)
確か、大正14年5月1日をもって、陸軍の4個師団が廃止されました。宇垣さんはそのために、陸軍大臣を長く勤められましたが、首相候補になったとき、陸軍大臣を得る事が出来ず、内閣は流産しましたね。実はこの時、廃止する師団は、4個ではなくて、6個だったという計画があったそうです。
陸軍は士官学校の卒業成績では無く陸軍大学校合格で出世が決まり、海軍では海軍大学校に入らなくても海軍兵学校の卒業成績で出世が決まって居たが、どちらが良かったのだろうか?
ただ、陸軍士官学校を各期上位100人位に入らないと、各連隊長から陸大受験の推薦は受けられないと思います。海軍兵学校のハンモックナンバーは卒業したら、ほとんど、変化がないみたいですね。大体20年位経っても、せいぜい、5人抜き、10人抜きするのがやっとだそうですから、昇進も大変だったと思います。海軍大学校に行くのが一番のチャンスですが、ここも、兵学校の成績が基準になると思いますよ。海軍の場合は上位何番までかは分かりませんが。後は、海軍では、兵学校卒業期の中には、大将を輩出していない期が多いですね。
73motoさんへ終戦工作で有名な高木惣吉海軍少将の様な海大で優秀、一発逆転で将官もあった。もっとも彼は正規学歴は田舎の人吉尋常小学校卒だけで海兵に合格した稀有うな人材で、他にこんな人は例がなく参考にならないが。
@@taroukuma7125 海軍兵学校を最下位で卒業して潜水艦乗りになった木梨鷹一少将は潜水艦伊19の艦長で空母ワスプを撃沈し最期は潜水艦伊29の艦長で撃沈されて戦死し、二階級特進で兵学校同期では一番上の階級だった。
@@73moto その一期前、海兵50期の吉川潔もハンモックナンバーはドベに近かったが、駆逐艦乗りとして多くの殊勲を立てた為、戦死時に二階級特進してクラス初の少将となった。翌年に同期の松村寛治が中将(これも戦死)となるまでクラストップだった由だが、海軍内部では「勇気は成績と関係なし」との例によく引かれたらしいから、海兵のハンモックナンバーの病理も結構根強いものだとは言えるのかと。同じ50期には安久栄太郎もいた。フネから下りている時はいつも酒を飲んでいたとか、泥酔状態で出港したとか色々の噂のある人で、実際何度も進級に影響があったらしいが、潜水艦乗りとしての腕は確かで、終戦の年に戦死して少将となった。
@@taroukuma7125 あまり、海上勤務もない人だったらしいですから、戦争でもない限り、少将止まりだったと思います。
自分の出世のために国民全員死にくされ て言ってた人たち
軍人が役人化して役人が政治屋になって日本は戦争に負けた。
50代で定年で娑婆に放り出された予備自衛官の自分からしても今の自衛隊も組織として停滞してますからね。高卒2士からSLCで曹長から一応幹部にはなりましたが、正直1佐(Ⅰ)か将官でもならん限りは再就職は曹も幹部も使えないオジサン扱いで低賃金仕事しか無い点は変わらん。元中隊長の先輩はコンビニ定員やってます。それでも、生活はできたので、比較的平和な世の中あった事には感謝。
一方、海軍はどうだったんかな?
陸大卒業の証の天保銭は形が江戸時代の天保銭と似て居て天保銭が発行されたが、天保銭では百文となって居たが質が悪く大量に発行されて値打ちが無く買い物で額面の百文で引き取って貰えず、百文に少し足りない、そこで少し足りない人間を天保銭と言う様になり天保銭の揶揄は昭和初期まで死語に成らなかったそうで、陸大卒業した将校が部隊指揮をして運用が下手で無天の士官や下士官兵から勉強だけ出来て頭でっかちで指揮能力が無能で天保銭と影で揶揄した。
今も昔も出世しなければいい仕事は出来ないのは変わらない、大きな組織になればなるほどその傾向は強い公僕や特殊法人を除けば優秀さが出世に繋がるので仕事が出来る=出世となる軍隊の場合は主席や次席以外の場合は縁故や引きに頼るしかなく派閥作りの温床に仕事が出来るのに出世しないというのは幻想
陸海軍の三長官を初めとする要職を歴任し、元帥にまで上り詰めた上原勇作、永野修身、杉山元も首席クラスでしたもんね‼︎
違う
今の司法書士会計士弁護士試験みたいだぁ
陸大進学に苦労し、成績も芳しくなかった板垣征四郎、東條英機、阿南惟幾が何気に大将昇進を果たし、大臣にまで上り詰めている事実‼︎ 学校や組織問わず在学時はもちろんのこと、卒業後の努力も大切なのだとつくづく思う‼︎
板垣、東條は、永田鉄山の双葉会に属していた軍人ですから、ある程度はその会の影響で出世しました。
見どころのある若手将校には、陸大受験勉強の為に「士官学校馬術教官」の様な「人も羨む閑職」を用意してやることはママあった由で、阿南も「幼年学校生徒監」なる配置につけてもらったのですが、マジメ人間の阿南は「国軍の骨幹たる生徒を養成する大任を任された」と一切手を抜かずに指導した為に受験勉強が進まず、3回落ちて4回目で合格(4回落ちると受験資格が無くなる)したのだとか。幼年学校生徒の方が、「生徒監殿が落ちたら我々のせいだ」と心配する有り様で、陸大合格が決まった折には幼年学校の生徒らが大喜びで阿南を胴上げしたと言われます。非常に誠実な人柄だった様です。今村均なども、寝小便を気にして睡眠不足になり、授業中によく寝ていたそうですが、「あの真面目な男がダラけた根性で寝るわけがない」と事情聴取を受け、以降居眠りを咎められなかったとも言われます。(今村は成績優秀だったらしいが)成績優秀者優遇として非難されることも多く、実際それでも仕方ないと思わせる面も多い陸大ですが、案外見るとこ見てるんだねという話もたまにあります。
確か、昭和5年頃で陸軍少佐位だと年俸は2300円から2400円だったと聞いています。これって、安いのかなあ?ちなみに民間では、帝大卒で、一流企業に務めている新卒生が月給で100~70円位の間ですけど、ボーナスがあったとされているので、ちょっと比較になりませんかね?
フォードの自動車が余裕で買える金額。田園調布の初期の家が4000円くらいで買えたそうですし
ゾウアザラシそのものゾウアザラシは現在進行形、7千万円違うのは何故?賄賂?
サムネの写真は二二六事件時の戒厳司令官だった香椎中将かな?
お疲れ様です😊
サムネは香椎浩平中将。
二・二六事件の時の写真やな
大変腑に落ちる解説の動画です。ありがとうございます。
なるほど、このような土壌があったから兵隊の命を軽視するような官僚然とした軍人が生まれてしまったんですね……
また、満州事変は陸軍内での「下剋上」を可能とする大チャンスになったわけで、そりゃあ陸軍が「暴走」するのも納得です。
帝国陸軍末期は25歳前後で佐官になる人まで出てきた。
組織は勃興期と終末期で昇進が加速度的に早くなる。
終戦時は本土決戦準備でかなり、部隊を作らなければならないので、そうなるんでしょうね?
叔父も中尉だったですが、敗戦でこれまでのキャリア否定で食うに困った世代…でも今の老人比べて昭和期の老人だった明治大正生まれは柔軟な思考持っていたと思います。親がs18産まれですが新しいモン拒否困ったものです。叔父はホント何でもするって感じでした。
敗戦直前でも流石に少将は皇族と死後昇進以外は42以降にならないとなれなかったらしい
旧陸軍の場合、大佐と新品少尉で給料に五倍近い差があった(自衛隊の場合は勤続年数にもよるが新品の3尉と1佐でも倍程度)という問題が…
空挺隊員で2等陸佐が落下傘降下して一回の落下傘手当ての金額が2等陸士の1ヶ月分の給料と同じ
何が問題なのかww
公務員なんだし倍額でも贅沢
むしろ、「出世しないと早期退職」というのもセットであった。
また、「幼年学校→士官学校コース」での教育が偏っているため、軍の外では食ぅ術がない」という…。
学校付き将校制度をもっと早く導入してたら、意外と皆幸せになれてたのかもしれない。
日露戦争時の年度の士官学校卒業者異常に多くなってる問題とかも面白い。
陸軍4個師団削減問題(宇垣軍縮)や海軍軍縮問題(ワシントン・ロンドン体制)への反対運動が反政府運動にまで発展していったと論じている歴史学者もいらっしゃいますね。
(簡単にいえば任官ポストの減少と予備役編入の前倒しによる給与・恩給受給額の減少という経済的問題に着目した議論)
確か、大正14年5月1日をもって、陸軍の4個師団が廃止されました。宇垣さんはそのために、陸軍大臣を長く勤められましたが、首相候補になったとき、陸軍大臣を得る事が出来ず、内閣は流産しましたね。実はこの時、廃止する師団は、4個ではなくて、6個だったという計画があったそうです。
陸軍は士官学校の卒業成績では無く陸軍大学校合格で出世が決まり、海軍では海軍大学校に入らなくても海軍兵学校の卒業成績で出世が決まって居たが、どちらが良かったのだろうか?
ただ、陸軍士官学校を各期上位100人位に入らないと、各連隊長から陸大受験の推薦は受けられないと思います。海軍兵学校のハンモックナンバーは卒業したら、ほとんど、変化がないみたいですね。大体20年位経っても、せいぜい、5人抜き、10人抜きするのがやっとだそうですから、昇進も大変だったと思います。海軍大学校に行くのが一番のチャンスですが、ここも、兵学校の成績が基準になると思いますよ。海軍の場合は上位何番までかは分かりませんが。後は、海軍では、兵学校卒業期の中には、大将を輩出していない期が多いですね。
73motoさんへ
終戦工作で有名な高木惣吉海軍少将の様な海大で優秀、一発逆転で将官もあった。もっとも彼は正規学歴は田舎の人吉尋常小学校卒だけで海兵に合格した稀有うな人材で、他にこんな人は例がなく参考にならないが。
@@taroukuma7125 海軍兵学校を最下位で卒業して潜水艦乗りになった木梨鷹一少将は潜水艦伊19の艦長で空母ワスプを撃沈し最期は潜水艦伊29の艦長で撃沈されて戦死し、二階級特進で兵学校同期では一番上の階級だった。
@@73moto
その一期前、海兵50期の吉川潔もハンモックナンバーはドベに近かったが、駆逐艦乗りとして多くの殊勲を立てた為、戦死時に二階級特進してクラス初の少将となった。
翌年に同期の松村寛治が中将(これも戦死)となるまでクラストップだった由だが、海軍内部では
「勇気は成績と関係なし」
との例によく引かれたらしいから、海兵のハンモックナンバーの病理も結構根強いものだとは言えるのかと。
同じ50期には安久栄太郎もいた。
フネから下りている時はいつも酒を飲んでいたとか、泥酔状態で出港したとか色々の噂のある人で、実際何度も進級に影響があったらしいが、潜水艦乗りとしての腕は確かで、終戦の年に戦死して少将となった。
@@taroukuma7125 あまり、海上勤務もない人だったらしいですから、戦争でもない限り、少将止まりだったと思います。
自分の出世のために国民全員死にくされ て言ってた人たち
軍人が役人化して役人が政治屋になって日本は戦争に負けた。
50代で定年で娑婆に放り出された予備自衛官の自分からしても今の自衛隊も組織として停滞してますからね。高卒2士からSLCで曹長から一応幹部にはなりましたが、正直1佐(Ⅰ)か将官でもならん限りは再就職は曹も幹部も使えないオジサン扱いで低賃金仕事しか無い点は変わらん。元中隊長の先輩はコンビニ定員やってます。それでも、生活はできたので、比較的平和な世の中あった事には感謝。
一方、海軍はどうだったんかな?
陸大卒業の証の天保銭は形が江戸時代の天保銭と似て居て天保銭が発行されたが、天保銭では百文となって居たが質が悪く大量に発行されて値打ちが無く買い物で額面の百文で引き取って貰えず、百文に少し足りない、そこで少し足りない人間を天保銭と言う様になり天保銭の揶揄は昭和初期まで死語に成らなかったそうで、陸大卒業した将校が部隊指揮をして運用が下手で無天の士官や下士官兵から勉強だけ出来て頭でっかちで指揮能力が無能で天保銭と影で揶揄した。
今も昔も出世しなければいい仕事は出来ないのは変わらない、大きな組織になればなるほどその傾向は強い
公僕や特殊法人を除けば優秀さが出世に繋がるので仕事が出来る=出世となる
軍隊の場合は主席や次席以外の場合は縁故や引きに頼るしかなく派閥作りの温床に
仕事が出来るのに出世しないというのは幻想
陸海軍の三長官を初めとする要職を歴任し、元帥にまで上り詰めた上原勇作、永野修身、杉山元も首席クラスでしたもんね‼︎
違う
今の司法書士会計士弁護士試験みたいだぁ
陸大進学に苦労し、成績も芳しくなかった板垣征四郎、東條英機、阿南惟幾が何気に大将昇進を果たし、大臣にまで上り詰めている事実‼︎
学校や組織問わず在学時はもちろんのこと、卒業後の努力も大切なのだとつくづく思う‼︎
板垣、東條は、永田鉄山の双葉会に属していた軍人ですから、ある程度はその会の影響で出世しました。
見どころのある若手将校には、陸大受験勉強の為に「士官学校馬術教官」の様な「人も羨む閑職」を用意してやることはママあった由で、阿南も「幼年学校生徒監」なる配置につけてもらったのですが、マジメ人間の阿南は
「国軍の骨幹たる生徒を養成する大任を任された」
と一切手を抜かずに指導した為に受験勉強が進まず、3回落ちて4回目で合格(4回落ちると受験資格が無くなる)したのだとか。
幼年学校生徒の方が、
「生徒監殿が落ちたら我々のせいだ」
と心配する有り様で、陸大合格が決まった折には幼年学校の生徒らが大喜びで阿南を胴上げしたと言われます。
非常に誠実な人柄だった様です。
今村均なども、寝小便を気にして睡眠不足になり、授業中によく寝ていたそうですが、
「あの真面目な男がダラけた根性で寝るわけがない」
と事情聴取を受け、以降居眠りを咎められなかったとも言われます。
(今村は成績優秀だったらしいが)
成績優秀者優遇として非難されることも多く、実際それでも仕方ないと思わせる面も多い陸大ですが、案外見るとこ見てるんだねという話もたまにあります。
確か、昭和5年頃で陸軍少佐位だと年俸は2300円から2400円だったと聞いています。これって、安いのかなあ?ちなみに民間では、帝大卒で、一流企業に務めている新卒生が月給で100~70円位の間ですけど、ボーナスがあったとされているので、ちょっと比較になりませんかね?
フォードの自動車が余裕で買える金額。田園調布の初期の家が4000円くらいで買えたそうですし
ゾウアザラシそのもの
ゾウアザラシは現在進行形、
7千万円違うのは何故?賄賂?