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あれな皇帝は動画が何本もあるのに、まともな皇帝は一本に収まってしまうという。さすが明。
普通の優等生はこんな風に優等生だった、で大体片付くけど、ヤバイ皇帝は歴史に残る大事件についての解説と、その害悪の結果被害者がどうなったか、まで語らないといけないことの差ですかね。
実は暗君とか暴君の方が後世の我々の方が見ていて面白いからというのもあるのではと思います😅
明の名君、後漢の長寿皇帝、清の暗君は数が比較的少なくて希少ですからね
すげえ!珍しく名君特集やったと思ったら別のチャンネルで暗君特集やってた!ようつべ開いた途端にサムネだけでテンション爆上がりしてしまったw
明朝は様々な闇を抱えた王朝だったが、漢人の王朝として現代まで非常に高い権威を有している。特に次代の清が征服王朝であった為、後世からの憧憬も強かった。辛亥革命で清朝を倒した孫文は、太祖朱元璋の孝陵にて漢民族が天下を取り戻したことを報告している。またその威光は周辺諸国に及び、特に李氏朝鮮では清の時代になっても明を真の宗主と崇めて密かに敬慕した。朝鮮の儒学者の中には崇禎や永暦といった明朝最後の元号(永暦は南明の元号)を使用し続けたり、明滅亡後は自分たちが明朝(中華)の正統な後継者であるという小中華思想を持つ人々もいた。現代中国人も明朝を尊崇して明代の服装で祭祀を行ったり、また政府も鄭和の活躍を一帯一路の権威付けに宣伝したりしている。確かに明朝の歴代皇帝は名君が多かった清朝には及ばないものの、このように中華を代表する王朝なのである。従ってその明朝を繁栄させた名君は中国人にとって比類なき存在といえる。私は昨年東京国立博物館で開催された『琉球王国展』にて、弘治帝が自身の登極を琉球王に知らせる国書を見たが、龍を透かした紙に「廣運之寶」という印章が押されたそれは見事なものであり、大明の威光に圧倒されてしまった。ちなみに当時の琉球国中山王は尚真王であり、彼は琉球随一の名君であった。歴史とは面白いもので外国同士で名君が同時に出現したり、逆に同時に混乱が起こったりするものだ。弘治中興は中国のみならず広く東アジアの黄金時代だったのかもしれない。
7:20 仁君過ぎて涙がで、出ますよ
名君の紹介ありがとうございます。これは御礼の品を差し上げなくては。嘉靖帝の宮中からの選りすぐりの料理人と薬師を呼び寄せ、きらびやかな宮廷料理と金丹を作らせました。お納めください。
ご支援、まこと感謝いたします……!畏れ多くもいただいた金丹は、家宝として飾らせていただきます……!^^
弘治帝みたいな名君でも、その教えや徳を息子の正德帝に引き継がせることができなかったのは悲しい。
明の3人の名君の動画、ありがとうございます!個人的には洪煕帝がもっと長生きしていれば、明の歴史はもっと変わっていたかも知れないと思っています。それにしても明の皇帝と宦官にまつわる話は腐るほどありますね…。宦官のいない時代に産まれて正直ホッとしてます。
いつもご支援いただき、大大大感謝ですッ!!統治システムに組み込むことに失敗した明代の宦官の禍は酷すぎましたね……
ありがとうございます!
いつもご支援いただき、本当にありがとうございますッ!ご厚意、まこと痛み入ります……!!
明皇帝は名君でもちょいちょいクセあって面白い。
同日に、表裏一体な名君と暗君の動画がオススメに並んでて、ビックリしましたww
建国三代ぐらいまでは国家構築のヴィジョンがあったんだなと理解できた。できる皇帝ほど短命なんだな。弘治帝なんか事業を継いで安定させたんでちょっと調子に乗った跡取り社長がスピリチュアルな世界にちょっとハマったって、社員を振り回したっていう昔のオレが勤めてた会社の二代目に似てる。
弘治帝は側室を持たず皇后1人を愛していたのは良かったけど結果的に跡継ぎがあの女と火と軍隊しか興味無い正徳帝しかいなくなってしまったのは残念
暗君エピソード好きだけど、やっぱりたまに名君エピソード見るとほっこり安心できますね。なお、すぐに某chで暗君見てしまい。ほっこり感が木端微塵に消え去った模様。
逆に言うなら短い名君の治世に機構や人材を盤石に出来たからこそ暗君バーゲンセールでも何とかなったのかと今回も編集ありがとうございます
宣徳帝が内閣大学士で官僚機構を整えたのは大きいですね。永楽帝が親父のように国務大臣を皇帝が兼任するなんか無理だから宦官に政務の一部を任せていたわけだし。
@@heiho_ita 広大な領土を統治するには独裁政と官僚機構はセットでないと機能しませんからね
@@佐藤泰隆-h6p 洪武帝ってバケモノやな
@@heiho_ita バケモノなだけに晩年の耄碌ぎみになっての粛清も凄まじいと言う…秀吉と同類なんでしょうな
主に洪武帝と永楽帝が確立した体制が非常に安定しているため、皇帝が政治に参加しなくても国を安定させることができ、実際に昏君明君の区分は明朝の成熟した制度の下で国全体に与える影響は大きくなく、せいぜい中央上層部に影響を与え、この3人が明君を作ったのは儒家文人の基準に合致しているからだ。だから明は276年にわたって長く、ほとんどの時間が太平で安定した時期であり、いわゆる「昏君」や「明君」の変化にかかわらず、これは政治が不安定な時期(例えば唐後期、晋)と比べて庶民にとっては天国になっている。庶民は太平で安定した社会を必要とするだけだからだ。
23:06 劉大夏(鄭和の航海記録を焼いたが有能な政治家)「鄭和の航海記録を焼いたが」触れずにはいられなかったんですねぇ…わかります名君3人の治世期間合わせても神宗万暦帝1人に遠く及ばないの泣ける
これは、どうも誇張されてるようです。劉大夏には、資料の隠匿癖があったようです。実際、一部の海図とかは流出してますからね。「明史草稿」には鄭和の遠征に関する記述がありましたが、正史の「明史」でばっさり削除されました。どうも、清の乾隆帝が原因のようです。
@@Gewun-w2w民間レベルでは平和だったんでしょうかね
弘治帝は最低でも正徳帝が成人するまで生きていて欲しかったし、宣徳帝も正統帝が成人するまで生きていて欲しかった...
そもそも初代が国務大臣を全て皇帝が兼任するとか言わなければ宦官でここまでおかしくならなかった。永楽帝が側近を宦官にしたから
欲を言えば正統帝と正徳帝の治世年間丸々受け持って欲しかったですね 笑
万暦帝が堕落を尽くして長生きしたのも、名君は長生きできないということを先祖の例を見て知ってしまっていたからかも。
名君が三人しかいないのに帝国が長期間保たれたのは奇跡としかいいようがない。
明清の皇帝独裁を確立させた洪武帝の凄まじさよ…
名君の遺産を食い潰す暗君の治世は実質ウィニングラン
暗君統治でも破綻しない条件として、先代が諸問題をほぼ解決している事、先代の構築した機構を変えないの2つかと明の場合万暦帝まではこの条件に合致していたものの魏忠賢のやらかしで詰んでしまったように思えます
もう、明じゃなくて暗でよくね?とか思ったり(´・ω・`)仁政イロイロ(´・ω・`)ヤメロヨ
@@KGG03226 さま香港のハッピーバレー…名付けは英国人ですが…の様に湿地帯に“逆説的”ネーミングを付けて「好」とするセンスに通じるのかも。…現在のハッピーバレーは整地されて競馬場が存在する地です。
「3人も」ではなく「3人しか」な気がするのはきっと気のせい
ヌルハチ「確かに」ホンタイジ「なんせ明るく」順治帝「楽しい」康熙帝「王朝」雍正帝「なんだから」乾隆帝「まさか異民族の侵攻で滅ぶはずないんだよな~」
逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ…
@@茶聖 一応、明王朝を最初に滅ぼしたの反乱軍だぞ。……その後、異民族が侵攻して支配権を奪い取り、明王朝の残党も始末しちゃったが。
@@茶聖 嘉慶帝「それに比べ朕達は」道光帝「清く」咸豊帝「正しい」同治帝「王朝」光緒帝「なんだから」宣統帝「異民族の侵略や革命で滅ぶことなんか絶対ないぜ!!」
しかもトンでも死しまくるのが多い王朝でもある,,,まぁ唐も大概だが。
皇帝の落差が激しい・・。投稿お疲れ様です!
仁宣の治・弘治中興、ありがとうございましたー👍。弘治帝、出生時の境遇が漢 宣帝とチラッと似てるなあ。
暗君オンパレードで末期は内乱と外敵侵入ばかりでも200年以上続いたのだから偉大な王朝だ(白目)
内乱は靖難以外にはなく、侵入も万里の長城沿線に限られ、明朝は太子の成功率が高い王朝であり、国内では200年以上の間に大きな戦乱もなく、他の王朝に比べて非常に安定した王朝である。
そういえば、洪武帝、永楽帝、洪熙帝、宣徳帝、弘治帝、数も多くなく、また景泰帝、成化帝、隆慶帝も合格した守成の主は上位5位ほど際立っていないと思います。
賢君といえば、景泰帝、成化帝、隆慶帝を無視することはできないと思います。景泰帝は信を謙に用い、北京防衛戦の勝利を収め、成化帝、『明史』は彼を称賛した:「景帝に尊号を上げ、謙の冤罪をいたわり、黎淳を抑えて商を呼び、人の君臨度を回復した。時は明を休み、朝は長老彦を多くし、帝は任人に篤く、天戒に謹み、蠲賦は省刑を与え、闾里は日増しに充足し、仁、宣の治は斯復見にある」後期は奸幸を寵愛したが、同時に賢臣に対する尊重と任用を維持し、隆慶帝は史書の中で存在感が強くないが、高拱、張居正ら賢臣は、「隆万大改革」の明の中興を開いた。
他の統一王朝、例えば西晋八王の乱、唐中期の安史の乱、後期の藩鎮の乱、吐蕃、南紹の侵入、宋の時の遼、金、モンゴルの侵攻、清朝前期の三藩の乱、後期の太平天国、捻軍、同治回乱、同時に列強、日本との戦争があり、明朝は確かに大部分の時間が太平を安定させた。
歴史に学ぶ、って大事ですね。
ご支援いただき、まことにありがとうございます!歴史は学びもあるし楽しいし、最高ですね!!
Thanks!
いつもご支援いただき、まことに感謝しております……!有り難き……有り難き幸せェ!!
使いづらい領土を手放せる奴は優秀
ハドリアヌス帝「せやせや」
損切り出来る人は優秀ですね
@@ヨーク公リチャードプランタジネット ティベリウス帝「そーそー。拡大すりゃいいってもんじゃ無い」
サッチャー「わが内閣に男は一人しかいないのか!」
@@ヨーク公リチャードプランタジネット ジョン失地王「そうだよ(便乗)」
いつか成化帝の側室万貴妃も取り上げて欲しいです
咲熊で紹介されているので予習してくれ
洪熙帝も在位が短く早死にしたから名君扱いされてるけど長生きしたら案外何かあったかもしれない紂王も万暦帝も在位1年程度で崩御していたら名君で終わったろうに・・・
そんな名君の治世を全部台無しにできる万暦帝はさすがというほかない
逆に、無能皇帝でも天寿を全うできる程に、過去の名君達の治世の遺産が偉大だったって事にしておこう。……まあ、負の遺産もあったけど、名君の治世当時ではちゃんと機能していたんだし。
名君一人につき一本の動画にできず三人まとめてにせざるを得ない所が明の名君の悲しさ。在位期間が短すぎるわな。
明代にも三世の春があったんですね。次回はいよいよ清朝三世の春特集希望。
他のUA-cam動画で万貴妃の事を別の視点から解説してる方がいます。成化帝・万貴妃のイメージが大分変りました。
鳥人間さんが明の名君特集やってる同じ日に俺の世界史さんが明の暗君特集やってて面白いですね!!
明朝の皇帝にも名君いたんだ!ですが在位期間が長い人でも18年、3人合わせて30年いくかいかないかというのは悲しすぎます(ちなみに万暦帝一人で40年だそうで...)。うち二人が30台での崩御とは...。あと今回の陰の主役は宦官!鄭和最後の活躍あり、宦官の学問奨励あり(これがのちのち王振・劉瑾・魏「九千九百歳」忠賢の台頭を許す結果になりますが、弘治帝はよい宦官に助けられています...うーん、善悪両面ありますね)と裏方として八面六臂の活躍を見せています。皇帝もバラエティー豊かですが、明朝は宦官も善悪いずれもキャラが濃くて面白いです。というか中国史、伝説時代から中共時代まで、おもろない時代が一つもないのでは?
善人ほど早死にする。……まさに、その言葉通りだなぁ。
0:03 これはまた ものを知らん奴だネ偉大な皇帝というのは 輝いて見えるものだヨ
真面目に働いた人が過労で早死するの本邦の執権北条氏みたいだぁ……そして引き立つ洪武永楽のバケモノ感。絶対生命力強い。
清の雍正帝が早死したのも過労の説があるんだよね。
長生きしたのは暴君だったからではないかと想像しています。ある意味で好き勝手に大勢の人の人生と命を弄ぶことで、過大なストレスを発散させていたのでは?と…
5賢帝時代のローマ皇帝でも治世が長くて20年で限界ですからまともに政務に従事していたら寿命も縮むものかと
そう考えると4歳で即位し、16歳で親政を始めてから50年間も精力的に政務を勤め上げた康煕帝って規格外の名君だったんだな
錬丹なんかに嵌まったとかはないの?道士が出てきたけど?アヤシイ仙薬で命縮めるのは、あちらの皇帝多いよ。
弘治帝動画ずっと待ってたんで嬉しい。あと、宣徳帝の興味一覧にさりげなく「女性」ってあったの良きかな
6:53 このパターン、どっかで見たような気がするんだよなぁ🤣
内閣の由来については意外だった。それにしても、宣徳帝・弘治帝をもってしても宦官をはびこらせてしまったとは、宦官問題の根の深さを垣間見せられた感じだ。そして、彼らが名君であったがゆえに他の皇帝、特に万暦帝のニート皇帝の異常ぶりが際立つ。これほど名君と暗君の両極端が目立った王朝はザラにないのではなかろうか。
別々のチャンネルでほぼ同時に明の名君動画と暗君動画がアップされるとは、なんというめぐり合わせ。
お疲れ様です。漢の中興の祖「宣帝」も出生が可哀想でしたね。宣帝も神仙の術にはまったと聞いていましたので何か弘治帝と似ている気がします。弘治帝も宣帝も雍正帝ぐらい仕事をしていたのか結構若くて崩御されているなと感じました。
仁宣の治が文景の治ぐらい続けば、弘治帝の知性が30年ぐらいあれば明も違う道を辿れたのだろうか…(遠い目)
内閣⇒宦官⇒皇帝の決済ってルートの根本的な改善ができなければ結局あんま変わらなそうではあるかなと思います
@@雪ヶ谷れいる 内閣のまとめ役は必要でも、やっぱりそれとは別に汚職対策用のルートを作って置くべきかな?……もちろん、両方が癒着しないようしておかないといけないけど。
いつも大変面白い動画ありがとうございます!登録者10万人達成したら、鳥人間さんの解説をトリ扱ってほしい人間の書き込みをお送りします。
ちょうど俺の世界史の動画で暗君の紹介動画になっていたので、反対の明君の紹介動画を出していただきありがとうございます。色々と言われていますが、明朝は評価できる事が多いのですよね。
ご支援いただき、まことにありがとうございます!!全くの偶然でしたが、多くの方々に楽しんでいただけてよかったです!
ありがとうございます!しかし「名君と安定した治世を追い求める」大嘘 笑
創業守成ですね。長寿王朝になるためには三代目あたりの役割も重要ですが、永楽帝で一度リセットされていると考えれば、この辺りが三代目の役割になるわけですね。覇権や強権からの方針転換や、統治機構のシステム化など、明朝が長く続く要因となったのは、やはりこの代で名君が現れたから、なんでしょうね。しかし、同時に失敗の因も作ったしまったわけで、内閣と皇帝の間に宦官の秘書官をかませたことで、宦官に事実上の拒否権(ベトー veto)を持たせてしまい、後の宦官の跋扈を招いてしまいました。弘治帝も中興を果たしましたが、現代では賞賛されるべき一夫一妻制も、当時の皇帝としては後継者の選択肢を狭めてしまった、という点でマズかったですね。皇帝独裁は、皇帝がミスするとなかなか修正が効かないという点で、やはり問題が多かった、ということなんでしょう。
統治に対してのチェック機能が無いもしくは弱いという欠点がありますからね逆に共和政ローマ、ヴェネツィアなどのチェック機能(元老院)をもつ寡頭政は大国統治には向かないですし
弘治帝で大河ドラマ作れそう。折しも徳川ご宗家ではこの度代替わりがあり、先代様から当代様へ家督が禅譲されたと報じられました。その徳川将軍15代を見渡しても、後半には暗君が現れるようになりました。明代皇帝も徳川将軍も続けて名君を排出する事が出来な輩出する事が出来なかった。それに人の世の業とか限界めいたものを感じました。
他の方は明の暗君されてましたが、暗君の方が人数多いのは気のせいかな~(笑)趣味人でも政務を疎かにせず、臣下がまともなら名君となり、疎かにすると徽宋となるのですね🙇
実家のサンヨーのエアコンは30年近く現役で、明の三楊のように息が長いです。
これ見て思うけど康熙帝と乾隆帝が超人すぎる。
@なかこ在位期間が長すぎるのは良いことではないこともあり、康熙帝は後期に九男嫡男の党争に陥って政権が腐敗し、乾隆帝後期でも昏庸に向かった、大汚職官と坤を任用し、英国の通商要請を拒否し、国内でも白蓮教の大蜂起が勃発した
@べる在位期間が長すぎるのは良いことではないこともあり、乾隆帝後期でも昏庸に向かった、大汚職官と坤を任用し、英国の通商要請を拒否し、国内でも白蓮教の大蜂起が勃発した
明朝ってこの3人でシステムを整えた感じやね🤔
長生きしてたら名君になれた可能性のある泰昌帝。。。在位1か月。。。
0:27 「のみ」って言い切っちゃってる悲哀…
次は天啓帝を見たいですね
28:03 ラ~カゼット ラ~カゼット(フゥ フゥ)夢のラカゼットたかた~長崎が彼を獲得してくれんかなぁ
明って名君と暗君の落差が激しすぎw
洪熙帝の在位期間が万暦帝くらいあればよかったものを…なぜ天は逆にしてしまったのか
在位が短かったから、欠点が暴露されなかったという意見もあります。学者の李時勉が諫言したところ、彼の肋骨を折るよう命じて、投獄しました。
南京遷都が実現したら永楽帝が構築した北方の防衛線と経済に負の影響がでたかもしれません
良い皇帝が続くのは大体2〜3代なイメージ
例外として高麗は100年以上名君が即位した。その後は傀儡か暗君だったけど…
@@ゆっくり恐怖レストラン はえ〜、すっごい長期…
あんま例ないけど23代目が暗君だとどうなるんだろうw隋みたいくなるんだろうか…
何というか、創業よりも守成の方が難しいと考えた唐太宗の考えもわかる気がします。個人の能力に頼ったシステムは負担が重い…しかし権力は自身の拡大を常に志向する…そのバランス調整を、創業期のような「共通の敵」無き状態でせねばならない。
うぽつです。真面目に働いてた名君が早く退場して、そうじゃない皇帝が長く居座る所はブラック企業感がありますね…それだけ初代の洪武帝が化け物地味た能力の持ち主だったことの証左でもありますが
これはまさに洪武帝が確立した体制が非常に安定しており、皇帝が政治に参加しなくても国を安定させることができることを示している。実際に昏君明君の区分は明朝の成熟した制度の下で国全体に与える影響は大きくなく、せいぜい中央上層部に影響を与えることが多い。この3人が明君を作ったのは儒家文人の基準に合致しているからだと有名だ。
万暦帝の統治期間を考えると、確かに真面目な皇帝は早死になんですね
17:44 地味に女性とかいう他の趣味とは異質な文字あって草まあ英雄色を好むとはいうけれど...
Great video😄
不偏不党の万暦帝こそが名君に見えるのですが,夭折だったり善人っぽい君主ばかり評価の高い正史には無念を覚えます。今回も面白かったです!
君臨すれども統治せず()
不偏不党(本格的に何もせーへん)
傀儡能力さえ低くて,身を持ち崩す君主も多いですからね。 特にピンチになってもオタオタせずに統治が続くってのが君主の資質のような気がします。
名君はやべぇエピソード無いし代が続くから抱き合わせ解説されがち
有名でない名君の紹介も楽しい!
「名君詰め合わせセット」、名君の時代は暗君の時代に比べて事件が起きにくいからどうしても薄味になるってことでは…
3人とも早逝しちゃってるけど大帝国の皇帝なんて平穏な時代でも激務の毎日だったろうしねえ。
国務大臣を全て兼任しようとした洪武帝朱元璋ってヤバイやつなのか?凄い激務やぞ
ハドリアヌス帝も詩人に皇帝にはなりたくないものと揶揄されてましたね
ちなみにサンヨーの楊士奇・楊溥・楊栄ですが、特に血縁関係とかはありません
これを見ていると、清の歴代皇帝が明を反面教師にした理由がよくわかる。
実際に清朝皇帝は洪武帝、永楽帝を高く称賛し、洪武帝を「治隆唐宋」、永楽帝を「遠邁漢唐」と呼んだ
そしてそれでも清朝の入関後の統治は268年だったのに対し、明朝は276年も全国統治を維持した
洪熙帝が康熙帝並みに治世が長ければ・・・😢
うまい駄洒落です。
『明史』は弘治帝を評価する際、「仁、宣の際、国勢が初張し、綱紀が修立し、純朴で未漓。成化以来、太平と号して何事もなかった」という太平の局面は万暦の局面の末期まで続き、これで万暦の時期の経済繁栄、資本主義の芽生えが現れた。
康熙前期は太平ではなく、明清の際に戦乱はまだ末に回復し、三藩の乱はまた大半の中国を席巻し、このような破壊は康熙後期になってようやく徐々に回復してきた
@林原琴乃康熙前期は太平ではなく、明清の際に戦乱はまだ末に回復し、三藩の乱はまた大半の中国を席巻し、このような破壊は康熙後期になってようやく徐々に回復してきた
9:00 中国史の動画とか見過ぎて、皇帝の名前見ただけでどう言う政治したのかちょっと想像つくようになった。
独裁者って忙しいよな。国の決定に関わる全ての決裁が回ってくると考えたら寝る暇も無さそう。あのヒトラーですら連合軍が何もしなくても、激務過ぎて自殺するまでもなく死んでただろうと言われてるし。
明君3人合わせて30分の尺の動画しか作れない所に却って明王朝の闇を感じてしまう…
創業者と準創業者は何本作っても足りないのにね。
乱を鎮めた者は英傑と称えられ乱を未然に防いだ者は知られる事もない、墨子の故事を思い出しますね
次に、洪武帝と永楽帝が確立した体制は非常に安定しており、皇帝が政治に参加しなくても国を安定させることができ、実際に昏君明君の区分は明朝の成熟した制度の下で国全体に与える影響は大きくなく、最も多くは中央上層部に影響を与え、この3人が明君を作ったのは儒家文人の基準に合致しているからだと知られている。だから明は276年にわたって長く、ほとんどの時間が太平で安定した時期であり、いわゆる「昏君」や「明君」の変化にかかわらず、これは政治が不安定な時期(例えば唐後期、晋)と比べて庶民にとっては天国になっている。庶民は太平で安定した社会を必要とするだけだからだ。
殉葬は、第6代の英宗が反対してました。ただ、政治的理由で第7代代宗の妃を殉葬してます。死の直前に殉葬の禁止を命令し、事後、公式にはなくありました。
宣徳帝の創設した宦官の教育機関内書堂は後世に顧炎武に最大の失敗であったとこき下ろされていますが実際に内書堂出身の悪徳宦官は王振くらいのものであり後の王振以上の悪徳宦官劉瑾や魏忠賢は内書堂出身ではありません(学んだ可能性があるかも)。故に宣徳帝が創設した内書堂はプラス面の方が多いかと自分は思います。実際内書堂が無ければ弘治帝の教育係であった覃吉を輩出しませんでしたし、そうなれば弘治帝も名君ではなく暗君になってしまっていたかも知れません。
今回も動画を閲覧した者です。 今回も明王朝のお話なんですね。 前にも話しましたが、自分の兄弟は歴史好きで特に長兄が歴史に強く、話が始まったら大学の講義並みになります。 その際に【明王朝は最悪だぞ】とよく話しており、いまいちだと思っていましたが、優秀な皇帝が3名いたことには、初めて知りました。 良い政治をし、【さあこれからだ】という時に、各々の皇帝が短命であったことは、残念でなりません。 もし、長生きをしていたら、明王朝の評価は大きく代わり、当時の国民にとっても良かったのではないか、と思います。 今回も良い勉強になりました。本当にありがとうございました。 新型コロナやインフルエンザが猛威をふるって危ない時期ですが、投稿者さんにおかれましては、健康とメンタルに気をつけていただければ、幸いです。 話が長くなりましたので、ここで筆を置きます。
乾隆帝・愛新覚羅弘暦驚異の80歳越えおめでとうございます!「うちの趙構も80歳越えだ。」「わしの孫のクビライもギリ80歳だ。」明代の皇帝に80歳越えがいないのは真面目に政務に携わり過ぎて過労死したからだと思います。ハイ。
なあ、なんで、1時間の差で、大明帝国の名君紹介の本動画と「せっかくだから俺は!明のヤバい暗君たちについて語るぜ!」(俺の世界史ch)がUPされているのさ…(絶句UP主、謀った?
洪熙帝は、ローマ皇帝のティトゥス帝みたいな感じやね
コウキ帝、肖像画では、そこまで肥満しているように見えないのは、やはり、描き手がそれなりに忖度したのだろうか。名君回だからか、霊夢の成長も窺える明るさを感じる回だった。精鋭皇帝の間も明は「なんとかなっていたのではなく」「どうにかなっていったの」では
暗君の治世が長いのが明王朝。これであれだけもったのは凄いかと。
あとは、景泰帝もわりかし有能なイメージがある。それと、中国史で過労死と聞くと何となく三国時代の例の人を思い浮かべちゃうけれど、この時代は皇帝専制体制だった分「例の人」と同様1人にかかる負担が大きかったのでしょうね…。
まともな皇帝が明には3人(崇禎帝は判断が難しいので除く。あと、景泰帝は判断材料がないのでカット。)しかいない…。明は問題のある暗愚な皇帝ばかりが出てこないし、真面目に政務を執った名君は寿命が短い…。明王朝は皇帝の独裁制が強かったため、歴代王朝に比べても仕事が激務だという話もあるので、明王朝の名君の寿命が短いのはやはり働きすぎですかね…?(過労死?)でも、暗君は暗君で不摂生な生活や暗君ゆえのしくじりのせいで寿命が短い人が多いんですよね…。(ガチで何にもしなかったニート皇帝万暦帝が長生きなのが何とも…。)今回の動画で、明の歴代皇帝の動画が大体揃いましたね…。(泰昌帝と天啓帝は魏忠賢の動画で十分な気がする。)後は成化帝(万貴妃とセット?)と隆慶帝(でも隆慶帝はエピソードが少ないからカットしてもいいかも…。)ですね…‼
明皇帝ガチャしたら13/17(16)で闇深皇帝が出てくるのか…ガチャとしてはいい感じに楽しめる確率ですね(棒)
沼ガチャでっせw
名君はSSレアで、ガチャは闇鍋かな。
こう見ると、清の皇帝がいかに真面目なのかが分かるという…
太子密建Vやねん。
愛新覚羅氏など、どう見ても天才の家系だぜ。日本語のネイティブスピーカーでもないのに、青年期から日本にやって来て楽々と日本語をマスターした上で、日本の医師国家試験に合格した方までいらっしゃる。並の知能レベルの方では絶対にないぜ。聖祖康熙帝もかくやと思わせる高水準な知能の方だ。
いうて、晩年の康熙帝も露骨にやる気なくして、財政大赤字になったんですよ。そのために雍正帝は寿命縮めるほど働かねばならなかったんですね。(それを含んでも康熙帝は名君であります)
雍正帝の太子密建は本当に偉大な措置
異民族だからスキを見せるわけにはいかんかったわけやしね
独裁制で名君(生涯政務熱心)かつ長生きしてる、武帝(漢)、洪武、永楽、康煕、乾隆あたりは完全に人間辞めてるレベルだと思うわ。
東洋史家の三田村泰介は名著『宦官』の文中で庶民から一代で大帝国を築いた劉邦や朱元璋を「人間から非人間になった者達」と述べています。
名君回イイネいつかSANYOについても詳しく語って欲しいな
明の名君&暗君(俺の…チャンネル)どっちを先に見るべきか悩みました。投稿時間順でこちらを先に拝見しています♪
ワァー明の皇帝達は名君揃いだあ。よーし!他の動画も見ようっと!…ぁっ
沼にようこそ....
チビるで
こんばんは。鳥人間さんはウィスキー好きなんですかね?私は病気でお酒飲めなくなるまで何でもござれのお酒好きでもちろんウィスキーも好きだったんですが残念です。明王朝の名君特集?うせやろ!wやっぱいくら名君でも長生きしないと後に残らないというか続かないというかホント残念賞だよね。あと後継者教育も時間かけて出来ないしね。で、思い起こせばとんでもない暗君ほど長生きするとかあるしそこら辺が歴史の皮肉だよなあ。
眩しすぎますw数世紀単位の稀有な、いちもるとも不安のない中国史の予感がします😊
虚弱な息子よりも利発な孫に期待永楽帝→吉宗、洪煕帝→家重、宣徳帝→家治という感じですか宣徳帝と家治は多趣味なのも共通点ですね洪煕帝と家重の共通点はちょっとわかりません/(^o^)\
廃嫡されかけた事だと思う
明君主が不老不死だったらと思ってしまう
十二国記の世界じゃないと・・・
嘉靖帝「生娘の器で丹薬飲まないからこんなことになるんやぞグビグビグビ〜」
暴君ほど不老不死を望む中国史の不思議
万暦か天啓が不老不死だったりしたら大変
@@oggi-ih8hv さまえらいこっちゃ
まってた
殉葬とかいう冊封国からドン引きされた風習
実務経験のある皇帝は強い
仁宗については、荒淫で寿命を縮めた説があります。李朝実録にそのような記録があるそうです。(新宮学先生の『北京遷都の研究』より)
三帝の治世期間合計が嘉靖帝と万暦帝単独の在位期間に及ばないというのが歴史の皮肉ですな。
洪熙帝の南京への遷都が実行されていれば?その後の歴史は、結構変わったのじゃないかと思うし、そのIFは興味深いです。少なくとも土木の変はなかったか、あっても違った形になっていたでしょうし、後の女真族、満州族との関係も違ったものになっていた可能性は高いかな。少なくとも、清は成立しなかった可能性が高いですね。それが良かったのか悪かったのかわかりませんが。
崇禎帝も例の癖と例の引きこもり皇帝の直後ぐらいに即位したら・・・、と思ったりもします。
あれな皇帝は動画が何本もあるのに、まともな皇帝は一本に収まってしまうという。
さすが明。
普通の優等生はこんな風に優等生だった、で大体片付くけど、
ヤバイ皇帝は歴史に残る大事件についての解説と、その害悪の結果被害者がどうなったか、まで語らないといけないことの差ですかね。
実は暗君とか暴君の方が後世の我々の方が見ていて面白いからというのもあるのではと思います😅
明の名君、後漢の長寿皇帝、清の暗君は数が比較的少なくて希少ですからね
すげえ!珍しく名君特集やったと思ったら別のチャンネルで暗君特集やってた!
ようつべ開いた途端にサムネだけでテンション爆上がりしてしまったw
明朝は様々な闇を抱えた王朝だったが、漢人の王朝として現代まで非常に高い権威を有している。
特に次代の清が征服王朝であった為、後世からの憧憬も強かった。
辛亥革命で清朝を倒した孫文は、太祖朱元璋の孝陵にて漢民族が天下を取り戻したことを報告している。
またその威光は周辺諸国に及び、特に李氏朝鮮では清の時代になっても明を真の宗主と崇めて密かに敬慕した。
朝鮮の儒学者の中には崇禎や永暦といった明朝最後の元号(永暦は南明の元号)を使用し続けたり、
明滅亡後は自分たちが明朝(中華)の正統な後継者であるという小中華思想を持つ人々もいた。
現代中国人も明朝を尊崇して明代の服装で祭祀を行ったり、また政府も鄭和の活躍を一帯一路の権威付けに宣伝したりしている。
確かに明朝の歴代皇帝は名君が多かった清朝には及ばないものの、このように中華を代表する王朝なのである。
従ってその明朝を繁栄させた名君は中国人にとって比類なき存在といえる。
私は昨年東京国立博物館で開催された『琉球王国展』にて、弘治帝が自身の登極を琉球王に知らせる国書を見たが、
龍を透かした紙に「廣運之寶」という印章が押されたそれは見事なものであり、大明の威光に圧倒されてしまった。
ちなみに当時の琉球国中山王は尚真王であり、彼は琉球随一の名君であった。
歴史とは面白いもので外国同士で名君が同時に出現したり、逆に同時に混乱が起こったりするものだ。
弘治中興は中国のみならず広く東アジアの黄金時代だったのかもしれない。
7:20 仁君過ぎて涙がで、出ますよ
名君の紹介ありがとうございます。これは御礼の品を差し上げなくては。嘉靖帝の宮中からの選りすぐりの料理人と薬師を呼び寄せ、きらびやかな宮廷料理と金丹を作らせました。お納めください。
ご支援、まこと感謝いたします……!
畏れ多くもいただいた金丹は、家宝として飾らせていただきます……!^^
弘治帝みたいな名君でも、その教えや徳を息子の正德帝に引き継がせることができなかったのは悲しい。
明の3人の名君の動画、ありがとうございます!
個人的には洪煕帝がもっと長生きしていれば、明の歴史はもっと変わっていたかも知れないと思っています。
それにしても明の皇帝と宦官にまつわる話は腐るほどありますね…。
宦官のいない時代に産まれて正直ホッとしてます。
いつもご支援いただき、大大大感謝ですッ!!
統治システムに組み込むことに失敗した明代の宦官の禍は酷すぎましたね……
ありがとうございます!
いつもご支援いただき、本当にありがとうございますッ!
ご厚意、まこと痛み入ります……!!
明皇帝は名君でもちょいちょいクセあって面白い。
同日に、表裏一体な名君と暗君の動画がオススメに並んでて、ビックリしましたww
建国三代ぐらいまでは国家構築のヴィジョンがあったんだなと理解できた。できる皇帝ほど短命なんだな。弘治帝なんか事業を継いで安定させたんでちょっと調子に乗った跡取り社長がスピリチュアルな世界にちょっとハマったって、社員を振り回したっていう昔のオレが勤めてた会社の二代目に似てる。
弘治帝は側室を持たず皇后1人を愛していたのは良かったけど結果的に跡継ぎがあの女と火と軍隊しか興味無い正徳帝しかいなくなってしまったのは残念
暗君エピソード好きだけど、やっぱりたまに名君エピソード見るとほっこり安心できますね。
なお、すぐに某chで暗君見てしまい。ほっこり感が木端微塵に消え去った模様。
逆に言うなら短い名君の治世に機構や人材を盤石に出来たからこそ暗君バーゲンセールでも何とかなったのかと
今回も編集ありがとうございます
宣徳帝が内閣大学士で官僚機構を整えたのは大きいですね。
永楽帝が親父のように国務大臣を皇帝が兼任するなんか無理だから宦官に政務の一部を任せていたわけだし。
@@heiho_ita
広大な領土を統治するには独裁政と官僚機構はセットでないと機能しませんからね
@@佐藤泰隆-h6p 洪武帝ってバケモノやな
@@heiho_ita
バケモノなだけに晩年の耄碌ぎみになっての粛清も凄まじいと言う…
秀吉と同類なんでしょうな
主に洪武帝と永楽帝が確立した体制が非常に安定しているため、皇帝が政治に参加しなくても国を安定させることができ、実際に昏君明君の区分は明朝の成熟した制度の下で国全体に与える影響は大きくなく、せいぜい中央上層部に影響を与え、この3人が明君を作ったのは儒家文人の基準に合致しているからだ。だから明は276年にわたって長く、ほとんどの時間が太平で安定した時期であり、いわゆる「昏君」や「明君」の変化にかかわらず、これは政治が不安定な時期(例えば唐後期、晋)と比べて庶民にとっては天国になっている。庶民は太平で安定した社会を必要とするだけだからだ。
23:06 劉大夏(鄭和の航海記録を焼いたが有能な政治家)「鄭和の航海記録を焼いたが」触れずにはいられなかったんですねぇ…わかります
名君3人の治世期間合わせても神宗万暦帝1人に遠く及ばないの泣ける
これは、どうも誇張されてるようです。劉大夏には、資料の隠匿癖があったようです。実際、一部の海図とかは流出してますからね。「明史草稿」には鄭和の遠征に関する記述がありましたが、正史の「明史」でばっさり削除されました。どうも、清の乾隆帝が原因のようです。
@@Gewun-w2w民間レベルでは平和だったんでしょうかね
弘治帝は最低でも正徳帝が成人するまで生きていて欲しかったし、宣徳帝も正統帝が成人するまで生きていて欲しかった...
そもそも初代が国務大臣を全て皇帝が兼任するとか言わなければ宦官でここまでおかしくならなかった。永楽帝が側近を宦官にしたから
欲を言えば正統帝と正徳帝の治世年間丸々受け持って欲しかったですね 笑
万暦帝が堕落を尽くして長生きしたのも、名君は長生きできないということを先祖の例を見て知ってしまっていたからかも。
名君が三人しかいないのに帝国が長期間保たれたのは奇跡としかいいようがない。
明清の皇帝独裁を確立させた洪武帝の凄まじさよ…
名君の遺産を食い潰す暗君の治世は実質ウィニングラン
暗君統治でも破綻しない条件として、先代が諸問題をほぼ解決している事、先代の構築した機構を変えないの2つかと
明の場合万暦帝まではこの条件に合致していたものの魏忠賢のやらかしで詰んでしまったように思えます
もう、明じゃなくて
暗でよくね?
とか思ったり(´・ω・`)
仁政イロイロ(´・ω・`)ヤメロヨ
@@KGG03226 さま
香港のハッピーバレー…名付けは英国人ですが…の様に湿地帯に“逆説的”ネーミングを付けて「好」とするセンスに通じるのかも。
…現在のハッピーバレーは整地されて競馬場が存在する地です。
「3人も」ではなく「3人しか」な気がするのはきっと気のせい
ヌルハチ「確かに」
ホンタイジ「なんせ明るく」
順治帝「楽しい」
康熙帝「王朝」
雍正帝「なんだから」
乾隆帝「まさか異民族の侵攻で滅ぶはずないんだよな~」
逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ…
@@茶聖 一応、明王朝を最初に滅ぼしたの反乱軍だぞ。
……その後、異民族が侵攻して支配権を奪い取り、明王朝の残党も始末しちゃったが。
@@茶聖
嘉慶帝「それに比べ朕達は」
道光帝「清く」
咸豊帝「正しい」
同治帝「王朝」
光緒帝「なんだから」
宣統帝「異民族の侵略や革命で滅ぶことなんか絶対ないぜ!!」
しかもトンでも死しまくるのが多い王朝でもある,,,まぁ唐も大概だが。
皇帝の落差が激しい・・。
投稿お疲れ様です!
仁宣の治・弘治中興、
ありがとうございましたー👍。
弘治帝、出生時の境遇が漢 宣帝とチラッと似てるなあ。
暗君オンパレードで末期は内乱と外敵侵入ばかりでも200年以上続いたのだから偉大な王朝だ(白目)
主に洪武帝と永楽帝が確立した体制が非常に安定しているため、皇帝が政治に参加しなくても国を安定させることができ、実際に昏君明君の区分は明朝の成熟した制度の下で国全体に与える影響は大きくなく、せいぜい中央上層部に影響を与え、この3人が明君を作ったのは儒家文人の基準に合致しているからだ。だから明は276年にわたって長く、ほとんどの時間が太平で安定した時期であり、いわゆる「昏君」や「明君」の変化にかかわらず、これは政治が不安定な時期(例えば唐後期、晋)と比べて庶民にとっては天国になっている。庶民は太平で安定した社会を必要とするだけだからだ。
内乱は靖難以外にはなく、侵入も万里の長城沿線に限られ、明朝は太子の成功率が高い王朝であり、国内では200年以上の間に大きな戦乱もなく、他の王朝に比べて非常に安定した王朝である。
そういえば、洪武帝、永楽帝、洪熙帝、宣徳帝、弘治帝、数も多くなく、また景泰帝、成化帝、隆慶帝も合格した守成の主は上位5位ほど際立っていないと思います。
賢君といえば、景泰帝、成化帝、隆慶帝を無視することはできないと思います。景泰帝は信を謙に用い、北京防衛戦の勝利を収め、成化帝、『明史』は彼を称賛した:「景帝に尊号を上げ、謙の冤罪をいたわり、黎淳を抑えて商を呼び、人の君臨度を回復した。時は明を休み、朝は長老彦を多くし、帝は任人に篤く、天戒に謹み、蠲賦は省刑を与え、闾里は日増しに充足し、仁、宣の治は斯復見にある」後期は奸幸を寵愛したが、同時に賢臣に対する尊重と任用を維持し、隆慶帝は史書の中で存在感が強くないが、高拱、張居正ら賢臣は、「隆万大改革」の明の中興を開いた。
他の統一王朝、例えば西晋八王の乱、唐中期の安史の乱、後期の藩鎮の乱、吐蕃、南紹の侵入、宋の時の遼、金、モンゴルの侵攻、清朝前期の三藩の乱、後期の太平天国、捻軍、同治回乱、同時に列強、日本との戦争があり、明朝は確かに大部分の時間が太平を安定させた。
歴史に学ぶ、って大事ですね。
ご支援いただき、まことにありがとうございます!
歴史は学びもあるし楽しいし、最高ですね!!
Thanks!
いつもご支援いただき、まことに感謝しております……!
有り難き……有り難き幸せェ!!
使いづらい領土を手放せる奴は優秀
ハドリアヌス帝「せやせや」
損切り出来る人は優秀ですね
@@ヨーク公リチャードプランタジネット ティベリウス帝「そーそー。拡大すりゃいいってもんじゃ無い」
サッチャー「わが内閣に男は一人しかいないのか!」
@@ヨーク公リチャードプランタジネット
ジョン失地王「そうだよ(便乗)」
いつか成化帝の側室万貴妃も取り上げて欲しいです
咲熊で紹介されているので予習してくれ
洪熙帝も在位が短く早死にしたから名君扱いされてるけど長生きしたら案外何かあったかもしれない
紂王も万暦帝も在位1年程度で崩御していたら名君で終わったろうに・・・
そんな名君の治世を全部台無しにできる万暦帝はさすがというほかない
逆に、無能皇帝でも天寿を全うできる程に、過去の名君達の治世の遺産が偉大だったって事にしておこう。
……まあ、負の遺産もあったけど、名君の治世当時ではちゃんと機能していたんだし。
名君一人につき一本の動画にできず三人まとめてにせざるを得ない所が明の名君の悲しさ。在位期間が短すぎるわな。
明代にも三世の春があったんですね。次回はいよいよ清朝三世の春特集希望。
他のUA-cam動画で万貴妃の事を別の視点から解説してる方がいます。
成化帝・万貴妃のイメージが大分変りました。
鳥人間さんが明の名君特集やってる同じ日に俺の世界史さんが明の暗君特集やってて面白いですね!!
明朝の皇帝にも名君いたんだ!ですが在位期間が長い人でも18年、3人合わせて30年いくかいかないかというのは悲しすぎます(ちなみに万暦帝一人で40年だそうで...)。
うち二人が30台での崩御とは...。あと今回の陰の主役は宦官!鄭和最後の活躍あり、宦官の学問奨励あり(これがのちのち王振・劉瑾・魏「九千九百歳」忠賢の台頭を許す結果になりますが、弘治帝はよい宦官に助けられています...うーん、善悪両面ありますね)と裏方として八面六臂の活躍を見せています。皇帝もバラエティー豊かですが、明朝は宦官も善悪いずれもキャラが濃くて面白いです。というか中国史、伝説時代から中共時代まで、おもろない時代が一つもないのでは?
善人ほど早死にする。……まさに、その言葉通りだなぁ。
0:03 これはまた ものを知らん奴だネ
偉大な皇帝というのは 輝いて見えるものだヨ
真面目に働いた人が過労で早死するの本邦の執権北条氏みたいだぁ……
そして引き立つ洪武永楽のバケモノ感。絶対生命力強い。
清の雍正帝が早死したのも過労の説があるんだよね。
長生きしたのは暴君だったからではないかと想像しています。
ある意味で好き勝手に大勢の人の人生と命を弄ぶことで、過大なストレスを発散させていたのでは?と…
5賢帝時代のローマ皇帝でも治世が長くて20年で限界ですからまともに政務に従事していたら寿命も縮むものかと
そう考えると4歳で即位し、16歳で親政を始めてから50年間も精力的に政務を勤め上げた康煕帝って規格外の名君だったんだな
錬丹なんかに嵌まったとかはないの?道士が出てきたけど?アヤシイ仙薬で命縮めるのは、あちらの皇帝多いよ。
弘治帝動画ずっと待ってたんで嬉しい。
あと、宣徳帝の興味一覧にさりげなく「女性」ってあったの良きかな
6:53 このパターン、どっかで見たような気がするんだよなぁ🤣
内閣の由来については意外だった。それにしても、宣徳帝・弘治帝をもってしても宦官をはびこらせてしまったとは、宦官問題の根の深さを垣間見せられた感じだ。そして、彼らが名君であったがゆえに他の皇帝、特に万暦帝のニート皇帝の異常ぶりが際立つ。これほど名君と暗君の両極端が目立った王朝はザラにないのではなかろうか。
別々のチャンネルでほぼ同時に明の名君動画と暗君動画がアップされるとは、なんというめぐり合わせ。
お疲れ様です。
漢の中興の祖「宣帝」も出生が可哀想でしたね。
宣帝も神仙の術にはまったと聞いていましたので
何か弘治帝と似ている気がします。
弘治帝も宣帝も雍正帝ぐらい仕事をしていたのか
結構若くて崩御されているなと感じました。
仁宣の治が文景の治ぐらい続けば、弘治帝の知性が30年ぐらいあれば明も違う道を辿れたのだろうか…(遠い目)
内閣⇒宦官⇒皇帝の決済ってルートの根本的な改善ができなければ結局あんま変わらなそうではあるかなと思います
@@雪ヶ谷れいる 内閣のまとめ役は必要でも、やっぱりそれとは別に汚職対策用のルートを作って置くべきかな?
……もちろん、両方が癒着しないようしておかないといけないけど。
いつも大変面白い動画ありがとうございます!
登録者10万人達成したら、鳥人間さんの解説をトリ扱ってほしい人間の書き込みをお送りします。
ちょうど俺の世界史の動画で暗君の紹介動画になっていたので、反対の明君の紹介動画を出していただきありがとうございます。色々と言われていますが、明朝は評価できる事が多いのですよね。
ご支援いただき、まことにありがとうございます!!
全くの偶然でしたが、多くの方々に楽しんでいただけてよかったです!
ありがとうございます!しかし「名君と安定した治世を追い求める」大嘘 笑
創業守成ですね。
長寿王朝になるためには三代目あたりの役割も重要ですが、永楽帝で一度リセットされていると考えれば、この辺りが三代目の役割になるわけですね。
覇権や強権からの方針転換や、統治機構のシステム化など、明朝が長く続く要因となったのは、やはりこの代で名君が現れたから、なんでしょうね。
しかし、同時に失敗の因も作ったしまったわけで、内閣と皇帝の間に宦官の秘書官をかませたことで、宦官に事実上の拒否権(ベトー veto)を持たせてしまい、後の宦官の跋扈を招いてしまいました。
弘治帝も中興を果たしましたが、現代では賞賛されるべき一夫一妻制も、当時の皇帝としては後継者の選択肢を狭めてしまった、という点でマズかったですね。
皇帝独裁は、皇帝がミスするとなかなか修正が効かないという点で、やはり問題が多かった、ということなんでしょう。
統治に対してのチェック機能が無いもしくは弱いという欠点がありますからね
逆に共和政ローマ、ヴェネツィアなどのチェック機能(元老院)をもつ寡頭政は大国統治には向かないですし
弘治帝で大河ドラマ作れそう。
折しも徳川ご宗家ではこの度代替わりがあり、先代様から当代様へ家督が禅譲されたと報じられました。
その徳川将軍15代を見渡しても、後半には暗君が現れるようになりました。
明代皇帝も徳川将軍も続けて名君を排出する事が出来な輩出する事が出来なかった。それに人の世の業とか限界めいたものを感じました。
他の方は明の暗君されてましたが、暗君の方が人数多いのは気のせいかな~(笑)
趣味人でも政務を疎かにせず、臣下がまともなら名君となり、疎かにすると徽宋となるのですね🙇
実家のサンヨーのエアコンは30年近く現役で、明の三楊のように息が長いです。
これ見て思うけど康熙帝と乾隆帝が超人すぎる。
@なかこ
在位期間が長すぎるのは良いことではないこともあり、康熙帝は後期に九男嫡男の党争に陥って政権が腐敗し、乾隆帝後期でも昏庸に向かった、大汚職官と坤を任用し、英国の通商要請を拒否し、国内でも白蓮教の大蜂起が勃発した
@べる
在位期間が長すぎるのは良いことではないこともあり、乾隆帝後期でも昏庸に向かった、大汚職官と坤を任用し、英国の通商要請を拒否し、国内でも白蓮教の大蜂起が勃発した
明朝ってこの3人でシステムを整えた感じやね🤔
長生きしてたら名君になれた可能性のある泰昌帝。。。
在位1か月。。。
0:27 「のみ」って言い切っちゃってる悲哀…
次は天啓帝を見たいですね
28:03
ラ~カゼット ラ~カゼット
(フゥ フゥ)
夢のラカゼットたかた~
長崎が彼を獲得してくれんかなぁ
明って名君と暗君の落差が激しすぎw
洪熙帝の在位期間が万暦帝くらいあればよかったものを…なぜ天は逆にしてしまったのか
在位が短かったから、欠点が暴露されなかったという意見もあります。学者の李時勉が諫言したところ、彼の肋骨を折るよう命じて、投獄しました。
南京遷都が実現したら永楽帝が構築した北方の防衛線と経済に負の影響がでたかもしれません
良い皇帝が続くのは大体2〜3代なイメージ
例外として高麗は100年以上名君が即位した。その後は傀儡か暗君だったけど…
@@ゆっくり恐怖レストラン はえ〜、すっごい長期…
あんま例ないけど23代目が暗君だとどうなるんだろうw隋みたいくなるんだろうか…
何というか、創業よりも守成の方が難しいと考えた唐太宗の考えもわかる気がします。
個人の能力に頼ったシステムは負担が重い…しかし権力は自身の拡大を常に志向する…そのバランス調整を、創業期のような「共通の敵」無き状態でせねばならない。
うぽつです。
真面目に働いてた名君が早く退場して、そうじゃない皇帝が長く居座る所はブラック企業感がありますね…それだけ初代の洪武帝が化け物地味た能力の持ち主だったことの証左でもありますが
これはまさに洪武帝が確立した体制が非常に安定しており、皇帝が政治に参加しなくても国を安定させることができることを示している。実際に昏君明君の区分は明朝の成熟した制度の下で国全体に与える影響は大きくなく、せいぜい中央上層部に影響を与えることが多い。この3人が明君を作ったのは儒家文人の基準に合致しているからだと有名だ。
万暦帝の統治期間を考えると、確かに真面目な皇帝は早死になんですね
17:44 地味に女性とかいう他の趣味とは異質な文字あって草
まあ英雄色を好むとはいうけれど...
Great video😄
不偏不党の万暦帝こそが名君に見えるのですが,夭折だったり善人っぽい君主ばかり評価の高い正史には無念を覚えます。今回も面白かったです!
君臨すれども統治せず()
不偏不党(本格的に何もせーへん)
傀儡能力さえ低くて,身を持ち崩す君主も多いですからね。 特にピンチになってもオタオタせずに統治が続くってのが君主の資質のような気がします。
名君はやべぇエピソード無いし代が続くから抱き合わせ解説されがち
有名でない名君の紹介も楽しい!
「名君詰め合わせセット」、名君の時代は暗君の時代に比べて事件が起きにくいからどうしても薄味になるってことでは…
3人とも早逝しちゃってるけど大帝国の皇帝なんて平穏な時代でも激務の毎日だったろうしねえ。
国務大臣を全て兼任しようとした洪武帝朱元璋ってヤバイやつなのか?
凄い激務やぞ
ハドリアヌス帝も詩人に皇帝にはなりたくないものと揶揄されてましたね
ちなみにサンヨーの楊士奇・楊溥・楊栄ですが、特に血縁関係とかはありません
これを見ていると、清の歴代皇帝が明を反面教師にした理由がよくわかる。
実際に清朝皇帝は洪武帝、永楽帝を高く称賛し、洪武帝を「治隆唐宋」、永楽帝を「遠邁漢唐」と呼んだ
そしてそれでも清朝の入関後の統治は268年だったのに対し、明朝は276年も全国統治を維持した
洪熙帝が康熙帝並みに治世が長ければ・・・😢
うまい駄洒落です。
主に洪武帝と永楽帝が確立した体制が非常に安定しているため、皇帝が政治に参加しなくても国を安定させることができ、実際に昏君明君の区分は明朝の成熟した制度の下で国全体に与える影響は大きくなく、せいぜい中央上層部に影響を与え、この3人が明君を作ったのは儒家文人の基準に合致しているからだ。だから明は276年にわたって長く、ほとんどの時間が太平で安定した時期であり、いわゆる「昏君」や「明君」の変化にかかわらず、これは政治が不安定な時期(例えば唐後期、晋)と比べて庶民にとっては天国になっている。庶民は太平で安定した社会を必要とするだけだからだ。
『明史』は弘治帝を評価する際、「仁、宣の際、国勢が初張し、綱紀が修立し、純朴で未漓。成化以来、太平と号して何事もなかった」という太平の局面は万暦の局面の末期まで続き、これで万暦の時期の経済繁栄、資本主義の芽生えが現れた。
康熙前期は太平ではなく、明清の際に戦乱はまだ末に回復し、三藩の乱はまた大半の中国を席巻し、このような破壊は康熙後期になってようやく徐々に回復してきた
@林原琴乃
康熙前期は太平ではなく、明清の際に戦乱はまだ末に回復し、三藩の乱はまた大半の中国を席巻し、このような破壊は康熙後期になってようやく徐々に回復してきた
9:00
中国史の動画とか見過ぎて、皇帝の名前見ただけでどう言う政治したのかちょっと想像つくようになった。
独裁者って忙しいよな。国の決定に関わる全ての決裁が回ってくると考えたら寝る暇も無さそう。
あのヒトラーですら連合軍が何もしなくても、激務過ぎて自殺するまでもなく死んでただろうと言われてるし。
明君3人合わせて30分の尺の動画しか作れない所に
却って明王朝の闇を感じてしまう…
創業者と準創業者は何本作っても足りないのにね。
乱を鎮めた者は英傑と称えられ乱を未然に防いだ者は知られる事もない、墨子の故事を思い出しますね
次に、洪武帝と永楽帝が確立した体制は非常に安定しており、皇帝が政治に参加しなくても国を安定させることができ、実際に昏君明君の区分は明朝の成熟した制度の下で国全体に与える影響は大きくなく、最も多くは中央上層部に影響を与え、この3人が明君を作ったのは儒家文人の基準に合致しているからだと知られている。だから明は276年にわたって長く、ほとんどの時間が太平で安定した時期であり、いわゆる「昏君」や「明君」の変化にかかわらず、これは政治が不安定な時期(例えば唐後期、晋)と比べて庶民にとっては天国になっている。庶民は太平で安定した社会を必要とするだけだからだ。
殉葬は、第6代の英宗が反対してました。ただ、政治的理由で第7代代宗の妃を殉葬してます。死の直前に殉葬の禁止を命令し、事後、公式にはなくありました。
宣徳帝の創設した宦官の教育機関内書堂は後世に顧炎武に最大の失敗であったとこき下ろされていますが実際に内書堂出身の悪徳宦官は王振くらいのものであり後の王振以上の悪徳宦官劉瑾や魏忠賢は内書堂出身ではありません(学んだ可能性があるかも)。故に宣徳帝が創設した内書堂はプラス面の方が多いかと自分は思います。実際内書堂が無ければ弘治帝の教育係であった覃吉を輩出しませんでしたし、そうなれば弘治帝も名君ではなく暗君になってしまっていたかも知れません。
今回も動画を閲覧した者です。
今回も明王朝のお話なんですね。
前にも話しましたが、自分の兄弟は歴史好きで特に長兄が歴史に強く、話が始まったら大学の講義並みになります。
その際に【明王朝は最悪だぞ】とよく話しており、いまいちだと思っていましたが、優秀な皇帝が3名いたことには、初めて知りました。
良い政治をし、【さあこれからだ】という時に、各々の皇帝が短命であったことは、残念でなりません。
もし、長生きをしていたら、明王朝の評価は大きく代わり、当時の国民にとっても良かったのではないか、と思います。
今回も良い勉強になりました。本当にありがとうございました。
新型コロナやインフルエンザが猛威をふるって危ない時期ですが、投稿者さんにおかれましては、健康とメンタルに気をつけていただければ、幸いです。
話が長くなりましたので、ここで筆を置きます。
乾隆帝・愛新覚羅弘暦驚異の80歳越えおめでとうございます!
「うちの趙構も80歳越えだ。」「わしの孫のクビライもギリ80歳だ。」
明代の皇帝に80歳越えがいないのは真面目に政務に携わり過ぎて過労死したからだと思います。ハイ。
なあ、なんで、1時間の差で、
大明帝国の名君紹介の本動画と「せっかくだから俺は!明のヤバい暗君たちについて語るぜ!」(俺の世界史ch)がUPされているのさ…(絶句
UP主、謀った?
洪熙帝は、ローマ皇帝のティトゥス帝みたいな感じやね
コウキ帝、肖像画では、そこまで肥満しているように見えないのは、やはり、描き手がそれなりに忖度したのだろうか。名君回だからか、霊夢の成長も窺える明るさを感じる回だった。精鋭皇帝の間も明は「なんとかなっていたのではなく」「どうにかなっていったの」では
暗君の治世が長いのが明王朝。これであれだけもったのは凄いかと。
あとは、景泰帝もわりかし有能なイメージがある。
それと、中国史で過労死と聞くと何となく三国時代の例の人を思い浮かべちゃうけれど、この時代は皇帝専制体制だった分「例の人」と同様1人にかかる負担が大きかったのでしょうね…。
まともな皇帝が明には3人(崇禎帝は判断が難しいので除く。あと、景泰帝は判断材料がないのでカット。)しかいない…。明は問題のある暗愚な皇帝ばかりが出てこないし、真面目に政務を執った名君は寿命が短い…。明王朝は皇帝の独裁制が強かったため、歴代王朝に比べても仕事が激務だという話もあるので、明王朝の名君の寿命が短いのはやはり働きすぎですかね…?(過労死?)でも、暗君は暗君で不摂生な生活や暗君ゆえのしくじりのせいで寿命が短い人が多いんですよね…。(ガチで何にもしなかったニート皇帝万暦帝が長生きなのが何とも…。)
今回の動画で、明の歴代皇帝の動画が大体揃いましたね…。(泰昌帝と天啓帝は魏忠賢の動画で十分な気がする。)後は成化帝(万貴妃とセット?)と隆慶帝(でも隆慶帝はエピソードが少ないからカットしてもいいかも…。)ですね…‼
明皇帝ガチャしたら13/17(16)で闇深皇帝が出てくるのか…ガチャとしてはいい感じに楽しめる確率ですね(棒)
沼ガチャでっせw
名君はSSレアで、ガチャは闇鍋かな。
そういえば、洪武帝、永楽帝、洪熙帝、宣徳帝、弘治帝、数も多くなく、また景泰帝、成化帝、隆慶帝も合格した守成の主は上位5位ほど際立っていないと思います。
こう見ると、清の皇帝がいかに真面目なのかが分かるという…
太子密建Vやねん。
愛新覚羅氏など、どう見ても天才の家系だぜ。
日本語のネイティブスピーカーでもないのに、青年期から日本にやって来て楽々と日本語をマスターした上で、日本の医師国家試験に合格した方までいらっしゃる。並の知能レベルの方では絶対にないぜ。聖祖康熙帝もかくやと思わせる高水準な知能の方だ。
いうて、晩年の康熙帝も露骨にやる気なくして、財政大赤字になったんですよ。そのために雍正帝は寿命縮めるほど働かねばならなかったんですね。(それを含んでも康熙帝は名君であります)
雍正帝の太子密建は本当に偉大な措置
異民族だからスキを見せるわけにはいかんかったわけやしね
独裁制で名君(生涯政務熱心)かつ長生きしてる、武帝(漢)、洪武、永楽、康煕、乾隆あたりは完全に人間辞めてるレベルだと思うわ。
東洋史家の三田村泰介は名著『宦官』の文中で庶民から一代で大帝国を築いた劉邦や朱元璋を「人間から非人間になった者達」と述べています。
名君回イイネ
いつかSANYOについても詳しく語って欲しいな
明の名君&暗君(俺の…チャンネル)どっちを先に見るべきか悩みました。投稿時間順でこちらを先に拝見しています♪
ワァー明の皇帝達は名君揃いだあ。よーし!他の動画も見ようっと!…ぁっ
沼にようこそ....
チビるで
こんばんは。鳥人間さんはウィスキー好きなんですかね?私は病気でお酒飲めなくなるまで何でもござれのお酒好きでもちろんウィスキーも好きだったんですが残念です。
明王朝の名君特集?うせやろ!wやっぱいくら名君でも長生きしないと後に残らないというか続かないというかホント残念賞だよね。あと後継者教育も時間かけて出来ないしね。
で、思い起こせばとんでもない暗君ほど長生きするとかあるしそこら辺が歴史の皮肉だよなあ。
眩しすぎますw数世紀単位の稀有な、いちもるとも不安のない中国史の予感がします😊
虚弱な息子よりも利発な孫に期待
永楽帝→吉宗、洪煕帝→家重、宣徳帝→家治という感じですか
宣徳帝と家治は多趣味なのも共通点ですね
洪煕帝と家重の共通点はちょっとわかりません/(^o^)\
廃嫡されかけた事だと思う
明君主が不老不死だったらと思ってしまう
十二国記の世界じゃないと・・・
嘉靖帝「生娘の器で丹薬飲まないからこんなことになるんやぞグビグビグビ〜」
暴君ほど不老不死を望む中国史の不思議
万暦か天啓が不老不死だったりしたら大変
@@oggi-ih8hv さま
えらいこっちゃ
まってた
殉葬とかいう冊封国からドン引きされた風習
実務経験のある皇帝は強い
仁宗については、荒淫で寿命を縮めた説があります。李朝実録にそのような記録があるそうです。(新宮学先生の『北京遷都の研究』より)
三帝の治世期間合計が嘉靖帝と万暦帝単独の在位期間に及ばないというのが歴史の皮肉ですな。
洪熙帝の南京への遷都が実行されていれば?
その後の歴史は、結構変わったのじゃないかと思うし、そのIFは興味深いです。
少なくとも土木の変はなかったか、あっても違った形になっていたでしょうし、後の女真族、満州族との関係も違ったものになっていた可能性は高いかな。
少なくとも、清は成立しなかった可能性が高いですね。それが良かったのか悪かったのかわかりませんが。
崇禎帝も例の癖と例の引きこもり皇帝の直後ぐらいに即位したら・・・、と思ったりもします。