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この時のエピソードがあるから呉が好きになれないんだよなあ
そうなんですよね… 完全に同盟より自分の領地拡大で欲しがるというのはやはり人には好かれないやり方ですからね…
羅憲の孫の羅徽は永嘉の乱で戦死してますし、甥っ子の羅尚も病死するまで忠実に西晋に仕えてますし、忠義の家系だったのかもしれませんね。
羅憲や霍弋・傅僉といい、蜀末期は本当に忠誠心のある武将が多いですね。
まったく知らなかった。「名将」と呼ぶにふさわしい見事な人物。勉強になりました。
姜維とかと仲がよかったりしたらとかのIFが頭によぎる名将。王朝が滅ぶときに最後の意地を見せる将軍とかは、本当に光り輝いて見える。※普通はこの後最後は死んでしまって・・になるが、その後の王朝でも活躍するというのもまたいいですね。
因みに羅憲の甥である羅尚は西晋が呉征伐の戦を起こした時に王戎軍の先鋒として参戦し、呉が滅亡すると梁州刺史に任命されている。その後は反乱を起こして討たれた益州刺史趙廞の後任として益州刺史に転じ、異民族や流民の反乱平定に奔走した。
李特を敗死させるなどかなりの活躍をしましたが、李雄に敗北して成都を失陥したのも彼ですよね。西晋の忠臣であったことは間違いないです。
羅憲の人生を現代日本人の感覚で考えるなら・・・東京が人民解放軍に陥落させられて、ロシア軍が援軍と称して北海道に上陸してくるようなもの。そのような状況で北海道を守っていた自衛隊の部隊長が半年にわたって防衛して日本を無用の戦火から救う。でも戦いに勝っても、日本はもう存在しない。これくらい絶望的な中で羅憲は戦っていたのだね。
羅憲は素晴らしい忠義の人です呉はこのようなときに火事場泥棒してるんですよね…とてもじゃないが制圧できてもかすめ取った土地では人心はつかめなかったでしょう
「どんな国にも士は居り、それを用いることができれば国は繁栄し、できなければ衰退する」誰の言葉か忘れたけど、羅憲もその士だな。
わーわー!すごい所紹介されますねʕº̫͡ºʔ知る人ぞ知る本当の名将ですね。チョイスが最高過ぎます。
才能にも優れてたけど日々研鑽を怠らず驕らず努力家で周囲にもその能力を認められてた一方で生真面目で曲がった事が大嫌いな羅憲さん・・・それ故に僻地へ左遷されるも盟約を破って火事場泥棒して来た呉に大激怒して徹底防衛を貫いて流行り病が蔓延するも守り切る(因みに相手にした敵将は呉の当時最強クラスの人)凄まじい戦いっぷりを見せる、何気に援軍を進言したのが当時の臣下の中でも人柄は一番とも言われてる位の男陳騫というのがこれまた面白い、その陳騫からこの人の人柄を前にして私なんて及びませんと本気で言わせた男が唐彬・・・人柄の優れてる人は才人も呼び寄せるのだろうか?
羅憲待ってたので嬉しい
各地の乱を鎮め、交州を平定。南中都督まで上った霍弋さんもお願いしやす。
呉懿をお願いします
千島列島の戦いを思い出した。
名将ですなぁー
日本の総理大臣になって欲しい人材だな
羅憲が呉に寝返りをしていれば、益州を巡って呉と魏の戦争になっていたかもしれませんね。
歴史にもしは無いですが、成都防衛の任を羅憲が担っていたら、どうなっていたでしょうね!でも羅憲がこうして活躍して、陳寿を晋に推挙したからこそ、今の三国志がある、そう考えると、凄く重要な人物だと思います!😆
最後の最後に天下二分の実現に乗り出した孫呉から永安を守り抜き、実質的に乱世の終焉を早めましたね。ずっと中央で働いていて、黄皓に左遷されてなかったら戦に出ることもなかったと思われるので、その意味では黄皓のおかげで名将として歴史に名を残したといえますね。
執念の粘りは本人の胆力もさることながら劉備・孔明・数多の武将達が助力したと思いたい
孔子「子貢はほっといてもすぐ金儲けちゃう笑(煽り)」(論語巻第六『先進』)
その金がないとやっていけないでしょう?
@@gionsyouji5831 孔子「正直君子だって貧乏はツライい(困る)。ただ小人と君子が違うところは、小人は貧乏でツラくなると簡単に道理を外れる(明らかに「ワシは違う」と言いたげなドヤ顔)」(論語巻第八『衛霊公』)
先生だって子貢の金と子路の腕力がなかったら道を踏み外してたんじゃ・・・
@@gionsyouji5831 孔子「顔回は(私以上に)仁の人だが融通を効かせることを知らない。子貢は(私以上に)言葉巧みだが沈黙の価値を知らない。子路は(私以上に)勇敢だが慎重であるという事を知らない。子張は(私以上に)威風堂々としているが人と和することを知らない。つまり(4つの長所を持つ)この四人が束になっても(短所も4倍になるので)私以上ではあるまい。故に私の方がえらい😃✌」(列子『仲尼』)
@@kappanouen さんああいえば孔融。・・・おっと孔丘だった。ごめんなさいすみませんいってみたかっただけなんですてか、ちょっと心配してましたが、お元気そうで何よりです。(^^)
漁夫の利は三国共にですね。天下三分の計は正にバランスオブパワーのいい見本ですね。
羅憲をプロ野球選手に例えるなら、近鉄最後の年にエースとして活躍し、新球団楽天でも引き続きエースとして活躍した岩隈久志投手といったところでしょうか?
これだけの見識と知勇を兼ね備えながら…かつて諸葛亮が出師の表で「賢人を用い小人を遠ざけたるが前漢興隆の由縁 賢人を遠ざけ小人を用いたるが後漢衰亡の由縁」と述べたが、後者と同じ道を歩む事になるとは因果な😣
この時のエピソードがあるから呉が好きになれないんだよなあ
そうなんですよね… 完全に同盟より自分の領地拡大で欲しがるというのはやはり人には好かれないやり方ですからね…
羅憲の孫の羅徽は永嘉の乱で戦死してますし、甥っ子の羅尚も病死するまで忠実に西晋に仕えてますし、忠義の家系だったのかもしれませんね。
羅憲や霍弋・傅僉といい、蜀末期は本当に忠誠心のある武将が多いですね。
まったく知らなかった。「名将」と呼ぶにふさわしい見事な人物。
勉強になりました。
姜維とかと仲がよかったりしたらとかのIFが頭によぎる名将。王朝が滅ぶときに最後の意地を見せる将軍とかは、本当に光り輝いて見える。※普通はこの後最後は死んでしまって・・になるが、その後の王朝でも活躍するというのもまたいいですね。
因みに羅憲の甥である羅尚は西晋が呉征伐の戦を起こした時に王戎軍の先鋒として参戦し、呉が滅亡すると梁州刺史に任命されている。その後は反乱を起こして討たれた益州刺史趙廞の後任として益州刺史に転じ、異民族や流民の反乱平定に奔走した。
李特を敗死させるなどかなりの活躍をしましたが、李雄に敗北して成都を失陥したのも彼ですよね。西晋の忠臣であったことは間違いないです。
羅憲の人生を現代日本人の感覚で考えるなら・・・
東京が人民解放軍に陥落させられて、ロシア軍が援軍と称して北海道に上陸してくるようなもの。
そのような状況で北海道を守っていた自衛隊の部隊長が半年にわたって防衛して日本を無用の戦火から救う。
でも戦いに勝っても、日本はもう存在しない。
これくらい絶望的な中で羅憲は戦っていたのだね。
羅憲は素晴らしい忠義の人です
呉はこのようなときに火事場泥棒してるんですよね…
とてもじゃないが制圧できてもかすめ取った土地では人心はつかめなかったでしょう
「どんな国にも士は居り、それを用いることができれば国は繁栄し、できなければ衰退する」
誰の言葉か忘れたけど、羅憲もその士だな。
わーわー!
すごい所紹介されますねʕº̫͡ºʔ
知る人ぞ知る本当の名将ですね。
チョイスが最高過ぎます。
才能にも優れてたけど日々研鑽を怠らず驕らず努力家で周囲にもその能力を認められてた一方で生真面目で曲がった事が大嫌いな羅憲さん・・・それ故に僻地へ左遷されるも盟約を破って火事場泥棒して来た呉に大激怒して徹底防衛を貫いて流行り病が蔓延するも守り切る(因みに相手にした敵将は呉の当時最強クラスの人)凄まじい戦いっぷりを見せる、何気に援軍を進言したのが当時の臣下の中でも人柄は一番とも言われてる位の男陳騫というのがこれまた面白い、その陳騫からこの人の人柄を前にして私なんて及びませんと本気で言わせた男が唐彬・・・人柄の優れてる人は才人も呼び寄せるのだろうか?
羅憲待ってたので嬉しい
各地の乱を鎮め、交州を平定。南中都督まで上った霍弋さんもお願いしやす。
呉懿をお願いします
千島列島の戦いを思い出した。
名将ですなぁー
日本の総理大臣になって欲しい人材だな
羅憲が呉に寝返りをしていれば、益州を巡って呉と魏の戦争になっていたかもしれませんね。
歴史にもしは無いですが、成都防衛の任を羅憲が担っていたら、どうなっていたでしょうね!
でも羅憲がこうして活躍して、陳寿を晋に推挙したからこそ、今の三国志がある、そう考えると、凄く重要な人物だと思います!😆
最後の最後に天下二分の実現に乗り出した孫呉から永安を守り抜き、実質的に乱世の終焉を早めましたね。
ずっと中央で働いていて、黄皓に左遷されてなかったら戦に出ることもなかったと思われるので、その意味では黄皓のおかげで名将として歴史に名を残したといえますね。
執念の粘りは本人の胆力もさることながら劉備・孔明・数多の武将達が助力したと思いたい
孔子「子貢はほっといてもすぐ金儲けちゃう笑(煽り)」(論語巻第六『先進』)
その金がないとやっていけないでしょう?
@@gionsyouji5831
孔子「正直君子だって貧乏はツライい(困る)。ただ小人と君子が違うところは、小人は貧乏でツラくなると簡単に道理を外れる(明らかに「ワシは違う」と言いたげなドヤ顔)」(論語巻第八『衛霊公』)
先生だって子貢の金と子路の腕力がなかったら道を踏み外してたんじゃ・・・
@@gionsyouji5831
孔子「顔回は(私以上に)仁の人だが融通を効かせることを知らない。子貢は(私以上に)言葉巧みだが沈黙の価値を知らない。子路は(私以上に)勇敢だが慎重であるという事を知らない。子張は(私以上に)威風堂々としているが人と和することを知らない。つまり(4つの長所を持つ)この四人が束になっても(短所も4倍になるので)私以上ではあるまい。故に私の方がえらい😃✌」(列子『仲尼』)
@@kappanouen さん
ああいえば孔融。・・・おっと孔丘だった。
ごめんなさいすみませんいってみたかっただけなんです
てか、ちょっと心配してましたが、お元気そうで何よりです。(^^)
漁夫の利は三国共にですね。天下三分の計は正にバランスオブパワーのいい見本ですね。
羅憲をプロ野球選手に例えるなら、近鉄最後の年にエースとして活躍し、新球団楽天でも引き続きエースとして活躍した岩隈久志投手といったところでしょうか?
これだけの見識と知勇を兼ね備えながら…
かつて諸葛亮が出師の表で「賢人を用い小人を遠ざけたるが前漢興隆の由縁 賢人を遠ざけ小人を用いたるが後漢衰亡の由縁」と述べたが、後者と同じ道を歩む事になるとは因果な😣