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ご視聴ありがとうございます!1991年に閉館した京都嵐山美術館ですが、具体的な所在地を知っている方、是非教えてください!(最寄駅から徒歩何分ぐらいだったとかでも)
主な展示品の行き先は次の通り①四式戦闘機 疾風 I型甲 - 実物。世界で唯一原型を留めた機体。フィリピンの戦いにおいて、アメリカ軍に鹵獲された経歴を持つ第一線からの里帰り機。現在は知覧特攻平和会館で屋内展示されている。②三式戦闘機 飛燕 - 高知県沖の海中から引き上げられた機体が胴体前部と主翼桁のみと言う不完全な状態のものが展示された。閉館後、所在不明。③大発動艇 - 当時、唯一国内に現存している実物だった。閉館後に破棄したとされる。④零式艦上戦闘機六二型 - 実物。終戦間際に琵琶湖へ不時着水し湖底に沈んでいた機体を1978年(昭和53年)に引き上げて復元したもので、2002年(平成14年)までは零パークに展示された。2005年からは呉市海事歴史科学館(愛称:大和ミュージアム)が展示を開始した。⑤九五式軽戦車 - かつてポナペ島に2輌あったものが日本に送られ、うち1輌を取得したもの。博物館の閉鎖に伴い車輌は英国の個人に売却され、ダックスフォード帝国戦争博物館での展示に向けてポーランドでレストア中であったが、2019年にNPO法人「防衛技術博物館を創る会」により、クラウドファンティングにて里帰りプロジェクトを行い、同法人への所有権移転およびレストアを達成した。同年6月にイギリスの「ボービントン戦車博物館」で走行した姿をお披露目された。将来的に日本への里帰りを行う予定。⑥九五式野砲⑦一式機動四十七粍速射砲⑧特殊潜航艇 海龍 -閉館後、零式戦闘機六二型と同じく2002年(平成14年)までは零パークに展示されていたが、2005年からは呉市海事歴史科学館(愛称:大和ミュージアム)によって、復元可能な部分を修理され展示されている。⑨震洋⑩回天⑪戦艦陸奥の主砲、副砲、舵、主錨 - 2018年4月現在、呉市海事歴史科学館(愛称:大和ミュージアム)の入口横にて屋外展示中。
調べたら出てきました。京都市右京区嵯峨天龍寺造路町33-22だそうですグーグルマップで住所を調べたところ今は跡形も無いようですが
@@だがタカシ ありがとうございます😭やはり取り壊されてしまったのですね、外観は風情あって好きでしたが笑
@@hien_61 wikiには区画整理で閉館とあったので建物も残せなかったんでしょうね閉館後に散逸してしまった展示品共々残念なことです
@@だがタカシ 所在地を確認してみたところ跡形もないですね〜閉館時には唯一現存していた大発動艇も破棄されてしまいましたから残念です。。。
戦後日本では飛行機の開発が禁止されましたが、なぜかジェットエンジンの開発は禁止もされずに、ネ20の拡大改良型のネ30が、戦後日本のガスタービンエンジン開発の基礎となったと聞きます。アメリカには、早くからイギリスのジェットエンジン技術が導入されていて、戦中にすでに戦闘機も開発されていたのですが、それは遠心圧縮型ジェットエンジンでした。現在主流の軸流圧縮型ジェットエンジンは、終戦時にはドイツと日本にしか無かったのです。現在・・・大型の軸流圧縮型ガスタービン市場を、ドイツと日本とアメリカの企業が独占している、というのは興味深い事実です。
待ちに…待ちました!橘花‼️。本当に‼️ありがとうございます‼️これからも、頑張って下さい‼️
橘花とネ20の組み合わせの性能云々は別にして、敗戦前にジェット機を作り上げ、ともかく飛ばした。技術者たち(パイロット・製造者・現場の人たち諸々)の執念みたいなものには頭が下がります。
自分も本当にそう思います。戦中に日本発のジェット機を日本人が飛ばしたことは世間的にはあまり知られてませんからね...それをできる限り伝えていきたいと思っております。
ほんと大したもんだよ。よく少ない情報でも軸流式ターボジェットエンジンを完成させそれで推進飛行する機体を作れたものよの。
日本に還ってきたのがエンジンだけでよかったですね。スペースをあまり取りませんから。機体ごと返してもらっていたならば、今頃ボロボロになっているところでした。
素晴らしい動画、ありがとうございます、次の動画を楽しみにしてます。
ウォーサンダー混ぜで実際に飛んでいたことを見せる考えが天才すぎる😳🤯
松脂が燃料に出来るのが凄え
カ号観測機の1941年か42年撮影らしき記録フィルムは、そもそもの撮影時点でフィルムも非常に高品位なものを使っているし、そこに写されたカ号観測機もキレイな流線型でピッカピカ。関係者もニッコニコで肌艶も服も綺麗。一方の橘花は・・・たった4年余りで、ここまで追い込まれたことに無念を感じる。
えーっ、アメリカ軍が本気でネ20を参考にしてたってことですか?ひょっとしてだけど、軸流型に関してはアメリカよりも日本の方が進んでたかもしれないですね。まずは貴重な情報をありがとうございました。
23年前、ポールガーバーで本機を特別に見学しました。他、震電も触らせて頂きました。
本当ですか!羨ましいですね笑
@@hien_61 特別でした。驚いたのは、震電のボディーはベニヤ板の様な、材料不明な素材が使われていた事です。触るとボロボロと剥がれ落ちる感じで、ガーバーの技師も修復がすすまないって当時嘆かれておりました。最近の写真を見ても、全く進んでいない印象です。
@@小松裕一郎-d1l 震電の外板は動翼含め全て金属性だったのでそれは興味深いですね〜もしかしたら復元時に破損パーツを木などで補修したのかも知れませんね〜現状、図面がないとパーツが不足しているで完全な復元はできないそうですが、個人的には劣化こそしていますが当時そのままの状態なのでこのまま保存してほしいですね〜機首以外も展示してほしいと思いますが笑
メッサーシュミットを参考に開発がすすめられた。父も関わっていた!
日本でジェットエンジンが開発されたのは松根油でも稼動したから……ガソリン不足故の苦肉の策だったんですね。
それはドイツも同じ。メッサーシュミットMe262も褐炭などの低質の原料から作られた人造石油(ケロシン)で飛んでいました。同様の人造石油工場は日本にも有りました。ドイツからの技術(フィッシャー、トロプシュ法)をベースにし、独自の触媒(ドイツはルテニウム、日本は鉄系)を使った工場が北海道の滝川市に有り、石炭から人造石油を製造する事に成功していました。戦後は残念ながら安い原油に負けて解散してしまいましたが、当時の資料や人造石油のサンプルなどが滝川市の郷土館に展示されています。松魂油よりは、ずっとまともな燃料でした。
昭和の時代、ネ20は田無工場のロビー正面に展示されていた。
ファーストガンダムのキッカ(ホワイトベースに乗っている小さな女の子)の名前の由来となった飛行機ですね。機体やエンジンの顛末は全く知りませんでした。
橘花は海軍機の三菱系濃緑色じゃなく、陸軍系濃緑色っぽいね。中島だし。
何度も言ってますが飛行可能状態での保存はアメリカさんにお任せした方が飛行機にとって幸せです。 飛行不可なら日本でもどっかの博物館に屋内展示出来るでしょうけど。 なんか日本は復元を完成させる迄の事しか考えてなくてその後の維持、管理を全く考えて無い様に思えます。
もちろん様々な考えを持って機体を思って頂くことは素晴らしいと思います。自分の考えとしては、作られてから約80年も経つ機体を整備し、100%墜落せずに飛ばすのはかなり難しいと思います。この橘花が展示してあるスミソニアン航空宇宙博物館の飛行機は、飛行状態で維持している訳ではなく静態保存で展示されています。それは機体が貴重だからです。現在の日本では維持管理もしっかりしており、裏で細部まで点検がなされています。かかみがはら航空宇宙博物館では飛燕二型が展示されるということで大規模な改装まで行ってました。先ほども述べたように様々な考えを持たれることは素晴らしいですが、こういうことが行われてると知っていただけたら幸いです。長文すみませんでした(_ _)
@@hien_61 すみません幼い時に見た復元されて飛行する疾風の日本返還後の惨状がトラウマになってます。 飛行可能な零戦購入した資産家の方も維持管理費用が捻出できず売りに出した等のニュースを知ると"飛行可能"な大戦機の保存は日本では環境が悪過ぎると思っています。 勿論飛べなくても良いという状態ならば日本でも環境が整いつつあるというのは感じております。 橘花に関しては形の復元迄は希望しますが無理に飛行可能にして欲しいと迄は私も思っていません。 最初の投稿では私が言葉足らずだったようです。 すみませんでした。
@@esohsa4759 たしかに日本は飛行状態での維持には不向きですし、免許取得も米国ほど簡単ではないですからね...そういう面で見ると日本はまだまだ飛行可能機を維持できる状態ではないと言わざるを得ないですね。プレーンズ・オブ・フェイム航空博物館の零戦五二型は3回来日しており、その2回は展示飛行を行ったりと、日米共同での展示飛行が最も良いかもしれませんね〜
@@hien_61 零戦五二型の飛行は中学生の時、桶川に見に行きました。エンジン音がドロドロ粘っこい独特な聞いた事無いモノで、ああこれが星形エンジンの音なのかと思いました。 後年街中で零戦みたいな音が聞こえ何だ!?と思い見るとヤマハXV750というVツインエンジンのアメリカンバイクでしたwww V型エンジンの気筒を増やして一周させると星形エンジンになるので似た音になったんでしょうね。 約10年位前に同じ機体が所沢で展示されました。 老朽化が進み飛行は移動時だけで所沢ではエンジン始動だけでした。 機首の下に大きなオイルパンが置かれ、そこには結構な量のオイルが溜まってました。 この機体も近い将来飛べなくなるかもしれません。 何十年ぶりに対面した時は感慨深かったです。
そういや、知覧の飛燕も川崎で修復しようとした時に出す前提で建物を建ててなくて引っ張り出すのに偉い苦労したってやってたなぁ知覧川はフル修繕は考えてなかったかその場で出来ると思ってたのかしら…
当時のジェットエンジン運用は現在のように滑走路が舗装されていない事もあり運用時に異物を吸い込む可能性が高くエンジン破損につながりかねないという問題もあったようで使える基地が限られたと推測できる。
そもそもの稼働率も低かったようで、さらに砂地の滑走路では...何時間飛べるか以前に、始動するかですね〜
橘花のエンジン開口部には普段は木のフタをはめて(写真現存)、異物が混入しないようにしていました。離陸滑走中には前輪からハネあげた異物を吸い込みそうですね。
大昔にスミソニアンで橘花を見た時はエンジンナセル付いてた気がする。
ネ20(実物)はIHI瑞穂工場の展示室で見ましたね… 10数年前の話ですが…あと、生きた鶏(アヒル?)を試験運転中のジェットエンジンに放り込む動画とか…
タービンの組み立て方法が手探りだったそうな、当時の開発者が戦後アメリカ製エンジンのカットモデルを見てポンと膝をたたいたそうな。それでも50年代アメリカのF3Hデモンのウェスチングハウス製エンジンが謎のエンジンストールの原因がわからず、原因が何と雲中に入るとその温度変化からブレードがダクトにふれてしまいエンジンが止まるとの事、その位難しいのにごく短時間でジェットエンジンで飛行を実現したのだから確かに特筆に値すると思います。
昔航空ファンでポールバーガーの橘花の写真を見た時にエンジンナセルがそれまでに知ってた物と全然違っていたのでこんなのも有ったのか?と不思議でならなかったです。
IHIにあるネ-20は、もともと返却する予定で貸し出しを受けた物、展示が終わっても某氏が返却を拒んで拒否して・・・、大騒動になり・・・結果的に大学側がその勢いに折れ、保管を条件に無期限無償貸与になったと云う記憶が・・・、
日本のジェット機開発をまとめた書籍で私も読んだ覚えがありますちょっと本棚を探してみましたが見当たらなかうろ覚えですが・・・・
@@iak-as こいつは俺の息子みたいなもんだ、やっと帰還した息子を返すわけにはいかん!ってゴネたら大学側が折れて永久無償貸与って形にしたんでしたっけ
米国でネ-20を研究材料にしたというのは読んだことがありますが、BMW-003の鹵獲品は相当量有ったと思いますが、ネ-20に何か優れたところが有ったのでしょうかね?
ユニーク視点での動画に感心しました。開発物語は子供の頃、毎日小学生新聞で読んでた記憶がよみがりました。開発責任者は種子島さんだったような?
ありがとうございます(_ _)解説では人名は出していませんでしたが、ジェットエンジンでは種子島大佐が指揮して開発をされました。橘花とは別に、栄IPRという日本初のジェットエンジンを開発されたりと日本航空技術において多大なる貢献をされたと思います。
返信ありがとうございました。何故か感激しました。種子島さんは中尉?大佐?どっちだったかな?と思い出せませんでしたが、大佐だったんですね(そりゃそうだよなぁ😅)お陰でスッキリしました。思い出話の続きですが、その連載記事に図面が載ってて、私なりに蒲鉾板などを削って製作したのですが、夏休みの工作発表展示で上級生の作品とのレベルの差を見せ付けられて愕然とした事を懐かしく思い出します。
日本初のジェット戦闘機?(モデルはMe262だけど…)いつか復元して空を飛んでほしい
エンジンの耐久性が短すぎるので完全に復元すると、すぐエンジンを交換しなくてはならなくなる。中国のジェット機以上だと考えればよい。
いつも、楽しく動画を拝見してしまいましています、リクエストですが、彗星34型のロケットプースター付きが観たいです、零戦の62型?63型も、観たいので、動画を宜しくお願い致します😃
ボクのよーなド素人でもわかりやすくおもしろい内容でしたいつも思うのですがドイツ軍の兵器は沢山残っていますが日本軍の武器はそれに比べるとほとんど残って無いですこの差はなんですかね?
残ったものも輸送中に海に落としたりがけっこうあったそうで・・・あと、朝鮮特需で再利用できるものは根こそぎスクラップにして再利用したからドイツの場合は地続きの国が持ってったりしてるから割とあるのかも日本の兵器も中国に残置したものとかは中露にそれなりに残ってるし
日本にも、ジェット戦闘機があったとは、素晴らしいと思います。
ネ20 の推力は 0.47トン Me262 搭載の Jumo 004 の推力は 0.91トン F3 に搭載予定の XF9 の推力は アフターバーナーを焚いた時 15トンH2Aロケット 搭載の LE7 の推力は 112トンH3 ロケット 搭載予定の LE9 の推力は 147トンはやぶさ2 搭載のイオンエンジンの推力は 1グラム
IHIのCMに出てきて驚きました
よく調べましたね🙇♂️
昔の漫画にイ29潜水艦を描いていた作品に出ていた機体だったような!
茅葺き屋根の下で産声をあげたジェットエンジンですか…
劇画太平洋戦争シリーズ 密命! 潜水艦イ29号だったような?
@@squaret7310 さんまさにそれですまさかまだ知っておられる方がいるとはうれしいです
@@松窪啓二-t4l このシリーズ好きでした!特に『激突戦車部隊』(タイトルに自信ない!)で純真な主人公が激戦の中ですさんで行き、最期、敵戦車に撃たれて戦死するという内容に子供ながら衝撃を受けたのを覚えています。
@@松窪啓二-t4l さん!さん付け飛ばしてしまいました。ご無礼すみません。
6:37からの歌はなんですか?教えてくれると幸いです!
「勇敢なる水兵」です!気に入られましたら「黄海海戦行進曲」もオススメです〜
@@hien_61 ありがとうございます!!
エンジンが有れば今でも飛ぶでしょうね。
ここにも松根油が…
上野でだいぶ前に見たネ20はIHIにあるやつか
私も二十数年前だと思いますが、零戦の前に置かれていたネ20を見ました。展示されているのを知らなかったので、連れて行った息子より私のほうが興奮気味でした。写真も残っています。前間孝則・著『ジェットエンジンに取り憑かれた男』も読んでいましたので。
キスカ...あっ間違えた橘花は本当に修復して日本で展示して欲しい
松根油は、ショウコンユでしょうか?
大昔(笑)アルバイト先の海軍出身の方がショウコンユと言っていました。
これが教材に使われていたということは、ドイツ軍のテクノロジーと共に日本軍のテクノロジーも戦後のアメリカのジェットエンジン開発の目覚ましい発展の礎の一部になっていたと考えてもよいのですよね?
素性は、スジョウだよ!
ご指摘ありがとうございます、、、(_ _)
うろ覚えで申し訳ないが、たしかドイツからイ号潜水艦で実物を入手するはずだったが、東南アジアの某海域で撃沈され実物は失われた。途中で下船した海軍士官が設計図の一部を持って帰国したので、不十分な図を基に苦労して製造したとかあったな。
これがキスカか、
とても面白かったです!最初に出てきた謎の橘花の右エンジンポッド……橘花は特攻機としての使用が想定されていたと聞いていますので、私が勝手に想像するに、爆弾庫だったのではと思いました。ネ20の重量が約500kgと言われていますので、500kg爆弾を機首と右エンジンポッドに1発×2で1,000kg爆弾を搭載した特攻機になってしまいます。日本の生産能力も乏しい中「2発のエンジンを作るなら、高価なジェットエンジンゆえに1発1機体に搭載し、かつ攻撃力を向上させることが合理的」……というように当時の日本軍なら主張しそうな気がしました。私の想像ですが、そんな想像を引き立ててくれる面白い内容でした、チャンネル登録いさせていただきました。
そんなの推力不足で飛べませんよね。無理だと思いますね。展示するためにやっつけでアメリカ側がこしらえた物かと思いますよ。いくらなんでも旧日本軍を馬鹿にしすぎだと思いますよ。都市伝説なんかはこんな説から生まれてしまうのでしょうね。
@@koge3977 片方のエンジンが停止した状態でもある程度飛行できるようには設計してると思いますがあくまで飛行中にトラブルで停止した場合であって、当然ながら離陸は無理でしょうね
エンジンが無い写真を見るとデカい桜花に見えなくもない。しかしよく眺めていると(レシプロエンジン部分が無く)ゴツゴツしていない分かなり洗練された機体に仕上がっていると感じる。これだけ小型に纏まっていれば将来的には空母運用も夢ではなかったかも?(勿論戦局がそれを許さないが)
震電もバラバラで残っている復元して欲しい
The Japanese Me 262
機体は作れてもエンジンは無理。当時の日本は米国製の工作機械を使っていた。買ったときは最新でもすぐ時代遅れになる。その水準を超えるものは難しい。
BGMを聴かせたいのか、効果音を聴かせたいのか、解説を聴かせたいのか、どれ?
トランペット五月蠅いわ
ご視聴ありがとうございます!
1991年に閉館した京都嵐山美術館ですが、具体的な所在地を知っている方、是非教えてください!(最寄駅から徒歩何分ぐらいだったとかでも)
主な展示品の行き先は次の通り
①四式戦闘機 疾風 I型甲 - 実物。世界で唯一原型を留めた機体。フィリピンの戦いにおいて、アメリカ軍に鹵獲された経歴を持つ第一線からの里帰り機。現在は知覧特攻平和会館で屋内展示されている。
②三式戦闘機 飛燕 - 高知県沖の海中から引き上げられた機体が胴体前部と主翼桁のみと言う不完全な状態のものが展示された。閉館後、所在不明。
③大発動艇 - 当時、唯一国内に現存している実物だった。閉館後に破棄したとされる。
④零式艦上戦闘機六二型 - 実物。終戦間際に琵琶湖へ不時着水し湖底に沈んでいた機体を1978年(昭和53年)に引き上げて復元したもので、2002年(平成14年)までは零パークに展示された。2005年からは呉市海事歴史科学館(愛称:大和ミュージアム)が展示を開始した。
⑤九五式軽戦車 - かつてポナペ島に2輌あったものが日本に送られ、うち1輌を取得したもの。博物館の閉鎖に伴い車輌は英国の個人に売却され、ダックスフォード帝国戦争博物館での展示に向けてポーランドでレストア中であったが、2019年にNPO法人「防衛技術博物館を創る会」により、クラウドファンティングにて里帰りプロジェクトを行い、同法人への所有権移転およびレストアを達成した。同年6月にイギリスの「ボービントン戦車博物館」で走行した姿をお披露目された。将来的に日本への里帰りを行う予定。
⑥九五式野砲
⑦一式機動四十七粍速射砲
⑧特殊潜航艇 海龍 -閉館後、零式戦闘機六二型と同じく2002年(平成14年)までは零パークに展示されていたが、2005年からは呉市海事歴史科学館(愛称:大和ミュージアム)によって、復元可能な部分を修理され展示されている。
⑨震洋
⑩回天
⑪戦艦陸奥の主砲、副砲、舵、主錨 - 2018年4月現在、呉市海事歴史科学館(愛称:大和ミュージアム)の入口横にて屋外展示中。
調べたら出てきました。京都市右京区嵯峨天龍寺造路町33-22だそうです
グーグルマップで住所を調べたところ今は跡形も無いようですが
@@だがタカシ
ありがとうございます😭
やはり取り壊されてしまったのですね、
外観は風情あって好きでしたが笑
@@hien_61 wikiには区画整理で閉館とあったので建物も残せなかったんでしょうね
閉館後に散逸してしまった展示品共々残念なことです
@@だがタカシ
所在地を確認してみたところ跡形もないですね〜
閉館時には唯一現存していた大発動艇も破棄されてしまいましたから残念です。。。
戦後日本では飛行機の開発が禁止されましたが、なぜかジェットエンジンの開発は禁止もされずに、ネ20の拡大改良型のネ30が、
戦後日本のガスタービンエンジン開発の基礎となったと聞きます。
アメリカには、早くからイギリスのジェットエンジン技術が導入されていて、戦中にすでに戦闘機も開発されていたのですが、それは遠心圧縮型ジェットエンジンでした。
現在主流の軸流圧縮型ジェットエンジンは、終戦時にはドイツと日本にしか無かったのです。
現在・・・
大型の軸流圧縮型ガスタービン市場を、ドイツと日本とアメリカの企業が独占している、というのは興味深い事実です。
待ちに…待ちました!橘花‼️。
本当に‼️ありがとうございます‼️
これからも、頑張って下さい‼️
橘花とネ20の組み合わせの性能云々は別にして、敗戦前にジェット機を作り上げ、ともかく飛ばした。技術者たち(パイロット・製造者・現場の人たち諸々)の執念みたいなものには頭が下がります。
自分も本当にそう思います。
戦中に日本発のジェット機を日本人が飛ばしたことは世間的にはあまり知られてませんからね...
それをできる限り伝えていきたいと思っております。
ほんと大したもんだよ。よく少ない情報でも軸流式ターボジェットエンジンを完成させそれで推進飛行する機体を作れたものよの。
日本に還ってきたのがエンジンだけでよかったですね。スペースをあまり取りませんから。機体ごと返してもらっていたならば、今頃ボロボロになっているところでした。
素晴らしい動画、ありがとうございます、次の動画を楽しみにしてます。
ウォーサンダー混ぜで実際に飛んでいたことを見せる考えが天才すぎる😳🤯
松脂が燃料に出来るのが凄え
カ号観測機の1941年か42年撮影らしき記録フィルムは、そもそもの撮影時点でフィルムも非常に高品位なものを使っているし、そこに写されたカ号観測機もキレイな流線型でピッカピカ。関係者もニッコニコで肌艶も服も綺麗。一方の橘花は・・・たった4年余りで、ここまで追い込まれたことに無念を感じる。
えーっ、アメリカ軍が本気でネ20を参考にしてたってことですか?
ひょっとしてだけど、軸流型に関してはアメリカよりも日本の方が進んでたかもしれないですね。
まずは貴重な情報をありがとうございました。
23年前、ポールガーバーで本機を特別に見学しました。他、震電も触らせて頂きました。
本当ですか!羨ましいですね笑
@@hien_61 特別でした。驚いたのは、震電のボディーはベニヤ板の様な、材料不明な素材が使われていた事です。触るとボロボロと剥がれ落ちる感じで、ガーバーの技師も修復がすすまないって当時嘆かれておりました。最近の写真を見ても、全く進んでいない印象です。
@@小松裕一郎-d1l
震電の外板は動翼含め全て金属性だったのでそれは興味深いですね〜もしかしたら復元時に破損パーツを木などで補修したのかも知れませんね〜
現状、図面がないとパーツが不足しているで完全な復元はできないそうですが、個人的には劣化こそしていますが当時そのままの状態なのでこのまま保存してほしいですね〜
機首以外も展示してほしいと思いますが笑
メッサーシュミットを参考に開発がすすめられた。父も関わっていた!
日本でジェットエンジンが開発されたのは松根油でも稼動したから……ガソリン不足故の苦肉の策だったんですね。
それはドイツも同じ。
メッサーシュミットMe262も
褐炭などの低質の原料から作られた人造石油(ケロシン)で飛んでいました。
同様の人造石油工場は日本にも有りました。
ドイツからの技術(フィッシャー、トロプシュ法)をベースにし、独自の触媒(ドイツはルテニウム、日本は鉄系)を使った工場が北海道の滝川市に有り、石炭から人造石油を製造する事に成功していました。
戦後は残念ながら安い原油に負けて解散してしまいましたが、当時の資料や人造石油のサンプルなどが滝川市の郷土館に展示されています。
松魂油よりは、ずっとまともな燃料でした。
昭和の時代、ネ20は田無工場のロビー正面に展示されていた。
ファーストガンダムのキッカ(ホワイトベースに乗っている小さな女の子)の名前の由来となった飛行機ですね。機体やエンジンの顛末は全く知りませんでした。
橘花は海軍機の三菱系濃緑色じゃなく、陸軍系濃緑色っぽいね。中島だし。
何度も言ってますが飛行可能状態での保存はアメリカさんにお任せした方が飛行機にとって幸せです。 飛行不可なら日本でもどっかの博物館に屋内展示出来るでしょうけど。 なんか日本は復元を完成させる迄の事しか考えてなくてその後の維持、管理を全く考えて無い様に思えます。
もちろん様々な考えを持って機体を思って頂くことは素晴らしいと思います。
自分の考えとしては、作られてから約80年も経つ機体を整備し、100%墜落せずに飛ばすのはかなり難しいと思います。
この橘花が展示してあるスミソニアン航空宇宙博物館の飛行機は、飛行状態で維持している訳ではなく静態保存で展示されています。それは機体が貴重だからです。
現在の日本では維持管理もしっかりしており、裏で細部まで点検がなされています。
かかみがはら航空宇宙博物館では飛燕二型が展示されるということで大規模な改装まで行ってました。
先ほども述べたように様々な考えを持たれることは素晴らしいですが、こういうことが行われてると知っていただけたら幸いです。
長文すみませんでした(_ _)
@@hien_61 すみません幼い時に見た復元されて飛行する疾風の日本返還後の惨状がトラウマになってます。 飛行可能な零戦購入した資産家の方も維持管理費用が捻出できず売りに出した等のニュースを知ると"飛行可能"な大戦機の保存は日本では環境が悪過ぎると思っています。 勿論飛べなくても良いという状態ならば日本でも環境が整いつつあるというのは感じております。 橘花に関しては形の復元迄は希望しますが無理に飛行可能にして欲しいと迄は私も思っていません。 最初の投稿では私が言葉足らずだったようです。 すみませんでした。
@@esohsa4759
たしかに日本は飛行状態での維持には不向きですし、免許取得も米国ほど簡単ではないですからね...
そういう面で見ると日本はまだまだ飛行可能機を維持できる状態ではないと言わざるを得ないですね。
プレーンズ・オブ・フェイム航空博物館の零戦五二型は3回来日しており、その2回は展示飛行を行ったりと、日米共同での展示飛行が最も良いかもしれませんね〜
@@hien_61 零戦五二型の飛行は中学生の時、桶川に見に行きました。エンジン音がドロドロ粘っこい独特な聞いた事無いモノで、ああこれが星形エンジンの音なのかと思いました。 後年街中で零戦みたいな音が聞こえ何だ!?と思い見るとヤマハXV750というVツインエンジンのアメリカンバイクでしたwww V型エンジンの気筒を増やして一周させると星形エンジンになるので似た音になったんでしょうね。 約10年位前に同じ機体が所沢で展示されました。 老朽化が進み飛行は移動時だけで所沢ではエンジン始動だけでした。 機首の下に大きなオイルパンが置かれ、そこには結構な量のオイルが溜まってました。 この機体も近い将来飛べなくなるかもしれません。 何十年ぶりに対面した時は感慨深かったです。
そういや、知覧の飛燕も川崎で修復しようとした時に出す前提で建物を建ててなくて引っ張り出すのに偉い苦労したってやってたなぁ
知覧川はフル修繕は考えてなかったかその場で出来ると思ってたのかしら…
当時のジェットエンジン運用は現在のように滑走路が舗装されていない事もあり運用時に異物を吸い込む可能性が高く
エンジン破損につながりかねないという問題もあったようで使える基地が限られたと推測できる。
そもそもの稼働率も低かったようで、さらに砂地の滑走路では...何時間飛べるか以前に、始動するかですね〜
橘花のエンジン開口部には普段は木のフタをはめて(写真現存)、異物が混入しないようにしていました。離陸滑走中には前輪からハネあげた異物を吸い込みそうですね。
大昔にスミソニアンで橘花を見た時はエンジンナセル付いてた気がする。
ネ20(実物)はIHI瑞穂工場の展示室で見ましたね… 10数年前の話ですが…
あと、生きた鶏(アヒル?)を試験運転中のジェットエンジンに放り込む動画とか…
タービンの組み立て方法が手探りだったそうな、当時の開発者が戦後アメリカ製エンジンのカットモデルを見てポンと膝をたたいたそうな。それでも50年代アメリカのF3Hデモンのウェスチングハウス製エンジンが謎のエンジンストールの原因がわからず、原因が何と雲中に入るとその温度変化からブレードがダクトにふれてしまいエンジンが止まるとの事、その位難しいのにごく短時間でジェットエンジンで飛行を実現したのだから確かに特筆に値すると思います。
昔航空ファンでポールバーガーの橘花の写真を見た時にエンジンナセルがそれまでに知ってた物と全然違っていたのでこんなのも有ったのか?と不思議でならなかったです。
IHIにあるネ-20は、もともと返却する予定で貸し出しを受けた物、展示が終わっても某氏が返却を拒んで拒否して・・・、大騒動になり・・・
結果的に大学側がその勢いに折れ、保管を条件に無期限無償貸与になったと云う記憶が・・・、
日本のジェット機開発をまとめた書籍で私も読んだ覚えがあります
ちょっと本棚を探してみましたが見当たらなかうろ覚えですが・・・・
@@iak-as こいつは俺の息子みたいなもんだ、やっと帰還した息子を返すわけにはいかん!
ってゴネたら大学側が折れて永久無償貸与って形にしたんでしたっけ
米国でネ-20を研究材料にしたというのは読んだことがありますが、BMW-003の鹵獲品は相当量有ったと思いますが、ネ-20に何か優れたところが有ったのでしょうかね?
ユニーク視点での動画に感心しました。
開発物語は子供の頃、毎日小学生新聞で読んでた記憶がよみがりました。開発責任者は種子島さんだったような?
ありがとうございます(_ _)
解説では人名は出していませんでしたが、ジェットエンジンでは種子島大佐が指揮して開発をされました。
橘花とは別に、栄IPRという日本初のジェットエンジンを開発されたりと日本航空技術において多大なる貢献をされたと思います。
返信ありがとうございました。
何故か感激しました。
種子島さんは中尉?大佐?どっちだったかな?と思い出せませんでしたが、大佐だったんですね(そりゃそうだよなぁ😅)お陰でスッキリしました。
思い出話の続きですが、その連載記事に図面が載ってて、私なりに蒲鉾板などを削って製作したのですが、夏休みの工作発表展示で上級生の作品とのレベルの差を見せ付けられて愕然とした事を懐かしく思い出します。
日本初のジェット戦闘機?(モデルはMe262だけど…)
いつか復元して空を飛んでほしい
エンジンの耐久性が短すぎるので完全に復元すると、すぐエンジンを交換しなくてはならなくなる。中国のジェット機以上だと考えればよい。
いつも、楽しく動画を拝見してしまいましています、リクエストですが、彗星34型のロケットプースター付きが観たいです、零戦の62型?63型も、観たいので、動画を宜しくお願い致します😃
ボクのよーなド素人でもわかりやすくおもしろい内容でした
いつも思うのですがドイツ軍の兵器は沢山残っていますが日本軍の武器はそれに比べるとほとんど残って無いです
この差はなんですかね?
残ったものも輸送中に海に落としたりがけっこうあったそうで・・・
あと、朝鮮特需で再利用できるものは根こそぎスクラップにして再利用したから
ドイツの場合は地続きの国が持ってったりしてるから割とあるのかも
日本の兵器も中国に残置したものとかは中露にそれなりに残ってるし
日本にも、ジェット戦闘機があったとは、素晴らしいと思います。
ネ20 の推力は 0.47トン
Me262 搭載の Jumo 004 の推力は 0.91トン
F3 に搭載予定の XF9 の推力は アフターバーナーを焚いた時 15トン
H2Aロケット 搭載の LE7 の推力は 112トン
H3 ロケット 搭載予定の LE9 の推力は 147トン
はやぶさ2 搭載のイオンエンジンの推力は 1グラム
IHIのCMに出てきて驚きました
よく調べましたね🙇♂️
昔の漫画にイ29潜水艦を描いていた作品に出ていた機体だったような!
茅葺き屋根の下で産声をあげたジェットエンジンですか…
劇画太平洋戦争シリーズ 密命! 潜水艦イ29号だったような?
@@squaret7310 さん
まさにそれです
まさかまだ知っておられる方がいるとはうれしいです
@@松窪啓二-t4l このシリーズ好きでした!特に『激突戦車部隊』(タイトルに自信ない!)で純真な主人公が激戦の中で
すさんで行き、最期、敵戦車に撃たれて戦死するという内容に子供ながら衝撃を受けたのを覚えています。
@@松窪啓二-t4l さん!
さん付け飛ばしてしまいました。ご無礼すみません。
6:37からの歌はなんですか?
教えてくれると幸いです!
「勇敢なる水兵」です!気に入られましたら「黄海海戦行進曲」もオススメです〜
@@hien_61 ありがとうございます!!
エンジンが有れば今でも飛ぶでしょうね。
ここにも松根油が…
上野でだいぶ前に見たネ20はIHIにあるやつか
私も二十数年前だと思いますが、零戦の前に置かれていたネ20を見ました。展示されているのを知らなかったので、連れて行った息子より私のほうが興奮気味でした。写真も残っています。前間孝則・著『ジェットエンジンに取り憑かれた男』も読んでいましたので。
キスカ...あっ間違えた橘花は本当に修復して日本で展示して欲しい
松根油は、ショウコンユでしょうか?
大昔(笑)アルバイト先の海軍出身の方がショウコンユと言っていました。
これが教材に使われていたということは、ドイツ軍のテクノロジーと共に日本軍のテクノロジーも戦後のアメリカのジェットエンジン開発の目覚ましい発展の礎の一部になっていたと考えてもよいのですよね?
素性は、スジョウだよ!
ご指摘ありがとうございます、、、(_ _)
うろ覚えで申し訳ないが、たしかドイツからイ号潜水艦で実物を入手するはずだったが、東南アジアの某海域で撃沈され実物は失われた。途中で下船した海軍士官が設計図の一部を持って帰国したので、不十分な図を基に苦労して製造したとかあったな。
これがキスカか、
とても面白かったです!最初に出てきた謎の橘花の右エンジンポッド……橘花は特攻機としての使用が想定されていたと聞いていますので、私が勝手に想像するに、爆弾庫だったのではと思いました。ネ20の重量が約500kgと言われていますので、500kg爆弾を機首と右エンジンポッドに1発×2で1,000kg爆弾を搭載した特攻機になってしまいます。日本の生産能力も乏しい中「2発のエンジンを作るなら、高価なジェットエンジンゆえに1発1機体に搭載し、かつ攻撃力を向上させることが合理的」……というように当時の日本軍なら主張しそうな気がしました。私の想像ですが、そんな想像を引き立ててくれる面白い内容でした、チャンネル登録いさせていただきました。
そんなの推力不足で飛べませんよね。無理だと思いますね。展示するためにやっつけでアメリカ側がこしらえた物かと思いますよ。いくらなんでも旧日本軍を馬鹿にしすぎだと思いますよ。都市伝説なんかはこんな説から生まれてしまうのでしょうね。
@@koge3977 片方のエンジンが停止した状態でもある程度飛行できるようには設計してると思いますが
あくまで飛行中にトラブルで停止した場合であって、当然ながら離陸は無理でしょうね
エンジンが無い写真を見るとデカい桜花に見えなくもない。
しかしよく眺めていると(レシプロエンジン部分が無く)ゴツゴツしていない分かなり洗練された機体に仕上がっていると感じる。
これだけ小型に纏まっていれば将来的には空母運用も夢ではなかったかも?(勿論戦局がそれを許さないが)
震電もバラバラで残っている復元して欲しい
The Japanese Me 262
機体は作れてもエンジンは無理。
当時の日本は米国製の工作機械を使っていた。買ったときは最新でもすぐ時代遅れになる。その水準を超えるものは難しい。
BGMを聴かせたいのか、効果音を聴かせたいのか、解説を聴かせたいのか、どれ?
トランペット五月蠅いわ