Розмір відео: 1280 X 720853 X 480640 X 360
Показувати елементи керування програвачем
Автоматичне відтворення
Автоповтор
父が実際にキスカ島に行ったので生前中は北海道の小樽から出港し零下40度の中での歩哨や川での手づかみで鮭を採った話、キスカ富士、霧の話、軽巡洋艦阿武隈での帰還、幌筵島 での終戦、その後の3年間のシベリア・ヤクーツクでの伐採労働そして京都舞鶴への帰国と青春時代の事をお酒を飲んではよく話してました。父がキスカ島に派遣された結果、戦後私が生まれたので、感慨無量です。
シベリアから帰還もでしょ
私の祖父は、海軍潜水艦伊2号に搭乗しキスカ島撤退作戦に参加しました。作戦は成功。しかも奇跡的にも終戦まで生き延びる事ができました。その後搭乗予定の潜水艦、戦艦は米軍によりトラック諸島で轟沈致しました。ちなみに祖父はとても優しい人で怒った姿を見た事がありません。祖父とキスカ島撤退作戦は、今でも私の誇りです。取り上げて頂き本当にありがとうございます!
問題なのは、戦後生まれで高度経済成長期に青春を過ごした世代に「戦前の日本は素晴らしかった」という馬鹿が多いこと。大正生まれ以前の世代で「戦前の日本は素晴らしかった」という人は見たことがない。そんなに戦後の日本が嫌いならタイムマシンを作って1945年以前の時代に戻ればいいと思うよ。
@@ttubu3679 潜水艦乗りは水虫や皮膚病が持病だったと母から聞きました。腕や足が飛ぶ話は当たり前で戦友は皆亡くなり、戦後も生きる為に必死だったそうです。いま毎日おいしいご飯が食べれるのも、先人たちのおかげだと思います。戦前も戦中も決して楽ではなかったと想像します。
トラックで沈んだ戦艦は1隻もありません。また大戦を通して轟沈した戦艦もありません。つまらないことを書いてごめんなさい。
@@PARIS-JAPAN 正確さに欠けて申し訳ありません。伊2号は、1944年4月4日トラックに向けてラバウル出港後に消息を絶ってます(米軍の爆雷を受けたとか)。あと「戦艦」は母の思い違いだとは思います。船で呉から横須賀に向かう際に沈没したそうですが、祖父は盲腸でその船に乗船できなかった(何故か母誕生の仕込み時期とダブってる事はツッコめませんでした)です。
ついでですが、母曰く「誰も米兵に『ギブミーチョコレート』とか言ってなかった、TVで言ってることは何か変やね。」らしいです。
死んでも同胞を守る英霊たちに感謝します。日本の為に命を捨てて守ってくれた事を、教科書にも載せるべきだ!
資料館で読んだ本の中にあった、キスカ島守備隊が、撤退直後アッツ島の方角から「万歳!万歳!」という声を聞いたという話が忘れられない
戦死した日本兵の霊が「仲間が帰れた!万歳!万歳!」と思っていたのでしょうか😮
今回も素晴らしい映像ありがとうございます。誰もいない筈の島から万歳の声やレーダーの虚像など、亡くなった戦友の導きがあったのかと胸が熱くなります。戦死した米兵への弔いの言葉も日本人らしい懐の深さが伝わってきます。
人を殺すよりより多く助けることで軍人としての矜持を示した木村提督。日本が世界に誇れる名将だと思う。冷静沈着で正確な状況判断と大胆な指揮と責任感、そこからくる人を惹きつける魅力と運をたぐり寄せる力は人の上に立つ者としての最高の手本になると思う。
周りの参謀クラスがみな「突っ込みましょう!」(燃料不足からもう救出艦隊出航できない可能性大だったから)という中で「戻ろう 戻ればまた来れる」 これはなかなか難しい判断 普通はできない
敵との接敵があったにも関わらず、たった1人の犠牲を出さずに撤退できた奇跡はものすごいし、それを実現させるために強硬な態度で迫った樋口季一郎陸軍中将の手腕、さらに実現させた木村昌福少将の統制力もさることながら、その部下たちの覚悟と実行させた能力があったからこそ実現できたんだなあ
パーフェクトゲームの裏には、多くの偶然と必然が重なっていたんですね。私には先んじて玉砕したアッツ島守備隊やミッドウェーで散華された将兵が護ってくれたと思えてなりません。今回も素晴らしい動画ありがとうございました。500いいねつけたい
樋口季一郎さんの映画がもしあれば俺は必ず見に行く。もっと取り上げてくれよ!
現代と違って、気象衛星など無かった頃なのに、もの凄い予報能力に感服。今どきアチコチに居る気象予報士よりも遥かに優れた人材が居たのですね。
上の圧にも負けずに助ける決意をしたことが本当にすごい。
もう日本の駆逐艦、どれも名前が格好良すぎ。ブルブルくる
貴重な動画をありがとうございました。英霊たちが日本の同胞を救う事例は他にも幾つもありますね。話は変わって、日本軍が米兵を手厚く葬った件、やはり昔から敵であれ、リスペクトを忘れない日本人の心を知らされて感動しました。まさに「学校では教えてくれない」の本分ですね!
華々しい大戦果より、このキスカ島撤退作戦が凄いと思います。強い非難を受けても、キスカ島の兵士を全員救う事を貫いた男達…日本男子の鑑!(実際、軍としても兵の半分も救出できれば大成功と思っていたそうです)
木村提督の 「帰ろう帰ればまた来ることができるから」は 座右の銘にしています
極寒の中、お勤めになられた父君のおかげで現在の我々も平和に暮らせています。ありがとうございます🙏
キスカ島の話は少し知ってる程度だったけど、米軍の当時の動きだったり実際に上陸したこと、日本軍の置き土産とか知らないこともたくさんで、とても興味深かった。毎回動画観て思うけど、学校とかの歴史の授業で観てほしいチャンネルです。知識があまりなくてもスッと頭に入るくらい面白くまとまってるのは本当すごい。
久しぶりに、自然と涙がでてました、動画をつくってくれてありがとう。
何だろう、鼻の奥がツーンとしてジワっとして涙がにじむ
感動の仕方がワサビのそれ
動画制作お疲れ様です。いつもこのチャンネルの新作を待ち焦がれている者です。今回も知らない事柄も含まれており、改めて教えて頂きありがとうございました。今回の内容は日本軍側の内容と米軍側の内容とを組み込んでくれたおかげで、とても分かり易く内容の濃いものに仕上がっていますね。次回作も楽しみにしています。作業は大変だと思いますが頑張ってください。応援しています。
キスカ島撤退作戦、敵であるアメリカ軍からも(パーフェクトゲーム)と賞賛された陸海合同作戦ですね、作戦を成功させる為に、綿密な準備と気象観測そして、司令官の臨機応変な采配と将兵たちの勇気が起こした奇跡です。
たくさんの英霊が助けてくれた感じだな
ここまでまとめてくれる主愛してますほんとすき。20分では話せないくらい良い話なんですよ😢よくここまでまとめてくれてほんとありがとうございます😭
沈んだはずの空母までもを味方につけるとは…
今の日本は、なんとも情けない國になってしいました。先人たちが、命懸けで護ってくれたのに。僕らも、後世で、胸を晴れる世代で居られるよう、戦わないと。今こそ、日本人の誇りを胸に。
不屈の精神で成し遂げる奇跡じゃなく必然の作戦成功。アッツから聞こえたバンザイの声。私の悩みなんて瑣末なこと。頑張って生きよう。
第一次撤退作戦にて伊2号潜水艦の板倉光馬艦長は停泊中に艦で発生した水難事故を契機に艦内の酒を処分する為に乗組員達と共に酒を飲み尽くして甲板に出て立ち小便をしている際に足を滑らせてほぼ0℃の海面に転落しましたが、その場に居た見張りの乗組員に助けられて九死に一生を得たそうで、特設潜水母艦の平安丸も潜水艦の様子に気付いて信号を送ったそうですが、上手く誤魔化した上で生還した艦長には「不タヒ身」と渾名を奉られたそうです。この艦長は感が良いのかキスカ島撤退作戦だけでなく何回か米軍に追われてますが全て逃げ切った上に、色々と伝説が多過ぎて本当かよって思ってしまう…なお、小銃の投棄は後になって陸軍次官の富永恭次がこれを問題視したそうですが、富永は陸士の4期先輩である樋口将軍を以前から苦手だったらしく、小銃の海中投棄を命じたのが樋口将軍だと判ると不問に付したそうです。
板倉光馬氏か〜。せめて酒を減らせんのかと上官に問われ、止めるよりも難しいと応えたお方ですね。浮上航行中に米国哨戒機に発見された際に『帽振れ〜』と発令、味方と誤認させてからの急速潜航でトンズラかましたりされてましたね、著作を読んだのは中学生の頃でした。
戦死した英霊たちは大本営の命令を受けないから世界最強クラスの軍隊としてその力を揮ったんだろうね
樋口季一郎様は凄すぎます、一人の人間が神のような業績だと思います。
14:19英霊が守ってくれたのでしょうかね。鳥肌すごい立つほどミステリーだけどなぜか温かみも感じる話。
占守島やキスカ島といい対ソ戦は熱いなぁ。北方領土守りたくなってきたわ
陸軍の主張通り 対ソ連に徹底攻勢に出るのが 樞軸國ヵ 勝利する最適解ダッタノニ何たる事や。
樋口季一郎ってほんまやばすぎる
陸大出であっても戦闘部隊一筋の精神論バカとは一味違う士官。実際、樋口季一郎氏の軍歴は、陸軍大尉から陸軍少将まで多くの期間を情報将校として過ごしていて、情報将校としての勤務から解放されたのは陸軍中将に昇進して第九師団長に補された時だった。
アッツ島2000人の英霊が 助けてくれたんだと思います
以前、この作戦に参加された駆逐艦響の通信士の人の話を直接聞く機会がありました。作戦成功を誇らしげに話されていましたね。戦局が進むなか退艦されて…あの神雷部隊(桜花特攻)の通信士に転属になったそうです.その辺りを詳しく聞きたかったのですが…あまり多くを語りたくない様子でした。ただ、神雷部隊の野中少佐の事はよく覚えていらして豪傑で破天荒な人柄を知る事が出来ました
全く紹介されない戦いの話めっちゃ好き
樋口さんみたいな人が大本営に何人かいれば未来は変わっていたかも。父や祖父は戦争に行ってないけど、いろんな巡り合わせが変わって、その結果俺は生まれないんだろうな。
【 木村少将は (上層部の)批判を意に介せず、阿武隈の舷側から釣りをしながら 濃霧が発生するのをじっと待った。撤収部隊の各艦は 木村少将の判断は当然だと思っており、帰港後に批判を見て驚いたという。】と有りました。的確な判断の出来る 優秀な軍人であったのでしょう。
ミッドウェー海戦で散った英霊たちが守ってキスカ島撤退成功に導いてくれたんだよ😂
米軍をキスカ島上陸に当たって躊躇させたのは、ミッドウェー海戦に参加した将兵ではなくアッツ島の守備隊です。彼らは救援も撤退も望めなくなった時、獅子奮迅のごとく戦い、当時の日本軍というものを米軍に見せつけました。ちなみに、当時の北方軍司令官であった樋口中将は、アッツ島の将兵を助けてやれなかったことを生涯悔いていたそうです。
毎度楽しみに拝見させてもらってます歴史の教科書にのせるべき内容だと思う編集等大変だと思いますが、これからも楽しみに見させてもらいますいつもありがとうございます
ミッドウェー海戦の敗戦後に さっさとアリューシャン方面から撤退すればいいものを結局何も決断せずアッツは玉砕してしまったここから補給を受けられず玉砕する島が増えていく しかし動画後半がなんかホラーなんだが自分は日本人だし戦死した英霊が救ってくれたと思うことにしよう 今度は木村昌福少将の動画を期待したいです
動画ありがとうございます。その昔、NHKのプロジェクトXでやってきたことですが、ソニーの8mmビデオのハンディカムを作った技術者が、戦時中に潜水艦に乗っていて、この作戦の電波妨害を行っていたとのことです。この辺間大のレーダーに映ったゴーストが、その電波妨害ってあるのかは今となっては分かりませんが、”電波妨害を行う=逆探知される”と言うことを考えると、潜水艦乗りと言うのはとても勇敢な人々だと改めて思います。
アメリカ側の思い込みがヒューマンエラーを重ねに重ねたんだろうさ。思い込みがもたらすヒューマンエラーの恐ろしさは現代のビジネスシーンでも多く語られてるからねぇ。
いつもわかりやすく解説していただきありがとうございます。いつも勉強になります。もし機会があれば、占守島の戦いについても動画作成お願いします!
ありがとうございます。占守島の戦いについては、本動画の概要欄をご参照ください。
@@gakkou_deha_oshietekurenai すいません!視聴します!
このチャンネルは、戦争の事実とかが知れるのもそうだけど、なにより字幕が面白い
ありがとうございます。映画化希望!
とても良かったです。ありがとうございます。
木村昌福さんを札束に載るべき歴史上人物だ
米兵を弔った際に立てた十字架、よく見ると丁寧に作成されたと思われるのがわかる。Nippon Armyの立て看板に目が奪われて、十字架を観察してなかったのならよく見て欲しい、と思います。
アッツ島で玉砕した彼らと、ミッドウェーで海中に沈んだ彼女たちが助けてくれたとしか思えない。これだから日本は大好きなんだ。
このお話を聞いて霊がほんとにいるのかと感じました…興味深いエピソードに感動しました。
日本側の被害看板一個大破と軍用犬一匹死亡に対して、アメリカの被害が大き過ぎる。それにしても、看板が壊れたのは被害に入るのか?
この方の動画は他の方の動画よりも心を動かされると感じています。日本が大東亜戦争で過ちを犯していたのは事実でしょう。でもそれを事実とするならばこのような素晴らしい作戦があったことも学ぶべき。
間違えないアッツ島の守備隊が導いてくれたんだよ😂
動画楽しみに待ってましたこれからも頑張ってください
あの戦争では、なぜか英霊達が戦死後も戦った話しがありますね……
敵兵に対する敬意や占領地への対応などなど、戦争のルールを守って戦争した唯一の国が日本だと思っている。
これ否定すると怒られるのかな...?
外人が見たら爆笑しそうなコメント
JR大磯駅近くの日蓮宗・妙大寺に樋口中将の墓所があります
サラッと流されているが、 17:06 で、恐らく完全包囲されてもう助からないであろうと覚悟を決めて、それでもなお「ルーズベルトの指示に踊らされている」と皮肉ったり「お前らんとこの兵士も祖国の幸せを願ってたんだよな」と埋葬してやったりと皆が恨まなければならないものを見誤っていなかったことに涙出そうになった。
勝手に勘違いしてそこそこの犠牲を出してくれたのは日本にとっちゃラッキーだっただろうな……それにしてもイタズラ書きは気が利いてるけど看板って損害にカウントするんやな……11:17 終戦時に米軍に投降する時にこの理由で菊花紋は削ることが多かったから今アメリカで流通する旧日本軍小銃の中で紋が残ってるやつは珍しいみたいですね
アッツ島の英霊たちのおかげかも
太平洋奇跡の作戦 キスカ という白黒映画があります。 主演は三船敏郎さん。特殊効果はなんとウルトラマンの円谷英二です。ビデオオンデマンドで探してみてください。
🌴🌏🐎配信ありがとう御座います🌈🙏
英霊の魂が友軍を救ったのですね
それにしても、木村少将は立派です。戦果より、兵士の命を大切にした。こういう軍人が多ければ、アメリカも警戒度合いを強めたでしょう。
樋口中将の話が何故学校の教科書に載らないのか不思議で仕方ない
載せたくない人達が文科省には居るからね。本載せたくない著者もそんな人達なのが原因ですよ。😓
キスカ島の置き土産が面白い イタズラ看板(ペスト)また来られる 素晴らしい司令官英霊艦隊? アメリカ艦隊が無駄弾を使わせた捕虜は犬二匹 同士討ち
一人も敵兵が居ない島で、ただ同士討ちをしたアメリカ軍ですが、戦死者122名、駆逐艦1隻大破は、解りますが行方不明191名は何処に消えたのでしょうか?。
@@繁明徳原 『行方不明』の定義を『遺体が確認できなかった』とするなら、海へ沈んでしまったのでしょうか。
311後に日本国籍を取得した ドナルド・キーンさん(鬼怒鳴門)は 海軍情報士官として キスカ上陸作戦に参加した
日本の素晴らしい将兵と無念に散った英霊たちがやり遂げた奇跡ですね。
コレラの看板を読んだのは、その後に司馬遼太郎さんと交流をもつことになる、ドナルド・キーンさん
このとき小銃がどうたらというどうでもいいことにこだわった軍人がいる。 みんな大好き富永恭次である。
そして小銃を含む小火器の投棄を指示したのが樋口中将だと知るとダンマリを決め込む小物ぶり。
この作戦は名将によって陸軍、海軍噛み合った行動した始めからこうした体質あったら太平洋戦争違ったものになったと思う
これが本当にあったってマジ⁉︎
人事を尽くしたから天命も味方してくれたのでしょう。米艦艇に無駄球を消費させたのも天の采配ですよ。
「太平洋奇跡の作戦 キスカ」東宝の会心作
教科書に載せるべき人物だ。
奇跡は起きるものではなく、起こすものなのだなぁ、とつくづく思う。しかしペストの看板の件は何度聞いても笑ってしまうな(笑)。その軍医、帰るときもニヤニヤしていただろう。
松岡圭佑の「八月十五日に吹く風」で小説になってますね。他の方もおっしゃってますが、映画化してほしい。ちなみに彼の小説で「黄砂の籠城」ともあわせて、日本人なら必ず読んで欲しい小説だと思ってます。
ここのコメントの皆さんは つわものの方が多いですが先祖さん! ちなみに うちの祖母のお姉さんの息子さんは 空母赤城に乗っていました。 一番上のお兄さんは 牟田口廉也の部下でした。 赤城が撃沈された後も 救助されたんです 駆逐艦 海軍兵学校と 陸軍士官学校行ったんです まる 木村少将は 帝国海軍最後の海軍中将となられました。 戦後は会社を作られて 部下の方を集めて 一緒に働かれました。 ヒゲの木村と言われた人です🎉
何度見ても素晴らしい内容。そして何度見ても「弱腰ヒゲ男を特定」で笑ってしまうw
レーダーに映ったゴースト艦隊との海戦では 魚雷の雷跡を発見急転蛇するは 前方から撃ち込まれてきた照明弾で目がくらむはのかなりの激戦
War_Retreat_From_Kiska_-_Toshiro_Mifune_So_Yamamura_1965
英霊の御霊が、仲間を全力で支援したと私は思います。
That's Real perfect game!
122.191.まさか師団一つ壊滅してない?
気象予報の竹永少尉、名優児玉清さんが演じた姿を連想しました。木村少将の采配、「胆力」とは何かということを教えてくれますね。
看板一個大破www
毎回楽しみにしています。たくさんの資料を研究されていると思いますが、恐縮ながら、たしか光人社の戦記書籍で、本と著者の名前は忘れてしまいましたが、キスカの作戦に従軍された方の著書に、ベテランの甲板員の方が島から出航するときに落水したが濃い濃霧のために救助できず、行方不明になったとの記述がありました。艦艇乗組員の犠牲があったことを知っていただきたくて、コメントさせていただきました。
奇跡かもしれないが、博打でも、焦りでもない。
主様にお願いです!太平洋戦争末期、新潟空襲の際に米爆撃機から新潟の街を守った軍用船宇品丸の奮闘をリクエストします!
映画観ました。私が生まれる前に製作されたんですが、良かったですね。
木村提督はキスカ作戦の前の2月に南方のラエ輸送作戦(81号作戦)に従事して無惨な敗北を味わってます、この時の惨状は航空機の奇襲を受けて輸送船8隻全艦、駆逐艦4隻、約3000名の将兵が水没し自身も機銃弾を受けて重傷を負っています、最初に引き返したのはこの時に航空機の圧倒的な破壊力を身を持って経験した事が大きいと思います、この時の大敗を踏まえて必ず成功させるという執念も有っただろうし、成功しても本人は喜びというよりもその時の借りを少し返したという気持ちの方が強かったのでは?と何となく思ってしまいます、映画「太平洋奇跡の作戦キスカ」の撮影の前の取材で木村家を訪問した時も、家族がそんな話を全く知らない聞いてないで驚いていたそうです。
現代版の映画作ってほしいわ
映画にもなりましたね。
呉空襲について解説してほしいなー
天候を学び味方に着ける者はいつの時代も勝者となる。蜀漢の孔明鎌倉の守備隊
天候が味方しなかった人間というか本当に運がなかった人として諸葛誕があげられます。司馬昭が布陣した場所が寿春の淮水という河がいつも氾濫しやすい場所で、極めて危険な場所だったため、諸葛誕は本気で勝てるって見込んだらしいけど、その時は旱魃が翌年まで続いて氾濫が一切起こらず、諸葛誕が敗北して寿春が陥落した翌日に淮水が氾濫して司馬昭の築いた本営が全て跡形もなく流されてしまうという結末だったとか。しかも、旱魃で氾濫が起こらなかったのが唯一その時だけで、淮水で旱魃が起こるということは二度と無かったのだとか。
@@フレッチャー-g2q 面白い話
霧の中の奇跡令和版東宝空戦映画にふさわしいタイトルだ!
人事を尽くしてなんとやらですね
西澤広義もやってほしいです🥺🥺🥺🥺🥺
この提督、「失敗しない」方です。悪かったのは海軍兵学校の成績だけ。
13:50ここからの話は流石に笑ってしまった
私は感動で泣けたけど😢
父が実際にキスカ島に行ったので生前中は北海道の小樽から出港し零下40度の中での歩哨や川での手づかみで鮭を採った話、キスカ富士、霧の話、軽巡洋艦阿武隈での帰還、幌筵島 での終戦、その後の3年間のシベリア・ヤクーツクでの伐採労働そして京都舞鶴への帰国と青春時代の事をお酒を飲んではよく話してました。父がキスカ島に派遣された結果、戦後私が生まれたので、感慨無量です。
シベリアから帰還もでしょ
私の祖父は、海軍潜水艦伊2号に搭乗しキスカ島撤退作戦に参加しました。
作戦は成功。しかも奇跡的にも終戦まで生き延びる事ができました。
その後搭乗予定の潜水艦、戦艦は米軍によりトラック諸島で轟沈致しました。
ちなみに祖父はとても優しい人で怒った姿を見た事がありません。
祖父とキスカ島撤退作戦は、今でも私の誇りです。
取り上げて頂き本当にありがとうございます!
問題なのは、戦後生まれで高度経済成長期に青春を過ごした世代に「戦前の日本は素晴らしかった」という馬鹿が多いこと。
大正生まれ以前の世代で「戦前の日本は素晴らしかった」という人は見たことがない。そんなに戦後の日本が嫌いならタイムマシンを作って1945年以前の時代に戻ればいいと思うよ。
@@ttubu3679 潜水艦乗りは水虫や皮膚病が持病だったと母から聞きました。
腕や足が飛ぶ話は当たり前で戦友は皆亡くなり、戦後も生きる為に必死だったそうです。
いま毎日おいしいご飯が食べれるのも、先人たちのおかげだと思います。
戦前も戦中も決して楽ではなかったと想像します。
トラックで沈んだ戦艦は1隻もありません。また大戦を通して轟沈した戦艦もありません。
つまらないことを書いてごめんなさい。
@@PARIS-JAPAN 正確さに欠けて申し訳ありません。伊2号は、1944年4月4日トラックに向けてラバウル出港後に消息を絶ってます(米軍の爆雷を受けたとか)。あと「戦艦」は母の思い違いだとは思います。船で呉から横須賀に向かう際に沈没したそうですが、祖父は盲腸でその船に乗船できなかった(何故か母誕生の仕込み時期とダブってる事はツッコめませんでした)です。
ついでですが、母曰く「誰も米兵に『ギブミーチョコレート』とか言ってなかった、TVで言ってることは何か変やね。」らしいです。
死んでも同胞を守る英霊たちに感謝します。
日本の為に命を捨てて守ってくれた事を、教科書にも載せるべきだ!
資料館で読んだ本の中にあった、キスカ島守備隊が、撤退直後アッツ島の方角から「万歳!万歳!」という声を聞いたという話が忘れられない
戦死した日本兵の霊が「仲間が帰れた!万歳!万歳!」と思っていたのでしょうか😮
今回も素晴らしい映像ありがとうございます。
誰もいない筈の島から万歳の声やレーダーの虚像など、亡くなった戦友の導きがあったのかと胸が熱くなります。
戦死した米兵への弔いの言葉も日本人らしい懐の深さが伝わってきます。
人を殺すよりより多く助けることで軍人としての矜持を示した木村提督。日本が世界に誇れる名将だと思う。
冷静沈着で正確な状況判断と大胆な指揮と責任感、そこからくる人を惹きつける魅力と運をたぐり寄せる力は人の上に立つ者としての最高の手本になると思う。
周りの参謀クラスがみな「突っ込みましょう!」(燃料不足からもう救出艦隊出航できない可能性大だったから)
という中で「戻ろう 戻ればまた来れる」 これはなかなか難しい判断 普通はできない
敵との接敵があったにも関わらず、たった1人の犠牲を出さずに撤退できた奇跡はものすごいし、それを実現させるために強硬な態度で迫った樋口季一郎陸軍中将の手腕、さらに実現させた木村昌福少将の統制力もさることながら、その部下たちの覚悟と実行させた能力があったからこそ実現できたんだなあ
パーフェクトゲームの裏には、多くの偶然と必然が重なっていたんですね。私には先んじて玉砕したアッツ島守備隊やミッドウェーで散華された将兵が護ってくれたと思えてなりません。
今回も素晴らしい動画ありがとうございました。500いいねつけたい
樋口季一郎さんの映画がもしあれば
俺は必ず見に行く。もっと取り上げてくれよ!
現代と違って、気象衛星など無かった頃なのに、もの凄い予報能力に感服。
今どきアチコチに居る気象予報士よりも遥かに優れた人材が居たのですね。
上の圧にも負けずに助ける決意をしたことが本当にすごい。
もう日本の駆逐艦、どれも名前が格好良すぎ。ブルブルくる
貴重な動画をありがとうございました。
英霊たちが日本の同胞を救う事例は他にも幾つもありますね。
話は変わって、日本軍が米兵を手厚く葬った件、やはり昔から敵であれ、リスペクトを忘れない日本人の心を知らされて感動しました。
まさに「学校では教えてくれない」の本分ですね!
華々しい大戦果より、このキスカ島撤退作戦が凄いと思います。強い非難を受けても、キスカ島の兵士を全員救う事を貫いた男達…日本男子の鑑!(実際、軍としても兵の半分も救出できれば大成功と思っていたそうです)
木村提督の 「帰ろう帰ればまた来ることができるから」
は 座右の銘にしています
極寒の中、お勤めになられた父君のおかげで現在の我々も平和に暮らせています。ありがとうございます🙏
キスカ島の話は少し知ってる程度だったけど、米軍の当時の動きだったり実際に上陸したこと、日本軍の置き土産とか知らないこともたくさんで、とても興味深かった。
毎回動画観て思うけど、学校とかの歴史の授業で観てほしいチャンネルです。
知識があまりなくてもスッと頭に入るくらい面白くまとまってるのは本当すごい。
久しぶりに、自然と涙がでてました、動画をつくってくれてありがとう。
何だろう、鼻の奥がツーンとしてジワっとして涙がにじむ
感動の仕方がワサビのそれ
動画制作お疲れ様です。
いつもこのチャンネルの新作を待ち焦がれている者です。
今回も知らない事柄も含まれており、改めて教えて頂きありがとうございました。
今回の内容は日本軍側の内容と米軍側の内容とを組み込んでくれたおかげで、とても分かり易く内容の濃いものに仕上がっていますね。
次回作も楽しみにしています。
作業は大変だと思いますが頑張ってください。
応援しています。
キスカ島撤退作戦、敵であるアメリカ軍からも(パーフェクトゲーム)と賞賛された陸海合同作戦ですね、作戦を成功させる為に、綿密な準備と気象観測そして、司令官の臨機応変な采配と将兵たちの勇気が起こした奇跡です。
たくさんの英霊が助けてくれた感じだな
ここまでまとめてくれる主愛してます
ほんとすき。
20分では話せないくらい良い話なんですよ😢よくここまでまとめてくれてほんとありがとうございます😭
沈んだはずの空母までもを味方につけるとは…
今の日本は、なんとも情けない國になってしいました。
先人たちが、命懸けで護ってくれたのに。
僕らも、後世で、胸を晴れる世代で居られるよう、戦わないと。
今こそ、日本人の誇りを胸に。
不屈の精神で成し遂げる奇跡じゃなく必然の作戦成功。アッツから聞こえたバンザイの声。
私の悩みなんて瑣末なこと。頑張って生きよう。
第一次撤退作戦にて伊2号潜水艦の板倉光馬艦長は停泊中に艦で発生した水難事故を契機に艦内の酒を処分する為に乗組員達と共に酒を飲み尽くして甲板に出て立ち小便をしている際に足を滑らせてほぼ0℃の海面に転落しましたが、その場に居た見張りの乗組員に助けられて九死に一生を得たそうで、特設潜水母艦の平安丸も潜水艦の様子に気付いて信号を送ったそうですが、上手く誤魔化した上で生還した艦長には「不タヒ身」と渾名を奉られたそうです。
この艦長は感が良いのかキスカ島撤退作戦だけでなく何回か米軍に追われてますが全て逃げ切った上に、色々と伝説が多過ぎて本当かよって思ってしまう…
なお、小銃の投棄は後になって陸軍次官の富永恭次がこれを問題視したそうですが、富永は陸士の4期先輩である樋口将軍を以前から苦手だったらしく、小銃の海中投棄を命じたのが樋口将軍だと判ると不問に付したそうです。
板倉光馬氏か〜。せめて酒を減らせんのかと上官に問われ、止めるよりも難しいと応えたお方ですね。
浮上航行中に米国哨戒機に発見された際に『帽振れ〜』と発令、味方と誤認させてからの急速潜航でトンズラかましたりされてましたね、著作を読んだのは中学生の頃でした。
戦死した英霊たちは大本営の命令を受けないから世界最強クラスの軍隊としてその力を揮ったんだろうね
樋口季一郎様は凄すぎます、
一人の人間が神のような
業績だと思います。
14:19
英霊が守ってくれたのでしょうかね。
鳥肌すごい立つほどミステリーだけど
なぜか温かみも感じる話。
占守島やキスカ島といい対ソ戦は熱いなぁ。北方領土守りたくなってきたわ
陸軍の主張通り 対ソ連に徹底攻勢に出るのが 樞軸國ヵ 勝利する最適解ダッタノニ
何たる事や。
樋口季一郎ってほんまやばすぎる
陸大出であっても戦闘部隊一筋の精神論バカとは一味違う士官。
実際、樋口季一郎氏の軍歴は、陸軍大尉から陸軍少将まで多くの期間を情報将校として過ごしていて、情報将校としての勤務から解放されたのは陸軍中将に昇進して第九師団長に補された時だった。
アッツ島2000人の英霊が 助けてくれたんだと思います
以前、この作戦に参加された駆逐艦響の通信士の人の話を直接聞く機会がありました。作戦成功を誇らしげに話されていましたね。戦局が進むなか退艦されて…あの神雷部隊(桜花特攻)の通信士に転属になったそうです.その辺りを詳しく聞きたかったのですが…あまり多くを語りたくない様子でした。ただ、神雷部隊の野中少佐の事はよく覚えていらして豪傑で破天荒な人柄を知る事が出来ました
全く紹介されない戦いの話めっちゃ好き
樋口さんみたいな人が大本営に何人かいれば未来は変わっていたかも。
父や祖父は戦争に行ってないけど、いろんな巡り合わせが変わって、その結果俺は生まれないんだろうな。
【 木村少将は (上層部の)批判を意に介せず、阿武隈の舷側から釣りをしながら 濃霧が発生するのをじっと待った。
撤収部隊の各艦は 木村少将の判断は当然だと思っており、帰港後に批判を見て驚いたという。】と有りました。
的確な判断の出来る 優秀な軍人であったのでしょう。
ミッドウェー海戦で散った
英霊たちが守ってキスカ島
撤退成功に導いてくれたんだよ😂
米軍をキスカ島上陸に当たって躊躇させたのは、ミッドウェー海戦に参加した将兵ではなくアッツ島の守備隊です。
彼らは救援も撤退も望めなくなった時、獅子奮迅のごとく戦い、当時の日本軍というものを米軍に見せつけました。
ちなみに、当時の北方軍司令官であった樋口中将は、アッツ島の将兵を助けてやれなかったことを生涯悔いていたそうです。
毎度楽しみに拝見させてもらってます
歴史の教科書にのせるべき内容だと思う
編集等大変だと思いますが、これからも楽しみに見させてもらいます
いつもありがとうございます
ミッドウェー海戦の敗戦後に さっさとアリューシャン方面から撤退すればいいものを結局何も決断せずアッツは玉砕してしまった
ここから補給を受けられず玉砕する島が増えていく しかし動画後半がなんかホラーなんだが自分は日本人だし戦死した英霊が救ってくれたと思うことにしよう
今度は木村昌福少将の動画を期待したいです
動画ありがとうございます。
その昔、NHKのプロジェクトXでやってきたことですが、ソニーの8mmビデオのハンディカムを作った技術者が、戦時中に潜水艦に乗っていて、この作戦の電波妨害を行っていたとのことです。この辺間大のレーダーに映ったゴーストが、その電波妨害ってあるのかは今となっては分かりませんが、”電波妨害を行う=逆探知される”と言うことを考えると、潜水艦乗りと言うのはとても勇敢な人々だと改めて思います。
アメリカ側の思い込みがヒューマンエラーを重ねに重ねたんだろうさ。思い込みがもたらすヒューマンエラーの恐ろしさは現代のビジネスシーンでも多く語られてるからねぇ。
いつもわかりやすく解説していただきありがとうございます。いつも勉強になります。
もし機会があれば、占守島の戦いについても動画作成お願いします!
ありがとうございます。占守島の戦いについては、本動画の概要欄をご参照ください。
@@gakkou_deha_oshietekurenai
すいません!視聴します!
このチャンネルは、戦争の事実とかが知れるのもそうだけど、なにより字幕が面白い
ありがとうございます。
映画化希望!
とても良かったです。ありがとうございます。
木村昌福さんを札束に載る
べき歴史上人物だ
米兵を弔った際に立てた十字架、よく見ると丁寧に作成されたと思われるのがわかる。Nippon Armyの立て看板に目が奪われて、十字架を観察してなかったのならよく見て欲しい、と思います。
アッツ島で玉砕した彼らと、ミッドウェーで海中に沈んだ彼女たちが助けてくれたとしか思えない。
これだから日本は大好きなんだ。
このお話を聞いて霊がほんとにいるのかと感じました…
興味深いエピソードに感動しました。
日本側の被害看板一個大破と軍用犬一匹死亡に対して、アメリカの被害が大き過ぎる。
それにしても、看板が壊れたのは被害に入るのか?
この方の動画は他の方の動画よりも心を動かされると感じています。日本が大東亜戦争で過ちを犯していたのは事実でしょう。でもそれを事実とするならばこのような素晴らしい作戦があったことも学ぶべき。
間違えない
アッツ島の守備隊が導いてくれたんだよ😂
動画楽しみに待ってました
これからも頑張ってください
あの戦争では、なぜか英霊達が戦死後も戦った話しがありますね……
敵兵に対する敬意や占領地への対応などなど、戦争のルールを守って戦争した唯一の国が日本だと思っている。
これ否定すると怒られるのかな...?
外人が見たら爆笑しそうなコメント
JR大磯駅近くの日蓮宗・妙大寺に樋口中将の墓所があります
サラッと流されているが、 17:06 で、恐らく完全包囲されてもう助からないであろうと覚悟を決めて、それでもなお「ルーズベルトの指示に踊らされている」と皮肉ったり「お前らんとこの兵士も祖国の幸せを願ってたんだよな」と埋葬してやったりと皆が恨まなければならないものを見誤っていなかったことに涙出そうになった。
勝手に勘違いしてそこそこの犠牲を出してくれたのは日本にとっちゃラッキーだっただろうな……
それにしてもイタズラ書きは気が利いてるけど看板って損害にカウントするんやな……
11:17 終戦時に米軍に投降する時にこの理由で菊花紋は削ることが多かったから今アメリカで流通する旧日本軍小銃の中で紋が残ってるやつは珍しいみたいですね
アッツ島の英霊たちのおかげかも
太平洋奇跡の作戦 キスカ という白黒映画があります。 主演は三船敏郎さん。特殊効果はなんとウルトラマンの円谷英二です。
ビデオオンデマンドで探してみてください。
🌴🌏🐎配信ありがとう御座います🌈🙏
英霊の魂が友軍を救ったのですね
それにしても、木村少将は立派です。戦果より、兵士の命を大切にした。こういう軍人が多ければ、アメリカも警戒度合いを強めたでしょう。
樋口中将の話が何故学校の教科書に載らないのか不思議で仕方ない
載せたくない人達が文科省には居るからね。本載せたくない著者もそんな人達なのが原因ですよ。😓
キスカ島の置き土産が面白い イタズラ看板(ペスト)
また来られる 素晴らしい司令官
英霊艦隊? アメリカ艦隊が無駄弾を使わせた
捕虜は犬二匹 同士討ち
一人も敵兵が居ない島で、ただ同士討ちをしたアメリカ軍ですが、戦死者122名、駆逐艦1隻大破は、解りますが行方不明191名は何処に消えたのでしょうか?。
@@繁明徳原
『行方不明』の定義を『遺体が確認できなかった』とするなら、海へ沈んでしまったのでしょうか。
311後に日本国籍を取得した ドナルド・キーンさん(鬼怒鳴門)は 海軍情報士官として キスカ上陸作戦に参加した
日本の素晴らしい将兵と無念に散った英霊たちがやり遂げた奇跡ですね。
コレラの看板を読んだのは、その後に司馬遼太郎さんと交流をもつことになる、ドナルド・キーンさん
このとき小銃がどうたらというどうでもいいことにこだわった軍人がいる。 みんな大好き富永恭次である。
そして小銃を含む小火器の投棄を指示したのが樋口中将だと知るとダンマリを決め込む小物ぶり。
この作戦は名将によって陸軍、海軍噛み合った行動した
始めからこうした体質あったら太平洋戦争違ったものになったと思う
これが本当にあったってマジ⁉︎
人事を尽くしたから天命も味方してくれたのでしょう。
米艦艇に無駄球を消費させたのも天の采配ですよ。
「太平洋奇跡の作戦 キスカ」東宝の会心作
教科書に載せるべき人物だ。
奇跡は起きるものではなく、起こすものなのだなぁ、とつくづく思う。
しかしペストの看板の件は何度聞いても笑ってしまうな(笑)。その軍医、帰るときもニヤニヤしていただろう。
松岡圭佑の「八月十五日に吹く風」で小説になってますね。
他の方もおっしゃってますが、映画化してほしい。
ちなみに彼の小説で「黄砂の籠城」ともあわせて、日本人なら必ず読んで欲しい小説だと思ってます。
ここのコメントの皆さんは つわものの方が多いですが先祖さん! ちなみに うちの祖母のお姉さんの息子さんは 空母赤城に乗っていました。 一番上のお兄さんは 牟田口廉也の部下でした。 赤城が撃沈された後も 救助されたんです 駆逐艦 海軍兵学校と 陸軍士官学校行ったんです まる 木村少将は 帝国海軍最後の海軍中将となられました。 戦後は会社を作られて 部下の方を集めて 一緒に働かれました。 ヒゲの木村と言われた人です🎉
何度見ても素晴らしい内容。
そして何度見ても「弱腰ヒゲ男を特定」で笑ってしまうw
レーダーに映ったゴースト艦隊との海戦では
魚雷の雷跡を発見急転蛇するは 前方から撃ち込まれてきた照明弾で目がくらむはのかなりの激戦
War_Retreat_From_Kiska_-_Toshiro_Mifune_So_Yamamura_1965
英霊の御霊が、仲間を全力で支援したと私は思います。
That's Real perfect game!
122.191.まさか師団一つ壊滅してない?
気象予報の竹永少尉、名優児玉清さんが演じた姿を連想しました。木村少将の采配、「胆力」とは何かということを教えてくれますね。
看板一個大破www
毎回楽しみにしています。
たくさんの資料を研究されていると思いますが、
恐縮ながら、たしか光人社の戦記書籍で、本と著者の名前は忘れてしまいましたが、キスカの作戦に従軍された方の著書に、ベテランの甲板員の方が島から出航するときに落水したが濃い濃霧のために救助できず、行方不明になったとの記述がありました。
艦艇乗組員の犠牲があったことを知っていただきたくて、コメントさせていただきました。
奇跡かもしれないが、博打でも、焦りでもない。
主様にお願いです!
太平洋戦争末期、新潟空襲の際に米爆撃機から新潟の街を守った軍用船宇品丸の奮闘をリクエストします!
映画観ました。私が生まれる前に製作されたんですが、良かったですね。
木村提督はキスカ作戦の前の2月に南方のラエ輸送作戦(81号作戦)に従事して無惨な敗北を味わってます、この時の惨状は航空機の奇襲を受けて輸送船8隻全艦、駆逐艦4隻、約3000名の将兵が水没し自身も機銃弾を受けて重傷を負っています、最初に引き返したのはこの時に航空機の圧倒的な破壊力を身を持って経験した事が大きいと思います、この時の大敗を踏まえて必ず成功させるという執念も有っただろうし、成功しても本人は喜びというよりもその時の借りを少し返したという気持ちの方が強かったのでは?と何となく思ってしまいます、映画「太平洋奇跡の作戦キスカ」の撮影の前の取材で木村家を訪問した時も、家族がそんな話を全く知らない聞いてないで驚いていたそうです。
現代版の映画作ってほしいわ
映画にもなりましたね。
呉空襲について解説してほしいなー
天候を学び味方に着ける者はいつの時代も勝者となる。
蜀漢の孔明
鎌倉の守備隊
天候が味方しなかった人間というか本当に運がなかった人として諸葛誕があげられます。
司馬昭が布陣した場所が寿春の淮水という河がいつも氾濫しやすい場所で、極めて危険な場所だったため、諸葛誕は本気で勝てるって見込んだらしいけど、その時は旱魃が翌年まで続いて氾濫が一切起こらず、諸葛誕が敗北して寿春が陥落した翌日に淮水が氾濫して司馬昭の築いた本営が全て跡形もなく流されてしまうという結末だったとか。しかも、旱魃で氾濫が起こらなかったのが唯一その時だけで、淮水で旱魃が起こるということは二度と無かったのだとか。
@@フレッチャー-g2q
面白い話
霧の中の奇跡
令和版東宝空戦映画にふさわしいタイトルだ!
人事を尽くしてなんとやらですね
西澤広義もやってほしいです🥺🥺🥺🥺🥺
この提督、「失敗しない」方です。悪かったのは海軍兵学校の成績だけ。
13:50ここからの話は流石に笑ってしまった
私は感動で泣けたけど😢