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マイカー、レンタカーやバイクで北海道を周る人たちは、天塩~稚内の道道 106号線、宗谷岬、宗谷丘陵の白い道、猿払村のエサヌカ線に行く人が多く、宗谷岬以外は公共交通機関がないので、自分の足(車、バイク)がなければ行けません。
稚内〜浜頓別のバスも約3時間もかかるのに普通の路線バス仕様なのがマイナス過ぎる。流石に疲れる…
天北線と興浜北線のジャンクション駅で栄えていたいですね。急行天北の停車駅等鉄道の町のイメージ。
懐かしい、、、
更に妄想でコメントするのも何ですが、天北線が存続した場合、。小頓別からの歌登町営軌道跡と美幸線未成部分の一部を繋げて枝幸へ抜けられた (鉄道敷設法であったルート)。宗谷岬観光の拠点をこちらに移せた浜頓別や猿払の観光も併せれば違った未来もあったかもしれませんね
素敵な妄想だと思います!
@@hokkaido-railway ありがとうございます☺️
本当に惜しい路線いっぱいありましたよね。惜しい鉄路ばっかり涙鉄道だけでは食べていけない・・鉄道だけ一息つけるのは大都市圏だけ(それでも多角化しないと採算合わない)・・・・わかっているんだから鉄路守るために関東でも関西で・・いやロンドンでもNYでも商売する覚悟でJR北には勘案してほしいです。当然、船だったり空路だったりも視野に入れて。北海道は北満や北支のペットモデル、大陸経営の試作品として構築された行政体系・・・そこで経営成り立たせるにはプチ満鉄(東京でも営業してましたよね)の方針で行くしかないと思うんです。
JR北海道が生き残るとしたら鉄道事業では無理ですからね。稼ぐ精神が足りないのでしょう・・・
@@hokkaido-railwayさん、レスありがとうございます。そう、立ち食いソバ屋から苗穂の技術使った土木部品(橋とか)までホテル事業から小売りながら商社活動まで・・鉄路守るために頑張ってほしいです。東京駅で音威子府蕎麦の立ち食いスタンド作ってもいいわけですし。
@@hokkaido-railway さん、二度目のレスですみません。全国知事会で小池知事と島根の丸山知事が出生率の事でやりあったみたいですネ。以前ちらっと話聞いていただいた通り事と次第によると札幌が首府機能移転として2回目のペットモデル、テストケースでにウラで選定される可能性ありますよ(霞が関で)。一番影響が少ない都市で、産業に不向きな一次産業地勢ですから💦。まぁ10年ぐらいかかりますけどネ。
インバウンド客でなくてもレンタカーを使わない観光客は道内の移動がホントに不便です。沿線の観光地に行きたくても足がない!
クッチャロ湖畔の天北線跡は自転車専用道路になっていて湖が見える丘の上は絶好の展望台になっていましたが、今はどうなっているのでしょうか?ところで、JR乗り放題のJAPAN RAIL PASSを使う外人観光客は吝嗇だから、バス代のかかるハマトンに来る人は少ないでしょうね。むしろそこがハマトンのようなJRの来ない観光地の魅力だと思います。
稚内、宗谷で遊んだ人達が立ち寄るようになっただけでないの? 枝幸や浜頓とかあの辺は単独で人呼べるような所じゃ無いでしょ
音威子府で観光をした後は、そのまま浜頓別へ行きましたね、未だに抜海通った事ありません😁
抜海駅はいいところですよ~(笑)
もともと稚内への鉄道は天北線が先で、後に宗谷本線が作られたと聞きます。
天北線の方が線形が良かっただけに残念・・・
宗谷本線は、天北線よりも距離を短くするため作られたのでしょう。ただ、実際にどちらも乗車した経験からすると、天北線は実に眺めが良いので、廃止したのはもったいないです。
浜頓別???簡単に海外旅行客が来られないから、北海道らしさを求める日本人が集まりやすい。ということですかね?なんか、いいヒントもらった。そうか、廃線になったところに行けば穴場なんだ。めちゃくちゃアイロニーを感じますけどね笑
皮肉すぎですよ、宗谷本線が苦しんでいる中で、、、
@@hokkaido-railway すいません…。
@@jirosasayama8341 いやいや、貴殿ではなく現状に対して😅
つい去年まで、稚内~浜頓別~音威子府と天北線をなぞるように長大な路線バスが運行していたんですよね。有名鉄道系UA-camr西〇寺氏に触発されて、去年のお盆休みに完乗したのは良い思い出でした。現在は廃止されて、浜頓別で分断されてしまいこのルートはほぼ使えなくなってしまったのが残念です。
やはり便数が少ないと利用者もどんどん減っていきますから・・・
@@MK-qu2gw 音威子府~浜頓別は廃止になってんだよなぁ。
@@MK-qu2gw 天北線代行バスは、最初は旧天北線ルートをなぞってたのよ。でも、利用が低迷して、何とか需要を拾おうと宗谷岬経由にルートを変更した。
今でも浜頓別→枝幸→旭川って感じで稚内からストレートに行けるよむしろこっちのルートの方が枝幸で観光できるし音威子府ルートより良い。音威子府は観光できるとこ何もないから
天北線は急行天北号の利用者に依存していたとみます。急行宗谷号は稚内などの沿線が自宅の方が旭川や札幌に行く向けのダイヤで夜行使うならば急行利尻号でした。昼間向けは急行天北号か旭川発着の急行礼文号の利用でした。音威子府から幌延や浜頓別は利用が少ないから普通列車は少ない記憶があります。
実は沿線人口も天北線の方が多いんですよね、、、
浜頓別の魅力は、雄大な北海道らしい自然を眺めながらキャンプができるところなのですかね?観光で苦戦する豊富町にも、美しい原生花園があるし、温泉もあるし、鉄道もある!インバウンドの受け入れには有利なのでは?やりようによっては、いけるんじゃないか?がんばれ!
妄想につきあわせていただきました。紋別生まれ、浜頓別、上頓別(中頓別町)に幼少期住んでいた爺です。今年、60年ぶりに訪問しましたが、レンタカーを使いました。鉄道があれば、下手な運転をしなくて済んだのにと思い、北オホーツク海岸沿いの鉄道完成を妄想しました。良いところなので皆さんも行ってほしいのですが・・・。宿泊施設がとても少ないのと、小さな旅館や民宿は工事関係者優先なのが難ですね。
ありがとうございます😊まぁ、そんなことあり得ないと言われればそれまでですが🤣やっぱり鉄道ファンとしてオホーツク海に鉄道がたくさんあったことはいつまでも記憶に留めたいです。
浜頓別、懐かしい。 おかげで、46年前に二泊した「トシカの宿」が、まだ営業中と知り70歳までには、行きたいと改めて思いました。 ありがとうございました。
クッチャロ湖、数年前にレンタカーで行きました。公共交通機関の利用は、初めから考えもしなかったです(主さんもレンタカー)。それだけ公共交通機関の利用は、厳しい場所ですね。
私がレンタカーで巡っている時点でお察しください(笑)宗谷地方に関して公共交通で巡るのは至難の業です。
浜頓別ウイング。数年前にいきました。白鳥は綺麗だし、温泉も良かったし、泊まりたかったです。そんな人気の浜頓別だとは知りませんでした。インバウンドはすごいですね。ありがとう
さすが、すでに浜頓別に行かれているのですね👍
天北線は確かに線形の良い区間は多いですが距離の長さに加えて線路規格が宗谷線に比べても低く構造が弱い為改良しなければ高速化は出来かねますわ😿💦💦💦💦
稚内~根室の500kmを走破する長距離バスがあれば面白い。未成線、廃線含む鉄道路線なら、宗谷本線(稚内~南稚内)、天北線、興浜北線、興浜南線、名寄本線、湧網線、釧網本線、根北線、標津線、標津線(厚床支線)、根室本線(厚床~根室)バス路線化するなら、稚内~稚内空港~宗谷岬~浜頓別~紋別~紋別空港~網走~中標津空港~根室羽田空港~✈~稚内空港~🚌~紋別空港~✈~羽田空港
昨年、浜頓別の道の駅で、車中泊しました。盆踊りが行われていて、たくさんの子供達やその親御さんで賑わっていました。香英という店でご飯を食べ、クッチャロ湖の辺りにある温泉を堪能しました。行っとけばよかったと思ったのが、道の駅周辺にある居酒屋でした。浜頓別は、賑わってる地区がかなり集中してる感じですね。エサヌカ線が近いので、走りに行く時は、直前に寄ると便利な道の駅でした。
リアルリポートありがとうございます😊賑わっていて何よりです。子供たちが多いと、このご時世で嬉しいことですね。
浜頓別や枝幸がそのようなことになっているとは知りませんでした。まさに今月道北をドライブしようと思っていたので参考になりました。天北線、興浜北線は昭和59年の夏休みに乗りました。
結局インバウンドは水ものだからその為だけには投資は困難だし町は衰退して普段使いの利用者はほとんど居ないから廃止せざるえない状態ですからね~しかも北海道は町間距離も長いし道央都市圏内に人口集中して田舎は廃墟化して府の連鎖
昔の時刻表を見ると、音威子府~南稚内間は天北線経由のほうが20~30分くらい余計に時間がかかっていたようです。個人的には札幌~稚内間で5時間くらいかかるので20~30分余計にかかったところで大したことはありませんが、急ぐ人にとっては宗谷本線経由のほうがいいと思われます。
実は、札幌~稚内を本当に急ぐのなら、札幌~(函館本線)~深川~(留萌本線)~留萌~(羽幌線)~幌延~(宗谷本線)~稚内なのですが。旭川を通らないデメリットはあるけど、実は直線距離に近く、現に札幌~幌延間を運転していた急行は、急行宗谷等よりも速かったという笑えない話もあります。(なお、このうち大半が廃止されてしまったので、いまさらどうにもならないですが。)
今、新千歳空港に到着しました〜。エアポート号が結構遅れてます😢
お疲れ様です😓人身事故ですね、、、
クッチャロ湖とエサヌカ線浜頓別には北海道らしい広大さが魅力です
やはり、浜頓別が急にすごくなったわけではなく、皆さん浜頓別の潜在能力に気づいたのでしょうね。
今年もテントが持ってバイクでクッチャロ湖キャンプ場行きます、敷地内にある温泉も魅力だし、セイコマが近くに二軒もありますので、買い出しにも便利です👌R275の終着点も゙魅力です
自分は北オホーツク100キロマラソンでエサヌカ 毎年走ってました
鉄道は厳しいかぁ。僕みたいに車苦手な人は鉄道ないと困るなぁ。鉄道はなんとしても巻き返して欲しいですね。
おっしゃる通り、私も運転実は苦手😅鉄道に頑張ってもらいたい💪
約40年前 網走駅からオホーツク海沿岸を通る紋別・枝幸経由の稚内駅行きの定期バス1日一便が走ってました宗谷バスと網走バスの共同運航してて 女性車掌さんが乗務してまして1日泊まり勤務だとききました。2回ほど乗りましたが 網走駅から稚内駅まで乗りとおす客はいませんでした。6時間も乗ってキツかった思い出。こんな状況からその後網走~紋別に短縮され 数年後利用客減り廃止になりましたよね
オホーツク海沿いの観光地って、通過した数も数えているから多く見えるだけのような。
何で浜頓別に観光客が?と思ったら、キャンプ需要でしたか。確かにこの辺までくると、流石の温暖化も影響があまり無いですからね。紋別でも去年の8月で18℃とかじゃなかったかな。
私も浜頓別については、取材が甘かったなと反省しております。時間があればクッチャロ湖周辺を見てみたかったです。
あの頃はインバウンドなんて語彙もなかった時代ですからね…。仕方なかったと言えばそうかもしれません。
浜頓別は、日本人観光客が主体なんですね。自家用車やレンタカーだけでは客数に上限があると思います。回遊性を高めるため、周辺の市町村と共同で、地元の人を運転手に採用してミニバスの運行・運営が出来たらと思いますが、難しいですかね。鉄道が復活するのが私の夢ですけど。インバウンドは、日銀利上げで円高が進むので減少すると思われがちですが、円高が輸入物価に正しく反映され低下すれば、さほどインバウンドは減らないと思います。
天北線があればなぁと本当に強く思いましたね。今ならいろいろできたはずです(^_^;)
浜頓別の観光客が増えているのですね、やっぱり道の駅が大きいのですかね・・・本州のライダーは猿払のエサヌカ線を走って休憩に丁度良いですし、あと枝幸が増えているのも意外でした。両町とも訪問するなら公共交通機関より車かバイクでしょうね、公共交通機関は使い物にならない。
名寄を早朝にバスで発てば、興部・雄武・枝幸・浜頓別と乗り継いで稚内まで日着することが可能だが、この浜頓別で昼に数時間待ちになる。かつて三江線の石見川本では昼の乗継時間を逆に活かして町を挙げて観光客を町内の飲食店に積極的に呼び込んだことを思い出した。流動は僅かであるが、この不便さを町や飲食店組合等が上手くPRしてみてはいかがであろうか。
浜頓別がこんな事になっているとは驚きました。車やバイクでのツーリング客を上手く引き寄せた結果だと思います。これは鉄道が廃止となった留萌の参考になるのではないかでしょうか。一方で公共交通機関に関しては厳しい状況ですね。天北線代替バスは浜頓別止まりに短縮されてしまいました。それだけ利用者が少ないという事だと思います。浜頓別や枝幸は空港からも遠く、空港アクセスのバスも無いのでせっかく浜頓別まで来ても来た道を戻る事になってしまいます。観光客のニーズは天北線ではなくオホーツク海沿いに稚内から網走方面へ抜ける事だと思いますからオホーツク海に沿って主要な街のみ止まる特急バスを走らせれば一定の観光客誘致に繋がると思います。贅沢を言えば浜頓別か枝幸に空港があるとオホーツク観光のハブとして機能しそうですが、門別空港の状態を見ると難しそうです。
やはり本数が少ないと利用されにくいですね。だからといってむやみに増やせないのも悩ましいところです。
浜頓別ユースホステルにはよく行きました。閉鎖後の跡地が原野に戻ってる光景には絶句しました。天北線廃線・宗谷バス減便で旧天北線沿線の経済的中心が鬼志別・猿払に移ってから浜頓別町は寂れていく一方での観光客増加は皮肉なものです。浜頓別土産の「牛乳もなか」はまだあるのか知りたいです。クッチャロ湖のカヌーや湖畔での沈む夕日がきれいなのですが、湖周辺(旧安別駅)で昔はいなかった熊が出没していて野生化している現状に驚いてます。30年前、クッチャロ湖一周約30キロを歩いた時は牛だけしかいなくてのどかだったのに。
流石に稚内と網走は国道一つで完結してもテレビでよくある鉄道、バスの乗り継ぎ旅は難しいですね。おまけに人口密度多くないですし。それにしても枝幸バスターミナルそばの西條、駐車場満車で賑わっているようですね。「公共交通」よりも「マイカー」のほうが買物する上では効率ありそうですね。
やはり、基本はマイカーでしょうね。これは変えられない事実です。でも鉄道ファンは妄想してしまうのです😂
急行列車が通ってたのに廃止されたのって天北線ぐらい?
枝幸と雄武の間だけでなく斜里と根室標津の間もつながれば,稚内から厚床までオホーツク沿岸を通って行けると思ってたのに,結局は網走と斜里の間だけになってしまいましたね。ここも黄色線区になっていますが。
やはり鉄道は枝線よりも迂回できる路線がいかに重要かを思い知らされます。そう考えると根室本線の廃止はなんだか腑に落ちないです。
根北線の事ですね…
7月に車で紋別からオホーツク海沿いに稚内まで向かう途中で浜頓別を通りました。道の駅は新しく綺麗ではあったものの時間的なこともあってかお客さんは寂しい感じでしたね。動画でも紹介があったようにクッチャロ湖を中心としてアクティビティが楽しめそうで、高原リゾート感がある地形風景やそれを生かした整備も感じられて、なかなかのポテンシャルを感じましたが、マイカー客以外の気配を感じなかったのは、交通機関のボトルネックが大きいのですね。妄想は同感👍しかし電化もされない単線の鉄路を残すことがこれほど難しい北の大地の厳しさを感じます。なかなか雰囲気の良いエリアだったので次回は少し滞在してみようと思いました。
紋別からバスだけで稚内に行こうとすると2日かかるんですよ距離が長いのもそうだけど本数がなさすぎるから一回遠軽→紋別→雄武→枝幸→浜頓別→稚内をバスだけで行きましたがそりゃ誰もバス使わんわって感じでした
天北線(旧宗谷本線)より宗谷本線沿線のほうが人口が多かったんだっけ?
人口は確かに多いのは事実ですね。
「観光客数で浜頓別町が稚内市を抜く」という事実には驚かされます。率直に観光「ポイント」(稚内の宗谷岬のような)が、浜頓別町にあるとは思えなかったのですが。ただ「ポイント」でなく「エリア」で考えると、いかにも自然豊かな北海道らしい風景が、特に自然志向の強いインバウンド客に人気なのかと思います。ただ観光の為に浜頓別町周辺に赴くには、公共交通機関が貧弱なのは否めません。稚内からも網走からも本数・ルートが限られているし、近隣の特急停車駅たる音威子府駅からの路線バスに至っては先日廃止されましたから。「誰がための公共交通機関」を考えると難しいところですが。
クッチャロ湖が人気とすると、かなりの広範囲に及びますから広々としたところに分散されているような感じなのでしょうね。そういう意味では車やバイクの方が向いているのかもしれません。
音威子府ー稚内は、天北線のほうが宗谷本線より輸送密度は高かったと記憶しています。当時の国鉄は「路線名」で存廃を決めていたので宗谷本線という名前の幌延ルートが残って、天北線という名前の浜頓別ルートが廃止になったのですよね。浜頓別は2023年にバスで1回だけ行ったことありますが、稚内からバスで浜頓別まで行く人はいませんでした。鶏が先か卵が先か、利用しない→減便→更に利用しない→更に減便で旧天北線代替バスはほぼ使い物にならなくなってしまっていますね・・
結局、いまさら言ってもなんですけどね、バスもなぜ使われないかというと、やはりダイヤの少なさもかなりありますよ。とはいえ観光客急増は予期できないので非常に難しいです。
稚内と浜頓別のtwo topの情報は嬉しいですね。しかし、鉄道を失う現実も見ることが出来ました。公共交通である鉄道•バスは地元にとっては存続に関わる問題です。興浜線のポスターが気になりました😅
まさかのツートップ。ここまで並んだ浜頓別は素直に凄いです!そして、天北線があればと後悔する日々、、、
ありがとうございました。稚内の有名観光地はインバウンドで溢れてるので、浜頓別や枝幸は外国人が少なく自然と秘境感が残ってるという事で日本人観光客が多いのではないかと思いました。鉄道廃止は、インフルエンサーが動画上げたりして評判になると考えられない時代ですから致し方無いことです。今は鉄道を惜しむのでは無く調査やコンサルティングを行って盛り上げる道を探るべきですね。紋別空港がある紋別周辺もリポートすると見えるかも知れません
紋別もなかなか行きにくくて(^_^;)やはり鉄道がないとね~(笑)
残すなら宗谷本線でしょう。天北線は論外。代替バスの利用低迷で補助金打ち切られるわ、一部区間はそのバスすら廃止になってデマンドバスになるわという体たらくなんだから。仮に令和になって浜頓別に人気が出る分かってたとしても、それまでの35年間鉄道を維持し続ける費用を考えたら話にならない。
@@psychedelicraspberry517 そうなんだよなぁ。宗谷本線ですらあの様・・・
バイクでオホーツク海を観たくて走らせてましたざっくり言うとサロマ湖からの宗谷岬まで。色々な景色を観て楽しんだ。天北線廃止はなぁ…山より海を観たらまた違うのにねぇ。。。さすがお役所仕事。奴らは使えないね!
やはり、役人に任せるとロクなことになりませんね😅
バスを貸し切りでチャーターなど、宗谷地区の自治体で周遊観光ツアーができないものかと思います。もちろんツアーなので、貸し切る観光客に申し込んで成立するパッケージです。海外で公共交通機関が乏しいところで、デマンド系や大型車でのチャーターなど、空港移動を含めた観光や食事の移動ツアー、お値段それなりですがけっこうあります。天北線、深名線、その他、残っていれば観光客には楽しいですが、昔の時刻表とか見ていると日常使いは難しそうなので、マイカーには勝てないでしょうね。
始発と終点が違う定期観光バス……あったら便利なんですけどね
オホーツク海沿岸は、カヌーやキャンプ、海岸沿いの周遊など、クルマがないと成立し難い観光形態ではないかと想像します。鉄道はやはり、客が狭い範囲にある一定以上集中する場所を結ぶべきと思います。
確かにそういう性質がありますね。バスが苦戦しているのが良い例でしょう。天北線は鉄道好きの妄想と捉えてください(笑)
ローカル路線バス乗り継ぎの旅第3弾でよく見たバスターミナルばかりですね。あの番組の当時、バス乗り継ぎで簡単に遠くに行けるという感想でした。
まさにオホーツク沿岸は海産物の美味しく景色も良い所ばかりで、もし天北線が残っていたら今ごろ浜頓別や鬼志別がインバウンドで賑わってたでしょう。また興浜北線が廃止されても浜頓別・北見枝幸間のバスも今より多くて、こちらもインバウンドが来てたでしょう。あとは猿払村等がふるさと納税返礼品で新鮮な魚介類を用意して人気あるのも大きいかと思います。
去年、北見神威岬灯台見に行ったな、北見枝幸。かつてはこの灯台下に興浜北線が走っていたが、一度でいいから乗りたかった…
昔はオロロンラインが人気でオホーツク側は余り需要が無いと聞いた事ありますね。そんな影響で観光客も居なくバスも減便廃止となったのかな?もちろん地元の方も余り必要性が無かったのかも?
今は完全にオホーツク海側というのがなんとも皮肉なところです・・・難しいですね、将来予測というものは。
関西だと、余裕で黒字だった野村(現:西脇市駅)~西脇間が鍛冶屋線という加古川線とは別の路線だったがために廃止されたりとか、国鉄末期の基準はめちゃくちゃでした。
浜頓別がまとまった街のせいか、元々音威子府~稚内は天北線の方が輸送密度が高かったです。ただ他で書かれてる杓子定規な選定と、天北線はDD51が入れなかった要因があるかもしれません。天北線も列車本数が少なく利用しにくい路線でしたね。利用しやすかったのは1往復の急行天北だけだったような。
そういったところが、やはり国鉄のダメなところなのかなぁと感じました😅
現在 浜頓別_稚内バス2本まで減便されたんですか・・・驚きました!
減便しすぎましたね(^_^;)これじゃ、乗る人もいなくなりますよ・・・
厳密に言えば浜頓別からでも稚内からでも4本あるます、ただ1日で乗り継げるのは浜頓別からは2本、稚内からは3本ですね
宗谷地方がSOS似ならないようになんとか対策できるかな?
確かに、音威子府〜南稚内間は宗谷本線ではなく天北線の方が良かったかもしれないですね。軌道強化なり、声問駅で分岐して豊原まで完全在来線規格で宗谷海峡線(仮称)開通、稚内〜南稚内〜声問間を含めて全線で交流20000V電化していれば、期待は更に高まっていただろうに…
ともかく、ドラえもんが事態打開の切り札として、必要に思う出来事です。
「どこでも線路」の登場ですかね(笑)
タイムマシンですよ。そして、国交相大臣や首相になって欲しいッスね。
オホーツク海沿岸をバスで縦断できないか調べたことありましたが、便数少なく、宿の確保も難しかったので断念した覚えがあります。せっかくの好機なので、バス便と宿は整備して欲しいですね。豊富温泉に行ったことあります。アトピーに効く特殊な温泉とサロベツ原野がいい感じでした。ただし、こちらもバス便が少なかったので、駅とサロベツ原野の往復という苦行をする羽目に・・・
公共交通の重要性がまさか令和に出てくるとは・・・
天北線の1981年の輸送密度は1日600人、羽幌線の輸送密度は1日789人だそうです。ちなみに1980年の宗谷本線名寄~稚内間は1384人でした。音威子府からの人数が出ていない為、名寄~音威子府については天北利用者も多くカウントされていたものと思われます。
浜頓は鉄道ないのに観光客に人気あるんだ。車やバイクならアクセスしやすい場所ではありますが。網走からならオホーツク海沿いで行けるので便利。しかし外国人は鉄道かバスが移動手段なので、稚内から旭川経由で石北本線に乗り換えなきゃならない。外国人にはそこが不便ですね。
そこが個人的にはもったいないですね。オホーツク縦貫鉄道があれば・・・
私も大変興味深く拝見しました。昨冬、私が浜頓別まで遊びに行った際、稚内駅前からの路線バスは宗谷岬でほぼ全員降車して浜頓別まで私ひとりでした。鬼志別でトイレ休憩がありましたけどオホーツクの湖風が身に染みる想いでした。でもクッチャロ湖畔もオホーツク沿岸も風光明媚でもったいなかった。浜頓別〜音威子府まで完全予約制のデマンドバスに変更されていたので駅レンタカー借りるしかない。同じクッチャロ湖畔でも夏冬では雰囲気がぜんぜん違いますね?公共交通機関が負のスパイラルへ嵌まれば蟻地獄みたく抜け出せない。すいたい
公共交通は便数が減ると、加速度的に衰退しますからね・・・まさか令和に浜頓別が賑わうとは、これは国鉄末期の人は考えられなかったでしょう。
@@hokkaido-railway 何気に同じ天北線沿線の猿払村も北海道有数の金持ち村らしいですし。
稚内より南なので札幌/旭川から近くて手軽なのもあるでしょうね。あとは流氷も稚内より雄武とかの方が見やすかったりしますし、道の駅がきっかけで足を伸ばしやすくなったのでしょうね
鉄道空白地帯は車移動主体の日本人観光客にとって、時間に囚われず居心地がいいのかもしれません。バスも走らない地域は、ご近所同士、車を所有している人に乗せてもらって買い物や病院へ通えます。バスも鉄道も運行頻度が少ないほど、この傾向にあるように思います。以前、カナダ人のヒッチハイカーを乗せたことがありますが、交通手段が車しかない地域では、海外の旅人は稀です。配信、ありがとうございました。
音威子府からのバスがデマンド化されてから誰も行けないと思っていたのですが、旅行者はいるんですね。
今じゃ稚内と並ぶ人気観光地です。
気候は涼しいが観光が熱い!そんなキャッチフレーズがピッタリ合いそう
浜頓別町の方、ご参考に・・・(笑)
お疲れ様です。天北線が宗谷線より先輩ですからね。線形もそれなりにしっかりしてますし。急行天北があった頃が懐かしいです。稚内へは行きは宗谷線、帰りは天北線で旅したことがあります。まあ無くなってしまったので今から復活も難しいでしょう。バス路線も沿線人口に比例して寂しくなる一方。だから静かで良いというのもありますが!インバウンドでの混雑を嫌う国内旅行客が訪れているのでしょう。またチャレンジャーなインバウンドさんが迷い込む?オホーツク沿いの景色もなかなか良いものですね。自家用車かバイクでないとちょっと不便で楽しめないけど。公共交通が脆弱だとどうしても交通機関のスケジュールに制約されてしまうので、限られた日数で回ろうとすると、取捨選択が必要となりますので、魅力的な方を選択となりますね。枝幸の中心部で熊出没が心配です。遭遇しませんでしたか?
幸い出没はしませんでしたが、やはりクッチャロ湖など自然の多いところに行くのはちょっと勇気がいりますね。本当は湖畔とかリポートしたかったのですが、ヒグマでスクープよりも命が大事です(笑)
なるほど、公共交通機関も貧弱だし宿泊施設も乏しいのでインバウンドも少ないから、国内の観光客にとっては穴場中の穴場ですよね。確かに、喧騒を離れてノンビリしたいのならオホーツク沿道地域は最適ですね。海産物も美味しくてリーズナブルだし、今の季節は国内でも最も過ごしやすい気候だし、キャンプブームもあるんだろうなぁ、、、。あとは、中国のホタテ輸入禁止に伴う応援とかの人達もいるのかな?。多分国内観光客は自家用車やバイクで行くことが前提だろうから、鉄道やバス路線は有っても無くても関係ないんだろうと思いますね。むしろ現状のインフラだからこそこの観光客数なんでしょうけれど、多分現状が最大値くらいではないかと思いますよね。久しぶりにワタシも行って、美味しい乳製品とかホタテを食べたくなりました、、、
そうですね、「日本のホタテをナメるなよ!」です。
「利尻」はDD51だったが14系化された「天北」はDE10牽引と言う線路等級の格差…日本海側とオホーツク海側の人口も当時はどうかと言うと難しい所か。
昨年宗谷本線に乗って稚内に旅行で行きました。宗谷岬に行く際、路線バスに乗りましたが稚内空港のすぐ脇を天北線が走っていたんですね。いま天北線が残っていれば空港連絡線としての活路もあったでしょうが、残念に思いました。
そうでしたね!そうした役割も期待できますね😊
浜トンから音威子府に行くバスが無くなりました
元祖宗谷線の天北線🤔89年当時にクッチャロ湖が人気になること、猿払がお金持ちの村になるなんて想像できなかったから利用者と沿線人口数だけで廃線にしたんでしょうね…今の感じなら下手すれば美幸線もそれなりに稼働できた説…
美幸線で枝幸➝浜頓別➝稚内のルートなら、今ほど苦労していなかったでしょう・・・
@@hokkaido-railway 枝幸の人口を考えれば成り立った説…
バスの本数が少ないという点は不利ではあるけどそれでも宗谷線は重要な路線なのは間違いないし何かバスに変わる交通手段(ロープウェイ、LRT)も考察すべきだろうと思う。
現役当時の天北線をギリギリ知っているのですが、宗谷線より乗客は多かったですよ。まぁ、人口が多くて線形の良い浜頓別回りが北見線として先に開業し、人口希薄地帯の天塩線が後からバイパス的に開業して宗谷本線になった事からも容易に想像できますが。廃止の翌年、沿線の知り合いの家に泊まった朝、窓の外から見た雪に埋もれた道床跡を見て、寂しく思っていました。それが18歳の時。免許取って自分で運転できるようになって、行きたかった廃線跡を巡れる様になった頃には、途中までJRを利用するなんてもう考えなかったな。バスってよそ者にはハードルが高い交通機関です。そして一旦廃止にすると、再度復活させる事はほぼ不可能ですよね。多感な時期に廃線を幾つも見てきただけに、いろいろ考えてしまいます。
まさか令和になって浜頓別がこれほど注目されるとは・・・だからこそ鉄道の廃止って安易にできないですよね・・・
@@coo-k7117 天北線の方が利用が多かったんですか?それはびっくり。本数は急行抜きでも本数は宗谷本線の方が多くなかったっけ?幌延とか豊富って浜頓別や猿払より人少ないんかな?
夏の観光シーズンの北海道は稼げるから、バスドライバーも大挙して押し寄せるぐらいになれば良いですけど、かなりハードル高いですね日本全国で著しい人手不足になっていますから、運輸業界全体で早期の自動運転時代への移行が望まれます。
浜頓別や枝幸などの宗谷南部地域は北オホーツク道立自然公園に指定されている景勝地が多く、観光資源的には道内他地域と比べても元々遜色が無かったところなので、交通の便さえ良ければ本来かなりの集客が以前から見込め得たところではあります。そのような観光資源が、最近になってインバウンドにも「発見(?)」されたことが今の浜頓別周辺の観光客の増加に繋がっているものと感じますね。鉄道に関してだと、天北線沿線は幌延周辺と比べて人口が少ない&必要性がやや弱いという状況が明治期から続いていて、更に昭和5年に幌延経由ルートが宗谷本線に編入されたことが両ルートの運命を大きく左右しましたね。また宗谷南部地域の中心である枝幸町だと興浜北線だけでなく美幸線にも大きな期待が寄せられていましたが、前者は北見枝幸以南への延伸が実現せずに廃止、後者も美深町仁宇布からの延伸が実現しないまま美深町内区間も含めて全線廃止となるなど、元から鉄道としての運営は厳しかったところですね(とはいえ周辺自治体との間の路線バスすらも維持が難しくなるほどとは想像もしていませんでしたが)。
昔からポテンシャルはあったけれども、最近になって多くの人が「発見」したようですね。日本海側や中川ルートより、オホーツクラインが観光の主軸になるとは・・・わからないものです。
なんたって元祖宗谷線がこちらですから、稚内桟橋駅・・
やはり先人たちの目はしっかりしていたわけですな・・・
クッチャロ湖はモロ強風当たるから、ハゲの人は気を付けてな😃稚内は風が強い日が多くて、中々落ち着いて自然を楽しめる場所じゃ無いんだよねぇ浜頓別はその点静かで穏やかで過ごしやすいし、小さくまとまってて良い
最果て感も稚内より感じられますね。
廃線間近の天北線の輸送密度は、約600。当時の宗谷本線の音威子府稚内間の輸送密度は皆目分からないですが、沿線の人口を比較したら、宗谷本線を廃止して、天北線を残す選択肢があってもよかったのかもしれません。*制度上は100%無理なのは理解しております。
浜頓別の観光客カウントってまさか、道の駅にある自動ドアの開閉回数じゃないよね?道の駅が出来てから突然観光客が激増したんだけどそもそもカウントの仕方が・・・笑
一応、クッチャロ湖のようです(^_^;)
稚内人です。稚内は観光場所の駐車場等の車を見て中に人が何人乗ってるとか調査してましたナンバーが同じ旭川であれば、一応話しかけられる人はどこから来ましたかとかこれらも考慮されているはずです稚内の宿泊施設が少ないので、近隣の町村に流れています今月も台湾からの団体観光客がたくさん来ます見る所も夕方以降の飲食店が少なくて、観光客には申し訳ない気持ちがありますが…
北海道は有名な湖サロマ湖、塘路湖、屈斜路湖、阿寒湖、摩周湖春採湖、洞爺湖、クッチャロ湖などの有名な湖ツアーでも出来るくらい北海道は観光に溢れる日がくるかも知れない
確かに湖が多いですね😅
これも路線名での不公平。 酷いのが野村ー鍛冶屋と野村ー谷川。鍛冶屋の方が輸送密度が高く西脇市の中心部を行くのに…
なんだかもったいないなぁ・・・
高校時代を過ごした浜頓別、当時のクッチャロ湖畔は、野球部のランニングコースでしかありませんでした(笑)枝幸には日本一美味しいと断言できる、鮭とばも有りますので、是非。
おお!地元の方でしたか。浜頓別が令和でまさかのブレイクですよ・・・枝幸ってやはり魚がおいしいんですね。貧乏取材をしているので、そんな余裕はなかったですが。でも観光客が増えているということは知っている人は知っているのでしょう。
一度だけ稚内から遠軽までバスで移動した事がありますが特に浜頓別から雄武の移動に難がありましたね…枝幸ではその日のうちの接続がないので一泊する必要がありました😢費用はバス代だけでだいたい8000円程…そこそこ楽しめたけどまたやるかは微妙です😅
いや~、さすがにオホーツク海側を公共交通で巡るのはきついですよ・・・申し訳ないですが、私もレンタカー使います(^_^;)
クッチャロ湖がそんなに人気になっていたとは。とはいえ公共交通機関は全国的に増便は厳しい。レンタカーしかないとは思いますが慣れない外国人による事故やトラブルが心配です。
天北線があればなぁ(ボソリ)
国道274号線も起点が札幌ですが終点は浜頓別町ですもんね。いかに浜頓別が国道が作られた当時から重要だったのか(たまたまだったりしてσ(^◇^;))ですよね。でもこの報道を見させてもらって思ったのは「稚内と浜頓別、手を取り合って発展して行って下さいませ」ですね。
やっぱ北海道は観光しか勝たんよなぁ、、観光地として確立出来ていない本州の町村ではこれを真似するのは特に厳しいです。
北海道も最近の傾向なんですよね。だからこそ、このようにインフラが追い付いていないですし何より廃止された鉄道を惜しむなんて信じられないような事も起こるわけです(^_^;)
天北線は「急行天北」運行時に乗りましたが宗谷本線側と比べ保線情況が極端に悪く、一部区間はカーブレールを使わずに多角形コーナリングと言えるような小カーブレールの連続で湿地帯を抜けるような線でした。14系客車のエアサス台車でも突き上げるような振動が時速75㎞/h前後であったので、乗り鉄には許容範囲でも一般人には駄目だったらしく不評だった事も廃線の原因と思われます、湧網線と並んで枕木の凍上に悩まされた路線としても悪名高かったですし。興浜線は新線区間が高規格だったとしても、おそらく三江線のような「中だけ高速」となるのでバイパス線としても成り立たなかったのでしょう。宗谷支庁のオホーツク海側は冬に行くとブリザード状態になり道路閉鎖が相次ぐから、防災・国防上は重量級の除雪車を入れられる鉄道の方が良いとは思いますがね。昨今は防衛費をこうまで揚げているのだから、「防衛省線」として開通させ旅客は地元が運行する方式の「国防費有効活用」が在っても良いだろう、こんなに税ばかり上げやがって見返りナシならこのくらいはシろ!とは何時も想っています。
防衛省線、いいですね~それぐらい作れや!と言いたくなりますね。国の財政も私たちのおかげで良くなってきているようですし(皮肉)
@@wataken8527 おっしゃる通り。ホント在来線は、地方がどんどん過疎化しているので一部の都会の通勤路線を除いて採算割れで、常に減便や廃止に追い込まれても不思議ではない状況ですよね。だから路線維持は国で持って運用は民間にした方がずっと効率的なんですけれど、国にしてみたら一般者も自家用車で利用できる道路維持を優先した方が税金としては取りやすいし使い易いんでしょうね。確かに北海道とかは国防上から防衛予算で維持してもらうっていうのも有って良い選択肢だと思いますし、何なら昔みたいに陸自にも鉄道部隊があっても良いぐらいです。
@@psychedelicraspberry517 兵站・補給が不全の状態で守禦が成るとお考えなら、どうぞご随意に。独ソ戦でソ連が真っ先に引き上げるか破壊してドイツに使われないようにしたのは鉄道機関車で、困ったドイツ軍兵站部隊が軸重の大きいドイツ蒸機を改軌の上で入線させたら、状態のマシなヨーロッパ・ロシアの路線ですらレールが割れるわ軌道が沈むわで使い物にならず、それで補給戦で敗ける一因になったのです。今の運輸主流は確かにアスファルト道路と内燃機関車両だが、輸送経路構築はネットワークが基本で、災害対策だろうが兵站輸送だろうが変わらない。ソレにウクライナの苦戦は、連中自身で治すことが出来ない宿痾である「蔓延し続ける汚職・不正」が原因。その点は現状の日本も他人のコトを云えないから、こういう与太話をしたのですがね。
北海道へは本州以南と異なり、五感全てで魅力を満喫出来るコンテンツを求めており、それを望むツアラーは時間に上から目線で合わせることを要求されることを嫌います。したがって条件を満たす移動手段はマイカー、レンタカー、バイクという選択になりますが、この“派閥“が支配的になれば冬季の北海道を訪れるのは至難の業となり本州以南からは忌避される傾向は今後加速すると予想します。まして今の若者はスキーはしたがりませんし、スキーについて“ナンパの手段“に利用することも嫌います。北海道は聖徳太子の時代の感覚ではもはや内国旅行客による経済効果は期待出来ない厳しい時代に入ってしまったのかもしれません。しかし、インバウンドによる悪戯では済まされない被害例も増加している現在、インバウンドに期待するのは限界もそうですが、危険でもあります。私的に希望したいのは受験のための学科選択を強いられる現在の教育制度の改革により、地理に対して歴史と同様、もといそれ以上の関心をゆとりを持って抱けるようになってほしいということです。歴史も重要ですが、地理が疎かになるようでは若者が地方に目を向けてくれないままとなり、なお一層地方が衰退してしまうのではないでしょうか?あと蛇足ですが、旭川のあの神居古潭付近でのリンチ殺人半と市警が不倫関係にあったなど言語道断、北海道は鉄道以外でも大学などのアルファベット評価方式で最近“D“が多い気がします。鉄道もD、知事もD、警察もDでは北海道は廃れる一方ですね
稚内ー網走ー根室のオホーツク本線構想は跡形もなくなった……😞てか、天北線こそ元々の宗谷本線だったのに、何で今の宗谷本線に付け替えて「天北線」として切り離されたんだろうな…🤔
役所仕事ですね・・・本当に・・・
北にあるホタテ養殖で有名な猿払村の観光は賑わっているんかな、以前、天北線廃線巡りに行った時、村内の道の駅近くのホテルに泊まったんですが、景色の良い所やなと感んじましたが。
豊富、幌延より若干多い感じですね。
浜頓別はバスの本数が片手で数えられるくらいでも人気上昇中なのは知らなかったなぁ
この観光客のデータは凄まじい・・・ただ、私が浜頓別町内に行った時はごったがえすという感じはなかったので皆、クッチャロ湖付近にいるのかな。
公共交通の利用率や人口だけ見ても本当に街の潜在需要そのものが少ないかどうかは分からないという事ですな。他だと道路の交通量や観光客数も議論する上では視野に入れないと。最近話題に上がった美瑛なんかがそうで、人口1万人すら満たない町に年間250万人の観光客が訪れるとの事ですから。
@@Kazudon_8500 あと日本人と外国人で需要動向に大きな差があることを実感しますね。日本人だと(道内道外を問わず)公共交通機関が不便なところはいくら魅力的な地域でも優先順位を下げがちなところ、外国人だと本当に魅力的と判断した地域であれば、いくら公共交通機関が不便であろうがカネとヒマにあかせて行く人は行きますからねえ。
「本線」と付くかつかないか。その線名で寿命が分かれた路線というのは幾つもありますね。函館本線の一部、という扱いで寿命が延びてしまった上砂川支線もありましたし、津軽海峡線が「江差線」の一部であったがゆえに、利用者が江差線の江差~木古内間より多かったのに先に廃止されてしまった松前線を思い出したりもします。並行する道路事情なども勘案されるとはいえ、とかく当時のお役所仕事というのはそんな感じでした。
今では考えられない選択ですが・・・天北線があればなぁという鉄オタの妄想にふけってしまいました(^_^;)
40年程前に札幌から特急おおとりで網走へ行って宿泊。翌朝勇網線⇒名寄線乗り継いで紋別へ。紋別⇒浜頓別⇒宗谷岬⇒稚内迄バスで移動して宿泊。翌日昼頃の急行天北で帰札しましたが、とにかく網走からのオホーツク沿いの景色は『これぞ北海道』の景色で感動しましたね😮でも今思えば地平線と水平線で当時でも紋別と浜頓別は町でしたが他は寂しい村でしたからね🙍帰りに天北から眺めたクッチャロ湖の辺りの景色は素晴らしかったですね😮今と時代が違ったから線路も残せなかったんでしょうね😳
@@user-ve5rr9bl4iさん昭和40年代の「赤字83線」の失敗があり、「特定地方交通線」の時はそうせざるを得なかったという事情があったとのことですね
北海道ではありませんが、三重県の伊勢線は紀勢本線の一部とされなかったために廃止(第三セクターに転換)されました。しかも伊勢線の輸送密度が低かった理由として、特急「南紀」などは伊勢線内をノンストップで走行していたため「南紀」の利用客数は伊勢線の利用客数としてカウントされなかったからだ、とも言われています。まあ1980年頃はスーパーコンピュータですら現代のスマホ以下の処理速度だったので、「南紀」の利用客をきちんと伊勢線の利用客としてカウントするのは難しかったのかもしれませんが。
杓子定規な規定の適用のため、四国の小松島線は廃線(宇高連絡船のライバルだった南海フェリーが目障りだった、との噂ですが)、中村線は第三セクターになりました…。
日本の中で震源が少なく、北海道の中でも魚が飛びぬけて旨いという、浜頓別周辺、移住の候補地にいいかも。
魚はマジでうまいとのことですね。
美幸線で枝幸、浜頓別経由が良いですね(^^)
そしたら、特急スーパー天北はそれなりに盛況だったでしょうね!
やっぱりマイカー社会ですね、北海道・・・(涙)マイカーやレンタカーで頑張って?長距離運転をして多くの環境客が今や訪れているとしても、結局沿線住民の減少が増え続け鉄道とバスを残したとしても肝心の沿線住民が利用しないのであれば廃止されるのも仕方ない(涙)
皆車で来るからな。路線バスではなく。鉄道も一緒でしょ。
北オホーツク100キロマラソン復活だぁ~!やっぱり夢かな
鉄道がなくなったところはドライブついでで行くって感じになりましたバスは時刻表とにらめっこ必須〜紋別、日髙地方はもちろん夕張も遠のきました
マイカー、レンタカーやバイクで北海道を周る人たちは、天塩~稚内の道道 106号線、宗谷岬、宗谷丘陵の白い道、猿払村のエサヌカ線に行く人が多く、宗谷岬以外は公共交通機関がないので、自分の足(車、バイク)がなければ行けません。
稚内〜浜頓別のバスも約3時間もかかるのに普通の路線バス仕様なのがマイナス過ぎる。
流石に疲れる…
天北線と興浜北線のジャンクション駅で栄えていたいですね。
急行天北の停車駅等鉄道の町のイメージ。
懐かしい、、、
更に妄想でコメントするのも何ですが、天北線が存続した場合、
。小頓別からの歌登町営軌道跡と美幸線未成部分の一部を繋げて枝幸へ抜けられた
(鉄道敷設法であったルート)
。宗谷岬観光の拠点をこちらに移せた
浜頓別や猿払の観光も併せれば違った未来もあったかもしれませんね
素敵な妄想だと思います!
@@hokkaido-railway ありがとうございます☺️
本当に惜しい路線いっぱいありましたよね。惜しい鉄路ばっかり涙
鉄道だけでは食べていけない・・鉄道だけ一息つけるのは大都市圏だけ(それでも多角化しないと採算合わない)・・・・わかっているんだから鉄路守るために
関東でも関西で・・いやロンドンでもNYでも商売する覚悟でJR北には勘案してほしいです。
当然、船だったり空路だったりも視野に入れて。
北海道は北満や北支のペットモデル、大陸経営の試作品として構築された行政体系・・・
そこで経営成り立たせるにはプチ満鉄(東京でも営業してましたよね)の方針で行くしかないと思うんです。
JR北海道が生き残るとしたら鉄道事業では無理ですからね。稼ぐ精神が足りないのでしょう・・・
@@hokkaido-railwayさん、レスありがとうございます。そう、立ち食いソバ屋から苗穂の技術使った土木部品(橋とか)までホテル事業から小売りながら商社活動まで・・鉄路守るために頑張ってほしいです。東京駅で音威子府蕎麦の立ち食いスタンド作ってもいいわけですし。
@@hokkaido-railway さん、二度目のレスですみません。全国知事会で小池知事と島根の丸山知事が出生率の事でやりあったみたいですネ。以前ちらっと話聞いていただいた通り事と次第によると札幌が首府機能移転として2回目のペットモデル、テストケースでにウラで選定される可能性ありますよ(霞が関で)。一番影響が少ない都市で、産業に不向きな一次産業地勢ですから💦。まぁ10年ぐらいかかりますけどネ。
インバウンド客でなくてもレンタカーを使わない観光客は道内の移動がホントに不便です。
沿線の観光地に行きたくても足がない!
クッチャロ湖畔の天北線跡は自転車専用道路になっていて湖が見える丘の上は絶好の展望台になっていましたが、今はどうなっているのでしょうか?
ところで、JR乗り放題のJAPAN RAIL PASSを使う外人観光客は吝嗇だから、バス代のかかるハマトンに来る人は少ないでしょうね。むしろそこがハマトンのようなJRの来ない観光地の魅力だと思います。
稚内、宗谷で遊んだ人達が立ち寄るようになっただけでないの?
枝幸や浜頓とかあの辺は単独で人呼べるような所じゃ無いでしょ
音威子府で観光をした後は、そのまま浜頓別へ行きましたね、未だに抜海通った事ありません😁
抜海駅はいいところですよ~(笑)
もともと稚内への鉄道は天北線が先で、後に宗谷本線が作られたと聞きます。
天北線の方が線形が良かっただけに残念・・・
宗谷本線は、天北線よりも距離を短くするため作られたのでしょう。
ただ、実際にどちらも乗車した経験からすると、天北線は実に眺めが良いので、廃止したのはもったいないです。
浜頓別???
簡単に海外旅行客が来られないから、北海道らしさを求める日本人が集まりやすい。ということですかね?
なんか、いいヒントもらった。
そうか、廃線になったところに行けば穴場なんだ。めちゃくちゃアイロニーを感じますけどね笑
皮肉すぎですよ、宗谷本線が苦しんでいる中で、、、
@@hokkaido-railway すいません…。
@@jirosasayama8341 いやいや、貴殿ではなく現状に対して😅
つい去年まで、稚内~浜頓別~音威子府と天北線をなぞるように長大な路線バスが運行していたんですよね。有名鉄道系UA-camr西〇寺氏に触発されて、去年のお盆休みに完乗したのは良い思い出でした。現在は廃止されて、浜頓別で分断されてしまいこのルートはほぼ使えなくなってしまったのが残念です。
やはり便数が少ないと利用者もどんどん減っていきますから・・・
@@MK-qu2gw
音威子府~浜頓別は廃止になってんだよなぁ。
@@MK-qu2gw
天北線代行バスは、最初は旧天北線ルートをなぞってたのよ。でも、利用が低迷して、何とか需要を拾おうと宗谷岬経由にルートを変更した。
今でも浜頓別→枝幸→旭川って感じで稚内からストレートに行けるよ
むしろこっちのルートの方が枝幸で観光できるし音威子府ルートより良い。音威子府は観光できるとこ何もないから
天北線は急行天北号の利用者に依存していたとみます。
急行宗谷号は稚内などの沿線が自宅の方が旭川や札幌に行く向けのダイヤで夜行使うならば急行利尻号でした。
昼間向けは急行天北号か旭川発着の急行礼文号の利用でした。
音威子府から幌延や浜頓別は利用が少ないから普通列車は少ない記憶があります。
実は沿線人口も天北線の方が多いんですよね、、、
浜頓別の魅力は、雄大な北海道らしい自然を眺めながらキャンプができるところなのですかね?観光で苦戦する豊富町にも、美しい原生花園があるし、温泉もあるし、鉄道もある!
インバウンドの受け入れには有利なのでは?やりようによっては、いけるんじゃないか?がんばれ!
妄想につきあわせていただきました。
紋別生まれ、浜頓別、上頓別(中頓別町)に幼少期住んでいた爺です。
今年、60年ぶりに訪問しましたが、レンタカーを使いました。
鉄道があれば、下手な運転をしなくて済んだのにと思い、北オホーツク海岸沿いの鉄道完成を妄想しました。
良いところなので皆さんも行ってほしいのですが・・・。
宿泊施設がとても少ないのと、小さな旅館や民宿は工事関係者優先なのが難ですね。
ありがとうございます😊
まぁ、そんなことあり得ないと言われればそれまでですが🤣
やっぱり鉄道ファンとしてオホーツク海に鉄道がたくさんあったことはいつまでも記憶に留めたいです。
浜頓別、懐かしい。 おかげで、46年前に二泊した「トシカの宿」が、まだ営業中と知り70歳までには、行きたいと改めて思いました。 ありがとうございました。
クッチャロ湖、数年前にレンタカーで行きました。公共交通機関の利用は、初めから考えもしなかったです(主さんもレンタカー)。それだけ公共交通機関の利用は、厳しい場所ですね。
私がレンタカーで巡っている時点でお察しください(笑)
宗谷地方に関して公共交通で巡るのは至難の業です。
浜頓別ウイング。数年前にいきました。
白鳥は綺麗だし、温泉も良かったし、
泊まりたかったです。
そんな人気の浜頓別だとは知りませんでした。
インバウンドはすごいですね。ありがとう
さすが、すでに浜頓別に行かれているのですね👍
天北線は確かに線形の良い区間は多いですが距離の長さに加えて線路規格が宗谷線に比べても低く構造が弱い為改良しなければ高速化は出来かねますわ😿💦💦💦💦
稚内~根室の500kmを走破する長距離バスがあれば面白い。
未成線、廃線含む鉄道路線なら、宗谷本線(稚内~南稚内)、天北線、興浜北線、興浜南線、名寄本線、湧網線、釧網本線、根北線、標津線、標津線(厚床支線)、根室本線(厚床~根室)
バス路線化するなら、稚内~稚内空港~宗谷岬~浜頓別~紋別~紋別空港~網走~中標津空港~根室
羽田空港~✈~稚内空港~🚌~紋別空港~✈~羽田空港
昨年、浜頓別の道の駅で、車中泊しました。
盆踊りが行われていて、たくさんの子供達やその親御さんで賑わっていました。
香英という店でご飯を食べ、クッチャロ湖の辺りにある温泉を堪能しました。
行っとけばよかったと思ったのが、道の駅周辺にある居酒屋でした。
浜頓別は、賑わってる地区がかなり集中してる感じですね。
エサヌカ線が近いので、走りに行く時は、直前に寄ると便利な道の駅でした。
リアルリポートありがとうございます😊
賑わっていて何よりです。
子供たちが多いと、このご時世で嬉しいことですね。
浜頓別や枝幸がそのようなことになっているとは知りませんでした。まさに今月道北をドライブしようと思っていたので参考になりました。天北線、興浜北線は昭和59年の夏休みに乗りました。
結局インバウンドは水ものだからその為だけには投資は困難だし町は衰退して普段使いの利用者はほとんど居ないから廃止せざるえない状態ですからね~
しかも北海道は町間距離も長いし道央都市圏内に人口集中して田舎は廃墟化して府の連鎖
昔の時刻表を見ると、音威子府~南稚内間は天北線経由のほうが20~30分くらい余計に時間がかかっていたようです。
個人的には札幌~稚内間で5時間くらいかかるので20~30分余計にかかったところで大したことはありませんが、急ぐ人にとっては宗谷本線経由のほうがいいと思われます。
実は、札幌~稚内を本当に急ぐのなら、札幌~(函館本線)~深川~(留萌本線)~留萌~(羽幌線)~幌延~(宗谷本線)~稚内なのですが。
旭川を通らないデメリットはあるけど、実は直線距離に近く、現に札幌~幌延間を運転していた急行は、急行宗谷等よりも速かったという笑えない話もあります。(なお、このうち大半が廃止されてしまったので、いまさらどうにもならないですが。)
今、新千歳空港に到着しました〜。エアポート号が結構遅れてます😢
お疲れ様です😓人身事故ですね、、、
クッチャロ湖とエサヌカ線浜頓別には北海道らしい広大さが魅力です
やはり、浜頓別が急にすごくなったわけではなく、皆さん浜頓別の潜在能力に気づいたのでしょうね。
今年もテントが持ってバイクでクッチャロ湖キャンプ場行きます、敷地内にある温泉も魅力だし、セイコマが近くに二軒もありますので、買い出しにも便利です👌R275の終着点も゙魅力です
自分は北オホーツク100キロマラソンでエサヌカ 毎年走ってました
鉄道は厳しいかぁ。僕みたいに車苦手な人は鉄道ないと困るなぁ。鉄道はなんとしても巻き返して欲しいですね。
おっしゃる通り、私も運転実は苦手😅
鉄道に頑張ってもらいたい💪
約40年前 網走駅からオホーツク海沿岸を通る紋別・枝幸経由の稚内駅行きの定期バス1日一便が走ってました
宗谷バスと網走バスの共同運航してて 女性車掌さんが乗務してまして1日泊まり勤務だとききました。
2回ほど乗りましたが 網走駅から稚内駅まで乗りとおす客はいませんでした。6時間も乗ってキツかった思い出。
こんな状況からその後網走~紋別に短縮され 数年後利用客減り廃止になりましたよね
オホーツク海沿いの観光地って、通過した数も数えているから多く見えるだけのような。
何で浜頓別に観光客が?と思ったら、キャンプ需要でしたか。
確かにこの辺までくると、流石の温暖化も影響があまり無いですからね。
紋別でも去年の8月で18℃とかじゃなかったかな。
私も浜頓別については、取材が甘かったなと反省しております。
時間があればクッチャロ湖周辺を見てみたかったです。
あの頃はインバウンドなんて語彙もなかった時代ですからね…。
仕方なかったと言えばそうかもしれません。
浜頓別は、日本人観光客が主体なんですね。自家用車やレンタカーだけでは客数に上限があると思います。回遊性を高めるため、周辺の市町村と共同で、地元の人を運転手に採用してミニバスの運行・運営が出来たらと思いますが、難しいですかね。鉄道が復活するのが私の夢ですけど。インバウンドは、日銀利上げで円高が進むので減少すると思われがちですが、円高が輸入物価に正しく反映され低下すれば、さほどインバウンドは減らないと思います。
天北線があればなぁと本当に強く思いましたね。
今ならいろいろできたはずです(^_^;)
浜頓別の観光客が増えているのですね、やっぱり道の駅が大きいのですかね・・・本州のライダーは猿払のエサヌカ線を走って休憩に丁度良いですし、あと枝幸が増えているのも意外でした。
両町とも訪問するなら公共交通機関より車かバイクでしょうね、公共交通機関は使い物にならない。
名寄を早朝にバスで発てば、興部・雄武・枝幸・浜頓別と乗り継いで稚内まで日着することが可能だが、この浜頓別で昼に数時間待ちになる。
かつて三江線の石見川本では昼の乗継時間を逆に活かして町を挙げて観光客を町内の飲食店に積極的に呼び込んだことを思い出した。
流動は僅かであるが、この不便さを町や飲食店組合等が上手くPRしてみてはいかがであろうか。
浜頓別がこんな事になっているとは驚きました。車やバイクでのツーリング客を上手く引き寄せた結果だと思います。これは鉄道が廃止となった留萌の参考になるのではないかでしょうか。
一方で公共交通機関に関しては厳しい状況ですね。天北線代替バスは浜頓別止まりに短縮されてしまいました。それだけ利用者が少ないという事だと思います。浜頓別や枝幸は空港からも遠く、空港アクセスのバスも無いのでせっかく浜頓別まで来ても来た道を戻る事になってしまいます。
観光客のニーズは天北線ではなくオホーツク海沿いに稚内から網走方面へ抜ける事だと思いますからオホーツク海に沿って主要な街のみ止まる特急バスを走らせれば一定の観光客誘致に繋がると思います。
贅沢を言えば浜頓別か枝幸に空港があるとオホーツク観光のハブとして機能しそうですが、門別空港の状態を見ると難しそうです。
やはり本数が少ないと利用されにくいですね。
だからといってむやみに増やせないのも悩ましいところです。
浜頓別ユースホステルにはよく行きました。閉鎖後の跡地が原野に戻ってる光景には絶句しました。
天北線廃線・宗谷バス減便で旧天北線沿線の経済的中心が鬼志別・猿払に移ってから浜頓別町は寂れていく一方での観光客増加は皮肉なものです。浜頓別土産の「牛乳もなか」はまだあるのか知りたいです。
クッチャロ湖のカヌーや湖畔での沈む夕日がきれいなのですが、湖周辺(旧安別駅)で昔はいなかった熊が出没していて野生化している現状に驚いてます。30年前、クッチャロ湖一周約30キロを歩いた時は牛だけしかいなくてのどかだったのに。
流石に稚内と網走は国道一つで完結してもテレビでよくある鉄道、バスの乗り継ぎ旅は難しいですね。
おまけに人口密度多くないですし。それにしても枝幸バスターミナルそばの西條、駐車場満車で賑わっているようですね。
「公共交通」よりも「マイカー」のほうが買物する上では効率ありそうですね。
やはり、基本はマイカーでしょうね。
これは変えられない事実です。
でも鉄道ファンは妄想してしまうのです😂
急行列車が通ってたのに廃止されたのって天北線ぐらい?
枝幸と雄武の間だけでなく斜里と根室標津の間もつながれば,
稚内から厚床までオホーツク沿岸を通って行けると思ってたのに,
結局は網走と斜里の間だけになってしまいましたね。
ここも黄色線区になっていますが。
やはり鉄道は枝線よりも迂回できる路線がいかに重要かを思い知らされます。
そう考えると根室本線の廃止はなんだか腑に落ちないです。
根北線の事ですね…
7月に車で紋別からオホーツク海沿いに稚内まで向かう途中で浜頓別を通りました。道の駅は新しく綺麗ではあったものの時間的なこともあってかお客さんは寂しい感じでしたね。動画でも紹介があったようにクッチャロ湖を中心としてアクティビティが楽しめそうで、高原リゾート感がある地形風景やそれを生かした整備も感じられて、なかなかのポテンシャルを感じましたが、マイカー客以外の気配を感じなかったのは、交通機関のボトルネックが大きいのですね。妄想は同感👍
しかし電化もされない単線の鉄路を残すことがこれほど難しい北の大地の厳しさを感じます。
なかなか雰囲気の良いエリアだったので次回は少し滞在してみようと思いました。
紋別からバスだけで稚内に行こうとすると2日かかるんですよ
距離が長いのもそうだけど本数がなさすぎるから
一回遠軽→紋別→雄武→枝幸→浜頓別→稚内をバスだけで行きましたがそりゃ誰もバス使わんわって感じでした
天北線(旧宗谷本線)より宗谷本線沿線のほうが人口が多かったんだっけ?
人口は確かに多いのは事実ですね。
「観光客数で浜頓別町が稚内市を抜く」という事実には驚かされます。
率直に観光「ポイント」(稚内の宗谷岬のような)が、浜頓別町にあるとは思えなかったのですが。
ただ「ポイント」でなく「エリア」で考えると、いかにも自然豊かな北海道らしい風景が、特に自然志向の強いインバウンド客に人気なのかと思います。
ただ観光の為に浜頓別町周辺に赴くには、公共交通機関が貧弱なのは否めません。
稚内からも網走からも本数・ルートが限られているし、近隣の特急停車駅たる音威子府駅からの路線バスに至っては先日廃止されましたから。
「誰がための公共交通機関」を考えると難しいところですが。
クッチャロ湖が人気とすると、かなりの広範囲に及びますから
広々としたところに分散されているような感じなのでしょうね。
そういう意味では車やバイクの方が向いているのかもしれません。
音威子府ー稚内は、天北線のほうが宗谷本線より輸送密度は高かったと記憶しています。当時の国鉄は「路線名」で存廃を決めていたので宗谷本線という名前の幌延ルートが残って、天北線という名前の浜頓別ルートが廃止になったのですよね。浜頓別は2023年にバスで1回だけ行ったことありますが、稚内からバスで浜頓別まで行く人はいませんでした。鶏が先か卵が先か、利用しない→減便→更に利用しない→更に減便で旧天北線代替バスはほぼ使い物にならなくなってしまっていますね・・
結局、いまさら言ってもなんですけどね、
バスもなぜ使われないかというと、やはりダイヤの少なさもかなりありますよ。
とはいえ観光客急増は予期できないので
非常に難しいです。
稚内と浜頓別のtwo topの情報は嬉しいですね。しかし、鉄道を失う現実も見ることが出来ました。公共交通である鉄道•バスは地元にとっては存続に関わる問題です。興浜線のポスターが気になりました😅
まさかのツートップ。ここまで並んだ浜頓別は素直に凄いです!
そして、天北線があればと後悔する日々、、、
ありがとうございました。
稚内の有名観光地はインバウンドで溢れてるので、浜頓別や枝幸は外国人が少なく自然と秘境感が残ってるという事で日本人観光客が多いのではないかと思いました。
鉄道廃止は、インフルエンサーが動画上げたりして評判になると考えられない時代ですから致し方無いことです。
今は鉄道を惜しむのでは無く調査やコンサルティングを行って盛り上げる道を探るべきですね。
紋別空港がある紋別周辺もリポートすると見えるかも知れません
紋別もなかなか行きにくくて(^_^;)
やはり鉄道がないとね~(笑)
残すなら宗谷本線でしょう。天北線は論外。代替バスの利用低迷で補助金打ち切られるわ、一部区間はそのバスすら廃止になってデマンドバスになるわという体たらくなんだから。
仮に令和になって浜頓別に人気が出る分かってたとしても、それまでの35年間鉄道を維持し続ける費用を考えたら話にならない。
@@psychedelicraspberry517
そうなんだよなぁ。宗谷本線ですらあの様・・・
バイクでオホーツク海を観たくて走らせてました
ざっくり言うとサロマ湖からの
宗谷岬まで。色々な景色を観て楽しんだ。天北線廃止はなぁ…
山より海を観たらまた違うのにねぇ。。。
さすがお役所仕事。奴らは使えないね!
やはり、役人に任せるとロクなことになりませんね😅
バスを貸し切りでチャーターなど、宗谷地区の自治体で周遊観光ツアーができないものかと思います。もちろんツアーなので、貸し切る観光客に申し込んで成立するパッケージです。
海外で公共交通機関が乏しいところで、デマンド系や大型車でのチャーターなど、空港移動を含めた観光や食事の移動ツアー、お値段それなりですがけっこうあります。
天北線、深名線、その他、残っていれば観光客には楽しいですが、昔の時刻表とか見ていると日常使いは難しそうなので、マイカーには勝てないでしょうね。
始発と終点が違う定期観光バス……あったら便利なんですけどね
オホーツク海沿岸は、カヌーやキャンプ、海岸沿いの周遊など、クルマがないと成立し難い観光形態ではないかと想像します。
鉄道はやはり、客が狭い範囲にある一定以上集中する場所を結ぶべきと思います。
確かにそういう性質がありますね。
バスが苦戦しているのが良い例でしょう。
天北線は鉄道好きの妄想と捉えてください(笑)
ローカル路線バス乗り継ぎの旅第3弾でよく見たバスターミナルばかりですね。あの番組の当時、バス乗り継ぎで簡単に遠くに行けるという感想でした。
まさにオホーツク沿岸は海産物の美味しく景色も良い所ばかりで、もし天北線が残っていたら今ごろ浜頓別や鬼志別がインバウンドで賑わってたでしょう。
また興浜北線が廃止されても浜頓別・北見枝幸間のバスも今より多くて、こちらもインバウンドが来てたでしょう。
あとは猿払村等がふるさと納税返礼品で新鮮な魚介類を用意して人気あるのも大きいかと思います。
去年、北見神威岬灯台見に行ったな、北見枝幸。かつてはこの灯台下に興浜北線が走っていたが、一度でいいから乗りたかった…
昔はオロロンラインが人気でオホーツク側は余り需要が無いと聞いた事ありますね。そんな影響で観光客も居なくバスも減便廃止となったのかな?もちろん地元の方も余り必要性が無かったのかも?
今は完全にオホーツク海側というのがなんとも皮肉なところです・・・
難しいですね、将来予測というものは。
関西だと、余裕で黒字だった野村(現:西脇市駅)~西脇間が鍛冶屋線という加古川線とは別の路線だったがために廃止されたりとか、国鉄末期の基準はめちゃくちゃでした。
浜頓別がまとまった街のせいか、元々音威子府~稚内は天北線の方が輸送密度が高かったです。
ただ他で書かれてる杓子定規な選定と、天北線はDD51が入れなかった要因があるかもしれません。
天北線も列車本数が少なく利用しにくい路線でしたね。利用しやすかったのは1往復の急行天北だけだったような。
そういったところが、やはり国鉄のダメなところなのかなぁと感じました😅
現在 浜頓別_稚内バス2本まで減便されたんですか・・・
驚きました!
減便しすぎましたね(^_^;)
これじゃ、乗る人もいなくなりますよ・・・
厳密に言えば浜頓別からでも稚内からでも4本あるます、ただ1日で乗り継げるのは浜頓別からは2本、稚内からは3本ですね
宗谷地方がSOS似ならないようになんとか対策できるかな?
確かに、音威子府〜南稚内間は宗谷本線ではなく天北線の方が良かったかもしれないですね。
軌道強化なり、声問駅で分岐して豊原まで完全在来線規格で宗谷海峡線(仮称)開通、稚内〜南稚内〜声問間を含めて全線で交流20000V電化していれば、期待は更に高まっていただろうに…
ともかく、ドラえもんが事態打開の切り札として、必要に思う出来事です。
「どこでも線路」の登場ですかね(笑)
タイムマシンですよ。そして、国交相大臣や首相になって欲しいッスね。
オホーツク海沿岸をバスで縦断できないか調べたことありましたが、便数少なく、宿の確保も難しかったので断念した覚えがあります。せっかくの好機なので、バス便と宿は整備して欲しいですね。
豊富温泉に行ったことあります。アトピーに効く特殊な温泉とサロベツ原野がいい感じでした。
ただし、こちらもバス便が少なかったので、駅とサロベツ原野の往復という苦行をする羽目に・・・
公共交通の重要性がまさか令和に出てくるとは・・・
天北線の1981年の輸送密度は1日600人、羽幌線の輸送密度は1日789人だそうです。ちなみに1980年の宗谷本線名寄~稚内間は1384人でした。音威子府からの人数が出ていない為、名寄~音威子府については天北利用者も多くカウントされていたものと思われます。
浜頓は鉄道ないのに観光客に人気あるんだ。車やバイクならアクセスしやすい場所ではありますが。
網走からならオホーツク海沿いで行けるので便利。
しかし外国人は鉄道かバスが移動手段なので、稚内から旭川経由で石北本線に乗り換えなきゃならない。
外国人にはそこが不便ですね。
そこが個人的にはもったいないですね。
オホーツク縦貫鉄道があれば・・・
私も大変興味深く拝見しました。昨冬、私が浜頓別まで遊びに行った際、稚内駅前からの路線バスは宗谷岬でほぼ全員降車して浜頓別まで私ひとりでした。鬼志別でトイレ休憩がありましたけどオホーツクの湖風が身に染みる想いでした。でもクッチャロ湖畔もオホーツク沿岸も風光明媚でもったいなかった。浜頓別〜音威子府まで完全予約制のデマンドバスに変更されていたので駅レンタカー借りるしかない。同じクッチャロ湖畔でも夏冬では雰囲気がぜんぜん違いますね?公共交通機関が負のスパイラルへ嵌まれば蟻地獄みたく抜け出せない。すいたい
公共交通は便数が減ると、加速度的に衰退しますからね・・・
まさか令和に浜頓別が賑わうとは、
これは国鉄末期の人は考えられなかったでしょう。
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何気に同じ天北線沿線の猿払村も北海道有数の金持ち村らしいですし。
稚内より南なので札幌/旭川から近くて手軽なのもあるでしょうね。
あとは流氷も稚内より雄武とかの方が見やすかったりしますし、道の駅がきっかけで足を伸ばしやすくなったのでしょうね
鉄道空白地帯は車移動主体の日本人観光客にとって、時間に囚われず居心地がいいのかもしれません。バスも走らない地域は、ご近所同士、車を所有している人に乗せてもらって買い物や病院へ通えます。バスも鉄道も運行頻度が少ないほど、この傾向にあるように思います。以前、カナダ人のヒッチハイカーを乗せたことがありますが、交通手段が車しかない地域では、海外の旅人は稀です。
配信、ありがとうございました。
音威子府からのバスがデマンド化されてから誰も行けないと思っていたのですが、旅行者はいるんですね。
今じゃ稚内と並ぶ人気観光地です。
気候は涼しいが観光が熱い!
そんなキャッチフレーズがピッタリ合いそう
浜頓別町の方、ご参考に・・・(笑)
お疲れ様です。天北線が宗谷線より先輩ですからね。線形もそれなりにしっかりしてますし。急行天北があった頃が懐かしいです。稚内へは行きは宗谷線、帰りは天北線で旅したことがあります。まあ無くなってしまったので今から復活も難しいでしょう。バス路線も沿線人口に比例して寂しくなる一方。だから静かで良いというのもありますが!インバウンドでの混雑を嫌う国内旅行客が訪れているのでしょう。またチャレンジャーなインバウンドさんが迷い込む?オホーツク沿いの景色もなかなか良いものですね。自家用車かバイクでないとちょっと不便で楽しめないけど。公共交通が脆弱だとどうしても交通機関のスケジュールに制約されてしまうので、限られた日数で回ろうとすると、取捨選択が必要となりますので、魅力的な方を選択となりますね。枝幸の中心部で熊出没が心配です。遭遇しませんでしたか?
幸い出没はしませんでしたが、
やはりクッチャロ湖など自然の多いところに行くのはちょっと勇気がいりますね。
本当は湖畔とかリポートしたかったのですが、
ヒグマでスクープよりも命が大事です(笑)
なるほど、公共交通機関も貧弱だし宿泊施設も乏しいのでインバウンドも少ないから、国内の観光客にとっては穴場中の穴場ですよね。確かに、喧騒を離れてノンビリしたいのならオホーツク沿道地域は最適ですね。海産物も美味しくてリーズナブルだし、今の季節は国内でも最も過ごしやすい気候だし、キャンプブームもあるんだろうなぁ、、、。あとは、中国のホタテ輸入禁止に伴う応援とかの人達もいるのかな?。
多分国内観光客は自家用車やバイクで行くことが前提だろうから、鉄道やバス路線は有っても無くても関係ないんだろうと思いますね。むしろ現状のインフラだからこそこの観光客数なんでしょうけれど、多分現状が最大値くらいではないかと思いますよね。久しぶりにワタシも行って、美味しい乳製品とかホタテを食べたくなりました、、、
そうですね、「日本のホタテをナメるなよ!」です。
「利尻」はDD51だったが14系化された「天北」はDE10牽引と言う線路等級の格差…日本海側とオホーツク海側の人口も当時はどうかと言うと難しい所か。
昨年宗谷本線に乗って稚内に旅行で行きました。
宗谷岬に行く際、路線バスに乗りましたが稚内空港のすぐ脇を天北線が走っていたんですね。
いま天北線が残っていれば空港連絡線としての活路もあったでしょうが、残念に思いました。
そうでしたね!そうした役割も期待できますね😊
浜トンから音威子府に行くバスが無くなりました
元祖宗谷線の天北線🤔
89年当時にクッチャロ湖が人気になること、猿払がお金持ちの村になるなんて想像できなかったから利用者と沿線人口数だけで廃線にしたんでしょうね…
今の感じなら下手すれば美幸線もそれなりに稼働できた説…
美幸線で枝幸➝浜頓別➝稚内のルートなら、
今ほど苦労していなかったでしょう・・・
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枝幸の人口を考えれば成り立った説…
バスの本数が少ないという点は不利ではあるけどそれでも宗谷線は重要な路線なのは間違いないし何かバスに変わる交通手段(ロープウェイ、LRT)も考察すべきだろうと思う。
現役当時の天北線をギリギリ知っているのですが、宗谷線より乗客は多かったですよ。まぁ、人口が多くて線形の良い浜頓別回りが北見線として先に開業し、人口希薄地帯の天塩線が後からバイパス的に開業して宗谷本線になった事からも容易に想像できますが。
廃止の翌年、沿線の知り合いの家に泊まった朝、窓の外から見た雪に埋もれた道床跡を見て、寂しく思っていました。それが18歳の時。免許取って自分で運転できるようになって、行きたかった廃線跡を巡れる様になった頃には、途中までJRを利用するなんてもう考えなかったな。バスってよそ者にはハードルが高い交通機関です。そして一旦廃止にすると、再度復活させる事はほぼ不可能ですよね。多感な時期に廃線を幾つも見てきただけに、いろいろ考えてしまいます。
まさか令和になって浜頓別がこれほど注目されるとは・・・
だからこそ鉄道の廃止って安易にできないですよね・・・
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天北線の方が利用が多かったんですか?それはびっくり。本数は急行
抜きでも本数は宗谷本線の方が多くなかったっけ?幌延とか豊富って浜頓別や猿払より人少ないんかな?
夏の観光シーズンの北海道は稼げるから、バスドライバーも大挙して押し寄せるぐらいになれば良いですけど、かなりハードル高いですね
日本全国で著しい人手不足になっていますから、
運輸業界全体で早期の自動運転時代への移行が望まれます。
浜頓別や枝幸などの宗谷南部地域は北オホーツク道立自然公園に指定されている景勝地が多く、観光資源的には道内他地域と比べても元々遜色が無かったところなので、交通の便さえ良ければ本来かなりの集客が以前から見込め得たところではあります。
そのような観光資源が、最近になってインバウンドにも「発見(?)」されたことが今の浜頓別周辺の観光客の増加に繋がっているものと感じますね。
鉄道に関してだと、天北線沿線は幌延周辺と比べて人口が少ない&必要性がやや弱いという状況が明治期から続いていて、更に昭和5年に幌延経由ルートが宗谷本線に編入されたことが両ルートの運命を大きく左右しましたね。
また宗谷南部地域の中心である枝幸町だと興浜北線だけでなく美幸線にも大きな期待が寄せられていましたが、前者は北見枝幸以南への延伸が実現せずに廃止、後者も美深町仁宇布からの延伸が実現しないまま美深町内区間も含めて全線廃止となるなど、元から鉄道としての運営は厳しかったところですね(とはいえ周辺自治体との間の路線バスすらも維持が難しくなるほどとは想像もしていませんでしたが)。
昔からポテンシャルはあったけれども、
最近になって多くの人が「発見」したようですね。
日本海側や中川ルートより、
オホーツクラインが観光の主軸になるとは・・・
わからないものです。
なんたって元祖宗谷線がこちらですから、稚内桟橋駅・・
やはり先人たちの目はしっかりしていたわけですな・・・
クッチャロ湖はモロ強風当たるから、ハゲの人は気を付けてな😃
稚内は風が強い日が多くて、中々落ち着いて自然を楽しめる場所じゃ無いんだよねぇ
浜頓別はその点静かで穏やかで過ごしやすいし、小さくまとまってて良い
最果て感も稚内より感じられますね。
廃線間近の天北線の輸送密度は、約600。当時の宗谷本線の音威子府稚内間の輸送密度は皆目分からないですが、沿線の人口を比較したら、宗谷本線を廃止して、天北線を残す選択肢があってもよかったのかもしれません。*制度上は100%無理なのは理解しております。
浜頓別の観光客カウントって
まさか、道の駅にある自動ドアの開閉回数じゃないよね?
道の駅が出来てから突然観光客が激増したんだけど
そもそもカウントの仕方が・・・笑
一応、クッチャロ湖のようです(^_^;)
稚内人です。
稚内は観光場所の駐車場等の車を見て中に人が何人乗ってるとか調査してました
ナンバーが同じ旭川であれば、一応話しかけられる人はどこから来ましたかとか
これらも考慮されているはずです
稚内の宿泊施設が少ないので、近隣の町村に流れています
今月も台湾からの団体観光客がたくさん来ます
見る所も夕方以降の飲食店が少なくて、観光客には申し訳ない気持ちがありますが…
北海道は有名な湖サロマ湖、塘路湖、屈斜路湖、阿寒湖、摩周湖
春採湖、洞爺湖、クッチャロ湖などの有名な湖ツアーでも出来るくらい北海道は観光に溢れる日がくるかも知れない
確かに湖が多いですね😅
これも路線名での不公平。
酷いのが野村ー鍛冶屋と野村ー谷川。
鍛冶屋の方が輸送密度が高く西脇市の中心部を行くのに…
なんだかもったいないなぁ・・・
高校時代を過ごした浜頓別、当時のクッチャロ湖畔は、野球部のランニングコースでしかありませんでした(笑)
枝幸には日本一美味しいと断言できる、鮭とばも有りますので、是非。
おお!地元の方でしたか。
浜頓別が令和でまさかのブレイクですよ・・・
枝幸ってやはり魚がおいしいんですね。
貧乏取材をしているので、そんな余裕はなかったですが。
でも観光客が増えているということは
知っている人は知っているのでしょう。
一度だけ稚内から遠軽までバスで移動した事がありますが特に浜頓別から雄武の移動に難がありましたね…
枝幸ではその日のうちの接続がないので一泊する必要がありました😢
費用はバス代だけでだいたい8000円程…
そこそこ楽しめたけどまたやるかは微妙です😅
いや~、さすがにオホーツク海側を公共交通で巡るのはきついですよ・・・
申し訳ないですが、私もレンタカー使います(^_^;)
クッチャロ湖がそんなに人気になっていたとは。とはいえ公共交通機関は全国的に増便は厳しい。レンタカーしかないとは思いますが慣れない外国人による事故やトラブルが心配です。
天北線があればなぁ(ボソリ)
国道274号線も起点が札幌ですが終点は浜頓別町ですもんね。いかに浜頓別が国道が作られた当時から重要だったのか(たまたまだったりしてσ(^◇^;))ですよね。
でもこの報道を見させてもらって思ったのは「稚内と浜頓別、手を取り合って発展して行って下さいませ」ですね。
やっぱ北海道は観光しか勝たんよなぁ、、
観光地として確立出来ていない本州の町村ではこれを真似するのは特に厳しいです。
北海道も最近の傾向なんですよね。
だからこそ、このようにインフラが追い付いていないですし
何より廃止された鉄道を惜しむなんて信じられないような事も起こるわけです(^_^;)
天北線は「急行天北」運行時に乗りましたが宗谷本線側と比べ保線情況が極端に悪く、一部区間はカーブレールを使わずに多角形コーナリングと言えるような小カーブレールの連続で湿地帯を抜けるような線でした。14系客車のエアサス台車でも突き上げるような振動が時速75㎞/h前後であったので、乗り鉄には許容範囲でも一般人には駄目だったらしく不評だった事も廃線の原因と思われます、湧網線と並んで枕木の凍上に悩まされた路線としても悪名高かったですし。
興浜線は新線区間が高規格だったとしても、おそらく三江線のような「中だけ高速」となるのでバイパス線としても成り立たなかったのでしょう。
宗谷支庁のオホーツク海側は冬に行くとブリザード状態になり道路閉鎖が相次ぐから、防災・国防上は重量級の除雪車を入れられる鉄道の方が良いとは思いますがね。
昨今は防衛費をこうまで揚げているのだから、「防衛省線」として開通させ旅客は地元が運行する方式の「国防費有効活用」が在っても良いだろう、こんなに税ばかり上げやがって見返りナシならこのくらいはシろ!とは何時も想っています。
防衛省線、いいですね~
それぐらい作れや!と言いたくなりますね。
国の財政も私たちのおかげで良くなってきているようですし(皮肉)
@@wataken8527
おっしゃる通り。
ホント在来線は、地方がどんどん過疎化しているので一部の都会の通勤路線を除いて採算割れで、常に減便や廃止に追い込まれても不思議ではない状況ですよね。だから路線維持は国で持って運用は民間にした方がずっと効率的なんですけれど、国にしてみたら一般者も自家用車で利用できる道路維持を優先した方が税金としては取りやすいし使い易いんでしょうね。確かに北海道とかは国防上から防衛予算で維持してもらうっていうのも有って良い選択肢だと思いますし、何なら昔みたいに陸自にも鉄道部隊があっても良いぐらいです。
@@psychedelicraspberry517 兵站・補給が不全の状態で守禦が成るとお考えなら、どうぞご随意に。
独ソ戦でソ連が真っ先に引き上げるか破壊してドイツに使われないようにしたのは鉄道機関車で、困ったドイツ軍兵站部隊が軸重の大きいドイツ蒸機を改軌の上で入線させたら、状態のマシなヨーロッパ・ロシアの路線ですらレールが割れるわ軌道が沈むわで使い物にならず、それで補給戦で敗ける一因になったのです。
今の運輸主流は確かにアスファルト道路と内燃機関車両だが、輸送経路構築はネットワークが基本で、災害対策だろうが兵站輸送だろうが変わらない。
ソレにウクライナの苦戦は、連中自身で治すことが出来ない宿痾である「蔓延し続ける汚職・不正」が原因。
その点は現状の日本も他人のコトを云えないから、こういう与太話をしたのですがね。
北海道へは本州以南と異なり、五感全てで魅力を満喫出来るコンテンツを求めており、それを望むツアラーは時間に上から目線で合わせることを要求されることを嫌います。したがって条件を満たす移動手段はマイカー、レンタカー、バイクという選択になりますが、この“派閥“が支配的になれば冬季の北海道を訪れるのは至難の業となり本州以南からは忌避される傾向は今後加速すると予想します。まして今の若者はスキーはしたがりませんし、スキーについて“ナンパの手段“に利用することも嫌います。
北海道は聖徳太子の時代の感覚ではもはや内国旅行客による経済効果は期待出来ない厳しい時代に入ってしまったのかもしれません。しかし、インバウンドによる悪戯では済まされない被害例も増加している現在、インバウンドに期待するのは限界もそうですが、危険でもあります。
私的に希望したいのは受験のための学科選択を強いられる現在の教育制度の改革により、地理に対して歴史と同様、もといそれ以上の関心をゆとりを持って抱けるようになってほしいということです。歴史も重要ですが、地理が疎かになるようでは若者が地方に目を向けてくれないままとなり、なお一層地方が衰退してしまうのではないでしょうか?
あと蛇足ですが、旭川のあの神居古潭付近でのリンチ殺人半と市警が不倫関係にあったなど言語道断、北海道は鉄道以外でも大学などのアルファベット評価方式で最近“D“が多い気がします。鉄道もD、知事もD、警察もDでは北海道は廃れる一方ですね
稚内ー網走ー根室のオホーツク本線構想は跡形もなくなった……😞
てか、天北線こそ元々の宗谷本線だったのに、何で今の宗谷本線に付け替えて「天北線」として切り離されたんだろうな…🤔
役所仕事ですね・・・本当に・・・
北にあるホタテ養殖で有名な猿払村の観光は賑わっているんかな、以前、天北線廃線巡りに行った時、村内の道の駅近くのホテルに泊まったんですが、景色の良い所やなと感んじましたが。
豊富、幌延より若干多い感じですね。
浜頓別はバスの本数が片手で数えられるくらいでも人気上昇中なのは知らなかったなぁ
この観光客のデータは凄まじい・・・
ただ、私が浜頓別町内に行った時はごったがえすという感じはなかったので
皆、クッチャロ湖付近にいるのかな。
公共交通の利用率や人口だけ見ても本当に街の潜在需要そのものが少ないかどうかは分からないという事ですな。他だと道路の交通量や観光客数も議論する上では視野に入れないと。
最近話題に上がった美瑛なんかがそうで、人口1万人すら満たない町に年間250万人の観光客が訪れるとの事ですから。
@@Kazudon_8500
あと日本人と外国人で需要動向に大きな差があることを実感しますね。
日本人だと(道内道外を問わず)公共交通機関が不便なところはいくら魅力的な地域でも優先順位を下げがちなところ、外国人だと本当に魅力的と判断した地域であれば、いくら公共交通機関が不便であろうがカネとヒマにあかせて行く人は行きますからねえ。
「本線」と付くかつかないか。その線名で寿命が分かれた路線というのは幾つもありますね。
函館本線の一部、という扱いで寿命が延びてしまった上砂川支線もありましたし、
津軽海峡線が「江差線」の一部であったがゆえに、
利用者が江差線の江差~木古内間より多かったのに先に廃止されてしまった松前線を思い出したりもします。
並行する道路事情なども勘案されるとはいえ、
とかく当時のお役所仕事というのはそんな感じでした。
今では考えられない選択ですが・・・
天北線があればなぁという鉄オタの妄想にふけってしまいました(^_^;)
40年程前に札幌から特急おおとりで網走へ行って宿泊。翌朝勇網線⇒名寄線乗り継いで紋別へ。紋別⇒浜頓別⇒宗谷岬⇒稚内迄バスで移動して宿泊。翌日昼頃の急行天北で帰札しましたが、とにかく網走からのオホーツク沿いの景色は『これぞ北海道』の景色で感動しましたね😮
でも今思えば地平線と水平線で当時でも紋別と浜頓別は町でしたが他は寂しい村でしたからね🙍
帰りに天北から眺めたクッチャロ湖の辺りの景色は素晴らしかったですね😮
今と時代が違ったから線路も残せなかったんでしょうね😳
@@user-ve5rr9bl4iさん
昭和40年代の「赤字83線」の失敗があり、「特定地方交通線」の時はそうせざるを得なかったという事情があったとのことですね
北海道ではありませんが、三重県の伊勢線は紀勢本線の一部とされなかったために廃止(第三セクターに転換)されました。しかも伊勢線の輸送密度が低かった理由として、特急「南紀」などは伊勢線内をノンストップで走行していたため「南紀」の利用客数は伊勢線の利用客数としてカウントされなかったからだ、とも言われています。
まあ1980年頃はスーパーコンピュータですら現代のスマホ以下の処理速度だったので、「南紀」の利用客をきちんと伊勢線の利用客としてカウントするのは難しかったのかもしれませんが。
杓子定規な規定の適用のため、四国の小松島線は廃線(宇高連絡船のライバルだった南海フェリーが目障りだった、との噂ですが)、中村線は第三セクターになりました…。
日本の中で震源が少なく、北海道の中でも魚が飛びぬけて旨いという、浜頓別周辺、移住の候補地にいいかも。
魚はマジでうまいとのことですね。
美幸線で枝幸、浜頓別経由が良いですね(^^)
そしたら、特急スーパー天北はそれなりに盛況だったでしょうね!
やっぱりマイカー社会ですね、北海道・・・(涙)マイカーやレンタカーで頑張って?長距離運転をして多くの環境客が今や訪れているとしても、結局沿線住民の減少が増え続け鉄道とバスを残したとしても肝心の沿線住民が利用しないのであれば廃止されるのも仕方ない(涙)
皆車で来るからな。路線バスではなく。鉄道も一緒でしょ。
北オホーツク100キロマラソン復活だぁ~!
やっぱり夢かな
鉄道がなくなったところはドライブついでで行くって感じになりました
バスは時刻表とにらめっこ必須〜紋別、日髙地方はもちろん夕張も遠のきました