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懐かしい列車名が。。まるで急行列車の栄枯盛衰をみている様です😢
昔、わんぱく列車として中国新聞が企画したイベント列車に乗って、急行に増結して三江線に鮎のつかみ取りや神楽を見た記憶があります。帰りは雨が降り出し雷もなって稲妻が見えたのも、今記憶にあります
家族4人で米子での親戚の結婚式に出席するのに深夜の広島から乗車しました。途中、逆方向に行き出したので5歳の私は母を起こした記憶があります。夜行ちどりの思い出です。
懐かしい。50年前、少年の頃、比婆郡西城町(現 庄原市西城地区)に住んでいました。お盆帰省の時、祖父母(母親の実家)のある津山に行くのに備後西城駅から急行“やまのゆ”で津山駅、或いは急行“たいしゃく”で新見駅まで行き、姫新線の普通に乗り換えて津山駅まで行った思い出があります。当時の“やまのゆ”は広島駅から急行“ちどり”と連結され、備後落合駅で切り離されて急行“ちどり”は木次線にスイッチバックで入り山陰方面に、急行”やまのゆ“はそのまま芸備線で備中神代駅経由、新見駅経由で姫新線の津山駅まで走っていたのを覚えています。又、帰りは先に山陰から備後落合駅に到着、待機していた急行“ちどり”に再び連結されて広島駅に向かっていました。急行“たいしゃく”も備後落合駅までは急行“ちどり”に連結されて、新見駅に向かう急行“たいしゃく”は備後落合駅で急行“ちどり”からの切り離し作業がされていました。帰りの急行“たいしゃく”は急行“ちどり”と再連結されることなく広島駅まで戻っていましたね。因みに備後西城駅は急行停車駅でした。備後落合駅から比婆山駅通過で次の停車駅でした。備後西城駅も備後落合駅も国鉄時代は岡山駅管轄区域だったと思います。それは切符の発行(印刷)元が確か岡山駅になっていたからです。
1985年8月に広島から三次間でちどり乗りました。まだ、陰陽連絡してた時期で車内販売もあり、汽車旅を感じることができました。最近も懐かしさもあり、芸備線乗ることありますが、最低限の設備を辛うじて維持している感じで寂しさも感じますね。
ところどころで方言が出てるのがイイ……
修学旅行で三次駅から急行たいしゃくに乗って広島駅に向かったのはいい思い出。現在の快速と違って志和口から広島までノンストップでしたね。
広島で声優のコンサートがあるので島根県から芸備線使って行っていました帰りは高速バスで共存共栄
急行「ちどり」「たいしゃく」は母方の実家への帰省で乗車したのが懐かしいです。お盆の時はキハ45系が増結されるほど利用客が多かったですね。
懐かしい昭和の頃のローカル線の賑わいを思い出しました。急行ではなかったものの、冬場には広島から備後落合を経由して木次線の三井野原まで昼行・夜行の臨時快速(スキー列車)が運転されてましたね~。
広島弁、楽しい。この動画いつもでもおいといてね。
地元民としてよく分かる動画で、感謝します。
昔広島に松江から急行ちどりで行ったことがあります。5時間かかりその後はバスが4時間だったので、鉄道は利用しなくなりました。今では高速バスなので日帰りが可能になりましたね。やはり鉄道は建設時にスピードを考えて作れば違ったでしょう。
夜行急行ちどり、山陰から、広島へ、何回か利用しました!1月に雪で木次線の線路際の樹木の枝がたわんで、車両の側面上部を、ガリガリ音を立てながら、徐行して走り抜けてました!
急行ちどり号は、広島ー備後落合間の運転になってからですが、一度だけ乗った事があります。車掌さんがよく、急行たいしゃくと間違えて放送してました。備後落合からは木次線の普通に乗り換え木次、宍道を目指しました。
2007年の6月30日(急行最終日)の三次駅は凄い混雑だったなぁ……都市間バスが高速道路の開通でどんどん時間短縮して、安い上に急行と遜色ない時間で到達するようになったので、急行が要らん子になってきたのが……ちなみに特急化の検討もしてJR四国の2000系を借りて試験走行したものの、大した所要時間短縮にはならず、結局立ち消えに終わった
ところどこで出てくる広島弁がいいね
昭和50年代から60年代初頭に東京駅で到着したブルトレの方向幕が回転する際、「いなば」「安芸」が出てきたときは、急いでシャッターを押しましたね。。フィルムがすぐ無くなって小学生には痛い出費でした。。
これはJR西日本の在来線気動車列車です。!
なんかの顔して唇が動いたような汽車も何度か走ってたのを見たような、、とおもい調べましてリゾートサルーン・フェスタ という車両だったようです。記憶の中だとかわいかった気がしてたんですが調べるといっそかわゆうなかった笑
よくここまでまとめましたね。脱帽です。急行安芸のラストランはC59ですね。
そういえばc59でしたねてっきりc62かと思ってました。調査不足でした!
十数年前に、よく急行「ちどり」と「みよし」で三次と広島の往復で使っていた事を思い出しました。三次に行くときは芸備線よりバスを使ってしまいます....
芸備線の急行は、緑の濃淡の時が一番かっこよかったように思います。
私は三原出身なのですが生まれた時には寝台列車以外の在来線特急はありませんでした。なので在来線特急に強い憧れがあります。高速バスと比べると不便なのは明らかでしょうが旅情という意味で言えば列車には敵いません。😊
芸備線の急行「たいしゃく」「ちどり」3〜4両で走ってた気が😅普通列車も広島〜新見があった(客車3両)三次に駅弁、備後落合に駅そば・うどんがあった(美味かった)
ヨンサントウの時刻表が180円😅
私らしく あなたらしく
中四国地方における中心都市が広島から岡山に移ったのがよく分かる動画ですねマイカーや高速道路及び高速バスが発達する中で広島は特急列車が全廃して快速列車すらほぼ無し岡山は他都市と繋がる特急列車が数多くある広島って求心力が本当に無いですよね…
求心力なんか岡山の方が口だけだよ岡山には球団もJ1も世界遺産も大企業も全然ない交通だけ発展させて鬼の首を取ったように中心都市って喚いてるだけ
懐かしい列車名が。。まるで急行列車の栄枯盛衰をみている様です😢
昔、わんぱく列車として中国新聞が企画したイベント列車に乗って、急行に増結して三江線に鮎のつかみ取りや神楽を見た記憶があります。帰りは雨が降り出し雷もなって稲妻が見えたのも、今記憶にあります
家族4人で米子での親戚の結婚式に出席するのに深夜の広島から乗車しました。途中、逆方向に行き出したので5歳の私は母を起こした記憶があります。夜行ちどりの思い出です。
懐かしい。50年前、少年の頃、比婆郡西城町(現 庄原市西城地区)に住んでいました。お盆帰省の時、祖父母(母親の実家)のある津山に行くのに備後西城駅から急行“やまのゆ”で津山駅、或いは急行“たいしゃく”で新見駅まで行き、姫新線の普通に乗り換えて津山駅まで行った思い出があります。当時の“やまのゆ”は広島駅から急行“ちどり”と連結され、備後落合駅で切り離されて急行“ちどり”は木次線にスイッチバックで入り山陰方面に、急行”やまのゆ“はそのまま芸備線で備中神代駅経由、新見駅経由で姫新線の津山駅まで走っていたのを覚えています。又、帰りは先に山陰から備後落合駅に到着、待機していた急行“ちどり”に再び連結されて広島駅に向かっていました。急行“たいしゃく”も備後落合駅までは急行“ちどり”に連結されて、新見駅に向かう急行“たいしゃく”は備後落合駅で急行“ちどり”からの切り離し作業がされていました。帰りの急行“たいしゃく”は急行“ちどり”と再連結されることなく広島駅まで戻っていましたね。因みに備後西城駅は急行停車駅でした。備後落合駅から比婆山駅通過で次の停車駅でした。備後西城駅も備後落合駅も国鉄時代は岡山駅管轄区域だったと思います。それは切符の発行(印刷)元が確か岡山駅になっていたからです。
1985年8月に広島から三次間でちどり乗りました。まだ、陰陽連絡してた時期で車内販売もあり、汽車旅を感じることができました。最近も懐かしさもあり、芸備線乗ることありますが、最低限の設備を辛うじて維持している感じで寂しさも感じますね。
ところどころで
方言が出てるのがイイ……
修学旅行で三次駅から急行たいしゃくに乗って広島駅に向かったのはいい思い出。現在の快速と違って志和口から広島までノンストップでしたね。
広島で声優のコンサートがあるので
島根県から芸備線使って行っていました
帰りは高速バスで共存共栄
急行「ちどり」「たいしゃく」は母方の実家への帰省で乗車したのが懐かしいです。
お盆の時はキハ45系が増結されるほど利用客が多かったですね。
懐かしい昭和の頃のローカル線の賑わいを思い出しました。
急行ではなかったものの、冬場には広島から備後落合を経由して木次線の三井野原まで昼行・夜行の臨時快速(スキー列車)が運転されてましたね~。
広島弁、楽しい。この動画いつもでもおいといてね。
地元民としてよく分かる動画で、感謝します。
昔広島に松江から急行ちどりで行ったことがあります。
5時間かかりその後はバスが4時間だったので、鉄道は利用しなくなりました。
今では高速バスなので日帰りが可能になりましたね。
やはり鉄道は建設時にスピードを考えて作れば違ったでしょう。
夜行急行ちどり、山陰から、広島へ、何回か利用しました!
1月に雪で木次線の線路際の樹木の枝がたわんで、車両の側面上部を、ガリガリ音を立てながら、徐行して走り抜けてました!
急行ちどり号は、広島ー備後落合間の運転になってからですが、一度だけ乗った事があります。車掌さんがよく、急行たいしゃくと間違えて放送してました。備後落合からは木次線の普通に乗り換え木次、宍道を目指しました。
2007年の6月30日(急行最終日)の三次駅は凄い混雑だったなぁ……
都市間バスが高速道路の開通でどんどん時間短縮して、安い上に急行と遜色ない時間で到達するようになったので、急行が要らん子になってきたのが……
ちなみに特急化の検討もしてJR四国の2000系を借りて試験走行したものの、大した所要時間短縮にはならず、結局立ち消えに終わった
ところどこで出てくる広島弁がいいね
昭和50年代から60年代初頭に東京駅で到着したブルトレの方向幕が回転する際、「いなば」「安芸」が出てきたときは、急いでシャッターを押しましたね。。フィルムがすぐ無くなって小学生には痛い出費でした。。
これはJR西日本の在来線気動車列車です。!
なんかの顔して唇が動いたような汽車も何度か走ってたのを見たような、、とおもい調べまして
リゾートサルーン・フェスタ という車両だったようです。
記憶の中だとかわいかった気がしてたんですが調べるといっそかわゆうなかった笑
よくここまでまとめましたね。脱帽です。
急行安芸のラストランはC59ですね。
そういえばc59でしたね
てっきりc62かと思ってました。
調査不足でした!
十数年前に、よく急行「ちどり」と「みよし」で三次と広島の往復で使っていた事を思い出しました。三次に行くときは芸備線よりバスを使ってしまいます....
芸備線の急行は、緑の濃淡の時が一番かっこよかったように思います。
私は三原出身なのですが生まれた時には寝台列車以外の在来線特急はありませんでした。
なので在来線特急に強い憧れがあります。
高速バスと比べると不便なのは明らかでしょうが旅情という意味で言えば列車には敵いません。😊
芸備線の急行「たいしゃく」「ちどり」3〜4両で走ってた気が😅
普通列車も広島〜新見があった(客車3両)
三次に駅弁、備後落合に駅そば・うどんがあった(美味かった)
ヨンサントウの時刻表が180円😅
私らしく あなたらしく
中四国地方における中心都市が
広島から岡山に移ったのがよく分かる動画ですね
マイカーや高速道路及び高速バスが発達する中で
広島は特急列車が全廃して快速列車すらほぼ無し
岡山は他都市と繋がる特急列車が数多くある
広島って求心力が本当に無いですよね…
求心力なんか岡山の方が口だけだよ
岡山には球団もJ1も世界遺産も大企業も全然ない
交通だけ発展させて鬼の首を取ったように中心都市って喚いてるだけ