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地元なのになんとなくしか、知ってませんでした。茂木誠先生の動画を見て、こちらにたどり着きました。茂木先生のお話とかなり被るところもあり、現地動画からわかりやすい動画でした。感謝します。
僕も茂木先生の動画見てるのでそこから飛んできて貰えるのは嬉し過ぎます😊ありがとうございます!
最終話を見てから1〜を見てますがめちゃくちゃ勉強になります。主さんの強く自説を主張するわけではなく主さんなりの考察というスタンスも好きです。いいチャンネルに出会えて嬉しいです。これからも楽しみにしてます。
ありがとうございます😊嬉しいです!
ただただ「素晴らしい」としか言いようのない動画でした。次回からも楽しみにしております⛩
ありがとうございます😊
聞きやすいお声とお話し方で、しかもとても興味深い内容です。これからも楽しみにしています。ありがとうございます。
こちらこそありがとうございます😊
神戸市在住です。淡路島は何度もバイクではしりましたが、先々月初めて伊弉諾神宮に参拝しました。かなり、立派な造りでした。でしたら、阿波のイザナミ神社も手を入れて大切にしていただき日本人なら参拝していただきたいですね。阿波はおざなりにされてなりません。最古の古墳があるというのに!
ありがとうございます。ほとんど全て行きましたが、個人的には一番最初のおのころ島神社が特別で、そこだけ空気がとてつもなく清らかで気持ちよく感じたのを覚えています。
素晴らしい解説動画ですね❗淡路の藩士と徳島の藩士が対立した流れから淡路が兵庫県に編入したことも初めて知りました❗ありがとうございます😉👍️✨
徳島県の旧半田町に、大昔「おのころ」と言う人がいて、その子孫は「おの」を姓としたと言い伝えが在ります。
おのころ島、淡路島も徳島もどちらもそれらしい、客観的に考察しようとされているのが見やすかったです。最後どのようにまとまって行くのか、楽しみにしております。
淡路島が兵庫県に組み込まれたくだり、大変 勉強になりました。更なるご活躍を楽しみにしています!
数年前に瀬戸内海をヨットで周遊した時沼島で一泊しました。上神立岩には鳥肌が立つくらい感動しました。
淡路島は元は徳島藩だったんですね。知りませんでした。淡路島の松帆銅鐸と島根県雲南市の加茂岩倉遺跡の銅鐸が兄弟銅鐸というのも繋がりがありそうです。やはり、出雲と淡路・阿波の関係性が気になりますね。
最近こちらのチャンネルを知り、むさぼるように他の動画も拝見しております。邪馬台国阿波説は本当に興味深いです。動画をとても楽しみにしています😊
興味持って頂いて嬉しいです!ありがとうございます😊
ホテル ニューアワァジィの歌でしか知らなかったが、そんな貴重な史跡があったとは。
かんさいでんきほ〜あんきょ〜かい。
徳島生まれ育ち在住です。私の祖先は鳴門海峡で海賊?をしていたと小さい頃聞いたことがあります。もしかしたら水軍の事だったのかも。父方の親戚たちとは疎遠になってしまったので確認しようも在りませんが…高千穂や伊勢、出雲と色んな場所に行きましたがまさかの灯台もと暗し。私も地元の伝承など巡ってみようかな。
鳴門海峡で海賊ならば本当にご先祖は沼島水軍かもしれませんね(^^)
つまみ食い程度に知っていたことが繋がりました。まだまだ四国には関連した謎が多くあります。いろいろ紐解かれていくのが楽しみですね。
イスラエル大使がユダヤの調査で徳島の剣山に赴いた時に「アワ」の意味は職人だと言っていたそうです。阿波の人々というのは当時は職人の人々と言う意味で呼んでいたんですよ。世界史ではヤコブが75人の造船や建築なと色々な職人と家族それに金銀財宝を船にのせ東の果てに旅だ出せたとも言ってたようですよ。
だから阿波なんですね!凄い納得です。しかもヤコブが送り出したのが75人と言うのも、そんな所にも75の数字が出てくるとは面白いですね😊
以前。古代の水銀がどこに算出したのか調べたことがあるのですが、その産地がほぼ中央構造帯の断層に並んでいました。「辰砂」等が貴重な古代で、権力者にとって重要な場所だったのだと推測しました。
わかってやっていたのか、貴重な鉱物を探して辿り着いたのがたまたまそうだったのかはわかりませんが、中央構造線とフォッサマグナ、地政学と合わせて見て行くと日本の古代史って面白みが増しますよね(^^)
この動画にある話は、初見のことが多くとても興味深いです。それと同時に今ある姿のみで想像するのではなくという部分は、自然だけでなく、神社とかも新しいもの建て替えされたものなど建立史も理解する必要あるかなと。考古学的な観点と歴史学なもの地政学と社会学など包括的に見ることも、また、縄文時代からの太陽信仰、天体観察で言えば、飛騨金山の岩屋岩壁遺跡を知ればかなり解ります。それにしても阿波、淡路は興味深いです😉
伊弉諾神宮内にある「陽の道しるべ図」は、今の宮司さんが建てられたと思います。私は1898年に淡路に移り住みましたが、その時は無かったと思います。丁寧な内容の考察ありがとうございます。これからも楽しませて下さいね。
サルタ彦大神。は、別名、大海(オホワタツミ)大神。出雲族の往くところ、必ず先陣先頭にはサルタ彦大神を推し頂き、当該地域の目印的なお山に鎮座させて開発するのが習いだった。讃岐の金比羅さんの山を象頭山と言う本来の意味も同様。サルタ彦大神の原形が象頭神のガネーシャだから?(出雲族は古代インドから渡来した故)ちなみに、金比羅。クンピーラはインドの川神、ワニ神の事
淡路島のユダヤ遺跡云々や国生み神話、更に天孫降臨~神武即位は全て同じ歴史をに由来します
分かりやすい解説で面白かったです。美馬の舞中島のイザナミ神社から吉野川上流へ10キロ程行ったところにも中鳥島と言う川中島にイザナミ神社があります。現在は増水等の影響で堤防が出来て堤防の内側へ移設されていますが元は吉野川のど真ん中にあったようです。その中鳥島には中鳥城と言うかなり古いお城もあったようです。
面白かった
沼島に以前より惹かれて徳島側に出向いたのが昨年の事、どうしてもやはり行きたくてそろそろ参りますが、神戸から入り、伊弉諾神宮から、南に参ります。タイミングよくこちらの動画を拝聴させて頂きました。タイミングバッチリでハッとしたり、更に行きたいところが鮮明に見え楽しく拝聴させていただきました。いつも興味深い考察ありがとうございます🙏点と天^_^繋がり気持ち良き事にて、心から感謝申し上げます。
瑞玉姫命とは、元々小さい祠しかなかった「自凝神社」にちゃんとしたお宮を建てようと、岩田なつさんという方が伊勢神宮に足繁く通って、お宮の創建について学ばれたそうです。この地に創建した際に伊勢神宮より「瑞玉姫命」という名前をいただいた岩田さんの貢献を讃えた記念碑とのことです。※おのころクルーズ船頭さん談
イザナミ神社は、近くにもう一社有りますね。どんな関係なのかな?
イザナミ神社は延喜式内社の論社となっていて、近くにあるこの2つのイザナミ神社のうちどちらが神名帳に記載されている神社かはっきりと確定出来ていないので、どちらも推定という事になっているんです。
意義ある旅路でしたね。私も少々勉強中で、阿波国の大國魂や伊射奈美神社等へ詣でましま。古事記は色々な古史古伝を紡いだ歴史書である事に加え編纂もあり、私自身、完璧に腑に落ちる説を構築できませんが、倭国はなんとも楽しい国であります。引き続き考察宜しくお願い致します。
僕も古事記については同じように考えているので、それぞれの古史古伝を繋ぎ合わせて行くと答えに近付けるのではないかと思っています。ただ膨大な情報量なので時間がいくらあっても足りません😂
菊理姫は白山神社の御祭神であり天照大御神がお生まれになられた際に産湯を使われた方です。 伊邪那岐命、伊邪那美命の媒酌をされた方でもあります。
中央構造線を肌で感じた訳ではなく、辰砂を始め、様々な重要鉱物が地表面近くにあったため、文明が発達したんでしょうね🤣🤣
面白い。
天孫降臨とはユダヤ人の漂着なのでしょうか?
19:42 ここ間違いではありませんか?式内社はあくまで「朝廷に認められた」神社で、式外社として「おのころ神社」が存在した可能性はあるかと。当時既に存在した由緒ある神社でも岩清水神社や那智熊野神社などは延喜式未記載の式外社なのでは?
市杵島姫命は宇佐神族(王族)かつ出雲神族(王族)の宗像王家の2代目惣領。かつ、徐福の九州妻(后)で物部王家の大御祖母(母系の始祖)また、更にややこしい事に徐福が出雲に残し、後に丹波に移住した長男、五十猛。改め、海香語山命の下に徐福と市杵島姫命の娘、(徐福の長女)ホヤ姫命が嫁ぎ(異母兄妹の夫婦)大和王国海王朝初代大王となる海(アマ)村雲命(古事記等の系図上の神武)を生んだ。大和の海(アマ)王家(海部家はその傍系)、九州の物部王家共に母系の大御祖母にあたります。八幡宮は大元が宇佐神宮。宇佐王家の歴代惣領のお1人として宇佐神宮(二御殿)に主神、月読尊と共に媛大神の一部として祀られています。(要するに市杵島姫命と八幡宮は一体。)
詳しい考察ありがとうございました。市杵島姫命は、瀬織津姫様でしょうか、、
@@yokooida7714 違います。が、瀬織り。を成した事に違いは有りませんからそうとも言えます。瀬織りを成した姫巫女(日女命)の意味~瀬織津日女命。津。は、~の(接続詞)瀬織。は激しく対立して戦争、紛争(瀬)する勢力に身を投じて双方が納得する形で終結させる(織。折(織)り合いをつける)事。日女命。姫や媛ではなく、日女命。と表記された場合、ヒルメのミコト、と読み、神人不離一体と信仰された姫巫女(ヒメミコ)の意味。
阿波の舞中島にある❕イザナミ神社(下)と美馬市のイザナミ神社(上)イザナミ命の御陵は❗高越山(比婆山)であり、上社下社は遥拝所ではないかと言われてます❗❕☝️!(*≧∇≦)ノ👊😆🎵
最後の庚午事件の続きとなるのが、映画『北の零年』となります。古代ユダヤ系の指輪が出てきたのは、ユダヤ人達が日本に来ていたという、大きな証拠になりそうですね。
勉強になります。辰砂、鉄器製造など技術力がありますね。古代イスラエル人の力なのでしょうか?しかし、鉄の技術は朝鮮、北九州経由ですよね。妄想がとまりません。次回も期待しています。ちなみに、伊予の日本書記に書かれている辰砂奉納は秦氏の力と言われています。阿波の奉納の記載はありませんが、衰退したのでしょうね。工学博士芸人 遼子規キンジロウ
地震防御装置として、神社を建てましたね!やはり徳島県ですね!憲法改正の実現を!ってヤバイね。
古代ユダヤの痕跡を見る事ができてとても、感動しています。ありがとう御座いましたm(_ _)m
勝手に淡路と阿波を別の県にするとは明治政府、相当歴史がわかっていないのかと思う。それともわかっていたからこんなことをしたのか?どちらだろう?
稲田氏の騒動があったにせよ、明治政府の一連の動きは怪しくなっちゃいますよね!
@@shingekinobumasa さんありがとうこざいます。
17:55 大正4年、粟島の浮島八幡宮、住民を避難させて軍が爆破したそうですね。 闇が深そう。指輪の埋没場所、年代は不明であるが縄文海進を考慮するとちょっと・・?
浮島八幡宮の事は僕も最初聞いた時は驚きました。指輪に関しては情報として入れましたが信憑性は僕もどうかなと思っています😊
蛭子については女性の方から男性に声をかけ結ばれるとこういう子が生まれますよ、という警告だと神道関係の人 少なくとも私の知っている人はそう思っています。だけどそうしてできてしまったこどものための魂を鎮めるための神社ができているとは知りませんでした。
菊理姫くくりひめ のこともっと解説してほしいです。久久利姫とも書きますよね?イザナギとイザナミの行き違い?をあいだをとりもった?とか聞きますが。。ありがとうこざいます。
ありがとうございます😊菊理媛も重要な神様ですよね!少しずつその辺りもやって行きたいなと思っています(^^)
昔の人はすべてに意味のある名前を付けたであろう 特に町や村・地域の名はそこの歴史を伝えていると思っている なので例えば町村合併などで 簡単に名を変えるのは良くないと思う
ありがとうございます😊町名変えてしまうのは本当に良くないですよね。
徳島藩主に使える数ある家老(士族)の個々に抱える又家来が士族にしろと要求する事は当時の身分制度からしたらあり得ないでしょうね。昔先祖が客分であっても、臣下となり藩に使えるからには、藩主に対し忠義を尽くすべき時代です。徳島藩士が稲田家臣を差別をしていたと言うよりも、又家来が士族の様に振る舞い、主君の徳島藩主の意向さえ蔑ろにし、藩と反対の勢力に加担した不忠の徒を許せなかったであろうその気持ちも理解できます。だから明治政府もそこをも鑑みて、かくも厳しい未開の地に稲田卒族を士族と認めた上で送ったのでしょうか、勤王方なのに厳しすぎる左遷です。確かに君臣の義において、彼らのした事はお仕えする主君を裏切る武士としてあり得ない不忠義ともいえます。 淡路稲田家臣は皆徳島藩の士族の抱える卒族ですから、全ての徳島藩家臣は藩主を敬うのが本分です。いずれにしても、蜂須賀家も稲田家、他国から来た人達の揉め事で淡路、阿波は伊邪那岐伊邪那美の時代にも遡る関係の深い同じ国だったのが分られ、兵庫に入れられたのはちょっと残念です。表向きそうでも、それだけでなく色々歴史を隠したい側からしたら一石二鳥だったのでしょうか。
S57、なぜ天津神を祀る神社に神明鳥居でなく、明神鳥居をたてるのだろうか。悪意を感じてやみません。
そうですね、上書きされたりしている神社もたくさんありますよね。
😊😊
オノコロ島は淡路でも徳島でもなく、博多湾にある能古島のこと。東進したユダヤ人が沖ノ島に到着し、そこから能古島に来て、それから北九州に上陸し、村々の攻撃を逃れて一旦高千穂(宮崎ではなく、北九州にある)に逃れたのではないでしょうか。
オノゴロ島て、小呂島と能古島やろ
地元なのになんとなくしか、知ってませんでした。
茂木誠先生の動画を見て、こちらにたどり着きました。
茂木先生のお話とかなり被るところもあり、現地動画からわかりやすい動画でした。感謝します。
僕も茂木先生の動画見てるのでそこから飛んできて貰えるのは嬉し過ぎます😊
ありがとうございます!
最終話を見てから1〜を見てますがめちゃくちゃ勉強になります。主さんの強く自説を主張するわけではなく主さんなりの考察というスタンスも好きです。いいチャンネルに出会えて嬉しいです。これからも楽しみにしてます。
ありがとうございます😊
嬉しいです!
ただただ「素晴らしい」としか言いようのない動画でした。次回からも楽しみにしております⛩
ありがとうございます😊
聞きやすいお声とお話し方で、しかもとても興味深い内容です。これからも楽しみにしています。ありがとうございます。
こちらこそありがとうございます😊
神戸市在住です。淡路島は何度もバイクではしりましたが、先々月初めて伊弉諾神宮に参拝しました。
かなり、立派な造りでした。
でしたら、阿波のイザナミ神社も手を入れて大切にしていただき日本人なら参拝していただきたいですね。
阿波はおざなりにされてなりません。
最古の古墳があるというのに!
ありがとうございます。
ほとんど全て行きましたが、個人的には一番最初のおのころ島神社が特別で、
そこだけ空気がとてつもなく清らかで気持ちよく感じたのを覚えています。
素晴らしい解説動画ですね❗淡路の藩士と徳島の藩士が対立した流れから淡路が兵庫県に編入したことも初めて知りました❗ありがとうございます😉👍️✨
徳島県の旧半田町に、大昔「おのころ」と言う人がいて、その子孫は「おの」を姓としたと言い伝えが在ります。
おのころ島、淡路島も徳島もどちらもそれらしい、客観的に考察しようとされているのが見やすかったです。
最後どのようにまとまって行くのか、楽しみにしております。
ありがとうございます😊
淡路島が兵庫県に組み込まれたくだり、大変 勉強になりました。更なるご活躍を楽しみにしています!
数年前に瀬戸内海をヨットで周遊した時沼島で一泊しました。上神立岩には鳥肌が立つくらい感動しました。
淡路島は元は徳島藩だったんですね。知りませんでした。
淡路島の松帆銅鐸と島根県雲南市の加茂岩倉遺跡の銅鐸が兄弟銅鐸というのも繋がりがありそうです。やはり、出雲と淡路・阿波の関係性が気になりますね。
最近こちらのチャンネルを知り、むさぼるように他の動画も拝見しております。
邪馬台国阿波説は本当に興味深いです。
動画をとても楽しみにしています😊
興味持って頂いて嬉しいです!
ありがとうございます😊
ホテル ニューアワァジィの歌でしか知らなかったが、そんな貴重な史跡があったとは。
かんさいでんきほ〜あんきょ〜かい。
徳島生まれ育ち在住です。私の祖先は鳴門海峡で海賊?をしていたと小さい頃聞いたことがあります。もしかしたら水軍の事だったのかも。父方の親戚たちとは疎遠になってしまったので確認しようも在りませんが…高千穂や伊勢、出雲と色んな場所に行きましたがまさかの灯台もと暗し。私も地元の伝承など巡ってみようかな。
鳴門海峡で海賊ならば本当にご先祖は沼島水軍かもしれませんね(^^)
つまみ食い程度に知っていたことが繋がりました。まだまだ四国には関連した謎が多くあります。いろいろ紐解かれていくのが楽しみですね。
イスラエル大使がユダヤの調査で徳島の剣山に赴いた時に「アワ」の意味は職人だと言っていたそうです。阿波の人々というのは当時は職人の人々と言う意味で呼んでいたんですよ。世界史ではヤコブが75人の造船や建築なと色々な職人と家族それに金銀財宝を船にのせ東の果てに旅だ出せたとも言ってたようですよ。
だから阿波なんですね!
凄い納得です。
しかもヤコブが送り出したのが75人と言うのも、そんな所にも75の数字が出てくるとは面白いですね😊
以前。古代の水銀がどこに算出したのか調べたことがあるのですが、その産地がほぼ中央構造帯の断層に並んでいました。
「辰砂」等が貴重な古代で、権力者にとって重要な場所だったのだと推測しました。
わかってやっていたのか、貴重な鉱物を探して辿り着いたのがたまたまそうだったのかはわかりませんが、中央構造線とフォッサマグナ、地政学と合わせて見て行くと日本の古代史って面白みが増しますよね(^^)
この動画にある話は、初見のことが多くとても興味深いです。
それと同時に今ある姿のみで想像するのではなくという部分は、自然だけでなく、神社とかも新しいもの建て替えされたものなど建立史も理解する必要あるかなと。
考古学的な観点と歴史学なもの地政学と社会学など包括的に見ることも、
また、縄文時代からの太陽信仰、天体観察で言えば、飛騨金山の岩屋岩壁遺跡を知ればかなり解ります。
それにしても阿波、淡路は興味深いです😉
伊弉諾神宮内にある
「陽の道しるべ図」は、今の宮司さんが建てられたと思います。
私は1898年に淡路に移り住みましたが、その時は無かったと思います。
丁寧な内容の考察ありがとうございます。
これからも楽しませて下さいね。
ありがとうございます😊
サルタ彦大神。
は、別名、大海(オホワタツミ)大神。
出雲族の往くところ、必ず先陣先頭にはサルタ彦大神を推し頂き、当該地域の目印的なお山に鎮座させて開発するのが習いだった。
讃岐の金比羅さんの山を象頭山と言う本来の意味も同様。
サルタ彦大神の
原形が象頭神のガネーシャだから?
(出雲族は古代インドから渡来した故)
ちなみに、金比羅。クンピーラは
インドの川神、
ワニ神の事
淡路島のユダヤ遺跡云々や国生み神話、
更に天孫降臨~神武即位は
全て同じ歴史をに由来します
分かりやすい解説で面白かったです。
美馬の舞中島のイザナミ神社から吉野川上流へ10キロ程行ったところにも中鳥島と言う川中島にイザナミ神社があります。現在は増水等の影響で堤防が出来て堤防の内側へ移設されていますが元は吉野川のど真ん中にあったようです。その中鳥島には中鳥城と言うかなり古いお城もあったようです。
面白かった
沼島に以前より惹かれて徳島側に出向いたのが昨年の事、どうしてもやはり行きたくてそろそろ参りますが、神戸から入り、伊弉諾神宮から、南に参ります。タイミングよくこちらの動画を拝聴させて頂きました。タイミングバッチリでハッとしたり、更に行きたいところが鮮明に見え楽しく拝聴させていただきました。
いつも興味深い考察ありがとうございます🙏
点と天^_^繋がり気持ち良き事にて、心から感謝申し上げます。
瑞玉姫命とは、
元々小さい祠しかなかった「自凝神社」にちゃんとしたお宮を建てようと、岩田なつさんという方が伊勢神宮に足繁く通って、お宮の創建について学ばれたそうです。
この地に創建した際に伊勢神宮より「瑞玉姫命」という名前をいただいた岩田さんの貢献を讃えた記念碑とのことです。
※おのころクルーズ船頭さん談
イザナミ神社は、近くにもう一社有りますね。どんな関係なのかな?
イザナミ神社は延喜式内社の論社となっていて、近くにあるこの2つのイザナミ神社のうちどちらが神名帳に記載されている神社かはっきりと確定出来ていないので、どちらも推定という事になっているんです。
意義ある旅路でしたね。私も少々勉強中で、阿波国の大國魂や伊射奈美神社等へ詣でましま。古事記は色々な古史古伝を紡いだ歴史書である事に加え編纂もあり、私自身、完璧に腑に落ちる説を構築できませんが、倭国はなんとも楽しい国であります。引き続き考察宜しくお願い致します。
僕も古事記については同じように考えているので、それぞれの古史古伝を繋ぎ合わせて行くと答えに近付けるのではないかと思っています。
ただ膨大な情報量なので時間がいくらあっても足りません😂
菊理姫は白山神社の御祭神であり天照大御神がお生まれになられた際に産湯を使われた方です。
伊邪那岐命、伊邪那美命の媒酌をされた方でもあります。
中央構造線を肌で感じた訳ではなく、辰砂を始め、様々な重要鉱物が地表面近くにあったため、文明が発達したんでしょうね🤣🤣
面白い。
天孫降臨とはユダヤ人の漂着なのでしょうか?
19:42 ここ間違いではありませんか?式内社はあくまで「朝廷に認められた」神社で、式外社として「おのころ神社」が存在した可能性はあるかと。当時既に存在した由緒ある神社でも岩清水神社や那智熊野神社などは延喜式未記載の式外社なのでは?
市杵島姫命は
宇佐神族(王族)かつ
出雲神族(王族)
の宗像王家の2代目惣領。
かつ、
徐福の九州妻(后)で
物部王家の大御祖母(母系の始祖)
また、更にややこしい事に
徐福が出雲に残し、後に丹波に移住した
長男、
五十猛。改め、海香語山命の下に
徐福と市杵島姫命の娘、
(徐福の長女)
ホヤ姫命が嫁ぎ(異母兄妹の夫婦)
大和王国海王朝初代大王となる
海(アマ)村雲命(古事記等の系図上の神武)を生んだ。
大和の海(アマ)王家(海部家はその傍系)、
九州の物部王家
共に母系の大御祖母
にあたります。
八幡宮は大元が宇佐神宮。
宇佐王家の歴代惣領のお1人として
宇佐神宮(二御殿)に主神、月読尊と共に媛大神の一部として祀られています。
(要するに市杵島姫命と八幡宮は一体。)
詳しい考察ありがとうございました。市杵島姫命は、瀬織津姫様でしょうか、、
@@yokooida7714
違います。
が、
瀬織り。
を成した事に違いは有りませんから
そうとも言えます。
瀬織りを成した姫巫女
(日女命)
の意味~
瀬織津日女命。
津。は、
~の(接続詞)
瀬織。は
激しく対立して戦争、紛争(瀬)する
勢力に身を投じて
双方が納得する形で
終結させる(織。折(織)り合いをつける)
事。
日女命。
姫や媛ではなく、
日女命。と表記された場合、
ヒルメのミコト、
と読み、神人不離一体と信仰された
姫巫女(ヒメミコ)の意味。
阿波の舞中島にある❕イザナミ神社(下)と美馬市のイザナミ神社(上)イザナミ命の御陵は❗高越山(比婆山)であり、上社下社は遥拝所ではないかと言われてます❗❕☝️!(*≧∇≦)ノ👊😆🎵
最後の庚午事件の続きとなるのが、映画『北の零年』となります。
古代ユダヤ系の指輪が出てきたのは、ユダヤ人達が日本に来ていたという、大きな証拠になりそうですね。
勉強になります。辰砂、鉄器製造など技術力がありますね。古代イスラエル人の力なのでしょうか?しかし、鉄の技術は朝鮮、北九州経由ですよね。妄想がとまりません。次回も期待しています。ちなみに、伊予の日本書記に書かれている辰砂奉納は秦氏の力と言われています。阿波の奉納の記載はありませんが、衰退したのでしょうね。工学博士芸人 遼子規キンジロウ
地震防御装置として、神社を建てましたね!やはり徳島県ですね!憲法改正の実現を!ってヤバイね。
古代ユダヤの痕跡を見る事ができてとても、感動しています。ありがとう御座いましたm(_ _)m
勝手に淡路と阿波を別の県にするとは明治政府、相当歴史がわかっていないのかと思う。
それともわかっていたから
こんなことをしたのか?
どちらだろう?
稲田氏の騒動があったにせよ、明治政府の一連の動きは怪しくなっちゃいますよね!
@@shingekinobumasa さん
ありがとうこざいます。
17:55 大正4年、粟島の浮島八幡宮、住民を避難させて軍が爆破したそうですね。 闇が深そう。
指輪の埋没場所、年代は不明であるが縄文海進を考慮するとちょっと・・?
浮島八幡宮の事は僕も最初聞いた時は驚きました。
指輪に関しては情報として入れましたが信憑性は僕もどうかなと思っています😊
蛭子については
女性の方から男性に声を
かけ結ばれると
こういう子が生まれますよ、
という警告だと
神道関係の人 少なくとも私の
知っている人はそう思っています。
だけどそうしてできてしまった
こどものための魂を鎮めるための神社ができているとは知りませんでした。
菊理姫くくりひめ のこと
もっと解説してほしいです。
久久利姫とも書きますよね?
イザナギとイザナミの行き違い?をあいだをとりもった?とか聞きますが。。
ありがとうこざいます。
ありがとうございます😊
菊理媛も重要な神様ですよね!
少しずつその辺りもやって行きたいなと思っています(^^)
昔の人はすべてに意味のある名前を付けたであろう 特に町や村・地域の名はそこの歴史を伝えていると思っている なので例えば町村合併などで 簡単に名を変えるのは良くないと思う
ありがとうございます😊
町名変えてしまうのは本当に良くないですよね。
徳島藩主に使える数ある家老(士族)の個々に抱える又家来が士族にしろと要求する事は当時の身分制度からしたらあり得ないでしょうね。昔先祖が客分であっても、臣下となり藩に使えるからには、藩主に対し忠義を尽くすべき時代です。徳島藩士が稲田家臣を差別をしていたと言うよりも、又家来が士族の様に振る舞い、主君の徳島藩主の意向さえ蔑ろにし、藩と反対の勢力に加担した不忠の徒を許せなかったであろうその気持ちも理解できます。だから明治政府もそこをも鑑みて、かくも厳しい未開の地に稲田卒族を士族と認めた上で送ったのでしょうか、勤王方なのに厳しすぎる左遷です。確かに君臣の義において、彼らのした事はお仕えする主君を裏切る武士としてあり得ない不忠義ともいえます。
淡路稲田家臣は皆徳島藩の士族の抱える卒族ですから、全ての徳島藩家臣は藩主を敬うのが本分です。いずれにしても、蜂須賀家も稲田家、他国から来た人達の揉め事で淡路、阿波は伊邪那岐伊邪那美の時代にも遡る関係の深い同じ国だったのが分られ、兵庫に入れられたのはちょっと残念です。表向きそうでも、それだけでなく色々歴史を隠したい側からしたら一石二鳥だったのでしょうか。
S57、なぜ天津神を祀る神社に神明鳥居でなく、明神鳥居をたてるのだろうか。悪意を感じてやみません。
そうですね、上書きされたりしている神社もたくさんありますよね。
😊😊
オノコロ島は淡路でも徳島でもなく、博多湾にある能古島のこと。東進したユダヤ人が沖ノ島に到着し、そこから能古島に来て、それから北九州に上陸し、村々の攻撃を逃れて一旦高千穂(宮崎ではなく、北九州にある)に逃れたのではないでしょうか。
オノゴロ島て、小呂島と能古島やろ