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もう戦争の事を語ってくれる人が少なくなったねー。
興味深い内容の、立派なレポートです。ありがとう
祖父は赤紙が来た後、独身だった為に若い独身女(後の我が祖母)をあてがわれ種付けの後満州に送られ、甲種合格もあり肉体労働が主だったらしい戦中に新たな種付けのための一時帰国させられ、再招集前に終戦した為に疎開先で家族揃って戦後のスタートをきれたらしい
@@砂姫婆酒樽 良かったね、そのおかげで今の君がこの世にいるのだから赤紙に感謝せねば。
種付けの連鎖がうまくいって良かった
兵士なれなんて不幸の手紙持ってくのはつらそういろんな人に疎まれるだろうし
当時は、名誉なことだったよ
なお普通に戦後は地獄に落ちろと罵倒された模様
@@ゆっくり霊夢-s4zまあ、当時は完全な独裁体制下でしたから。
うちの爺ちゃん、マレーで地獄見たから戦後赤紙届けた人を殴り殺したっていう武勇伝言ってたよ。戦後だから司法とかないようなもんだし、
爺ちゃんが徴兵されたく無いが為に消防士になってたサンキュージッジ
郵便局員じゃなくてそういう専用の役職があったんだなーと知れました。曾お祖父さんが軍の方に知り合いがいて話を通したら兵にならずに済んだってって言ってたのを思い出した。
本当に本音と建前な日本。
自分は戦場にはいかないのに、同じ村の人を戦場に送らないといけない赤紙配達人の心労は想像を絶しますね。
わたしの父も令状が来て戦場へと行ったそうです。南方諸島へ行ったときマニラにかかり、高熱が出て、そのとき上下の歯が全部抜け落ち、2、3週間生死の狭間を彷徨っていたそうです。いつも父がわたしに言っていた言葉は、いいか、戦争は決して映画の様に格好いいものではない、人が人を殺すなんて事は絶対にあってはならんことだ、普通にある暴力もだ。お前は大人になっても、絶対に人を傷付ける様な事だけはするな!俺も沢山の戦友を亡くして見送った、戦争だけは絶対にしてはいかん!と・・・そんな父も既に他界し逝きました。本当にわたしもそう思います。平和が一番いいのです。
貴重なお話しを聞けて勉強になりました、お父様の仰る通り戦争は絶対いけないし人を傷つけることも絶対いけないですね。
マラリアじゃなくて?
@@Designer-o4pフィリピン の首都になったのかもw
マニラにかかるってなんだ?
あんた今何歳なんです?その話が本当だとしたらもういい歳したじいさんでしょ? どちらかと言えば若者向けのチャンネルをよく見てますねなんかとってつけたようなテンプレ的な文だし作り話っぽいな
うちの爺さんは田舎の農家の私生児で、そのせいか子供の頃から働きに出てて、軍隊なら食うには困らないだろうと自分から兵士になったらしい。徴兵逃れ何それ?みたいな境遇だったけれど、戦争が激しくなる頃には上手いこと閑職につけたようで、ある意味運が良かったのかな。
軍隊は運隊だと、元兵士から聞いたよ。
赤紙も物資不足で色が薄くなったとは
赤ばっかり使っていてインクが無くなり 桃色のインクが使用されたとか
現在の自衛隊は募集制です。自衛隊に入隊したい若者がお世話になるのが「自衛隊地方協力本部」の広報官です。自衛隊の説明から志願書の提出、試験、そして合格から各入隊教育部隊への送りまで各担当の広報官が志願者に付いてお世話をします。入隊試験に合格して赤紙ならぬ採用予定通知書を担当の広報官が持って来ます。これは必ずしも入隊する訳でもなく、自衛隊生活に不安がある人や他の進学や就職など進路があったら拒否する事も出来ます。徴兵と募集制の違いですね。地本の代理として各市町村役場でも募集業務を行っています。
かの富野由悠季の父は、兵役を逃れたい一心で理系学生になり、ゴム系材料工学で特攻兵器「伏龍」やロケット機「秋水」搭乗服などに関わった。だが戦後、自分の戦争協力を全く顧みる事無く、「デモシカ教師」になり戦争など他人事扱いだったという。こうした父の姿に憤り、軽蔑し、憎んだ富野少年は、しかし一方で父が軍から違法に&勝手に(!)持ち帰った航空宇宙・材料工学系の資料や文書類に感化され、SF・天文畑のマニア少年となっていった。巨匠アニメ監督となった彼は、こうした父へのアンビバレンツな感情がその原点である、と自ら認めている。確かに彼の作品には、しばしば父キャラや技術といったものへの、複雑でいて並々ならぬ執着がある。
ってことはテムレイのモデルは実父なのかと勝手に納得。
うちの近所に村の兵事係を務めた家が有ります、つい最近(30年前)まで夜中に石が投げ込まれた、戦死した複数の母親が悔しく行ってるとの噂でした、俺も夜中2時頃老婆が兵事係の家附近うろついたを見たことが有る。
報復恐れて夜逃げした方もいるでしょう。末端の配達人を恨むしかないとはやり切れない話ですね。
青紙、白紙があったとは知らなんだ
兵事係はこの様に重要な役職のため、徴兵されることはなかったそうです。ある意味凄い皮肉ですね😅。
軍国主義の時代だったから万歳と言って行くのですよ、本人も家族も心の中では泣いているんですよ、日本を守ると言う大義名分で、勝っても負けても苦労するのは国民ですから戦争は絶対反対ですね。
お疲れ様です。誰もが効いたことがある赤紙ですが、法令の成り立ちや検査の流れ等々奥深いですね。初めて聞くことあって大変面白かったです。
出征の写真で祝われてる飯山さん、小島さんはどうなったんだろうな無事に故郷に帰って来れていたら良いが
小島さんは年齢もかなりいってそうだけど両肩が落ちて肺を患ってそう。終戦間際の動員で内地から出れてない可能性もありますね。無事を祈りたいです。
17:20の小島さん?さすがに母親じゃないのかなこんな長髪の男性は当時いないだろうと思う。。。
@@trasersystem 背景一緒ですし7:45の小島源治さんのお母様でしょうね一緒に撮ればいいのに、なぜお母様単独で撮ったのかは謎ですが・・・
あと、大学の理工学系、軍需関連、一部政府機関の人員などは、「余人を持って変えがたし」と進言することで徴兵を逃れた例も多いと聞いています。また、陸軍への寄付なども影響したような。そうかと思うと、軍にやや批判的な記事を書いた新聞記者などは最前線に意図的に飛ばされた例もあったとか。最近では、韓国で極端な大食いをして、肥満になって徴兵免除されたところ、兵役逃れが目的の行為とばれて、逮捕されました。
うちのジィちゃん、ガタイがいいから戦争開始から満州で戦っていて赤紙貰ってないらしい。首に撃たれた跡あったのに気づかず日本に帰って来てた。ほんと、よくその時代を生きれたよねって思う。
リアルスギモト佐一
注、マニラではなく、マラリアの間違いでした。訂正してお詫び致します🙇。
ははは。うちの父もマラリアに掛かり、死ぬ思いをしたそうです。
私の祖父の兄は、マラリアに罹患し戦病死しました。
今となっては理由はわかりませんが私の祖父は何故か徴兵検査に落ちました😅
自分の祖父も徴兵検査に不合格でした。視力が悪かったと聞いています
自分の祖父は片目失明していたから徴兵に落ちた。運が良いのか悪いのかわからない
肺結核やワザと徴兵検査の近くになると真夜中の雨の中で濡れて体調を崩して徴兵検査に落ちた人もいます。三島由紀夫もその1人です。
うちの爺ちゃんは満州開拓してた
「塞翁が馬」の語源のような話ですね。古代中国の人物である塞翁は乗っていた馬が制御不能になり、落馬して足の骨を折って歩けなくなってしまった。人々は塞翁を憐れんだが、そのうちに戦争が起こり、歩けない塞翁以外の成人男性は全て出征して二度と帰ってこなかった。一見不幸に見える事態でも、幸運に転じることもあるという例え。
日露戦争までは分かるが太平洋戦争のために死にたくはないな
戦時中の日本における裕福層に対する供出について紹介して欲しいです。ドイツやフランスだと鉄で出来た装身具を代わりに貰えたそうですが、日本はどうだったんでしょうか。
「兵隊に取られる」と言う表現が、実態をよく表しています。
今の感覚から言えば、「召集令状」なんんて、受け取り拒否すれば良い!と思うでしょうね!でも、あの当時は、本人の心の内はどうかは分かりませんんが、男子に取ってこの上もない名誉な事だったんですよ。だから、役場の平治係のオジサンが、本人に令状を渡す時l「この度は、おめでとう御座います!」と言ってたんですよんね!
亡くなった祖父から聞いた話ですが、結核療養所に入院していた祖父の病室に、招集から逃れるために仮病で入院していた人が居たそうです。ある日、憲兵が来て、頑なに招集を拒否するその人に憲兵が拳銃を発砲し、しゃさつしたそうです。
そういやノーベル賞の故小柴先生は一高に落ちてしまい兵役逃れのため当時誰でも入れた明治工業専門学校(現在の明治大学理工学部)に入学し籍だけを置いた入学後は一度も登校することなく仮面浪人で勉強を続け翌年一高に合格し東大に進学した明治大学は小柴先生を明治大学出身と言い張っているらしい
私の祖父は足の小指が短い?変形してるのが理由で徴兵免除されました。尚、歩行や走る事にも影響ない程度の変形だったそうです。
元々は武士階級という一種の職業軍人の特権を剥奪し、四民平等の元国民皆兵にて全員が主権者であり、全員が武器を『持てる』階級にした、という建前なんですがねやはり薩長土肥新政府の急進的な徴兵令政策は結局ただの中下級階層の労役となり、その後に及ぼす歪が大きすぎましたね
ちなみに赤紙の配達は真夜中、家人が寝静まった頃に来るのだとか。
恐怖新聞かよ
確かに寿命は縮む。
空襲並に怖い
職業野球の選手らはまさに即戦力だったので、みんな学徒出陣までは大学に籍を置かせる人も珍しくなかった。かの有名な沢村栄治投手は、当時としても異例の3回出征しています。彼みたいな著名人は、激戦区など向かい手榴弾を投げる役割として、國民新聞でもたびたび紹介され、格好のプロパガンダに利用されたそうです。今で言うなら、大谷翔平は前線に配属され、毎日のように活躍が報じられ、子供達は大谷翔平のようにお国のために働きたいという人が増えました。うちの祖父も昭和20年に招集され、訓練中に終戦を迎えましたが、10月には参加予定でしたから助かったと言う事です。
日中戦争も中盤になり、戦況が泥沼化すると、兵員不足から現地で兵役を延長されたり、一度除隊後にすぐ再招集されるケースはほんとに頻発していた。その結果、「死なないと家に帰れない」と兵士の士気が減退し、前線で不祥事が頻発したり古兵のストレスが新兵に向かう形で私的制裁も激しくなったとか
山下清は放浪の旅に出て徴兵検査を免れてました
知能に問題が有り兵役を免れたと聞いていましたがどうなのですかね?
@@楠早苗-i9h ほとぼりが冷めたと思って実家に帰ったとたん、母親に徴兵検査に連れていかれましたが漢字が読めなくて不合格になったそうです。本人は不合格になって兵隊に行かずに済んだと大変喜んでました
青紙は初耳でした。兵役免除の270円の金額は兵士一人を一年間養う予算と同じ額って聞いた事があります。
労役という名の税金ですからね。兵役を逃れる=脱税ですから。
結果が結果なので良く言いようもない徴兵検査ですが、山梨県における日本住血吸虫の克服の端緒となっていたりもする。
戦争末期には、「女子通信隊」が軍属だけど、「各地の監視哨やレーダーで集められた敵機の情報を司令部に伝える」をしていましたね。
兵役逃れの夏目漱石が紙幣になってて笑うわ
昔聞いた話だけど、戦前に体が悪くて身体検査にはねられたけど第二次の時に赤紙が届いて軍の基地に行ってもう一回身体検査してまたはねられて故郷に帰されたって事もあったらしい。
兵事係はその地域の男性の情報収集もやっていていたから普通に嫌われてたみたいだね。当時はかなり珍しい車の免許持ちは今で言うSSRクラスだったみたい
逆に軍隊は衣食住の面倒を全て見てくれた上に給金までくれるため、喜んで軍に入る人も大勢いました。食ひとつとっても当時の最先端でハイカラなおかずが出て、毎食米の飯が食えるのは「実家よりもいい」と言う人もいたほどです。また衣服についてもピカピカの軍服などで里帰りしようものなら、村中の羨望の的になりました。なによりも御国から「お前が必要だ」と言われているようなもんですから、その名誉なことは今に生きる我々の想像以上だと言えましょう。
昔の漫画の二等兵物語で、当時は家督を継ぐのは長男で次男三男は身包み一つで独立しなければならない時代だったので、唯一永久就職できるのは「軍隊」だった。徴兵でも軍隊で三食御飯が食えるし軍服だって支給されるし、寝る所があるからね。勤務成績が良ければ下士官や特務士官の道が開けて職業軍人でいられる。退役すれば恩給といった軍人年金も支給されて至れり尽くせりだった。しかし、徴兵検査は平時は厳しく、甲種合格は少なかった。しかも抽選とあって、身体検査に不備があっても軍医に甲種合格にしてくれと頼み込んだエピソードもある。
@@うまいものはだいたい茶色 渥美清さんの英語みたい 拝啓天皇陛下様
赤紙って、健康であれば20歳の男全員に届くものだと思っていました。
今後、世界情勢の変化によってはまた赤紙みたいなモノが発行されるのだろうか…マイナンバーで国に一元管理されてしまったからなぁ…
コロナ禍の経験で分かるように国の根拠のない理不尽なルールにちゃんと従っていた国民国民同士で監視しあってルールを守っていましたよね?赤紙が来ても思考停止した日本人はちゃんと従いますよw
兵役逃れの内容がおもしろすぎる。お涙頂戴系の戦争映画よりこういうのでコメディ化して映画化とかしてくれないものかね。
戦争経験者とか被爆2世の方がいらっしゃるからね。。コメディにするにはあと50年は経たないと不謹慎かもね
@aikomont7822 やはり戦勝国でもない限りは難しいところなのかもしれませんね…
ついでに、いろんな所での柔道などの武道の授業を逃れられる方法を知りたいな…。特に、学校での柔道の授業時間を受けないでいける方法を。
現在は赤髪の代わりに笑顔て受け取る徴収納付書
「赤紙」ネ
シャンクスかな
現代ではNHKの集金で文句を言ってるほど平和でも人間の本質なんて昔も今も変わらない辛かっただろうな
召集されてもいかない。日本に生まれたから日本に住んでるけど、国のために戦いたいとは思わないし。海外とか住んでみたいしどっかに移住するわ。
子どもの頃に母から聞いたけど、私が生まれて直ぐに亡くなった父方の祖父も召集されていたらしい。小柄だった為、通信兵として後方に置かれたから無事だったと。
兵事係の多くは戸籍担当の職員が兼務されてました。戸籍担当の職員は業務の性質上、年齢高めなベテラン職員が多かったため、戦後まもなく役所を定年などで退職された方も多く、全てを胸にしまい込んで亡くなられていきました。そのため赤紙に関する証言者が少ないのだと思われます。また、徴兵年齢の上限が引き上げられたのは「軍医不足」を解消するためだったと言われています。
一定点数以下の夏休みの補習のとき赤い紙で手渡しされてた
その赤い紙を手渡した教師は、一定点数以下の者に鉄拳“ロケットパンチ”を喰らわすために夏休みの補習への“召集令状”として手渡したのですか?お、恐ろしい教師だな…。まさか、その先生は、感情に任せてしまって、焼きごてか、または、温度を高めにしたハロゲンヒーターを「ハゲロンヒーター」と言って、“ブレストファイヤー”を出すつもりで、虐待的な補習をしていたのではないでしょうかね⁉️そこまでする教師だったら、サイコパスな教師だな…。
こんな法を作った官僚議員が一番の悪!
歴史の授業で先生が赤紙って言うとみんな「シャンクス!?」と言っていた。
祖父は招集されたけど出兵前日に終戦したそうです(ちなみに祖父は大正15年生まれなので終戦時は19歳です)現代で万が一日本が戦時になっても戦争には行きたくないので40歳超えた時には安心しました今、戦時になって召集令状なんて発行されたらSNSで政府がフルボッコ食らうと思いますけどね平和が一番です
高齢者や病弱な人は原発事故の後片付けに回させると思う。医療費も年金も国の負担と考えてる政府なのだから。また人権の停止が憲法を変える最大の目的。人権とは特に政治批判の事を指す。中国共産党と同じ手法でネット接続はマイナンバーの管理。政治批判すると公的証明書と銀行口座、電子マネーも止めてくる。だから河野自身がマイナンバーを作っていない
最低でも議員や官僚の子供達を先に最前線送りにでもしないと誰も協力しないよねえ。あのスターリンや毛沢東でさえ自分の息子を前線で戦死させてる訳だしね。模範を示して貰わないとね
というか、ウクライナみたいなことになったら、果たして日本人は彼らほど根性出して敢闘できるだろうか?と心配に思います。自衛隊?米軍?それらもダメになったら?我々はどうするべきなのでしょうね。
@うまいものはだいたい茶色 戦時中は鬼畜米英と叫んでいた大衆右翼の大物はA級戦犯で処刑されそうになると敵国のCIAに手のひら返して寝返りました。ご都合主義の自民党の裏の顔です。国のトップの根っこがヤクザで自分さえ良ければ良い人なので国民が暴動起こせば敵国に逃げるでしょう
むしろ40歳から65歳までの独身男性は召集対象…
徴兵検査に受からないってだけで差別対象になる地域もあったくらいだからなー。実際はかなり難しそうだよなー
マイナンバーで、召集礼状逃れは出来ません。顔認証で全国どこにいても一瞬で暴かれます。
公的証明書と銀行口座も一体化されるので拒否すれば電子マネーすらも使えなくなるでしょうね。中国共産党が嫌いなくせに手口は中国共産党の言論統制と同じ事をする自民党とその金魚のフン政党
名前が『正美』(まさよし)と言う男性が、(まさみ)と言う女性と間違われて、召集を免れたと聞いた事があります。
赤紙を拒否すると、逮捕されるのか?「非国民」だの憲兵に怒鳴られるとか
とっ捕まって、罰金払った後に招集されるよ〜。
拒否ってのは基本的にないよ。義務だからね。現代で言えば納税の義務と同じ。税金の納付を拒否しますとか、ないでしょ?
私の祖父は東京消防庁の職員だった事、年齢の関係で在郷軍人でした。東京大空襲の時は府中にて在軍していたので大火も逃れたと…。ただ、消火機材がドンドン劣化していく訳で…。公務員でありながら、とても馬鹿馬鹿しかったけど表ではとても表では言えないと。戦争が終わっても戦争ごっこ遊びをした子供達はめちゃくちゃ怒られたと…。
入営したとしても、さすがに訓練してから戦地へ行ったんだろうか?
灯台守の方も免除されてみたいですね。
おめでとうございますは最高の煽り文句だと思うの。
債権や税率滞納すると、どんどん封筒の色が変わっていくね。
今のロシアでは召集令状がオンライン通知になったようですね
白紙持ってない自称徴用工uzeeeee
和牛ランクみたいですね
曾祖父さんは、皇居防衛で行ったとのことなんだけど、優遇されてたんかな?昔は地主だったらしいけど。
逓信省局長というエリート技術官僚が40過ぎで兵役に取られたという話もある お国のために他にすべきことあるだろうに
平等で宜しい事だ。
つりあいとるため中年の人を他に数十人召集したらしい 局長は東條英機に批判的だったので懲罰召集みたい
あゝ弟よ君死にたもうことなかれ…
アメリカでは、志願ですからね
実はアメリカも1973年まではくじ引きの徴兵制でしたよ。
今の人にそんなの来たらみんな行かないだろうな
コロナ禍の経験で分かるように国の根拠のない理不尽なルールにちゃんと従っていた国民国民同士で監視しあってルールを守っていましたよね?
役場の兵事課の吏員。
え?赤紙って税金の督促状ではなかったの?(令和)
今だとそうだね
へー赤いんだー
滞納すればするほど派手になってくらしいね…
現代で有事になったらそれを貰ったやつが戦地に駆り出される仕組みかな
@@おと-d6h そうです
戦時ならではの異常な職業死神となんも変わらんからな内心恨まれとったし憎まれとったし煙たがられとったやろうな
まあ、「残念ながら…」って言いながら渡すのはどう考えても成立しないから、今の日本社会においても建前としては「おめでとうございます」と言いながら渡さざるを得ないだろうな。
嫌な仕事だな…絶対死神扱いされてただろ。ご家族から泣きながら怨みの眼差しで睨まれるのキツいて。
アメリカ人にもドイツ人にも日本人にもなれる私ならパスポートを見せて私はアメリカ人になったと答えるだろうな(´・ω・`)
不幸の便り!
私は身長なら甲種合格だが、視力で差し障りがあるな。
日中戦争以降は眼鏡程度では徴兵免除されないそれどころか身長150センチ未満でも徴兵された事例がある
セブ島の人肉事件もあったな。
三島由紀夫も兵役逃れだったんじゃなかったか?
三島は戦時中はまだ少年だった。そしていつシぬか分からない日常。それが元で武士道としての正しいシが彼の着地点になったという生い立ち。なお戦時中に逃げ回ったのはヤクザや大衆右翼。大衆右翼の大物はA級戦犯で処刑されそうになるとCIAに寝返った。三島はそんな右翼ではないという思想。アメリカに利用されるなと考えていた通りの現実が今の日本。
父親はいまでいうところのキャリア官僚で局長だったけどちゃんと徴兵検査は受けて第二乙種で合格でしたそして入隊したが 高熱を出して即日帰郷となった その後勤労動員には行ってたそれがトラウマ・負い目となり あんな行動したんだろうと思う
なんで犯罪者が徴兵されないんだよ
昔ちびまる子ちゃんでまる子おじいちゃん、黒い紙ないー?友蔵黒い紙?あーそう言えば昔赤紙ってのがあったのぅ…ってのを思い出した😂
俺なら喜ぶだって死ねるんだぜ?
そういう奴ほど、生きて帰ってしまうんだよ。世は残酷なり
◯ねるって……何かあったのか
生きて帰るみたいな恥さらしもあるにはあるからなそれはそれでツライと思うぞ
人間いつかは死ぬんだから慌てんでもええやろ
南方送りだと、、、
この時代ってハッタショにも赤紙届いたんかね(流石に空気読めなくて戦力にならんやつのとこには届かないだろうな)?
やっぱ軍国主義ってクソだわ
俺なら赤紙トイレに流すけどなあ
そのうち、18-33歳まで赤紙が来るようになるよ。
予言みたい😮
ぶっちゃけ今の日本で徴兵してもどうせ士気終わってるから全く機能しないよ
俺も有事には赤紙来るけど、志願した俺でさえ戦争に行くのはほんとに嫌だからなぁ
既に指摘されてるけど、軍の人事関係ではなくて、町村の兵事係。サムネで誤謬を拡散しないでください。あと細かい事だけど、町村は役場で、市区は役所。
もう戦争の事を語ってくれる人が少なくなったねー。
興味深い内容の、立派なレポートです。ありがとう
祖父は赤紙が来た後、独身だった為に
若い独身女(後の我が祖母)をあてがわれ種付けの後満州に送られ、甲種合格もあり肉体労働が主だったらしい
戦中に新たな種付けのための一時帰国させられ、再招集前に終戦した為に疎開先で家族揃って戦後のスタートをきれたらしい
@@砂姫婆酒樽 良かったね、そのおかげで今の君がこの世にいるのだから
赤紙に感謝せねば。
種付けの連鎖がうまくいって良かった
兵士なれなんて不幸の手紙持ってくのはつらそう
いろんな人に疎まれるだろうし
当時は、名誉なことだったよ
なお普通に戦後は地獄に落ちろと罵倒された模様
@@ゆっくり霊夢-s4z
まあ、当時は完全な独裁体制下でしたから。
うちの爺ちゃん、マレーで地獄見たから戦後赤紙届けた人を殴り殺したっていう武勇伝言ってたよ。戦後だから司法とかないようなもんだし、
爺ちゃんが徴兵されたく無いが為に消防士になってた
サンキュージッジ
郵便局員じゃなくてそういう専用の役職があったんだなーと知れました。
曾お祖父さんが軍の方に知り合いがいて話を通したら兵にならずに済んだってって言ってたのを思い出した。
本当に本音と建前な日本。
自分は戦場にはいかないのに、同じ村の人を戦場に送らないといけない赤紙配達人の心労は想像を絶しますね。
わたしの父も
令状が来て戦場へと
行ったそうです。南方諸島へ行ったときマニラにかかり、高熱が出て、そのとき上下の歯が全部抜け落ち、2、3週間生死の狭間を彷徨っていたそうです。いつも父がわたしに言っていた言葉は、いいか、戦争は決して映画の様に格好いいものではない、人が人を殺すなんて事は絶対にあってはならんことだ、普通にある暴力もだ。お前は大人になっても、絶対に人を傷付ける様な事だけはするな!俺も沢山の戦友を亡くして見送った、戦争だけは絶対にしてはいかん!と・・・そんな父も既に他界し逝きました。本当にわたしもそう思います。平和が一番いいのです。
貴重なお話しを聞けて勉強になりました、お父様の仰る通り戦争は絶対いけないし人を傷つけることも絶対いけないですね。
マラリアじゃなくて?
@@Designer-o4pフィリピン の首都になったのかもw
マニラにかかるってなんだ?
あんた今何歳なんです?
その話が本当だとしたらもういい歳したじいさんでしょ? どちらかと言えば若者向けのチャンネルをよく見てますね
なんかとってつけたようなテンプレ的な文だし
作り話っぽいな
うちの爺さんは田舎の農家の私生児で、そのせいか子供の頃から働きに出てて、軍隊なら食うには困らないだろうと自分から兵士になったらしい。
徴兵逃れ何それ?みたいな境遇だったけれど、戦争が激しくなる頃には上手いこと閑職につけたようで、ある意味運が良かったのかな。
軍隊は運隊だと、元兵士から聞いたよ。
赤紙も物資不足で色が薄くなったとは
赤ばっかり使っていてインクが無くなり 桃色のインクが使用されたとか
現在の自衛隊は募集制です。
自衛隊に入隊したい若者がお世話になるのが「自衛隊地方協力本部」の広報官です。
自衛隊の説明から志願書の提出、試験、そして合格から各入隊教育部隊への送りまで各担当の広報官が志願者に付いてお世話をします。
入隊試験に合格して赤紙ならぬ採用予定通知書を担当の広報官が持って来ます。これは必ずしも入隊する訳でもなく、自衛隊生活に不安がある人や他の進学や就職など進路があったら拒否する事も出来ます。
徴兵と募集制の違いですね。
地本の代理として各市町村役場でも募集業務を行っています。
かの富野由悠季の父は、兵役を逃れたい一心で理系学生になり、ゴム系材料工学で特攻兵器「伏龍」やロケット機「秋水」搭乗服などに関わった。
だが戦後、自分の戦争協力を全く顧みる事無く、「デモシカ教師」になり戦争など他人事扱いだったという。
こうした父の姿に憤り、軽蔑し、憎んだ富野少年は、しかし一方で父が軍から違法に&勝手に(!)持ち帰った航空宇宙・材料工学系の資料や文書類に感化され、SF・天文畑のマニア少年となっていった。
巨匠アニメ監督となった彼は、こうした父へのアンビバレンツな感情がその原点である、と自ら認めている。
確かに彼の作品には、しばしば父キャラや技術といったものへの、複雑でいて並々ならぬ執着がある。
ってことはテムレイのモデルは実父なのかと勝手に納得。
うちの近所に村の兵事係を務めた家が有ります、つい最近(30年前)まで夜中に石が投げ込まれた、戦死した複数の母親が悔しく行ってるとの噂でした、俺も夜中2時頃老婆が兵事係の家附近うろついたを見たことが有る。
報復恐れて夜逃げした方もいるでしょう。末端の配達人を恨むしかないとはやり切れない話ですね。
青紙、白紙があったとは知らなんだ
兵事係はこの様に重要な役職のため、徴兵されることはなかったそうです。ある意味凄い皮肉ですね😅。
軍国主義の時代だったから万歳と言って行くのですよ、本人も家族も心の中では泣いているんですよ、日本を守ると言う大義名分で、勝っても負けても苦労するのは国民ですから戦争は絶対反対ですね。
お疲れ様です。
誰もが効いたことがある赤紙ですが、法令の成り立ちや検査の流れ等々奥深いですね。
初めて聞くことあって大変面白かったです。
出征の写真で祝われてる飯山さん、小島さんはどうなったんだろうな
無事に故郷に帰って来れていたら良いが
小島さんは年齢もかなりいってそうだけど両肩が落ちて肺を患ってそう。
終戦間際の動員で内地から出れてない可能性もありますね。
無事を祈りたいです。
17:20の小島さん?
さすがに母親じゃないのかな
こんな長髪の男性は当時いないだろうと思う。。。
@@trasersystem 背景一緒ですし7:45の小島源治さんのお母様でしょうね
一緒に撮ればいいのに、なぜお母様単独で撮ったのかは謎ですが・・・
あと、大学の理工学系、軍需関連、一部政府機関の人員などは、「余人を持って変えがたし」と進言することで徴兵を逃れた例も多いと聞いています。
また、陸軍への寄付なども影響したような。そうかと思うと、軍にやや批判的な記事を書いた新聞記者などは最前線に意図的に飛ばされた例もあったとか。
最近では、韓国で極端な大食いをして、肥満になって徴兵免除されたところ、兵役逃れが目的の行為とばれて、逮捕されました。
うちのジィちゃん、ガタイがいいから戦争開始から満州で戦っていて赤紙貰ってないらしい。首に撃たれた跡あったのに気づかず日本に帰って来てた。ほんと、よくその時代を生きれたよねって思う。
リアルスギモト佐一
注、マニラではなく、マラリアの間違いでした。訂正してお詫び致します🙇。
ははは。うちの父もマラリアに掛かり、死ぬ思いをしたそうです。
私の祖父の兄は、マラリアに罹患し戦病死しました。
今となっては理由はわかりませんが私の祖父は何故か徴兵検査に落ちました😅
自分の祖父も徴兵検査に不合格でした。視力が悪かったと聞いています
自分の祖父は片目失明していたから徴兵に落ちた。運が良いのか悪いのかわからない
肺結核やワザと徴兵検査の近くになると真夜中の雨の中で濡れて体調を崩して徴兵検査に落ちた人もいます。三島由紀夫もその1人です。
うちの爺ちゃんは満州開拓してた
「塞翁が馬」の語源のような話ですね。
古代中国の人物である塞翁は乗っていた馬が制御不能になり、落馬して足の骨を折って歩けなくなってしまった。
人々は塞翁を憐れんだが、そのうちに戦争が起こり、歩けない塞翁以外の成人男性は全て出征して二度と帰ってこなかった。
一見不幸に見える事態でも、幸運に転じることもあるという例え。
日露戦争までは分かるが太平洋戦争のために死にたくはないな
戦時中の日本における裕福層に対する供出について紹介して欲しいです。ドイツやフランスだと鉄で出来た装身具を代わりに貰えたそうですが、日本はどうだったんでしょうか。
「兵隊に取られる」と言う表現が、実態をよく表しています。
今の感覚から言えば、「召集令状」なんんて、受け取り拒否すれば良い!と思うでしょうね!でも、あの当時は、本人の心の内はどうかは分かりませんんが、男子に取ってこの上もない名誉な事だったんですよ。
だから、役場の平治係のオジサンが、本人に令状を渡す時l「この度は、おめでとう御座います!」と言ってたんですよんね!
亡くなった祖父から聞いた話ですが、結核療養所に入院していた祖父の病室に、招集から逃れるために仮病で入院していた人が居たそうです。ある日、憲兵が来て、頑なに招集を拒否するその人に憲兵が拳銃を発砲し、しゃさつしたそうです。
そういやノーベル賞の故小柴先生は一高に落ちてしまい兵役逃れのため
当時誰でも入れた明治工業専門学校(現在の明治大学理工学部)に入学し籍だけを置いた
入学後は一度も登校することなく仮面浪人で勉強を続け翌年一高に合格し東大に進学した
明治大学は小柴先生を明治大学出身と言い張っているらしい
私の祖父は足の小指が短い?変形してるのが理由で徴兵免除されました。
尚、歩行や走る事にも影響ない程度の変形だったそうです。
元々は武士階級という一種の職業軍人の特権を剥奪し、
四民平等の元国民皆兵にて全員が主権者であり、全員が武器を『持てる』階級にした、という建前なんですがね
やはり薩長土肥新政府の急進的な徴兵令政策は結局ただの中下級階層の労役となり、その後に及ぼす歪が大きすぎましたね
ちなみに赤紙の配達は真夜中、家人が寝静まった頃に来るのだとか。
恐怖新聞かよ
確かに寿命は縮む。
空襲並に怖い
職業野球の選手らはまさに即戦力だったので、みんな学徒出陣までは大学に籍を置かせる人も珍しくなかった。
かの有名な沢村栄治投手は、当時としても異例の3回出征しています。
彼みたいな著名人は、激戦区など向かい手榴弾を投げる役割として、國民新聞でもたびたび紹介され、格好のプロパガンダに利用されたそうです。
今で言うなら、大谷翔平は前線に配属され、毎日のように活躍が報じられ、子供達は大谷翔平のようにお国のために働きたいという人が増えました。
うちの祖父も昭和20年に招集され、訓練中に終戦を迎えましたが、10月には参加予定でしたから助かったと言う事です。
日中戦争も中盤になり、戦況が泥沼化すると、兵員不足から現地で兵役を延長されたり、
一度除隊後にすぐ再招集されるケースはほんとに頻発していた。
その結果、「死なないと家に帰れない」と兵士の士気が減退し、前線で不祥事が頻発したり
古兵のストレスが新兵に向かう形で私的制裁も激しくなったとか
山下清は放浪の旅に出て徴兵検査を免れてました
知能に問題が有り兵役を免れたと聞いていましたがどうなのですかね?
@@楠早苗-i9h ほとぼりが冷めたと思って実家に帰ったとたん、母親に徴兵検査に連れていかれましたが漢字が読めなくて不合格になったそうです。本人は不合格になって兵隊に行かずに済んだと大変喜んでました
青紙は初耳でした。兵役免除の270円の金額は兵士一人を一年間養う予算と同じ額って聞いた事があります。
労役という名の税金ですからね。兵役を逃れる=脱税ですから。
結果が結果なので良く言いようもない徴兵検査ですが、山梨県における日本住血吸虫の克服の端緒となっていたりもする。
戦争末期には、「女子通信隊」が軍属だけど、「各地の監視哨やレーダーで集められた敵機の情報を司令部に伝える」をしていましたね。
兵役逃れの夏目漱石が紙幣になってて笑うわ
昔聞いた話だけど、戦前に体が悪くて身体検査にはねられたけど第二次の時に赤紙が届いて軍の基地に行ってもう一回身体検査してまたはねられて故郷に帰されたって事もあったらしい。
兵事係はその地域の男性の情報収集もやっていていたから普通に嫌われてたみたいだね。当時はかなり珍しい車の免許持ちは今で言うSSRクラスだったみたい
逆に軍隊は衣食住の面倒を全て見てくれた上に給金までくれるため、
喜んで軍に入る人も大勢いました。
食ひとつとっても当時の最先端でハイカラなおかずが出て、毎食米の飯が食えるのは
「実家よりもいい」と言う人もいたほどです。
また衣服についてもピカピカの軍服などで里帰りしようものなら、村中の羨望の的になりました。
なによりも御国から「お前が必要だ」と言われているようなもんですから、その名誉なことは
今に生きる我々の想像以上だと言えましょう。
昔の漫画の二等兵物語で、当時は家督を継ぐのは長男で次男三男は身包み一つで独立しなければならない時代だったので、唯一永久就職できるのは「軍隊」だった。
徴兵でも軍隊で三食御飯が食えるし軍服だって支給されるし、寝る所があるからね。勤務成績が良ければ下士官や特務士官の道が開けて職業軍人でいられる。退役すれば恩給といった軍人年金も支給されて至れり尽くせりだった。
しかし、徴兵検査は平時は厳しく、甲種合格は少なかった。しかも抽選とあって、身体検査に不備があっても軍医に甲種合格にしてくれと頼み込んだエピソードもある。
@@うまいものはだいたい茶色 渥美清さんの英語みたい 拝啓天皇陛下様
赤紙って、健康であれば20歳の男全員に届くものだと思っていました。
今後、世界情勢の変化によってはまた赤紙みたいなモノが発行されるのだろうか…
マイナンバーで国に一元管理されてしまったからなぁ…
コロナ禍の経験で分かるように国の根拠のない理不尽なルールにちゃんと従っていた国民
国民同士で監視しあってルールを守っていましたよね?
赤紙が来ても思考停止した日本人はちゃんと従いますよw
兵役逃れの内容がおもしろすぎる。
お涙頂戴系の戦争映画よりこういうのでコメディ化して映画化とかしてくれないものかね。
戦争経験者とか被爆2世の方がいらっしゃるからね。。コメディにするにはあと50年は経たないと不謹慎かもね
@aikomont7822
やはり戦勝国でもない限りは難しいところなのかもしれませんね…
ついでに、いろんな所での柔道などの武道の授業を逃れられる方法を知りたいな…。
特に、学校での柔道の授業時間を受けないでいける方法を。
現在は赤髪の代わりに
笑顔て受け取る徴収納付書
「赤紙」ネ
シャンクスかな
現代ではNHKの集金で文句を言ってるほど平和
でも人間の本質なんて昔も今も変わらない
辛かっただろうな
召集されてもいかない。日本に生まれたから日本に住んでるけど、国のために戦いたいとは思わないし。海外とか住んでみたいしどっかに移住するわ。
子どもの頃に母から聞いたけど、私が生まれて直ぐに亡くなった父方の祖父も召集されていたらしい。
小柄だった為、通信兵として後方に置かれたから無事だったと。
兵事係の多くは戸籍担当の職員が兼務されてました。戸籍担当の職員は業務の性質上、年齢高めなベテラン職員が多かったため、戦後まもなく役所を定年などで退職された方も多く、全てを胸にしまい込んで亡くなられていきました。そのため赤紙に関する証言者が少ないのだと思われます。また、徴兵年齢の上限が引き上げられたのは「軍医不足」を解消するためだったと言われています。
一定点数以下の夏休みの補習のとき赤い紙で手渡しされてた
その赤い紙を手渡した教師は、一定点数以下の者に鉄拳“ロケットパンチ”を喰らわすために夏休みの補習への“召集令状”として手渡したのですか?
お、恐ろしい教師だな…。
まさか、その先生は、感情に任せてしまって、焼きごてか、または、温度を高めにしたハロゲンヒーターを「ハゲロンヒーター」と言って、“ブレストファイヤー”を出すつもりで、虐待的な補習をしていたのではないでしょうかね⁉️
そこまでする教師だったら、サイコパスな教師だな…。
こんな法を作った官僚議員が一番の悪!
歴史の授業で先生が赤紙って言うとみんな「シャンクス!?」と言っていた。
祖父は招集されたけど出兵前日に終戦したそうです(ちなみに祖父は大正15年生まれなので終戦時は19歳です)
現代で万が一日本が戦時になっても戦争には行きたくないので40歳超えた時には安心しました
今、戦時になって召集令状なんて発行されたらSNSで政府がフルボッコ食らうと思いますけどね
平和が一番です
高齢者や病弱な人は原発事故の後片付けに回させると思う。医療費も年金も国の負担と考えてる政府なのだから。また人権の停止が憲法を変える最大の目的。人権とは特に政治批判の事を指す。中国共産党と同じ手法でネット接続はマイナンバーの管理。政治批判すると公的証明書と銀行口座、電子マネーも止めてくる。だから河野自身がマイナンバーを作っていない
最低でも議員や官僚の子供達を先に最前線送りにでもしないと誰も協力しないよねえ。あのスターリンや毛沢東でさえ自分の息子を前線で戦死させてる訳だしね。模範を示して貰わないとね
というか、ウクライナみたいなことになったら、果たして日本人は彼らほど根性出して
敢闘できるだろうか?と心配に思います。
自衛隊?米軍?それらもダメになったら?
我々はどうするべきなのでしょうね。
@うまいものはだいたい茶色 戦時中は鬼畜米英と叫んでいた大衆右翼の大物はA級戦犯で処刑されそうになると敵国のCIAに手のひら返して寝返りました。ご都合主義の自民党の裏の顔です。国のトップの根っこがヤクザで自分さえ良ければ良い人なので国民が暴動起こせば敵国に逃げるでしょう
むしろ40歳から65歳までの独身男性は召集対象…
徴兵検査に受からないってだけで差別対象になる地域もあったくらいだからなー。実際はかなり難しそうだよなー
マイナンバーで、召集礼状逃れは出来ません。
顔認証で全国どこにいても一瞬で暴かれます。
公的証明書と銀行口座も一体化されるので拒否すれば電子マネーすらも使えなくなるでしょうね。中国共産党が嫌いなくせに手口は中国共産党の言論統制と同じ事をする自民党とその金魚のフン政党
名前が『正美』(まさよし)と言う男性が、(まさみ)と言う女性と間違われて、召集を免れたと聞いた事があります。
赤紙を拒否すると、逮捕されるのか?「非国民」だの憲兵に怒鳴られるとか
とっ捕まって、罰金払った後に招集されるよ〜。
拒否ってのは基本的にないよ。義務だからね。
現代で言えば納税の義務と同じ。税金の納付を拒否しますとか、ないでしょ?
私の祖父は東京消防庁の職員だった事、年齢の関係で在郷軍人でした。東京大空襲の時は府中にて在軍していたので大火も逃れたと…。ただ、消火機材がドンドン劣化していく訳で…。公務員でありながら、とても馬鹿馬鹿しかったけど表ではとても表では言えないと。戦争が終わっても戦争ごっこ遊びをした子供達はめちゃくちゃ怒られたと…。
入営したとしても、さすがに訓練してから戦地へ行ったんだろうか?
灯台守の方も免除されてみたいですね。
おめでとうございますは最高の煽り文句だと思うの。
債権や税率滞納すると、どんどん封筒の色が変わっていくね。
今のロシアでは召集令状がオンライン通知になったようですね
白紙持ってない自称徴用工uzeeeee
和牛ランクみたいですね
曾祖父さんは、皇居防衛で行ったとのことなんだけど、優遇されてたんかな?昔は地主だったらしいけど。
逓信省局長というエリート技術官僚が40過ぎで兵役に取られたという話もある お国のために他にすべきことあるだろうに
平等で宜しい事だ。
つりあいとるため中年の人を他に数十人召集したらしい 局長は東條英機に批判的だったので懲罰召集みたい
あゝ弟よ
君死にたもうことなかれ…
アメリカでは、志願ですからね
実はアメリカも1973年まではくじ引きの徴兵制でしたよ。
今の人にそんなの来たらみんな行かないだろうな
コロナ禍の経験で分かるように国の根拠のない理不尽なルールにちゃんと従っていた国民
国民同士で監視しあってルールを守っていましたよね?
役場の兵事課の吏員。
え?赤紙って税金の督促状ではなかったの?(令和)
今だとそうだね
へー赤いんだー
滞納すればするほど派手になってくらしいね…
現代で有事になったらそれを貰ったやつが戦地に駆り出される仕組みかな
@@おと-d6h そうです
戦時ならではの異常な職業
死神となんも変わらんからな
内心恨まれとったし憎まれとったし煙たがられとったやろうな
まあ、「残念ながら…」って言いながら渡すのはどう考えても成立しないから、今の日本社会においても建前としては「おめでとうございます」と言いながら渡さざるを得ないだろうな。
嫌な仕事だな…絶対死神扱いされてただろ。ご家族から泣きながら怨みの眼差しで睨まれるのキツいて。
アメリカ人にもドイツ人にも日本人にもなれる私ならパスポートを見せて私はアメリカ人になったと答えるだろうな(´・ω・`)
不幸の便り!
私は身長なら甲種合格だが、視力で差し障りがあるな。
日中戦争以降は眼鏡程度では徴兵免除されない
それどころか身長150センチ未満でも徴兵された事例がある
セブ島の人肉事件もあったな。
三島由紀夫も兵役逃れだったんじゃなかったか?
三島は戦時中はまだ少年だった。そしていつシぬか分からない日常。それが元で武士道としての正しいシが彼の着地点になったという生い立ち。なお戦時中に逃げ回ったのはヤクザや大衆右翼。大衆右翼の大物はA級戦犯で処刑されそうになるとCIAに寝返った。三島はそんな右翼ではないという思想。アメリカに利用されるなと考えていた通りの現実が今の日本。
父親はいまでいうところのキャリア官僚で局長だったけど
ちゃんと徴兵検査は受けて第二乙種で合格でした
そして入隊したが 高熱を出して即日帰郷となった その後勤労動員には行ってた
それがトラウマ・負い目となり あんな行動したんだろうと思う
なんで犯罪者が徴兵されないんだよ
昔ちびまる子ちゃんで
まる子
おじいちゃん、黒い紙ないー?
友蔵
黒い紙?あーそう言えば昔赤紙ってのがあったのぅ…
ってのを思い出した😂
俺なら喜ぶ
だって死ねるんだぜ?
そういう奴ほど、生きて帰ってしまうんだよ。世は残酷なり
◯ねるって……
何かあったのか
生きて帰るみたいな恥さらしもあるにはあるからな
それはそれでツライと思うぞ
人間いつかは死ぬんだから慌てんでもええやろ
南方送りだと、、、
この時代ってハッタショにも赤紙届いたんかね(流石に空気読めなくて戦力にならんやつのとこには届かないだろうな)?
やっぱ軍国主義ってクソだわ
俺なら赤紙トイレに流すけどなあ
そのうち、18-33歳まで赤紙が来るようになるよ。
予言みたい😮
ぶっちゃけ今の日本で徴兵してもどうせ士気終わってるから全く機能しないよ
俺も有事には赤紙来るけど、志願した俺でさえ戦争に行くのはほんとに嫌だからなぁ
既に指摘されてるけど、軍の人事関係ではなくて、町村の兵事係。サムネで誤謬を拡散しないでください。あと細かい事だけど、町村は役場で、市区は役所。