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とある戦記で、戦闘で損傷してトラック泊地に戻った駆逐艦の乗組員が、「せっかく内地に帰れると思ってたのに、明石の野郎が直しちまった。」と残念がるシーンがありました。
😂
ワロタご愁傷さまです
@@SuperFour-ng6im 凄い能力有ったんだな。あと数隻有れば良かったのに。
明石と間宮は連合艦隊の宝
おっしゃる通りです。戦時急増(松型駆逐艦みたく)をすれば、他の船も被害を最小限出来たと思う。
素晴らしい解説だ。
コイツ(明石)がトラック等のサンゴ環礁の奥深くに居る事で海軍の艦艇は喫水線より上の損傷で有れば本土に戻らずともトラックでの修理が可能だった、前線に近い場所で艦の修理補修が可能というのはとんでもないアドバンテージである事は簡単に理解出来る理屈、しかし明石を失った事により海軍の艦は皆本土に戻らざるを得なくなり、それは艦隊全体の作戦行動に大きな制限を与え、米軍からすれば、南方から本土に向かう際必ず通る事となるバシー海峡に戦力を配備する事で簡単に敵を補足し撃滅する事が出来るようになった
昭和の時代の外国航路の船の機関室には機械工場があり、そこには腕ききの・繰機長が居て船内で起きる、あらゆるトラブルに対応が出来るようになっておりました。出身を聞くと、元旧海軍の機関部にいたと、云う方でした、何をやらしても、万能で驚き、感心したものです。昔のことを思い出し増した。中前一夫様、合掌。
兵站、補給、修理、休養ってとっても大事だと思う。それを狙っていれば、我が国も勝てたはずなのにな。
明石級工作艦の同型艦や派生艦が多数就役していてほしかったな
当時日本は自前で工作機械を製造できず米独の輸入に頼っていたので、米英と開戦した時点で明石型二番艦の建造は不可能となった。
おっしゃる通りです。戦時急増(松型駆逐艦あるいは、簡易戦時型みたく)をすれば、他の船も被害を最小限出来たと思う。
「メデューサ」にも同型艦は無かったから、ほぼ同規模の「明石」を建造した貧乏海軍はよくやったとしか言えない。理想としては同型艦もう一隻・・・・。
⑤計画とかで同型艦の建造計画はあったと思いますよ。福井静夫氏の著作で記事がなかったかな?
2番艦が三原、3番艦が桃取だったかな……
軽視していたと言うより、はじめからそこまでの余裕はなかったという事でしょうね。こうした艦が撃沈してと、じわじわと動きが取れなくなるわけですが、そうなれば坂道を転げる様に選挙が悪化逆転するのは目に見えている事だったと思います。
この艦艇は全く知らなかった!素晴らしい動画です!
私の祖父は士官として明石に乗艦していました。祖父はディーゼル機関技術が専門で本当かどうか定かではありませんが父曰く祖父はディーゼル機関では日本一だったようです。明石が爆撃を受けたとき、急襲だったようで士官室に直撃他多数爆撃を受けたとき直撃受ける寸前まで士官室に居たらしい祖父はトイレに行ってたため、助かったとか。もっと多くのことを聞けてたら良かったのですが、戦争のことは多くを語ることを嫌い、孫の質問にも凄く機嫌が悪くなるのを覚えてます。祖父は明石沈没後、一式陸攻で日本に戻り、その後、横須賀工廠で任務したようです。
思い出したくもなかったのでしょう。
太平洋地域の米海軍後方支援部隊は、40隻以上の各種工作艦、100基あまりの浮きドックを展開してた。😅
素晴らしい特務艦!こういう艦を何隻配備できるかも重要な軍事力の指標なのだと、あらためて深甚に思うあと、『撃沈さる』という古風な表現
重巡高雄と妙高も損傷してシンガポールに在泊していたけど本土への回航や現地での修理もままならずそのまま終戦を迎えたもんな~。防空砲台と言えば聞こえは良いけど・・😢
映画にして欲しい。
なるほどねえ。
常に泊地修理の光景…まるでイベ中のうちの鎮守府だ
世界一の海軍と太平洋を股にかけて大戦争をやろうっていうのに工作艦も給糧艦も余りにも数が少なくてびっくりする
4:53 日本海軍で大事にされた補助艦艇なら、給糧艦『間宮』がいます。内地から、艦内の工場で菓子等の加工食品を製造しながらやってくると、その帰りには現地の司令官の判断で戦闘が発生する可能性の低い海域へ行くまで厳重な護衛が付き、『間宮が襲われている』と入電があれば現地の司令官の判断で間宮を助けるための戦力が派遣されるといった具合でした。なお、当時の米軍では、間宮も別の意味で明石と同等の最重要攻撃目標になっていました。
工作艦より甘いものを重視するのは人として仕方がないのかな。
当時の日本では明石クラスの艦は何隻もつくれなかったんですね。
竣工当時は作れなかったということは無いかもしれませんが、輸入工作機械が破格だったという理由でためらったのでしょうか?オンリーワンの性能を、オンリーワンで運用していたら…うn。
高級工作機械も満足に造れなかったから。
今でも公共工事で新設の工事には多額の補助金が出るのに対し、メンテナンスにはあまり補助金が出ません。それでも、物事を良く分かっている者が必要性を説いたのでしょう。丁度、ウクライナの戦車修理部隊の存在のように。
工作、修理の鬼や神様みたいな人が乗艦してたんでしょうね。さて自分がゲームで使うとしたら、要修理艦の優先順位に悩むだろうなぁ😕
明石と間宮は沈没させられたら空母並みにガッカリする
ヒーラー(工作艦)と魔導師(空母)、アイテムボックス(運送・給兵艦)、シーカー又はアサシン(潜水艦)は先に潰すのが鉄則。戦士やタンク(砲艦)は波状攻撃でどうとでもなる。
レーダーと言い補助艦艇と言い、日本もきちんと準備はしているのに優先順位の付け方が間違っているという
陸軍は電探の必要性を早くから気が付いていたが海軍は逆探される事を恐れ電探には否定的だった
@ レスター-d6t電探に否定的とは、どういう意味でしょうか?多くの艦艇には電探が設置されていますし、単に日本の技術力から来る信頼度の低さを嘆いていたとは思いますが。逆探も作戦に取り入れていたので、意味も無く恐れていたとは思えません。
@@八意思兼神 日本海軍は索敵用の電波を敵艦隊に向けて飛ばすと逆探されて自分達の位置を相手に知られる事を恐れたのですが電探の必要性に気が付いた時には独自な開発する時間的余裕が無くて一足先に電探を実戦配備していた陸軍に協力要請して艦船用の電探を開発しました
@@八意思兼神確か初期の会議で電探の話題でお偉いさんが電波を出せば、自分たちの居場所がバレるではないかと一蹴されたなんて話を読んだことがあります。英軍の捕虜から八木アンテナの話を聞いて八木とは何ぞやみたいな位の軍隊ですからね。
米軍でさえ調整が難しく制式化に難儀していた(難儀していた横で改良版を量産化する米帝)物を、戦時日本下で量産化できるはずもなく。逆探を恐れて~の下りは開戦前の話とかだったような?理論も当時世界最先端でしたが、開戦までに量産化も出来ない工業力の低さが徒となり、積載可能改良版が完成したころには艦艇が沈んで籍がなかった時期。レーダ技術を侮り開発をしなかったというのは語弊があり、実際に開発は戦前から続いていましたが積むだけの実用域に達することが出来なかっただけかと思います。敵鹵獲資料に八木アンテナが載っていたのに知らなかったという逸話の1942年頃は陸でも海でも使われており、資料中の「YAGI」が何を指すのか捕虜に尋ねた際に「八木博士が開発したアンテナ」のことだと知っただけのような気もしますが、日本軍ではレーダを知らなかったという話になっていますね。
日本軍は攻撃以外は盲目で兵站を含め戦闘以外は一切無関心だった事が自ら戦局を悪化させていった
正解これが正当
後方の補助艦艇を充実させる=前線の戦力が減る→敵に勝てないか負けやすくなる→前線が負けたら後方は意味が無いとなります。
海軍工廠にもないドイツ製工作機械と熟練工の存在は大きかった。運用音痴の海軍も間宮と明石には手厚い護衛をしていた。
武蔵屋旅館に大和ホテル~か工作艦の裏の力は報われない、
トラック空襲でもパラオ空襲でも、連合艦隊主力が先に退避して明石のような貴重な特務艦や大量の輸送船を喪失してますね。理由は山本五十六、古賀峯一長官まで連合艦隊司令部が第一艦隊所属の大和や武蔵に座乗していたことですね。だから「柱島艦隊」のままでは士気にかかわるとトラックまでは出てくるものの激戦の最前線に投入するわけにも行かず、今度は「大和ホテル」「武蔵旅館」と揶揄される始末。アメリカ機動部隊出動の情報を得ても捜索が空振りに終わったりして重油を無駄に消費するばかり。少なくともミッドウェー海戦後からは連合艦隊は司令部を日吉のような陸上に移し、「大和」「武蔵」だけでも前進部隊の第二艦隊に編入していれば良かった。その方が両艦もよっぽど有効活用できた気がしますし、海軍甲事件、乙事件も起こりようがなかったでしょう。第三次ソロモン海戦で新戦艦に属する「ワシントン」が大正生まれの「霧島」を討ち取ったのも、何とも言えない皮肉な出来事ですね。一方でアメリカのニミッツは戦争中一貫してハワイから指揮を取ってますし、旧式戦艦は艦砲射撃、新戦艦は機動部隊の護衛と役割分担してます。日本海軍にしろ陸軍にしろ頭から兵站を軽視したというよりは、短期決戦一択で少ないリソースを決戦兵力に全振りしてしまった結果、後方支援まで手が回らなかった、というのが真相なのだと思います。
「トラック空襲」では、大型タンカー4隻を失いました。
日本海軍は艦隊決戦で戦争を終わらせる為に血道をあげていたから贅沢な艦だと思っていたんでしょうね。
「明石」は当時日本海軍が盛んに建造していた一万トンクラス艦型をベースにしているので、無駄に軍艦じみた設計にしているのが難点か…。この一万トン型船体を大量生産していたのなら意味があるが、出来ていないし、基本、工作艦は商船構造の方が合理的。もちろん海軍としては工作艦の重要性は認識していただろうが、「明石」にトッピング全部盛りという発想は、とてもではないが健康的ではなかった。
形が違うだろ。
決して恐れた訳じゃないだろ(笑)
明石を大事にしなかったから…
“最重要攻撃目標”😂
古今東西、ロジスティックを軽視した軍隊が勝ったためしが無い!
松型駆逐艦みたく、量産すれば、他の船も被害を最小限出来たと思う。
今更だけど明石元二郎からこの明石はとった名前なのかな?
明治天皇の意向により日本海軍は他国と違い人名からは取りません
この動画で艦名の由来が『明石の浦』であることが説明されています。
とある戦記で、戦闘で損傷してトラック泊地に戻った駆逐艦の乗組員が、「せっかく内地に帰れると思ってたのに、明石の野郎が直しちまった。」と残念がるシーンがありました。
😂
ワロタ
ご愁傷さまです
@@SuperFour-ng6im 凄い能力有ったんだな。あと数隻有れば良かったのに。
明石と間宮は連合艦隊の宝
おっしゃる通りです。
戦時急増(松型駆逐艦みたく)をすれば、他の船も被害を最小限出来たと思う。
素晴らしい解説だ。
コイツ(明石)がトラック等のサンゴ環礁の奥深くに居る事で海軍の艦艇は喫水線より上の損傷で有れば本土に戻らずともトラックでの修理が可能だった、前線に近い場所で艦の修理補修が可能というのはとんでもないアドバンテージである事は簡単に理解出来る理屈、しかし明石を失った事により海軍の艦は皆本土に戻らざるを得なくなり、それは艦隊全体の作戦行動に大きな制限を与え、米軍からすれば、南方から本土に向かう際必ず通る事となるバシー海峡に戦力を配備する事で簡単に敵を補足し撃滅する事が出来るようになった
昭和の時代の外国航路の船の機関室には機械工場があり、そこには腕ききの・繰機長が居て船内で起きる、あらゆるトラブルに対応が出来るようになっておりました。出身を聞くと、元旧海軍の機関部にいたと、云う方でした、何をやらしても、万能で驚き、感心したものです。昔のことを思い出し増した。中前一夫様、合掌。
兵站、補給、修理、休養ってとっても大事だと思う。
それを狙っていれば、我が国も勝てたはずなのにな。
明石級工作艦の同型艦や派生艦が多数就役していてほしかったな
おっしゃる通りです。
戦時急増(松型駆逐艦みたく)をすれば、他の船も被害を最小限出来たと思う。
当時日本は自前で工作機械を製造できず米独の輸入に頼っていたので、米英と開戦した時点で明石型二番艦の建造は不可能となった。
おっしゃる通りです。
戦時急増(松型駆逐艦あるいは、簡易戦時型みたく)をすれば、他の船も被害を最小限出来たと思う。
「メデューサ」にも同型艦は無かったから、ほぼ同規模の「明石」を建造した貧乏海軍はよくやったとしか言えない。理想としては同型艦もう一隻・・・・。
⑤計画とかで同型艦の建造計画はあったと思いますよ。福井静夫氏の著作で記事がなかったかな?
2番艦が三原、3番艦が桃取だったかな……
軽視していたと言うより、はじめからそこまでの余裕はなかったという事でしょうね。
こうした艦が撃沈してと、じわじわと動きが取れなくなるわけですが、そうなれば坂道を転げる様に選挙が悪化逆転するのは目に見えている事だったと思います。
この艦艇は全く知らなかった!
素晴らしい動画です!
私の祖父は士官として明石に乗艦していました。祖父はディーゼル機関技術が専門で本当かどうか定かではありませんが父曰く祖父はディーゼル機関では日本一だったようです。明石が爆撃を受けたとき、急襲だったようで士官室に直撃他多数爆撃を受けたとき直撃受ける寸前まで士官室に居たらしい祖父はトイレに行ってたため、助かったとか。もっと多くのことを聞けてたら良かったのですが、戦争のことは多くを語ることを嫌い、孫の質問にも凄く機嫌が悪くなるのを覚えてます。祖父は明石沈没後、一式陸攻で日本に戻り、その後、横須賀工廠で任務したようです。
思い出したくもなかったのでしょう。
太平洋地域の米海軍後方支援部隊は、40隻以上の各種工作艦、100基あまりの浮きドックを展開してた。😅
素晴らしい特務艦!
こういう艦を何隻配備できるかも重要な軍事力の指標なのだと、あらためて深甚に思う
あと、『撃沈さる』という古風な表現
重巡高雄と妙高も損傷してシンガポールに在泊していたけど本土への回航や現地での修理もままならず
そのまま終戦を迎えたもんな~。防空砲台と言えば聞こえは良いけど・・😢
映画にして欲しい。
なるほどねえ。
常に泊地修理の光景…まるでイベ中のうちの鎮守府だ
世界一の海軍と太平洋を股にかけて大戦争をやろうっていうのに工作艦も給糧艦も余りにも数が少なくてびっくりする
4:53 日本海軍で大事にされた補助艦艇なら、給糧艦『間宮』がいます。
内地から、艦内の工場で菓子等の加工食品を製造しながらやってくると、その帰りには現地の司令官の判断で戦闘が発生する可能性の低い海域へ行くまで厳重な護衛が付き、『間宮が襲われている』と入電があれば現地の司令官の判断で間宮を助けるための戦力が派遣されるといった具合でした。
なお、当時の米軍では、間宮も別の意味で明石と同等の最重要攻撃目標になっていました。
工作艦より甘いものを重視するのは人として仕方がないのかな。
当時の日本では明石クラスの艦は何隻もつくれなかったんですね。
竣工当時は作れなかったということは無いかもしれませんが、輸入工作機械が破格だったという理由でためらったのでしょうか?
オンリーワンの性能を、オンリーワンで運用していたら…うn。
高級工作機械も満足に造れなかったから。
おっしゃる通りです。
戦時急増(松型駆逐艦みたく)をすれば、他の船も被害を最小限出来たと思う。
今でも公共工事で新設の工事には多額の補助金が出るのに対し、メンテナンスにはあまり補助金が出ません。それでも、物事を良く分かっている者が必要性を説いたのでしょう。丁度、ウクライナの戦車修理部隊の存在のように。
工作、修理の鬼や神様みたいな人が乗艦してたんでしょうね。
さて自分がゲームで使うとしたら、要修理艦の優先順位に悩むだろうなぁ😕
明石と間宮は沈没させられたら空母並みにガッカリする
ヒーラー(工作艦)と魔導師(空母)、アイテムボックス(運送・給兵艦)、シーカー又はアサシン(潜水艦)は先に潰すのが鉄則。戦士やタンク(砲艦)は波状攻撃でどうとでもなる。
レーダーと言い補助艦艇と言い、日本もきちんと準備はしているのに優先順位の付け方が間違っているという
陸軍は電探の必要性を早くから気が付いていたが海軍は逆探される事を恐れ電探には否定的だった
@ レスター-d6t
電探に否定的とは、どういう意味でしょうか?
多くの艦艇には電探が設置されていますし、単に日本の技術力から来る信頼度の低さを嘆いていたとは思いますが。
逆探も作戦に取り入れていたので、意味も無く恐れていたとは思えません。
@@八意思兼神 日本海軍は索敵用の電波を敵艦隊に向けて飛ばすと逆探されて自分達の位置を相手に知られる事を恐れたのですが電探の必要性に気が付いた時には独自な開発する時間的余裕が無くて一足先に電探を実戦配備していた陸軍に協力要請して艦船用の電探を開発しました
@@八意思兼神確か初期の会議で電探の話題でお偉いさんが電波を出せば、自分たちの居場所がバレるではないかと一蹴されたなんて話を読んだことがあります。
英軍の捕虜から八木アンテナの話を聞いて八木とは何ぞやみたいな位の軍隊ですからね。
米軍でさえ調整が難しく制式化に難儀していた(難儀していた横で改良版を量産化する米帝)物を、戦時日本下で量産化できるはずもなく。
逆探を恐れて~の下りは開戦前の話とかだったような?
理論も当時世界最先端でしたが、開戦までに量産化も出来ない工業力の低さが徒となり、積載可能改良版が完成したころには艦艇が沈んで籍がなかった時期。レーダ技術を侮り開発をしなかったというのは語弊があり、実際に開発は戦前から続いていましたが積むだけの実用域に達することが出来なかっただけかと思います。
敵鹵獲資料に八木アンテナが載っていたのに知らなかったという逸話の1942年頃は陸でも海でも使われており、資料中の「YAGI」が何を指すのか捕虜に尋ねた際に「八木博士が開発したアンテナ」のことだと知っただけのような気もしますが、日本軍ではレーダを知らなかったという話になっていますね。
日本軍は攻撃以外は盲目で兵站を含め戦闘以外は一切無関心だった事が自ら戦局を悪化させていった
正解
これが正当
後方の補助艦艇を充実させる=前線の戦力が減る→敵に勝てないか負けやすくなる→前線が負けたら後方は意味が無いとなります。
海軍工廠にもないドイツ製工作機械と熟練工の存在は大きかった。運用音痴の海軍も間宮と明石には手厚い護衛をしていた。
武蔵屋旅館に大和ホテル~か工作艦の裏の力は報われない、
トラック空襲でもパラオ空襲でも、連合艦隊主力が先に退避して明石のような貴重な特務艦や大量の輸送船を喪失してますね。
理由は山本五十六、古賀峯一長官まで連合艦隊司令部が第一艦隊所属の大和や武蔵に座乗していたことですね。だから「柱島艦隊」のままでは士気にかかわるとトラックまでは出てくるものの激戦の最前線に投入するわけにも行かず、今度は「大和ホテル」「武蔵旅館」と揶揄される始末。アメリカ機動部隊出動の情報を得ても捜索が空振りに終わったりして重油を無駄に消費するばかり。
少なくともミッドウェー海戦後からは連合艦隊は司令部を日吉のような陸上に移し、「大和」「武蔵」だけでも前進部隊の第二艦隊に編入していれば良かった。その方が両艦もよっぽど有効活用できた気がしますし、海軍甲事件、乙事件も起こりようがなかったでしょう。第三次ソロモン海戦で新戦艦に属する「ワシントン」が大正生まれの「霧島」を討ち取ったのも、何とも言えない皮肉な出来事ですね。
一方でアメリカのニミッツは戦争中一貫してハワイから指揮を取ってますし、旧式戦艦は艦砲射撃、新戦艦は機動部隊の護衛と役割分担してます。
日本海軍にしろ陸軍にしろ頭から兵站を軽視したというよりは、短期決戦一択で少ないリソースを決戦兵力に全振りしてしまった結果、後方支援まで手が回らなかった、というのが真相なのだと思います。
「トラック空襲」では、大型タンカー4隻を失いました。
日本海軍は艦隊決戦で戦争を終わらせる為に血道をあげていたから贅沢な艦だと思っていたんでしょうね。
「明石」は当時日本海軍が盛んに建造していた一万トンクラス艦型をベースにしているので、無駄に軍艦じみた設計にしているのが難点か…。
この一万トン型船体を大量生産していたのなら意味があるが、出来ていないし、基本、工作艦は商船構造の方が合理的。
もちろん海軍としては工作艦の重要性は認識していただろうが、「明石」にトッピング全部盛りという発想は、とてもではないが健康的ではなかった。
形が違うだろ。
決して恐れた訳じゃないだろ(笑)
明石を大事にしなかったから…
おっしゃる通りです。
戦時急増(松型駆逐艦みたく)をすれば、他の船も被害を最小限出来たと思う。
“最重要攻撃目標”😂
古今東西、ロジスティックを軽視した軍隊が勝ったためしが無い!
松型駆逐艦みたく、量産すれば、他の船も被害を最小限出来たと思う。
今更だけど明石元二郎からこの明石はとった名前なのかな?
明治天皇の意向により日本海軍は他国と違い人名からは取りません
この動画で艦名の由来が『明石の浦』であることが説明されています。