毛利家4本目の矢!宍戸家の御末裔登場!!
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- Опубліковано 7 сер 2024
- 日本の歴史が動くとき、そこに毛利あり。
鎌倉政権樹立
天下分け目の関ヶ原
明治維新 etc…
毛利家は日本の歴史の大きなターニングポイントに深く関与してきた大名家です。
このチャンネルでは、徳山毛利家第14代当主の毛利就慶氏が、当事者ならではの裏話や秘話も織り交ぜながら、日本史への興味を掻き立てるような動画をお届けします。
大名家の当主が現代日本においてどのように暮らし、何を思うのか、等身大でありのままの姿でお伝えしてまいります。
「こんな話を聞きたい」というようなご意見ご要望は、ぜひ各動画のコメント欄にお寄せください。
毛利就慶氏への講演依頼も承ります。
なお、毛利就慶氏は歴史家ではなく、毛利家に伝わる言い伝えや独学の情報を基にお話ししていますので、動画で話す内容の真偽を保証するものではございません。
ご理解の上、楽しくご覧いただけますと幸いです。
当チャンネルを通じて歴史を学ぶことで、日本に関心を持ち、ひいては日本やその先人たちを誇らしく思う、そんな方が1人でも増えれば望外の喜びです。
このチャンネルは小説家の中川秀彦氏のご支援、視聴者様からの投げ銭、Google広告掲載料によって運営されています。応援のほど、よろしくお願いいたします。
『神に選ばれた男 児玉源太郎』中川 秀彦 (著)
この小説の主人公、児玉源太郎大将は、毛利家歴史チャンネルの語り手、毛利就慶氏が当主である徳山藩の武士でした。
ウイルスの概念もない明治末期に「検疫の大切さ」を理解していた軍人がいた。日露戦争を勝利に導いた名将にして、武力に頼らず台湾を近代化に導いた偉大な政治家でもある児玉源太郎。 その活躍と人生を余すことなく語り尽くす。
amzn.to/3aJqNiH
#日本史 #毛利 #山口県 #徳山 #教養 #大名 #末裔 #歴史 #戦国大名 #明治維新 #戦国時代
毛利家と宍戸家のそれぞれの子孫が先祖代々の関係を大切にしているところが素晴らしいです。
長州藩は明治維新の担い手となりましたので、宍戸家も日本を変えるために力を尽くしたことでしょう。
このことを知ると、日本をいい国にしていくために色々頑張っていかなきゃなぁと思います。😊
いつも、コメントありがとうございます‼️
はい。色々後世に評価はありますが、尽力してきたことも事実です。
それにしても、最後の一文。ご覚悟が素晴らしいですね👍👍👍👍
お待ちしていました!
宍戸家✨
亡き姑の旧姓です。広島市安芸区の一山全部に宍戸家一族のお墓が有ります!
「出迎えの松」と言った参勤交代の帰りを迎えに行った地区に有ります。
松はもう有りません。
詳細を知る方から、色々お話を聞くのは、大切な事と痛感しています!
コメントありがとうございます❗
それは、是非一度訪ねてみたいものです。
また、色々と教えてください⤵️⤵️⤵️
先祖を語れ誇りに持てる家系とはなんと素晴らしいことでしょう 感動しました
いつも、ありがとうございます‼️
最高の褒め言葉👍👍👍
毛利家を支えてきた家と現在でもつながりがある、素敵ですね👍🏻
末裔対談シリーズまたぜひ⭐️
いつも、ありがとうございます❗
はい。企画したいと思います👍👍👍
初めてコメ差し上げます。私は、宮城県北部に住む者です。先祖は伊達家の分家の登米伊達家の徒でした!私も歴史が好きで調べましたが、殿のお祖母さまは南部家から輿入れされたのは殿の動画で知りました。お祖母さまのお母様が確か伊達宗城公の娘さんだったとか系図をだとると面白いですね!
初コメントありがとうございます‼️
素晴らしいご先祖をお持ちですね。
そして、登米伊達家のこと覚えました‼️
毛利一門の様に伊達の重責ですね👍️
祖母は南部から来ています。 なので、宇和島の血が流れています。あ、そうしたら政宗公も‼️
山県半蔵=宍戸たまき この方は長防合議書を創起した方ですね。印刷局が拙宅のはす向かいで隣が広沢や有吉佐和子の曾祖父の熊次郎の生家があります。幕末にうちの前を確実にこういう方たちが通行していたと思うとへんな感じがします。杉孫七郎も萩屋敷は近所です。杉は欧州へ、山県はアムール川を遡っているのでは?杉は特にスフィンクス前で侍姿で写っている可能性があります。また咸臨丸で渡米した毛利家家臣になった北条氏子孫もいます。この三人の人物はそっちの方に興味があります。宍戸宗家は徳修館裏の屋敷にお住まいですね。右田毛利家との領地替えで
元就公の歯廟が宍戸家の墓所と隣接している。ややこしやーややこしやー。
流石刀禰さん‼️
勉強になるし、あ、そうか、それこそ萩の近くを生頼してたわけですね👍️
熊毛の宍戸さんにも1度お会いしたいなあ。
@@mourihistory 様 是非ご対談ください。三丘も現在は周南市。元就公の歯廟も右田毛利家や宍戸家ではなく徳山公がお祀りするのが妥当だとかねがね勝手に考えております。周南市の企画でも是非取り上げてもらいたい徳山公と宍戸家です。
元就公の頃から続く一門集の絆を絶やすことなく、毛利家と宍戸家の子孫の方々が現代までお互いの関係を紡いでいるなんて素晴らしいですね。こういう関係があるからこそ、幕末の動乱期でも挙藩一致体制が築けたのでしょうね!
いつも、ありがとうございます⤵️⤵️⤵️
はい。お陰様でこの様に素晴らしい関係が続いております。でも、それは本当に先人のお陰ですね❗
画面越しからもおじ様との仲睦まじさがにじみ出て感じられ、ほっこり致しました(^^) 明治維新の当事者は毛利家だったと感じさせるお話ですね!長州藩の中で織り成される人間関係を教えて頂き、大変勉強になりました!
いつも、ありがとうございます‼️
そして、お心遣いに感謝です。
こちらこそです。
明日は元就の墓前祭です👍️
萩藩毛利一門六家筆頭の宍戸家の御末裔のお話を聴けるとは・・!
正に、このチャンネルの醍醐味であります。
徳山毛利公 御座下
林さんのお褒めに預かり👍👍👍
明治から昭和の知らなかった歴史を教えて頂きありがとうごさいます
品のある大叔父様ですね!
毛利家は一門で絆があり素敵です
福岡の毛利家歴史チャンネルファンより
いつも、ありがとうございます⤵️⤵️⤵️
おじも喜んでると思います👍👍👍
そういえば、僕 剣道してたのですが 僕の先生が品川先生と言って品川弥二郎の子孫?一族?って言っておりました。
いつも、ありがとうございます‼️
ええ。それはそれは、ご縁ですね。
強かったのでは?
@@mourihistory 先生は今も指導を続けておられて、生徒は毎年のように全国大会にでております。
花燃ゆに出ていた人たちの名前が出てきて嬉しいです!狛江市の近くの世田谷区には松陰神社がありますね!
大叔父さまとお顔がそっくりですね。
そうなんですよ‼️
花燃ゆ、辺りの人々の名前が登場してきて僕も驚いてます。 似てますかね、、(笑)
よく似ていらっしゃいます!素敵なご関係ですね。
こんばんは
宍戸のご当主様から貴重な逸話ありがとうございます。
明治初期宍戸璣、寺島宗則、井上馨らが清国の李鴻章と外交交渉の話は存知上げていました。現代訳文に訳した外交文書読んだ事あります。当時の先人は歴史をよく理解しています。
他の逸話も興味深く聞き入りました。
ありがとうございます
うわ。。。
フミカミさんには敵わないや、、、(笑)
でも、そう言った人が居てくれてこそ、歴史が残っていくんですね。
有難いです
@@mourihistory
様
先人には感謝しかありません。
ペリーが来る前から日本は騒然としてました。
北方においてはロシアを警戒。
蝦夷、樺太には東北諸藩のうち幕府は伊達氏、津軽氏、佐竹氏、会津松平氏に蝦夷、樺太の防衛、警備を命じました。
ペリーが来る10.年前にフランス軍艦が来琉。南方は薩摩藩の付庸国になっていた琉球国の防衛、警備を幕府は薩摩藩に命じました。時の琉球国王は薩摩藩士に[琉球国を守ってくれてありがとう感謝する]と感状を発行したほどです。
宍戸璣ら外交交渉した時期はまだまだ日本は近代化の道を歩んだばかりで強国ではなかったので大変だったと思います。
グランド元アメリカ大統領が仲介に入りましたが交渉はまとまらず。
後の沖縄返還においては宍戸璣、寺島宗則らが作成した外交文書の中身から引用して日米両政府に嘆願書を送りました。
先人らが作成した外交文書は沖縄返還の一因にもなり役に立ったと言われてます。宍戸のご当主のおっしゃる通りです。
沖縄返還時の首相は佐藤栄作さんですね。
川瀬真孝は萩藩出身で外交官後に明治天皇の侍従長。
歴史は奥深いですね。
6月23日沖縄では慰霊の日として大東亜戦争•沖縄での戦で散華された御霊を静かに弔う日に地元の有志が集まり各県の塔に冷たいお水と沢山のお花を供えてくれています。
山口県出身の戦没者には現地で防長英霊の碑と名付けられいます。
宍戸家ご当主は殿様そのままの品格をお持ちの方ですね
殿の人脈を通して縁のある人達の話が聞けたら幸いです
いつも、ありがとうございます⤵️⤵️⤵️
お品のあるおじさまです(笑)
これからも、色々と企画したいと思います👍
こんばんわ!拝見しました!
宍戸家、毛利家から養子をとって家を存続しておられたことに驚きました😳
おふたりとも顔がそっくり!
それにしても今回のお話は歴史オタクにはたまらない内容でしょうね。
一門八家と言えば益田家や福原家も気になります。
余談ですが安芸宍戸家が住まれていたお城、五龍城という名前が個人的に好きです。😊
いつも、ありがとうございます❗
なかなか、幕末、明治の聞けない話ですよね👍️ そんなに似てますかね(笑)
確かに、強そうな城名ですよね。
母方の実家が宍戸家の直臣でした。高祖父と宍戸家の当時のご当主が一緒に写っている写真が今も残っています。宍戸家の当時のご当主は立派なお髭を蓄えた御仁でした。
コメントありがとうございます❗
それは、素晴らしいですね。
機会があれば是非、拝見したいです👍️
宍戸家は聞いた事なかったですが毛利家と深いご縁がある家だったんですね‼️
また一つ勉強になりました😊✨️
ありがとうございます🙇♂️
そう言えば昔、ある芸人さんが私のお爺さんとお話しされている事があり何故だろうと思ったらその方も私の家系とは直接は関係ないだろうけど一緒の苗字、出身だと分かり驚きました😳
きっと遠い親戚にあたるのだろうけど何か不思議なご縁もあったりしますよね😊
いつも、ありがとうございます❗
上杉で言ったら、どの家に近いかな?宍戸は。
そう言った出会いはきっと偶然ではなく必然ですよね❗
宍戸家はもともと、常陸国の小田氏の一族で、鎌倉時代は常陸国守護職も務めた名族ですね!
茨城出身なので、親しみがあります。
あの 八田殿の末裔 なのですね
コメントありがとうございます⤵️⤵️⤵️
宍戸の源流まではちゃんと、調べておりませんでした。
坂東武者ですね👍️やはり。
茨城、常陸なんですね。
八田ですか❗
@@mourihistory
返信ありがとうございます!
今も茨城の笠間市に「宍戸」という地名は残っています(宍戸駅、宍戸小学校など)。
毛利家もそうですが、関東にルーツがある家には親近感を感じます。
同じ画角に収まるように工夫しながら撮影しているのもあり、親族おふたりがほぼ接している事も一心一体表出してました😊
いつも、ありがとうございます‼️
お心遣いにも感謝です。
新しいカメラなので、なかなか操作が、、(笑) でも、良い思いでになりました。
@@mourihistory 新しいカメラを導入おめでとうございます!チャンネルのさらなる成長に新カメラが寄与すると思います😊
こんばんは。
狛江市ご在住の大叔父様宍戸旦様からの貴重な歴史のお話を拝聴でき感謝です。
旦様の一文字のお名前、とても素敵です。
ご会話の中の
楫取素彦様は蚕糸業にもご尽力された方だったかと…🐛
今回は素敵にご年齢を重ねていらっしゃる宍戸旦様と歴史を担っていかれている就慶様の魂の触れ合うご会話とお人柄を拝見できて素敵でした。
東京の中には自然豊かな場所もまだたくさんあるのですね。😊🌳🏞
いろいろ勉強になります。
いつも、コメントありがとうございます‼️そして、相も変わらず、嬉しくなる秀逸な優しいメッセージにこちらが、感動です👍️👍👍
お疲れさまです。あれ?今週も確か東京(お江戸)編が続く?との事でしたが萩市内の武家屋敷かなっと思いましたが狛江市!東京都内で純和風のお屋敷で且つこの広い敷地。立派過ぎて一瞬クラっとするぐらいのお屋敷ですね。
そして出てくる人物名が近代史の著名人物 極東裁判の裏方の攻防(やましいとか陰謀論とかじゃないですよ)のお話・どんな駆け引き・想いがあったのか深いですね。是非宍戸の大叔父様ご推薦の本などがございましたら教えてください。
また来週楽しみにお待ちしております。
佐藤さん‼️
東京ブラモウリも予定しておりますが。
ここで、真打ち登場(笑)
僕も知らない話を聞けて良かったです。
極東軍事裁判の話なんか、嬉しいし誇らしいですね。叔父に聞いておきますね👍️
毛利家と宍戸家が吉川家や小早川家と同様に深い関係があったことは知っているが、
明治時代にも毛利家から2代続けて養子縁組をしていたとは知らなかった。一般には
毛利の両川としてしかあまり知られていないと思うが、宍戸家は姓こそ異なるが、
切っても切れない毛利家の一族のように思う。
いつも、ありがとうございます‼️
大事な四本目の矢ですね👍️
前々から名前が上がってた宍戸家ですね。
お顔、やっぱり似てらっしゃいますね☺️
いつも、ありがとうございます‼️
やはり、似てるのかなあ⁉️
大事なおじと似ていて光栄です。
お二人が並ばれると親類縁者であることがよく理解できます。
ありがとうございます⤵️⤵️⤵️
かなり、血縁が濃いので(笑)👍👍👍
殿、宍戸の大叔父様とかなり似てる様に見えました。貴重なお話も聞く事が出来て、ありがとうございました。ぜひ続編お願いします。
敬愛する、おじに似てると言われて嬉しい‼️ 続編、交渉してみます(笑)
凄いですね!
毛利家を守ってきたんですね!
宍戸あっての毛利です👍️👍👍‼️
広いお屋敷にお住まいで、萩かと思ったら狛江市ということで、びっくり。立派なお顔立ちでしかも頭脳明晰、昔のことがスラスラでてくるのに更にびっくり‼️お話の中に「木戸日記」がでてきましたが、今日読んだ「落日燃ゆ」の中に、丁度、木戸が、裁判にこれを出すかどうか迷うところがあって、正に昭和史の生き字引の様な方ですね。まだ、最後の50ページが残ってますが、広田の「自ら計らわぬ」生き方に、惹き込まれています。叔父様の、広田に対する意見を聞いてみたいです!
すずさん‼️
この場を借りまして。
ありがとうございました⤵️⤵️⤵️
そして、撮影場所は狛江市にお願いしてお借りした場所です(笑)
そして、落日燃ゆ。嬉しいですね。
確かに、一番のメインとすら言える木戸日記ですね。 聞いてみたいと思います👍👍👍
没有没有。不用謝。(一応、中国語)昨日、残り読んで、広田は奥様の死ですでに死を覚悟してたから釈明を一切しなかったのかと思いました。城山氏が、広田の対極に描いたY氏(お孫さんが、現役)さもありなんという感じでした。それにしても、生きていて欲しかったと多くの方が思ったと思います。
本当に人生は解らないですよね。。。
「毛利先生」、「宍戸 旦」様動画を拝見しました〜。
流石に、「毛利家」様の一門の繋がりは矢のように束ねると強く素晴らしいと思います。
「毛利先生」と「宍戸 旦」様が近い間柄だと知り嬉しく思いました。
しかし、「宍戸様」の住まわれてる屋敷は広くて良いですね。
「1000〜2000坪」、いや「数千坪」ぐらいはありそうです。
立派な門が遠目に写りオオッと思う気がします。
ふと、「松下村塾」を思い浮かべました。
当時「下級藩士」殿のレベルが高くて恥ずかしい気分を感じるような感覚が何故かあります(笑)
黒田さん‼️いつも、ありがとうございます⤵️⤵️⤵️そして、お心遣いまで。
あの撮影場所は狛江市の協力を得てです(笑)
黒田さんの方が凄いお屋敷なのでは⁉️
「毛利先生」、回答ありがとうございます〜。
なるほど、「狛江市」の協力で動画を撮影されたのですか。
立派な屋敷で、流石に「一万石」を超える家は素晴らしいと思います。
子供の頃に訪れた「黒田宗家、秋月黒田家」の屋敷は、敷地が広く子供ながらに感動をした覚えがあります。
東京の「三奈木黒田邸」も敷地が広く素晴らしい場所だと思いました。
他の一門の特集も楽しみに待っています!
NHKの大河ですと、元就公のお父さんのときは、江の川を挟んで、よく宍戸家と合戦をしていたとのこと、元就公のときに親戚になって、それからの縁ですかね。歴史ですね。どこで戦っていたのでしょうか?長見山城(渡辺勝)のちょっと先くらいでしょうかね?五龍城って、ほんと郡山城とほぼ繋ぎの山の北側にありますよね。。お隣さんです。ちなみに、大河は、話が深すぎて、今では1話を通して視れなくなりました。いつも途中で場所や戦い、武将をウェブで検索し、歴史の渦に巻き込まれてしまいます。それ以来の宍戸家が続いているのは、本当に貴重です。感動して涙がでてきました。ありがとうございます。
お久しぶりです‼️
本当に、あんな隣同士の家が仲良くなり今まで続いていることに、ビックりですよね。
大河で途中で解らなくなる、、、あるあるですね(笑)
ん〜殿の「長州閥」という台詞には笑いました!
言い得て軽妙でございます。
いつも、ありがとうございます✴️
なんか、あまり良くない使い方かも(笑)
この紹介システムいいですね!「友達の友達はみな友達だ、世界に広げよう友達の輪!」ですね!
お酒は何を飲ませてあげるのでしょうか?ズバリ「毛利公」でしょう。
次の方はどの地酒を飲ませてあげるのでしょうか?
「地酒リレー」もいいですね!
撮影は緊張しますので、酒を少し飲んでから撮影してもいいかも?
あ、それいいですね(笑)
おじさまと一回毛利公で一杯やります。
そして、この様に少しでも歴史を残すことに賛同して貰えたら嬉しいですね👍️
企画しないと、
動画撮影お疲れ様でございました。
毎回、殿の動画は毎回勉強になります。
そうですよね。宍戸隆家と言えば元就公の一門衆として
毛利家家臣団の図でもかなり一門に次ぐ上位に描かれていた認識があります。
旦様は血縁的にはかなり徳山毛利家ですよね(笑)。
恥ずかしながら身分の違いは大きくありますが、
うちの先祖の飯田家も船出組同士で婚姻関係が盛んで、
飯田家には平岡家から嫁いできたり、
その娘が平岡家に戻ったり、交流があるようです。
また、平岡家の系図を見ていると何代にも渡って能島村上家から妻を迎えたり、
船出組は船出組同士で繋がりが多かったみたいですね。
飯田家最期の当主の娘が私の曾祖父加嶋五郎の母に辺りますが、
加嶋五郎は学業の慰労だったか何かで、毛利家の殿様(明治か大正の時期に)の方に
食事会に招かれたと祖父から聞いておりますが、いつのご当主でしょうね。
もっと詳しく聞いておけば良かったです。
曾祖父の同窓生には岸信介元総理や安岡正篤さんがいらっしゃり、生涯交流がありました。
曾祖父の兄は贈陸軍中将で重砲兵学校の校長を務めていた際に昭和天皇に教えていたそうです。
自分のことではないですが、先祖や親戚を辿ると色々繋がりが判って面白いですよね。
歴史研究にのめり込むキッカケになりました。
やはり、江戸時代の毛利家の管理体制がしっかりしていたことと、
山口文書館という日本最初の文書館があったお陰でかなり調べやすかったので本当に毛利家には感謝しかないです。
上の世代がいなくなってしまったので、少しでも記録を残して次の世代に引き継いでいきたい、と考えています。
いつも、ありがとうございます❗
なるほど、それこそ書物に残されたら如何ですか。
その様な歴史こそ残しておくべきかと。
やはり、海だけあっての素晴らしい姻戚関係。 勉強になります。
それに、歴史は繋がっているんだなって。
@@mourihistoryお言葉痛み入ります。そもそものキッカケは10年前に私の面倒を見てくれた祖父との別れが近いことが判り、山口文書館や親戚や現地の調査される方の助けを借りながら、自身の職業で使っているCADを駆使して自分なりに独自の家系図を作って祖父に見せたことが始まりです(生きている間に間に合いました!)。それは自身の後の世代にも残そうとは思っています。
自分なりに調べてみて、海の者同士で強い結び付きがあり、大きな毛利家の中で歴史が続いていたことを知って胸が熱くなりました。
しかも、まさか遠い憧れの存在でしかなかった毛利家の君主様と繋がれる時代が来るとは、祖父もきっと喜んでいると思います。
祖父とは生前毛利家の話や先祖の話をよくしていたので、嬉しくて祖父の墓前で報告させていただきました。
殿とのやり取りは私にとっては誇りです。
本当にありがとうございます。
それは、かえって恐縮です。
就慶殿こんばんはでござる、宍戸家の末裔でござるな、名門宍戸家、良いお家柄ででござる😊
おじさんでござるよ‼️
とても、優しいおじでござる👍👍
宍戸宗家かと思いきや、宍戸璣さんの別家の方でしたか。宍戸家については一度動画を出しましたが、改めて、というか待望の大叔父ちゃま登場楽しみにしておりました。🤩
宍戸家と毛利家がなぜ戦国時代に争っていたのか。どうやらその淵源はかの応仁の乱のようです。
応仁の乱当時の毛利家関係の各家は、宍戸家と吉川家が細川京兆家(当時の当主は管領の勝元)に従い、細川勝元の母の実家が京極家で、そこの重臣が尼子家、西軍の総大将山名家でただ一人東軍についた宗全の次男是豊の配下が元就公の祖父豊元公で、小早川家は沼田の本家が東軍、竹原の分家が西軍(大内家)で、早い話、元々皆東軍つながりだったようです。😀
ところが、山名是豊の下で不満があったのか、豊元公が大内政弘の誘いに乗り、大内家に従うようになったため、必然的に宍戸家と吉川家、山名是豊と戦うことになったわけですね。
この頃の宍戸家当主は隆家の曽祖父元家で、彼は常陸宍戸家出身だったが、元々の安芸の宍戸分家を乗っ取ったようです。
これは自分の推測ですが、宍戸家の通字は「家」ですが、元家から細川家からの一字拝領している所から察するに、安芸の宍戸家はおそらく当初は山名家に従う西軍だったけど、元家が主の細川勝元の命令で安芸の宍戸家を乗っ取ったのではないかと思われます。
いずれにしろ、宍戸元家と毛利豊元の戦いから端を発する両家の争いは、宍戸隆家と五龍殿の縁組で両家一体になるまで続いたわけですね。
興味深いのが、毛利、宍戸、吉川三家と毛利、宍戸、小早川三家が縁戚でトライアングルを形成している所です。
毛利、宍戸、吉川三家
①毛利と宍戸・・・宍戸隆家と五龍殿
②毛利と吉川・・・元就公の正室が吉川国経の娘、元就公の姉が吉川元経(国経嫡男)の妻で興経の母
③宍戸と吉川・・・宍戸元源(隆家の祖父)の娘が吉川興経の正室(隆家から見れば叔母)
毛利、宍戸、小早川三家
①は上に同じ
④毛利と小早川・・・興元公の娘が竹原小早川興景の正室
⑤宍戸と小早川・・・宍戸元源(隆家の祖父)の娘が乃美隆興の妻
乃美隆興は小早川一族で、小早川隆景を支えた乃美宗勝のいとこであり、元就公の側室乃美の方は隆興の姉妹か娘と言われる。
重要なのは二つの縁戚トライアングルの柱が毛利、宍戸両家であり、この二つのトライアングルがあったからこそ吉川元春、小早川隆景のそれぞれの養子縁組が成立した部分もあったのではないかという事ですね。まさに、縁の下の力持ち、宍戸家。🤩
宍戸璣さんがなぜ宍戸を名乗ったかについては、個人的推測として、毛利家にとって宍戸家は外交交渉の要ではなかったかと思われる所ですね。
なぜ宍戸家が一門筆頭になっているのか?それは宍戸家の当主が毛利家当主の意思を代弁する立場として外部に認識されていたのではないかと。
つまり、敬親公は山県半蔵という優秀な若者に「宍戸」を名乗らせる事で、長州の外交交渉を任せようと考えたのではないかと。
毛利家は宍戸家と結ぶことで京都の中央とのつながりを確保しようとしていた節があります。隆家の時代からの伝統が、「宍戸璣」の誕生に繋がったのではないかと思えるのです。
・・・もっともこれが正しいと言い切るつもりはありません。あくまで自分の考えたフィクション物語として読んでいただければ幸いです。😅
@@user-je8qi6rn8k 様 大変勉強になりました。宍戸家の役割もそうかと思います。高杉も四ヶ国との談判でも宍戸を名乗っております。山県も長州征伐時そういう任についています。敬親公、元徳公の家臣への姓名の与え方は独特で面白いですね。
@@user-rz7oy1vn7z 刀禰様ありがとうございます。毛利家に従った後の宍戸家の役割はあくまで宍戸家の動向からの推測ですし、証拠がはっきりあるわけではないので、フィクション物語とさせて頂きますが、しかし、宍戸家に縁があるわけではない人物に藩の命令で宍戸を名乗らせるのは、当然ながらなにがしかの意図があってやっていると考えられるため、そこから色々な事が見えてくる訳でございます。😄
うわ‼️凄い‼️
勉強になっております。
おじも、大変楽しみにコメント読ませて頂いてると連絡が来ております。
お疲れ様です。いつも楽しく拝見しています。宍戸家ご当主のお話は非常に興味深いものでした。お屋敷の広さも気になりましたがご当主の長州閥の人間関係がとても気になりました。次回があるのか分かりませんが期待しています。大河ドラマ毛利元就で宍戸隆家役の加勢大周氏と五龍姫役の高橋由美子さんを思い出しました。
薩摩藩豆知識第2弾
島津家にとっての悲願だった薩隅日三州統一を成し遂げたが日向の伊東義祐公が大友宗麟公を頼って豊後に落ち延びたことで両家の緊張が高まった。長い間島津家と大友家は事実上の同盟関係にあった。しかし旧領の回復を伊東義祐公と勢力を拡大させたい大友宗麟公の利害が一致し大友家による日向侵攻が決定した。それに対して耳川以南まで勢力を拡大した島津家は高城に勇将山田有信を入れ、佐土原城主の末弟中書家久、都於郡城主の鎌田出雲守政近らで防備を固めた。
いつも、ありがとうございます‼️
おお、とうとう宗麟まで出てきましたね👍️👍👍
民草1号:ご家老の皆様はご苦労されたのですね。
国司、福原、益田、各ご家老のご無念を思うと、皆様立派でしたね。
いつも、ありがとうございます⤵️⤵️⤵️
等しく、本当に先人の涙と努力の結晶ですね。
殿、投稿お疲れ様です!
そして、宍戸旦様、お初にお目にかかります。何卒よろしくお願いします。
徳山毛利家より、お二人が養子に行かれていたことは初めて知りました。やはり、毛利家の四本目の矢の体制は、受け継がれていったのだなと思いました。
宍戸璣公が樺太に行かれた話も初耳でした。ロシアの南下政策もすでに始まっていたので、旦様もおっしゃられていたように、ロシア人が住んでいる樺太へのあくまで「探検」という名目で行かれているのは、当時日本が「ロシア」領樺太と認識していたことを暗に示すと思います(これも、あくまで私見です)。
原田熊雄公が極東裁判の日記を記して、今に伝わり、裁判の内容が分かる資料として、これぞ一級資料に当たると思います。回天を含めて、戦争の事を忘れないようにしていくべきである上には、遺していただいた資料を教科書にも乗せるべきです。
そういえばなのですが、品川弥次郎は確か、確かなのですが、宮さん宮さんを作詞していたと覚えていますが、やはり本当なのでしょうか。
今回は、宍戸旦様から、本当に貴重であるお話を聴き、感動いたしました。また、聴きたいです。
宍戸様にもよろしくお伝えください。
いつも、ありがとうございます‼️
それにしても、ここまでちゃんとご覧頂いて、ご理解まで頂いて嬉しい‼️
宮さん宮さんは。品川さんですね👍️
おじにも、くれぐれもお伝えしますね。
@@mourihistory ありがとうございます。
ぜひ、お伝えしていただけたら幸いです。
宍戸さんもご友人の楫取さん杉さんにも私もお世話になっております。
特に杉さんは私が霞会館に入会する際に推薦人をして頂いたという御恩があります。
それはそれは、良かったです。
宍戸の叔父様は
「毛利家歴史チャンネル」のご意見番
といったところでしょうか❓️
あ、それ。とても良いネーミング👍👍👍
使わせていただきます⤵️⤵️⤵️
安芸高田市の甲田町にも宍戸さんと名前がつく方がおられます。もしかしたら末裔なのかもしれません、。
コメントありがとうございます‼️
間違いないかと思います。
輝元は本拠を市内に移す際に、また、萩に行く際に、やはり原点に大事な家臣、一族を置いていったのは間違いありません。
上杉さんも、秀吉による移動の際にその様にしてますね。 なので、遡ればそうだと思います。市議会議院でもいらっしゃいますね👍️
毛利さんこんばんは😊。
宍戸氏は「藤原北家」の名家ですね‼️。毛利さんと顔の形が何処となく似ていますね😅。
歴史の表舞台ではなく裏方で実務に昭和天皇そして🇯🇵の為に尽くされた方々をUA-camで知るきっかけになる場であり、それだけ毛利歴史チャンネルは大切ですね😊。
しかしお顔の形は似ていますね😅。
ヒロさん‼️
いつも、ありがとうございます⤵️⤵️⤵️
僕も、極東裁判のくだりは初めて聞きました。 誇らしいですね👍️
そして、おじに似てると言われるのも嬉しい❗
大河ドラマでは、加勢大周さんが、演じてましたね。😢
確かに‼️ 案外格好良かった👍
楫取素彦ってNHKの昼ドラ?朝ドラ?
ででんかったかな?
大河ドラマ?
(๑◉ʚ◉᷅๑)?
吉田松陰の妹が主役だった?
何かで見た気がするよ〜な?気がするばい
なあ~んだ。ちゃんと、勉強しとるとね。
偉いバイね p(^^)q
@@mourihistory
(〃´・ω・`)ゞえへへっ♪
たまたまばい
ヨシヨシ ("⌒∇⌒")
山県氏は安芸武田家臣筋、杉氏は大内家臣筋。
コメントありがとうございます、
なるほど、凄い布陣ですね👍️
👍
👍‼️⤴️⤴️⤴️
宍戸家か〜
毛利の本読んでもあんまり何をしたとかって書いてへんばい
~(=^・ω・^)σ
毛利家にとって重要な家とは書いちょるけど
ゲームでは率先して仲間にするけど
あ、勉強せんとイカンバイね❗
(*`Д´)ノ!!!
@@mourihistory
でも宍戸隆家がよく出てくる本おいら知らんばい
キョロ(・ω・`三′・ω・)キョロ
毛利一族もピラミッドのように裾野が広いですね。元就候がピラミッドの頂点とすると末裔はどれだけいるのでしょうか。
そうですね‼️ 数学的?物理学的?
に言ったら、それはそれは凄い数ですね👍️
お〜、宍戸家と毛利毛が今なお人的交流、血縁関係が続いているのはすごいですね!
元就の頃から江戸時代もずっと一門扱いですもんね。
かの高杉晋作も、四カ国艦隊との講和談判の際に、長州藩代表として、敢えて筆頭家老宍戸家の一族を詐称して宍戸刑馬と名乗って交渉に臨んだそうですね。
コメントありがとうございます⤵️⤵️⤵️
はい。今も、関係は続いております。
そう言えば、そうですね、晋作もそれで直談判に向かった経緯がありました。
一門として格の高い名前なんですね👍️
宍戸備前守元次公の子孫に当たられるのですか?
子孫としての宍戸家は今は山口に隠生されています。 ただ、男爵家として残ってるはずです。 叔の家は幕末に毛利家より命じられて宍戸となり、一時期は宍戸宗家の当主も務めております。
ご返信ありがとうございます。
当方、広島在住にして少しだけ毛利元就公、輝元公、穂井田元清公、宍戸元次公と縁のある所に住んでおります。
ここで話のはなんなので、また別のSNSにてお便りさせて頂きます😌
是非👍👍👍
石丸伸二さん当選しませんでしたね😢現代の毛利元就だったのに
すごい偉人の名前ばかり出てきて、わぁー😮となってます。
息子が、殿のおかげで社会は、成績いいんですm(_ _)m
その息子から、毛利家の家紋の説明って過去動画ありましたか?ってことなんですが…。
うわ‼️いつも、ありがとうございます⤵️⤵️⤵️
維新の偉い人が何人か出てきましたね(笑)
坊っちゃん、勉強頑張れ‼️
あります、最初の方の動画で、何故長州藩に、、、と言う動画が👍👍👍
@@mourihistory ありがとうございます😊
見ますね😀