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【ゆっくり歴史解説】伊勢神宮の誕生『1700年続く歴史ある建物』
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- Опубліковано 20 тра 2022
- 第十一代垂仁天皇の時代に伊勢神宮が誕生した話があります。
式年遷宮により20年ごとに建てかえられ、1700年前の神明造りが未だに続いています。
古くて新しい建物が伊勢神宮だと言えるでしょう。
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すごく俗な話だけど、お伊勢さんにいる2柱が天照と豊受の2女神で、合祀の理由が天照が「一人でご飯食べるの寂しい」が理由で呼んだり、各々のファンクラブが推し争いしたり(内宮、外宮の対立)色々と妄想がはかどる歴史や設定もりもりなのが良い!
現在は無いですが、五芒星っぽいモノが彫刻された灯篭があって、日本人ユダヤ人同一説とかもありましたね☆
@@EBIFRY20hey 豊受と関係が深い籠神社では六芒星がありましたね。ちなみにあっち方面にある綾部市は日本唯一、イスラエルのエルサレムと姉妹都市ですね。お隣の福知山市の市章はまんま六芒星です。
伊勢神宮の建築で用いられている棟持柱、千木、鰹木は弥生土器片や古墳時代の家形埴輪(今城塚古墳が有名)、囲型埴輪(玉垣の起源)、葛城の家屋文鏡に登場し、水稲の故地と考えられている長江流域の雲南省〜東南アジアに住むイ族(委族、倭族)、ハニ族も同じ文化を持っています。他にも注連縄、鳥居の語源の木彫りの鳥が乗る門(ハニ族ではロッコン)、新嘗祭もありさらに雲南省西部の古代滇国には卑弥呼のようなシャーマンがおり滇王之印は漢委奴国王印と一致するなど彼らの文化はかなり共通性があります。伊勢神宮や熱田神宮は四道将軍やヤマトタケルなど初期大和政権の東国進出の要衝に建てられたと考えられ吉野ヶ里からも門に乗っていた木彫の鳥が発掘されていて古い建築を伝える伊勢神宮、神社建築、神道の起源は倭国とともに倭面土国や奴国など北九州倭国や滇国に遡る可能性が高いです。
米国支社から四日市本社へ半年研修で送られたとき、伊勢神宮に2回お参りに行きました。
一帯が樹齢何百年の木々に囲まれ、とにかく荘厳な雰囲気に圧倒されました。
私自身は無神論者ですが、本当に何か神のような存在がそこにありそうなオーラが漂っていましたね。
お伊勢参りで忘れてはいけないのが、おかげ横丁と神恩太鼓。
お勧めは赤福本店で夏場食べられる赤福のかき氷。
伊勢うどんも美味しかったです。
観光目的でも一日楽しめるところで、一度は行っておくべきですね。
笠縫の村についてですが、笠縫村が在ったのは現在の徳島県美馬市美馬町にある 天都賀佐彦神社(あまつかさひこ神社)の近辺だっだのではないかと考えています。
この辺りは古来から傘作りで有名だった場所で、ここで作られた傘は 美馬和傘 として全国に数多く出荷されていました(現在はビニール傘との競合に負け、民芸品として
細々と作られています)。
そして同・美馬市には崇神天皇が創建した 倭大國魂神社 が存在しており、何かと崇神天皇との関係が深い土地柄のように思えます。
天岩戸の逸話でも天照大神は「あなたより凄い神様が来たんですよ」と言われたのがきっかけで外を覗き見ていますし、もしかしたら負けず嫌いな性格なのかもしれないですね。
伊勢神宮はもうだいたい30年くらい行ってないなぁ…
赤福餅が美味い
20年に一度建て直す伊勢神宮。「唯一神明造」というそうですが、高さ48メートルもあったという旧出雲大社と違って、そこまで大木が必要という訳じゃないのもあるんだろうな。
こちらも調べてみると、旧出雲大社は平均して25年前後で倒壊を繰り返していて、そのたびに造営するための巨木を探したとか。
神社はお願い事をするところではなくて、こうこうこれからしますという宣言の場所だという風なニュアンスのことを、地元の神主さんも、最近新聞に文章を載せてたww
天照大御神を祀ってるのは、伊勢の五十鈴川のほとりなんだけれど、これってサルタヒコですよね?
どこかで、太陽神が紀記に取り込まれたときに、同じ話を別々に記入してるのかな?と思った次第。
面白かったです。
イザナギが黄泉の国へ行きイザナミの醜い姿を見て逃げ戻る時遮りに投げた杖がクナドの祖神(さえがみ)
歳徳神(塞の神)=クナド大神(主神)・幸姫命(妻神)・猿田彦大神(息子神)を三宝荒神と云います
国津神の猿田彦命の案内でニニギノミコトは高千穂に降臨する。天鈿女尊は伊勢まで送り夫婦となる
猿田彦命が伊勢でヒラブ貝に挟まれ溺れ死ぬ(女神の情愛で溺れるのは表向き瓊瓊杵尊の暗殺指令)
〈高田崇文著QEDから〉内宮殿西北(乾の方角)に興玉神(猿田彦大神)が祀られている。乾は太陽の意味
あの神器が結構重要だったんだな
伊勢神宮は小学生のころ修学旅行で行った事があります
退院おめでとうございます
ご存知だと思いますが、うぷ主が入院してる間にゆっくり茶番劇商標登録問題という茶番劇がありましたよw
すいません。まだ、入院もしとりません。入院などに関しては、本日の17時の動画でも告知させて頂きました。
自分の説明が分かり難くて申し訳ないです汗
ありがとうございます!
ありがとうございます。めっちゃ感謝です!
伊勢神宮に行くならまわりゃんせが「伊勢志摩までの往復切符」「伊勢志摩内の切符」「バス乗り放題」「鳥羽水族館やスペイン村の入場券」がついて9,900円と値段設定がバグってるので超オススメですよ。
ミュウ釣りレベルですやんwwwww
それめっちゃお得ですやん。自分も是非とも行きたい所です^^
動画ありがとうございます。
建築技術が継承されていること、そこに別の意味で文化的な価値があるのかもしれませんね。
ヤマトタケルですか。まあ有名ですからね。
伊勢神宮の斎宮は源氏物語にも出て来ますね。
伝承によれば大和の国笠縫以外にも丹後の国 今の京都府北部宮津に元伊勢籠神社と 福知山にも元伊勢内宮(皇大神社)元伊勢外宮(豊受大神社)が元伊勢神宮として現存しています 今回のチャンネルでは触れられいませんが実際のところはどうだったのでしょうか、ひよっとして伊勢に落ち着くまではある周期で場所を変える事が遷宮だったのかもしれないのかなぁ。
次回は埴輪と土偶かー。
昔フランスのシラク大統領がその親日家ぶりを表す例として「埴輪と土偶の違いを説明できる」と言われていたことを思い出す。
外宮の建築様式は、千木勝男木から男性を祭っている様式なんだけれども豊後国風土記に載っている羽衣天女がのちの豊受大神になったと書かれているから女性は確定なんだよな
ピラミッドを式年遷宮していたらどうなっていたんだろう。解体して石をまた運んで、別のところに作り直すんだろうか
昔、住んでいたらしい。初めたどり着けると思えなかったが、タクシーを拾い、運転手から、これで行けると分かった時は嬉しかった。
動画を作ってくれる方に感謝します。面白いですね。臨場感あふれる感じです。これからも、面白く興味深く、視聴したい。
ヤマトタケルという発音は間違いで、末尾のルは後世の学者が勝手に付け足したと聞く。神皇正統記・古語拾遺にはルはないのです。確認してみてください。
稲荷山鉄剣などは解読に問題有。雄略天皇もワカタケが正しく、ワカタケルは誤りと吾は信じる。島根に五十猛と書いて「いそたけ」と読ませる地名あり。だからルは外すべき。
現在は考古学的に伊勢神宮創祀元年は第21代雄略天皇期の477年が最有力らしいけ伊勢神宮での具体的な祭祀の諸制度が整えられたのが第40代天武天皇以降なので、
このお二方の時代のどちらかで伊勢神宮の始まりがあったのが今のところ有力なのかなあ 今後の研究で解明されてほしいものだ
いつも投げ銭ありがとうございます。確かに、考古学的にはそうなりますよね。
でも、未だに続いているのは凄い事だと思っております。自分も今後の研究に期待です。
詳しい年代はやはり神社自体を掘らないと分かりませんが建築自体は崇神天皇や垂仁天皇の4世紀の古墳時代前期以前からある家型埴輪や囲型埴輪に遡りますね。
18:13 最後の神戸(かむべ)って、神戸と関係あるんだろうか...
同市内に御蔵通りってのもあるし(屯倉と関係?)
驚くべきは・・・古代の建築法って物理学で言う「構造力学」が確立する以前から,耐震性に優れ,過去何度も起こった大地震でも倒壊しなかった.法隆寺も五重塔も健在・・・現代物理学で解析すると,あらゆる部分に耐震性を考慮していることが分かっている.そうした技術は現代のビル建造にも役立っている・・・一体どんな天才が考えたのか・・・謎・・・
「この構造だと建物は傷みにくい/壊れにくいよね」っていうのを、感覚で分かってるお師匠の教えが、あらゆる弟子たちに口伝で脈々と受け継がれ続け、より良く磨かれ続けたってことなんだろうかね
なんかの漫画で人類は物事の仕組みを理解しないまま扱うことが出来るって言ってたんよ。まさにそれで長い年月で培われた経験知にもるものだよ思うよ
法隆寺の五重塔の例を出しているが、その他の五重塔や近世城郭の天守の多くが落雷で焼失している。何故に高い木造建築を作る必要があったのだろう?
逆になぜ法隆寺の五重塔に落雷しなかったのだろう?
(伊勢神宮とは関係なくてごめんなさい)
伊勢神宮に行って驚いたのは、真っ白な作業着に身を包んだ「神宮鳶」という神宮庁お抱えの専門の鳶さんがいたという事。
これまた真っ白なスズキエブリイで敷地内を移動していました。
やまとひめ早苗
ももそひめ輝夜
結構あってるかもともおもいます
月読尊はなぜひっそりされておられるのかな。
私は月読尊を尊崇しております。☺️
昔の日本史は雄略天皇から始まりました。神話的な部分は扱いませんでした。
最近になって神話の面白みに気付きました。
伊勢神宮の成立については大きく、①第11代垂仁天皇 ②第21代雄略天皇 ③第40代天武天皇 の3つの説があります。
①は、『日本書紀』垂仁天皇紀の「紀元前5年、祠を伊勢国に立てた。」というのを干支6回分ずらして、356年とする説。(今回のはこれですね)
②は、『日本書紀』垂仁天皇紀の一説「丁巳の年十月甲子のに日に、神のお告げにより天照大神を伊勢国に移した。」と『止由気宮儀式帳』の「雄略天皇は夢のお告げにより外宮を建立した」の合わせ技で477年とする説。(考古学的には最有力とされています)
③は、『日本書紀』天武天皇紀上の「朝明郡(三重県)で、天照大神を拝んだ」673年とする説。これは天皇家の本来の神様は、造化三神であったとするものです。
天武天皇は甥の大友皇子を斃して皇位についた(壬申の乱)わけですが、大友皇子が造化三神を祀っていたので天照大神を祀って対抗したという考えです。
古事記で造化三神の立場がよくわからないのは、完全になかったことにはできなかったという苦肉の策だったということですね。
すみません。文章が長すぎました。要約すると、多坐彌知津日子神社は略して多神社といい、奈良県磯城郡田原本町にあり。境内の資料館にオホノヤスマロの肖像あり、墓もある。
ヤマトタケル・ワカタケル・イソタケルはいずれも末尾のルを付ける説は誤り。島根に地名で「イソタケ」あり。学者の付和雷同は恐ろしい。動画楽しみにしています。
ついに伊勢神宮ですな。5年ほど前にお参りしてきましたが、外宮から廻った際にガイドの方から「伊勢神宮の本殿は願い事をするところではなく、感謝を述べる場所です」と言うようなことを言われました。願い事は他の神様が分担しているんでしょうね。それらをまとめて安寧を司る天照大神には感謝するのが正しいということのようです。あまねく光を照らす太陽神だからでしょうか。これも日本人の信仰形態なんでしょうね。
ちょうど8月に伊勢神宮に行くので助かりまする
この地も違う物見なら神籬を祀る必要なく
倭姫・豊鍬入姫二人の目的は朱砂(水銀)・褐鉄鉱を探しに90年かけてお供に500人各地の山や川を転々と巡る
倭大国魂神・大物主神も饒速日尊の別名(私の知る処でも28の別名があり他にも存在すると思います)
ニギハヤヒノミコトの父が素戔嗚尊(沢山別名あり)二神は推古天皇時代に抹消され名前を替えられた(推察)
代表が杵築宮=祭神の素戔嗚尊→出雲大社=祭神の大国主命(大巳貴命オオナムチノミコト本名?)
ヤマトから見て日の出の位置にある淡路島と対比して日の沈む位置にある伊勢。
しかも彼岸を思わせる川に挟まれ海に面する最悪と言って差し支えない立地条件。
自らこの地を祀られる土地に選んだという話は信じがたいところがあります。
源氏物語の中で「太陽神=アマテラス」とは考えられていないような記述があったり、
近代に至るまでは伊勢神宮に行幸をした天皇がよくアマテラスに比定される持統天皇しか存在していなかったりと、
アマテラスをめぐる記述は創作を疑いたくなるところが多いです。
西からのぼったお日さまが、東にしずむぅ〜♪
渡来人にいいように書き換えられた話ですからねぇ。ユダヤ教になる前の宗教の話に日本のカミを当てはめただけだろうから、おかしくて当然だと思います。
@@monoris2008
これでいいのだ。
伊勢神宮は定期的に建物を新築するので歴史は有っても建物で世界遺産に成れない。
元々の伊勢神宮は伊雑宮や瀧原宮だった様な気がします
伊勢神宮が有っても伊勢国の一宮は椿大神社 (猿田彦大本宮)ですね
【14:03~】
近所の弁天様の祠にことあるごとに『金持ちになりたい😖💦』と願う日々でした('ω')ノ(邪悪)
それは、陰キャヒッキーな姉と、潔癖症で影の薄い兄と、マザコンヤンキーな弟の物語。
【八と三は出雲の聖数/暗喩、暗号】
勾玉、本来は曲玉。は、
出雲の王家、王族である事の証。
また、神の御子。御子神。
神剣、天村雲大王の剣/草薙剣(古事記による改ざん)は
出雲王国が村雲命が大和王国の初代大王に就任したことを祝って記念品として贈った出雲式の剣。
此の剣身は太祖クナト大神がルーツのインドより渡来時に携えていらっしゃった矛先のレプリカだ。
と伝承されます。
剣や刀など長い物や鋭利な物は
【幸の神信仰】の【クナト大神(男神)の形代】
天皇の大和詞による御称号は
【大倭根子】
【木の根子】は最高神、偉大なる【クナト大神(男神)】の形代でシンボル。
それから出雲の大王/オホナモチ、首長の意味
根子、根は出雲や出雲族を表す。
(古事記等は元来は付与されていない根や根子を付与して出雲や出雲族、その首長を暗喩した)
鏡は鏡が大事ではなかった。
その【形状が丸、円形】である事が幸の神信仰に於ける【女神、幸姫命の形代】、シンボルだったことが重要だった。
以上から総じて意味する所は
我が国においては約四千年の男系継承を堅持なさる
出雲王国の後継、第二出雲王国の大王/天皇家の証。
(天岩屋の岩戸が開いて再臨した天照大神(継体天皇(元出雲王家の次男の出身)~))
「草薙剣」「八尺瓊勾玉」も。写真はあるが「誰も見たことない」っておかしい。
せめて教科書の写真の下に「写真はイメージ写真」って但し書きを入れておくべきだ。
神社はお願い事をするところではなくて、こうこうこれからしますという宣言の場所だという風なニュアンスのことを、地元の神主さんも、最近新聞に文章を載せてたww
神社はお願い事をするところではなくて、こうこうこれからしますという宣言の場所だという風なニュアンスのことを、地元の神主さんも、最近新聞に文章を載せてたww