松阪歴史探訪 本居宣長編 第1話「松阪が育てた宣長」

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  • Опубліковано 6 вер 2024
  • 江戸時代に活躍した松阪出身の国学者。「古事記伝」で有名な本居宣長とはどのような人物なのか。松阪歴史探訪、3回シリーズで「本居宣長」を紹介します。

КОМЕНТАРІ • 6

  • @user-ht5mj2zn8d
    @user-ht5mj2zn8d Місяць тому

    丁寧な構成でいっそう理解が深まりました。
    各位のご尽力に感謝いたします。

  • @user-nh8ru3jb3m
    @user-nh8ru3jb3m 4 місяці тому +2

    いい動画だ

  • @user-mn5kw8bf8j
    @user-mn5kw8bf8j 3 місяці тому

    先生ありがとう御座います。

  • @user-px4xd5nx3q
    @user-px4xd5nx3q 4 роки тому +11

    とても素晴らしい活動、動画です。
    松阪で生まれ育った一人間としてとても誇らしいです。
    これからも活動頑張って下さい。^_^

  • @user-xr3ch6yl2j
    @user-xr3ch6yl2j 3 місяці тому

    鈴というけれど、、錫にかけてたのではないだろうか?
    山桜というのも,桜町天皇への敬意ではないだろうか?
    一見?政界には結びつかない宣長だけど、、国学者として、戦前,戦中派までの日本人にとっては、宣長の歌や生活感もアイデンティティをもてるには、他にはあまり居ないように思える? 秀吉が鉄砲を求めていた時、有馬にも寄ってるけれど、その有馬温泉で宣長の歌が記されてたので、気になってる? まだ、調べてないけれど。。苦笑
    生家が木綿問屋ということですが、後鳥羽上皇の仙洞御所の名主?みたいな人たちが秀吉の頃は平野の綿の豪農で、貿易もして海外事情も通じて、皇室の情報源の一つだった?
    家康がどうして?早くに隠居したのかというと、、秀忠がお市の娘のお茶々の夫だったから?
    宣長がのちの家茂,幕末への体制を整えたというので、戦前までは、よく名前が上がったのに、戦後は寂しくなったと、言ってました
    緒方洪庵の弟子は計り知れずで自称もおおかったようですが、宣長の息子も失明し、臨床から退いて、養子になった弟子が医療は継いでる。。

  • @suwakouji
    @suwakouji Рік тому +4

    「耳の人」であった宣長。 この番組も、全く派手な演出なく、しずかな佇まいを感じさせる、とても素晴らしい内容ですね。第二話、第三話と観させていただくことが楽しみです。