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亡くなった関テレの松本アナの言葉が今でも思い浮かぶ「トウショウボーイは速い馬 タケシバオーは強い馬」俺の知り合いの年配の競馬ファンもしみじみと「とにかく強かった 距離・馬場状態・芝ダート・斤量いっさい泣き言を言わない この馬こそが一番強かった」
出た。ド変態ホース(褒め言葉)何気にこの時期に海外で走ってるのは凄いと思う
タケシバオーの名前は知ってたけどこんな凄い馬だとは知らなかったこれからも動画楽しみにしてます
競馬を知って初めの頃、タケシバオーの血統を馬鹿にしていた評論家が弟を良血と言われて馬鹿にされてたのを思い出す。菊花賞を捨ててワシントンDCにチャレンジしたのは凄い。マーチスもタニノハローモアも同じ谷水さんの牧場の馬だったんだよね
タケシバオーの戦績は知ってたけど、ライバルがいたなんて知らなかった古い馬周りの環境を含めて教えてくれるのありがたい
60キロでも勝つし、ダートでも勝つ。いまこういう馬が凱旋門に行けばチャンスあるだろうな。でいつ見ても思うけど、前哨戦で選んだレースが全然、本場舞台と違いすぎるんだが😅
芝ダート、1200から3200、重斤量全部こなすというアグネスデジタルが比にならないレベルのオールラウンダーより住み分けが進んだ現代競馬では、こういう馬こそ二度と現れない・・・価値観が根底から覆らなければ
元祖チート馬 今で言うダート専念してたらドバイクラスだと想う 未だに最強の概念を持つ一頭だと思う
昔PC版のダビスタとかやってたけど、レコードホルダーを確認して東京D1700で「タケシバオー???そんな時代のレコードがまだ残ってんのか????」と思った記憶はある
輸送技術が高ければ…
タケシバオーのWikiを見て頂くと分かりやすいですが、彼の母系が所属するファミリーナンバーは「5号族」というグループに分類されます。この5号族の活躍馬には古くはネイティブダンサー、近年だとエルコンドルパサー等まさに距離や馬場条件、さらに斤量を選ばない怪物が出る系譜という事が分かります。この母系にチャイナロックですからかなり重い血統なのかな?と考えますが、5号族からはマルゼンスキーも出ています。恐らく、両親の遺伝子の一番良いとこ取りをした当時のサラブレッドの完成形みたいな馬だったのではないかと個人的には考えます。
3:02タケシバオーを買い取ったの競馬専門紙社長の小畑正雄氏って「ケイユウ(競友)」の社長だったのか。ケイユウのトラックマンやデスクは印や短評には気を使ったんだろうなぁ
ハイセイコーの中央時代の馬主「ホースマンクラブ」は、競馬専門紙「1馬」(現:優馬)が母体でしたからね。
コーエーのジーワンジョッキーのスペシャル馬で手に入った時の能力「芝ダート兼用、距離適正万能」を見てチートかと思ったけど、成績見て納得した。今の馬との比較は難しいけど、本当の意味での万能馬だと思う。
誰かがふざけて作ったのかなと最初思ってました。
当時はDC-8とかB707が主力だったので、太平洋横断がやっとなだけではなく、機内の騒音も今よりずっとひどかったはずです。きっと馬への負担は相当なものだったのでしょう。
リードホーユー、タケシバオー…昭和を代表する距離適性バグ
ギャロップレーサーで初めてドバイWCを取らせてくれた馬だったなぁ…スプリンターズSと春天同時に取れた辺りで狂った馬だと思ってたけどww
そしてギャロップレーサー3のタケシバオーのステータスは強すぎw三代くらいタケシバオー重ねたわw懐かしい
ギャロップレーサー3で名前知ったけど、最初はゲーム内のオリジナルホースだと思ってたわ。倒さないと手に入らないのに、異常に強いし。後に戦績知って驚いたよ……
タケシバオーのスプリンターズSは重馬場なんだよなだとしてもそれでトップハンデでレコード勝ちって頭おかしいわ
芝よし、ダートよし、長距離よし、短距離よし、重よし、カンカンよし、味よし、たよし。と呼ばれてた。(一部地域で)
斤量がえぐすぎる。それでも勝つのだからすごいし怪我しない
昔の馬はヒンドスタンの血が入っている馬が天皇賞とか強かったんだよな。シンザンなんかもそうだった。
まさに元祖オールマイティなんとなくだけど・・・タケシバオーって、ハーツクライみたいな大器晩成タイプだったのかな?と言うか、結局どこが適正だったんだろう?ここまで色々走れるとわかんないや
人で言えばマラソンも100mも勝つようなモンかな🤔
学生時代、そんな奴が確かに居ました。
学生時代100mは1位 マラソンは下から2番目
ゲームてもこんなの無理wあと60越えの斤量は聞いてて怖くなるわ、テンポイントのがあるからそれで勝つのは本当にすごいなぁ
マジで最強
私もタケシバオーが日本史上最強馬だと思って疑わない1人
過言でないと思います
故・大川慶次郎も、「自分が見た中での歴代最強馬は、タケシバオー」と言っておりました。斤量65kgの不良馬場でも勝てる馬が、この馬以降、54年間、誰一頭もいない…。「歴代最強障害馬」と呼ばれ、11連勝をしたオジュウチョウサンですら、63kg…真の怪物です。
今回も面白かったです。いつかここのうp主さんの編集と作成センスでテンポイントを解説していただきたいです。(前後編に分かれそうですけどそれでも!)
榊憲治役妖夢三井末太郎役幽々子タカツナミの共同馬主役レミリア、八雲紫、輝夜、永琳小畑正雄役射命丸文
見栄えがアレで、取引予定の相手からも「見込み無し」とされて買い手が付かず……、という点では“あの”SSと同じだな
小学校低学年頃だったかな?当時は馬齢は数え歳だから3歳デビューだよ。マーチスとアサカオーは子供の人気無かったな…。すぐにハイセイコーが出てきて第1次競馬ブームが起きたんだよな…。
いつも楽しく拝見させてもらってます。特に名馬解説は楽しく観させてもらってます。これからも名馬シリーズが観たいです。是非作ってください。
ギャロップレーサーではお世話になりました
チャイナロックの系譜は変態的な個性派が多い印象。
タケシバオーより前のタカオーは走る精密器械と言われた馬だ。この馬は800m〜3200mまで範囲で勝ってますね。G1級だと朝日杯やら天皇賞で勝ってます。問題は当時の朝日杯は1100mでしたのでタケシバオーのスプリンターズステークスよりも更に短い距離だと言う事です。
最近競馬にハマったものですいつも楽しく視聴させていただいております!どんどん動画出してください(^ω^)
タケシバオーといえば、昔の5頭立てのVTR競馬コインゲームの想い出がある。ハイセイコー、シンザン、スピードシンボリ、タケシバオー、マーチスの5頭だった。
タケシバオーを引き取り損ねた馬主の心境やいかものかと・・・ただ、引き取り損ねた馬主では名馬になれなかったかもしれないし、それ以上の成績だったかもしれないし・・・天皇賞を制してしまった馬は有馬記念まで目標がないので、二度目の遠征についてはやるしか無かったのではないかと思います。ちなみに平地競走で60kg以上の斤量を背負わされるような規則は昭和50年代まで続きました。この当時の競馬は「重い斤量を背負った馬が長距離を勝つことこそが最強馬」という風潮の中での競馬だったからです。斤量に対する意識が変わったのは昭和53年の日経新春杯でテンポイントが66.5kgの斤量を背負い、3コーナーで競走中止という悲劇があったから変わったのではないかと思います。今の斤量制度はテンポイントが身を挺して変えてくれたのではないかと思います。アーモンドアイですら条件次第でGⅢレースに出走しても60kg未満で出走できる時代になったのですから。あと、前回コメを取り上げていただきありがとうございます。父が生まれた年のダービーでこんな事があったんだということで印象に残っていました。
タケシバオーと渋いとこついてきたなw
元祖怪物にして元祖シルバーコレクター。
前哨戦しっかり選んでレース間隔開ければ海外勝てたんじゃないかなと
タケシバオー菊花賞に出走したら勝っていたかも知れない
ふざけた馬もいたもんだなぁ…ウマ娘の魔改造育成でもこうはならんだろ
タケシバオーは顕彰馬に値する偉大なチャレンジャーだが顕彰馬に入った経緯がテイエムオペラオーへの嫌がらせでケチがついちゃったのが残念
昭和24年での55000円なら今の金額ならどれくらいになるんだろうか
翌昭和25年の平均年収は12万円です。平成30年度で441万円です。一概には言えませんが単純計算で2,037,050円(1円単位切り捨て)になります。それくらいの価値があったということです。なお、昭和24年当時の100円はそこそこ高額だったので1人で1枚の馬券を買っていたかと言われたら疑問です。5円20口割りとか10円10口割りとかやっていたかもしれません。
@@double-y0324 その名残か知らんけど?馬券をよく見れば“掛け金の1/10×10口”って書いてなかった?
@@何処かのジロー さん戦前は1枚20円で発売されていたけど、戦後に再開した際1枚10円に引き下げられました。その後10円×10枚単位のセット販売(10円×10枚=100円)に変わりました。
○○オーと聞くとどうしても戦隊ロボが思い浮かぶ(笑)
でも意外に昔の馬が掲示板に載ったこともあるんだよな今の技術があったらどうだったんだろ
ありがとうございます。
タケシバ・オーなのかタケシ・バオーなのか悩んだ時期があったな。当然前者なんだろうが、荒木のマンガの「バオー来訪者」かも知れないと思った(いやいや時期が違うし)。
見たかこの強さ
遅れて参上
産駒のイイデセゾンは知ってるけど、それ以外はあまり分からんなぁ
ナリブは平成のタケシバオーにさせようとしてたのかな?
あの調教師、タケシバオーに脳焼かれたんやろうね
これは正に怪物に相応しい😅殿堂入りしないならおかしい(^o^;馬場 ダート 距離 芝問わないとはこんなオールラウンドな怪物はタケシバオーだけだ
産駒のドウカンヤシマは年に一度の小仕事🐎
ドウカンヤシマ 今でも一番大好きな馬です。1986年の安田記念で最後方から追い込んで4着、巴賞4着の後、函館記念でニッポーテイオー、トウホーカムリに続いて3着、函館記念3連覇を目指していたウインザーノットに鼻差先着。その後、栗東の鹿戸明厩舎に転厩、初戦となった朝日チャレンジカップを逃げきり、京都大賞典-天皇賞・秋-福島記念-セントウルトS(オープン特別)と走り、正月のスポニチ金杯を逃げきり6年連続重賞制覇&東西金杯制覇の偉業を達成。次走に2月の小倉大賞典を目標にするも、脚元に不安が発生して休養。秋のマイルCSで復帰もペースについて行けず大敗、そして暮れの愛知杯(父内国産限定)に出走も大敗、これが現役最後のレースになりました。明けて正月の京都競馬場で6年連続重賞制覇の当時の記録が評価されて、引退式までさせていただきました。種牡馬になってから初年度にドウカンドライバーが新潟3歳Sに出走しましたが、これが中央競馬での重賞レース挑戦が最初で最後だったと思います。地方競馬ではキンコーバトラという馬が南関東で何勝かして活躍しましたが、結局、タケシバオーの後継種牡馬としては期待に答えることは出来ませんでした。種牡馬を引退してからは消息不明となってしまい悲しかったですが、今でも私の中ではミスターシービー世代を代表する名馬(迷馬と現役当時言われていました)だと思っています。
1982年の京成杯3歳S以外単勝1番人気で勝ったことがない馬でした。それ以降のレースで1番人気にもなったことがないと思います。ドウカンヤシマ3着以内のレース1983年函館記念1着(2着馬 ブロケード)1983年セントライト記念3着(勝ち馬 メジロハイネ)1983年京都新聞杯3着(勝ち馬 カツラギエース)1984年日刊スポーツ賞金杯1着(2着ナンキンリュウエン)1984年京王杯SC2着(勝ち馬 ハッピープログレス)1985年東京新聞杯1着(2着 ダスゲニー)1985年中山記念2着(勝ち馬 トウショウペガサス)1986年函館記念3着(勝ち馬 ニッポーテイオー)1986年朝日チャレンジカップ1着(2着 ライフタテヤマ)1987年スポニチ賞金杯1着(2着 トウショウレオ)1988年正月の京都競馬場で引退式。ミスターシービー世代として一番長い間オープン馬として骨折などもなく逃げ・先行馬として活躍してくれた今でも一番大好きな馬でした。
1984年金杯の2着はスピーディタイガー訂正します。
ただいま見参
7:00Sir Ivorは草
ようこそ来訪者w
さすがライバル馬
一着、お父ちゃんやんけ
突如覚醒した
これが怪物さぁ。
2004年にテイエムオペラオーと共にJRA顕彰馬に選出される。
ただいま
ヒーローってもんは遅れてくる
タケシバオー知ってるとか中の人は競馬マニア説。
その時代からモンハンあったのなんですとー
自分もタケシで足早いよ
どうもタケシです
そうそのとうり
パーソロンの仔も紹介して!(*_*)
トホホ2着
アグネスデジタルの成績、香港カップが香港マイルになってますよ。
いやだからなぜ三国志の曲
岩下タケシです。
ヤマブキオーも紹介して!(*_*)
トホホ凹む
先行作戦やったら勝てたかも
あれっ?4/3は、どう足掻いても無理だね😅3/4なら兎も角。
伊藤カイジや
海外に行くと脆い😖😣。
1980年代までは、日本馬の海外レースの成績は、目をつぶってやって欲しいと思います。あのGI7勝のシンボリルドルフですら、海外では16着だった時代ですので…。
いろいろとドンマイだぜ。
ダウンタウンのリンカーン大丈夫??
はっはっはっはっ
どんなもんだいだはは
ワールドプレミアの鞍上予定は武さんでは
ハッハハッハ
タニノハローモア💢
buratresuOK
ハロー
ひゅるすんまへん
なんでそんな値段なぁ
HRO
yo
笑笑
差しやから負ける
wwwwww
オグリキャップもマイルチャンピオンシップと天皇賞(春)を勝ったりしたけど、次元が違いすぎる。
モンハンで忙しいの!昭和40年とわwww
見たか。
亡くなった関テレの松本アナの言葉が今でも思い浮かぶ
「トウショウボーイは速い馬 タケシバオーは強い馬」
俺の知り合いの年配の競馬ファンもしみじみと
「とにかく強かった 距離・馬場状態・芝ダート・斤量
いっさい泣き言を言わない この馬こそが一番強かった」
出た。
ド変態ホース(褒め言葉)
何気にこの時期に海外で走ってるのは凄いと思う
タケシバオーの名前は知ってたけどこんな凄い馬だとは知らなかった
これからも動画楽しみにしてます
競馬を知って初めの頃、タケシバオーの血統を馬鹿にしていた評論家が
弟を良血と言われて馬鹿にされてたのを思い出す。
菊花賞を捨ててワシントンDCにチャレンジしたのは凄い。
マーチスもタニノハローモアも同じ谷水さんの牧場の馬だったんだよね
タケシバオーの戦績は知ってたけど、ライバルがいたなんて知らなかった
古い馬周りの環境を含めて教えてくれるのありがたい
60キロでも勝つし、ダートでも勝つ。いまこういう馬が凱旋門に行けばチャンスあるだろうな。
でいつ見ても思うけど、前哨戦で選んだレースが全然、本場舞台と違いすぎるんだが😅
芝ダート、1200から3200、重斤量全部こなすという
アグネスデジタルが比にならないレベルのオールラウンダー
より住み分けが進んだ現代競馬では、こういう馬こそ二度と現れない・・・価値観が根底から覆らなければ
元祖チート馬 今で言うダート専念してたらドバイクラスだと想う 未だに最強の概念を持つ一頭だと思う
昔PC版のダビスタとかやってたけど、レコードホルダーを確認して東京D1700で「タケシバオー???そんな時代のレコードがまだ残ってんのか????」と思った記憶はある
輸送技術が高ければ…
タケシバオーのWikiを見て頂くと分かりやすいですが、彼の母系が所属するファミリーナンバーは「5号族」というグループに分類されます。
この5号族の活躍馬には古くはネイティブダンサー、近年だとエルコンドルパサー等まさに距離や馬場条件、さらに斤量を選ばない怪物が出る系譜という事が分かります。
この母系にチャイナロックですからかなり重い血統なのかな?と考えますが、5号族からはマルゼンスキーも出ています。
恐らく、両親の遺伝子の一番良いとこ取りをした当時のサラブレッドの完成形みたいな馬だったのではないかと個人的には考えます。
3:02
タケシバオーを買い取ったの競馬専門紙社長の小畑正雄氏って「ケイユウ(競友)」の社長だったのか。
ケイユウのトラックマンやデスクは印や短評には気を使ったんだろうなぁ
ハイセイコーの中央時代の馬主「ホースマンクラブ」は、競馬専門紙「1馬」(現:優馬)が母体でしたからね。
コーエーのジーワンジョッキーのスペシャル馬で手に入った時の能力「芝ダート兼用、距離適正万能」を見てチートかと思ったけど、成績見て納得した。
今の馬との比較は難しいけど、本当の意味での万能馬だと思う。
誰かがふざけて作ったのかなと最初思ってました。
当時はDC-8とかB707が主力だったので、太平洋横断がやっとなだけではなく、機内の騒音も今よりずっとひどかったはずです。きっと馬への負担は相当なものだったのでしょう。
リードホーユー、タケシバオー…昭和を代表する距離適性バグ
ギャロップレーサーで初めてドバイWCを取らせてくれた馬だったなぁ…
スプリンターズSと春天同時に取れた辺りで狂った馬だと思ってたけどww
そしてギャロップレーサー3のタケシバオーのステータスは強すぎw三代くらいタケシバオー重ねたわw懐かしい
ギャロップレーサー3で名前知ったけど、最初はゲーム内のオリジナルホースだと思ってたわ。倒さないと手に入らないのに、異常に強いし。後に戦績知って驚いたよ……
タケシバオーのスプリンターズSは重馬場なんだよな
だとしてもそれでトップハンデでレコード勝ちって頭おかしいわ
芝よし、ダートよし、長距離よし、短距離よし、重よし、カンカンよし、味よし、たよし。と呼ばれてた。(一部地域で)
斤量がえぐすぎる。それでも勝つのだからすごいし怪我しない
昔の馬はヒンドスタンの血が入っている馬が天皇賞とか強かったんだよな。
シンザンなんかもそうだった。
まさに元祖オールマイティ
なんとなくだけど・・・タケシバオーって、ハーツクライみたいな大器晩成タイプだったのかな?
と言うか、結局どこが適正だったんだろう?
ここまで色々走れるとわかんないや
人で言えばマラソンも100mも勝つようなモンかな🤔
学生時代、そんな奴が確かに居ました。
学生時代
100mは1位 マラソンは下から2番目
ゲームてもこんなの無理w
あと60越えの斤量は聞いてて怖くなるわ、テンポイントのがあるから
それで勝つのは本当にすごいなぁ
マジで最強
私もタケシバオーが日本史上最強馬だと思って疑わない1人
過言でないと思います
故・大川慶次郎も、「自分が見た中での歴代最強馬は、タケシバオー」と言っておりました。
斤量65kgの不良馬場でも勝てる馬が、この馬以降、54年間、誰一頭もいない…。
「歴代最強障害馬」と呼ばれ、11連勝をしたオジュウチョウサンですら、63kg…真の怪物です。
今回も面白かったです。いつかここのうp主さんの編集と作成センスでテンポイントを解説していただきたいです。(前後編に分かれそうですけどそれでも!)
榊憲治役妖夢
三井末太郎役幽々子
タカツナミの共同馬主役レミリア、八雲紫、輝夜、永琳
小畑正雄役射命丸文
見栄えがアレで、取引予定の相手からも「見込み無し」とされて買い手が付かず……、という点では“あの”SSと同じだな
小学校低学年頃だったかな?
当時は馬齢は数え歳だから3歳デビューだよ。
マーチスとアサカオーは子供の人気無かったな…。
すぐにハイセイコーが出てきて第1次競馬ブームが起きたんだよな…。
いつも楽しく拝見させてもらってます。
特に名馬解説は楽しく観させてもらってます。これからも名馬シリーズが観たいです。是非作ってください。
ギャロップレーサーではお世話になりました
チャイナロックの系譜は変態的な個性派が多い印象。
タケシバオーより前のタカオーは走る精密器械と言われた馬だ。この馬は800m〜3200mまで範囲で勝ってますね。G1級だと朝日杯やら天皇賞で勝ってます。問題は当時の朝日杯は1100mでしたのでタケシバオーのスプリンターズステークスよりも更に短い距離だと言う事です。
最近競馬にハマったものですいつも楽しく視聴させていただいております!
どんどん動画出してください(^ω^)
タケシバオーといえば、昔の5頭立てのVTR競馬コインゲームの想い出がある。
ハイセイコー、シンザン、スピードシンボリ、タケシバオー、マーチスの5頭だった。
タケシバオーを引き取り損ねた馬主の心境やいかものかと・・・
ただ、引き取り損ねた馬主では名馬になれなかったかもしれないし、それ以上の成績だったかもしれないし・・・
天皇賞を制してしまった馬は有馬記念まで目標がないので、二度目の遠征についてはやるしか無かったのではないかと思います。
ちなみに平地競走で60kg以上の斤量を背負わされるような規則は昭和50年代まで続きました。
この当時の競馬は「重い斤量を背負った馬が長距離を勝つことこそが最強馬」という風潮の中での競馬だったからです。
斤量に対する意識が変わったのは昭和53年の日経新春杯でテンポイントが66.5kgの斤量を背負い、3コーナーで競走中止という悲劇があったから変わったのではないかと思います。
今の斤量制度はテンポイントが身を挺して変えてくれたのではないかと思います。アーモンドアイですら条件次第でGⅢレースに出走しても60kg未満で出走できる時代になったのですから。
あと、前回コメを取り上げていただきありがとうございます。
父が生まれた年のダービーでこんな事があったんだということで印象に残っていました。
タケシバオーと渋いとこついてきたなw
元祖怪物にして元祖シルバーコレクター。
前哨戦しっかり選んでレース間隔開ければ海外勝てたんじゃないかなと
タケシバオー菊花賞に出走したら勝っていたかも知れない
ふざけた馬もいたもんだなぁ…ウマ娘の魔改造育成でもこうはならんだろ
タケシバオーは顕彰馬に値する偉大なチャレンジャーだが顕彰馬に入った経緯がテイエムオペラオーへの嫌がらせでケチがついちゃったのが残念
昭和24年での55000円なら今の金額ならどれくらいになるんだろうか
翌昭和25年の平均年収は12万円です。平成30年度で441万円です。
一概には言えませんが単純計算で2,037,050円(1円単位切り捨て)になります。それくらいの価値があったということです。
なお、昭和24年当時の100円はそこそこ高額だったので1人で1枚の馬券を買っていたかと言われたら疑問です。5円20口割りとか10円10口割りとかやっていたかもしれません。
@@double-y0324
その名残か知らんけど?
馬券をよく見れば“掛け金の1/10×10口”って書いてなかった?
@@何処かのジロー さん
戦前は1枚20円で発売されていたけど、戦後に再開した際1枚10円に引き下げられました。その後10円×10枚単位のセット販売(10円×10枚=100円)に変わりました。
○○オーと聞くとどうしても戦隊ロボが思い浮かぶ(笑)
でも意外に昔の馬が掲示板に載ったこともあるんだよな今の技術があったらどうだったんだろ
ありがとうございます。
タケシバ・オーなのかタケシ・バオーなのか悩んだ時期があったな。当然前者なんだろうが、荒木のマンガの「バオー来訪者」かも知れないと思った(いやいや時期が違うし)。
見たかこの強さ
遅れて参上
産駒のイイデセゾンは知ってるけど、それ以外はあまり分からんなぁ
ナリブは平成のタケシバオーにさせようとしてたのかな?
あの調教師、タケシバオーに脳焼かれたんやろうね
これは正に怪物に相応しい😅殿堂入りしないならおかしい(^o^;
馬場 ダート 距離 芝問わないとはこんなオールラウンドな怪物はタケシバオーだけだ
産駒のドウカンヤシマは年に一度の小仕事🐎
ドウカンヤシマ 今でも一番大好きな馬です。1986年の安田記念で最後方から追い込んで4着、巴賞4着の後、函館記念でニッポーテイオー、トウホーカムリに続いて3着、函館記念3連覇を目指していたウインザーノットに鼻差先着。その後、栗東の鹿戸明厩舎に転厩、初戦となった朝日チャレンジカップを逃げきり、京都大賞典-天皇賞・秋-福島記念-セントウルトS(オープン特別)と走り、正月のスポニチ金杯を逃げきり6年連続重賞制覇&東西金杯制覇の偉業を達成。次走に2月の小倉大賞典を目標にするも、脚元に不安が発生して休養。秋のマイルCSで復帰もペースについて行けず大敗、そして暮れの愛知杯(父内国産限定)に出走も大敗、これが現役最後のレースになりました。明けて正月の京都競馬場で6年連続重賞制覇の当時の記録が評価されて、引退式までさせていただきました。種牡馬になってから初年度にドウカンドライバーが新潟3歳Sに出走しましたが、これが中央競馬での重賞レース挑戦が最初で最後だったと思います。地方競馬ではキンコーバトラという馬が南関東で何勝かして活躍しましたが、結局、タケシバオーの後継種牡馬としては期待に答えることは出来ませんでした。種牡馬を引退してからは消息不明となってしまい悲しかったですが、今でも私の中ではミスターシービー世代を代表する名馬(迷馬と現役当時言われていました)だと思っています。
1982年の京成杯3歳S以外単勝1番人気で勝ったことがない馬でした。
それ以降のレースで1番人気にもなったことがないと思います。
ドウカンヤシマ3着以内のレース
1983年函館記念1着(2着馬 ブロケード)
1983年セントライト記念3着(勝ち馬 メジロハイネ)
1983年京都新聞杯3着(勝ち馬 カツラギエース)
1984年日刊スポーツ賞金杯1着(2着ナンキンリュウエン)
1984年京王杯SC2着(勝ち馬 ハッピープログレス)
1985年東京新聞杯1着(2着 ダスゲニー)
1985年中山記念2着(勝ち馬 トウショウペガサス)
1986年函館記念3着(勝ち馬 ニッポーテイオー)
1986年朝日チャレンジカップ1着(2着 ライフタテヤマ)
1987年スポニチ賞金杯1着(2着 トウショウレオ)
1988年正月の京都競馬場で引退式。
ミスターシービー世代として一番長い間オープン馬として骨折などもなく逃げ・先行馬として活躍してくれた今でも一番大好きな馬でした。
1984年金杯の2着はスピーディタイガー
訂正します。
ただいま見参
7:00
Sir Ivorは草
ようこそ来訪者w
さすがライバル馬
一着、お父ちゃんやんけ
突如覚醒した
これが怪物さぁ。
2004年にテイエムオペラオーと共にJRA顕彰馬に選出される。
ただいま
ヒーローってもんは遅れてくる
タケシバオー知ってるとか中の人は競馬マニア説。
その時代からモンハンあったのなんですとー
自分もタケシで足早いよ
どうもタケシです
そうそのとうり
パーソロンの仔も紹介して!(*_*)
トホホ2着
アグネスデジタルの成績、香港カップが香港マイルになってますよ。
いやだからなぜ三国志の曲
岩下タケシです。
ヤマブキオーも紹介して!(*_*)
トホホ凹む
先行作戦やったら勝てたかも
あれっ?
4/3は、どう足掻いても無理だね😅
3/4なら兎も角。
伊藤カイジや
海外に行くと脆い😖😣。
1980年代までは、日本馬の海外レースの成績は、目をつぶってやって欲しいと思います。あのGI7勝のシンボリルドルフですら、海外では16着だった時代ですので…。
いろいろとドンマイだぜ。
ダウンタウンのリンカーン大丈夫??
はっはっはっはっ
どんなもんだいだはは
ワールドプレミアの鞍上予定は武さんでは
ハッハハッハ
タニノハローモア💢
buratresuOK
ハロー
ひゅるすんまへん
なんでそんな値段なぁ
HRO
yo
笑笑
差しやから負ける
wwwwww
オグリキャップもマイルチャンピオンシップと天皇賞(春)を勝ったりしたけど、次元が違いすぎる。
モンハンで忙しいの!昭和40年とわwww
見たか。