【衝撃】坂本龍馬の新事実 3選

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  • Опубліковано 16 жов 2024

КОМЕНТАРІ • 550

  • @nihonshi-salon
    @nihonshi-salon  2 роки тому +37

    【訂正】
    3:44頃 「薩摩藩上層部の思惑(しわく)のもと~」と読んでいますが、正しくは「思惑(おもわく)のもと」です。
    5:52頃 1886年としていますが、正しくは1866年です。
    大変失礼いたしました。

    • @analysis0505
      @analysis0505 2 роки тому +3

      メインテーマとして取り上げられた”坂本龍馬”がの名前が”阪本龍馬”になってたりするのも気になりました…😅

    • @nihonshi-salon
      @nihonshi-salon  2 роки тому +4

      @@analysis0505 こちらは本のタイトルのため誤りではございません。

    • @analysis0505
      @analysis0505 2 роки тому +7

      @@nihonshi-salon  
      書物によって名字の表記が違うこと教えていただき感謝です。
      ありがとうございます😄

    • @Laurel-2.5clubs
      @Laurel-2.5clubs 2 роки тому +7

      近藤長次郎を語るなら土佐藩出身で高知城下の饅頭屋な出で、勝海舟とも面識ある人物と言わないと。
      あと、薩長同盟は坂本龍馬の功績とは誰も思ってないでしょう。
      中岡慎太郎や他の土佐・薩摩・長州の藩士とかも関与してないとできないでしょうから。ただ、その場に居たから裏書きを頼むような事にはならないのでは?

    • @nunkomareta
      @nunkomareta 2 роки тому

      「1866年」ではなく「慶応二年」ではないですか?

  • @Your_Life_is_Good
    @Your_Life_is_Good 2 роки тому +241

    司馬遼太郎の書籍は歴史資料として扱ってはいけない

    • @佐々木春信-g1i
      @佐々木春信-g1i 2 роки тому +8

      坂本龍馬関連の記事を執筆した歴史作家たちはどう反論する?。

    • @yukikaze18
      @yukikaze18 Рік тому +29

      そうなんですよね(笑)まあ、戦後生まれの人間の殆どが司馬遼太郎が描いたフィクションである坂本龍馬を信じてますがね。
      私の爺さんたち(100歳以上)は坂本龍馬?よう知らん。と口をそろえて言ってました。なお、「薩摩の腰抜け」は合言葉だったようです。

    • @keiwan1007
      @keiwan1007 Рік тому +20

      史実風フィクションと分かってて読む分には面白いよね
      三国志演義みたいな感じ

    • @来る年行く年
      @来る年行く年 Рік тому

      どれもあてにならんよ🤣 明治維新を美化する為の裏側の御都合主義、、今目の前にいる人々とそんな変わらん🤣 現実が真実でよくねえ😆

    • @太郎山田-f4g
      @太郎山田-f4g Рік тому +2

      池宮彰一郎もダメですか?

  • @Goo_gle
    @Goo_gle 10 місяців тому +9

    人はなぜ、歴史小説を事実と思い込んでしまうのか?

  • @おこ-b4w
    @おこ-b4w 2 роки тому +50

    30年ほど前だったか、その家の家主が急に「ここが亀山社中だった」と言って見学できるようにした(ただの古い家だが)。無料で見学できたが、募金箱が置いてあり家主がその前に座っていた(募金箱は透明な箱で小銭が入っているのが見える)。
    近所の住民達は、「誰も聞いた事がない話だ」と笑っていた。
    しかし今では、亀山社中記念館となっている。

    • @田中功-i5q
      @田中功-i5q 2 роки тому +13

      行った事があります
      龍馬が付けた刀傷が柱にあって
      ありがたく見た覚えがあります
      眉唾物だったとは・・・

    • @中野善行-h6t
      @中野善行-h6t 2 роки тому +13

      類似した話しで京都市伏見に幕末の寺田事件の現場の船宿寺田屋がありますね。 鳥羽伏見の戦いで焼失したのですが、船宿寺田屋が造られて人気観光スポットになりましたね。
      歴史愛好者の抗議で京都市が調査して家主が白状しました。
       再建した物として、大変な人気です。 坂本龍馬絡みです🙇

    • @おこ-b4w
      @おこ-b4w 2 роки тому +4

      @@田中功-i5q
      刀傷?家の中まで入ったのは開業当初のみですが、当時はありませんでした(少なくとも寺田屋のように説明はなし)。後からそういう話になったのかも知れません。

    • @おこ-b4w
      @おこ-b4w 2 роки тому +10

      @@中野善行-h6t
      寺田屋に行ったのは40年程前になります。「司馬遼太郎の小説は史実に基づいて書かれている」とマスコミが紹介していた頃です。皆が触って黒光りした刀傷や風呂場を見て「よく当時のままで残してあるなぁ。司馬氏の小説は事実に基づいているなぁ」と感心した憶えがあります。今は「入場料返せ」としか思いませんが・・・

    • @田中功-i5q
      @田中功-i5q 2 роки тому +4

      @@おこ-b4w 行ったのは確かに30年くらい前です。確か床柱か何かに傷があり案内の人だったか付箋のようなものだったか忘れましたが龍馬がつけた刀傷だと説明がありましたよ。

  • @あやめ-m1m
    @あやめ-m1m 2 роки тому +55

    なるほど そうなの〜 と思う事ばかり面白いです。60過ぎてやっと自分の時間が持てるようになり今年からユーキャンの「大人の学び直し日本史講座」というのに挑戦しています。このチャンネルも見させて頂き、勉強させて頂いてます。わかりやすく家事の合間にパッと見て気分転換させて頂いてます。ほんと楽しいです。ありがとうございます😊

  • @さとしくんだよ
    @さとしくんだよ 2 роки тому +95

    高々150年前の自国の歴史を紐解くのにすらこれだけの苦労。「歴史とは勝者による創作物」とはよく言ったものですね。

    • @katorizm
      @katorizm 2 роки тому

      ちなみに動画内で使われてる「長州藩」も存在しませんしね。正確には「萩藩」です。歴史はみんながそう思い込むとそれが事実となってしまいますよね。

    • @yukikaze18
      @yukikaze18 Рік тому +8

      これが戦後体制です。歴史は勝者にとって都合の良い歴史に塗り替えられます。この件は長州人の私には常識です。坂本、いや司馬をもてはやした理由も良く分かりますよね。

  • @freeeasytips7365
    @freeeasytips7365 2 роки тому +21

    英国側の資料から竜馬は諜報要員として雇われ活動していた事実が明らかになり、紹介している本も近年出てきました。「研究者が手を出しにくいテーマ」であるというのは、単に司馬遼太郎史観に邪魔されるだけではなく、外国による日本国内での工作を広く知られたくない人々の影響、工作があるのではないでしょうか。

  • @suoguy
    @suoguy 2 роки тому +8

    概要欄の訂正も含めて、素晴らしい報告動画でした。

  • @mu1me2mo1
    @mu1me2mo1 Рік тому +11

    日本史の二大創作キャラと言ったら坂本龍馬と明智光秀
    龍馬に関する創作の詳細たくさん説明してくださりありがとうございます

  • @城宇
    @城宇 2 роки тому +30

    中岡慎太郎が革命家と言えるのにたいして、坂本竜馬は幕末の混乱に乗じた単なる商売人でしかないと思っています✋ 本人も政治や軍事に興味を持っていなかったし、勝と行動を共にしていることも彼の政治的な立場を表しているでしょう。比して中岡慎太郎の評価が低いのが残念ですね。

    • @田中隼-c1d
      @田中隼-c1d 11 місяців тому +3

      でしかないは言い過ぎ。
      彼がどれだけ身分差別なくしたいと願ったか文書に残ってるよ

  • @山本裕介-q9g
    @山本裕介-q9g 2 роки тому +83

    歴史作家の早乙女貢先生が何十年も前に坂本竜馬や高杉晋作の虚像について書かれていました。吉川英治先生の宮本武蔵なども大衆小説としては素晴しい作品ですが武蔵の半生が余りにも虚像過ぎて歴史的観点から正しく知ろうとするには無理があります……そう言う意味では司馬遼太郎先生の坂本竜馬像も同じと言えますね。

    • @あかいろ-w1o
      @あかいろ-w1o Рік тому +8

      誰がとかでは無くて小説は全部フィクションです。
      僕は読まないです。
      それよりも歴史研究家が書いた本の方が読んでて楽しいですよ。

    • @山本裕介-q9g
      @山本裕介-q9g Рік тому +3

      @@あかいろ-w1o /いやぁ~それはある意味真理ですね ♪ そう思う僕もいるのですが……

    • @あかいろ-w1o
      @あかいろ-w1o Рік тому +5

      @@山本裕介-q9g
      幕末なら山村竜也さんの本がお勧めです。言うまでも無いかも知れませんが。
      どちらかと言うと新撰組寄りですけど他の事でも詳しくて内容も面白いですよ。

    • @山本裕介-q9g
      @山本裕介-q9g Рік тому +2

      @@あかいろ-w1o /わざわざ教えて下さり有り難うございます!
             山村竜也さんの著書は読んだ事が無いので
             早速探して読んでみます ♪♪

    • @acountgmail8354
      @acountgmail8354 Рік тому +2

      歴史小説では著者あんたは盗み聞きしていたのかと思うほど、個人的な会話が描き込まれていますからね。

  • @藤枝梅安-i9j
    @藤枝梅安-i9j 2 роки тому +38

    幕末維新の人物で坂本龍馬は過大評価されて、榎本武揚は過小評価されている印象

    • @あとぜき侍
      @あとぜき侍 2 роки тому +19

      榎本さんもですが、小栗忠順など他の幕臣も過小評価されてるのが残念で仕方ないですね。
      個人的には幕臣が大好きです。

    • @月舟
      @月舟 Рік тому +4

      箱館戦争は榎本武揚抜きでは語れないはずなのに、これまた司馬さんの『燃えよ剣』の影響で土方歳三に持っていかれてしまっている。

    • @onhon8484
      @onhon8484 Рік тому +6

      榎本さんは明治時代からが本当の活躍の印象。小栗さんの死去は日本の損失。

  • @takatunex
    @takatunex Рік тому +12

    感情的にならず、ニュートラルなスタンスで事実だけを提示して下さる良動画ですね!
    武田鉄矢先生にも是非視聴していただきたいです。

  • @paparos
    @paparos 2 роки тому +11

    むかしNHKが歴史スペシャルかなんかの番組で
    「坂本は薩摩藩から賃金を得て間者として長州の内情を探っていた」といった当時の領収書や手紙などを元に歴史考察した番組があったが
    高知県民や行政からの強い抗議があり、謝罪まではなかったものの、これ以降この考察を推す番組は見られなくなった
    竜馬の役割は「竜馬がゆく」以降、高知はもとより日本近代化の礎としてのヒーロー的存在でいることだ

    • @sakawayo608
      @sakawayo608 2 роки тому +7

      そのような程度の人物に木戸孝允があのような手紙を書くだろうか?そして維新後に飲み友達になった山内容堂に坂本龍馬の話を聞くのだろうか?
      さらに死ぬ間際まで手元には龍馬の書簡の下書きを大事に保管していましたよ。(これは近年TVのお宝番組で取り上げられて新発見と騒ぎになった)

    • @paparos
      @paparos 2 роки тому +5

      @@sakawayo608 確かに、木戸だけでなく西郷や板垣、中岡、武市その他大勢の幕末の大スターたちが竜馬を褒めたたえたと言われていますね、
      そういった私信をいくつか見つけた司馬が「坂本竜馬像」を作り上げたのかもしれません、
      通説とされている船中八策も大正以降に書かれたものではないかという説が濃厚らしいですし。亀山社中も実際に竜馬がかかわってなかったかもしれないという方もおられる(曖昧
      まぁ、歴史上の人物が通説とはかけ離れていたということはよくあることなので、私としては「そうかもしれないね、見たわけじゃないからわからんけど、、」くらいの雰囲気でいます。

    • @sakawayo608
      @sakawayo608 2 роки тому +3

      @@paparos さんへ。
      幕末の差し迫った状況から、少し安堵の雰囲気が流れたその一瞬に起こった事件が龍馬暗殺でした。
      明治維新後3年も経つと幕末が遠い過去のように感じたと、志士として活動されていた皆さんが異口同音に述べています。
      そうした風潮の中から実はあの人が・・ということで、龍馬もヒーローに祭り上げられていったと思います。(龍馬伝のようなもので)
      でも事実を知っている人がそれを否定したら、それ以上は拡散もしなかったと思います。

  • @y_kagami
    @y_kagami Рік тому +8

    とても勉強になった

  • @masao750
    @masao750 2 роки тому +31

    龍馬さんは下級武士の次男坊だから土佐藩を動かすのは物理的に無理。
    現代でいえば大企業のパートタイマー社員。
    そんな龍馬だが勝の紹介を機会に西郷ドン、小松帯刀、横井小楠、松平春嶽、桂、高杉、久坂、大久保一翁、桐野利秋、武市、後藤らと交友関係があったのは凄い。

    • @北條氏禎
      @北條氏禎 2 роки тому +5

      勝と龍馬、ハッタリ同士で馬が合う

    • @Gonta-xl5lz
      @Gonta-xl5lz 2 роки тому +9

      勝海舟仕込みの黒船操船術で薩摩、長州、巻き込み、最終的には、郷士のせがれが、上司の後藤を動かしたというのが痛快じやありません?

  • @さん太-i5b
    @さん太-i5b 2 роки тому +27

    現在の龍馬の史実が明治になってからの土佐藩のイメージアップの為に書かれたのは知っていましたが、紀州藩との裁判や武器商人のイメージが強かったので腑に落ちました。

    • @hide196944
      @hide196944 Рік тому +5

      土佐藩のイメージアップに坂本龍馬が登場したんじゃないよ。
      日露戦争のプロパガンダに坂本龍馬が利用されて世間が知ったんです。
      坂本龍馬 田中光顕、昭憲皇太后で調べると分かると思います。
      時代的には汗血千里の駒の約20年後ですけどね・・。
      薩長同盟も船中八策も勝海舟との出会いも書かれていない汗血千里の駒に人気が出たとは思えませんよ。
      坂本龍馬も乃木希典にしても司馬遼太郎は面倒の種を残したもんです。

    • @さん太-i5b
      @さん太-i5b Рік тому +4

      @@hide196944 そうでしたか。薩長土で土佐だけ明治政府内での議席の少なさに龍馬主人公の物語が書かれたと、書物で読みました。
      歴史は面白いですね。

    • @hide196944
      @hide196944 Рік тому +3

      @@さん太-i5b さま
      土陽新聞版では、坂本龍馬初登場は第4話であり、全68話中26話で登場しなかったそうです。
      また、竜馬没後の話が10話近く記載されているそうです。
      没後は板垣退助と後藤象二郎の話なのですが、作者は板垣退助の関係者です。
      また、伊藤博文による板垣後藤欧州視察で落ち目になった事を不快に思っていた人だそうです。
      なので、土佐自由民権運動家の自称土佐勤王党の正当継承者を主張する自由党板垣・後藤の為に書かれた物語で正しいと思います。
      単行本化の際、編集者により板垣退助も後藤象二郎も退場させられたそうです。
      板垣退助、後藤象二郎、中岡慎太郎、武市半平太らに関してはは地元の年寄りから祖父母らからこんな話を聞いたなんて聞く事がありますが、坂本龍馬に関しては聞いた事が無いんですよ・・。
      坂本龍馬生誕地の石碑もありますが、ココ!ではなくて、この周辺かな?って程度です。
      汗血千里の駒は明治16年新聞登場なので当時話題になっていたら生家の場所もハッキリと残ってると思われるが、その程度です。
      板垣退助の為に汗血千里の駒が書かれ
      自由民権運動の象徴になり
      日露戦争のプロパガンダに利用され
      大正デモクラーの自由主義の象徴となり
      高知市桂浜の青年有志による竜馬像に繋がると思います。
      戦中の金属供出では仙台城の初代伊達政宗騎馬像も供出されています(不使用で終戦まで放置、現在は1965年寄贈2代目)が、竜馬像は供出命令が出されていない事も政治のプロパガンダの名残りか?とも・・。

    • @VielenDankimVoraus
      @VielenDankimVoraus 4 місяці тому

      幕末の坂本龍馬の実像は、現代なら竹ニャカフェイ蔵…なん…やろか🙄🤔😵‍💫❔

  • @dorachanR1223
    @dorachanR1223 2 роки тому +37

    坂本龍馬が教科書から消えかかった理由
    ・薩長同盟→物語の創作
    ・大政奉還→単なる耳学問
    薩長同盟を締結させた人物
    小松帯刀(西郷隆盛の上司)こまつたてわき
    島津久光(薩摩藩 国父)しまづひさみつ
    久光がYESかNOを言うかで決まる
    船中八策→耳学問
    勝海舟、大久保一翁(おおくぼいちおう)、佐久間象山が言ったことをまとめて言ったのが船中八策 龍馬オリジナルではない

    • @scottbodyshop
      @scottbodyshop Рік тому +4

      オリジナルじゃなきゃいけないのかな。

  • @relena2071
    @relena2071 2 роки тому +20

    司馬遼太郎さんの小説は「竜馬がゆく」であって「龍馬がゆく」ではないですからね。
    今風で言うならば「この本語りはフィクション云々」となるわけですね。

    • @田ノ中-d4s
      @田ノ中-d4s 2 роки тому +8

      確認はしていませんが司馬さんが『これはフィクションです だから字を1つ変えました』
      と語っていたと言う事です

    • @soixante-sept-w5c
      @soixante-sept-w5c Рік тому

      教科書も竜馬ですよ。龍馬でも竜馬でも、どっちでもいいんですよ。

  • @びび-c2m
    @びび-c2m 2 роки тому +44

    大学で「亀山社中についてその設立の経緯と歴史、果たした役割についてまとめてください」って課題でてるからこの動画まで辿り着いたのに、、、、
    どうすればええんや笑笑

    • @eijiharukawa8676
      @eijiharukawa8676 2 роки тому +18

      明治の御用学者の創作である と言ってあげればよろしい。なお単位についてはもらえないかとw

    • @けんけん-v5t2z
      @けんけん-v5t2z 2 роки тому +12

      新説を書いてあげたらいいかと思うw株式会社?それは「創作」ですとw課題なので、ちゃんと資料名も書かないとダメだからねw

    • @中野善行-h6t
      @中野善行-h6t 2 роки тому

      鹿児島の歴史家原口泉さんの著書 龍馬を超えた小松帯刀が、古文書調査に基づいて論証されております🙇
      薩摩藩が秘密工作として亀山社中を造り、社中頭に大杉宗次郎を抜擢しておりました。 坂本龍馬は長州藩と渉外を担当です。 大杉宗次郎は内紛で龍馬に殺されました🤣

  • @h.yamazaki
    @h.yamazaki 2 роки тому +24

    現代人の坂本龍馬像って殆ど司馬遼太郎(とその小説に基づく映画、ドラマ)が作ったのでしょう。今、河井継之助の「峠」を読んでるんですが(小説なんだから当たり前)相当作者の主観で書いてますよね。

    • @クロ-z8t
      @クロ-z8t Рік тому +2

      『峠』の多くは、今泉鐸次郎著『河井継之助傳』のコピペです。

  • @samidare423
    @samidare423 2 роки тому +20

    司馬遼太郎の小説の存在が大きいですね。
    しかし、今では「国盗り物語」はファンタジー歴史小説に近いものとなっています。
    斎藤道三は親子二代にわたること、北条早雲は老人ではなかったし名前すら伊勢宗瑞であったことなどが史実となっています

  • @石田治部少輔-c4t
    @石田治部少輔-c4t 2 роки тому +24

    歴史の事実と坂本龍馬という物語の面白さは別ってことで。

    • @田ノ中-d4s
      @田ノ中-d4s 2 роки тому +9

      それが分かっているうえで楽しんでるならば良いのですが
      実態はそれを真実と思い込み さらに創作をこれでもかと作りまくっているから変な事になってしまうんで

    • @けんけん-v5t2z
      @けんけん-v5t2z 2 роки тому +2

      関ケ原の戦いが史実と物語は別だというのと同じだと思います。史実だと天下分け目の戦いって感じではないけど、物語は面白さがありますしw

    • @篠原健一-b8e
      @篠原健一-b8e 2 роки тому +2

      なかなか切り離して考えられないからねどうしても

  • @b.keaton5993
    @b.keaton5993 2 роки тому +6

    この動画のタイトル画面にも使われている坂本龍馬の写真がそもそも元の写真を大幅に加工しまくった「ほぼCG」と言える物であるのが何やら龍馬像というのを象徴しているようで興味深い。加工して加工して加工しまくっている訳である。

  • @DANJOUNOTYU
    @DANJOUNOTYU 2 роки тому +19

    坂本龍馬暗殺も、当時有名なのは中岡慎太郎で、ターゲットは中岡慎太郎でついでに殺された説も聞いたことがあります。

  • @vivanichiren
    @vivanichiren Рік тому +3

    暫定的な史実に照らして物語の虚構性を指摘してゆくのも面白いですが、次の段階としては、なぜそのような歴史像がその時代の人々にグっときたのか、書き手が依拠した歴史研究やイデオロギーは何か、他の作品や学術言説などにどのような影響を与えたか等、多角的な思想史研究の問いに視点を移せると、知的実りがより豊かになると思います。

  • @ピピン-u2g
    @ピピン-u2g 2 роки тому +18

    大変興味深い動画でした。ありがとうございます。参考文献として挙げられていた本も読みたくなりました。龍馬が実際にどれほど重要な役割を果たしていたのか今後の研究で明らかになると面白いですね。それによっては暗殺事件の意味合いも大きく変わるかもしれません。

  • @高崎北海道
    @高崎北海道 2 роки тому +7

    歴史上の人物がドラマ化される過程で美化されるのはこれはもう物理現象のようなもので仕方がない。特に織田信長と坂本龍馬の二人は小説・テレビドラマ等の創作回数が多く、これは端的に美化が繰り返されるという事になる。信長の場合は『信長公記』という根本的な伝記があるからまだいいのだが坂本龍馬の場合はそもそも伝記すら残っていない。明治時代に書かれた小説で人気が出たらしいがその小説には「薩長同盟の立役者」「船中八策」の有名なエピソードがないとか。龍馬伝説は明治から昭和にかけて長い時間を費やしてコツコツと創作されたらしい。

  • @永隈ゆうじ
    @永隈ゆうじ Рік тому +3

    そもそも坂本龍馬の小説は、高知の「土陽新聞(現高知新聞)」「汗血千里駒」に明治16年に連載された事に発端する。後に岩崎弥太郎に取材した内容が元のようです。日本中の人が龍馬を知るのは戦後の大河ドラマ「竜馬が行く」を見てからです。

  • @SoyNipponjin
    @SoyNipponjin 2 роки тому +5

    良い動画です。

  • @非理法権天-t4o
    @非理法権天-t4o Рік тому +6

    司馬遼太郎の作品は太平記と同じく歴史小説であり歴史では無いと言う事ですね。
    我ら凡人は太平記史観から抜け出す事が大変なように司馬遼太郎史観から抜け出すのも大変だ‼

  • @栗原信幸-e8q
    @栗原信幸-e8q 2 роки тому +10

    10年前くらいによくこの手の話を知恵袋で回答してたな、確かに坂本龍馬は狂信者が多いから、事実書くと発狂する回答者が結構いたんだよね・・・・・。

  • @近藤サトし
    @近藤サトし 2 роки тому +15

    最近観た歴史動画のなかで一番面白かった。

  • @YANAGITAtokinori
    @YANAGITAtokinori 2 роки тому +21

    そうだったんだ。龍馬ファンだったけど事実じゃなかったんだね。本当のことが分かって良かった。ありがとー。

  • @IzumizukiPinky
    @IzumizukiPinky 2 роки тому +10

    日本全国を猛スピードで旅をしていた徳川光圀公。
    白い馬(サラブレッド)に乗って海岸線を駆け、暴れ回る徳川吉宗。
    お白洲の時に刺青を見せる金さんこと遠山 景元。
    十人の勇士がいた真田幸村こと真田信繁。
    全部実在した人物だが、全部創作。坂本龍馬もこれでいいじゃないか。

  • @m21y37
    @m21y37 2 роки тому +2

    ありがとうございました。登録させて頂きました❣️

  • @_Love_And_Peace
    @_Love_And_Peace 2 роки тому +4

    何事も鵜呑みにすべきでない。

  • @ChangShu-v6w
    @ChangShu-v6w 2 роки тому +5

    司馬遼太郎の「竜馬がゆく」は「フィクション」としては面白いんだけどいい歳したおじさんがあれを「史実」にして酒飲み話をされると頭が痛くなるんだよなあ。

  • @nakakukiatsushi
    @nakakukiatsushi 2 роки тому +13

    なるほど
    やはり世に広く知られてる英雄像てな脚色が多いものですね
    三国志の史実と演義みたいだ

  • @まゆまゆ-k7e
    @まゆまゆ-k7e 2 роки тому +41

    司馬遼太郎の小説は、史実に忠実だというイメージがあったので、驚きました。
    歴史の新事実、面白いです。たくさん配信してください。

    • @wtk297
      @wtk297 2 роки тому +18

      新選組の沖田総司は実際は平べったい顔で「ヒラメ」と呼ばれていたのに司馬遼太郎が美男子として世に広めたというのを聴いたことがあります。司馬遼太郎は自分の足で歩いて取材もされていたようですが、小説なので面白くするためとか当時はまだ見つかっていない資料があったりとかで創作と史実が混ざっているのでしょうけれど、読み手には全部が本当にあったことに思えてしまうのでしょうね。

    • @銀狐-r3f
      @銀狐-r3f 2 роки тому +27

      あくまで小説なんですが、創作臭さがなくて史実のように読者が感じてしまう。
      学問的には、ある意味悪魔の書ですよね。

    • @紳士先輩-f8t
      @紳士先輩-f8t 2 роки тому +9

      そんな人初めて見たわ。『国盗り物語』とか明智光秀がまるで忍術使いであるかのような記述があるんだから、子供の頃から司馬先生の小説はすべて創作(だからこそ面白く文芸価値がある)と思って読んでたけどな。

    • @篠原健一-b8e
      @篠原健一-b8e 2 роки тому +15

      そもそも本人が史実とは別物だって言ってるのに、周りがそれを聞いてくれなかったんだよ、その挙げ句に歴史観を歪めたみたいに悪者扱いされるときもあるから気の毒な人だよ

    • @hshiga
      @hshiga 2 роки тому +18

      司馬遼太郎はフィクションだらけですよ。小説としては面白いですけど。歴史学者ではないですね。

  • @daikon404
    @daikon404 Рік тому +25

    今どき司馬史観を信じてる人がいる事に驚いた

    • @tetsu-chan5414
      @tetsu-chan5414 Рік тому

      高知県民は信じてる人が9割です。当たり屋・鐘でした解決するヘタレ・刀🔪オタクで腕は無いが購入で借金苦してた‥史実を口👄にするとキレますよ

    • @武岡菊政
      @武岡菊政 Рік тому +2

      司馬「史観」と云う言い方が草
      司馬遼太郎の本来の史観は当人の太平洋戦争への従軍から来ていて、従軍中の「なんか変だね」と云う厭戦気分から来ているので、特攻精神が「天皇陛下万歳」か「おかーさんありがとう」なのかの違い。

  • @besnw
    @besnw Рік тому +4

    辻褄があわない疑問が少し埋まった気がする

  • @tsurutsurutai
    @tsurutsurutai Рік тому +3

    薩長同盟における坂本龍馬の(薩長両藩の立会人的な)証人説も疑義が提起されていますよね? 薩摩には薩長同盟に関する公文書的なものが一切なく、木戸孝充が藩に報告するにあたり証人となったレベルで、薩長同盟の書面に龍馬の署名があるとされていますが、当時としては珍しい朱色の墨で為されており明治期に加筆されたとの説も…。まあ、司馬遼太郎の書籍は、龍馬ではなく竜馬・・・極端な話、水戸黄門・暴れん坊将軍的な歴史フィクションとすればよろしいかと思います。

  • @wesyokohama
    @wesyokohama 2 роки тому +3

    そもそも、あまり新説がないような・・・
    船中八策以外は「竜馬が行く」でも書いてあるのでは?

  • @tukemononozu3993
    @tukemononozu3993 Рік тому +7

    良い作品です。ありがとうございます。

  • @yu-hs2zr
    @yu-hs2zr 2 роки тому +8

    龍馬の史実を世間が勘違いしたのは司馬遼太郎の竜馬が行くと漫画、おーい龍馬だろう。
    坂本家は身分が低いなんて事はなくて、実際は富豪、幕府に貸す側。

  • @yhira2010
    @yhira2010 2 роки тому +5

    みずほ銀行を中途退職してふらふらしていた人物になぜか白羽の矢が立ち、三井住友銀行とみずほ銀行の経営幹部のご指名で、重要な経営判断を打ち明けられ、潤沢な活動資金を与えられ、対財務省工作と両行提携の下工作を託され、業務提携約束の証人になることを頼まれ、さらには提携後の業務計画策定にまでその意見を取り入れられて参考にされる。そして、数年後、両行は業務提携を大々的に発表するにいたり、その人物は功労者として称賛されるも、惜しいかな、不意の病に倒れ敢えなく…。
    (もちろん架空のよたばなし。)
    あり得ますう?
    そう、定説と違う仮説思考すると、誰が龍馬の口をふさいだ、あ、いえ、暗殺したかもいろんな答が出そうですね。

    • @maxmax1999max
      @maxmax1999max 2 роки тому +3

      みずほ銀行中途退職~なら、第一勧銀、富士、興銀の合併話をまとめた高知銀行中途退職者が~でいいのではないかと、のちのちまで内部がまとまらないみずほ銀行=明治政府じゃあんまりですかね。当時ありえないと思われた薩長同盟からすれば、さくら銀行と住友銀行の合併をまとめた尼信中途退職者の方がいいかも。

  • @jj8hgc
    @jj8hgc 2 роки тому +8

    そもそも坂本龍馬を世の中に引っ張り出した新聞記事”葉山の御夢”が、もう・・・ね😅

  • @emmaakane6043
    @emmaakane6043 2 роки тому +5

    明治に同人誌書いた本人は史実として残ったことに驚いてるかもね

  • @napplog
    @napplog 2 роки тому +18

    いつの時代も便利な駒として都合良く使われる龍馬様

  • @jamescameron6630
    @jamescameron6630 2 роки тому +34

    戦前の教育では中岡慎太郎の手柄が全て坂本龍馬のものになっていてビックリした。シベリア抑留から帰ってきたら世の中変わってた。

    • @中野善行-h6t
      @中野善行-h6t 2 роки тому +4

      興味深い楽しいお話し、ありがとうございます✌️ シベリア抑留は耳学説ですね🤪

  • @いかるがはやた-e9i
    @いかるがはやた-e9i 2 роки тому +11

    龍馬は司馬遼太郎の小説が元。

  • @j-kenny
    @j-kenny 2 роки тому +20

    坂本龍馬と司馬の竜馬を同じと考えている人間が沢山いますよね!
    武田鉄矢などは特にそうですね!
    この動画を見せてあげたいですね❤

    • @高橋秀行-r2r
      @高橋秀行-r2r 2 роки тому +4

      これはおとぎ話ですよ、って言う意味合いも込めて「竜馬」なんだろうね。
      聞いていて楽しい、面白ってもんは疑うべきなのにね。

    • @Gonta-xl5lz
      @Gonta-xl5lz 2 роки тому +6

      武田鉄矢さんは、竜馬がゆくで惚れ込んで漫画の原作まで書かれてますが、そこなところは、ちゃんとわかつたますよ。にわか竜馬ファンでないからね。

    • @空-j6y
      @空-j6y 2 роки тому +7

      土佐藩の郷士である坂本龍馬が脱藩して幕末動乱期に活躍したという事実は変わりません。ただし、『竜馬がゆく』の創作部分を認識しておくことも大切だと思います。

  • @BUENA0707
    @BUENA0707 2 роки тому +25

    こんな創作のような人物が日本史上最高のヒーロー、偉人中の偉人として認識されている日本って大丈夫なのか??歴史は史実に基づいて評価されるべき。

    • @佐藤太郎-g4x
      @佐藤太郎-g4x Рік тому +1

      自民族礼賛を目的としたプロパガンダが
      広く大衆に「事実」なんて認識されている
      ような世界一の歴史修正主義国家だからな。
      韓国よりはるかに酷い。
      江戸時代礼賛言説なんて
      その大半がデマに基づいている。

  • @kurokuro1048
    @kurokuro1048 2 роки тому +5

    もともとは、ローカル新聞の連載物として見出された人物。(もちろん、土佐ね。薩長閥の全盛期に土佐にも英雄は居ないかってね。土佐藩は倒幕・明治維新にほとんど関係無いから、脱藩した連中からとね。)
    その連載物が地元で人気が出て、全国紙へも転載。それとほぼ同時期に、皇后の夢枕に竜馬が立ったと侍女が新聞社に。(もちろん、その侍女は土佐出身だとか)
    それで一気に全国的に知名度が知れて人気者に
    海神扱いにされて、小学校で習う歌の中にも出てくる有名人に。
    司馬遼太郎の前の話。ここでも司馬遼太郎が坂本龍馬神話の火付け役みたいな勘違いされてる方が多いけど。
    戦前の方が異常なんよ。

  • @mejirorock54
    @mejirorock54 Рік тому +5

    未完に終わった「風雲児たち幕末編」も、ほぼ薩摩、長州、幕臣の描写で占められ、龍馬は雑魚キャラ扱いになっていきました。みなもと太郎氏も当初は龍馬中心で描こうとしていたようですが、史実を調べていて無理と気がついたのでしょう。

  • @ブルースカイ-x7h
    @ブルースカイ-x7h 2 роки тому +10

    参考文献の『龍馬暗殺』を書いた歴史研究者は、“きりの さくじん”先生です。鹿児島県のご出身で本能寺の変の研究でも超有名。

    • @nihonshi-salon
      @nihonshi-salon  2 роки тому +2

      ご指摘ありがとうございます!訂正させていただきます。

  • @skuway
    @skuway 2 роки тому +1

    桂浜の坂本龍馬像はいつ建てられたんですか?司馬さんの龍馬がゆくの後ぐらいなのかな?

  • @オザワカズオ
    @オザワカズオ 2 роки тому +6

    司馬遼太郎の作品大好きですが、どのタイトルも展開が似ていて段々飽きましたね…。
    坂本龍馬の事跡、作中ですと八面六臂過ぎて身体が足りない印象有りましただけに、納得でした。

  • @黑き史
    @黑き史 2 роки тому +20

    坂本龍馬は、薩長にとって体の良い『使い走り』『便利屋』だったようにも感じられる。
    結局何処まで行っても歴史的な立ち位置は─主役ではなく─脇役であり、一歩間違えれば『その他勝利大勢の一人』として歴史に埋もれてしまったのかも知れない。
    ところが死後暫くして、様々な思惑をもった人物によって引っ張り出され、多くの人々に知られるようになったのは、(ある意味)希にみる幸運児でもあったと言える。

    • @sakawayo608
      @sakawayo608 2 роки тому +10

      事実としてお話します。同じ土佐藩の重役である寺村作善の慶応3年の日誌に、西郷・大久保といった面々との会合の出席者の氏名を
      「我が藩の巨魁なる坂本龍馬・中岡慎太郎も同席にて・・」と記しています。そして龍馬が暗殺された後に土佐藩の福岡孝弟は越前の松平春嶽へ拝謁し、事の顛末を知らせています。誰も気に留めない人物であれば、このように重職にある人たちが、せわしく動くとは思えませんよね。

    • @黑き史
      @黑き史 2 роки тому +4

      @@sakawayo608 なるほどそうなのですね。ありがとうございます。
      そうなると司馬遼太郎の小説等で現在のように世間に知れ渡ることが無かったとしても、歴史専門家や研究者からは「知る人ぞ知る」人物として─現在のように人気者になるかどうかは別にして─評価されたのかも知れませんね。

    • @sakawayo608
      @sakawayo608 2 роки тому +6

      @@黑き史 さんへ。
      その通りと思います。
      維新後の歴史上の人物は坂本龍馬の存在価値は分かっていたと思います。だから維新後の薩長政府に嫌気を感じた人達が、龍馬をかつぎ出して宣伝したと言えるでしょう。(日露戦争前の「皇后の奇夢」の話がいい例です)

    • @tk2pene655
      @tk2pene655 Рік тому +1

      グラバーのな

    • @ちょうさんzv703love
      @ちょうさんzv703love Рік тому

      明治維新で最も日本の為に決断したのは慶喜公だよね‼️イギリスやフランスの植民地にならずにすんだのも大政奉還で終わらせたはずだったのに会津藩や長岡藩を朝敵として殺戮を見せしめの様にやった‼️話せば解るなんて奴はそうはいないよ‼️暴力革命だよ‼️

  • @junyaauki9211
    @junyaauki9211 2 роки тому +4

    司馬遼太郎さん自身、竜馬がゆくは、坂本龍馬のりょうの字を変えて小説だから、と、言ってたみたいですけど、見事に、歴史が変わりましたね。 
    歴史作家の書いたのが、独り歩きしましたね。

  • @正木学-n8c
    @正木学-n8c 2 роки тому +13

    何年か前某テレビで虚構の英雄坂本龍馬を放送していた、明治維新で薩摩と長州は利益を得たが土佐は得るものがなかったので虚構の英雄坂本龍馬ができた。

    • @中野善行-h6t
      @中野善行-h6t 2 роки тому +1

      明治維新で薩摩が利益を得たとするご意見は修正して頂きたいと思います! 江戸期の薩摩は佐渡金山の二倍以上の金産出の藩でした。 不思議と知られておりませんね。それの莫大財を藩の為でなく富国強兵に使っておりました。 長崎に初のドック式造船所を造り大坂に綿糸機三千台からなる蒸気式の近代的紡績工場を造り綿織物産業の礎。 横須賀の造船所も島津家の資金ですね。そして、西郷どんと大久保が無責任な西南戦争ですね。 お金を使っただけで故郷の破壊者でした。

  • @KojiroSasaki-h5y
    @KojiroSasaki-h5y Рік тому +2

    A historical novel should be written based on the historical facts.

  • @toyoslash1744
    @toyoslash1744 2 роки тому +3

    こんな重要な書類に直接仲介もせず重要重要人物でもない坂本龍馬が裏書しますかね?

  • @hideosumiyoshi3747
    @hideosumiyoshi3747 2 роки тому +14

    司馬遼太郎の「坂の上の雲」をよんだとき、「司馬の小説は講談だ」、「著者は講談師以上に、見てきた様な嘘をつく人物だ」と
    判断しました。 司馬史観がどれだけ歪んだ歴史像を作り出しているかを、丁寧に明らかにしていただきたいものです。

  • @pctsukasa
    @pctsukasa 2 роки тому +8

    つまり、歴史の教科書にわざわざ乗せなくてもよい人物だということかな。
    個人的には、ずっと前から薩摩藩と長州藩の【使い走り】っていうイメージだったんだけど…

  • @Z777-h3p
    @Z777-h3p 2 роки тому +3

    近々教科書から消えるって話を聞いたなあ。
    「おーい竜馬」原作であり龍馬ファンである武田鉄矢さんの心中はいかなものでしょうかねえ・・・
    「風雲児たち」のみなもと太郎先生は龍馬が活躍?する時期を描く前に亡くなられたけど天国で内心ほっとしているかも。

  • @herewegowearethereds
    @herewegowearethereds 2 роки тому +4

    坂本龍馬の顔を福山雅治だと思っていたら中井貴一だったようなもんだよ

  • @みっちゃん-g9m4y
    @みっちゃん-g9m4y 2 роки тому +14

    実際、龍馬は歴史の片隅に埋もれていたような人物で、司馬遼太郎さんの小説で、今の龍馬像が定着した感がある。個人的には人物ではないと思う。

  • @さっき-i9k
    @さっき-i9k 2 роки тому +22

    面白かったです。船中八策を作った竜馬については、いくら何でもかしこすぎやろと、自分も以前から随分違和感を感じてました。でも竜馬の活躍が今に伝わる話の半分でも十分に魅力的なのは間違いないですね

  • @半熟リング
    @半熟リング 2 роки тому +6

    司馬氏にはウンザリ。
    好きで沢山読んだのにな😢
    物語を史実と捉えてしまった自分が悪いのだけど😣

  • @西脇清春
    @西脇清春 2 роки тому +7

    3:44あたりで「薩摩藩上層部の思惑(しわく)の下~」とおっしゃっていますが、前後の意味から思惑(おもわく)が正しいと思います。

    • @nihonshi-salon
      @nihonshi-salon  2 роки тому +2

      ご指摘ありがとうございます。
      おっしゃる通り、「おもわく」ですね。読み違えてしましました。
      固定コメントで訂正いたします。

    • @北の独居
      @北の独居 2 роки тому +1

      @@nihonshi-salon このコメントを固定した方が面倒が少ないと思われ。

  • @マホーンアレックス
    @マホーンアレックス 2 роки тому +50

    確かに最近の研究によって龍馬は評価が落ちてることは確かですね。しかし龍馬の功績は一脱藩志士としてはかなり大きいものなので、龍馬を単に否定する人が増えないことを願っています。

    • @夜間飛行-r9r
      @夜間飛行-r9r 2 роки тому +13

      薩摩藩が諜報員として多数抱えた他藩出身の浪人、その多数の中の一人とういう評価だと思います。

    • @sakawayo608
      @sakawayo608 Рік тому +3

      @@夜間飛行-r9rそういった内容の書かれた当時の文献等を知りたいところです。

  • @栄一郎佐々木
    @栄一郎佐々木 2 роки тому +4

    薩長同盟は龍馬の他にも月形潜蔵とかが絡んでいたようだよ。

  • @user-lw5vi5qr7l
    @user-lw5vi5qr7l 2 роки тому +3

    竜馬大好きな武田鉄矢に見解を聴いてみたいなあw

    • @user-lw5vi5qr7l
      @user-lw5vi5qr7l 2 роки тому +2

      @@ts7049 武田さんは龍馬ではなくて竜馬が好きなんでしょうね

  • @浅間大明神
    @浅間大明神 Рік тому +2

    高度成長期の昭和の時期に司馬遼太郎の小説が世相に押されるように持て囃され、テレビの大河ドラマで火が着いた「坂本龍馬」。
    33歳の若さで幕末を駆け抜け、後の明治維新の影の立役者と、つい最近まで波瀾万丈の人生を送った悲劇のヒーローとして私もそのストーリーを信じて止まなかった。しかし、その龍馬の人生を含め様々な出来事は司馬遼太郎の創作と史実を結びつけたフィクション。時間が経つにつれ、まことしやかな庶民の歴史となってしまった。坂本龍馬を始め傑出した人物達や幕末から明治にかけての研究、検証が近年進むと劇やテレビ、教科書、特集の雑誌などで随分と史実と違うことが報告されている。龍馬の後ろにいた資金提供者(大名、藩主や欧米人など)の繋がりを詳細に調べれば、これからまた新しい真実が発掘される事でしょう。少々戸惑いもあるが、歴史好きにはたまらないね・・・正に「事実は小説より奇なり」

  • @town.field.G
    @town.field.G Рік тому +4

    龍馬の行動に関しては創作が独り歩きしていることは龍馬を研究すればよくわかる。
    この動画も史実であるのか創作であるのかは、きっと永遠の謎になるでしょう。

  • @なるちゃん-w1j
    @なるちゃん-w1j Рік тому +3

    司馬さんの本は、小説だから、面白くないと売れないんですよ。歴史に興味を持つきっかけになればいいんですよ。ただ作中にある竜馬がアメリカ型の民主主義を目指していたというのは、司馬さんの思想を竜馬を使って読者に刷り込もうしているようにも見えなくはないけど。もっと真実を知りたい人は、いろいろな角度から勉強すればいいと思います。私は、明治維新を成功させた功労者は、廃藩置県を受け入れた、殿様達だったと思います。

  • @個人メール-q3x
    @個人メール-q3x 2 роки тому +18

    判り易い解説、ありがとうございます!
    土佐藩の脱藩浪士が、薩長同盟の重要人物とされているのに違和感を感じていたのですが、こちらの動画を拝見してスッキリしました。
    現代に定着している竜馬像は、政府がメディアを通じて作り上げたものだったのですね。

  • @ym-zo6uv
    @ym-zo6uv Рік тому +2

    新事実というか、新しい説としてそのような視点もあるのかと考えさせられました!
    子供の頃から様々な所で龍馬について聴いたり、見たり、読んだりしてきた自分の中のロマン溢れる龍馬像をこれからも大切にしていきたいと思います。

  • @andoh01
    @andoh01 2 роки тому +5

    小学生の頃は竜馬とか勝とかすげぇと思っていたけど、最近はアレだなと思ってる
    竜馬は実は過大評価だったのでは? とか勝は人の褌で功績を稼いだヘタレだとか

  • @佐織の辰ちゃん
    @佐織の辰ちゃん 2 роки тому +11

    アホみたいに龍馬ヅラする武田鉄矢によーく教えてやってくれ。

  • @熊五郎-k4v
    @熊五郎-k4v 2 роки тому +3

    竜馬は28歳位まで殆ど歴史には出てこないって聞いた事あるな。
    今のイメージは、大体が司馬遼太郎の「竜馬が行く」でしょ。
    坂本龍馬にしても宮本武蔵にしても、司馬遼太郎や吉川栄治の小説が元になってて、事実は違うのは有名だと思ってたんだけどな。
    まぁ、それだけ小説が面白かったってのはあるのかもしれないけど。

  • @sakawayo608
    @sakawayo608 Рік тому +1

    本当の歴史を知りたければ、小説ではなく「坂本龍馬関係文書」等の書籍を読むことを勧める。

  • @ya-makei7890
    @ya-makei7890 2 роки тому +13

    薩長同盟は福岡藩士の功績も大きい。龍馬像は過大評価もいけませんが過少評価もいけませんね。最近は龍馬さんについて一段落ついたように思えます。逸話が出る時代背景なんかも見てみると面白いかもしれませんね。

  • @toshiaki6870
    @toshiaki6870 2 роки тому +30

    だいたい史実通りの内容でしたね。言葉を選ばずに述べるなら「それ程大した事は無い」人物であったと。美化されてるところが多いんですよね。
    でもそうなると、尚更なぜ暗殺されなければならなかったのだろう・・・という謎が深まるばかりで。やっぱり幕末は大好きです。勿論龍馬も。

    • @瑠璃-m3z
      @瑠璃-m3z 2 роки тому +1

      「寺田屋事件」の指名手配犯だったから京都見廻組が殺しただけです。当時はカリスマな人物として有名じゃないし、見廻組にしてみれば、テロリストを始末しただけで、暗殺という思いはなかったと思います。作られた人物像のせいで謎だと、騒いでいるだけです。

    • @清水久彦-y1c
      @清水久彦-y1c 2 роки тому +12

      「本当は中岡を狙って龍馬は巻き添え」説も中岡は暗殺仕損じたことになるし。
      龍馬は見事に急所を狙って仕留めてるのに中岡は何ヶ所も切ってて仕留めそこねてるというのも謎。

    • @氷河-p2x
      @氷河-p2x 2 роки тому +4

      暗殺説があることから、逆に重要人物だと思われることになったのでしようか?

    • @sakawayo608
      @sakawayo608 Рік тому +3

      幕末の重要人物であるからこそ、暗殺されたのです。その点から真実を知る一歩になると思います。

    • @森雅史-j2r
      @森雅史-j2r Рік тому +2

      @@氷河-p2x 手駒で重宝してたが、いつの間にか日本の国益重視に動き出す龍馬さんに脅威を感じ始めた1団に殺られた可能性あり?。近年も有名な方が何人も…。

  • @矢野-n5m
    @矢野-n5m 2 роки тому +1

    「汗血千里の駒」や「竜馬がゆく」については知られているし、小説ですからそのように読むわけですが、数々の新説異論が絶えないのもまた龍馬の魅力じゃないかと思っています。
    ただ、船中八策については、では誰が創作した物でしょうか?
    慶應丁卯十一月 坂本直柔の署名の入った建白案は誰が書いたものだと言っていますか?

  • @soixante-sept-w5c
    @soixante-sept-w5c Рік тому

    面白く拝見しました。その2
    ②薩長同盟と坂本龍馬
     薩摩と長州が禁門の変で対決した直後、西郷隆盛は長州を厳しく処分すべきと考えていました。そこで元治元年9月、大坂で幕臣勝麟太郎と会談するのですが、勝は、「今の幕府は頼りにならない。これからは、薩摩、越前を始め、長州も加えた雄藩連合による共和制へ移行すべきだ。」と言います。この雄藩連合は先代藩主島津斉彬も唱えていましたが、それは飽くまで雄藩も幕政に参加するというものでした。しかし、勝は「雄藩連合が幕府に代わる」というのです。西郷はこの話に強い衝撃を受け、以後長州厳罰論を撤回し、将来の雄藩連合に備えて長州との和解を考えるようになりました。その直後龍馬も西郷を訪ねるのですが、勝の元で私設秘書のようなことをしていた龍馬は、当然勝やその上司である大久保忠寛から雄藩連合の話は既に十分レクチャーを受けて自説にしていたでしょうから、西郷は龍馬からも長州との融和を勧められた筈です。
     その後、勝は失脚して江戸へ召喚され、神戸海軍塾も解散となり、龍馬ら塾生は行く場を失いました。そこで、勝は江戸に戻る前に西郷に龍馬らの庇護を頼んだでした。しかし、薩摩藩の実権は藩主の父である島津久光が握っており、西郷に独断で受け入れを決める権限はありませんでした。西郷には久光の承諾を得ずに独断で行動し、沖永良部島へ流された苦い経験もありました。そのため、家老小松帯刀に相談したところ、当時薩摩藩では蒸気船2隻を購入したばかりで、船員が不足していました。龍馬ら元塾生庇護の話は船員不足を解消するのに文字どおり「渡りに舟」だったのです。但し、鹿児島で生まれ育だち、外を知らない久光は大の浪人嫌いで有名でした。そこで小松は久光に上申して裁可を得た上で龍馬ら元塾生の受け入れを決定したはずです。史料では確認できないものの間違いのないことでしょう。元塾生の数は8人であり、これだけの人数の浪人を久光に無断で鹿児島に受け入れることはあり得ないからです。
     かくして龍馬が鹿児島にやって来たのは慶応元年5月1日のことですが、これは「龍馬を含め、薩摩藩の海軍建設に向けた、具体的には士官、船員として期待されての鹿児島行き」(町田明広「新説 坂本龍馬」106頁)だったのです。このように操船技術を期待されて鹿児島に呼ばれた龍馬ですが、同月16日には長州へ向けて旅立つのでした。他の塾生が小松に引率されて長崎に向かい、予定どおり操船業務に就いたのに・・です。この点につき、歴史家の一坂太郎は、長州との和解を目論んだ西郷が、長州の内情を探索させるため龍馬を工作員として派遣したという新説を発表し、一時期話題になりましたが、果たしてどうでしょうか。工作員なんて、少し気の利く者なら誰でもできることなのに、操船という特殊な技術者である、しかも元塾生のリーダー格である龍馬をわざわざ工作員に使用する理由が薩摩藩にあったのでしょうか。

    • @soixante-sept-w5c
      @soixante-sept-w5c 11 місяців тому

      訂正
       お恥ずかしいことですが、訂正です。私は、勝が西郷と面談した直後、龍馬も西郷を訪ねたと書きましたが、これは誤りです。「大西郷全集」に収められた西郷の勝海舟へ宛てた元治元年9月11日付けの手紙に、「今朝下坂仕り候。ご都合に依り何れの御旅亭に参上仕り候・・」とあり、また、同日付けの海舟日記に西郷、吉井幸輔らと面会したことが記されています。
       「下坂」とは坂下、つまり坂本のことで、西郷が龍馬に仲介を頼んで勝と面会した経緯がうかがい知れます。また、西郷と勝の面会の席上に吉井幸輔も同席した訳ですが、吉井は龍馬と懇意だったので(吉井は最後まで龍馬の身を案じていたことが、遭難直前の龍馬の手紙から分かります。)、西郷、勝の面会席上に龍馬も同席した可能性も窺われます。
       つまり、龍馬は勝よりも先に西郷と面会していたことは間違いなく、西郷の手紙からは、「今朝下坂仕り候。」などと既に龍馬と面識があったような気安さも感じられます。この辺りになると、我々市井のマニアではどうにもなりません。先生方の今後の研究が待たれます。

  • @mikionakata7921
    @mikionakata7921 Рік тому +4

    司馬遼太郎の小説で 竜馬がいく の文字どうり
    龍馬ではなく竜馬だ‥かなりの創作があることを匂わせている。
    この小説で何十年も忘れらった人物に脚光が当たったため人物像が肥大化したのだろうと思う。
    無名に近い人物を通じてこの幕末の時代がどうであったことを小説にしたつもりであったが‥
    それに反してこの時代のことよりもこの人物に注目を集めてしまったということなのだろう。

  • @scottbodyshop
    @scottbodyshop Рік тому +1

    でも色々な偉人に評価されてたのがすごい。加来先生の話が1番良い。

  • @user-rc6mp7jb2q
    @user-rc6mp7jb2q 2 роки тому +6

    まぁ簡単に言うところの"戦争屋"ってところか、、

    • @Gonta-xl5lz
      @Gonta-xl5lz 2 роки тому +4

      グラバーに雇われた死の商人という説もありますよ。

  • @TK-fe6vt
    @TK-fe6vt 2 роки тому +10

    司馬遼太郎自身が『自分の小説で史実に忠実なのは、坂の上の雲、だけだ』と述べている
    つまりその他の作品は、実在の人物をキャスティングした創作である、ということ
    司馬遼太郎の小説を、事実と誤認している人の多いことよ

  • @shige19800yen
    @shige19800yen Рік тому

    今のビジネスの現場を想像すれば物事を決めたり調整したりする時に明確に誰の手柄だとか誰が決めたとか言いづらいので同じく明治くらいだと意思決定プロセスが高度になっていたということなんだと思う

  • @yoshiehoda7525
    @yoshiehoda7525 Рік тому +2

    グラバーのパシリ坂本龍馬。イギリスの武器商人グラバーの使い走りだったから、当然将来貿易をやろうと思ったんでしょうね。
    坂本龍馬は長州の創作。

  • @薩勇
    @薩勇 2 роки тому +11

    高知は、勝手に維新の10傑にも坂本いれてます
    嘘は、いけないですよね。
    ホームページにも載っけてます。
    ありえません。真実を載せるべき

  • @suesuedesune
    @suesuedesune 2 роки тому +2

    いまは資料館や教科書などもこの内容で統一されているのでしょうか?

  • @HumanoidDamian
    @HumanoidDamian 2 роки тому +9

    たった160年ほど前の出来事なのに、史実と創作がごっちゃになってたり、また新たな創作も次々と生まれる。これも歴史の面白さよなあ。

  • @cwy045
    @cwy045 2 роки тому +1

    なんな武田鉄矢も赤いきつねと緑のたぬきも揺らぎました

  • @jyankuro15
    @jyankuro15 2 роки тому +4

    船中八策って、どうも大政奉還以降に考えったぽいよなぁ。

  • @野依梅太郎非効率研究

    幕末から明治維新は、謎が多すぎる。

    • @onhon8484
      @onhon8484 Рік тому

      いつの時代もだよ…