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繰り返し繰り返し、流して下さい❗️ テレビでも❗️取り扱って欲しい‼️‼️‼️ 世界一の天才だ‼️‼️‼️ 日本の誇りです‼️‼️‼️
私はアメリカで学んだバイオリニストです。このドキュメンタリーに出てくる音楽家の多くをよく存じています。映像に出てくるメドマウントの夏合宿やジュリアードでも学びました。ガラミアン先生は気難しいところもありましたがとても素晴らしい教師です。個人的には奏法の変化やガラミアンの教育がこの悲劇を生んだとは思いません。私の個人的な見解ですが、音楽家である前に人間であるということを、茂夫さんが天才であるがゆえに、皆軽視していたのではないかと思います。戦後間もない2国間で、文字通り音楽しかない14歳の少年が一人でニューヨークに放り出された。人間としてバランスを欠いた、まだ幼さの残る茂夫さんの精神が病んでも、外交問題になると帰国を許さなかった両国の政府関係者を残念に思います。茂夫さんの本を読み、アメリカでも、日本でも個人的に関係者に話を伺った上での個人的見解です。非礼をお許しください。茂夫さんの作曲の江藤俊哉さんの録音や、ショパンを聴いて美しさの中にどこか切なさや儚さ、哀しみを感じます。最後のお父さんの愛情を受ける茂雄さんの表情がどこか幸せそうでよかった。。
ガラミアン先生から、ハイフェッツ氏の所へ移ってからなにがあったのか、この動画ではよくわかりませんでした。最初の方でハイフェッツ氏の性格が気難しい印象を受けたので、生徒を教えるのにはむいていなかったのかもしれないと勝手な空想をしましたが、やはり根本的には異国での心の成長が上手くいかなかったということでしょうか?見事な演奏に比べて、手紙や日記の文章が乾いて潤いに欠けるのは、悲劇的結末に繋がる何かを感じさせますね。
@@s.samuel6133 ハイフェッツ氏の所へ移動はしてないと思います。たしか、ハイフェッツ氏はロサンジェルスに住んで南カリフォルニア大学でクラスを持っていました。茂夫さんがお父様から習った右手の奏法はハイフェッツ氏と同じアウワーの奏法です。そのハイフェッツ氏がガラミアンに推薦したというのですがら、奏法的な議論はあまり意味がないとお分かりいただけると思います。オイストラフ氏も日本で茂夫さんの演奏を聴いた後、奏法を治すように本人にアドバイスしたそうです。私の個人的な意見ですが、お父様の愛情は良くも悪くも偉大だったと思います。彼は一般の子供らしい経験をせず、全て音楽に捧げて成長しました。子供らしい、友人との時間や、スポーツや、恋愛や喧嘩もあまり経験していなかったのかもしれません。人間としての成長がないと何事も成し遂げる事は難しいのではないでしょうか。14歳という歳もあり、心の自立はできていなかったのだと思います。(一般的に14歳で自立できるでしょうか?) 周りの人たちは焦らず、人間としての成長も考慮して見守ってほしかったなと思います。
彼のバイオリンは素晴らしい!そこばかり周りは見ていて、彼自身が人として尊重されるとか、人として普通の経験やら、受ける愛が不足していたとか、思春期の年頃で、時代背景もあり、たった一人で異国に渡り過ごした日々は、どこか孤独で同じ年頃の子供とも接する機会も少なく、精神のバランスを崩してしまった可能性もありますかね精神科医とのやり取りの中で茂夫さんの性格というか、何かを感じます(上手く表現出来ずにすみません)
@@s.samuel6133
貴重なお話ありがとうございます。渡辺茂夫の演奏を知り、このドキュメントを見て当時は何故カーチスじゃなくジュリアードなんだと考えていました。ハイフェッツは他人に全く興味が無いタイプの人間で留学の口添えをしてくれた事自体が衝撃でしたが正しい道を示してくれたのか疑問で、若いオイストラフの演奏に左程魅力を感じていない事もあり彼らの行為に懐疑的でした。お話を聞いて冷静に考えれば当時ガラミアンに師事できるのは最良の環境であったことは間違いないと思います。バイオリン教育に於いて日本は絶望的に後進国であり天才であっても技術的に一からやり直すべきところは多くあったのでしょうね。米国への留学も当時は貴重な外貨を使うに値する人物か審査され、留学する日本人は国家の威信を背負い命懸けで渡米するという時代でアジア人に対する差別も強烈でしたから時代が違えばと残念でなりません。
なんどでも聴いていたい音色ですね。本当に心がピアでないとこの音色はだせませんよね。偶然見つけた動画ですが感動です。日本で彼のような 天才少年がいらしたこともしりませんでした 2回もみてます。バイオリンの音色があたまにのこって わすれられないです、、、
HIMARIさんの動画で、度々『渡辺茂夫』というワードが目に入り、この場に辿り着きました。演奏を通して茂夫さんに触れられたことに感謝します。愛おしく、切ない。。深く激しい感動とともに、言い得ぬ悲しみに気持ちの置き所のつかない暗闇に突き落とされる。『愛』 人が生きるうえで不可欠なものだったんだと、改めて教えられる思いです。HIMARIさんの担任先生がおっしゃっていた。「若くして華開いた非凡な才能を、どのように見守るのか。次に繋げていけるか。責任の重さとその怖さがある。」という言葉の重みを感じます。
「天才をどう育てていいか誰もわからなかった」という言葉が印象的でとても悲しかった。まだ子供なのに異国の地で今までやってきた演奏法を無理に矯正されて辛かっただろうな。大人が潰してしまった素晴らしい才能、ただただ残念。
チャリンピックと同じちゃうん?恥どころか賢いとさえ思ってそう。気色悪いんだよね、そういう連中。道理で、人類滅ぼそうとしてる訳だ。研究機関兼ねた独房でどうぞ。
ニューヨークの街が嫌だったんでしようね連れに行く天才の前に我が子である異国で矯正されたんだねレッスンを否定されたかな⁉️
医師の話しを聞いた感じでは少し人とのコミニュケーションに問題を抱えていたかもと思いました(会話を遮って歳上の方の間違えを淡々と指摘する)。現在なら対処法もありますが、当時、それも異国ではなかなか難しかったかも。技術的に仕上がっているのに自分の演奏方法を矯正されたのも苦しかったし、孤独で日本に帰国したかったはず。一言で表現出来ないくらい細かいことの積み重ねに精神が追い込まれていったのでしょう。本当に残念でなりません。
優秀なピアニストが、ニューヨークにて自尊心を矯正され外の、もろもろが純粋な精神を 異常な方向、苦しみがつきまとい、リスクを受け 悲しい限りです。日本の損失にも値する!残念です。改めて名ピアニストの生き様を知りこの御家族に感謝とご尊敬を表したいと思いました。有難う御座いました。😊❤
バイオリニストね
天才を育てるというのは、また無事に世に送り出すというのはこんなにも難しいことなのですね。彼には生きる事を埋め尽くせるほどの愛が必要だった。
彼の奏でるバイオリンを聞くと、体が振動し始めるんです。体の真ん中にある生命の根源的エレルギーが反応しだす。体が喜んでいるんです。彼の奏でるバイオリンの音色は温かく愛に溢れているから。
@@rococo9342
こんなに素晴らしい方がおられたのとを今まで知らずにいました。演奏を生で聴くことができないことを惜しまずにはおれませんが、古い映像とテープから聞こえて来る素晴らしいバイオリンの奏。完璧であればあるほど切ない気持ちがします。アメリカでどれほど心細く苦しみ悲しかったことか…そしてまたご両親もどれほどの思いをしたことか… ご自身のバイオリンをみて微笑まれているということは、バイオリンの良い思い出が蘇るのですね。それが救いでしょうか
降臨という言葉がありますが茂夫さんにモーツァルトが降臨したと考えるとこの天才ぶりに納得がいきます。
モーツアルトの降臨ではなく"しげお"さん自身です。代わりになるひとはいません。
彼の様な日本人、悲劇の神童が存在した事を73歳になった今、初めて知りました!この番組の制作者様に感謝いたします、ありがとうございました。
息子さんがテーマですが、バイオリンの師でもあり、父親でもある立場から息子さんに寄り添い切なさを乗りこえて生きる、心の強さと愛情を感じました。
Un valor loable, un gran amor.
以前、渡辺茂夫さんの事を、テレビで見たことを思い出した。全くの悲劇だ‼️ アメリカに行かなければ、廃人になどならなかった‼️ 残念で可哀想で、悔やまれる‼️ 天才は、めったに現れない‼️ やり方を変えるなど、大人の無知と傲慢なだけだ‼️ やり方は、その人独自のものだ‼️ 許せない‼️‼️‼️
残念❤、!!ああ
アメリカで一人暮らし、心の世界がしんどかったのではと思います。心が繊細で豊かだからこそ、つらかったのではと思います。眠れない日々が続いたのでしょう。晩年良いお父様お母様と過ごせて幸せだったのかな。素晴らしい音楽を残してくださりありがとうございます。
お世話をされるお父さまの穏やかで温かいまなざし生きていてくれることを喜んでおられるように、勝手ながら感じますもう悔しさや悲しみを越えた所にいらっしゃるように見えます居てくれるだけでいいのだと
ふ
才能も実力もある渡辺さんが言語や文化の違い、そして周囲からの嫉妬によって潰されてしまった事がとても残念でなりません。彼が壊れていなかったら類い稀にみる天才ヴァイオリニストとして日本や世界で活躍していたと思うとやるせない気持ちになります。日本に帰国できて最愛の御両親と一緒に暮らせた事がせめてもの救いです。
戦後、最近も、優秀な日本人許すまじ、の政策が有ったように思えます。優秀な日本人潰しも国内でありましたから。優秀な日本人潰しは酷かったようです。気が久留う人、次札、左遷等半端なかったと聞きました。知人も旦那さんも嵌められて学校を辞めなければ行けなかったそうです。そして家族バラバラに。子供とて才能があれば見逃されなかった様に思えます。オリン○。○を見てもわかると思います。
日米協会が、親からも帰国させたい、少年本人も帰国したいと幾度も訴えたのに、当初の約束(ホームステイのみ、アルバイトさせない、期間は2年間のみ)はどれも守らず、酷いとしか言いようがない。アメリカに行かなければ、日本で平凡でも恋をして家庭を築いて暮らしていただろうに。気の毒で仕方がない。
@@riverside673 ーー
この方の事は全くぞんじあげませんでした。天才であるがゆえに、孤独とも戦わなければならなかったのですね。親御さんの元に戻られた後は、きっと愛のある生活だったことでしょう。番組最後のバイオリンの曲に、涙が出ました。渡辺 秀夫さんを知ることができてよかったです✨✨
そ
古い演奏を少し聞いただけで、背中がぞくぞくしてきます。高音がこんなに伸びて美しい演奏を、まだ10代の少年がしていたなんて。いいえ、もっと幼い時代の演奏でも、その透明な音が美しすぎて驚きました。過去は変えられないのが、本当に残念です。日本で自由に育ったら、どういう未来があったのか?切ない話でした。
日本でも廃人になりそう。天才の独特な感性による鬱かもね。
@@あああああ-i7r 五島みどりさんは、お母様が留学に付き添って、精神的なサポートをされていました。後に離婚されましたが。それを見ても、未成熟な時代に留学するのは、ナイーブ芸術家の精神を支え得る体制がないと、難しいのかもしれません。特に終戦後の対日感情の厳しい時代には、敗戦国の人間というだけで、大きなプレッシャーを感じたことでしょう。芸術家の精神を支え技術を成長させるのが、どれほど難しいかよく分かります。
@@あああああ-i7r こ
@@おこちゃ-e4y
@@スウ-x8j すすふ
当時の日本では「海外で芸術の教育を受ける、あるいはコンクールで実績を持つ」というステイタスが絶対的価値を持っていました。お母様が早いうちに海外へ1人出すことに抵抗を覚えたのは単なる胸騒ぎではなかったのですね。言葉が違うというのは相当なストレスです。言葉は文化なのでその国の人にしかわからない習慣やものの考え方の上に成り立つのです。海外へ出さずに日本でずっと演奏していたら、あるいはもしも違う道に進んだとしても救いはあったと思います。脚しか映されないいじめ、嫉妬。茂夫さんの突然閉じられた音楽生活に涙が溢れます。ずいぶん前に私の親友がまだ生きていた頃テレビ番組で渡辺茂夫さんのことが放送され、すぐにCDを買い求めて聴きながら話をしたことを思い出しました。茂夫さんとご両親の魂が安らかでありますように…。
忻.:❤;,😅😊:。😊
クラシックの世界は未だに厳しいですよ。今も日本で才能のある子達はもう小さいうちに海外に行くのでその後どうなったのか分からない人もいます。人知れず辞める人もやっぱりいると思います。
家族のもとに帰れて幸せだったでしょう。素晴らしい家族が育み育てた茂夫さん、14歳で突然全くその優しさの全てから切り離された。人間、子どもがどれほどこわれものかも知れないことを学んだ。お父さんと茂夫さんの優しい笑顔が心温まる。
言葉じゃなく魂に染み入る音色琴線がふるえました。ありがとうしげおさん!
昭和20年代産まれの私です。音楽で生きる。スポーツで生きる。マスゴミ、人間を追いかけ廻すんじゃない。大谷翔平が、何をしようと、貴様に関係無いです。
@@平田恵子-p8u大谷翔平もだけど音楽家は聞いてくれる人が居なきゃ1円にもならないんですよ。それに野球なら試合、音楽ならコンクールやリサイタルがあるから上手くなるんです。死ぬまで強く突き進める事が出来る人もいれば、途中で辞めてしまう人もいます。有名でも人知れず辞めてしまう人達もいます。。
渡辺茂夫さんのこと、この動画で知りました。悲劇的な生涯だけれど、天才故の苦しみから開放され、お父さまの愛情を一身に受ける晩年は、とても安らかなお顔をされているように思いました。
誰も育て方が分からなかったのではなくて、お父様が、茂夫さんを導くことができた唯一の師であり、バイオリンが弾けなくなってからも、本当の愛情でもって、最後まで諦めずに育てようとされていたと思いました。天才少年の奏でるこの調べは、お父様が愛情をもって指導したからこそ、完成されたのだと思います。
😂😅
本当にもったいない。留学すれば良いというものでは、ないんですね。まだまだ親元にいたい年齢、すぐに帰国させてあげたかったですね。
それだ!
全くその通りと私も思います。茂雄さんはすでに完成されていて、そこまでご指導されたのはお父様です。愛情なくして導くことは出来ませんね。
渡辺茂夫さん!日本人でこんなに素晴らしい音楽家がいたことを、決して忘れません。
偶然この動画を見ることが出来、初めて渡辺茂夫という天才のバイオリニストの存在を知れたことに、ただ感謝。彼の奏でる音色にも、まるで運命の神に弄ばれたかのような人生にも、表す言葉がない。彼のいま残されている貴重な演奏の音源は、今からでもCD化されて、自分も含め多くの人に聴いてほしい。時の中に埋もれ忘れ去られていい才能、輝きではない…そう、強く深く心に響くものがあった。アメリカではなくて、ヨーロッパの音楽院ほうがよかったのかな。クラシック音楽の歴史を思えば、異国の才能を受け容れる土壌としては、もう少し懐の広さみたいなところがあったのでは…
He would've had some impression of freedom ìn Europe. It's my opinion cuz I studied both America and Europe.
さ
?
お父様のひたむきな愛情で美しく咲き誇る薔薇が茂夫さんへの色んな想いを慰めたり支えているようにも見えて生き抜くことの大切さを改めて感じました。
生有る限り何があろうが生き抜く事を私も改めて感じました。ただあれだけの天才があのような姿になられ悔しいし悲しすぎて言葉がありません。今は天国で思う存分演奏され幸せに暮らされてることを願うばかりです。
留学先から家族への手紙が、簡潔かつ冷静で、親を心配させまいとしているのが後になってわかった。本当は米国で周りからは嫉妬され、大人からは商業的に成功するように仕向けられ、何のために生きているのかわからなくなったのか。年老いるまで自由に心ゆくままヴァイオリンを弾いてほしかった。ただただ悲しい。残された録音の音色は本当に美しく、世界の宝ですね。
このドキュメンタリーの最後の言葉が重く心に染みてきます。これまで渡辺茂男さんのことは知リませんでした。一度彼の演奏を聴いてから他の誰もと違う心根の音、陶酔するという心境を初めて知りました。
1999年8月15日渡辺茂夫は急性呼吸不全により58歳で亡くなって養父・渡辺季彦は2012年103歳で亡くなったそうです。
@@ちえこ-z2g
嫉妬で潰された。可哀想に。自分達の方が上だと思ってるからね、あっちは。未だにスポーツの世界でもあるしね。
新聞記事で死亡記事みたような天才❗の文字おぼえています
@@ちえこ-z2g 911テロの前で日本社会も経済も既にぐちゃぐちゃになり始めて国民としては何がどうなってるのか報道からは全く掴めずに、、という状況に入っていました。阪神大震災後に施行された介護制度の元で、ある意味、臭いものにフタをされたのかも?しれません。。?ハリウッドがとうとう、映画制作をしなくなるーとかラジオで聴き、最後のディズニー作品のストレンジワールドを昨夜、見ました。早朝と夜しか上映してないので子供に向かないのかな?と先ずは一人で鑑賞したのですが、、昭和30生まれで、シャープ本社近くの小学校で毎土曜、職員会議の間、ディズニー映画を講堂で見せてもらってきて、また、孫とも見てきて、、集大成!というか、、シナリオも演出も、子供の精神の成熟度を考えて、無理やり、暴力的な重低音などで呼吸器官を共鳴させることで押し込んでくる強引さがなく、、大人になってまた、もう一度見たときに、さらに洞察が深まる、、というもので、、あまりにも子供の将来を見据え、家族を見据えていて、胸があつくなりました。。叙情性、扇情的にではなく。。ディズニー資本がユダヤ資本から転換されたのが、、沈没事件だったと911テロ後のネットに詳細が書かれていて、単に過去の事件というだけで終わらせてはその後に起こる書事件が見えなくなってしまうという点で沈没事件の重大さを知りました。ありがとう!ディズニー!
90歳時点で、茂夫さんを送られ、、毎日テレビは本当にこの時を逃しては、、という最後の時期にドキュメンタリーされてらした、、ということですね。。小学校時代、毎週、講堂で広島被爆者のお話会や単純に校長先生のお話しだったり、映画を見せてもらってましたが、そのときに必ず、毎日新聞のニュース部分があり、原爆のきのこ雲が二段になってました。きのこキャラが昭和60代になると、京大生だった方が作ったスーパーマリオが大ヒットしたり、、お菓子でもキノコチョコが出たり、、ドコモもキノコがトレードマークだったり、、意味が未だ、見えないですが、、、国際的に重要な共通認識では原子力エネルギーをどうするか?ですよね?ディスニー映画のパンド、、同時上映作品のパンドラ、、後者は未だ見てませんが、見るべきにも思えます。。ストレンジワールドも用心してましたが、、頭が良くないので何度も見ることで何か示唆、啓蒙?が得られそうな気もしますし、、その発想の奇想天外さは奇抜なのに、有機的な調和が感じられ、きっと!天才だから思いつかれたのでしょうか?茂夫さんのことをディズニーが知っていてくれたなら、、茂夫さんがディズニーランドに気晴らしに行けてたなら、、カトリック系の修道院繋がりの留学だったら、、と思わずにはおれないです。。
茂夫さんご本人のご心情はもちろんのこと、お父様のご心情に対しても勝手ながら思いを馳せ、心が絞り取られるような思いで涙が溢れました。息子さんとの思い出を慈しみながら楽しげに語られるお姿。日々、懸命に息子さんのお世話をされるお姿。二階からも目に届くようにと、家全体を包み込むように手入れされた、溢れんばかりに咲き乱れる美しい花々。一言では到底形容し難いお父様の深い想いと、息子さんに対する変わらぬ愛情を感じずにはいられませんでした。非凡な才能を目の前にして、多くの方が「良かれと思って」動かれた結果であったことを思うとやるせない……。
You Tubeにおすすめで出てきて、初めて渡辺茂夫さんの存在を知りました。私の両親は渡辺茂夫さんと多分ほぼ同時期にNYその他の大学に留学していました。某有名大学に留学していましたが、そんな大学の教授ですら日本に対する戦争認識が誤っていたり、日本人に対する露骨な嫌がらせや差別があったそうです。まだ子供だった茂夫さんがどんな想いをしたか、考えるだけでもお気の毒です。その才能が悔やまれます。きっと天国で義父様と楽しくバイオリンを弾いていられる事をお祈りしています。
日本人で、このような素晴しい天才バイオリニストがいたとは知りませんでした。今回、この動画で渡辺茂夫さんを知ることが出来て良かった。ありがとうございます。感謝
七才の時のバイオリン🎻の音色はこんな引き込まれてしまう弾きかたがあるのかと驚きました。今も素晴らしいバイオリン奏者はいますが、この人には情熱があり音が透き通っています。渡辺茂夫はバイオリン奏者の神と思うぐらい右に出る人はこれからも現れないでしょう。非常に惜しい人です。毎日聴いても素晴らしすぎて感動しています。
映像では嫉妬と表現していますが、戦後間もない米国でどれだけ差別されたかと想像してしまいます。30年前ですら米国の国内便は前から白人、黒人、黄色人の並びになっていましたからね。道すがらジャップと馬鹿にする奴もいるわけで。1週間やそこらで私が感じた差別を、戦後間もないころに中学生が感じた疎外感を想像すると涙が止まりませんでした。
天才過ぎたんだなぁ 誰もその天才の育て方がわからなかったって言葉が言い表せているな先生に預けなくても良かったのかもしれない 100年に1度の大天才は感性を育む周りの環境だけあれば自分で成長していくのかもしれなかったなぁ
胸が締め付けられ、とてもみていてつらいです。
渡辺茂夫さん、日本にこんなに素晴らしい天才がいらっしゃったことを知りませんでした。茂夫さんが奏でる深く心に響くバイオリンの音色、日本では明るい音色だったのに、アメリカへ行ってからの音色は暗かったとお父様が仰っていました。国の文化の違いで、もみくちゃにされて精神をお壊してしまわれた。ご両親へ宛てた手紙にも、もう書くことは無いけれど、それについてご両親の返答を聞いたり、ニューヨークがあまりいい場所ではないと書かれている。誰にも自分の思いを聞いてもらえずにどれだけ苦しまれたことか😢どんなにお辛かったことでしょう😭周囲の方々からの愛に包まれ、のびのびと自分の演奏をができる茂夫さんの姿を想像してしまいます。涙が止まりませんでした。お父様が、茂夫さんの為に作られている愛のこもった薔薇の花がとても綺麗です🌹
二人目の女性のインタビュー者の女性は、”文化、カルチャー、先生に殺された”と言っていますが、訳は先生が抜け訳されています。
@@7772018 様そうなのですね。
私の子育ては、愛情を利用して、子供を勉強へと追い込んでしまいました。私にはそんなつもりはなかったのですが、結果的にそうなってしまいました。主人の実家の目を気にしていたのだと思います。私自身が自分らしく生きていなかったからだと思います。そして結局は、息子へかけていた愛情が違う方向を向いてしまい、息子は精神的、身体的にダメージを受け、立ち直るまでにとても年月がかかりました。健やかな青春時代を奪ってしまった。書いているうちに涙が出ました。子供が成長する為には、ある年齢までは愛情が1番大切だと思います。見守り温かい言葉をかける、それだけで子供は自分の持っている力を充分に発揮できるものだと思います。
唯、唯、辛いです 。本当に、あの権威者と、その周りを取り巻く、両国文化の重圧に殺されたんですね、、、、😢
1999年のある深夜に再放送されていたドキュメンタリー番組をたまたま途中から観始めて、その内容に強い衝撃を受け、以来20年以上あの番組を初めから観たかったと折に触れて思い起こす。自分にとってそんな番組があった。バイオリンの極めて高い演奏技術ゆえに演奏団から嫉妬され、写真では足しか写されない( 29:40 )というシーンは強烈に記憶していた。このバイオリン演奏における不世出の天才と言われる少年の物語は、ボクシングの井上尚弥がKO勝ちを重ねる姿を見るとふと想起することがあった。99年に観た番組のバイオリンの天才少年に悲劇が襲っていなければどうなっていたのかなぁと。幸い、井上尚弥は渡辺茂夫のような悲劇的な出来事に襲われることなく、その非凡な才能を、至って当然のように偉大な結果を残すことで、開花し続けている。こうしてユーチューブで全編を視聴することができて感無量だ。初めて全編を視聴して、あの日の深夜に受けた衝撃が「思い出補正」ではなかったと認識できた。特に「この年も渡辺家のバラが咲いた」に始まる出色のナレーション( 35:43 )は、ドキュメンタリーの歴史に残すべきもの。
マスゴミ➡️マスゴミだけでは無いですね💖大谷翔平も、ドキュメントに残して下さい
丁寧につくられたドキュメンタリーが観られてうれしいです。不世出の「天才」と呼ぶに相応しい方・・・お父様にサポートされ暮らすシーンに映る、この世のものでないような、綺麗なお顔が印象的でした。幼い頃から、渡辺茂夫さんは私の憧れであり、これからもずっとinspiringな存在です。
東 東あきちゃんの誕生日 10月10日 その日は1日何をしてますか
彼は20世紀のモーツァルトです、と言うプロの演奏家の言葉が彼の才能の凄さを物語っていると思う。
悔やしくてざんねんでたまりませ( -_・)?、天才波動して、命短いのでしよう、幸せ、祈ります。
今までこんなに素晴らしいバイオリニストがいらっしゃったとは知りませんでしたが動画を見てすぐモーツァルトを思いました。
10代で両親の元から離れ海外に住むことの大変さ。。思春期に、、どんなにバイオリンが天才でも、、胸が痛く思う。。
映画『アマデウス』では父レオポルトにより3歳からヨーロッパ中を連れまわされ皇帝の前でチェンバロやピアノ演奏を披露させられた、その結果が朝まで舞踏会で遊んだりワイン飲みながら作曲し30代でこの世を去った、親や周囲の環境で子供はそうなってしまうんでしょうか…。
@@田中和子-z7sなにな
本で読んだことはあったけど、こうやって昔のドキュメンタリー観れるのありがたい。アメリカじゃなくて違う国に留学していたらどうなったんだろうかとか考えてしまう。
戦後すぐだしこの悲劇は、いろいろあるけどアメリカで敗戦国ってのもあったと思う。
ずっと関係性で変なことされてたんでは?思い通りにならないから暴力に至って…隠蔽…その上助ける事もできず
お父さんに習っていたのが、ロシアのバイオリニストの奏法っていってたので、ロシアとか東欧だったらよかったんでしょうか。でも、戦後まもなくだから、共産主義の国には留学できなかったのかな。。
養父の季彦氏は、本当はドイツかオーストリア(自身が模範としたレオポルト・アウアーが学んだ国々)を希望したものの、敗戦後の荒廃や冷戦の混乱が続いていたため、実現しなかったようです。
何といった本でしょうか、、、!
天才は神経が繊細ですからね、お父様が御世話される姿に涙が出ます。それにしても美しく心に染み渡る音色、演奏会で聞きたかったなあ。
ただ、生きてきたよりも長くお世話されて本当の愛を感じました。天才の孤独、留学などしないで自由に伸ばしてやったほうがよかったのかもしれません。音源のCDほしいものです💿
確か、もう亡くなられたはず。
@@一郎佐藤-m7t ご年齢を察するに、既にお亡くなりと思われますが、バラを絶やさず、数奇な運命やったでしょう。
繊細っつーか、処理しなきゃならない情報量が多い。自閉症やハンニバルレクターと同じ。
TVで再生して下さい
親は子供の運命を受け入れた。子供は親に愛情を求めた。本当の親子になるのには、どのくらいの月日が必要なのか。ただひとつ確かなのは、茂夫さんの瞳や笑顔がとても素敵だということ。見ている私は温かさを感じた。
これ、昔TVでやっていたのを見ました。音大を出ましたが大成しなかった自分にとっては才能がある方を羨ましく思っていましたが、こんなに才能にあふれて努力した方が潰されてしまった事実が無念すぎて震えました。
日テレで毎週日曜日に放映していた、関口宏氏が司会していた「知ってるつもり」という番組ではないでしょうか?昔当番組でこの方を取り上げているのを見た覚えがあります。他のコメントにもありますが、米国ではなく欧州へ留学出来ていたら、時代が戦後の混乱期でなければと「たられば」で思ってしまいます。
私もこの番組を観ましたしCDも購入しました。神童だと言って家族や本人では無く周りが勧めて幼い子供を送り出す事になったが、本人独自のスタイル( 癖)を徹底的に治す事を強いられて、病んで行ったと言う内容だった。先ずは矯正され本人の引き方を活かす選択も与えられず、本人の選択肢も無い、その再現ドラマでは、アジアから来た天才的なバイオリニストへの嫉妬心から来る執拗な矯正だったと言う内容だった。大谷翔平やイチローも良い指導者に出会ったから頭ごなしに矯正されずに活躍出来た。昔と違って左利きも必ず右利きに矯正はされなくなったし、今の時代なら矯正を強要されずに自分の意見を尊重されてただろうにと思う。大人や専門家は絶対の時代。
素晴らしいドキュメンタリーでした。特に最後のナレーションの文章と構成力、見事でした。
まったく、同じことを思いました。最後に流れた演奏とナレーションが心に染みました。素晴らしいドキュメンタリーでした。
普通に親の転勤で高校の時海外に移住した私は現地に馴染めなくてしばらく引きこもってしまった。あの時の絶望と辛さを思い出す。海外で感じる孤独は、筆舌に尽くし難い。非凡な才能と聡明すぎる頭とそして、親に甘えたい盛りの子どもであることのバランスが、孤独の中でおかしくなるのは必然だ。お父さんに介護されている今の茂夫さんの無垢な表情…本当はこんな風に子どもらしく過ごすべきだった、ってことなのかな、と勝手に思ってしまった。私はなんとかハイスクールを卒業し、家族より一足先に日本に帰国させてもらい、受験してあとは日本の生活に戻り今は家族を持ち幸せだ。無理をしてもらい親に感謝している。せめて精神科に通ったあたりで、すぐに、茂夫さんを帰国させてあげていれば…。
悔しくて、切なくて、もっともっと茂夫さんのバイオリンを聴きたかつた!お父さんの愛がまた素晴らしいです。
なんという音色の素晴らしき 最後のショパンの夜曲 若い頃数えきれない程聴き入っていた 其れが渡辺茂夫さんの人生を予知す?かのような。天才
生まれてきた時代が,違っていたらと思わずにはいられません。
このドキュメンタリー、リアルタイムで見ました。30年近く前のものでまだ子供でしたが、あまりにも衝撃的で悲しくて、今でも克明に覚えています。そんなドキュメンタリーは今まで生きてきた中で、他にあと1つ2つほどしか思い当たりません。
天才って、、自身の気持ちを言葉にする前に相手の心をよんでしまう、、幼い頃から実母の元でバイオリン、音楽に浸り、きっと、真摯な練習姿勢も無自覚のうちに自身の心に染み込ませ、尊敬する(昭和30代前半はロシアのボリショイバレエ団やサーカスやアイススケートショーなどを招致した時期で貴族文化に培われてきたフランスバレエの形式美とは違う庶民にも共感できる日常生活での情熱的な思い、心の表現を重視してる文化がトルストイの潮流と相まってた時期だと思う。ホロヴィッツも確か?ロシアの方の源流を持つ演奏家で、とても繊細で指揮者のパガニーニ?だったかが自身のお嬢さんと結婚させたものの突如、演奏活動を中止してしまう、、一番、演奏家の人生として華々しい時期に。。きっと、何か原因があるはず。。有名な作曲家の伝記からその時代背景の実態を読み解けるし、音楽を専門とされる人たちは師匠から文書化されてない伝記を伝承され、自身の音楽への使命感を自覚させられる。。茂夫さんは未だその年齢には達してなかったのに、演奏は成熟してらして、師匠が思春期を過ぎてない少年だということをわかってなかったのかもしれない。。ホロヴィッツの突如、演奏活動を中断してしまったことがずっと、気になり続けています。。主人が4歳の時から学校から帰宅するとバイオリンの先生が自宅に来てもらっていて、義母は息子を英才教育しようとしたみたいですが 笑、鈍才で幸運だったのかもしれませんね。。)養父の渡辺氏?ひょっと?したら?かつてNHKテレビで洋菓子のお料理番組をされてらした方のような日本人離れした暖炉のある洋館に住われた城崎さん?という方の夢のような洋館を思い出しますが、、彼女は戦後、そういう邸宅を建てられたというのですが、、渡辺さんのお父様含め、実は戦後の渡辺プロダクションのご親戚だったのでしょうか。? ロシアの演奏法を学ばれ、でも?昭和30代というと、、オリンピックや万博招致が日本に決められた時期ですから、、その時期まだまだ貧しい¥の日本から世界一豊かな$の国へ出かけることは単に、留学以上の意味があったのかもしれません。。?反対に、、日本国内では関東大震災で焼け出されて大阪に来たシャープ創業者の早川社長はアメリカからのラジオを心斎橋の家電屋さんが提供してくれ、シャープ製品として日本初のラジオを作ったと言いますから、、音楽関係、音響関係での分野で広く互助人脈の流れがあるようにも思えます。。茂夫さんは当時の日本人としては別格にスタイルもスマートだし、姿勢も足の長さも秀でてる、、もし?本当に当時の日本人日本人した体格の人が渡米していればどんなことになってだろう?渡米することすら叶わなかった時代だったのかもしれないし、渡航費用も当時の¥と$なんて比較にできないほどですから。戦後にかかる時で、ルーズベルト大統領が急死(暗殺?)し、急遽、トルーマンだったか、アジア系の混じったナショナリズム系の大統領になって東京裁判で不当裁判を進めた時期のアメリカの大家に弟子入りさせられた、、というのは、、しかもロシア系の手技を既に自身の血肉にしていたという十代の思春期の少年に、、本当に保護者としてでなくとも、人格を尊重した対応ができたのだろうか。。きっと、自分はただ、音楽の道具としてしか見なされていないことを思い絶望してしまったのではないだろうか。。茂夫さんはきっと実母の繊細で行き届いた愛情の中で人としての心を持ち、やがて両親の離婚により養父母に引き取られはするけれど、実母との間で日記を書く習慣があったのではないだろうか。でも、当時はまだまだ、国際郵便は日本人にとっては高く、エア便ではなく船便だとすると、、実母との連絡がスムーズに取れないことに気づく母性が、、2歳のお子さんを育てながら彼を預かった方だけにしかなかったのでは、とも。。本当に、、若さとは自身の命を生きがいにしてるのが自身が家庭を持つ前だから軽く扱いがちでもあります。。昨日見てきた鈴芽の戸締まりの演出に恐ろしさを感じる所以でもあります。。ただ、、戦後、戦勝側だった中国内で渡米し共産圏国家独特の英才教育があり、、こういう国際関係の中で、芸術分野といえども、外交の手段として人材育成がされ、国の強弱により一種の捕虜のような扱いがあったのだろうか? でも、、サウンドof ミュージックなんかでは、ニューヨークの夜の繁華街には既に中華レストランがネオンで輝いてるので、、単純に、米国による結果とも言い切れないことを思い、短絡は危険にも思えます。
日本で伸び伸び活動してもらいたかった。
音楽はもちろんのこと、幼い頃も、ご両親のもとに帰られたあとも、茂夫さんの澄んだ目がキラキラと美しくて印象的でした。抑えきれない魂の輝きのような。。
素晴らしいバイオリンの調べです。魅了されました。あまりに早熟で才能が早く開花してしまったことが、こんな結果になるとは言葉もありません。優れた演奏家の一生分にも優る演奏を残されたこと敬服いたします。
わやーや」」
、
大変悲しく悔しく思います。私は40年前にニューヨーク市へ芸術留学し苦しい経験をしました。同級生からは嫉妬され妬まれ嫌がらせを受けました、教授からも嫌がらせをうけました。天才少年ではない私があれだけ妬まれたのですから茂夫はさぞ耐えられない苦労をされたのだと思います。当時、教授のほとんどは男で本能的、性的に敵対する傾向がありました。故に日本ならびに東洋の女性徒はより受け入れられ成功している事は明白な事実です。そしてあのニューヨーク市という街の社会環境は大変特殊で「生馬の目をくり抜く」かのように他人を押し除けて己の成功を達成する事は当たり前です。そして茂夫様の留学当時はまだ戦後間も無く、日本人は奇襲攻撃した卑怯者!騙し討ちをした信用してはいけない者、という根強い半日感情と、人種差別の対象でありました。そんな街へまだわかい14歳の少年が行ったわけですから。
生き馬の目を抜く😂くり抜くのは怖いからヤメて😅
感受性豊かだからこそ天才的で素晴らしい演奏や詩的な表現が出来たのだと思います。その反面、感受性豊かだからこそ孤独な環境はより辛かったのだと思います。事件後も茂夫さんが生きていて良かったです。お父様の茂夫さんを思う気持ちが温かいです。
何回聞いても素晴らしい❗️涙が溢れてきます。本当に本当にもったいない❗️こういう方はもう残念ながら日本には出てこないでしょう。残念でたまりませんモーツァルトの再来だったと思います。
恐らくアメリカには行かなくてもよかった。天才、神童と言われて、そのままビッグになる人もいるし、そうじゃない人もいる。どうしたらよかったなんて誰にも分からなかったと思う。人生は過酷で残酷で難しい。
この悲劇が、教訓になります様に。本当に。
渡辺茂夫さんという天才バイオリニストがいて、このような事件にも似た出来事があった事を今の今まで知りませんでした。神童と言われた茂夫さんの演奏は、音色が優しさに溢れ、7歳で既にただ者ではないレベルに完成しきっていました。アメリカに行って、著名な先生に指導を受ければ、もっと上達すると周りは思ったのだと思いますが…。アメリカでの音楽学校生活が合わなかったら、帰国する事を考えて欲しかった…。こんな非凡な才能を無駄にして欲しくなかった…。残念でなりません。お父様は、努めて明るく茂夫さんの面倒を見ていらっしゃるのが、泣けてくるような、何とも胸に熱く込み上げる思いでした。時間を戻せるものなら戻して欲しい。そのまま日本で世界的な名演奏家として活躍し、美しい演奏を沢山していたと思います。一命を取り留めただけでも、不幸中の幸いでしたね。
天才バイオリニスト 渡辺茂夫 さん幼い時からバイオリを徹底的に教えられ よく忍耐されましたねえ 素敵な結果が出てますねえねぇ〜よく練習した結果が成功されてますねえ 素晴らしいバイオリンノ音色 素晴らしいですねぇ〜ありがとうございましたねぇ〜お疲れ様でしたねぇ〜笑顔 何事も 練習と努力ですねぇ〜天才バイオリニストですねぇ〜お疲れ様でしたねぇ〜😊🌻🌸💐🌷🌺🌼😊
類稀なる才能。幸せになってほしかったです。悲しくて残念でなりません。
とても心に残る動画でした。天上の演奏家だったのですね、彼は
96年当時リアルタイムで見ました。衝撃でしたね。またこの秀逸なドキュメンタリーを見れて幸せです。と同時に何度見ても切なくなりますね。
NY滞在中、若井医師に音楽の事を始め、励まして頂いていたら良かった。大量の睡眠薬をひとり暮らしの未成年に処方してしまった何者かの責任は重大であった。茂夫さんと渡辺先生のご冥福をお祈り致します✨
こんな素晴らしい音楽家が居たことを初めて知りました。睡眠薬の服用で後遺症が残ったという事ですが、真相は分からないそうです。後頭部に傷があったと、日本人は差別を受けて大変だったと思います。異国の地で心細く辛かったのかそう思うと、高校生までは日本にいれば、タラればですが、考えてしまいます。
本当に真相はわからないですね。暴漢に襲われたという話もあり、事件を政府により隠蔽されて自殺にされたのかもしれません。いずれにせよ、残念でなりませんね。
@@kitagawajoel701 様お返事ありがとうごさいます。私も若い頃、田舎から初めて親元を離れて都会で寮生活をした経験があるんです。誰も知らないところで、とても心細く、ホームシックになり、常に帰りたいと、おかしな気持ちになった事があります。環境が一気に変わるのは相当なストレスでした。10代はまだまだ子供で、不安定な時期、留学などしなくても良かったとお父さまも悔やまれたでしょう。天才はいつの時代でもどんな業界でも嫉妬されます。周囲の大人達が彼を守って欲しかった。
@@28-x2w55acxop さま彼の才能が気に入らない、写真に足しか写っていなかったり、頭を葉っぱだらけにしてピアノを弾いていたこと、もっと沢山精神的に追い詰められる事があったと思います。アメリカに出発する時の、茂夫さんの物憂げな表情。時が巻き戻せるなら、引き留めたいです。
吉村妃鞠さんと同じ年にバイオリンの天才渡辺茂夫の演奏聞いてひまりさんと同じように凄いバイオリン技術に音色に驚きです。
この戦後すぐの時代、私の祖父は日本郵船の貨客船の長として、アメリカ含む欧州諸国を航海し巡っておりました。戦前から凄まじかった欧米諸国の日本人へ(それ以外の有色人種へも)の人種差別は、戦争直後には耐えがたいものに変わっていたとのこと、この時期の体験については、二度の撃沈や漂流を体験してきた祖父も暫し口を閉ざしがちになっていたと、その娘である母は話しておりました。よくアメリカ人は、真珠湾攻撃さえなければ、米国人への日本人への感情は悪化しなかったように伝えたがりますが、冗談じゃない。戦前からアメリカの人種差別は凄まじかったそうです。それが戦争直後には目も当てられなくなったと。裏千家の前家元、千宗室氏も「アメリカの民主主義ゆうてどないなもんかと思うて(留学して)行ったが、マァなんちゅう人種差別の酷い国やと」。僅か16歳の、敗戦国のアジア民族の天才少年が、アメリカでどのような思いをしてきたのか、今となっては知るよしもありませんが、死を選ぶに充分な扱い、記憶を消し去ってしまった方が幸いだと思われるほどの経験があったのではないかと、背筋が寒くなります。ツィゴイネルワイゼンの美しさに溜め息が出ました。日本でも無理(戦後すぐと考えたら尚更学びは難儀でしたでしょう)、人種差別大国アメリカでは、更にダメ。どうしたら、この繊細な天才少年の規格外の才を潰さず伸ばすことが出来たのであろうかと、考え込んでしまいます。
昨日初めて動画を拝見し、かなりショックを受け呆然としています。今、4歳と7ヶ月の子供を保つ母親ですがこの渡辺茂夫さんを恥ずかしながら初めてしりました。CDも直ぐ探しましたが、全て取り扱いなし。。。諦めず、定期的にチエックしてみようと思います。14歳〜16歳。思春期真っ只中で私には想像もつかないようなデリケートな心で、異国の地にたった一人で戦わなければいけなかった彼の気持ちを思うと胸が張り裂けそうです。戦後間もない事から黄色人種に対する差別や彼を引きずり落とそうとする力も相当なものであった事でしょう。嫉妬や嫌がらせもあったでしょう。心配をしながら送り出したご両親。経済的に一緒に行くことが難しかったのでしょうか。せめて、お母様だけでも彼のそばにいてあげられたら、状況は少し変わっていたかもしれませんが、難しかったのでしょうね。天才の導き方が誰にも分からなかった。芸術家はとても繊細でデリケートです。いつでも親身になり支えてくれる人は人間であれば誰もが必要であり、それが勉強段階の芸術家であれなおさらだと思います。睡眠薬100錠を飲んで自殺をはかったとありますが、真相は闇の中です。ただただ、無念です。晩年のお姿、少し微笑んだりする表情がさらに胸に訴えてくる物がありました。天国で心を開放させ、空の上で家族と演奏を楽しんでいる事を祈るしかありません。ご冥福をお祈り致します!
政治的状況、関わっている人たちから見ても、他殺に間違いないと思われるマリリン・モンローも睡眠薬とされていましたものね。ちなみに、この間亡くなったマイケル・ジャクソンさんも、子供の頃から、黒人の音楽が公共放送のラジオで流すべきではないと言う風潮に悩み、一つ一つ壁をぶち破ってきて、彼自身がイニシアティブを取り、映画的に作ったスリラーあたりから🟰つまり外見を白くしたあたりから、トップと言われ出しました。彼のほとんど自作のものが多い曲を読み返してみると、ものすごい人種差別や世界平和に対するメッセージが溢れています。実際SME(SonyMusicEntertaiment)で彼は直接していた方にお話を聞くと、本当に弱い立場の方に同情を示す。とても優しい方だったそうで。
その昔、テレビの特集で彼を知りました。まだわたしは小学生か中学生でしたが、母が買ってきた2枚組のCDはいまも時々聴く宝物です。CDには彼の肉声が収録されています。哀しくも、彼の才能に感嘆します。
10年以上前かもしれません。彼の神童というCDに収録されていたショパンのノクターン嬰へ短調の響きの衝撃は今も忘れられません。胸に迫る演奏とはああいう演奏だと思いました。
あまりにも悲しすぎて 涙が流れた。
自分もヴァイオリンやピアノを20年やってきた身ですが、このような世界を席巻しうる大天才(これでもまだ控えめですが…)が居られたことを知ったのは、わずか数年前のことでした。自らの見識の狭小さ、貧しさに悶絶躄地する思いです。彼がヴァイオリニストとして何事もなく長じていたらどうなっていただろうか。そのような空想をする度に、曲がりなりにも演奏家の末席を汚す者として、喪われた才能のあまりの巨きさに憤死しかねないほどの怒りと悲しさを覚えます。彼はまさしく、世界の至宝となったであろう逸材だったのに…。
この時の茂夫さんのお顔がとても平穏で無邪気なようにも見えます。幸せを感じていた記憶の中に閉じこめられた。渡米が間違いだったのかは私にはわかりませんが、人は1人では生きていけない。天才は孤独に蝕まれ、行き場をなくしてしまいました。こういった記録がただ消費されるだけにならないようにしたいです。
高音に、妥協の無い強さと透明な水色を感じ涙が出ました。日本でノビノビとした青い時を過ごして欲しかった。
私の経験からも申し上げるんだけど、世の中の天才の中には「何がなんでも自分の型に嵌めないと気が済まない」という御人が居て、彼らがどんなに望んだとしても彼らに次世代の人間を預けてはいけない。そういう天才には一生プレイヤーだけとして満足していただくしかない。
電波を通じてさえもこれほどまでに感動を与えてくれた方でしたから生演奏を聴いたらきっと感動しまくり過ぎて脳内のアドレナリンが駆け巡るかと思います!。一生耳から離れない音色です!。また、感動と言う言葉は渡辺茂夫さんの為にある言葉かと思います。
わさかあで
わかりました
気の毒な人生の話を知ったから『感動』してるだけなのでは? 普通のバイオリニストの演奏として聞いたら、そこまで感動しますか?稀有な才能だったことは確かだろうけど、私が親なら音楽家として大成しなくてもいい、感動しました!なんて言ってもらえなくてもいいから、健康で平凡な人生を幸せに生きてくれたほうがどれほど良かったかと思う。
よくそこまで偽善的なことがほざけるな。どこまで根性がねじ曲がってるんだ、お前は。┐(´-д-`)┌
他の書籍で教授の家族ともそりがあわず、金銭的にも日本側がきちんと援助できず生活も苦しかったと聞きます たとえ神童であってもどんな自分をも受け入れてくれる保護者がついていくべきだったのは今からすると当然なのですが不安と緊張を強いられてどれほど辛かったかクラシック界からは悲劇かもしれませんが彼の心が穏やかでもう苦しんでいないならこれでよかったと思いたい。私は才能を開花させる事だけを本人の幸せとする風潮を好きになれませんバイオリンをやめても本人が幸せならそれで良いのに真面目な人間は周囲の自分以外の人間の望む姿にすら真摯に向き合うので思うように生きられず心身をすり減らす 他人といる事が苦手な人はそういう傾向があるのでしょう 人生は本人のものでいいんです
全くそのとおりで人生は彼自身のものであるべきだった。最期は日本で愛情に包まれた中に身をおかれたことが悲しいけれど安堵致しました。
よい番組をありがとうございます。何度もこの動画を見られずにいられない。もっと渡辺茂夫の音楽を深く知りたい。
43:35 すごい綺麗な曲。鳥肌が立った。作曲の才能もあったのか。。
素晴らしい、音聞いて涙ポロポロなかれ、なにこのすばらしい、お話し聞いて、涙、、涙です、有り難う御座います、なにも言えない。涙、答えですどうか、、幸あれと、、失礼します。
茂夫さんはこのドキュメンタリーの3年に旅立たれているのか・・お父様は2012年に103歳で・・天国で仲良くご家族で音楽を奏でて過ごしていてほしいです。
アカデミックな教育方針が音楽の本質とは何の関係もない事の証明だと思います。素晴らしい音色がこのような馬鹿げた事で失われてしまった事、2つの国の摩擦を避けるために一人の少年の将来を失わせた事件が何事もなかった事にされた事に対して深い憤りを感じます。これから世界が少しでも変わる事を願います。
美しく物悲しい調べです。何故彼を一人で行かせたのかと悔やまれます。沢山の薔薇の花にお父様の愛情を感じます。お父様にお世話されてる時嬉しそうな表情をされてました。眼差しは若い時のまま。
同感です。なぜお1人で行かせたのか。。彼の演奏は、美しい
エンディングのバイオリン。美しくて涙出ました。ありがとうございます🙏
@@美沙子-t2c さま、いくら天才で知的であったとしても心は子供だったと思いました。お父様にお世話されてる時のあの嬉しそうなお顔。何だか泣けてくると同時に幸せって何なのか考えさせられました。窓から薔薇が見えるようにとお父様は薔薇を手入れされてましたね。こんな深い愛情あるでしょうか?彼は確かにお父様の愛情をしっかり感じているんだと思います。
こんな天才バイオリニストがおられた事を初めて知りました。動画の後半に、お父様に抱えられ階段を降りて来られる姿はとてもとても衝撃的でした。まだまだ幼い茂夫さんを一人で留学された事を合わせて考えると言葉にし難いです。留学さえしなければ、もっと違った方法で茂夫さんを育てたなら、せめて一緒に海外に親子で移住してたら、などその事は親御さんが1番感じられた事と察します。
ああ、なんと透明感のある素晴らしい音色、まるで天上界で聞いているようです。✨
過去に放送されていたときに視聴しました。たまたまUA-camのtop画面に出てきて再び見入ってしまいましたが、放送自体、随分前になるのですね。鮮明で透明感のある、だけどどこか哀しみを帯びたような最後のショパンの演奏がとても心に残ります。留学される時代がもっと後であれば、いや、留学自体の見直しもできたのかも知れないと思うと、大変悲しく惜しまれます。今はもう亡くなられている茂夫さんもお父様も、どうか心安らかでありますように。
10代の少年が奏でるバイオリン🎻聴いていて胸が討たれ完成された天才のバイオリストですね!日本が誇れる素晴しい奇跡のバイオリサトですね
時代がもたらした若き天才たる故の悲劇。悔やんでも悔やみきれないとても残念でならない。
何故かおすすめに出てきてくれたので、渡辺茂夫さんを知ることができました。 クラシックには疎いのですが、ただ演奏に鳥肌が立ちました。お父様の大きな愛に慰められますが、ご本人もご両親も、どれだけ悔しかったか、心が痛いです。
なんて純粋な眼をしているのでしょう。その心は永遠です。だからこそ、奏でられたのかな。素敵な音楽はいまだ私共の心を打ちます。ありがとう。生きていてくださってありがとうございます。
音色は人柄も表れる😂渡辺茂夫天才少年の音色🎵陶酔してしまう🎵柔らかい音色、恍惚なのですね🎵❇
素人の私が聴いても、魂の奥深くに染み入る音色です! これまでに聴いた事が有りません。魂の響きとでもいいましょうか…何があったのか知る由も有りませんが、全力で、駆け抜けた、天才、その後の人生は、余りにも、酷です。お父上の無念に、胸が張り裂ける思いです。最後、彼の作曲の音色は、哀切に溢れています。埋もれていた、偉大な天才の番組を有難うございます。感謝致します。お二人の末長い、ご健康をお祈り致します🎶✨
泣きました、私も専門的にピアノを学んだのに、この方を知らなかったのが恥ずかしいです。けれどすごくよく理解できました。早起きしてUA-camを観て良かったです。映像の力は素晴らしいですね、音源も素晴らしかったです。昔は良い番組が作られていましたね。
こんな素敵なバイオリン、聞いたことがないです。本当にもったいない。アメリカに行く必要なかったのに、本当にかわいそうです。もっと、演奏してたくさんの喜びを知って、深みが増したことでしょうね。
大変美しい音色に感動し、又、言い知れぬ悲しみ、又は 驚嘆、深い感銘を受けました。わざわざアメリカに行く必要は無かったのでは。。と、思います。両親の愛情に囲まれて日本で大好きな旋律を、本人がやりたい様に自由に奏でて行けば、神童はどこまでも自分の方法で伸びて行けたでしょうに。。。動画中に、アメリカでは、彼は愛を欲しがっていた。。と語った方がいました。異国で学ぶ、高度な技術よりも、ふるさとの愛にまさるものは、ないのでした。帰国後、のちの彼は、たとえバイオリンが弾けなくてもお父さんの愛情に包まれた時間は、一番、何よりも変え難い、しあわせな人生だったでしょう。。神童だからと、両国の大人たちの、欲がからみ、その欲が、彼を潰したのでしょう。。神童と言えば。あれから日本では、盲目のピアニストがあらわれたり、将棋界でも神童が現れたりしてますが、皆んな日本で両親の愛に包まれて成長して来ました。彼は今頃、天国でお父さんの微笑む中で思い切り、純粋で清らかな音色を響かせていきいきと、暮らしていることでしょう。。。しあわせそうな笑顔で。。。。。🎶
生まれた時代が終戦直後というのが最悪だった、もし現代に生まれてたら間違いなく世界的演奏者になったはず。そう思えてしまいますが、実際はもっと複雑なんでしょうね。99年に渡辺茂夫氏他界、2012年に父季彦氏も他界されたそうです。ご冥福をお祈りいたします。
最初のチィゴイネルワイゼンでびっくりしました。この人の演奏を生で聞きたかったです。彼の魂が安らかでありますように。
これは現代でも言えることで、海外留学することが才能を育むわけではないと思います。文化も思想も違う中で、必死に茂夫さんは耐えていらっしゃったんだと思います。心が痛みます。
ほんとそう。
この様な素晴らしい天才がいらした事全く知りませんでした。 あの時代に14歳で一人天才少年はニューヨークでバイオリンを弾き技術を変えようとされたり。14歳まだまだ子供であるのに家族から離れての外地での生活はどんなに寂しかったことでしょう。この話は涙無しには見る事が出来ませんでした。 今現在の状況の中での笑顔また父上の素晴らしい愛情をいっぱいに生きて行ける事が救いです。
揉み消されたんだろうけど、犯人はいるはず
しかも、、毎日テレビで報道されたのが阪神大震災翌年でしたっけ?サリンやオウム事件、3億円犯人などの時期だったでしょうか?
@@n_mtk3433 勝手な想像ですが、、阪大病院があった中之島周辺の不動産所有関係で未だ、戦前、戦中で、法務局の登記制度が確立されておらず(日本人同士だと、互いに資本主義的な争いは先ず、起こらない。暖簾という信頼関係文化が書類での証明書文化の以前にあったから。シャープの早川社長が、関東大震災まで東京で細かな金物を作る職人の親方で、シャープペンシルを開発し、当時、日本一の文具小売店だった銀座の白木屋に卸したものの、爆発的に売れたのにその売上金が貰えないどころか、反対にロイヤリティを出せと、当時、堺に居てた太陽堂の中山兄弟に言われ、早川氏は裁判しても、資金ショートした方が負けるので、反対に大阪へ行って、彼らに自分の特許と技術と製造機械も無料で与える代わりに、自分の弟子ー部下たちの就職もしてほしいという交換条件で、レールにのるまで、6ヶ月間手弁当で通った。。昭和30代に領収書や請求書ということや契約文化自体が日本にはなかったことでしたから。この放映が阪神大震災以降にされてるなら、日本で起こったというよりは、、実は?在米の日系とされてる中での話しかもしれません?当時、渡米するのはユダヤ富豪の支援で降るブライト留学生として日本国家が選び抜いた人を送り出すので、テレビがない時代でも、ラジオで盛んにインタビューされたりして国民の代表のような気持ちでアメリカへ送り出していたと思います。特に、法学など地味な分野ではなく、音楽家の場合は。。渡辺プロダクションという実は?ハリウッド(張氏+森氏)と繋がりのある方だったのではないでしょうか。森首相の存在感の不思議さが実は、国際的な人脈に姻戚関係や支援者があるのだとすると、、トルーマンもハリーですし、張氏真男。。女真を使う武将がいましたでしょう? 女真があるなら男真もあるのではないだろうか。ルーズベルト、ローズ(バラ)ベルトが急死し、副大統領で実権を持っていたトルーマンが副大統領なしで後任し東京裁判は2年間、かかった。。唯一、インド(英系、ガンジー系)代表者だけが日本の無実に票を入れ、あとは、、何もかも日本国家側、昭和天皇の責任を主張。。サンフランシスコ講和条約50周年記念行事に田中真紀子外相が参列してるときに、911テロでペンタゴンに飛行機が突入。。50年後に、戦争史実を公開する約束だったはずなのに。。
運命を受け入れてる、お父さん、凄い。真似できない。そして芸術の世界にも妬みがあるのを思い知った。無念である。ガラミアンとは顔からして合わない。死因も疑わしい。ハイフェッツなんか不要。彼は永遠に愛すべき少年。
それですね。お父さんの、輝くような愛が、全てを美しいままで保存しているように見えます。
音が生きていると先ず感じました。澄んで力強い響き初めてこのような想いをバイオリンから感じました。バイオリンって素晴しい楽器ですね。渡辺茂夫さんの演奏だから思えた感想だと思います。惹き込まれました。この感動は生きている間、消えることなく続くと思います。その位私にとっては驚き嬉しい感動でした。動画配信ありがとうございました。
現在、CD は殆ど売り切れ状態で入手出来ません。youtube で聴くだけでも、その素晴らしさはひしひしと伝わって来ます。でも CD は演奏の魂を十分に再生するものではありません。録音テープが残っているならラッキーです。ありったけの録音を、SACD または HiReso 配信で、渡辺茂夫全集を出して欲しいと切望します。天上の世界で渡辺茂夫は演奏していると思いたい。そうでも思わないと、あまりに悲しく切ないです。神様、願わくは渡辺茂夫と渡辺季彦さんが霊界で安らかに過ごせますように。
このドキュメンタリーも名作だ。特に、最後の言葉には作家の深い洞察がある。
素晴らしい何回も聞きたいです。
とても残念なことですが、帰国後に両親の愛情に包まれたことが真に望んでいたことなのでしょう。
久しぶりに茂夫さんの特集に巡り合えて、感謝とともに勿体ないバイオリニストを失くしてしまった重大な事件があったことを知るべきと思い知らされ、大事に育てて頂きたいと涙ながら思いました😭お父様のご苦労と茂夫さんの穏やかに日々を祈らずにおられません😭今日は、ありがとうございました😂感謝申し上げます😭🍀🌹
彼の音を聞いて泣けてくるのは、私だけでしょうか⁈
繰り返し繰り返し、流して下さい❗️ テレビでも❗️取り扱って欲しい‼️‼️‼️ 世界一の天才だ‼️‼️‼️ 日本の誇りです‼️‼️‼️
私はアメリカで学んだバイオリニストです。このドキュメンタリーに出てくる音楽家の多くをよく存じています。映像に出てくるメドマウントの夏合宿やジュリアードでも学びました。ガラミアン先生は気難しいところもありましたがとても素晴らしい教師です。個人的には奏法の変化やガラミアンの教育がこの悲劇を生んだとは思いません。私の個人的な見解ですが、音楽家である前に人間であるということを、茂夫さんが天才であるがゆえに、皆軽視していたのではないかと思います。戦後間もない2国間で、文字通り音楽しかない14歳の少年が一人でニューヨークに放り出された。人間としてバランスを欠いた、まだ幼さの残る茂夫さんの精神が病んでも、外交問題になると帰国を許さなかった両国の政府関係者を残念に思います。茂夫さんの本を読み、アメリカでも、日本でも個人的に関係者に話を伺った上での個人的見解です。非礼をお許しください。茂夫さんの作曲の江藤俊哉さんの録音や、ショパンを聴いて美しさの中にどこか切なさや儚さ、哀しみを感じます。最後のお父さんの愛情を受ける茂雄さんの表情がどこか幸せそうでよかった。。
ガラミアン先生から、ハイフェッツ氏の所へ移ってからなにがあったのか、この動画ではよくわかりませんでした。
最初の方でハイフェッツ氏の性格が気難しい印象を受けたので、生徒を教えるのにはむいていなかったのかもしれないと勝手な空想をしましたが、やはり根本的には異国での心の成長が上手くいかなかったということでしょうか?
見事な演奏に比べて、手紙や日記の文章が乾いて潤いに欠けるのは、悲劇的結末に繋がる何かを感じさせますね。
@@s.samuel6133 ハイフェッツ氏の所へ移動はしてないと思います。たしか、ハイフェッツ氏はロサンジェルスに住んで南カリフォルニア大学でクラスを持っていました。茂夫さんがお父様から習った右手の奏法はハイフェッツ氏と同じアウワーの奏法です。そのハイフェッツ氏がガラミアンに推薦したというのですがら、奏法的な議論はあまり意味がないとお分かりいただけると思います。オイストラフ氏も日本で茂夫さんの演奏を聴いた後、奏法を治すように本人にアドバイスしたそうです。私の個人的な意見ですが、お父様の愛情は良くも悪くも偉大だったと思います。彼は一般の子供らしい経験をせず、全て音楽に捧げて成長しました。子供らしい、友人との時間や、スポーツや、恋愛や喧嘩もあまり経験していなかったのかもしれません。人間としての成長がないと何事も成し遂げる事は難しいのではないでしょうか。14歳という歳もあり、心の自立はできていなかったのだと思います。(一般的に14歳で自立できるでしょうか?) 周りの人たちは焦らず、人間としての成長も考慮して見守ってほしかったなと思います。
彼のバイオリンは素晴らしい!
そこばかり周りは見ていて、彼自身が人として尊重されるとか、人として普通の経験やら、受ける愛が不足していたとか、思春期の年頃で、時代背景もあり、たった一人で異国に渡り過ごした日々は、どこか孤独で同じ年頃の子供とも接する機会も少なく、精神のバランスを崩してしまった可能性もありますかね
精神科医とのやり取りの中で茂夫さんの性格というか、何かを感じます(上手く表現出来ずにすみません)
@@s.samuel6133
貴重なお話ありがとうございます。
渡辺茂夫の演奏を知り、このドキュメントを見て当時は何故カーチスじゃなくジュリアードなんだと考えていました。
ハイフェッツは他人に全く興味が無いタイプの人間で留学の口添えをしてくれた事自体が衝撃でしたが正しい道を示してくれたのか疑問で、若いオイストラフの演奏に左程魅力を感じていない事もあり彼らの行為に懐疑的でした。
お話を聞いて冷静に考えれば当時ガラミアンに師事できるのは最良の環境であったことは間違いないと思います。
バイオリン教育に於いて日本は絶望的に後進国であり天才であっても技術的に一からやり直すべきところは多くあったのでしょうね。
米国への留学も当時は貴重な外貨を使うに値する人物か審査され、留学する日本人は国家の威信を背負い命懸けで渡米するという時代でアジア人に対する差別も強烈でしたから時代が違えばと残念でなりません。
なんどでも聴いていたい
音色ですね。
本当に心がピアでないと
この音色はだせませんよね。
偶然見つけた動画ですが
感動です。日本で彼のような 天才少年がいらしたことも
しりませんでした
2回もみてます。バイオリンの音色があたまにのこって わすれられないです、、、
HIMARIさんの動画で、度々『渡辺茂夫』というワードが目に入り、この場に辿り着きました。
演奏を通して茂夫さんに触れられたことに感謝します。愛おしく、切ない。。深く激しい感動とともに、言い得ぬ悲しみに気持ちの置き所のつかない暗闇に突き落とされる。
『愛』 人が生きるうえで不可欠なものだったんだと、改めて教えられる思いです。
HIMARIさんの担任先生がおっしゃっていた。「若くして華開いた非凡な才能を、どのように見守るのか。次に繋げていけるか。責任の重さとその怖さがある。」という言葉の重みを感じます。
「天才をどう育てていいか誰もわからなかった」という言葉が印象的でとても悲しかった。
まだ子供なのに異国の地で今までやってきた演奏法を無理に矯正されて辛かっただろうな。
大人が潰してしまった素晴らしい才能、ただただ残念。
チャリンピックと同じちゃうん?
恥どころか賢いとさえ思ってそう。気色悪いんだよね、そういう連中。
道理で、人類滅ぼそうとしてる訳だ。研究機関兼ねた独房でどうぞ。
ニューヨークの街が嫌だったんでしようね
連れに行く
天才の前に我が子である
異国で矯正されたんだね
レッスンを否定されたかな⁉️
医師の話しを聞いた感じでは少し人とのコミニュケーションに問題を抱えていたかもと思いました(会話を遮って歳上の方の間違えを淡々と指摘する)。現在なら対処法もありますが、当時、それも異国ではなかなか難しかったかも。
技術的に仕上がっているのに自分の演奏方法を矯正されたのも苦しかったし、孤独で日本に帰国したかったはず。一言で表現出来ないくらい細かいことの積み重ねに精神が追い込まれていったのでしょう。
本当に残念でなりません。
優秀なピアニストが、ニューヨークにて自尊心を矯正され外の、もろもろが純粋な精神を 異常な方向、苦しみがつきまとい、リスクを受け 悲しい限りです。日本の損失にも値する!残念です。改めて名ピアニストの生き様を知りこの御家族に感謝とご尊敬を表したいと思いました。有難う御座いました。😊❤
バイオリニストね
天才を育てるというのは、また無事に世に送り出すというのはこんなにも難しいことなのですね。彼には生きる事を埋め尽くせるほどの愛が必要だった。
彼の奏でるバイオリンを聞くと、体が振動し始めるんです。体の真ん中にある生命の根源的エレルギーが反応しだす。体が喜んでいるんです。
彼の奏でるバイオリンの音色は温かく愛に溢れているから。
@@rococo9342
こんなに素晴らしい方がおられたのとを今まで知らずにいました。演奏を生で聴くことができないことを惜しまずにはおれませんが、古い映像とテープから聞こえて来る素晴らしいバイオリンの奏。完璧であればあるほど切ない気持ちがします。アメリカでどれほど心細く苦しみ悲しかったことか…そしてまたご両親もどれほどの思いをしたことか… ご自身のバイオリンをみて微笑まれているということは、バイオリンの良い思い出が蘇るのですね。それが救いでしょうか
降臨という言葉がありますが茂夫さんにモーツァルトが降臨したと考えるとこの天才ぶりに納得がいきます。
モーツアルトの降臨ではなく"しげお"さん自身です。代わりになるひとはいません。
彼の様な日本人、悲劇の神童が存在した事を73歳になった今、初めて知りました!この番組の制作者様に感謝いたします、ありがとうございました。
息子さんがテーマですが、バイオリンの師でもあり、父親でもある立場から息子さんに寄り添い
切なさを乗りこえて生きる、心の強さと愛情を感じました。
Un valor loable, un gran amor.
以前、渡辺茂夫さんの事を、テレビで見たことを思い出した。全くの悲劇だ‼️ アメリカに行かなければ、廃人になどならなかった‼️ 残念で可哀想で、悔やまれる‼️ 天才は、めったに現れない‼️ やり方を変えるなど、大人の無知と傲慢なだけだ‼️ やり方は、その人独自のものだ‼️ 許せない‼️‼️‼️
残念❤、!!ああ
アメリカで一人暮らし、心の世界がしんどかったのではと思います。心が繊細で豊かだからこそ、つらかったのではと思います。眠れない日々が続いたのでしょう。晩年良いお父様お母様と過ごせて幸せだったのかな。素晴らしい音楽を残してくださりありがとうございます。
お世話をされるお父さまの穏やかで温かいまなざし
生きていてくれることを喜んでおられるように、勝手ながら感じます
もう悔しさや悲しみを越えた所にいらっしゃるように見えます
居てくれるだけでいいのだと
ふ
才能も実力もある渡辺さんが言語や文化の違い、そして周囲からの嫉妬によって潰されてしまった事がとても残念でなりません。
彼が壊れていなかったら類い稀にみる天才ヴァイオリニストとして日本や世界で活躍していたと思うとやるせない気持ちになります。
日本に帰国できて最愛の御両親と一緒に暮らせた事がせめてもの救いです。
戦後、最近も、優秀な日本人許すまじ、の政策が有ったように思えます。
優秀な日本人潰しも国内でありましたから。
優秀な日本人潰しは酷かったようです。
気が久留う人、次札、左遷等半端なかったと聞きました。
知人も旦那さんも嵌められて学校を辞めなければ行けなかったそうです。そして家族バラバラに。
子供とて才能があれば見逃されなかった様に思えます。
オリン○。○を見てもわかると思います。
日米協会が、親からも帰国させたい、少年本人も帰国したいと幾度も訴えたのに、当初の約束(ホームステイのみ、アルバイトさせない、期間は2年間のみ)はどれも守らず、
酷いとしか言いようがない。
アメリカに行かなければ、日本で平凡でも恋をして家庭を築いて暮らしていただろうに。
気の毒で仕方がない。
@@riverside673 ーー
この方の事は全くぞんじあげませんでした。天才であるがゆえに、孤独とも戦わなければならなかったのですね。親御さんの元に戻られた後は、きっと愛のある生活だったことでしょう。
番組最後のバイオリンの曲に、涙が出ました。渡辺 秀夫さんを知ることができてよかったです✨✨
そ
古い演奏を少し聞いただけで、背中がぞくぞくしてきます。高音がこんなに伸びて美しい演奏を、まだ10代の少年がしていたなんて。いいえ、もっと幼い時代の演奏でも、その透明な音が美しすぎて驚きました。
過去は変えられないのが、本当に残念です。日本で自由に育ったら、どういう未来があったのか?
切ない話でした。
日本でも廃人になりそう。天才の独特な感性による鬱かもね。
@@あああああ-i7r 五島みどりさんは、お母様が留学に付き添って、精神的なサポートをされていました。後に離婚されましたが。
それを見ても、未成熟な時代に留学するのは、ナイーブ芸術家の精神を支え得る体制がないと、難しいのかもしれません。特に終戦後の対日感情の厳しい時代には、敗戦国の人間というだけで、大きなプレッシャーを感じたことでしょう。
芸術家の精神を支え技術を成長させるのが、どれほど難しいかよく分かります。
@@あああああ-i7r こ
@@おこちゃ-e4y
@@スウ-x8j すすふ
当時の日本では「海外で芸術の教育を受ける、あるいはコンクールで実績を持つ」というステイタスが絶対的価値を持っていました。
お母様が早いうちに海外へ1人出すことに抵抗を覚えたのは単なる胸騒ぎではなかったのですね。
言葉が違うというのは相当なストレスです。
言葉は文化なのでその国の人にしかわからない習慣やものの考え方の上に成り立つのです。
海外へ出さずに日本でずっと演奏していたら、あるいはもしも違う道に進んだとしても救いはあったと思います。
脚しか映されないいじめ、嫉妬。
茂夫さんの突然閉じられた音楽生活に涙が溢れます。
ずいぶん前に私の親友がまだ生きていた頃テレビ番組で渡辺茂夫さんのことが放送され、すぐにCDを買い求めて聴きながら話をしたことを思い出しました。
茂夫さんとご両親の魂が安らかでありますように…。
忻.:❤;,😅😊:。😊
クラシックの世界は未だに厳しいですよ。今も日本で才能のある子達はもう小さいうちに海外に行くのでその後どうなったのか分からない人もいます。人知れず辞める人もやっぱりいると思います。
家族のもとに帰れて幸せだったでしょう。素晴らしい家族が育み育てた茂夫さん、14歳で突然全くその優しさの全てから切り離された。人間、子どもがどれほどこわれものかも知れないことを学んだ。お父さんと茂夫さんの優しい笑顔が心温まる。
言葉じゃなく
魂に染み入る音色
琴線がふるえました。
ありがとうしげおさん!
昭和20年代産まれの私です。音楽で生きる。スポーツで生きる。マスゴミ、人間を追いかけ廻すんじゃない。大谷翔平が、何をしようと、貴様に関係無いです。
@@平田恵子-p8u大谷翔平もだけど音楽家は聞いてくれる人が居なきゃ1円にもならないんですよ。
それに野球なら試合、音楽ならコンクールやリサイタルがあるから上手くなるんです。
死ぬまで強く突き進める事が出来る人もいれば、途中で辞めてしまう人もいます。有名でも人知れず辞めてしまう人達もいます。。
渡辺茂夫さんのこと、この動画で知りました。
悲劇的な生涯だけれど、天才故の苦しみから開放され、お父さまの愛情を一身に受ける晩年は、とても安らかなお顔をされているように思いました。
誰も育て方が分からなかったのではなくて、お父様が、茂夫さんを導くことができた唯一の師であり、バイオリンが弾けなくなってからも、本当の愛情でもって、最後まで諦めずに育てようとされていたと思いました。
天才少年の奏でるこの調べは、お父様が愛情をもって指導したからこそ、完成されたのだと思います。
😂😅
本当にもったいない。留学すれば良いというものでは、ないんですね。まだまだ親元にいたい年齢、すぐに帰国させてあげたかったですね。
それだ!
全くその通りと私も思います。茂雄さんはすでに完成されていて、そこまでご指導されたのはお父様です。
愛情なくして導くことは出来ませんね。
渡辺茂夫さん!
日本人でこんなに素晴らしい音楽家がいたことを、決して忘れません。
偶然この動画を見ることが出来、初めて渡辺茂夫という天才のバイオリニストの存在を知れたことに、ただ感謝。
彼の奏でる音色にも、まるで運命の神に弄ばれたかのような人生にも、表す言葉がない。
彼のいま残されている貴重な演奏の音源は、今からでもCD化されて、自分も含め多くの人に聴いてほしい。
時の中に埋もれ忘れ去られていい才能、輝きではない…そう、強く深く心に響くものがあった。
アメリカではなくて、ヨーロッパの音楽院ほうがよかったのかな。
クラシック音楽の歴史を思えば、異国の才能を受け容れる土壌としては、もう少し懐の広さみたいなところがあったのでは…
He would've had some impression of freedom ìn Europe. It's my opinion cuz I studied both America and Europe.
さ
?
お父様のひたむきな愛情で美しく咲き誇る薔薇が茂夫さんへの色んな想いを慰めたり支えているようにも見えて生き抜くことの大切さを改めて感じました。
生有る限り何があろうが生き抜く事を私も改めて感じました。ただあれだけの天才があのような姿になられ悔しいし悲しすぎて言葉がありません。今は天国で思う存分演奏され幸せに暮らされてることを願うばかりです。
留学先から家族への手紙が、簡潔かつ冷静で、親を心配させまいとしているのが後になってわかった。本当は米国で周りからは嫉妬され、大人からは商業的に成功するように仕向けられ、何のために生きているのかわからなくなったのか。年老いるまで自由に心ゆくままヴァイオリンを弾いてほしかった。ただただ悲しい。残された録音の音色は本当に美しく、世界の宝ですね。
このドキュメンタリーの最後の言葉が重く心に染みてきます。
これまで渡辺茂男さんのことは知リませんでした。一度彼の演奏を聴いてから他の誰もと違う心根の音、陶酔するという心境を初めて知りました。
1999年8月15日渡辺茂夫は急性呼吸不全により58歳で亡くなって養父・渡辺季彦は2012年103歳で亡くなったそうです。
@@ちえこ-z2g
嫉妬で潰された。
可哀想に。
自分達の方が上だと思ってるからね、あっちは。
未だにスポーツの世界でもあるしね。
新聞記事で死亡記事みたような
天才❗の文字おぼえています
@@ちえこ-z2g 911テロの前で日本社会も経済も既にぐちゃぐちゃになり始めて国民としては何がどうなってるのか報道からは全く掴めずに、、という状況に入っていました。
阪神大震災後に施行された介護制度の元で、ある意味、臭いものにフタをされたのかも?しれません。。?
ハリウッドがとうとう、映画制作をしなくなるーとかラジオで聴き、最後のディズニー作品のストレンジワールドを昨夜、見ました。早朝と夜しか上映してないので子供に向かないのかな?と先ずは一人で鑑賞したのですが、、昭和30生まれで、シャープ本社近くの小学校で毎土曜、職員会議の間、ディズニー映画を講堂で見せてもらってきて、また、孫とも見てきて、、集大成!というか、、シナリオも演出も、子供の精神の成熟度を考えて、無理やり、暴力的な重低音などで呼吸器官を共鳴させることで押し込んでくる強引さがなく、、大人になってまた、もう一度見たときに、さらに洞察が深まる、、というもので、、あまりにも子供の将来を見据え、家族を見据えていて、胸があつくなりました。。叙情性、扇情的にではなく。。ディズニー資本がユダヤ資本から転換されたのが、、沈没事件だったと911テロ後のネットに詳細が書かれていて、単に過去の事件というだけで終わらせてはその後に起こる書事件が見えなくなってしまうという点で沈没事件の重大さを知りました。
ありがとう!ディズニー!
90歳時点で、茂夫さんを送られ、、毎日テレビは本当にこの時を逃しては、、という最後の時期にドキュメンタリーされてらした、、ということですね。。
小学校時代、毎週、講堂で広島被爆者のお話会や単純に校長先生のお話しだったり、映画を見せてもらってましたが、そのときに必ず、毎日新聞のニュース部分があり、原爆のきのこ雲が二段になってました。
きのこキャラが昭和60代になると、京大生だった方が作ったスーパーマリオが大ヒットしたり、、お菓子でもキノコチョコが出たり、、ドコモもキノコがトレードマークだったり、、意味が未だ、見えないですが、、、
国際的に重要な共通認識では原子力エネルギーをどうするか?ですよね?
ディスニー映画のパンド、、同時上映作品のパンドラ、、後者は未だ見てませんが、見るべきにも思えます。。ストレンジワールドも用心してましたが、、頭が良くないので何度も見ることで何か示唆、啓蒙?が得られそうな気もしますし、、その発想の奇想天外さは奇抜なのに、有機的な調和が感じられ、きっと!天才だから思いつかれたのでしょうか?
茂夫さんのことをディズニーが知っていてくれたなら、、茂夫さんがディズニーランドに気晴らしに行けてたなら、、カトリック系の修道院繋がりの留学だったら、、と思わずにはおれないです。。
茂夫さんご本人のご心情はもちろんのこと、お父様のご心情に対しても勝手ながら思いを馳せ、心が絞り取られるような思いで涙が溢れました。
息子さんとの思い出を慈しみながら楽しげに語られるお姿。日々、懸命に息子さんのお世話をされるお姿。二階からも目に届くようにと、家全体を包み込むように手入れされた、溢れんばかりに咲き乱れる美しい花々。一言では到底形容し難いお父様の深い想いと、息子さんに対する変わらぬ愛情を感じずにはいられませんでした。
非凡な才能を目の前にして、多くの方が「良かれと思って」動かれた結果であったことを思うとやるせない……。
You Tubeにおすすめで出てきて、初めて渡辺茂夫さんの存在を知りました。
私の両親は渡辺茂夫さんと多分ほぼ同時期にNYその他の大学に留学していました。
某有名大学に留学していましたが、そんな大学の教授ですら日本に対する戦争認識が誤っていたり、日本人に対する露骨な嫌がらせや差別があったそうです。
まだ子供だった茂夫さんがどんな想いをしたか、考えるだけでもお気の毒です。
その才能が悔やまれます。
きっと天国で義父様と楽しくバイオリンを弾いていられる事をお祈りしています。
日本人で、このような素晴しい天才バイオリニストがいたとは知りませんでした。今回、この動画で渡辺茂夫さんを知ることが出来て良かった。ありがとうございます。感謝
七才の時のバイオリン🎻の音色はこんな引き込まれてしまう弾きかたがあるのかと驚きました。今も素晴らしいバイオリン奏者はいますが、この人には情熱があり音が透き通っています。渡辺茂夫はバイオリン奏者の神と思うぐらい右に出る人はこれからも現れないでしょう。非常に惜しい人です。毎日聴いても素晴らしすぎて感動しています。
映像では嫉妬と表現していますが、戦後間もない米国でどれだけ差別されたかと想像してしまいます。
30年前ですら米国の国内便は前から白人、黒人、黄色人の並びになっていましたからね。
道すがらジャップと馬鹿にする奴もいるわけで。
1週間やそこらで私が感じた差別を、戦後間もないころに中学生が感じた疎外感を想像すると涙が止まりませんでした。
天才過ぎたんだなぁ 誰もその天才の育て方がわからなかったって言葉が言い表せているな
先生に預けなくても良かったのかもしれない 100年に1度の大天才は感性を育む周りの環境だけあれば自分で成長していくのかもしれなかったなぁ
胸が締め付けられ、とてもみていてつらいです。
渡辺茂夫さん、日本にこんなに素晴らしい天才がいらっしゃったことを知りませんでした。
茂夫さんが奏でる深く心に響くバイオリンの音色、日本では明るい音色だったのに、アメリカへ行ってからの音色は暗かったとお父様が仰っていました。
国の文化の違いで、もみくちゃにされて精神をお壊してしまわれた。
ご両親へ宛てた手紙にも、もう書くことは無いけれど、それについてご両親の返答を聞いたり、ニューヨークがあまりいい場所ではないと書かれている。誰にも自分の思いを聞いてもらえずにどれだけ苦しまれたことか😢
どんなにお辛かったことでしょう😭
周囲の方々からの愛に包まれ、のびのびと自分の演奏をができる茂夫さんの姿を想像してしまいます。
涙が止まりませんでした。
お父様が、茂夫さんの為に作られている愛のこもった薔薇の花がとても綺麗です🌹
二人目の女性のインタビュー者の女性は、”文化、カルチャー、先生に殺された”と言っていますが、訳は先生が抜け訳されています。
@@7772018 様
そうなのですね。
私の子育ては、愛情を利用して、子供を勉強へと追い込んでしまいました。私にはそんなつもりはなかったのですが、結果的にそうなってしまいました。主人の実家の目を気にしていたのだと思います。私自身が自分らしく生きていなかったからだと思います。
そして結局は、息子へかけていた愛情が違う方向を向いてしまい、息子は精神的、身体的にダメージを受け、立ち直るまでにとても年月がかかりました。健やかな青春時代を奪ってしまった。書いているうちに涙が出ました。
子供が成長する為には、ある年齢までは愛情が1番大切だと思います。見守り温かい言葉をかける、それだけで子供は自分の持っている力を充分に発揮できるものだと思います。
唯、唯、辛いです 。
本当に、あの権威者と、その周りを取り巻く、両国文化の重圧に殺されたんですね、、、、😢
1999年のある深夜に再放送されていたドキュメンタリー番組をたまたま途中から観始めて、その内容に強い衝撃を受け、以来20年以上あの番組を初めから観たかったと折に触れて思い起こす。自分にとってそんな番組があった。バイオリンの極めて高い演奏技術ゆえに演奏団から嫉妬され、写真では足しか写されない( 29:40 )というシーンは強烈に記憶していた。
このバイオリン演奏における不世出の天才と言われる少年の物語は、ボクシングの井上尚弥がKO勝ちを重ねる姿を見るとふと想起することがあった。99年に観た番組のバイオリンの天才少年に悲劇が襲っていなければどうなっていたのかなぁと。幸い、井上尚弥は渡辺茂夫のような悲劇的な出来事に襲われることなく、その非凡な才能を、至って当然のように偉大な結果を残すことで、開花し続けている。
こうしてユーチューブで全編を視聴することができて感無量だ。初めて全編を視聴して、あの日の深夜に受けた衝撃が「思い出補正」ではなかったと認識できた。特に「この年も渡辺家のバラが咲いた」に始まる出色のナレーション( 35:43 )は、ドキュメンタリーの歴史に残すべきもの。
マスゴミ➡️マスゴミだけでは無いですね💖大谷翔平も、ドキュメントに残して下さい
丁寧につくられたドキュメンタリーが観られてうれしいです。不世出の「天才」と呼ぶに相応しい方・・・お父様にサポートされ暮らすシーンに映る、この世のものでないような、綺麗なお顔が印象的でした。幼い頃から、渡辺茂夫さんは私の憧れであり、これからもずっとinspiringな存在です。
東 東あきちゃんの誕生日 10月10日 その日は1日何をしてますか
彼は20世紀のモーツァルトです、と言うプロの演奏家の言葉が彼の才能の凄さを物語っていると思う。
悔やしくてざんねんでたまりませ( -_・)?、天才波動して、命短いのでしよう、幸せ、祈ります。
今までこんなに素晴らしいバイオリニストがいらっしゃったとは知りませんでしたが動画を見てすぐモーツァルトを思いました。
10代で両親の元から離れ海外に住むことの大変さ。。
思春期に、、どんなにバイオリンが天才でも、、胸が痛く思う。。
映画『アマデウス』では父レオポルトにより3歳からヨーロッパ中を連れまわされ皇帝の前でチェンバロやピアノ演奏を披露させられた、
その結果が朝まで舞踏会で遊んだりワイン飲みながら作曲し30代でこの世を去った、
親や周囲の環境で子供はそうなってしまうんでしょうか…。
@@田中和子-z7sなにな
本で読んだことはあったけど、こうやって昔のドキュメンタリー観れるのありがたい。アメリカじゃなくて違う国に留学していたらどうなったんだろうかとか考えてしまう。
戦後すぐだし
この悲劇は、いろいろあるけど
アメリカで敗戦国ってのもあったと思う。
ずっと関係性で変なことされてたんでは?思い通りにならないから暴力に至って…隠蔽…その上助ける事もできず
お父さんに習っていたのが、ロシアのバイオリニストの奏法っていってたので、ロシアとか東欧だったらよかったんでしょうか。
でも、戦後まもなくだから、共産主義の国には留学できなかったのかな。。
養父の季彦氏は、本当はドイツかオーストリア(自身が模範としたレオポルト・アウアーが学んだ国々)を希望したものの、敗戦後の荒廃や冷戦の混乱が続いていたため、実現しなかったようです。
何といった本でしょうか、、、!
天才は神経が繊細ですからね、お父様が御世話される姿に涙が出ます。
それにしても美しく心に染み渡る音色、演奏会で聞きたかったなあ。
ただ、生きてきたよりも長くお世話されて本当の愛を感じました。天才の孤独、留学などしないで自由に伸ばしてやったほうがよかったのかもしれません。音源のCDほしいものです💿
確か、もう亡くなられたはず。
@@一郎佐藤-m7t ご年齢を察するに、既にお亡くなりと思われますが、バラを絶やさず、数奇な運命やったでしょう。
繊細っつーか、処理しなきゃならない情報量が多い。
自閉症やハンニバルレクターと同じ。
TVで再生して下さい
親は子供の運命を受け入れた。子供は親に愛情を求めた。本当の親子になるのには、どのくらいの月日が必要なのか。ただひとつ確かなのは、茂夫さんの瞳や笑顔がとても素敵だということ。見ている私は温かさを感じた。
これ、昔TVでやっていたのを見ました。
音大を出ましたが大成しなかった自分にとっては才能がある方を羨ましく思っていましたが、こんなに才能にあふれて努力した方が潰されてしまった事実が無念すぎて震えました。
日テレで毎週日曜日に放映していた、関口宏氏が司会していた「知ってるつもり」という番組ではないでしょうか?
昔当番組でこの方を取り上げているのを見た覚えがあります。
他のコメントにもありますが、米国ではなく欧州へ留学出来ていたら、時代が戦後の混乱期でなければと「たられば」で思ってしまいます。
私もこの番組を観ましたしCDも購入しました。神童だと言って家族や本人では無く周りが勧めて幼い子供を送り出す事になったが、本人独自のスタイル( 癖)を徹底的に治す事を強いられて、病んで行ったと言う内容だった。先ずは矯正され本人の引き方を活かす選択も与えられず、本人の選択肢も無い、その再現ドラマでは、アジアから来た天才的なバイオリニストへの嫉妬心から来る執拗な矯正だったと言う内容だった。大谷翔平やイチローも良い指導者に出会ったから頭ごなしに矯正されずに活躍出来た。昔と違って左利きも必ず右利きに矯正はされなくなったし、今の時代なら矯正を強要されずに自分の意見を尊重されてただろうにと思う。大人や専門家は絶対の時代。
素晴らしいドキュメンタリーでした。
特に最後のナレーションの文章と構成力、見事でした。
まったく、同じことを思いました。
最後に流れた演奏とナレーションが
心に染みました。素晴らしいドキュメンタリーでした。
普通に親の転勤で高校の時海外に移住した私は現地に馴染めなくてしばらく引きこもってしまった。あの時の絶望と辛さを思い出す。
海外で感じる孤独は、筆舌に尽くし難い。
非凡な才能と聡明すぎる頭とそして、親に甘えたい盛りの子どもであることのバランスが、孤独の中でおかしくなるのは必然だ。
お父さんに介護されている今の茂夫さんの無垢な表情…本当はこんな風に子どもらしく過ごすべきだった、ってことなのかな、と勝手に思ってしまった。
私はなんとかハイスクールを卒業し、家族より一足先に日本に帰国させてもらい、受験してあとは日本の生活に戻り今は家族を持ち幸せだ。無理をしてもらい親に感謝している。
せめて精神科に通ったあたりで、すぐに、茂夫さんを帰国させてあげていれば…。
悔しくて、切なくて、もっともっと茂夫さんのバイオリンを聴きたかつた!お父さんの愛がまた素晴らしいです。
なんという音色の素晴らしき 最後のショパンの夜曲 若い頃数えきれない程聴き入っていた 其れが渡辺茂夫さんの人生を予知す?かのような。天才
生まれてきた時代が,違っていたらと思わずにはいられません。
このドキュメンタリー、リアルタイムで見ました。30年近く前のものでまだ子供でしたが、あまりにも衝撃的で悲しくて、今でも克明に覚えています。そんなドキュメンタリーは今まで生きてきた中で、他にあと1つ2つほどしか思い当たりません。
天才って、、自身の気持ちを言葉にする前に相手の心をよんでしまう、、
幼い頃から実母の元でバイオリン、音楽に浸り、きっと、真摯な練習姿勢も無自覚のうちに自身の心に染み込ませ、尊敬する(昭和30代前半はロシアのボリショイバレエ団やサーカスやアイススケートショーなどを招致した時期で
貴族文化に培われてきたフランスバレエの形式美とは違う庶民にも共感できる日常生活での情熱的な思い、心の表現を重視してる文化がトルストイの潮流と相まってた時期だと思う。ホロヴィッツも確か?ロシアの方の源流を持つ演奏家で、とても繊細で指揮者のパガニーニ?だったかが自身のお嬢さんと結婚させたものの突如、演奏活動を中止してしまう、、一番、演奏家の人生として華々しい時期に。。
きっと、何か原因があるはず。。有名な作曲家の伝記からその時代背景の実態を読み解けるし、音楽を専門とされる人たちは師匠から文書化されてない伝記を伝承され、自身の音楽への使命感を自覚させられる。。茂夫さんは未だその年齢には達してなかったのに、演奏は成熟してらして、師匠が思春期を過ぎてない少年だということをわかってなかったのかもしれない。。
ホロヴィッツの突如、演奏活動を中断してしまったことがずっと、気になり続けています。。
主人が4歳の時から学校から帰宅するとバイオリンの先生が自宅に来てもらっていて、義母は息子を英才教育しようとしたみたいですが 笑、鈍才で幸運だったのかもしれませんね。。)
養父の渡辺氏?ひょっと?したら?かつてNHKテレビで洋菓子のお料理番組をされてらした方のような日本人離れした暖炉のある洋館に住われた城崎さん?という方の夢のような洋館を思い出しますが、、彼女は戦後、そういう邸宅を建てられたというのですが、、渡辺さんのお父様含め、実は戦後の渡辺プロダクションのご親戚だったのでしょうか。? ロシアの演奏法を学ばれ、でも?昭和30代というと、、オリンピックや万博招致が日本に決められた時期ですから、、
その時期まだまだ貧しい¥の日本から世界一豊かな$の国へ出かけることは
単に、留学以上の意味があったのかもしれません。。?
反対に、、日本国内では関東大震災で焼け出されて大阪に来たシャープ創業者の早川社長はアメリカからのラジオを心斎橋の家電屋さんが提供してくれ、シャープ製品として日本初のラジオを作ったと言いますから、、音楽関係、音響関係での分野で広く互助人脈の流れがあるようにも思えます。。
茂夫さんは当時の日本人としては別格にスタイルもスマートだし、姿勢も足の長さも秀でてる、、もし?本当に当時の日本人日本人した体格の人が渡米していればどんなことになってだろう?渡米することすら叶わなかった時代だったのかもしれないし、渡航費用も当時の¥と$なんて比較にできないほどですから。戦後にかかる時で、ルーズベルト大統領が急死(暗殺?)し、急遽、トルーマンだったか、アジア系の混じったナショナリズム系の大統領になって東京裁判で不当裁判を進めた時期のアメリカの大家に弟子入りさせられた、、というのは、、しかもロシア系の手技を既に自身の血肉にしていたという十代の思春期の少年に、、本当に保護者としてでなくとも、人格を尊重した対応ができたのだろうか。。
きっと、自分はただ、音楽の道具としてしか見なされていないことを思い絶望してしまったのではないだろうか。。
茂夫さんはきっと実母の繊細で行き届いた愛情の中で人としての心を持ち、やがて両親の離婚により養父母に引き取られはするけれど、実母との間で日記を書く習慣があったのではないだろうか。
でも、当時はまだまだ、国際郵便は日本人にとっては高く、エア便ではなく船便だとすると、、実母との連絡がスムーズに取れないことに気づく母性が、、2歳のお子さんを育てながら彼を預かった方だけにしかなかったのでは、とも。。
本当に、、若さとは自身の命を生きがいにしてるのが自身が家庭を持つ前だから軽く扱いがちでもあります。。昨日見てきた鈴芽の戸締まりの演出に恐ろしさを感じる所以でもあります。。ただ、、戦後、戦勝側だった中国内で渡米し共産圏国家独特の英才教育があり、、こういう国際関係の中で、芸術分野といえども、外交の手段として人材育成がされ、国の強弱により一種の捕虜のような扱いがあったのだろうか? でも、、サウンドof ミュージックなんかでは、ニューヨークの夜の繁華街には既に中華レストランがネオンで輝いてるので、、単純に、米国による結果とも言い切れないことを思い、短絡は危険にも思えます。
日本で伸び伸び活動してもらいたかった。
音楽はもちろんのこと、幼い頃も、ご両親のもとに帰られたあとも、茂夫さんの澄んだ目がキラキラと美しくて印象的でした。抑えきれない魂の輝きのような。。
素晴らしいバイオリンの調べです。魅了されました。あまりに早熟で才能が早く開花してしまったことが、こんな結果になるとは言葉もありません。優れた演奏家の一生分にも優る演奏を残されたこと敬服いたします。
わやーや」」
、
大変悲しく悔しく思います。私は40年前にニューヨーク市へ芸術留学し苦しい経験をしました。同級生からは嫉妬され妬まれ嫌がらせを受けました、教授からも嫌がらせをうけました。天才少年ではない私があれだけ妬まれたのですから茂夫はさぞ耐えられない苦労をされたのだと思います。当時、教授のほとんどは男で本能的、性的に敵対する傾向がありました。故に日本ならびに東洋の女性徒はより受け入れられ成功している事は明白な事実です。そしてあのニューヨーク市という街の社会環境は大変特殊で「生馬の目をくり抜く」かのように他人を押し除けて己の成功を達成する事は当たり前です。そして茂夫様の留学当時はまだ戦後間も無く、日本人は奇襲攻撃した卑怯者!騙し討ちをした信用してはいけない者、という根強い半日感情と、人種差別の対象でありました。そんな街へまだわかい14歳の少年が行ったわけですから。
生き馬の目を抜く😂
くり抜くのは怖いからヤメて😅
感受性豊かだからこそ天才的で素晴らしい演奏や詩的な表現が出来たのだと思います。その反面、感受性豊かだからこそ孤独な環境はより辛かったのだと思います。事件後も茂夫さんが生きていて良かったです。お父様の茂夫さんを思う気持ちが温かいです。
何回聞いても素晴らしい❗️涙が溢れてきます。本当に本当にもったいない❗️こういう方はもう残念ながら日本には出てこないでしょう。残念でたまりませんモーツァルトの再来だったと思います。
恐らくアメリカには行かなくてもよかった。
天才、神童と言われて、そのままビッグになる人もいるし、そうじゃない人もいる。
どうしたらよかったなんて誰にも分からなかったと思う。
人生は過酷で残酷で難しい。
この悲劇が、教訓になります様に。本当に。
渡辺茂夫さんという天才バイオリニストがいて、このような事件にも似た出来事があった事を今の今まで知りませんでした。
神童と言われた茂夫さんの演奏は、音色が優しさに溢れ、7歳で既にただ者ではないレベルに完成しきっていました。
アメリカに行って、著名な先生に指導を受ければ、もっと上達すると周りは思ったのだと思いますが…。
アメリカでの音楽学校生活が合わなかったら、帰国する事を考えて欲しかった…。こんな非凡な才能を無駄にして欲しくなかった…。残念でなりません。
お父様は、努めて明るく茂夫さんの面倒を見ていらっしゃるのが、泣けてくるような、何とも胸に熱く込み上げる思いでした。
時間を戻せるものなら戻して欲しい。そのまま日本で世界的な名演奏家として活躍し、美しい演奏を沢山していたと思います。一命を取り留めただけでも、不幸中の幸いでしたね。
天才バイオリニスト 渡辺茂夫 さん幼い時からバイオリを徹底的に教えられ よく忍耐されましたねえ
素敵な結果が出てますねえねぇ〜よく練習した結果が成功されてますねえ 素晴らしいバイオリンノ音色 素晴らしいですねぇ〜ありがとうございましたねぇ〜お疲れ様でしたねぇ〜笑顔 何事も 練習と努力ですねぇ〜天才バイオリニストですねぇ〜お疲れ様でしたねぇ〜😊🌻🌸💐🌷🌺🌼😊
類稀なる才能。幸せになってほしかったです。悲しくて残念でなりません。
とても心に残る動画でした。天上の演奏家
だったのですね、彼は
96年当時リアルタイムで見ました。衝撃でしたね。
またこの秀逸なドキュメンタリーを見れて幸せです。
と同時に何度見ても切なくなりますね。
NY滞在中、若井医師に音楽の事を始め、励まして頂いていたら良かった。
大量の睡眠薬をひとり暮らしの未成年に処方してしまった何者かの責任は重大であった。
茂夫さんと渡辺先生のご冥福をお祈り致します✨
こんな素晴らしい音楽家が居たことを初めて知りました。睡眠薬の服用で後遺症が残ったという事ですが、真相は分からないそうです。後頭部に傷があったと、日本人は差別を受けて大変だったと思います。異国の地で心細く辛かったのかそう思うと、高校生までは日本にいれば、タラればですが、考えてしまいます。
本当に真相はわからないですね。暴漢に襲われたという話もあり、事件を政府により隠蔽されて自殺にされたのかもしれません。いずれにせよ、残念でなりませんね。
@@kitagawajoel701 様
お返事ありがとうごさいます。私も若い頃、田舎から初めて親元を離れて都会で寮生活をした経験があるんです。誰も知らないところで、とても心細く、ホームシックになり、常に帰りたいと、おかしな気持ちになった事があります。環境が一気に変わるのは相当なストレスでした。10代はまだまだ子供で、不安定な時期、留学などしなくても良かったとお父さまも悔やまれたでしょう。天才はいつの時代でもどんな業界でも嫉妬されます。周囲の大人達が彼を守って欲しかった。
@@28-x2w55acxop さま
彼の才能が気に入らない、写真に足しか写っていなかったり、頭を葉っぱだらけにしてピアノを弾いていたこと、もっと沢山精神的に追い詰められる事があったと思います。アメリカに出発する時の、茂夫さんの物憂げな表情。時が巻き戻せるなら、引き留めたいです。
吉村妃鞠さんと同じ年にバイオリンの天才渡辺茂夫の演奏聞いてひまりさんと同じように凄いバイオリン技術に音色に驚きです。
この戦後すぐの時代、私の祖父は日本郵船の貨客船の長として、アメリカ含む欧州諸国を航海し巡っておりました。戦前から凄まじかった欧米諸国の日本人へ(それ以外の有色人種へも)の人種差別は、戦争直後には耐えがたいものに変わっていたとのこと、この時期の体験については、二度の撃沈や漂流を体験してきた祖父も暫し口を閉ざしがちになっていたと、その娘である母は話しておりました。
よくアメリカ人は、真珠湾攻撃さえなければ、米国人への日本人への感情は悪化しなかったように伝えたがりますが、冗談じゃない。戦前からアメリカの人種差別は凄まじかったそうです。それが戦争直後には目も当てられなくなったと。
裏千家の前家元、千宗室氏も「アメリカの民主主義ゆうてどないなもんかと思うて(留学して)行ったが、マァなんちゅう人種差別の酷い国やと」。
僅か16歳の、敗戦国のアジア民族の天才少年が、アメリカでどのような思いをしてきたのか、今となっては知るよしもありませんが、死を選ぶに充分な扱い、記憶を消し去ってしまった方が幸いだと思われるほどの経験があったのではないかと、背筋が寒くなります。
ツィゴイネルワイゼンの美しさに溜め息が出ました。日本でも無理(戦後すぐと考えたら尚更学びは難儀でしたでしょう)、人種差別大国アメリカでは、更にダメ。
どうしたら、この繊細な天才少年の規格外の才を潰さず伸ばすことが出来たのであろうかと、考え込んでしまいます。
昨日初めて動画を拝見し、かなりショックを受け呆然としています。
今、4歳と7ヶ月の子供を保つ母親ですがこの渡辺茂夫さんを恥ずかしながら初めてしりました。
CDも直ぐ探しましたが、全て取り扱いなし。。。
諦めず、定期的にチエックしてみようと思います。
14歳〜16歳。思春期真っ只中で私には想像もつかないようなデリケートな心で、異国の地にたった一人で戦わなければいけなかった彼の気持ちを思うと胸が張り裂けそうです。
戦後間もない事から黄色人種に対する差別や彼を引きずり落とそうとする力も相当なものであった事でしょう。
嫉妬や嫌がらせもあったでしょう。
心配をしながら送り出したご両親。
経済的に一緒に行くことが難しかったのでしょうか。せめて、お母様だけでも彼のそばにいてあげられたら、状況は少し変わっていたかもしれませんが、難しかったのでしょうね。
天才の導き方が誰にも分からなかった。
芸術家はとても繊細でデリケートです。いつでも親身になり支えてくれる人は人間であれば誰もが必要であり、それが勉強段階の芸術家であれなおさらだと思います。
睡眠薬100錠を飲んで自殺をはかったとありますが、真相は闇の中です。
ただただ、無念です。
晩年のお姿、少し微笑んだりする表情がさらに胸に訴えてくる物がありました。
天国で心を開放させ、空の上で家族と演奏を楽しんでいる事を祈るしかありません。ご冥福をお祈り致します!
政治的状況、関わっている人たちから見ても、他殺に間違いないと思われるマリリン・モンローも睡眠薬とされていましたものね。
ちなみに、この間亡くなったマイケル・ジャクソンさんも、子供の頃から、黒人の音楽が公共放送のラジオで流すべきではないと言う風潮に悩み、一つ一つ壁をぶち破ってきて、彼自身がイニシアティブを取り、映画的に作ったスリラーあたりから🟰つまり外見を白くしたあたりから、トップと言われ出しました。彼のほとんど自作のものが多い曲を読み返してみると、ものすごい人種差別や世界平和に対するメッセージが溢れています。実際SME(SonyMusicEntertaiment)で彼は直接していた方にお話を聞くと、本当に弱い立場の方に同情を示す。とても優しい方だったそうで。
その昔、テレビの特集で彼を知りました。まだわたしは小学生か中学生でしたが、母が買ってきた2枚組のCDはいまも時々聴く宝物です。
CDには彼の肉声が収録されています。哀しくも、彼の才能に感嘆します。
10年以上前かもしれません。
彼の神童というCDに収録されていたショパンのノクターン嬰へ短調の響きの衝撃は今も忘れられません。
胸に迫る演奏とはああいう演奏だと思いました。
あまりにも悲しすぎて 涙が流れた。
自分もヴァイオリンやピアノを20年やってきた身ですが、このような世界を席巻しうる大天才(これでもまだ控えめですが…)が居られたことを知ったのは、わずか数年前のことでした。自らの見識の狭小さ、貧しさに悶絶躄地する思いです。彼がヴァイオリニストとして何事もなく長じていたらどうなっていただろうか。そのような空想をする度に、曲がりなりにも演奏家の末席を汚す者として、喪われた才能のあまりの巨きさに憤死しかねないほどの怒りと悲しさを覚えます。彼はまさしく、世界の至宝となったであろう逸材だったのに…。
この時の茂夫さんのお顔がとても平穏で無邪気なようにも見えます。幸せを感じていた記憶の中に閉じこめられた。渡米が間違いだったのかは私にはわかりませんが、人は1人では生きていけない。天才は孤独に蝕まれ、行き場をなくしてしまいました。こういった記録がただ消費されるだけにならないようにしたいです。
高音に、妥協の無い強さと透明な水色を感じ涙が出ました。日本でノビノビとした青い時を過ごして欲しかった。
私の経験からも申し上げるんだけど、世の中の天才の中には「何がなんでも自分の型に嵌めないと気が済まない」という御人が居て、彼らがどんなに望んだとしても彼らに次世代の人間を預けてはいけない。そういう天才には一生プレイヤーだけとして満足していただくしかない。
電波を通じてさえもこれほどまでに感動を与えてくれた方でしたから生演奏を聴いたらきっと感動しまくり過ぎて脳内のアドレナリンが駆け巡るかと思います!。一生耳から離れない音色です!。
また、感動と言う言葉は渡辺茂夫さんの為にある言葉かと思います。
わさかあで
わかりました
気の毒な人生の話を知ったから『感動』してるだけなのでは? 普通のバイオリニストの演奏として聞いたら、そこまで感動しますか?
稀有な才能だったことは確かだろうけど、私が親なら音楽家として大成しなくてもいい、感動しました!なんて言ってもらえなくてもいいから、健康で平凡な人生を幸せに生きてくれたほうがどれほど良かったかと思う。
よくそこまで偽善的なことがほざけるな。どこまで根性がねじ曲がってるんだ、お前は。
┐(´-д-`)┌
他の書籍で教授の家族ともそりがあわず、金銭的にも日本側がきちんと援助できず生活も苦しかったと聞きます たとえ神童であってもどんな自分をも受け入れてくれる保護者がついていくべきだったのは今からすると当然なのですが
不安と緊張を強いられてどれほど辛かったか
クラシック界からは悲劇かもしれませんが彼の心が穏やかでもう苦しんでいないならこれでよかったと思いたい。私は才能を開花させる事だけを本人の幸せとする風潮を好きになれません
バイオリンをやめても本人が幸せならそれで良いのに
真面目な人間は周囲の自分以外の人間の望む姿にすら真摯に向き合うので思うように生きられず心身をすり減らす 他人といる事が苦手な人はそういう傾向があるのでしょう 人生は本人のものでいいんです
全くそのとおりで人生は彼自身のものであるべきだった。最期は日本で愛情に包まれた中に身をおかれたことが悲しいけれど安堵致しました。
よい番組をありがとうございます。何度もこの動画を見られずにいられない。もっと渡辺茂夫の音楽を深く知りたい。
43:35 すごい綺麗な曲。鳥肌が立った。作曲の才能もあったのか。。
素晴らしい、音聞いて涙ポロポロなかれ、なにこのすばらしい、お話し聞いて、涙、、涙です、有り難う御座います、なにも言えない。涙、答えですどうか、、幸あれと、、失礼します。
茂夫さんはこのドキュメンタリーの3年に旅立たれているのか・・お父様は2012年に103歳で・・天国で仲良くご家族で音楽を奏でて過ごしていてほしいです。
アカデミックな教育方針が音楽の本質とは何の関係もない事の証明だと思います。素晴らしい音色がこのような馬鹿げた事で失われてしまった事、2つの国の摩擦を避けるために一人の少年の将来を失わせた事件が何事もなかった事にされた事に対して深い憤りを感じます。これから世界が少しでも変わる事を願います。
美しく物悲しい調べです。何故彼を一人で行かせたのかと悔やまれます。沢山の薔薇の花にお父様の愛情を感じます。お父様にお世話されてる時嬉しそうな表情をされてました。眼差しは若い時のまま。
同感です。
なぜお1人で行かせたのか。。
彼の演奏は、美しい
エンディングのバイオリン。
美しくて涙出ました。
ありがとうございます🙏
@@美沙子-t2c さま、いくら天才で知的であったとしても心は子供だったと思いました。お父様にお世話されてる時のあの嬉しそうなお顔。何だか泣けてくると同時に幸せって何なのか考えさせられました。窓から薔薇が見えるようにとお父様は薔薇を手入れされてましたね。こんな深い愛情あるでしょうか?彼は確かにお父様の愛情をしっかり感じているんだと思います。
こんな天才バイオリニストがおられた事を初めて知りました。
動画の後半に、お父様に抱えられ階段を降りて来られる姿はとてもとても衝撃的でした。まだまだ幼い茂夫さんを一人で留学された事を合わせて考えると言葉にし難いです。留学さえしなければ、もっと違った方法で茂夫さんを育てたなら、せめて一緒に海外に親子で移住してたら、などその事は親御さんが1番感じられた事と察します。
ああ、なんと透明感のある素晴らしい音色、まるで天上界で聞いているようです。✨
過去に放送されていたときに視聴しました。たまたまUA-camのtop画面に出てきて再び見入ってしまいましたが、放送自体、随分前になるのですね。
鮮明で透明感のある、だけどどこか哀しみを帯びたような最後のショパンの演奏がとても心に残ります。
留学される時代がもっと後であれば、いや、留学自体の見直しもできたのかも知れないと思うと、大変悲しく惜しまれます。
今はもう亡くなられている茂夫さんもお父様も、どうか心安らかでありますように。
10代の少年が奏でるバイオリン🎻聴いていて胸が討たれ完成された天才のバイオリストですね!日本が誇れる素晴しい奇跡のバイオリサトですね
時代がもたらした
若き天才たる故の悲劇。
悔やんでも悔やみきれない
とても残念でならない。
何故かおすすめに出てきてくれたので、渡辺茂夫さんを知ることができました。
クラシックには疎いのですが、ただ演奏に鳥肌が立ちました。
お父様の大きな愛に慰められますが、ご本人もご両親も、どれだけ悔しかったか、心が痛いです。
なんて純粋な眼をしているのでしょう。
その心は永遠です。だからこそ、奏でられたのかな。素敵な音楽はいまだ私共の心を打ちます。ありがとう。生きていてくださってありがとうございます。
音色は人柄も表れる😂
渡辺茂夫天才少年の音色🎵
陶酔してしまう🎵柔らかい音色、恍惚なのですね🎵❇
素人の私が聴いても、魂の奥深くに染み入る音色です! これまでに聴いた事が有りません。
魂の響きとでもいいましょうか…何があったのか知る由も有りませんが、全力で、駆け抜けた、天才、その後の人生は、余りにも、酷です。お父上の無念に、胸が張り裂ける思いです。最後、彼の作曲の音色は、哀切に溢れています。
埋もれていた、偉大な天才の番組を有難うございます。感謝致します。
お二人の末長い、ご健康をお祈り致します🎶✨
泣きました、私も専門的にピアノを学んだのに、この方を知らなかったのが
恥ずかしいです。けれどすごくよく理解できました。
早起きしてUA-camを観て良かったです。映像の力は素晴らしいですね、
音源も素晴らしかったです。昔は良い番組が作られていましたね。
こんな素敵なバイオリン、聞いたことがないです。本当にもったいない。アメリカに行く必要なかったのに、本当にかわいそうです。もっと、演奏してたくさんの喜びを知って、深みが増したことでしょうね。
大変美しい音色に感動し、又、言い知れぬ悲しみ、又は 驚嘆、深い感銘を受けました。わざわざアメリカに行く必要は無かったのでは。。と、思います。両親の愛情に囲まれて日本で大好きな旋律を、本人がやりたい様に自由に奏でて行けば、神童はどこまでも自分の方法で伸びて行けたでしょうに。。。
動画中に、アメリカでは、彼は愛を欲しがっていた。。と語った方がいました。
異国で学ぶ、高度な技術よりも、ふるさとの愛にまさるものは、ないのでした。
帰国後、のちの彼は、たとえバイオリンが弾けなくてもお父さんの愛情に包まれた時間は、一番、何よりも変え難い、しあわせな人生だったでしょう。。
神童だからと、両国の大人たちの、欲がからみ、その欲が、彼を潰したのでしょう。。
神童と言えば。あれから日本では、盲目のピアニストがあらわれたり、将棋界でも神童が現れたりしてますが、
皆んな日本で両親の愛に包まれて成長して来ました。
彼は今頃、天国でお父さんの微笑む中で思い切り、純粋で清らかな音色を響かせていきいきと、暮らしていることでしょう。。。しあわせそうな笑顔で。。。。。🎶
生まれた時代が終戦直後というのが最悪だった、
もし現代に生まれてたら間違いなく世界的演奏者になったはず。
そう思えてしまいますが、実際はもっと複雑なんでしょうね。
99年に渡辺茂夫氏他界、2012年に父季彦氏も他界されたそうです。
ご冥福をお祈りいたします。
最初のチィゴイネルワイゼンでびっくりしました。
この人の演奏を生で聞きたかったです。
彼の魂が安らかでありますように。
これは現代でも言えることで、海外留学することが才能を育むわけではないと思います。
文化も思想も違う中で、必死に茂夫さんは耐えていらっしゃったんだと思います。心が痛みます。
ほんとそう。
この様な素晴らしい天才がいらした事全く知りませんでした。 あの時代に14歳で一人天才少年はニューヨークでバイオリンを弾き
技術を変えようとされたり。14歳まだまだ子供であるのに家族から離れての外地での生活はどんなに寂しかったことでしょう。
この話は涙無しには見る事が出来ませんでした。 今現在の状況の中での笑顔また父上の素晴らしい愛情をいっぱいに生きて行ける事が救いです。
揉み消されたんだろうけど、犯人はいるはず
しかも、、毎日テレビで報道されたのが阪神大震災翌年でしたっけ?
サリンやオウム事件、3億円犯人などの時期だったでしょうか?
@@n_mtk3433 勝手な想像ですが、、阪大病院があった中之島周辺の不動産所有関係で未だ、戦前、戦中で、法務局の登記制度が確立されておらず(日本人同士だと、互いに資本主義的な争いは先ず、起こらない。暖簾という信頼関係文化が書類での証明書文化の以前にあったから。シャープの早川社長が、関東大震災まで東京で細かな金物を作る職人の親方で、シャープペンシルを開発し、当時、日本一の文具小売店だった銀座の白木屋に卸したものの、爆発的に売れたのにその売上金が貰えないどころか、反対にロイヤリティを出せと、当時、堺に居てた太陽堂の中山兄弟に言われ、早川氏は裁判しても、資金ショートした方が負けるので、反対に大阪へ行って、彼らに自分の特許と技術と製造機械も無料で与える代わりに、自分の弟子ー部下たちの就職もしてほしいという交換条件で、レールにのるまで、6ヶ月間手弁当で通った。。昭和30代に領収書や請求書ということや契約文化自体が日本にはなかったことでしたから。
この放映が阪神大震災以降にされてるなら、日本で起こったというよりは、、実は?在米の日系とされてる中での話しかもしれません?
当時、渡米するのはユダヤ富豪の支援で降るブライト留学生として日本国家が選び抜いた人を送り出すので、テレビがない時代でも、ラジオで盛んにインタビューされたりして国民の代表のような気持ちでアメリカへ送り出していたと思います。特に、法学など地味な分野ではなく、音楽家の場合は。。渡辺プロダクションという実は?ハリウッド(張氏+森氏)と繋がりのある方だったのではないでしょうか。
森首相の存在感の不思議さが実は、国際的な人脈に姻戚関係や支援者があるのだとすると、、トルーマンもハリーですし、張氏真男。。女真を使う武将がいましたでしょう? 女真があるなら男真もあるのではないだろうか。
ルーズベルト、ローズ(バラ)ベルトが急死し、副大統領で実権を持っていたトルーマンが副大統領なしで後任し東京裁判は2年間、かかった。。
唯一、インド(英系、ガンジー系)代表者だけが日本の無実に票を入れ、あとは、、何もかも日本国家側、昭和天皇の責任を主張。。
サンフランシスコ講和条約50周年記念行事に田中真紀子外相が参列してるときに、911テロでペンタゴンに飛行機が突入。。50年後に、戦争史実を公開する約束だったはずなのに。。
運命を受け入れてる、お父さん、凄い。真似できない。そして芸術の世界にも妬みがあるのを思い知った。無念である。ガラミアンとは顔からして合わない。死因も疑わしい。ハイフェッツなんか不要。彼は永遠に愛すべき少年。
それですね。お父さんの、輝くような愛が、全てを美しいままで保存しているように見えます。
音が生きていると先ず感じました。澄んで力強い響き初めてこのような想いをバイオリンから感じました。バイオリンって素晴しい楽器ですね。渡辺茂夫さんの演奏だから思えた感想だと思います。惹き込まれました。この感動は生きている間、消えることなく続くと思います。その位私にとっては驚き嬉しい感動でした。動画配信ありがとうございました。
現在、CD は殆ど売り切れ状態で入手出来ません。youtube で聴くだけでも、その素晴らしさはひしひしと伝わって来ます。でも CD は演奏の魂を十分に再生するものではありません。録音テープが残っているならラッキーです。ありったけの録音を、SACD または HiReso 配信で、渡辺茂夫全集を出して欲しいと切望します。天上の世界で渡辺茂夫は演奏していると思いたい。そうでも思わないと、あまりに悲しく切ないです。神様、願わくは渡辺茂夫と渡辺季彦さんが霊界で安らかに過ごせますように。
このドキュメンタリーも名作だ。特に、最後の言葉には作家の深い洞察がある。
素晴らしい何回も聞きたいです。
とても残念なことですが、帰国後に両親の愛情に包まれたことが真に望んでいたことなのでしょう。
久しぶりに茂夫さんの特集に巡り合えて、感謝とともに勿体ないバイオリニストを失くしてしまった重大な事件があったことを知るべきと思い知らされ、大事に育てて頂きたいと涙ながら思いました😭お父様のご苦労と茂夫さんの穏やかに日々を祈らずにおられません😭今日は、ありがとうございました😂感謝申し上げます😭🍀🌹
彼の音を聞いて泣けてくるのは、私だけでしょうか⁈