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いつも見てるで!
いつも動画をご覧いただき、ありがとうございます。引き続き、よろしくお願いいたします。
非常に興味深い内容でした。歴史有る地名が消滅するのは残念なことですね。
ありがとうございます。栗東の「栗」が栗太郡の「栗」を示していますので、かろうじて、痕跡は残っています。ただ、「栗太」は、郷土資料でしか見ない地名なので、少し寂しいです。
私は元栗東の住人でしたが栗の巨木にはもう少しエピソードがあって、木を切って倒そうとして一日で何とか幹の半分切っても翌日には元通りに戻ってしまうという不思議な事が起きて諦めかけていたらしいが、夜中に何が起きているのか確かめると栗の巨木に絡み付いた蔦から精霊が現れて栗の巨木の切った部分を嘗めて再生させていて、そこで巨木を切る前に徹底的に蔦を取り払ってから切ると再生しなくなった…らしいです
詳細の解説、ありがとうございます。私の解説が、雑で失礼しました。栗の大木に関する伝説は数多くあるのですが、解説いただいた内容は、まさに、動画で取り上げた『三国伝記』に記載されている内容です。こうした伝承について、「科学的でない」と言われたらそこまでなのですが、私は多くの人に知ってほしいと思っています。
先日自転車で行きました! 文化財センターや和田古墳群の方ばかり気にしていましたが、向かいの灰塚山はノーマークでした。。。あの山に栗太郡のゆかりがあるのですね! 岡遺跡の周辺は水田が広がっていて、吹き抜ける風が気持ちよかったです。また動画楽しみにしています!
ありがとうございます。先日、自転車で行かれていたのですね。私は、逆に、和田古墳群については事前調査をしていなかったので、新たな発見でした。岡遺跡周辺は、自転車で走っていて気持ちの良い場所でした。
旧草津川の上流であるこの辺りは古墳や古代豪族が建てたと思われる神社が多く、山の管理から鉄の争奪戦で豪族同士の争いが勃発していたと考えられます。五百井神社、小槻大社、小槻神社、などがそれにあたりますが、鉄を作るには多くの木材と運搬や鉄を冷やすための水が必要になります。ただ旧草津川の昔の名前は”砂川”なので普段は水が少ない川であり、大雨が降ると洪水を引き起こす厄介な川でした。旧草津川の下流に行くと飛鳥時代からある木川郷がありますが、奈良へ木材を運搬するための中継地点として”木川”になったとも言われています。今は石油の時代なので木材の重要性は今一つピンと来ないですが、古代の人々にとっては木材資源が非常に重要だったので、木に対する情熱が巨木伝説に結び付いたと思われます。ちなみにその木川には”木川寺”という法隆寺に匹敵する大寺院があったという伝説があります。金勝寺がもとは奈良の仏教勢力が鬼門封じに建てた寺ですが、その後に天台宗になるものの勢力争いは激化したそうです。そして軍事拠点として金勝寺は木川郷に木川寺を建てたようですが、発掘調査が行われたものの弥生時代の水田跡は見つかるもの木川寺の手掛かりは見つかりませんでした。ただ天神社の社殿の下などは発掘調査がされていないので怪しいとは言われています。これもまだ伝説だったりもします。
大変詳しくご教示いただきありがとうございます。金勝寺は、東大寺の良弁が開基したといわれていますが、金勝周辺の木材がその東大寺建立にも使われていたので、両者の関連性が興味深く感じます。さて、「木川寺」については知らなかったので、大変興味深く拝読いたしました。金勝寺については、私も、少し勉強をしたことがあります。当初は、比叡山の天台宗と対峙していて、まさに、琵琶湖を挟んで勢力争いをしていたようですが、次第に、金勝寺の僧侶が比叡山に修行に行くことも増え、天台宗化していった・・・ということは知っていましたが、それ以外のことは詳しくないので、大変参考になりました。
「木川寺」の詳しい情報(伝説領域)は栗東歴史民俗博物館に木川薬師堂(西遊寺)の毘沙門天の仏像が保管されていることで調査記録があります。木川薬師堂は別名「乳薬師」とも呼ばれ母乳の出の悪い母親たちに江戸時代に人気がありました。毘沙門天像は平安時代に金峰山寺がその場所にあったことから由来があるそうです。金峰山寺は奈良吉野に総本山がありますが、滋賀の出張所でもあり金勝寺の別院でもありました。そのさらに金峰山寺よりも昔に木川寺があったという伝説があるようです。木川薬師堂の前に駐車場があるのですが、そこにポツンと白髭神社があります。神社と言ってもご神木あるだけなので、一見すると神社だと分からないものですが、恐らくこのご神木の下に幻の木川寺の五重塔の礎石があるのではと言われています。
滋賀県栗太郡栗東町のイメージが強いです。
ありがとうございます。2001年に市制が施行されましたので、昔から栗東にいらっしゃる方は、栗太郡栗東町のイメージが強いかもしれません。ただ、栗東に限らず、旧栗太郡には、いわゆる新住民が多い地域でもありますので、栗太郡については知らないという人も少なくないと思われます。
瀬田中学校は昭和24年から26年までの2年間だけ栗南中学校という名前だったそうです。
ありがとうございます。瀬田中学校が、一時、栗南中学校だったとのこと、知りませんでした。瀬田中学校は、中学校時代に何度か行ったことがあるので懐かしいです。
2年に一度くらいサイクリングするけど、栗東の文化センター前の道路がが工事しているとは知らなかったです。また行ってみます。
ありがとうございます。私も工事をしていることは知りませんでした。自転車や歩行者は通行可能となっておりますので、今後、よかったら通行いただければと思います。
栗太郡ととも聞かなくなったのが神崎郡ですね。名残としては神崎中央病院くらいですが、旧神崎郡地域を神崎ということはあまりないですね。能登川町、五個荘町、八日市市、永源寺町が該当するので東近江市の中部が神崎郡ですが、それぞれの市町の結び付きも薄く、蒲生郡と愛知郡に挟まれた郡って印象ですね。
ありがとうございます。実は、私自身も、この動画で、神崎郡について触れるか非常に迷っておりました。ご指摘の神崎中央病院に加えて、奥永源寺を流れる神崎川(愛知川上流)くらいしか、名残が思いつかなかったためです。ただ、栗太については、何一つ思い浮かばなかったので、神崎郡についてはスルーしてしまいました…。
毎日仕事で通っていて気になってた場所でした勉強になりました早く道路開通しないかなぁ?
ありがとうございます。道路工事がいつまで続くのかは確認できませんでした。私は、あまり通る道ではないので、以前、通ったときよりも道路が拡張されていたことに驚きました。
6栗&2米Getだっぺ!今回は栗太郡界隈周辺一帯を自転車で巡り、現地撮影お疲れ様でした。工事中は新たな車道ですか?
ありがとうございます。旧栗太郡の中でも、栗東市下戸山周辺だけの散策とはなってしまいましたが、新たな知見を得られ、興味深い場所でした。灰塚山と安養寺山の間の道路は、現在、拡張工事が行われています。自転車と歩行者は、通行可能でした。
ずっと前からもそうだったが、説明板や由緒書は、一時停止して読めるように、しっかりアップで撮影してもらいたい。
ご指摘、ありがとうございます。こうした説明版は、動画作成時、個人的に確認をするために、一枚一枚、写真を撮影していて、可能な限り口頭で説明をしていますが、確かに、皆さまにはお見せできていなかったと反省をしております。アップして、動画を撮影するように努めます。
古い地名では、栗太郡ではなく栗本郡になってるのがあるけどね、
ありがとうございます。栗本郡について、同じようにコメントをいただいていたので、『栗東の歴史』という本で調べてみました。それによると、古代の史料では、『和名類聚抄』に「栗本」という記載があったようですが、それ以外は「栗太」と表記していたようです。ただ、「栗太」の読み方は「クルモト」や「クリモト」だったとのことでした。その後に、「栗太」(クリタ)に統一されていったとみられます。
@@unde 黒岩重吾氏の「天の川の太陽」だったかで、栗太と書いて「くるもと」とルビが降ってあったような記憶があります。なので、最近までずっと「くるもと」だと思ってました。
毎日通勤してる道だった😂
ありがとうございます。身近な道路を取り上げることができて、こちらもうれしいです。
神崎郡もだいぶ死語に近い気がします!
コメント、ありがとうございます。仰せの通り、神崎も、今は、ほとんど聞きませんね…。「神崎」が使われているのは、神崎中央病院と神崎川くらいだと思われます。
Wikiによると最初は栗本(くりもと)郡と呼ばれていたそうな。滋賀のマイナー地名のマイナーなネタ
コメント、ありがとうございます。ウィキペディアを確認できていなかったのですが、今、調べていたら『栗東の歴史』という資料にも「栗本」についての記述がありました。どうやら、『和名類聚抄』に「栗本」という記載があったようです。その他の史料は「栗太」と表記していたようですが、読み方は「クルモト」「クリモト」だったようです。今は、「栗太」という地名は残っていないので、マイナー地名ですね。
いつも見てるで!
いつも動画をご覧いただき、ありがとうございます。引き続き、よろしくお願いいたします。
非常に興味深い内容でした。歴史有る地名が消滅するのは残念なことですね。
ありがとうございます。
栗東の「栗」が栗太郡の「栗」を示していますので、かろうじて、痕跡は残っています。ただ、「栗太」は、郷土資料でしか見ない地名なので、少し寂しいです。
私は元栗東の住人でしたが
栗の巨木にはもう少しエピソードがあって、木を切って倒そうとして一日で何とか幹の半分切っても翌日には元通りに戻ってしまうという不思議な事が起きて諦めかけていたらしいが、夜中に何が起きているのか確かめると栗の巨木に絡み付いた蔦から精霊が現れて栗の巨木の切った部分を嘗めて再生させていて、そこで巨木を切る前に徹底的に蔦を取り払ってから切ると再生しなくなった…らしいです
詳細の解説、ありがとうございます。
私の解説が、雑で失礼しました。
栗の大木に関する伝説は数多くあるのですが、解説いただいた内容は、まさに、動画で取り上げた『三国伝記』に記載されている内容です。
こうした伝承について、「科学的でない」と言われたらそこまでなのですが、私は多くの人に知ってほしいと思っています。
先日自転車で行きました! 文化財センターや和田古墳群の方ばかり気にしていましたが、向かいの灰塚山はノーマークでした。。。あの山に栗太郡のゆかりがあるのですね! 岡遺跡の周辺は水田が広がっていて、吹き抜ける風が気持ちよかったです。また動画楽しみにしています!
ありがとうございます。
先日、自転車で行かれていたのですね。私は、逆に、和田古墳群については事前調査をしていなかったので、新たな発見でした。
岡遺跡周辺は、自転車で走っていて気持ちの良い場所でした。
旧草津川の上流であるこの辺りは古墳や古代豪族が建てたと思われる神社が多く、山の管理から鉄の争奪戦で豪族同士の争いが勃発していたと考えられます。五百井神社、小槻大社、小槻神社、などがそれにあたりますが、鉄を作るには多くの木材と運搬や鉄を冷やすための水が必要になります。ただ旧草津川の昔の名前は”砂川”なので普段は水が少ない川であり、大雨が降ると洪水を引き起こす厄介な川でした。旧草津川の下流に行くと飛鳥時代からある木川郷がありますが、奈良へ木材を運搬するための中継地点として”木川”になったとも言われています。今は石油の時代なので木材の重要性は今一つピンと来ないですが、古代の人々にとっては木材資源が非常に重要だったので、木に対する情熱が巨木伝説に結び付いたと思われます。ちなみにその木川には”木川寺”という法隆寺に匹敵する大寺院があったという伝説があります。金勝寺がもとは奈良の仏教勢力が鬼門封じに建てた寺ですが、その後に天台宗になるものの勢力争いは激化したそうです。そして軍事拠点として金勝寺は木川郷に木川寺を建てたようですが、発掘調査が行われたものの弥生時代の水田跡は見つかるもの木川寺の手掛かりは見つかりませんでした。ただ天神社の社殿の下などは発掘調査がされていないので怪しいとは言われています。これもまだ伝説だったりもします。
大変詳しくご教示いただきありがとうございます。
金勝寺は、東大寺の良弁が開基したといわれていますが、金勝周辺の木材がその東大寺建立にも使われていたので、両者の関連性が興味深く感じます。
さて、「木川寺」については知らなかったので、大変興味深く拝読いたしました。
金勝寺については、私も、少し勉強をしたことがあります。当初は、比叡山の天台宗と対峙していて、まさに、琵琶湖を挟んで勢力争いをしていたようですが、次第に、金勝寺の僧侶が比叡山に修行に行くことも増え、天台宗化していった・・・ということは知っていましたが、それ以外のことは詳しくないので、大変参考になりました。
「木川寺」の詳しい情報(伝説領域)は栗東歴史民俗博物館に木川薬師堂(西遊寺)の毘沙門天の仏像が保管されていることで調査記録があります。木川薬師堂は別名「乳薬師」とも呼ばれ母乳の出の悪い母親たちに江戸時代に人気がありました。毘沙門天像は平安時代に金峰山寺がその場所にあったことから由来があるそうです。金峰山寺は奈良吉野に総本山がありますが、滋賀の出張所でもあり金勝寺の別院でもありました。そのさらに金峰山寺よりも昔に木川寺があったという伝説があるようです。木川薬師堂の前に駐車場があるのですが、そこにポツンと白髭神社があります。神社と言ってもご神木あるだけなので、一見すると神社だと分からないものですが、恐らくこのご神木の下に幻の木川寺の五重塔の礎石があるのではと言われています。
滋賀県栗太郡栗東町のイメージが強いです。
ありがとうございます。
2001年に市制が施行されましたので、昔から栗東にいらっしゃる方は、栗太郡栗東町のイメージが強いかもしれません。
ただ、栗東に限らず、旧栗太郡には、いわゆる新住民が多い地域でもありますので、栗太郡については知らないという人も少なくないと思われます。
瀬田中学校は昭和24年から26年までの2年間だけ栗南中学校という名前だったそうです。
ありがとうございます。
瀬田中学校が、一時、栗南中学校だったとのこと、知りませんでした。
瀬田中学校は、中学校時代に何度か行ったことがあるので懐かしいです。
2年に一度くらいサイクリングするけど、栗東の文化センター前の道路がが工事しているとは知らなかったです。また行ってみます。
ありがとうございます。
私も工事をしていることは知りませんでした。自転車や歩行者は通行可能となっておりますので、今後、よかったら通行いただければと思います。
栗太郡ととも聞かなくなったのが神崎郡ですね。
名残としては神崎中央病院くらいですが、旧神崎郡地域を神崎ということはあまりないですね。
能登川町、五個荘町、八日市市、永源寺町が該当するので東近江市の中部が神崎郡ですが、それぞれの市町の結び付きも薄く、蒲生郡と愛知郡に挟まれた郡って印象ですね。
ありがとうございます。
実は、私自身も、この動画で、神崎郡について触れるか非常に迷っておりました。ご指摘の神崎中央病院に加えて、奥永源寺を流れる神崎川(愛知川上流)くらいしか、名残が思いつかなかったためです。ただ、栗太については、何一つ思い浮かばなかったので、神崎郡についてはスルーしてしまいました…。
毎日仕事で通っていて気になってた場所でした
勉強になりました
早く道路開通しないかなぁ?
ありがとうございます。
道路工事がいつまで続くのかは確認できませんでした。私は、あまり通る道ではないので、以前、通ったときよりも道路が拡張されていたことに驚きました。
6栗&2米Getだっぺ!
今回は栗太郡界隈周辺一帯を自転車で巡り、現地撮影お疲れ様でした。
工事中は新たな車道ですか?
ありがとうございます。
旧栗太郡の中でも、栗東市下戸山周辺だけの散策とはなってしまいましたが、新たな知見を得られ、興味深い場所でした。
灰塚山と安養寺山の間の道路は、現在、拡張工事が行われています。自転車と歩行者は、通行可能でした。
ずっと前からもそうだったが、説明板や由緒書は、一時停止して読めるように、しっかりアップで撮影してもらいたい。
ご指摘、ありがとうございます。
こうした説明版は、動画作成時、個人的に確認をするために、一枚一枚、写真を撮影していて、可能な限り口頭で説明をしていますが、確かに、皆さまにはお見せできていなかったと反省をしております。
アップして、動画を撮影するように努めます。
古い地名では、栗太郡ではなく栗本郡になってるのがあるけどね、
ありがとうございます。
栗本郡について、同じようにコメントをいただいていたので、『栗東の歴史』という本で調べてみました。
それによると、古代の史料では、『和名類聚抄』に「栗本」という記載があったようですが、それ以外は「栗太」と表記していたようです。ただ、「栗太」の読み方は「クルモト」や「クリモト」だったとのことでした。その後に、「栗太」(クリタ)に統一されていったとみられます。
@@unde
黒岩重吾氏の「天の川の太陽」だったかで、栗太と書いて「くるもと」とルビが降ってあったような記憶があります。
なので、最近までずっと「くるもと」だと思ってました。
毎日通勤してる道だった😂
ありがとうございます。
身近な道路を取り上げることができて、こちらもうれしいです。
神崎郡もだいぶ死語に近い気がします!
コメント、ありがとうございます。
仰せの通り、神崎も、今は、ほとんど聞きませんね…。「神崎」が使われているのは、神崎中央病院と神崎川くらいだと思われます。
Wikiによると最初は栗本(くりもと)郡と呼ばれていたそうな。滋賀のマイナー地名のマイナーなネタ
コメント、ありがとうございます。ウィキペディアを確認できていなかったのですが、今、調べていたら『栗東の歴史』という資料にも「栗本」についての記述がありました。
どうやら、『和名類聚抄』に「栗本」という記載があったようです。その他の史料は「栗太」と表記していたようですが、読み方は「クルモト」「クリモト」だったようです。
今は、「栗太」という地名は残っていないので、マイナー地名ですね。