強すぎた零戦パイロット…日本軍の快進撃を支えた撃墜王・坂井三郎/大空のサムライ WarThunder

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  • Опубліковано 6 вер 2024
  • 大日本帝国海軍が誇る撃墜王、坂井三郎。日中戦争から太平洋戦争まで生き延び、最も有名な零戦パイロットと言えるかもしれません。「撃墜数64」「僚機を一度も落とされたことがない」「敵飛行場の真上で曲芸飛行」数々の逸話に、多くの日本人がそのエピソードに心を躍らせました。しかしその武勇伝は果たして本当だったのか。誤認、誇張、虚言。その男、世紀のレジェンドかライヤーか。伝説の零戦乗りの真相とは。一部WarThunderで再現。
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КОМЕНТАРІ • 263

  • @MrMabassman
    @MrMabassman Рік тому +158

    私も小学5年生の頃に、零戦の栄光と悲劇という少年を対象にした坂井三郎氏の著書を初めて読み、零戦に大いに憧れを抱きました。中学生3年の時に、母に戦闘機搭乗員に憧れ、航空自衛隊に入隊したいと話しましたら、母は大変憤慨し、その本も含め戦闘機関係の本や零戦のプラモデルを母に処分されてしまいました。然し去年どうしても、その本が欲しくて、ネットで調べまくり、ようやく古本を手に入れました。改めて読むと懐かしさで感動しました。たとえライヤーであったとしても、零戦を教えてくれたのは坂井三郎氏の著書です。今は64才ですが、零戦、その他の戦闘機好きは変わりません(笑)

    • @user-gp3hq9zw8l
      @user-gp3hq9zw8l Рік тому +15

      よくわかります。中学生の時に大空のサムライを読んで感動しました。私も4月で64歳です。未だに零戦のプラモデル、1/32.1/48.1/72、タイプも揃え、日本各地に存在する機体を見に行ってます。

    • @user-vf9mq4ed5c
      @user-vf9mq4ed5c Рік тому +8

      「大空の侍」のサムライの坂井三郎様を貶すあんたは何者か?

    • @user-dj8ll7ij9t
      @user-dj8ll7ij9t Рік тому +12

      @@user-vf9mq4ed5c
      何言ってんだ?

    • @MrMabassman
      @MrMabassman Рік тому +4

      @@user-gp3hq9zw8l 様

      ご返信有難うございます。
      それは素晴らしいことです。いつまでも大切にして下さい。

    • @MrMabassman
      @MrMabassman Рік тому +5

      @@user-vf9mq4ed5c 様
      ご返信有難うございます。
      私は坂井三郎氏を些かも貶してはおりません。

  • @motoyasushimizu7107
    @motoyasushimizu7107 Місяць тому

    大空のサムライ読みました。パイロットの生き様を描いた作品でしたね。誇張は有れど、戦争に行った爺さんたちが外地で悪さをしてきた様に語られる戦争の話より、実際に戦った人の生の声だと思います。爺さんの兄弟も全員戦争に行きましたが当時の事は話しませんでした。戦場はどうだったのか、どんな視線でどう思ったのか、経験者が語る事のが大切なのだと思います。

  • @user-ts3qq5dt2k
    @user-ts3qq5dt2k Місяць тому

    こまけ〜ことは良い!個人的には伝説のエースのまま坂井三郎を後世に伝えて行きたいですね😁
    盛られた情報はさておき…自らの戦争体験を戦後も世に広めた勇気は素晴らしい。
    日本では戦争美化が悪い事のような風習があります…私の亡くなった祖父も海軍通信隊に居ましたが、戦時中の事は殆ど話て貰えませんでした…嫌だったのかと…
    ただ、日本の為に命をかけて戦い死んでいった方々が居た事を忘れてはならないと…でなければ彼等が浮かばれません。このチャンネルを見て改めて思い涙しました😢
    ありがとうございました。
    この坂井三郎こそ、学校で教えてくれない日本史のサキガケのような気がしますね…

  • @user-gq9oy8gv7t
    @user-gq9oy8gv7t Рік тому +76

    お久しぶりです!この前NHKのバタフライエフェクトでも零戦の事をやっていました。戦後の話でしたが、零戦を造った日本の優秀な技術者が居場所をなくし各分野へ散らばりました。世界初の胃カメラの発明、新幹線、ロケット等を造った話で感動しました。NHKもたまにはいい仕事するな

  • @kazuhide_ishikawa
    @kazuhide_ishikawa Рік тому +20

    西沢弘義さんも凄腕のパイロットでしたね。

  • @user-zc1zq4sm1s
    @user-zc1zq4sm1s Рік тому +50

    大戦初期から出撃して戦後まで無事生き残っただけで名パイロットだと思います

  • @nagisa0109
    @nagisa0109 Місяць тому

    首席で卒業て凄いエリートやん!

  • @skymirai8503
    @skymirai8503 Рік тому +118

    戦争だからたとえ訓練であろうが空に上がれば生きて帰れる保証はなく、生きて終戦を迎えたパイロットは皆凄いです。
    亡くなった方も皆が大空のサムライだと思います。

    • @user-qg8fi4jl6k
      @user-qg8fi4jl6k Рік тому +10

      客観的なコメントですね。意図的な戦争批判、政治的な偏向的なマスコミコメント及び各種団体が多い中で当時の社価値観(古い旧藩時代も同じく)を考察しながら個々で考えなければなりませんね。ただ、幼い程テレビ・書籍等から目に触れる事項を真実と思われる事も事実ですね。素晴らしい冷静なコメントです。

  • @ayuki3858
    @ayuki3858 Рік тому +12

    どの視点から何をもって評価するかに違いはあっても、彼もまた戦後の日本と向き合いながら生きた日本人だったんだと思いました。
    我が国家において痛烈なる反省と学ぶべきことも多い過去ですが、しかし過ぎたる自虐に明るい未来は無いと感じます。

  • @user-rs6kh5jf5u
    @user-rs6kh5jf5u Рік тому +97

    坂井三郎はライアーでもあったかもしれないけど、同時にレジェンドでもあったんじゃないですかね。
    彼が戦後に自分の経験談を悲観的な戦争談でなく実戦談として話をし続けた事はその後の日本人にとって非常に良い事だったとは思う。まあ話を盛ってたとしも彼が開戦当初から終戦まで何度も死線をくぐり抜けて生き残ったファイターパイロットだったのは確かな事。そこは非常に大事な事だと思います。

  • @user-ol8bp3qn5p
    @user-ol8bp3qn5p 10 місяців тому +6

    私もこの方の本ほとんど読んだと思います。終活で父親の蔵書含めてほとんど処分しましたが、「坂井三郎空戰記録」の初版は残しています。この本は、厳しかった父親の目を盗んで子供の時何度も読み返したので、手元に残しました

  • @hirakazu9827
    @hirakazu9827 Рік тому +26

    締めの言葉「学ぶきっかけになった」に感銘を受けます
    ちらりと触れていましたが武藤金義さんもいずれ解説してほしいですね

  • @keijinakamura7514
    @keijinakamura7514 Рік тому +5

    我々戦中派はゼロ戦を昭和19年の模型で知りました。朝日航空誌で日本機1機には米機3機でをその前年に、坂井三郎特務少尉は戦後の英雄, ゼロ戦優位の時期に活躍、
    ゼロ戦対策 (Satch 戦法) に成功し米新型機出現の後期に苦戦した後輩との齟齬があったようです。ガ島戦後に内地で片目ながらP-51を撃墜の記録があります。戦後米側から彼の並外れた空戦の再現映画が作成されております。長距離機のゼロ戦が操縦士の負担だったこと、操縦素人の海兵出身者との恐るべき差別を彼から知りました。視力2.5と往路には帰路を考えた用意周到な性格が彼を生き延びさせたのでしょう。

  • @akimizu1818
    @akimizu1818 Рік тому +28

    技術は間違いなくあるんだよな。 零戦52型でヘルキャットを2機撃墜するとか、性能差を考えたらなかなか至難なレベル

  • @user-zj5mn8ew9g
    @user-zj5mn8ew9g Рік тому +39

    小学生の時に学校の図書館で大空のサムライを読んで感銘を受けました。
    それが虚言であったとは信じたくはないですが、戦時中の事を多く語らない人が多い中、売名と言われていたのは知っていました。
    同じ本を書いている第343空剣部隊に所属していた小高登貴さんの「ああ青春零銭隊」も感銘を受けました。ぜひ取り上げてください。

  • @user-rp1ue2sh5n
    @user-rp1ue2sh5n Рік тому +8

    人間らしくて好きです。

  • @kawatang6745
    @kawatang6745 Рік тому +6

    坂井氏について複雑な思いがありましたが、なにがしか整理できたような気がします。感謝です。

  • @user-em5eg1hu1g
    @user-em5eg1hu1g Рік тому +131

    伝説なんだから良いのだよ。終戦まで生き延びただけでも凄いです。

  • @user-kp4vh7ht6r
    @user-kp4vh7ht6r Рік тому +9

    無事是名馬 かの水木しげる先生が坂井氏本人から「あんたの戦記マンガは暗い」と直接いわれたことがあって水木先生は「初戦の景気いい時だけ戦って後は内地勤務」「それで暗いと言われてもなぁ」とボヤ鬼が出たらしい。

  • @matamata7105
    @matamata7105 Рік тому +21

    本当にそうですね 大空のサムライ この本を読んだとき 時代は 戦争を賛美していると
    とても大声で回りに言えませんでした 今の時代だからこそ もし誇張があるとしても
    今の人たちに是非読んでほしい本の一つですね

  • @lineborder8184
    @lineborder8184 Рік тому +7

    私は、小学校の図書館で、坂井中尉の記録 を読んで、零戦のことなど知りました。昭和50年代の話になりますが。数々の英雄の話を生で聴いておけばよかったと、後悔しています。

  • @user-el3sp6cr8b
    @user-el3sp6cr8b Рік тому +67

    数多の日本海軍のエースの中で坂井氏が有名な理由、それはやはり「戦後の一番槍だったから」に尽きると思います。あの時代、誰もが口を噤んでいた中、臆することなく坂井三郎空戦記録を出版し、海軍搭乗員たちの戦いぶりを世に知らしめたのですから。

  • @gakunishimoto354
    @gakunishimoto354 Рік тому +17

    同じく、小学生から中学生時代は、氏の著作を何度も何度も読みましたね。
    それが、後に各種戦記を読んだり 古本屋さんで古い戦記を探す趣味になりました。
    零戦物では、角田さんの著作が秀逸ですね。

  • @user-ye3ke6uh3k
    @user-ye3ke6uh3k Рік тому +14

    次は杉田庄一さんを是非お願いします!

  • @user-qj2wg8lh3c
    @user-qj2wg8lh3c Рік тому +25

    旧日本軍の将兵の皆さんには現代の私達は感謝せねばなりません。彼等が私達を草場の影で見た時、現代でも頑張っている奴が居るじゃあないかと思ってもらえたらとても光栄です。

    • @user-cb9cc7qw1j
      @user-cb9cc7qw1j Рік тому

      日本中焼け野原にされて、さらに原子爆弾を二発も落とされて、恥さらし敗戦を招いた、旧軍人どもに一体何を感謝するのですか?

  • @user-xz3ku6yl3x
    @user-xz3ku6yl3x Рік тому +7

    坂井氏が機体を壊した事が無いと言うのはあながち嘘でもないかと。
    『12月12日不時着した』
    とありますが機体は地上銃撃中に対空砲火で被弾したことで修理が必要になったのであって操縦ミスで壊した訳ではなさそうです。『不時着』というと不穏な印象を受けますが不時着場に降りたというだけできちんと脚とフラップを出し『着陸』しています。

  • @user-ju5wc5kn6t
    @user-ju5wc5kn6t Рік тому +40

    少年の頃からその著書で坂井分隊士を知り憧れておりました。
    実像が違い少し残念な気もしますが私は命を掛け生き残って来られた英雄と信じております。レジェンドたれ!

  • @user-fs6gv5jc4t
    @user-fs6gv5jc4t Рік тому +38

    坂井三郎の本はほとんど読みました。逸話の真偽に関しては個人的にはそれほど重要性は感じません。確実に言えるのは、多くのエースパイロットと同様に強烈な個性を持ったこと。そして日本軍海軍屈指の零戦乗りであったと思います。

  • @user-rd3rx5lt6r
    @user-rd3rx5lt6r Рік тому +13

    当時の索敵と言うのは電探もそうですが、最終的には目視に頼る処が大きいので、誤認する事自体は至って当たり前だと思います。殊零戦には電探は積まれてないですし尚の事です。

  • @toppappa
    @toppappa Рік тому +16

    優秀なパイロットであった事は事実でしょう。零戦の飛行について幾つかの著書を発表している加藤寛一郎氏(大学航空学科教授)は坂井氏の発言のブレや重複の少なさについて触れております。また坂井氏との対談で、少し誇張している部分があるのを坂井氏が認めているが、実際の戦闘はもっと激しかったのでは、と推測されています。
    それと日本海軍航空隊の組織的な問題があった点も考慮すべき事かと。
    士官パイロットと下士官パイロットに明確な境界があった、と。
    坂井氏は下士官パイロットを『我々は職人である』みたいな事を言ってますね。
    存在を示す為の手段として。
    坂井氏に近付かない方が良いとの忠告を受けたと加藤氏が書いてたはず。
    とりあえず大本営発表や米国の『戦艦ヒラヌマを撃沈!』発表よりは信頼できるかと。他の海軍戦闘機パイロットが回顧録なり手記なり発表してない感じなのもある。
    全く何も遺されていないよりは良いと考えます。

    • @user-cq4et3ox1q
      @user-cq4et3ox1q Рік тому +11

      東大航空工学科の航空力学元教授の加藤寛一郎氏が坂井三郎の飛行機の操縦に関する記述は航空力学に完全に合致していると絶賛してましたね。実は私もちょっと飛行機操縦の体験をさせてもらったことがあるのですが、その時の飛行機の挙動が坂井三郎氏の霞ケ浦航空隊でのパイロット候補生採用試験のときの体験操縦の記述と全く同じでした。引き込み脚、可変ピッチプロペラといった高性能単発機を所有してたオーナーさんが操縦上の注意事項をパソコン通信の航空フォーラムというところに投稿してましたが、そこに書かれている注意事項が坂井三郎氏の著書でラバウルに赴任してきた新人パイロットへの注意事項とそっくりだったのも印象的でしたね。縁あってそのオーナーさんの飛行機に乗せてもらいに行ったとき、坂井三郎氏の著書にある、飛行機に接近するときは前方プロペラ側を避けて後方から接近すること、というご作法を守ったら、オーナーさんによく知ってるねと感心されました。

  • @aim6143
    @aim6143 Рік тому +41

    動画投稿ありがとうございます。
    日本軍のことを語ると、周りの老人から罵倒されて心が窮屈だったのですが、「大空のサムライ」を見つけて読むと、心のよりどころ的なものとなりました。
    坂井の自伝が本当かウソかはともかく、自分のように、「大空のサムライ」を読んで、心が躍った人は、多いと思っています。

  • @acountgmail8354
    @acountgmail8354 Рік тому +8

    他の提督らも沈黙ではなく、後世の日本人のために多くを語り残して欲しかったです。
    団塊の世代はそんな戦地でご苦労された方々を貶め排除、年老いた今でも人間的に許せません。

  • @katsuhiroookubo630
    @katsuhiroookubo630 Рік тому +4

    大空のサムライには、後日行った事実検証により事実と異なる部分が指摘されていますが、昭和20年代、作品を書いたころの事実検証の限界を示すものだと思います。要は坂井の記憶頼りで書いた部分が多かった。私は時代の限界としてそれはそれで良いと思います。なお、坂井機を追い回した15機は米軍ではなく豪州軍だったような記憶があります。
    (米豪の混成編隊だったかも)。後日、懇親会??で当時のパイロットから、あのゼロ戦パイロットはいるか?と呼び出されて歓談!したそうなので、敵軍パイロットもその技には舌を巻いたと思います。とまれ、パイロットのどなたかが書いていましたが、生還したことだけで凄いのだと。野球は打率300で一流だが、パイロットは300では戦死する。坂井さんは打率1000の打者に等しいと。その意味では岩本も凄かった。西沢だって一式陸攻に乗らなければ生きて戦争を終えたでしょうね。

  • @user-qb5ne3iv9l
    @user-qb5ne3iv9l 11 місяців тому +1

    大空のサムライは、ゴーストライターによって寄稿されたと生前の坂井自身も認めています。
    正式な撃墜数は28機ですが、当時の日本の撃墜数の多くは、アメリカ側の損害記録と照らし合わせると協同撃墜も含めて差異が大きく、他の撃墜記録も不正確だったのは間違いありません。

  • @utorur1301
    @utorur1301 Рік тому +12

    I16はアイ16でなくイ16ではないでしょうか

  • @user-ht6cf3mr9m
    @user-ht6cf3mr9m 7 місяців тому +1

    本人もいってるけど視力が優れ、ファーストルック ファーストキルができる操縦手だったから戦争序盤の攻勢作戦では優位に戦えたのだろうな

  • @user-nv3hh8hf3m
    @user-nv3hh8hf3m Рік тому +39

    「大空のサムライ」を筆頭に、若い世代があの戦争について知り、日本が悪だったという認識を持たないように、日本人であることの誇りを失わないようにしていたと考えれば、レジェンド、いや伝説だったのではないだろうか。

  • @ordinaryjapanesemeals8714
    @ordinaryjapanesemeals8714 Рік тому +4

    コメント欄を見ると同世代の人々が坂井三郎のファンだと知り嬉しいです。私が若い頃、1980年代は何か言うと「右翼右翼」と罵られる時代でした。私が右翼がどうかはともかく、著書に記された巴戦の際の「遠心力のGに負けて息を切らせた方が負け」というのは、今でも心に残っています。

  • @user-gv3df5xb3e
    @user-gv3df5xb3e Рік тому +16

    生き残ったのだから、腕は確かでしょう。
    が、戦後のネズミ講でかつての仲間達を破産させたりしたのは駄目でしょう。

  • @user-xp9xq9lm7o
    @user-xp9xq9lm7o Рік тому +6

    最高の動画でした

  • @kentamiyamae6591
    @kentamiyamae6591 9 місяців тому +1

    色々問題のある人だったけど、それでも国のために最前線で戦った人に対して
    自分は畏敬の念を禁じ得ません。

  • @virginia6721
    @virginia6721 Рік тому +7

    撃墜記録は襲撃毎に都度報告、第三者の確認も必要。
    対米戦での相互撃墜記録数誤差でも信憑性の高さは他のエースと比べても格段に高い。
    左スライドも「撃たれる直前」と公言している。全て左なんて記録は無いはずですがね。

  • @user-ei1yk5zq1r
    @user-ei1yk5zq1r Рік тому +5

    このチャンネルが一番好き

  • @user-uk9mk5fe2r
    @user-uk9mk5fe2r Рік тому +2

    いつも勉強になる動画をありがとうございます🙏

  • @nekonohige2
    @nekonohige2 Рік тому +8

    硫黄島での戦いは米軍側の証言も残ってますが、卓越した操縦技術だったとのこと。  ただ昭和17年の8月からしばらく戦線を離脱していたが、そのあとに激烈な航空戦があり、多くの搭乗員が亡くなったが、坂井氏も怪我がなければここで亡くなっていったと思います。ご自身も、343に残っていたら自分も武藤氏のようになっていたと言ってたような。

  • @user-tv4dy1hb9f
    @user-tv4dy1hb9f Рік тому +6

    待ってました!

  • @user-qo2dn4qm7v
    @user-qo2dn4qm7v Рік тому +136

    零戦で何年も戦って終戦まで生きたんだから岩本さんや菅野さんほどではないかもしれないけど確かな腕は持ってたと思う

    • @chiyo0216
      @chiyo0216 Рік тому +6

      ソロモンの空戦が熾烈を極める時期に内地にいたから生き延びたようなものだろ。

    • @user-yk7pt7xx2h
      @user-yk7pt7xx2h Рік тому +6

      @@chiyo0216 さん
      その通りです。
      しかもサイダー噴出させて風防吹くのにくたびれて
      戦闘機と急降下爆撃機見間違えて撃たれると言う
      新兵でもやらない超凡ミスで頭射抜かれたからね。
      急降下爆撃機の銃手がドイツ戦闘機墜としまくったBー17の銃手級の腕だったらそこで死んでたし
      彼にサイダー持ち込みを止めるように言わなかった笹井も些細なミスで撃墜されて戦死してるからね。
      武藤も岩本も赤松も内心
      あんな下手くその片眼メクラのアホと一緒にするな!
      と笑ってたみたいだし。

    • @acountgmail8354
      @acountgmail8354 Рік тому +10

      1人でも敵パイロットを葬ってくれたことに感謝しかありません。

    • @Nullpo08
      @Nullpo08 Рік тому +11

      @@chiyo0216 そもそも戦争の当事者で最前線で戦って生きて帰る方が少数ですよ
      重症を負った負傷兵だし

  • @user-dj8ll7ij9t
    @user-dj8ll7ij9t Рік тому +51

    度重なる激戦を乗り越えて生き残った事は確かにエースと言っても過言では無いと思うなあ…

  • @papamomotuku3276
    @papamomotuku3276 Рік тому +20

    小学校低学年の時に大空のサムライを読ませていただきました。子供心にも凄いパイロットさんなのだと感激いたしました。

  • @user-te8xj7jo4l
    @user-te8xj7jo4l 4 місяці тому

    三郎→サブロー→アムロ•零という話しを聞いたことがあります。

  • @takesa9447
    @takesa9447 Рік тому +7

    檜與平さんも動画にしてほしいです

    • @user-vy6vz2uv7d
      @user-vy6vz2uv7d Рік тому +2

      同感です、片足のエースは映画化して欲しいくらいの努力家です。隼でムスタングを撃墜するって,今ならファントムでラプターを撃墜するのと同じと思っています。

    • @takesa9447
      @takesa9447 Рік тому

      @@user-vy6vz2uv7d
      檜與平さんは旧制池田中学つまりいまの徳島県立池田高校出身だそうですね

  • @user-eq2se8qb4i
    @user-eq2se8qb4i 6 місяців тому +1

    坂井三郎の場合戦後マルチ商法に関わったのがな。大空のサムライは実在の人物をキャラクターモデルにした軍事メルヘン。

  • @Kodoriasu
    @Kodoriasu Рік тому +2

    この人の動画のエピローグとオープニングうま過ぎ

  • @user-vs4dl3xy5d
    @user-vs4dl3xy5d Рік тому +17

    私も中学生のときに大空のサムライを初めて読みました。戦史に興味を持ったきっかけにもなりました。坂井三郎氏に対して様々な意見がありますが、日本のために戦い、あの戦争を生き延びたパイロットだったことはに変わりはない。
    大空のサムライまた読み直します。

  • @mkep82da
    @mkep82da Рік тому +2

    坂井さんも戦争末期は被弾した影響で主に教官として飛行隊に配属されてた身分だからね。

  • @user-ln4ut9lw2x
    @user-ln4ut9lw2x Рік тому +3

    フェイクニュースってのは昔から陰ながら存在したのかもしれないですね。
    興味深い内容でした!

  • @Ryoti1206
    @Ryoti1206 Рік тому +67

    もしも坂井さんのエピソードが嘘だとしても、激戦と知られる太平洋戦線を開戦から終戦まで生き延びた数少ない熟練パイロットであった事は事実なのですから凄い人なのは本当ですね……そして日本を護る為に命を賭して戦っていたのもまた、紛れもない事実です。

    • @HN-ui7fo
      @HN-ui7fo Рік тому +10

      台南空所属というだけで凄腕だったのは間違いないと思います。
      空母艦載機搭乗員に選抜されなかったのは彼まで抜けたら大変になるからかも?

    • @chiyo0216
      @chiyo0216 Рік тому +7

      激戦になる前に負傷退場したから生き延びたようなもんだろ。

  • @k-touchsabu8882
    @k-touchsabu8882 Рік тому +196

    あの当時、我が国を護ろうと戦ってくれた事は間違い無い…坂井三郎は大空のサムライで良いではありませんか。

    • @user-ss5up2mt2d
      @user-ss5up2mt2d Рік тому +40

      自分も、貴殿のコメント大賛成です!
      この国を守る為に戦いぬいてくれたなのですから!

    • @user-cf1iz9rk5p
      @user-cf1iz9rk5p Рік тому +13

      素晴らしい。山田。

    • @isachilcat
      @isachilcat 11 місяців тому +5

      仰せの通りです。

    • @northernguard2004
      @northernguard2004 11 місяців тому +7

      そうだそうだ。
      実際に命を懸けて戦っていただき、この日本を守ってくださったことは事実なのだから🇯🇵

  • @user-fy1cc3nu9n
    @user-fy1cc3nu9n Рік тому +2

    ハリウッドで映画化してほしいんだよね。敵側だけど評価はすごくされていた方だから

  • @user-lc3sd9xi5v
    @user-lc3sd9xi5v Рік тому +40

    敵国に招待されるなんて凄すぎる。

  • @cm-jg2jo
    @cm-jg2jo Рік тому +4

    私もサイン入りの本を貰いましたが、30%位はフェイクでも小説なので良いのではと思いますね。

  • @N1K3A527
    @N1K3A527 Рік тому +16

    坂井さんが海軍に入りたての頃、大川好喜という嫌われ者の下士官から酷い目に遭わされたらしく、
    「自分はあんな上官にはならんぞ!」と思ったそうですが、坂井さん自身も嫌われてしまいましたね…。

    • @user-yk7pt7xx2h
      @user-yk7pt7xx2h Рік тому +3

      皮肉にもそれが原因で源田稔によって横空に追放されて生き残った

    • @user-qc1tw6pd6i
      @user-qc1tw6pd6i 21 день тому

      搭乗員は身体が資本と整備兵の食事を取り上げて食べてたそうだしね。
      坂井が帰還するたびに整備兵は皆舌打ちしていたらしいです。

  • @user-fe8np4tp9t
    @user-fe8np4tp9t Рік тому +3

    西澤廣義さんお願いします🥺🥺🥺🥺💗
    ネット、本の情報以外にも調べて欲しいです、、

  • @Konnnichiwasayounara
    @Konnnichiwasayounara 5 місяців тому +1

    1:30 当チャンネルが父ちゃん寝るにしか聞こえない笑笑笑

  • @user-zt5yd5ic8p
    @user-zt5yd5ic8p Рік тому +9

    アメリカ本土空爆の藤田信雄さんの話もお願いします。

    • @Representative-Assistant
      @Representative-Assistant Рік тому +3

      戦後にアメリカに呼ばれた話好き

    • @HN-ui7fo
      @HN-ui7fo Рік тому +1

      @@Representative-Assistant 本人は処刑を覚悟してたら表彰されたんですよね!
      アメリカは凄い🎉

  • @user-io5qt7ut9r
    @user-io5qt7ut9r Рік тому +2

    著者武田信行さんの最強撃墜王西澤廣義さんの本を読むと西澤さんの凄さが分かります。ラバウル航空隊で華麗な打ち落としは太田敏夫さん。派手で豪快な打ち落としは酒井三郎さんですかね。

  • @rafalemirage6875
    @rafalemirage6875 Рік тому +12

    この人が書き残した事には現在の社会でも役立つものがたくさんあると思います。

  • @user-bq3fk9sf4z
    @user-bq3fk9sf4z 9 місяців тому

    私が『大空のサムライ』と出会ったのは小学校高学年でした。その憧れの坂井さんとは2度ほどお電話でお話しをしたのですが、直立不動だったのをよく覚えています。その後、343空の笠井さんと知己を得たのですが、杉田さんに心酔している笠井さんは坂井さんを良くは仰っしゃらなかったです。
    ご両人共に泉下の方になってしまいましたが、私にとっては心踊らせる英雄である事に何ら変わりはありません。😊

  • @user-kp2zk2pf5d
    @user-kp2zk2pf5d Рік тому +11

    動画主さん、愛媛の愛南町へ行かれたことありますか?
    剣部隊の海から引き上げられた紫電改が展示されています。
    坂井氏の執筆活動については出版社の売りたい、儲けたいがあったと思います。坂井氏も空中戦で命を掛けて闘っていたはず、これは事実です。(撃墜されていたらその後の彼は
    ありません)彼の性格的な理由でのヒナンは、平和な世に過ごして来た日本人のすることでないと思います。陸軍の内務班の虐めと暴力とか(海軍もある)指摘すべきところもあるから、個人を指しての私的評論は聴き苦しい。
    あと、他の動画で原子力潜水艦の海自導入に関して語られていましたね。私は潜水艦自体の性能向上については異論はありませんが、今でも乗員不足かつ、能力不足に危惧しています。 コメに勇ましい言動が多く、認識不足で海自の能力を過剰評価したくありません。ただ、個人的にロス級イータの優秀なソーナーマンが居たことは知っています。そして優秀な機関科の乗員も。でも、優秀なのは平時で、命がかかって来る戦時には自主退役するかも知れませんよ。日本は職業選択の自由は補償されていますから。

  • @DJEBEL250XCas
    @DJEBEL250XCas Рік тому +2

    「空の王者ゼロ戦」というハードカバーを小学校の頃に読んで、初めてその名前を知りました。 前半は12試艦戦。 後半が坂井の話だったと思います。 実家に置いたままなのでジュブナイルではあったとは思うのだけど、後年再び読みたくなってネットで調べたけど出てこないんですよね。。。

  • @user-vy6vz2uv7d
    @user-vy6vz2uv7d Рік тому +4

    戦争の体験談はほとんどは語れません。親父も死ぬ数年前に、東京大空襲をリアルに語ってくれました。
    小学校の時4年生の担任の先生も戦争をしてはいけないと、米軍戦闘機の機銃掃射をリアルに語ってくれました。

    • @user-mx8np4nr3y
      @user-mx8np4nr3y Рік тому +2

      うちの親父は大井に住んでいたので東京大空襲を受けたはずですが
      死ぬまで語りませんでした 高校時代の教師にも特攻帰りの人とか居たけど
      やはり戦争の話はしなかったし皆も聞かなかった

  • @hide2ktm726
    @hide2ktm726 Рік тому +2

    「大空のサムライ」は読んだことないですが、「ゼロ戦の真実」を90年代に読みました。
    ゼロ戦や軍隊について批判的な部分も多くてそれまでに耳にした坂井氏の評判とは違う一面を感じました。晩年週間プレイボーイで連載を持ってましたね。

  • @user-rw4lc9qs8z
    @user-rw4lc9qs8z Рік тому +22

    坂井三郎。
    いろいろ言われてるけど、運と実力があったから、2次大戦生き残った軍人だと思う。
    運があったから、ガダルカナルや激戦で消耗戦になる前に負傷欠場で生き残った。
    同時に実力もあったから実際に戦場に出て、28機を撃ち落とし、自分も撃ち落とされなかった。
    この人見ると、実力だけでは生き残れないのが戦争っていうのがよくわかるね。

    • @user-of9py7le2l
      @user-of9py7le2l Рік тому +3

      運の実力のうち…
      でもその運を引き寄せるのは数や!(成約数

  • @user-ub9tg8rm7m
    @user-ub9tg8rm7m Рік тому +1

    bgmが大きいかも、

  • @ass0169
    @ass0169 Рік тому +14

    大空のサムライは大好きな本ですが、動画の内容は知らない事ばかりでした。
    それでも坂井氏は個人的には好きですね

  • @makibaooo123
    @makibaooo123 Рік тому +38

    大空のサムライ上下読んで戦闘機に興味もつようになったんだよね
    それで来年から航空自衛隊です!

    • @user-ju5wc5kn6t
      @user-ju5wc5kn6t Рік тому +11

      航空自衛隊入隊おめでとうございます!
      どうか御身に難無く達者で在られますよう。
      闘わないで相手を退かせるのが
      「真のファイター」です。

    • @HN-ui7fo
      @HN-ui7fo Рік тому +6

      パワハラとくに男性へのセクハラもありますから耐え抜いてください🎉

    • @user-jg9tf2el9o
      @user-jg9tf2el9o Рік тому +5

      後輩よ、頑張れ✊

  • @user-xf8de5cm3x
    @user-xf8de5cm3x 2 місяці тому

    豪傑にホラは付き物だと思います

  • @shut4425
    @shut4425 Рік тому +40

    多少の誇張は有ると思うのが普通。ただとても優秀な方だと思う。戦艦の砲手から戦闘機乗りに成るのは本当に少数で可なり能力が高かった事が伺える。

  • @user-on2uc7rn8d
    @user-on2uc7rn8d Рік тому +1

    死んだ親父は陸軍航空隊でした。中国大陸で偵察機に載ってました。空中戦なんか一度もしたことがないと言ってました。

  • @user-il3vj4ef8k
    @user-il3vj4ef8k Рік тому +4

    うぽつです。
    「昼間の空に星が見える。」
    これはホラでないと信じたいですね。

  • @user-wl8sw4mw7f
    @user-wl8sw4mw7f Рік тому +4

    私が小学生の頃に『大空のサムライ』を読んで、日本一の撃墜王だと思ってましたが…
    自分が成長するに連れて、彼の辻褄の合わない荒唐無稽な動画等を見て、帝國海軍航空隊で最も正統派の撃墜王は、西澤廣義飛行兵曹長(中尉) ではないかと思います。
    残念ながら司令部の失策で、帝國海軍初の特別攻撃隊『敷島隊』関行男大尉の直掩機の指揮官を務め、米護衛空母から発艦したFM - 2 二機を撃墜して無事任務を終えて、司令部の命令で愛機の零戦22型を特別攻撃隊に譲り渡して、新しい零戦22型を受領する為に輸送機で(一式陸攻と言う説も有り) マバラカットに向かう途中にF6F に撃墜されて戦死されました😢当然ながら無線は傍受されていたと考えます😡東洋人パイロットとしては、彼と杉田庄一上飛曹(少尉) の肖像(写真) のみが、米国防総省ペンタゴンと、スミソニアン博物館に展示されていると聞きました。

  • @user-tg4kj5xt8f
    @user-tg4kj5xt8f Рік тому +3

    米軍はルーキーでも勝てる戦闘機を目指した。
    ゼロ戦のような技術の要する機体ではベテランが減れば無力になる。
    これは兵器全般に言えることで、日本軍の兵器では戦争に勝てない。

  • @user-gy5vh4qk8o
    @user-gy5vh4qk8o Рік тому +17

    頭やられてんのに帰ってきてるだけで強者やろ笑

  • @user-zh2lc6ys9o
    @user-zh2lc6ys9o Рік тому +17

    たとへそれが盛られている話だとしても、後世に伝えるという仕事は立派だと思います。
    ただ、化け物だとしてもソロモンにおける「航空自滅戦」に巻き込まれていたら遅かれ早かれ戦死していたのではないかと思います。
    坂井氏の性格もあるのでしょうが、やはりソロモン航空戦の初期に前線を離れて、苦労(地獄)を知らない奴が何を偉そうなことを言ってるんだ、という周囲の思いも彼が嫌われた原因なのではないでしょうか。

  • @user-kl5ol3kz2i
    @user-kl5ol3kz2i Рік тому +3

    個人的に坂井三郎のエピソードの中で好きなのは 負傷して意識を失いかけた時、脳裏に母親が現れて「意気地無し!」って叱咤されて我に返って機体を水平に戻した話あったよね。これも実際はどうなんだろう。

    • @user-xb4dx8xz1v
      @user-xb4dx8xz1v 11 місяців тому

      零戦は操縦桿を離すと上昇、下降を繰り返し最終的に水平飛行になるそう。杉田庄一兵曹は坂井少尉の話を聞き、あんなインチキ野郎ぶん殴ってやると言っていたそうです。

  • @ma-ikaze
    @ma-ikaze Рік тому +50

    坂井三郎の話が嘘か事実かは知らないけど私の最も尊敬する人です。
    日本のために戦った武士だと思います

  • @kazunobu8745
    @kazunobu8745 3 місяці тому

    坂井氏が大戦を生き抜いた名パイロットであることは間違いないでしょう。
    その著書や証言が事実なのかどうかを判断することは大切だと思います。司馬遼みたくフィクションがさも事実かのように後世に伝えられることは歴史のねじ曲げに繋がり危険かと。

  • @user-zs6yh7rp8h
    @user-zs6yh7rp8h Рік тому +5

    色々な意見はあるかもしれないけど、劣勢な中、お国のために戦ったことは間違いないのでは。

  • @backfiretatten
    @backfiretatten Рік тому +1

    大空のサムライの出版後、主に旧海軍の実態を描いた「零戦の真実」という著書を坂井氏は著しています。
    同書で坂井氏は、帝国海軍内に蔓延していた陰湿過激ないじめや、理不尽な上官の事などを名指しで批判しています。
    その一方で、命を懸けた真剣勝負、空戦とはどのようなものかということや、真剣勝負の心得等をわかりやすく説明しています。
    平和な時代しか知らない世代にとって、軍隊という組織が持つ理不尽さ、その理不尽さの中で懸命に生きようとした若者達がいたことを、坂井氏のおかげで知ることが出来ました。

  • @MA-bc3cx
    @MA-bc3cx Рік тому +67

    どんな逸話があっても
    どんな頑固な変人だだろうが零戦を自分の身体の用に操る酒井三郎氏は私の心に残る英雄だよ
    戦闘機乗りは死ぬまで心は孤独 他人に頼っては生き延びる事はできなかったはず 御冥福をお祈りします🙏。

  • @user-pp4zr4ez4y
    @user-pp4zr4ez4y Рік тому +2

    坂井三郎は、ラエで編隊宙返りをしたことは知ってるんですけど、
    やっぱり知らないこともあるな~。

  • @user-oe7ki2nv4r
    @user-oe7ki2nv4r 3 місяці тому

    坂井三郎の紹介ありがとうございます。坂井三郎の負の部分は出来れば伏せて欲しかったです。一佐賀県民の1人より。

  • @leezentharlmaz6830
    @leezentharlmaz6830 Рік тому +5

    親父 がモ〇ルグラ〇ィッ〇スっていうプラモ全般を扱う専門誌で坂井氏のインタビューした
    ページのスクラップを保全。ソレを見せてもらって重症を負った時の飛行帽を見て唖然..
    偶然にもゴーグルの縁に当たった弾丸が上側に逸れたのが頭部を掠めて行ったと。
    もし、上下に何ミリか弾丸がズレていたなら..右頭部が弾丸で..つまり即タヒに。
    その逸れて頭部を掠めた弾丸にて頭部前側からの出血多量と被弾時の衝撃で半身不随状態に
    なりながらも出血を食い止めての微かに見える太陽(だったかな?)を方向の参考にしながら
    ラバウルに無事、帰還。これもゼロ戦の航続時間が長かったこそ出来たんじゃ?と。
    亡くなれた時は、なんとタミヤ模型の社長、田宮俊作氏がおられたというのにも驚き。
    1/32 スケールのゼロ戦の監修でもしていたのか?と思います。

  • @user-yh8fd4dy7l
    @user-yh8fd4dy7l Рік тому +2

    岩本氏、菅野氏のタッグ見てみたかったなぁ

  • @user-ez6rl5rr8p
    @user-ez6rl5rr8p Рік тому +1

    昭和40年代でした 週刊誌記事 彼が印刷所経営してた頃 自動車事故したそうな サカイ「気が付いたらエンジンキーが無かった よく見たら胸のポケットに入っていた 思わずエンジンを切っていたのだ」記者「流石撃墜王」とか ありました 私も疾走マニアだったので流石と

  • @fit2131
    @fit2131 Рік тому +1

    確か坂井氏の娘さんの回想著書だったかによると
    大空のサムライは坂井さんの自筆ではなくて口述を基にしたライターの筆よる戦記で
    内容も読者ウケするように編集の意向による設定の変更が入ってるようです。

  • @n506higo
    @n506higo 5 місяців тому

    小中学生の頃、日教組の左巻き教師たちに睨まれながら坂井氏の著作をはじめとした戦記本を貪るように読んでいました。一人の人間には良い点も悪い点もありだからこそ限界があるのですが、坂井氏もそんな軍人の一人だったのでしょう。今彼の著作にいろいろ疑問が投げかけられておりそれは真っ当で必要な批判だと思うのですが、僕もかつて彼の本を読み胸躍らせた少年の一人であったことは否定しようがありません。投稿者様やコメントされている方々と同窓会を開いているような気分です。

  • @user-ce7qy9wq1m
    @user-ce7qy9wq1m Рік тому +1

    ヒット&アウエイ、現在も空中戦の基本ですな。

  • @yangoe8513
    @yangoe8513 Рік тому +8

    諸説盛々あると言いますが、小説は本当に面白いです📖
    読んでてワクワクするで!
    というか、瀕死の怪我を負って還って来てるんやから、それだけでも凄い事やと思いますが。

  • @user-sd8pb3bq2k
    @user-sd8pb3bq2k Рік тому +13

    坂井三郎氏の初期の書籍で矛盾が多数あるのは。後年本人も認めています。初期の頃の書籍は、記者の取材に答え、ライターが執筆といった形態であったと本人も認めていたはずです。ですが、彼が『大空のサムライ』を出さなければ名もない一兵卒の事を誰が知ることができたでしょうか?。『西澤、太田』と言った戦死した彼らがいたことを我々が知る事もなかったでさしょう。また、確執のあった『343空』の『杉田、管野』
    といった、若く前途有望だった彼らの存在を知らしめた功績も大きいです。坂井三郎が嫌われる覚悟で書籍を発行した事実が、後年。多くの一兵卒の戦記がこの世にでる切っ掛けになったと私は想っています。坂井が叩かれた原因の最大の理由は、かつての海軍上層部や、参謀、司令官クラスをズバズバと批判した事が一番の理由でしょう。戦友会からも呼ばれなくなったのもその辺りが原因。ただ、彼が上層部の批判(多くの間違いないや、認識不足があった)があったからこそ。俯瞰で語られる事が主流の戦争を、現場では、どれだけ有望な若者が無益に死地に追いやられ。逝ったのか。その事実に目を向ける切っ掛けを造った功績は評価されるべきです。私も、いまから40年以上前に子供向けに編集された『大空のサムライ』に心躍らせ、戦友の死に涙💧した一人です。彼の書籍を何冊か所有してますが。晩年に著述した書籍は間違いないが少ないものになっていましたね(上層部批判はキツクなっていきましたが。)また、腕は一流であったのも事実でしょう。343空では、紫電改の取り扱い方法をレポートにまとめて隊員に教育しています。源田司令官が(坂井は大嫌いだったようですが)坂井を呼んだのも、第一線パイロットとしてではなく教官としてです。坂井もその辺は理解していて。激戦のソロモンを生き抜いて来て、死に急ぐ若い連中を。諌める役割を演じたのではないか?。『ジャク』呼ばわりも。叩き上げ過ぎて、傲慢になっていた彼らにお灸を据えていた可能性があります。逆に、嫌われ役を演じたお陰で『343空』は付け焼き刃ながらも若い連中が一致団結して最後の活躍をできたのかもしれません。おそらく源田は、坂井に嫌われ役を依頼したと想像します。坂井もその辺は心得ていて。嫌な教官を演じたのでしょう。晩年は、若くして逝った『343空』のパイロット達を称賛する言葉も残しています。『彼らはよく闘った』と。その一言に、坂井の思いが詰まっています。戦後に戦友会から追い出されたのは、上層部、参謀、司令官クラスを痛烈に批判したのが最大の原因。その結果、多くの戦友から距離を置かれました。確かに、大言壮語が強めな方でしたが。最前線の戦争の姿を後世に残してくれた事実は評価されるべきです。

    • @user-iz5im1xm2t
      @user-iz5im1xm2t Рік тому +3

      嘘が混じっているのに、その「最前線の戦争の姿」とやらが真実だとどうして信じられるのやら

    • @user-sd8pb3bq2k
      @user-sd8pb3bq2k Рік тому +6

      @@user-iz5im1xm2t 坂井三郎の戦記の考察は色々な軍事ライターが記事にしている。どこが虚偽、誤認、記憶違い。海軍、米軍の記録との擦り合わせ等々で。けっこうシビアに調べられている。一番多いのは、作戦日時の間違いだったはずだが。ウラをとると。実際に海軍側の記録が違っていたのが確認されたケースもある。戦場の記録が全ての現場を直にみて残した訳ではないので。戦後に生まれて敵味方の記録を俯瞰で見れる立場にある我々が指摘するのは自由で勝手だが。どうこう言えるものでもない。晩年は、自分の発言の間違いを取材で聞かれ認めていたりもする。色々調べて読んでみるとよい。単行本となったものもあれば、インタビュー記事で雑誌に載った程度の記事もある。探すは大変だがね。

    • @user-iz5im1xm2t
      @user-iz5im1xm2t Рік тому

      @@user-sd8pb3bq2k 質問の答えになってないですよ。仮に両方の記録が信憑性のないものだった時、なぜ片方の主張のみが真実だと判断できるんです?

    • @user-sd8pb3bq2k
      @user-sd8pb3bq2k Рік тому +5

      @@user-iz5im1xm2t 戦場の情報は。どうやっても整合性が不明なものが多いのが理解できないですか?。あとはご自分でお調べ下さい。私の言いたいのは、問題発言の多い(ライターの脚色も多い)坂井三郎氏が切っ掛けで戦中の一般兵士の活動に。光が当てられた功績があったと言う事実。彼の書籍や言動の全てを肯定してる訳ではないですよ。

    • @chiyo0216
      @chiyo0216 Рік тому +1

      「激戦のソロモンを生き抜いてきて」
      いや、激戦になる前に戦線離脱してるだろ。