【ゆっくり解説】三国志②諸葛亮孔明【サクサクさん】

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  • Опубліковано 3 гру 2024

КОМЕНТАРІ • 10

  • @kotoringo-sensei
    @kotoringo-sensei 3 роки тому +1

    劉備死後の人材不足はもうツラくて見てられない

  • @周作町田
    @周作町田 3 роки тому +2

    4:50七回も捕まえられる孟達
    裏切り者にふさわしい末路

  • @せるじい
    @せるじい 3 роки тому +1

    素晴らしい解説、分かりやすくしっかりとした中身ですわ

  • @ヒトカゲ-w6j
    @ヒトカゲ-w6j 3 роки тому +1

    お疲れ様です。楽しい動画をありがとうございます。

  • @kiji-kuro
    @kiji-kuro 3 роки тому +2

    「こんなことあったんだよー」
    へー
    「は演義ー」
    お ……おぉ。
    この上げて下げてのノリが聴いてて飽きないです。

  • @斎藤信孝
    @斎藤信孝 3 роки тому +1

    4:45 孟達ではなくて孟獲ですよ!

  • @みゅー-u5s
    @みゅー-u5s 3 роки тому +4

    拝見しました。
    今でいう大河ドラマや「戦国物の小説」や「戦国物ラノベ」にあたるから、エンターテイメントのキャラクターとしては仕方ない~

  • @kappanouen
    @kappanouen 3 роки тому +5

    『諸葛 亮 孔明』と姓と名と字を並べて表記してることをことさら指摘してくる例の一派が現れそう(私は別にどっちでもいいと思うw)
     
    ちなみに『丞相』が単なる大臣でしかなかったのは前漢の事で
    当時後漢末期から三国時代においては曹操が208年に強化(魔改造笑)復活させた『真・丞相位』とでもいうべき『丞相』は後漢の三公職『すべて』を兼ねる上に軍権においても最高位と認識されるのが一般的でした
     
    その証拠に馬謖が例の登山事故(笑)をおこして上司たる孔明も連座て責任を取る際
    自ら丞相位から三階級降格を申し出たんですが、その三階級降格とされる官が文官職でなく(わりかし上位の)将軍職たる『右将軍』でした(『丞相(皇帝のいっこ下で大将軍の上)』→『大将軍(ちなみに孔明の後継者は『丞相』は畏れ多いのでこの大将軍に就くことが慣例になった)』→『車騎将軍等高級将官(張飛とかの最終階級)』→『右将軍等四方将軍』ということでしょうか?ちなみにこの当時の魏延は鎮北将軍という高級将官でした)
    つまり当時の認識として『丞相』は当然に文官のトップであり、同時に『右将軍』をはじめとする高級武官職の上位職でもあるとされていたようです
     
    無論このように物理的に一個の人間にすぎない存在に国家のほぼ全権をゆだねるというのは歴史的に異常な事態であるのはご指摘の通りで
    これは後漢末期からの何進の大将軍就任に始まり董卓の相国僭称、曹操の丞相位(の魔改造の上での)復活等『乱世故の緊急的独裁体制確立』という流れの中でしかありえない事象ではあると思います

  • @mtype1255
    @mtype1255 3 роки тому +1

    えっ、ビーム撃てないのか!?