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龍驤はミッドウェー海戦後空母主力として活躍しましたが、単艦でガナルカナル攻撃した囮になり空襲を受けて沈没しました。龍驤は軽空母ながらよく頑張ったと思います。
うちの親父の兄さんが比叡に乗船する前にこれに乗ってた、後甲板下?てか、船尾に集合写真があります。
龍驤のベースの船体を見ると、巡洋艦を思わせるほどスマート
米本土空襲は潜水艦だったような。。。
それな
水上機母艦みたいな運用方法ですよね
角田さんが第一航空艦隊司令官だったらなぁ。
赤城加賀飛龍蒼龍だけでなく、祥鳳龍驤までとは…ドーントレスSBDは空母の天敵ですねー。翔鶴も2回飛行甲板を破られていますし。
龍驤の写真見て、正面から見るとアンバランスに見えるのは格納庫ではなく側面の突起物のせいです(竣工当時正規空母として就役していた赤城や加賀と比べてもかなり小柄であるのはよくわかるが)。
アリューシャン方面の戦闘機は96戦のはずでしたが志賀淑雄氏が「旧式機で行けるか!」と強引に零戦を引っ張ってきて「本来南方向けに用意されてたので、北方向けにエンジン調整がたいへんだった」とのこと。結果、ゼロが米軍の手に渡ることとなってしまったんですよね。。96戦のままであったら、、、零戦でも北方向けの機体であったら、、、そもそも陽動作戦なのだから96戦でよかったのでは、、、などと考えると複雑な気持ちになりますもっとも動画中にあるように早晩零戦の実力は露見したでしょうが
@@asakiyumemisi ひっくり返った時点で首の骨が折れて即死だったようですよ僚機は機体が敵軍に渡らないよう銃撃炎上させようとしたのですが、操縦士が出てこないので、万一の生存を考えて迷った結果そのままにしたとのこと。MI作戦はそのとおりですね
レアな戦史も面白いですね。小さいかもしれませんが、その積み重ねが大きな結果を生むことを考えれば決して見逃せない貴重な情報です。
ありがとうございます!これからも戦史関する情報を発信していきますので、応援よろしくお願いします。
作者さん、今回の動画は、軽空母「龍驤」の艦載機が、どのように行動していたかも理解しやすかったです。零戦も龍驤と、セット運用したことで、太平洋戦争の初期は活躍出来ましたね。戦争の後期まで、生き延びれなかったのは残念ですね。
そうですね、次回からは、攻撃隊の内訳を入れていきます。竜驤は最後まで残って欲しかったです、、、
@@ゆっくり戦争資料館 さん、戦艦伊勢の動画は、10月1日に公開予定ですか?
戦艦伊勢の、プレミアム公開の表示があったので期待していました。^^
@@yugureyamanaka2730 そうですが、おかしいですね。
@@yugureyamanaka2730 ごめんなさい。処理ができないようです
500人まであと少し!みんなに登録してくれーって宣伝してたころが懐かしいwwマジでがんばれ
遂にここまで来ましたね、自分でも驚きです。ここから、もっと攻勢に出ます!
@@ゆっくり戦争資料館 きた!おめでとう
初戦の空母艦隊の司令官が無能過ぎて 多くのパイロットが失われた💢
本当それ、
龍驤姉さん❗は剪紙成兵術を駆使する導術使い→艦これではこれで艦載機を飛ばす( ; ゜Д゜)
龍驤 翔鶴 大鳳が好き
ガダルカナルの時に主力から分派させた傭兵がおバカ。あれじゃあ貴重な空母を生贄に差し出しただけ。
本当それ、南雲さんは空母捨てたかったのですかね。
@@ゆっくり戦争資料館 さんMO作戦でも祥鳳を分配し、戦力の分散という愚かな事を行ってますね。MO作戦は一航艦全て動員すれば、ボートモレスビー攻略成功して後のガダルカナルとの2正面作戦は避けられたのでは?(それでも補給というアキレス腱が残されています。当時の日本軍にアメリカ軍並みの優秀な輸送機があったらどんだけ作戦を優位に進められた事でしょう。)またMO作戦時の5航戦はなんでそんなに少ないのと思うぐらい真珠湾時に比べて搭載機が減っています。おそらくオーストラリアやインド方面の作戦で既にかなり消耗していたのでしょう。これら敗戦の責任は全て山本五十六にあります。ミッドウェイ作戦をは5航の回復と瑞鳳へ搭載が遅れていた零戦の生産配備を待ってから実施すべきでした。日本の敗戦の一因は山本五十六にあると私は考えています。
@@猫大好き-c9g 山本さんはい号作戦でも大量の航空機を消耗させてますからね、その可能性も多いにあると思います。
MO作戦でも、ミッドウェイでも、ソロモン海戦でも、日本海軍は、作戦として、艦隊を二つに分けて攻撃する方法をとっている。結果は史実が示しています。
なんか間違いがあるみたいで艦橋の前面を丸くしたのと艦首を一段高めたのは、第四艦隊で損傷したのを修理改修して以降ですよ。改修する前は凌波性が悪く、その時の画像が動画内で使われてますが、悪天候になると大波が艦橋を直撃するのは、容易に想像出来ますがね。
その通りです、私の言い方が分かりずらかったです。お詫び申し上げます。
悩みが恋愛のこと?にwww
リクエストですが、今後制作予定の戦艦「伊勢」の動画についてですが、「北号作戦」中の昭和20年の2月13日の「アメリカ潜水艦との死闘も入れてみてください」この日の戦闘では、待ち伏せしていた米潜水艦3隻(ブロワー、バーゴール、フラッシャー)が、相次いで、魚雷多数を発射するが1本も命中しなかった]。この時の戦艦「 伊勢」は魚雷8本を発見し回避に成功した。その内の魚雷1本は、なんと戦艦「伊勢」の高角砲の射撃で爆破している。 昭和20年の2月13日の夕刻には、同じ作戦に参加していた戦艦「日向」が、別の場所で待ち伏せしていた米潜水艦「バッショー」に対して、戦艦の「36cm主砲」による砲撃を実施した。命中はしなかったが、米潜水艦の「バッショー」は、危険を感じて、水中に潜航したため、追い払う事には成功している。こうして、多数の連合軍の潜水艦は、「北号作戦」では、日本艦隊襲撃に 失敗した。●連合軍は、「北号作戦」を妨害するために、日本軍の暗号を解読したうえで、米英の潜水艦(合計26隻)を、待ち伏せ攻撃に向かわせましたが、魚雷を命中させた潜水艦はありませんでした。
●詳細な補足です。1945年の2月13日午後アメリカ潜水艦の「バッショー」は、日本艦隊を、レーダーで探知した。その艦隊は、戦艦「伊勢」戦艦「日向」を含む艦隊だった。しかし、潜水艦「バッショー」は不意を打たれた。夕方の16時18分に、日本戦艦「日向」が22キロ先のバッショーを探知して、主砲で攻撃してきたのである。一種の威嚇射撃だったが、日向の36センチ砲弾はバッショーの右舷後方に至近弾として落下、バッショーは潜航して避退した。しばらくして浮上し完部隊追跡に移ったものの後の祭りであり、完部隊はすでに去った後だった。
●追加のリクエストで、ミッドウエー海戦で、日本軍とアメリカ軍を驚かせた想定外のエピソードも考えてみてください。●日本軍が驚いたこと、炎上して復旧不能の空母飛龍が激闘の翌日の1942年6月6日の午前4時30分になっても沈没していなかったことです。6月5日、日本軍はアメリカ軍機動部隊の攻撃により空母3隻(赤城、加賀、蒼龍)を喪失し、さらに司令官「山口多聞少将」の空母飛龍も被弾炎上し、最終的に空母に随伴する駆逐艦の巻雲(第10駆逐隊)による雷撃処分が実施された]。 山口司令官と加来止男飛龍艦長は退艦を拒否して飛龍に残った]。2隻(巻雲、風雲)は飛龍の生存者を救助して西方に退避する]。 ところが6月6日午前4時30分、日本の軽空母「鳳翔」から発進した九六式艦上攻撃機が、漂流する飛龍と飛行甲板上の乗組員(飛龍機関科生存者)を発見する]。戦艦大和の連合艦隊司令部(山本五十六連合艦隊司令長官、宇垣纏参謀長等)は南雲忠一機動部隊司令長官に対し、「飛龍ハ沈没シタルヤ、状況及ビ位置ヲ知ラセ」と発信する。これを受けて、駆逐艦の「谷風」に対し、空母「飛龍」を確実に撃沈するよう命令が下った。駆逐艦の 谷風は、6月6日の午前9時45分に、南雲機動部隊から分離して、軽巡洋艦「長良」の偵察機の誘導で、飛龍を捜索したが発見できず、沈没したものと判断して帰路につく]。宇垣纏連合艦隊参謀長の手記「戦藻録」では、谷風が2回にわたるアメリカ軍機の襲撃を受けたのは現場海域に向かう途中であるとされている。●●アメリカ軍が、驚いたことですが、戦闘詳報によれば、駆逐艦「谷風」は、6月6日15時過ぎより、アメリカ軍急降下爆撃機などと交戦した。 アメリカ軍によれば、米空母エンタープライズ (CV-6)とホーネット (CV-8)は南雲機動部隊の追撃を開始していた。]。正午頃、エンタープライズの攻撃隊32機、ホーネットの攻撃隊26機が発進したが日本艦隊を発見できず、夕刻になり搭乗員達は帰投を考えはじめた]。するとアメリカ軍攻撃隊は西方へむかう駆逐艦1隻(谷風)を発見、集中攻撃をしかけたが1発も命中せず、逆に、「サム・アダムス」大尉機が撃墜された。しかし、1発が至近弾となり、その弾片が第2砲塔に飛び込み6名の戦死者を出した]。 続いて、ミッドウェー基地から発進したB-17隊は、日本空母を求めて再度出撃したが、すでに日本の主力空母4隻は沈没していたので、発見できず、たまたま見つけた駆逐艦(谷風)に79発の爆弾を投下するが、1発も命中しなかった]。アメリカ側の研究者は『谷風」は、アメリカ軍機が複数回の連続攻撃で投下した合計90発の爆弾を全部かわした。戦争の全期間を通じても屈指の驚くべき脱出劇である。』と驚いている。●●空母飛龍は、いつ沈んだのかについて、それは、1942年6月6日の午前6時過ぎだと言われています。
●●補足の詳細です。6月6日午前0時15分に空母飛龍に総員退去命令が出る。生存者は第10駆逐隊の(駆逐艦「巻雲」と「風雲」に移り、6月6日に午前1時30分に移乗完了したと言われていた。しかし、空母飛龍の機関室の機関科の人々は取り残されたままになっていた。、午前2時10分駆逐艦「巻雲」の発射した魚雷2本のうち1本が命中する]。生存者の中からは、戦闘能力を失った飛龍が米艦によって曳航されて、そのまま拿捕されれば一層の恥になるとして自軍艦に撃沈されたのではないかと見る声があった。日本の第10駆逐隊は飛龍の沈没を見届けず、西方に退避した。●●空母「飛龍」の生還者の証言により、軽空母「鳳翔」の艦載機が見た人影は、「池田幸一」三等機関兵曹と、「岡田伊勢吉」三等整備兵の両名であることが判明している。空母「飛龍」の機関部から脱出した100名以上のうち、39名(漂流中に5名死亡)は、食糧と水を積み込んだカッターボートで飛龍を離れた。空母飛龍の機関室の人々の証言によると、日本時間の6月6日の午前6時6分過ぎに、空母「飛龍」は左舷に傾きつつ艦首から沈んでいったと言われています]。機関科脱出者達は15日間漂流したのち、アメリカ軍哨戒機に発見される]。飛龍の軍艦旗はカッターボートに持ち込まれていたが、彼等が捕虜になる前に海中へ投棄された]。現場に到着したアメリカの水上機母艦「バラード」は34名を救助した。飛龍の救命ボートがわずかしかなかった事に対し、アメリカ軍は「救命用具が少ない状態というのは、国家による重要な人命軽視であると思われる」と報告した]。
補足ですが、●●ミッドウエー海戦の衝撃の事実です。太平洋戦争中は、アメリカ海軍は、日本の空母加賀に潜水艦が魚雷を発射して不発弾だったのに、潜水艦で空母撃沈と報告していた。勘違いは、おまけつきで、アメリカ潜水艦は加賀と蒼龍を勘違いしていて、アメリカ潜水艦が攻撃していない蒼龍を撃沈したと上層部に報告されていました。●●アメリカ空母艦載機が、日本空母「加賀」を攻撃して炎上させた直後に、水中でも動きがありました。この時、米潜水艦「ノーチラス」 が加賀(ノーチラス側は蒼龍と思い込んでいた)に対し魚雷3本を発射した。駆逐艦の「萩風」(加賀右舷から1000m離れた位置にいた。)と加賀の間を航走した魚雷2本は外れ、残りの加賀右舷艦尾に命中した魚雷1本も不発であった]。日本空母「加賀」脱出者が海面に多数おり、日本駆逐艦による「ノーチラス」に対する爆雷攻撃は思うように行かなかった]。対潜警戒も必要となり、第2小隊(萩風、舞風)による救助作業は困難をきわめた]。なお、ノーチラスの誤認および空母加賀の艦内での航空攻撃を受けた結果の大誘爆を、自分たちアメリカ潜水艦の魚雷命中と錯覚した事により、アメリカ海軍は『ノーチラスは、航空機との共同攻撃の戦果で蒼龍を撃沈した』と信じていた]。しかしノーチラスが不発とはいえ加賀に魚雷を命中させた事実に変わりはない。
龍驤はミッドウェー海戦後空母主力として活躍しましたが、単艦でガナルカナル攻撃した囮になり空襲を受けて沈没しました。龍驤は軽空母ながらよく頑張ったと思います。
うちの親父の兄さんが比叡に乗船する前にこれに乗ってた、後甲板下?てか、船尾に集合写真があります。
龍驤のベースの船体を見ると、巡洋艦を思わせるほどスマート
米本土空襲は潜水艦だったような。。。
それな
水上機母艦みたいな運用方法ですよね
角田さんが第一航空艦隊司令官だったらなぁ。
赤城加賀飛龍蒼龍だけでなく、祥鳳龍驤までとは…ドーントレスSBDは空母の天敵ですねー。
翔鶴も2回飛行甲板を破られていますし。
龍驤の写真見て、正面から見るとアンバランスに見えるのは格納庫ではなく側面の突起物のせいです(竣工当時正規空母として就役していた赤城や加賀と比べてもかなり小柄であるのはよくわかるが)。
アリューシャン方面の戦闘機は96戦のはずでしたが
志賀淑雄氏が「旧式機で行けるか!」と強引に零戦を引っ張ってきて
「本来南方向けに用意されてたので、北方向けにエンジン調整がたいへんだった」
とのこと。
結果、ゼロが米軍の手に渡ることとなってしまったんですよね。。
96戦のままであったら、、、零戦でも北方向けの機体であったら、、、
そもそも陽動作戦なのだから96戦でよかったのでは、、、
などと考えると複雑な気持ちになります
もっとも動画中にあるように早晩零戦の実力は露見したでしょうが
@@asakiyumemisi
ひっくり返った時点で首の骨が折れて即死だったようですよ
僚機は機体が敵軍に渡らないよう銃撃炎上させようとしたのですが、操縦士が出てこないので、万一の生存を考えて迷った結果そのままにしたとのこと。
MI作戦はそのとおりですね
レアな戦史も面白いですね。小さいかもしれませんが、その積み重ねが大きな結果を生むことを考えれば決して見逃せない貴重な情報です。
ありがとうございます!これからも戦史関する情報を発信していきますので、応援よろしくお願いします。
作者さん、今回の動画は、軽空母「龍驤」の艦載機が、どのように行動していたかも理解しやすかったです。零戦も龍驤と、セット運用したことで、太平洋戦争の初期は活躍出来ましたね。戦争の後期まで、生き延びれなかったのは残念ですね。
そうですね、次回からは、攻撃隊の内訳を入れていきます。
竜驤は最後まで残って欲しかったです、、、
@@ゆっくり戦争資料館 さん、戦艦伊勢の動画は、10月1日に公開予定ですか?
戦艦伊勢の、プレミアム公開の表示があったので期待していました。^^
@@yugureyamanaka2730 そうですが、おかしいですね。
@@yugureyamanaka2730 ごめんなさい。処理ができないようです
500人まであと少し!
みんなに登録してくれーって宣伝してたころが懐かしいww
マジでがんばれ
遂にここまで来ましたね、自分でも驚きです。
ここから、もっと攻勢に出ます!
@@ゆっくり戦争資料館 きた!おめでとう
初戦の空母艦隊の司令官が無能過ぎて 多くのパイロットが失われた💢
本当それ、
龍驤姉さん❗は剪紙成兵術を駆使する導術使い→
艦これではこれで艦載機を飛ばす( ; ゜Д゜)
龍驤 翔鶴 大鳳が好き
ガダルカナルの時に主力から分派させた傭兵がおバカ。あれじゃあ貴重な空母を生贄に差し出しただけ。
本当それ、南雲さんは空母捨てたかったのですかね。
@@ゆっくり戦争資料館 さん
MO作戦でも祥鳳を分配し、戦力の分散という愚かな事を行ってますね。MO作戦は一航艦全て動員すれば、ボートモレスビー攻略成功して後のガダルカナルとの2正面作戦は避けられたのでは?
(それでも補給というアキレス腱が残されています。当時の日本軍にアメリカ軍並みの優秀な輸送機があったらどんだけ作戦を優位に進められた事でしょう。)
またMO作戦時の5航戦はなんでそんなに少ないのと思うぐらい真珠湾時に比べて搭載機が減っています。おそらくオーストラリアやインド方面の作戦で既にかなり消耗していたのでしょう。
これら敗戦の責任は全て山本五十六にあります。ミッドウェイ作戦をは5航の回復と瑞鳳へ搭載が遅れていた零戦の生産配備を待ってから実施すべきでした。日本の敗戦の一因は山本五十六にあると私は考えています。
@@猫大好き-c9g 山本さんはい号作戦でも大量の航空機を消耗させてますからね、
その可能性も多いにあると思います。
MO作戦でも、ミッドウェイでも、ソロモン海戦でも、日本海軍は、作戦として、艦隊を二つに分けて攻撃する方法をとっている。結果は史実が示しています。
なんか間違いがあるみたいで艦橋の前面を丸くしたのと艦首を一段高めたのは、第四艦隊で損傷したのを修理改修して以降ですよ。
改修する前は凌波性が悪く、その時の画像が動画内で使われてますが、悪天候になると大波が艦橋を直撃するのは、容易に想像出来ますがね。
その通りです、私の言い方が分かりずらかったです。
お詫び申し上げます。
悩みが恋愛のこと?にwww
リクエストですが、今後制作予定の戦艦「伊勢」の動画についてですが、「北号作戦」中の昭和20年の2月13日の「アメリカ潜水艦との死闘も入れてみてください」この日の戦闘では、待ち伏せしていた米潜水艦3隻(ブロワー、バーゴール、フラッシャー)が、相次いで、魚雷多数を発射するが1本も命中しなかった]。この時の戦艦「 伊勢」は魚雷8本を発見し回避に成功した。その内の魚雷1本は、なんと戦艦「伊勢」の高角砲の射撃で爆破している。 昭和20年の2月13日の夕刻には、同じ作戦に参加していた戦艦「日向」が、別の場所で待ち伏せしていた米潜水艦「バッショー」に対して、戦艦の「36cm主砲」による砲撃を実施した。命中はしなかったが、米潜水艦の「バッショー」は、危険を感じて、水中に潜航したため、追い払う事には成功している。こうして、多数の連合軍の潜水艦は、「北号作戦」では、日本艦隊襲撃に 失敗した。●連合軍は、「北号作戦」を妨害するために、日本軍の暗号を解読したうえで、米英の潜水艦(合計26隻)を、待ち伏せ攻撃に向かわせましたが、魚雷を命中させた潜水艦はありませんでした。
●詳細な補足です。1945年の2月13日午後アメリカ潜水艦の「バッショー」は、日本艦隊を、レーダーで探知した。その艦隊は、戦艦「伊勢」戦艦「日向」を含む艦隊だった。しかし、潜水艦「バッショー」は不意を打たれた。夕方の16時18分に、日本戦艦「日向」が22キロ先のバッショーを探知して、主砲で攻撃してきたのである。一種の威嚇射撃だったが、日向の36センチ砲弾はバッショーの右舷後方に至近弾として落下、バッショーは潜航して避退した。しばらくして浮上し完部隊追跡に移ったものの後の祭りであり、完部隊はすでに去った後だった。
●追加のリクエストで、ミッドウエー海戦で、日本軍とアメリカ軍を驚かせた想定外のエピソードも考えてみてください。
●日本軍が驚いたこと、炎上して復旧不能の空母飛龍が激闘の翌日の1942年6月6日の午前4時30分になっても沈没していなかったことです。6月5日、日本軍はアメリカ軍機動部隊の攻撃により空母3隻(赤城、加賀、蒼龍)を喪失し、さらに司令官「山口多聞少将」の空母飛龍も被弾炎上し、最終的に空母に随伴する駆逐艦の巻雲(第10駆逐隊)による雷撃処分が実施された]。 山口司令官と加来止男飛龍艦長は退艦を拒否して飛龍に残った]。2隻(巻雲、風雲)は飛龍の生存者を救助して西方に退避する]。 ところが6月6日午前4時30分、日本の軽空母「鳳翔」から発進した九六式艦上攻撃機が、漂流する飛龍と飛行甲板上の乗組員(飛龍機関科生存者)を発見する]。戦艦大和の連合艦隊司令部(山本五十六連合艦隊司令長官、宇垣纏参謀長等)は南雲忠一機動部隊司令長官に対し、「飛龍ハ沈没シタルヤ、状況及ビ位置ヲ知ラセ」と発信する。これを受けて、駆逐艦の「谷風」に対し、空母「飛龍」を確実に撃沈するよう命令が下った。駆逐艦の 谷風は、6月6日の午前9時45分に、南雲機動部隊から分離して、軽巡洋艦「長良」の偵察機の誘導で、飛龍を捜索したが発見できず、沈没したものと判断して帰路につく]。宇垣纏連合艦隊参謀長の手記「戦藻録」では、谷風が2回にわたるアメリカ軍機の襲撃を受けたのは現場海域に向かう途中であるとされている。
●●アメリカ軍が、驚いたことですが、戦闘詳報によれば、駆逐艦「谷風」は、6月6日15時過ぎより、アメリカ軍急降下爆撃機などと交戦した。 アメリカ軍によれば、米空母エンタープライズ (CV-6)とホーネット (CV-8)は南雲機動部隊の追撃を開始していた。]。正午頃、エンタープライズの攻撃隊32機、ホーネットの攻撃隊26機が発進したが日本艦隊を発見できず、夕刻になり搭乗員達は帰投を考えはじめた]。するとアメリカ軍攻撃隊は西方へむかう駆逐艦1隻(谷風)を発見、集中攻撃をしかけたが1発も命中せず、逆に、「サム・アダムス」大尉機が撃墜された。しかし、1発が至近弾となり、その弾片が第2砲塔に飛び込み6名の戦死者を出した]。 続いて、ミッドウェー基地から発進したB-17隊は、日本空母を求めて再度出撃したが、すでに日本の主力空母4隻は沈没していたので、発見できず、たまたま見つけた駆逐艦(谷風)に79発の爆弾を投下するが、1発も命中しなかった]。アメリカ側の研究者は『谷風」は、アメリカ軍機が複数回の連続攻撃で投下した合計90発の爆弾を全部かわした。戦争の全期間を通じても屈指の驚くべき脱出劇である。』と驚いている。
●●空母飛龍は、いつ沈んだのかについて、それは、1942年6月6日の午前6時過ぎだと言われています。
●●補足の詳細です。6月6日午前0時15分に空母飛龍に総員退去命令が出る。生存者は第10駆逐隊の(駆逐艦「巻雲」と「風雲」に移り、6月6日に午前1時30分に移乗完了したと言われていた。しかし、空母飛龍の機関室の機関科の人々は取り残されたままになっていた。、午前2時10分駆逐艦「巻雲」の発射した魚雷2本のうち1本が命中する]。生存者の中からは、戦闘能力を失った飛龍が米艦によって曳航されて、そのまま拿捕されれば一層の恥になるとして自軍艦に撃沈されたのではないかと見る声があった。日本の第10駆逐隊は飛龍の沈没を見届けず、西方に退避した。
●●空母「飛龍」の生還者の証言により、軽空母「鳳翔」の艦載機が見た人影は、「池田幸一」三等機関兵曹と、「岡田伊勢吉」三等整備兵の両名であることが判明している。空母「飛龍」の機関部から脱出した100名以上のうち、39名(漂流中に5名死亡)は、食糧と水を積み込んだカッターボートで飛龍を離れた。空母飛龍の機関室の人々の証言によると、日本時間の6月6日の午前6時6分過ぎに、空母「飛龍」は左舷に傾きつつ艦首から沈んでいったと言われています]。機関科脱出者達は15日間漂流したのち、アメリカ軍哨戒機に発見される]。飛龍の軍艦旗はカッターボートに持ち込まれていたが、彼等が捕虜になる前に海中へ投棄された]。現場に到着したアメリカの水上機母艦「バラード」は34名を救助した。飛龍の救命ボートがわずかしかなかった事に対し、アメリカ軍は「救命用具が少ない状態というのは、国家による重要な人命軽視であると思われる」と報告した]。
補足ですが、●●ミッドウエー海戦の衝撃の事実です。太平洋戦争中は、アメリカ海軍は、日本の空母加賀に潜水艦が魚雷を発射して不発弾だったのに、潜水艦で空母撃沈と報告していた。勘違いは、おまけつきで、アメリカ潜水艦は加賀と蒼龍を勘違いしていて、アメリカ潜水艦が攻撃していない蒼龍を撃沈したと上層部に報告されていました。
●●アメリカ空母艦載機が、日本空母「加賀」を攻撃して炎上させた直後に、水中でも動きがありました。この時、米潜水艦「ノーチラス」 が加賀(ノーチラス側は蒼龍と思い込んでいた)に対し魚雷3本を発射した。駆逐艦の「萩風」(加賀右舷から1000m離れた位置にいた。)と加賀の間を航走した魚雷2本は外れ、残りの加賀右舷艦尾に命中した魚雷1本も不発であった]。日本空母「加賀」脱出者が海面に多数おり、日本駆逐艦による「ノーチラス」に対する爆雷攻撃は思うように行かなかった]。対潜警戒も必要となり、第2小隊(萩風、舞風)による救助作業は困難をきわめた]。なお、ノーチラスの誤認および空母加賀の艦内での航空攻撃を受けた結果の大誘爆を、自分たちアメリカ潜水艦の魚雷命中と錯覚した事により、アメリカ海軍は『ノーチラスは、航空機との共同攻撃の戦果で蒼龍を撃沈した』と信じていた]。しかしノーチラスが不発とはいえ加賀に魚雷を命中させた事実に変わりはない。