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デイサービスでこの曲をギター弾き語りしたら、海軍にいたおじいさんが大泣きで「ありがとう」って言ってくれたな。
さすが漢とあの子は言った。あの時代の価値観が込められていると思いました。現代では言葉では伝わらない思いが、この曲で蘇り現代人でも少しは共感できる。だからおじいさんは大泣きして感謝の意を表したのだと思います。
懐かしい❗子供のころ、父親がよく歌っていました。
自分もひいおじいちゃんが海軍でこの歌をよく歌っていたらしいです!
そここそこそほほ@@けんちゃん-y2u
私の親父が満州へ出征し、ぎゅずつ
大正14年生まれの義理の父がこの歌が大好きで施設に入っている時、歯磨き嫌がって口を開けないのに看護師さんがこの歌を歌いながら歯磨きすると笑って口が開くそうです。当時の看護師さん有り難うございます。
自分の伯父はガダルカナル島で海軍少尉(やったはず)として戦っていましたその時、負傷したが、病院で山本五十六長官から直接声をかけて頂いたという話を祖父から聞きました他方、関東軍の憲兵中尉だった叔父はノモンハンで生き残り、戦後はシベリアに抑留された大東亜戦争で命をかけ戦った親戚たちを本当に誇りに思う
怖いけど、やらなきゃ。皆んなあるんだから。
現地人にどんな非人道的な事をしたか分かったもんじゃ無いのによくそんな呑気な事が言えたもんだ。
@@ダンナイ 旧軍軍人がどんな人格だったのかを分かったもんじゃ無いのによくそんな自称意識高い系な事が言えたもんだ。
@@ダンナイ 残念ながら現地住民に酷い事したのは君たち左翼の大好きな韓国と中国側の連合国なんだよなぁ
すごい先祖
高齢者施設でこの曲をギターで歌ったら、寝てた人も起き上がって大合唱になりました。特に大先輩たちの思い入れが強い歌。テンポがいいね。
戦争の是非ではなく、高齢者の方には若い時代の思い出なのでしょうね。以前少し学んだ音楽療法の先生が言ってました。若い時代に返るのだろうと
日本を護ってくれてありがとう。そしていま、ごめんなさい。
89歳で存命している伯父がラバウルで終戦まで従軍しました。先年中学生の息子の研究課題用に資料をたくさん送ってくれました。今村大将の回顧録は何回も読み返していますが、肉親の経験は幾重にもその認識を深めさせてくれました。大東亜戦争を戦い抜いた世代は偉大です。英霊に感謝!!
パイロットだったのでしょうか。
89歳の叔父様、現存されておられるとのこと、今の岸田総理をはじめ議員に教示してください。叔父様を誇りにしています。
@@山口勝己-c5tここで岸田持ってくる必要ないなぁ...
ラバウルが兵士たちにとって、戦場や基地とかじゃなくて心の拠り所、思い出の場所になってるのが好き
職場で認知症のおばあちゃんが十字星~の部分だけ歌ってて曲分からなかったけど軍艦調べてたら見つけられました!認知症進行してもたけど一緒に歌おうと思います
懐しい。戦後間も無く東京に出たのですが、よく仲間たちと歌っていました。日本も随分と変わりました。
わたしの101才のおじいちゃんに動画を見せてあげたら、泣いてました。戦地のことは話したがらないけど、想像以上の辛い事があったのだと感じました。
私の父は戦争体験を一言も言わずに36年前に亡くなっております。戦争体験の話し少しでも聞きたかったな・・・・・。ノモンハンにもいったので激しい戦いだったのでしようね・・・あの世があるなら、ゆっくり聞きたいものです犠牲になられた方々のことを思うと胸が痛みます二度とこんな戦争が無い事を祈るばかりです
自分は傘寿を過ぎた者ですが、この映像はあまりにも壮絶過ぎます。戦闘機による死の片道突撃飛行に出発する友軍機を片手を高く挙げる敬礼で見送る幹部隊員、満身に思いを込めた身振りで見送る兵士、そして迎え撃つ連合軍兵士たちが放つ波状弾丸攻撃、艦船に決死の激突攻撃をする神風特攻隊機など敵も味方も戦慄と地獄のどん底の中での壮絶すぎる戦いの模様は、何度見ても涙涙涙涙涙涙。ルソン島から奇跡的に満身創痍と重い精神障害状態で帰還。80歳で他界した実兄曰く、戦争は2度と嫌だ。自分には人を殺す勇気はなかった。殺すか、殺されるかを選べば、殺される方を選ぶ。1946年帰還した兄はPTSDで、6歳だった自分には恐ろしい狂人にしか見えなかった。マニラからの帰還船に乗れたのは米軍のMPが、日本の軍人が安全に乗船できるように護ってくれたからだったと。合掌
様 私は、昭和37年生まれで、貴方の息子の世代です。生きてこそ。生き残ってこそ。長生きしましょ。(^ω^)v
@@ShimaJiro2205😮😮
父がベッドでよくリクエストしてくれました❗何回でもうたって父と楽しめました。いい思い出です。大好きだよお父さん🙂
南方で戦死した爺ちゃんの弟(既に他界)がよく歌っていました。これを聴くと涙が出ますね。戦友会も最後の一人まで続けて頂き、当時の帝国海軍軍人の生きた証を伝え続けて頂きたいです。
軍歌の中で1番好きなんだけど先人達のことを思ってしまって毎回泣いてしまう。今は亡きひいじいちゃんのことを思い出す。日本を守ってくれてありがとう。
ありがとう!
コメントを見ると、お国のために頑張った英雄に感謝し自分も国の役に立てる人になりたいと意気込む人を見かけます。団結した気持ちになって、震えました。私も何かできないかさがしてみようと思います!
日本の未来を信じて散っていった英霊達に恥じぬ日本になる様にみんなで選挙に行きましょう🇯🇵
日本の軍歌は素晴らしい。昔の軍人さんを心から尊敬します!昔の軍人は勇敢でカッコいい
今の海自も頑張っています👍
消防も👍
私の父も霞ヶ浦予科練行きました。あと1年戦争が伸びていたら…複雑な…零戦乗っていた諸先輩方々に本当に本当に合掌です。55才。
本当に胸がが締め付けられます 戦闘機が見なくなるまで振る手がちぎれんばかりにもう二度と会えないかも知れないそんな気持ちが見えるのが悲しい。
「手空き、帽振れで見送れ」昭和18年暮れ以降はこんな指示が下ることも多かったようですね。「いま飛び立ってゆく戦友たちよ、決してお前らだけ死なせはせんぞ」見送るみんな、その胸のうちはこんな感じだったと思うのです。同じ釜のメシを喰い、シラミだらけの寝床で枕を並べて眠り。そして未帰還機…今朝いっしょに朝メシを喰った戦友が、もうこの世にいないという現実を突きつけられる。離陸したが最後、もう二度と会えぬかも知れぬ戦友…涙なくしては語れません。戦争とはいっても、それをやっているのは血の通った生身の人間。当然、喜びも哀しみもある。あなたのあたたかいコメントに感動しました。
整備兵さんたちが手を振っているところが頭から離れません…
頼むぞって熱い気持ちが伝わりますね
整備兵の人達が力一杯帽子をふってる姿が印象的です。やはり、自分が整備した機体に活躍してほしいですよね。
祖父は旧ビルマ、祖父の兄はルソン島で散った。共に遺品、遺骨今だ帰らず。85歳で他界した祖母は最後まで祖父の事思いつつ逝ってしまった。残された遺族はどれだけ辛い思いをしたか。 英霊として靖国神社に御祭りされても、死んで花見は咲かない。祖父も何処かでこの歌を歌っていたかと思うと涙が止まらない。戦争は絶対してはいけない。
turi baka 自分の祖父もビルマで散りました・・・(;´Д`)
特務二等兵 その意見、全面的に支持します。
国の為に戦った英霊の方々に感謝し人の為国の為に何かできる大人になりたいと思います!
生前の父も、よくこの歌を歌っていたな…。戦後生まれなのに、なぜか懐かしい…。
私の叔父さんはラパウル航空隊だったそうですこの歌を聴くと涙が止まりません
ラパウル航空隊ってなんですか?
@@SHINE-t6h自分で調べたら❓スマホ持っているんでしょう❓
帯刀した日本兵は本当に凛々しいです。この大和魂・大和男子の精神は永遠に受け継いで行くべきですね。
大好きなじいちゃんが聞いてた歌。思い出す、涙が出るよ
自分のおじちゃんは満州からラバウルに行くはずだった見たいだったけどその翌日に撤退となって免れ生きて帰ってくれたお陰で自分生まれてこれた!親父が言うにはラバウルに行ってたら戦死してただろうと言ってたの聞いて一人で泣いた記憶があります!はだしのゲンで興味持っておじちゃんに聞いても何も話してくれませんでした!
戦争を仕掛けてきた国々がありました。戦後生まれの日本人として祖国の為に戦い散って行った一人一人の方に哀悼の意を表し心より敬意をはらいます。祖国のためにありがとうございました!
亡き母方の祖父は、軍属ではあったがこのラバウルに出征した。ラバウルは激戦地の一つであり、唯一落ちなかった場所だと聞いています。祖父が生きていた時の自分は幼く、最後までついぞ戦争の話を聞く事はありませんでしたが・・。若き日の祖父もこれを歌ったのかと思うと、感慨深いものがあります。
「戦争はいけません、散らかりますから」古今亭志ん生さんの言葉だったと記憶してます
飛燕を飛ばしてた祖父さんがよく口ずさんでたな。本土防衛で南方には出てなかったらしいけど。
戦争は確かに良くないが祖国の為に無償で命を張って戦う心、本当に清らかで胸が…今の時代どうなってしまったのか。
私が子どもの頃の聴いた懐かしい唄です。🎶♥️🎼❣️❣️❣️ありがとうございました。
どうして この曲全部歌えるのか 覚えた 記憶がないんだよなあ。
母方の祖父が戦時中にシベリアから家族宛に送って来た手紙を10年程前に母から見せられ、号泣しました。😭 祖父が無事生還してくれたお陰で今、私がここにいるんだと感謝しました。ラバウル小唄は何故か大好きでカラオケでたまに歌うこともあります。ホントにいい曲。
ラバウルに行った時に現地の人に歌ってもらって涙が出たなぁ
戦争は絶対起こしてはならないが軍歌はいいです🎵元気と哀愁が心に染み渡ります🎵
やっと内地に帰れる喜びはあるものの、幾度と戦ったラバウルの地を離れてしまう寂しい気持ちが歌詞から伝わってきますね。
こんなことってあるでしょうか、アメリカ兵もあっけにとられていました、日本男子って本当にすごい、涙なくして見られましょうか。
自分は戦後生まれですが、この曲は大好きです。
我爺爺都聽這種歌!!印象最深刻的就是這首歌~~~~ラバウル小唄
這首歌是註地拉巴爾島的海軍飛行隊的故事,戰後拍攝電影,由鹤田浩二,岡田茉麗子主演片名就稱為再見吧拉巴爾島。最接近澳洲的日本基地
大変貴重動画配信していただきありがとうm(_ _)mございました。亡き父は、飛行機✈️ 備士でした。大分より🐒♨️🐬
俺、大好きな、歌です。俺まだ若いです😆🎵🎵が最高な、歌です。星🌟が、きれいです。2042。
当時の日本の文化に触れることができ、光栄です。うp主さんありがとうございます。
死んだ爺さんが、よく 歌っていたなぁ・・・・
一旦基地から飛び立てば帰還できるか否かは運次第。当時の搭乗員の心を思うと戦後何年経とうが心が締めつけられる。
ラバウルから1000キロ、ガダルカナルまで3時間強、待ち構えるグラマンと死闘を繰り返すこと15分、高射砲もめげず、また1000キロ飛んで帰ってくる、この精神的緊張を強いられる任務を翌日もこなすとは神業でしょう、運良く、まさしく運良く生き延びたその搭乗員の方は、回顧録で、早く撃ち落とされるかして、楽になりたいと毎日思った、、とおっしゃっていました、感謝
鶴田浩二さんの歌、心がこもっていて大好きでした、春日八郎さんの声も素晴らしい。
今の日本の若者に当時の若者ような純粋な日本国の忠誠と愛を持ってほしい❤
うちの死んだ親父が呑んだら必ず唄う歌でした。ありがとうございます(^-^)
なんかいいですね
@@mp5a57 良くわからんです。
ひまわりの種さん、俺は、こぞうさん、。頑張れ。
子供の頃、少年ジャンプに掲載されていたトイレット博士という漫画が好きでよく見ていたが、その中でドラム缶風呂に浸かりこの唄を歌ってるシーンが描かれていたのが何故かいまだに覚えている。当時はメロディも知らず文字でしかわからなかったのにねぇ。なんでか覚えてんだよなぁ〜
自分達の生活があるのも英霊に感謝しかないです。
この歌を家で歌ってたら親父がお前が産まれてすぐの時俺のおじいちゃん(自分から見て曾祖父)がお前によく子守唄で聞かせてたよ。この歌聴くとお前すぐ寝てたんだよって言われてすごい運命を感じた自分の大好きな曲ひいおじいちゃんありがとう敬礼🫡
特攻隊員の方によって日本は守られました。いや、日本軍、昔の日本全国民の努力でしょう。ほんとに有難うございます英霊たち。安らかに眠ってください。
両さんも好きな曲
現実の南方戦線は凄惨極まるものだったと聞いています。明日は自分が死ぬかもしれない。そんな恐怖を紛らわすかのように若い兵士達が陽気に歌っていたのかと思うと胸が熱くなります。
昔よくカラオケでお爺さん達が歌ってました。。
なんでだろう…妙に懐かしい感じが…誰かと歌ってた気がする曲…
毎年8月になると聞きたくなります。
漫画家・水木しげる先生も陸軍二等兵として、ラバウルに従軍されました。兵役でラバウルに居た際に視察に来た今村陸軍大将(第8方面軍司令官)から言葉をかけられたことがあり、その時の印象について「私の会った人の中で一番温かさを感じる人だった」と評しています。
今村中将はオランダ領だったインドネシアが戦後に独立を勝ち取るきっかけを作ったんですよね?
一途な兵士たちの映像を見ると 止めどなく涙が流れます・・・ご冥福を祈るばかりです。
子供の頃懐かしい😅
軍歌好きだわー
高齢の友人たちが歩兵の本領の次に歌っていた題名の分からない軍歌、数十年越しに題名がわかりました、皆さん戦争の多くを語っては貰えませんでしたが、また1つ知ることが出来ました
毎年、祭りの最後で歌うけど、なんか悲しいってか侘しい思いになるんだよなぁ…。
ルパン三世第二シリーズ第118話「南十字星がダイヤに見えた」で、旧日本軍の君広が去る時、インスツルメンタルで使われたのが印象深い(ちなみに、君広が、自身の所属をルパンたちに紹介するシーンでは「同期の桜」、君広の副官・鮫島がルパンたちのゼロ戦を襲撃するシーンでは、「燃ゆる大空」が、使用されている)。
この画像は戦場カメラマンみたいな方が撮ってる感じですね👌とても貴重な映像のような気がします。ほぼ全員が軍刀を腰に差していますが戦闘機や爆撃機に搭乗する時も持って行かれるんですね👍️
89歳の伯父が終戦までラバウルで下士官として従軍しました。先年中学生の息子の研究課題用に資料をたくさん送ってくれました。今村大将の回顧録は繰り返し読みましたが、肉親の実体験は認識を幾重にも深めさせてくれました。大東亜戦争を戦い抜いた世代は偉大です。英霊に最敬礼!!です。
今の若い人達は皆殆どが目だとう根性の塊のように見える。「護国報恩」「よい死場所が見付かり皇国と親に恩を御返しする時が出来ます。」の一字一字の意味すら全くわからない人間ばかりで日本て国はここまで腐りきったかと思うと心が痛む。
死なば諸共。それば出来ぬのです。いまは、この腐りきった日本を変える若者が必要なのです。そんな私も若者なのですが。
あなたがたのおかげで今も生きておりますありがとうございます。
やはり軍歌は元気が出ます。
本当ですね❗私の親父も海軍軍人でした😅
日本の飛行機はとてもかっこいいです。
勇壮な中に 一抹の寂しさ 涙がでます。😢
ラバウルの空を守っていた岩本徹三の「零戦撃墜王」もう一度読み返したくなる。
一番好きな軍歌🙆
ありがとうございます あなたたちのおかげで 今の日本の平和があります ありがとうございます😊
この軍歌は大好きです
再度よく見ると、上官が年下で、でも、部下に敬礼している。年上の部下を見送る前かな。皆長振りを差して。死んだ父もオサフネを差していた。今の日本があるのも兵隊さんのお蔭です。ではあるが、ロシアとシナ共産党には気を付けよと父が申して居りました。この曲が気にいって何度も再生していた。叔父はレイテ決戦で戦死しました、骨を拾いに行きました。今度は自分が墓に入ります。
私の叔父はロシア軍に拉致され酷い扱い仕打ちで亡くなったそうです。
よく承知しております。敵国ロシアは戦後不可侵条約を無視し北方4島を制圧樺太の半分も返さない立派な敵国です。そんなロシアと何を交渉しようが、北方4島は返ってきません。あなたの叔父上様には残念な事を致しました。
この映像は、実際のものでしょうね。整備兵が、力いっぱい手をふっているところは、ホント涙をさそいます。今、日本人であるにもかかわらず反日をしている人の気持ちがどうしてもわかりません。日本の空気、米、水、ご近所の方、友達、社会でその生命があるというのに・・・・
@:공백 どういうとこがですか?
@:공백 この中には、あなたのご先祖もおられるのですよ。それは忘れてはいけません。
予科練にいた祖父がよく歌っていたようです。数十年もしたら僕もあの世にいるはずですから、祖父と一緒に歌いたいなぁ。
中学生のときに亡くなったお祖父さんから教えてもらった曲。
貴重な映像をいつもありがとう。
1:40の手前の零戦の胴体に書かれた桜の撃墜マークが凄い、実物写真なら相当の腕前のパイロットと思われます🇯🇵🇯🇵🇯🇵🙏🙏🙏
ちょっとゆかいな歌ですね。何か そ そう思います。
介護施設でこの歌よく歌ってたけどある日海鷲だよりと同じメロディーって事に気づいて試しに俺だけ海鷲だよりの歌詞で歌ってたら近くに居たおばあさんに「なんでそんな歌知ってんの!?」ってびっくりされたな〜
素晴らしい。
ラバウル小唄はとてもいい曲であるのに本歌の南洋航路は余り知られていない。何故だろうか
oh thanks!!😸
職場のおばあちゃんがこの曲よく歌ってたのに最近忘れてきてしまって毎日忘れないように一緒に歌うようになりました
冒頭シーンは陸軍機のようだが、続く特攻機のシーンは涙なくしては見れぬ。命令を出した奴等はのうのうと高い恩給で楽しく暮らしましたとさ。
Yukio Hosono 逃げた奴は許せない。
軍歌大好きです❤この歌聞くと涙がでる。
この歌歌える!ラバウルに兵隊に行ったじいちゃんに教わったから
この時代は、修行精神で務めをせねばならなかったはず。現代人のほとんどが、身に付けていない精神を、昭和前期の人達は持っていたんだろう。温故知新で、見習うべき事がこの軍歌から沢山あろうかと思う
当時はどこの国も軍歌を掲げ戦いましたね。先輩方の御姿、POSTINGありがとうございます。<皇国の威光を汚さぬ様に>と、掲げ戦った兵隊さん達。御先祖様代々大事に受け継がれて来て・自らと愛する人達が所属し・子々孫々大事に伝えて行く「祖国・故郷〔ふるさと〕」、その評判を汚す様な事を遣らないように、との事。<日本の三光>○日:昼を作り出し、命を育む光。D月:夜を照らす光。☆星:道標〔みちしるべ〕となる光。<♪御国の光 輝かせ♪>大日本帝国の場合『五箇条の御誓文』にも記される様に「国民参加型立憲君主制」。「国=天皇をトップとする天皇家も含めた全国民」の善良な精神を掲げ、光を行き渡らせる事。
帯刀した日本軍人は本当に凛々しいですよね、惚れ惚れします。
いいですね。実にいい。
私は64 才です。この時代ではありませんが、この時代人がみえたからこそ、今があるから、感謝し続け、聞いておりますが、歌詞/音楽も、さあ行くぞと成る歌ですね‼️
他の歌詞で…流石男とあの娘はゆうた〜燃ゆる想いは操縦桿まかせ〜明日の命はあの雲任せ〜散って九段の若桜〜で私はカラオケで唄います。他の軍歌同様(ラバウル小唄は正確には戦時歌謡)いくつか別の歌詞が有りますが、この歌詞で唄う事により軍歌となるでせう…(笑)。
今の日本を当時の誰が想像したであろうか。同じ国民として反日的な輩が重要なポストに居るのが情けない。いつかは有能な先導者が出てくる事を願う。
篠原健二 AaqqqqqqqqMisora hibari
学生時代応援歌で良く歌いました。
最近は耳にすることは少なくなったが、この歌は戦後もよく歌われていた。軽い曲調で、しかも深刻なところがないので戦中派の人が歌うには最適な歌のひとつだったのだろう。ただし現代人にはやはり古さを感じさせる。戦後もこれだけの年月をかさねれば、やむをえないこと。
私は世界平和お、願って、います、あくまでも、人生の応援歌にしたいです、樋渡
デイサービスでこの曲をギター弾き語りしたら、海軍にいたおじいさんが大泣きで「ありがとう」って言ってくれたな。
さすが漢とあの子は言った。あの時代の価値観が込められていると思いました。現代では言葉では伝わらない思いが、この曲で蘇り現代人でも少しは共感できる。だからおじいさんは大泣きして感謝の意を表したのだと思います。
懐かしい❗子供のころ、父親がよく歌っていました。
自分もひいおじいちゃんが海軍でこの歌をよく歌っていたらしいです!
そここそこそほほ@@けんちゃん-y2u
私の親父が満州へ出征し、ぎゅずつ
大正14年生まれの義理の父がこの歌が大好きで施設に入っている時、歯磨き嫌がって口を開けないのに看護師さんがこの歌を歌いながら歯磨きすると笑って口が開くそうです。当時の看護師さん有り難うございます。
自分の伯父はガダルカナル島で海軍少尉(やったはず)として戦っていました
その時、負傷したが、病院で山本五十六長官から直接声をかけて頂いたという話を祖父から聞きました
他方、関東軍の憲兵中尉だった叔父はノモンハンで生き残り、戦後はシベリアに抑留された
大東亜戦争で命をかけ戦った親戚たちを本当に誇りに思う
怖いけど、やらなきゃ。皆んなあるんだから。
現地人にどんな非人道的な事をしたか分かったもんじゃ無いのによくそんな呑気な事が言えたもんだ。
@@ダンナイ 旧軍軍人がどんな人格だったのかを分かったもんじゃ無いのによくそんな自称意識高い系な事が言えたもんだ。
@@ダンナイ 残念ながら現地住民に酷い事したのは君たち左翼の大好きな韓国と中国側の連合国なんだよなぁ
すごい先祖
高齢者施設でこの曲をギターで歌ったら、寝てた人も起き上がって大合唱になりました。
特に大先輩たちの思い入れが強い歌。テンポがいいね。
戦争の是非ではなく、高齢者の方には若い時代の思い出なのでしょうね。
以前少し学んだ音楽療法の先生が言ってました。若い時代に返るのだろうと
日本を護ってくれてありがとう。そしていま、ごめんなさい。
89歳で存命している伯父がラバウルで終戦まで従軍しました。先年中学生の息子の研究課題用に資料をたくさん送ってくれました。今村大将の回顧録は何回も読み返していますが、肉親の経験は幾重にもその認識を深めさせてくれました。大東亜戦争を戦い抜いた世代は偉大です。英霊に感謝!!
パイロットだったのでしょうか。
89歳の叔父様、現存されておられるとのこと、今の岸田総理をはじめ議員に
教示してください。叔父様を誇りにしています。
@@山口勝己-c5tここで岸田持ってくる必要ないなぁ...
ラバウルが兵士たちにとって、戦場や基地とかじゃなくて心の拠り所、思い出の場所になってるのが好き
職場で認知症のおばあちゃんが十字星~の部分だけ歌ってて曲分からなかったけど軍艦調べてたら見つけられました!認知症進行してもたけど一緒に歌おうと思います
懐しい。
戦後間も無く東京に出たのですが、よく仲間たちと歌っていました。日本も随分と変わりました。
わたしの101才のおじいちゃんに動画を見せてあげたら、泣いてました。
戦地のことは話したがらないけど、想像以上の辛い事があったのだと感じました。
私の父は戦争体験を一言も言わずに36年前に亡くなっております。
戦争体験の話し少しでも聞きたかったな・・・・・。
ノモンハンにもいったので激しい戦いだったのでしようね・・・
あの世があるなら、ゆっくり聞きたいものです
犠牲になられた方々のことを思うと胸が痛みます
二度とこんな戦争が無い事を祈るばかりです
自分は傘寿を過ぎた者ですが、この映像はあまりにも壮絶過ぎます。戦闘機による死の片道突撃飛行に出発する友軍機を片手を高く挙げる敬礼で見送る幹部隊員、満身に思いを込めた身振りで見送る兵士、そして迎え撃つ連合軍兵士たちが放つ波状弾丸攻撃、艦船に決死の激突攻撃をする神風特攻隊機など敵も味方も戦慄と地獄のどん底の中での壮絶すぎる戦いの模様は、何度見ても涙涙涙涙涙涙。ルソン島から奇跡的に満身創痍と重い精神障害状態で帰還。80歳で他界した実兄曰く、戦争は2度と嫌だ。自分には人を殺す勇気はなかった。殺すか、殺されるかを選べば、殺される方を選ぶ。1946年帰還した兄はPTSDで、6歳だった自分には恐ろしい狂人にしか見えなかった。マニラからの帰還船に乗れたのは米軍のMPが、日本の軍人が安全に乗船できるように護ってくれたからだったと。合掌
様 私は、昭和37年生まれで、貴方の息子の世代です。生きてこそ。生き残ってこそ。長生きしましょ。(^ω^)v
@@ShimaJiro2205😮😮
父がベッドでよくリクエストしてくれました❗何回でもうたって父と楽しめました。いい思い出です。大好きだよお父さん🙂
南方で戦死した爺ちゃんの弟(既に他界)がよく歌っていました。これを聴くと涙が出ますね。戦友会も最後の一人まで続けて頂き、当時の帝国海軍軍人の生きた証を伝え続けて頂きたいです。
軍歌の中で1番好きなんだけど先人達のことを思ってしまって毎回泣いてしまう。今は亡きひいじいちゃんのことを思い出す。日本を守ってくれてありがとう。
ありがとう!
コメントを見ると、お国のために頑張った英雄に感謝し自分も国の役に立てる人になりたいと意気込む人を見かけます。団結した気持ちになって、震えました。私も何かできないかさがしてみようと思います!
日本の未来を信じて散っていった英霊達に恥じぬ日本になる様にみんなで選挙に行きましょう🇯🇵
日本の軍歌は素晴らしい。
昔の軍人さんを心から尊敬します!昔の軍人は勇敢でカッコいい
今の海自も頑張っています👍
消防も👍
私の父も霞ヶ浦予科練行きました。あと1年戦争が伸びていたら…
複雑な…
零戦乗っていた諸先輩方々に本当に本当に合掌です。55才。
本当に胸がが締め付けられます 戦闘機が見なくなるまで振る手がちぎれんばかりに
もう二度と会えないかも知れないそんな気持ちが見えるのが悲しい。
「手空き、帽振れで見送れ」
昭和18年暮れ以降はこんな指示が下ることも多かったようですね。
「いま飛び立ってゆく戦友たちよ、決してお前らだけ死なせはせんぞ」
見送るみんな、その胸のうちはこんな感じだったと思うのです。
同じ釜のメシを喰い、シラミだらけの寝床で枕を並べて眠り。
そして未帰還機…今朝いっしょに朝メシを喰った戦友が、もうこの世にいないという現実を突きつけられる。
離陸したが最後、もう二度と会えぬかも知れぬ戦友…涙なくしては語れません。
戦争とはいっても、それをやっているのは血の通った生身の人間。当然、喜びも哀しみもある。
あなたのあたたかいコメントに感動しました。
整備兵さんたちが手を振っているところが頭から離れません…
頼むぞって熱い気持ちが伝わりますね
整備兵の人達が力一杯帽子をふってる姿が印象的です。
やはり、自分が整備した機体に活躍してほしいですよね。
祖父は旧ビルマ、祖父の兄はルソン島で散った。共に遺品、遺骨今だ帰らず。85歳で他界した祖母は最後まで祖父の事思いつつ逝ってしまった。残された遺族はどれだけ辛い思いをしたか。 英霊として靖国神社に御祭りされても、死んで花見は咲かない。祖父も何処かでこの歌を歌っていたかと思うと涙が止まらない。戦争は絶対してはいけない。
turi baka 自分の祖父もビルマで散りました・・・(;´Д`)
特務二等兵
その意見、全面的に支持します。
国の為に戦った英霊の方々に感謝し人の為国の為に何かできる大人になりたいと思います!
生前の父も、よくこの歌を歌っていたな…。
戦後生まれなのに、なぜか懐かしい…。
私の叔父さんはラパウル航空隊だったそうですこの歌を聴くと涙が止まりません
ラパウル航空隊ってなんですか?
@@SHINE-t6h自分で調べたら❓スマホ持っているんでしょう❓
帯刀した日本兵は本当に凛々しいです。
この大和魂・大和男子の精神は永遠に受け継いで行くべきですね。
大好きなじいちゃんが聞いてた歌。
思い出す、涙が出るよ
自分のおじちゃんは満州から
ラバウルに行くはずだった見たいだったけどその翌日に撤退となって免れ生きて帰ってくれたお陰で自分生まれてこれた!親父が言うにはラバウルに行ってたら戦死してただろうと言ってたの聞いて一人で泣いた記憶があります!はだしのゲンで興味持っておじちゃんに聞いても何も話してくれませんでした!
戦争を仕掛けてきた国々がありました。戦後生まれの日本人として祖国の為に戦い散って行った一人一人の方に哀悼の意を表し心より敬意をはらいます。祖国のためにありがとうございました!
亡き母方の祖父は、軍属ではあったがこのラバウルに出征した。ラバウルは激戦地の一つであり、唯一落ちなかった場所だと聞いています。
祖父が生きていた時の自分は幼く、最後までついぞ戦争の話を聞く事はありませんでしたが・・。
若き日の祖父もこれを歌ったのかと思うと、感慨深いものがあります。
「戦争はいけません、散らかりますから」
古今亭志ん生さんの言葉だったと記憶してます
飛燕を飛ばしてた祖父さんがよく口ずさんでたな。本土防衛で南方には出てなかったらしいけど。
戦争は確かに良くないが祖国の為に無償で命を張って戦う心、本当に清らかで胸が…
今の時代どうなってしまったのか。
私が子どもの頃の聴いた懐かしい唄です。🎶♥️🎼❣️❣️❣️ありがとうございました。
どうして この曲全部歌えるのか 覚えた 記憶がないんだよなあ。
母方の祖父が戦時中にシベリアから家族宛に送って来た手紙を10年程前に母から見せられ、号泣しました。😭 祖父が無事生還してくれたお陰で今、私がここにいるんだと感謝しました。ラバウル小唄は何故か大好きでカラオケでたまに歌うこともあります。ホントにいい曲。
ラバウルに行った時に現地の人に歌ってもらって涙が出たなぁ
戦争は絶対起こしてはならないが軍歌はいいです🎵元気と哀愁が心に染み渡ります🎵
やっと内地に帰れる喜びはあるものの、幾度と戦ったラバウルの地を離れてしまう寂しい気持ちが歌詞から伝わってきますね。
こんなことってあるでしょうか、アメリカ兵もあっけにとられていました、日本男子って本当にすごい、涙なくして見られましょうか。
自分は戦後生まれですが、この曲は大好きです。
我爺爺都聽這種歌!!
印象最深刻的就是這首歌~~~~
ラバウル小唄
這首歌是註地拉巴爾島的海軍飛行隊的故事,戰後拍攝電影,由鹤田浩二,岡田茉麗子主演片名就稱為再見吧拉巴爾島。最接近澳洲的日本基地
大変貴重動画配信していただきありがとうm(_ _)mございました。亡き父は、飛行機✈️ 備士でした。大分より🐒♨️🐬
俺、大好きな、歌です。俺まだ若いです😆🎵🎵が最高な、歌です。星🌟が、きれいです。2042。
当時の日本の文化に触れることができ、光栄です。
うp主さんありがとうございます。
死んだ爺さんが、よく 歌っていたなぁ・・・・
一旦基地から飛び立てば帰還できるか否かは運次第。当時の搭乗員の心を思うと戦後何年経とうが心が締めつけられる。
ラバウルから1000キロ、ガダルカナルまで3時間強、待ち構えるグラマンと死闘を繰り返すこと15分、高射砲もめげず、また1000キロ飛んで帰ってくる、この精神的緊張を強いられる任務を翌日もこなすとは神業でしょう、運良く、まさしく運良く生き延びたその搭乗員の方は、回顧録で、早く撃ち落とされるかして、楽になりたいと毎日思った、、とおっしゃっていました、感謝
鶴田浩二さんの歌、心がこもっていて大好きでした、春日八郎さんの声も素晴らしい。
今の日本の若者に当時の若者ような純粋な日本国の忠誠と愛を持ってほしい❤
うちの死んだ親父が呑んだら必ず唄う歌でした。
ありがとうございます(^-^)
なんかいいですね
@@mp5a57 良くわからんです。
ひまわりの種さん、俺は、こぞうさん、。頑張れ。
子供の頃、少年ジャンプに掲載されていたトイレット博士という漫画が好きでよく見ていたが、その中でドラム缶風呂に浸かりこの唄を歌ってるシーンが描かれていたのが何故かいまだに覚えている。当時はメロディも知らず文字でしかわからなかったのにねぇ。なんでか覚えてんだよなぁ〜
自分達の生活があるのも英霊に感謝しかないです。
この歌を家で歌ってたら親父がお前が産まれてすぐの時俺のおじいちゃん(自分から見て曾祖父)がお前によく子守唄で聞かせてたよ。この歌聴くとお前すぐ寝てたんだよって言われてすごい運命を感じた自分の大好きな曲
ひいおじいちゃんありがとう
敬礼🫡
特攻隊員の方によって日本は守られました。
いや、日本軍、昔の日本全国民の努力でしょう。
ほんとに有難うございます英霊たち。安らかに眠ってください。
両さんも好きな曲
現実の南方戦線は凄惨極まるものだったと聞いています。
明日は自分が死ぬかもしれない。
そんな恐怖を紛らわすかのように
若い兵士達が陽気に歌っていたのかと思うと
胸が熱くなります。
昔よくカラオケでお爺さん達が歌ってました。。
なんでだろう…妙に懐かしい感じが…誰かと歌ってた気がする曲…
毎年8月になると聞きたくなります。
漫画家・水木しげる先生も陸軍二等兵として、
ラバウルに従軍されました。
兵役でラバウルに居た際に
視察に来た今村陸軍大将(第8方面軍司令官)から
言葉をかけられたことがあり、
その時の印象について
「私の会った人の中で一番温かさを感じる人だった」と評しています。
今村中将はオランダ領だったインドネシアが戦後に独立を勝ち取るきっかけを作ったんですよね?
一途な兵士たちの映像を見ると 止めどなく涙が流れます・・・
ご冥福を祈るばかりです。
子供の頃懐かしい😅
軍歌好きだわー
高齢の友人たちが歩兵の本領の次に歌っていた題名の分からない軍歌、数十年越しに題名がわかりました、皆さん戦争の多くを語っては貰えませんでしたが、また1つ知ることが出来ました
毎年、祭りの最後で歌うけど、なんか悲しいってか侘しい思いになるんだよなぁ…。
ルパン三世第二シリーズ第118話「南十字星がダイヤに見えた」で、旧日本軍の君広が去る時、インスツルメンタルで使われたのが印象深い(ちなみに、君広が、自身の所属をルパンたちに紹介するシーンでは「同期の桜」、君広の副官・鮫島がルパンたちのゼロ戦を襲撃するシーンでは、「燃ゆる大空」が、使用されている)。
この画像は戦場カメラマンみたいな方が撮ってる感じですね👌とても貴重な映像のような気がします。ほぼ全員が軍刀を腰に差していますが戦闘機や爆撃機に搭乗する時も持って行かれるんですね👍️
89歳の伯父が終戦までラバウルで下士官として従軍しました。先年中学生の息子の研究課題用に資料をたくさん送ってくれました。今村大将の回顧録は繰り返し読みましたが、肉親の実体験は認識を幾重にも深めさせてくれました。大東亜戦争を戦い抜いた世代は偉大です。英霊に最敬礼!!です。
今の若い人達は皆殆どが目だとう根性の塊のように見える。「護国報恩」「よい死場所が見付かり皇国と親に恩を御返しする時が出来ます。」の一字一字の意味すら全くわからない人間ばかりで日本て国はここまで腐りきったかと思うと心が痛む。
死なば諸共。
それば出来ぬのです。
いまは、この腐りきった日本を変える若者が必要なのです。
そんな私も若者なのですが。
あなたがたのおかげで今も生きておりますありがとうございます。
やはり軍歌は元気が出ます。
本当ですね❗
私の親父も海軍軍人でした😅
日本の飛行機はとてもかっこいいです。
勇壮な中に 一抹の寂しさ 涙がでます。😢
ラバウルの空を守っていた岩本徹三の「零戦撃墜王」もう一度読み返したくなる。
一番好きな軍歌🙆
ありがとうございます あなたたちのおかげで 今の日本の平和があります ありがとうございます😊
この軍歌は大好きです
再度よく見ると、上官が年下で、でも、部下に敬礼している。年上の部下を見送る前かな。皆長振りを差して。死んだ父もオサフネを差していた。今の日本があるのも兵隊さんのお蔭です。ではあるが、ロシアとシナ共産党には気を付けよと父が申して居りました。この曲が気にいって何度も再生していた。叔父はレイテ決戦で戦死しました、骨を拾いに行きました。今度は自分が墓に入ります。
私の叔父はロシア軍に拉致され酷い扱い仕打ちで亡くなったそうです。
よく承知しております。敵国ロシアは戦後不可侵条約を無視し北方4島を制圧樺太の半分も返さない立派な敵国です。そんなロシアと何を交渉しようが、北方4島は返ってきません。あなたの叔父上様には残念な事を致しました。
この映像は、実際のものでしょうね。
整備兵が、力いっぱい手をふっているところは、ホント涙をさそいます。
今、日本人であるにもかかわらず反日をしている人の気持ちがどうしてもわかりません。日本の空気、米、水、ご近所の方、友達、社会でその生命があるというのに・・・・
@:공백 どういうとこがですか?
@:공백 この中には、あなたのご先祖もおられるのですよ。それは忘れてはいけません。
予科練にいた祖父がよく歌っていたようです。数十年もしたら僕もあの世にいるはずですから、祖父と一緒に歌いたいなぁ。
中学生のときに亡くなったお祖父さんから教えてもらった曲。
貴重な映像をいつもありがとう。
1:40の手前の零戦の胴体に書かれた桜の撃墜マークが凄い、実物写真なら相当の腕前のパイロットと思われます
🇯🇵🇯🇵🇯🇵🙏🙏🙏
ちょっとゆかいな歌ですね。何か そ そう思います。
介護施設でこの歌よく歌ってたけど
ある日海鷲だよりと同じメロディー
って事に気づいて試しに
俺だけ海鷲だよりの歌詞で
歌ってたら近くに居たおばあさんに
「なんでそんな歌知ってんの!?」
ってびっくりされたな〜
素晴らしい。
ラバウル小唄はとてもいい曲であるのに本歌の南洋航路は余り知られていない。何故だろうか
oh thanks!!😸
職場のおばあちゃんがこの曲よく歌ってたのに最近忘れてきてしまって毎日忘れないように一緒に歌うようになりました
冒頭シーンは陸軍機のようだが、続く特攻機のシーンは涙なくしては見れぬ。
命令を出した奴等はのうのうと高い恩給で楽しく暮らしましたとさ。
Yukio Hosono 逃げた奴は許せない。
軍歌大好きです❤この歌聞くと涙がでる。
この歌歌える!ラバウルに兵隊に行ったじいちゃんに教わったから
この時代は、修行精神で務めをせねばならなかったはず。現代人のほとんどが、身に付けていない精神を、昭和前期の人達は持っていたんだろう。温故知新で、見習うべき事がこの軍歌から沢山あろうかと思う
当時はどこの国も軍歌を掲げ戦いましたね。
先輩方の御姿、POSTINGありがとうございます。
<皇国の威光を汚さぬ様に>
と、掲げ戦った兵隊さん達。御先祖様代々大事に受け継がれて来て・自らと愛する人達が所属し・子々孫々大事に伝えて行く「祖国・故郷〔ふるさと〕」、その評判を汚す様な事を遣らないように、との事。
<日本の三光>
○日:昼を作り出し、命を育む光。
D月:夜を照らす光。
☆星:道標〔みちしるべ〕となる光。
<♪御国の光 輝かせ♪>
大日本帝国の場合『五箇条の御誓文』にも記される様に「国民参加型立憲君主制」。「国=天皇をトップとする天皇家も含めた全国民」の善良な精神を掲げ、光を行き渡らせる事。
帯刀した日本軍人は本当に凛々しいですよね、惚れ惚れします。
いいですね。実にいい。
私は64 才です。この時代ではありませんが、この時代人がみえたからこそ、今があるから、感謝し続け、聞いておりますが、歌詞/音楽も、さあ行くぞと成る歌ですね‼️
他の歌詞で…流石男とあの娘はゆうた〜燃ゆる想いは操縦桿まかせ〜明日の命はあの雲任せ〜散って九段の若桜〜で私はカラオケで唄います。他の軍歌同様(ラバウル小唄は正確には戦時歌謡)いくつか別の歌詞が有りますが、この歌詞で唄う事により軍歌となるでせう…(笑)。
今の日本を当時の誰が想像したであろうか。
同じ国民として反日的な輩が重要なポストに居るのが情けない。
いつかは有能な先導者が出てくる事を願う。
篠原健二 Aaqqqqqqqq
Misora hibari
学生時代応援歌で良く歌いました。
最近は耳にすることは少なくなったが、この歌は戦後もよく歌われていた。
軽い曲調で、しかも深刻なところがないので戦中派の人が歌うには最適な
歌のひとつだったのだろう。ただし現代人にはやはり古さを感じさせる。
戦後もこれだけの年月をかさねれば、やむをえないこと。
私は世界平和お、願って、います、あくまでも、人生の応援歌にしたいです、樋渡