Розмір відео: 1280 X 720853 X 480640 X 360
Показувати елементи керування програвачем
Автоматичне відтворення
Автоповтор
60年以上も昔に、大学を出たばかりの新人先生が「正調北帰行」として、中学生の我々に教えてくれました。(歌声喫茶で流行っている歌とともに。) 「さらば祖国、愛しき(人よor 人々よ)」とか「明日は希望の旅路」とか多少語句に違いは有りますが、大勢は変わり無し。「建大」は満州の建国大学。いつしか記憶から消えていたのですが、今回この歌声で大変懐かしく、先生の熱血漢でハンサムな顔も思い出した。 「UFOから降りた乗員」
北帰行のバックグランドを知りませんでした。歴史をしれば尚更涙が出ます。名曲中の名曲です。
高校時代によく歌いました なんか哀愁のあるメロディーに惹かれ毎日歌ってました 今聞いても当時の若い自分が甦り これからも残りの人生を頑張れます 青春は2度ないですね 今は静春ですかね
BS11の八代亜紀の番組にゲスト出演した小林旭が歌っていたのを聞いて、オリジナルをここで聞いた。僕の母親は大連生まれでその兄(伯父)が旅順高校に在学していた。戦後は当然旅高はなくなり、伯父は昭和22年に日本に引き揚げ後、再び高等教育を受けたかったらしいが、引き揚げ者は生きて行くのが精いっぱいで、その思いはかなわなかった。40代で早死にした…。母は、この歌のいわれを知っていて、オリジナル歌詞で時々歌っていた。その母も昨年89歳で亡くなった。引揚者も戦争の犠牲者である。
突然の終戦により混乱の中で幕を閉じた旅順高ですが、最後の入学生の在校も4か月余りで、勉学の余裕は無かったのではないでしょうか。
何度も何度も何度も聴きました。こんな詩を書ける青年がいたんですね。
旧制高校の学生=(今の国立大学の一般教養課程)の学生の学力学識の高さは、物凄く、今の東大、京大の学生並みか、それ以上。
幼い頃満洲の話をよく聞いていて近くに旅順高等学校があると教わり、ずーとあこがれていました、しかし終戦になり全てがなくなり誠に残念だったことを今でも覚えています、緑咲香澄さんの北帰行、電子音工音楽だそうえすが、懐かしくて涙が出てくるような素晴らしい曲ですね。
学生い時代、寮の中でよく歌いました。
この年になると昔の歌は何が流れてきても目頭が重たくなるもんだが ♪北帰行♪ にはもうたまらんね、涙ボロボロだ。
御意!
「目頭が熱くなる」ですね。「瞼が重くなる」と一緒になっていませんか?
同感。山県さんが何歳かわからないが、オレもいつの間にか「この歳」になった😅
北帰行と言う、何となくオセンチな気分で歌っていました。旅順高の寮歌?、旅順と聞くと懐かしさがありますね、小林旭さんのCDを聴いています。
皆さんのコメントの中に感銘する想いが響き伝わるものがあり、人其々に定めを感じますね。中学時の修学旅行に行かない事を引き換えに高校受験をさせてもらった事を感謝しています。大学受験をとっくに諦めていた我が身には事務職に就いた事を今では天職に思えますね。正直、母の愛情を知らない私は草根逞しく我が道を行くでしかなく、亡き母方の遠くからの支援に応えるべく過ごした事の様に思えます。
自分の一番大好きな歌です。今の若者には全くうけなく、又理解出来ないでしょうね。
佐賀西高等学校の生徒たちは学校行事で歌うので、みんな歌えますよ!
緑咲さんの歌唱がこの曲を一段と素晴らしいものにしているように思われます、有り難う御座います。
こんにちは。寮歌が好きですが歌う人が減っているのは寂しい限りです。
北帰行は、小林旭の映画の主題歌と思ってました。旅順高等学校の校歌と聞き、驚きです。それにしても歌詞とメロディは、素晴らしいですね。
戦争に負けなければ又は早期講和していれば、今もある旅順高校。歴史と漢詩と和歌を習ってから旅愁切々
TAK SI様、編集のご労苦に感謝いたします。巷では簡略された詞で歌われているようですが、オリジナルの格調にはくらぶべきもありません。これからも、どうぞご健勝にて。
こんばんは。コメント有難うございます。
詩の言葉の素直さ奥ゆかしさ。心が震える旋律そして歌い手の声が良い。何回でも歌いたい。
この歌はものの記事によっては、代表的な寮歌だとされるものもあれば、学校側から「退校処分生徒のものだから歌わないように」と言われたというものもあり、詳しくは知りません。学校内ではよく歌われていたようです。旧制各高等学校の同窓会OBの責任で代表歌を持ち寄って編纂された「日本寮歌集」(平成24年版)には、旅順の6曲中には何故か入っていません。
緑咲さんの声何度聞いても飽きない
今歌っているのは人が歌っているのではありません、電子音工学ですうね、
緑咲香澄て、何て読むのか、判らない。『ミドリサキ カスミ』ですか?正しい歌手名を教えて欲しい。@@倉本武文
小林旭さんの歌謡曲だと思っていました、こうしてきちんと漢字で書かれていると、とても良い歌詞ですね。きちんと伝えてくださりありがとう、皆さんのコメントもとても良いと思いました。
北帰行のうたには歴史あったんだ胸が詰まるいい歌です
小林旭のと、まるで違う。
インテリジェンスの違いで、小林旭に中身の無いただの芸人が受ける薄っぺらい歌い方。作者の宇田博の経歴を、裏に理解して歌い込めば、解釈評価も変わって来る。小林の編曲歌いブリは、大陸馬賊みたいだわ。
心に染みる歌と声です。変に歌謡化していない淡々とした歌声が、なんとも染みいります。昔の人間だけでしょうか。文語体の引き締まった歌詞がたまらない。
四、五番の歌詞の空しさ、寂莫感に胸打たれます。
なでこの様な歌が感じる本当に。有り難う。
素朴な節回しで放浪したくなるような感じです。
ありがとうございます。また貴重な証言をありがとうございます。長生きされてください。
初めて聴きました。本歌はこんな感じなんですね😃私達が歌声喫茶で歌ってた北帰行とメロデイも歌詞も少し違うけど、これが本当の歌なんですね😃
他の歌手が勝手に適当に番数を抜いて、適当に歌っているが、作詞作者の本意を理解していない。この女性歌手が歌うと、何とも言えない感動が沸き起こる、素晴らしい歌!永遠に歌い継がれて欲しい。ただ、恩愛われを去りヌを、去らぬと歌詞が聞こえるが、耳がおかしいのかな?
北帰行は退学以前より構内で歌われていたということはありません。宇田さんは旅順高校を退学後。奉天の農業大学の学長だった父の家に行くまでの一週間、市内の旅館に宿泊しました。その時作った歌が「北帰行」です。別れの日。同級生五十人がにわかに覚えたこの歌あをバス停で歌って見送りました。最後の旅高6回生髙木
Camila Ciupakさん、こんにちは。貴重なコメントを有難うございます。6回生の方々にとられましては入学後短期間のうちに、軍の招集、終戦時の混乱で大変だったことでしょう。 この歌は「官立旅順高等学校創立四十年史」によれば、おっしゃるとおり放校時に作成されたとの記事があり、本人もそのように述べられていますが、別にインターネットの[旧制高校寮歌物語](33)名曲「北帰行」の真実 には又別の話が載っていましたのでこのような説明にした訳ですが、はたして真実は?。
貴重なコメントありがとうございます。この歌が旅順高の校歌だけしか知りませんでした。中身はもっと濃いものであることを改めて知りました。「りゅうしゅん」ってのが中国名ですよね。歴史が好きでハルピンの731部隊を見に行って来ました。
貴重な情報に感謝。退学処分になった宇田さんが作った歌を、なぜ旅高の友人たちが知っているのか、疑問だった。
僕は中学時代に授業のクラス歌として、担任の先生が音楽の時間に良く歌ってました。小林旭さんの歌唱だったと思います。懐かしいです曲ですね。
小林旭さんが歌ってヒットした「北帰行」の原典はこの曲だったんですね。格調ある名曲、いつまでも歌い継がれてもらいたいです。
哀愁漂う、なぜか懐かしい歌ですね。私は、新制高校卒ですが、高校時代仲の良かったHとよく歌っていた。Hはストレートで京大に合格、私は浪人の敗残者。あのときは、北帰行の歌詞が胸に沁みたね。
河田直樹君 ほほー、そんなことがあったのですな。Hさんはどうしていらっしゃいますかね。今が良ければ、これでいいのだ!
@@大のりたま殿、そんなことがあったんですよ。ところで、H君、ほんとに、いまは何してるんでしょうかね?私はと言えば、いま、誰かさんのおかげで幸せ一杯の毎日ですよ!のりたま君‼️
@@河田直樹-o4t 君 おー。
@@大のりたま君、おおー、ってどういう意味?
@@河田直樹-o4t 君 ん?気になる?感嘆みたいな。合ってる?笑良いこというね~って素直に言うべきでした。ありがと。
中学生の時、担任の先生が教えてくれました。そして、小林旭の持ち歌と思っていました。夢叶わぬ青年が東京を離れる歌と思っていました。旅順高校があったこと、知りませんでした。この歌い方、心に残ります。私もこの歌い方、練習します。
素晴らし
涙が流れるのはなぜか?
歌には其々の歴史が有りますね。
昔の儘の節回しがいいと思います。森進一さんもこの節回しだったと思います。よく聴きました。有難うございました。お気に入りに保存させていただきました。宇田さんが「俺の葬式には この歌を流すだけでいい」と言われたとか。最高の気分で 天国に行かれたでしょうね。
コメント有難うございます。メロディーは「旅順高等学校創立四十年史」に出ている楽譜に準じています。(3番の3行目を除いて)
僕が小学生のころにきいていたのは 小林旭さんのものでした。こんな伝統のある歌だったんですね 感動しました。
【悪い事をしたらバツが当たる】【お天道様が観ている】この言葉は日本の文化と聞いた思いがあります、勧善懲悪の心得を幾度となく聞かされていた事が彷彿されます。母を3歳で亡くし、父は海軍志願です、203高地(旅順)など記憶にあります。生育過程にあって、この思いに踏みとどまった事は何度も経験した思いがしますね。戦前戦後での疎開、食糧難を経験した事です、草根逞しく現在に至っています。母方の祖母は何時も用意していた物、「乾燥した出し昆布の細切れ」「乾燥したスルメの細切れ」があり会う度毎に”今生の別れ”として湯呑みに水を入れ酌み交わしましたね。その時の言葉が「悪い事スルメ」「よろ昆布(コンブ)」でした。
先人達の偉大な魂に触れられる詩…
55年前 家庭の事情により文系の某有名国立大学を中退し 近くの他県の有名国立大学理系学部を受験しました。合格間違い無しと確信して大学構内で張り出された合格者名簿を見にわざわざ汽車に乗って行きましたが自分の名前は其処に無く さー これからどうしよう?来年 再受験するか?諦めて 就職口を探すか?と絶望に打ちひしがれ 夜汽車に乗って家に帰りました。汽車の窓に吹き付ける吹雪を見ながら この北帰行を口ずさんでました。そんな青春の思い出の曲です。幸い 不合格覚悟で受験した地元の当時の二期校の理系学部には合格。その後 他の同年代の若者に較べたら多大の苦労と勉学をして古稀半ばの現在は 自分では理想的とも思える老後を楽しんでおります。ときどき この歌を聴いて 若き日の挫折を懐かしんでおる次第です。
原作者と相通ずるものが感じられますが、いずれも将来の希望を捨てずに邁進されたのですね。旅高は関東軍管理の下におかれ、校則も厳しかったのでしょうが女友達と映画を観た位で退学とは、作者にも反骨精神が旺盛だったのではないでしょうか。退校後は再度一高に挑戦し、東大を経てTBSに入社となっています。
TAK SI ボレロボレロ
高間一郎 と
b
ばch
いい歌ですね、北帰行は私が中学生の時、小林旭さんの映画で知って感動したの、覚えています、その前に歌われていたの知りませんでした
どくとるマンボウ青春記はバイブルだったウチの高校は旧制中学の流れを汲んでて、寮歌の殆どを今でも歌える
「問題を見てピクリンサン脇の下にはアセチレンどうかスコンク、クレゾール」というのは、読売新聞の「編集手帳」が引用していました。
始めて由来を知りました、旅順高等学校ってのが凄い歴史ですね
旅順港を見下ろす所、其処は203高地、日本の兵隊さんが命を捧げた所です。私は当時5才ぐらいの時(1939)、203高地記念碑の台座から旅順港を見た想いが蘇ります、歌の音色に想いを巡らせています。♫ 広瀬中佐 ♪ の……杉野は何処、杉野は何処……の歌詞が頭を過ぎりました。
図らずも同年代を発見😊同じ歌を同じムードで味わいましたね。オレ間もなく90歳、癌ですがUA-camで昔の歌を発見すると楽しいです。Fチョコさんは傘寿か、卒寿の一つ前か。引き続きご健勝を祈ります。
@@theyobo4613 思わずニヤリの感ですね、癌だってこの歳になりゃ持ち合わせ十分ですね、病院の梯子を、お医者ん共仲良しになっています。先生から来年も宜しくとのご挨拶を頂きました。(笑)
お元気のご様子、何よりです。この歳になると亡くなっても誰も驚かないし😅それよりお互いユーチューブなど使って一応ボケてないのが最高の幸せだと思います。ボケ防止のためご自愛専一に願い上げます。
@@theyobo4613 90の声に後はもう一山100ですね、私は100を目指し満願就図と行きたいところですね。ふと、♪「チンライ節」♫ の一節 ♫ 〜クヨクヨ シナイ アルヨ〜が過ぎりました。(笑)
傘寿から卒寿は近いけど、次の白寿は遠い😅ところでユーチューブの昔の歌のうち、北帰行のほか琵琶湖周航や赤トンボや冬景色や我は海の子が好きで、気に入った歌唱にはよくコメント書いています。お目に止まったら返信入れて下さい。こういう古い歌はわれわれだけが真に理解できるような気がします。 人は畑に麦を踏む げに小春日ののどけしや 返り咲きの花も見ゆ最近のレベルでは「何で麦を踏むの?」とか「冬なのになぜ小春日なの?」とか。
父親は満州の鞍山の軍事郵便所に勤務していた現地招集で長春へ応召し終戦で武装放棄し満鉄沿いに徒歩で鞍山まで帰り数年間の抑留の後復員船で佐世保へ帰国した。本人は満州建国大学若しくは旅順高等学校へ進学する夢を持っていたようだが終戦ですべてを失い失意のうちに帰国したのです。
武装解除でした
やはり旧制高校には独特の雰囲気がありますね。私の祖父は鹿児島出身ですが大連一中から旅順工業大学を卒業して鉄道省に入省して朝鮮鉄道の技師だったそうです。私の初恋の女性の祖父も旅順工大の出身だったそうで縁を感じて今でも仲良くしています。旅順高等学校と旅順工大の関係は分かりませんが内地にはないロマンと同時に哀愁を感じるのは私だけでしょうかね?戦後無理やり633を押し付けられたことに作為を感じます。
へえ、これが原曲ですか。原曲・素朴→ボニージャックス・洗練→小林旭・放逸。原曲は準寮歌の扱いだけど高等遊民的な他寮歌の中でひときわ異彩。公認されなかったのは当然でしょうね。ボニージャックス版はいかにも歌声喫茶。寮歌の括りを抜きにすれば小林旭版が作者の心情に一番合っているかもしれない。実際、作者・宇田博さんは小林旭さんの歌を非常に気に入っていたそう。
商業的な理由から二番目の歌詞は歌われないのでしょうが、この歌詞を外してしまうとこの歌の根底にある青春の蹉跌と嘆きが消えてしまいますね。本当の歌詞がわかって益々この歌が好きになりました。
5番 全部を歌うのが、作詞、作曲の、宇田博さんへの礼儀であろう。好きな女性とデートした理由だけで、旧制旅順高校を退学処分に成った。5番まで全部を歌ってこそ、作者の本意が理解出来る。いつの時代も、校則が、いい加減な物かも理解出来るはず。女学校の運動会を見学に行っただけで、停学処分も有った旧制中学など。皆さん、学校の校則の全てを納得していましたか? 才気溢れ、器の大きい人物は、時として型に填まらない筈です。 この歌を、緑咲 香澄さんが、歌う事で、宇田 博 氏の本意をより深く、歌い揚げている。他の歌手では不可能であろう。
三番の……富も名誉も〜〜恩愛我をさりぬ……悔恨と苦悩が滲み出ている想いがしますね。
ガールフレンドと映画を一緒に見に行った程度で、この歌の作者は、旅順高校を、退学処分とは、時代の差と言え、何か虚しい。
@@ghtsastigs 北帰行(S16年)とあり、この年に佐世保、山手国民学校(1年生)入学でした、また、この年、12月8日大東亜戦争勃発です。高台にあった学校でしたのでカメラ所持不審者の報告など注意がありました、また、2年生からは手旗信号訓練から順次モールス信号の授業との事でした。物覚えの悪い私は必死の思いだった記憶がありますね、しかし、S18年の暮れ父はラバウルに出兵、私達家族は父の田舎(福岡・田川)に疎開した様な時代背景でしたね。
満州国の歴史の勉強中でこの地の歌だったことがわかりました!大好きな曲でハーモニカのレパートリーの一つです。そんな国に今は中国人愛妻と暮らしています…‥
戦争放棄した方々も命がけだったんですね。父は自衛隊の教官でしたけど北帰行を良く歌ってました❣️
初めて聞きました、涙
情緒を得させて頂きました
もう60年近く前になる安保の頃、寮歌集にあり良く歌った。曲は微妙に違ったが、旅順高校とは知らなかった。どうもありがとう。
Pass Kuragariさん、こんばんは。コメント有難うございます。このような歌は多かれ少なかれ、歌う人により異なることが多いですね。
@Pass Kuragari さん私も昔、無茶苦茶な寮生活を経験しました。昔のバンカラ風の寮、懐かしいですね。もう誰も二度と経験できない寮生活です。割合最近まで京大の寮を残すか残さないか揉めていたような気がしますが・・・・
@@tak-si (、
@@tak-si ?ま((ま、んむ、む、むむ。、ん、みをめもまわむ。まめもをむももみをむをむ(む
生まれ故郷は 満州だが、全く覚えがない...何しろ 生まれてすぐ日本に帰ったので
日本人って数学や物理や英語じゃ無く美しい日本の言葉を小学生からきちんと教えれば学力レベルは自然と上がると思う。
貴方に全く同感です、もうひとつ付け加えますと平がなの文字は毛筆の名残でしょうか心にしみてとても感動的で世界に自慢できます。
100%賛成です。
二千里のはてに棲む元日本人です。日本語ができなければ外国語もできません。
旧制高校は北杜夫の青春記でいたく感動した思い出がある。旧制松本高校時代の話を元にして「どくとるマンボウ青春記」という本に出した。文庫本を二三冊買って、友人に上げたな。旧制高校は昔、エリートたちの集まりだった。
岡山県には六高があり六高マンとして今も語り継がれています、
今の岡山大学ですが検事総長の吉永さんやアラビア石油の元社長の小長さんも出身です
旅順高等学校は旧制高等学校としては昭和15年開校の最後で、そして廃校が昭和20年と内地の高等学校より早く、わずか5年の短い間存在しただけだが、「北帰行」がその短い命に哀愁をを感じさせてくれる。
Haruyama Hiroki …
共産陣営に魂を売ったあの時点での米英の愚行愚かなり。
私の父も満州の鞍山に旧制中学を卒業後軍事郵便所に就職しました内地で、獣医になろうと高校を目指したらしいのですが
上手くゆかず満州の旅順高校を目指していたようですが終戦で帰国しました。
同感。もしもこの歌がなかったら、旅順高校などという名前はすぐに忘れ去られただろう。
60年くらい前は歌声喫茶が流行っていた、担任の教師指導で教室中に歌詞が貼ってあった。今見るとチョット変な所も有るがそれを含めて懐かしい。
知りませんでした、北帰行の北って言うのはそう言う意味があったなんて。そう言う背景が分って歌を聞き、歌詞を読めば…、感動もひとしおです。
小林彰のや巣っぽさではこの歌の心はつたわらない
昔の人は教養というものがあったなぁ・・・
今後永久に卒業生が増えることない学校ですね。それゆえ同窓生の結びつきは非常に強いと聞いています。
旅順は内地の高校より早く(昭和20年)閉校になり、当時は混乱の中で卒業式も無かったのでしょう。3年生が19歳だとすれば、今では94歳位ですね。
@@tak-si 此の歌は昔小林旭さんが歌っているのを聞いてしんみりと心打つ良い歌だなぁと思い良く歌いました。此の美しい歌にこの様な歴史があったとは貴方のコメントを拝読して初めて知りました貴重なお話し有り難う御座いました失礼します
@@真秀國乃 さん、コメント有難うございます。うたごえ喫茶等で歌われていたものを、この歌の由来はおろか作者も分からないうちに、小林旭が歌って全国に広まりました。一部で流行っていても全国的なメディアに乗らなければ消えていく運命にあり、知る人ぞ知る歌となってしまうのかもしれません。元歌とのニュアンスは異なっていてもこのように歌う継がれているものが他にも色々とありますね。
私の父親も旧制中学から高校へ行きたかったそうですがそれもならず終戦間際の昭和20年3月に鞍山の軍事郵便所へ就職しました。 それこそ終戦直前に現地招集を受け長春に行き終戦で武装解除にあい長春から鞍山まで満州鉄道沿いに歩いて帰りました、それらの話を聞きたかったのですが私が退職して引っ越し荷物を自宅へ搬送中に危篤となりその夜亡くなりました。転勤族で40年間、岡山県内の駐在所勤務で父親とじっくり話をする機会がなく、杉本まさとさんの吾亦紅そのものでした。父親の13回忌の昨年母親も亡くなりました。
バンカラに憧れ規律に抗して叱責され退学処分とは欧州的な学校だな。旧制中学・高校でのバンカラは当たり前で大物も多く輩出したのだが。金持ちの子弟が受験技術で優等になってからのエリート学校は能力も低下してきたのではないか?寮歌に郷愁を感じる者としては悩ましい現代。
規律が厳しいのは「欧州的」というより最後の官立旧制高校として戦時下に作られた学校だからでしょう。1939年第2次世界大戦勃発、1940年旅順高校開校、1941年太平洋戦争開戦。バンカラを許す伝統も余裕もない。推察するに関東軍も多くの教官を送り込んでいたのでは。
この歌詞は素晴らしいですね。若い人たちのも聞かせてあげたい。理解出来ないでしょうが。
北帰行が旅順高の校歌とは知らなかった。若い頃聴いたボニージャックスの垢抜けた歌声を思い出す。歴史の中に消えて行こうとしている。
確か、作者 宇田 博さんは一高に入り直し、東大仏文を出てTBSの常務になられたと記憶しています。著作も数冊はあります。
父は満鉄の社員、満鉄は技術者を優遇した。満州で旅順工大を目指した中学生の望みは敗戦により一朝の夢と消えた。
心にのこりますね。2023-5-28 MT
佐賀西ですきつい時にきいています
此の歌を歌ってる女性は存じません(失礼乍ら)矢張り、此の北帰行の歌は小林旭氏の方が私的には大好きです❤️💐💯🎶
アンニョンハセヨがお気に入り? 韓鶴子!
題名を見た瞬間「北帰行殺人事件」(西村京太郎)を思い出しました。作中に「北帰行」という歌が出てくるのですが、それも歌詞入れ替えのメロディー同じなんかなぁ、とか思いながら、拝聴させて頂きました。
一度人の声で聴いみたいですね。
美しい言葉に触れることは大事
赤いトラクターの人の歌だと思っていたw
この思い、シンクロして欲しい。この歌詞おかしいでしょうか?涙出ます。
こんな歌詞 曲が作れるなんて
歌詞にも曲にも異同がいろいろありますね
旅順高OBの歌では,歌詞曲ともに幾らか差異があるようですが、小林旭が歌ったものは歌謡曲風にアレンジされて、詞も変えられていて、元歌の意味とは異なっているようですね。
たまには、こうした文語の歌詞の歌もいいもんだ!今じゃほとんど聞かないからね。
ケンダイ、一高、旅高。昭和四十二年頃九大では、歌われていた。
イントロのメロディがボニー・ジャックスとかの一般のとちがうのでこちらが正調なんでしょうね
この歌を最初に聞いたのはS22(1047)私の従兄、旅順帰りの大学生、旅順高校在学時に「宇田博」本人から聞いたと言っていました。宇田博は一高在学時に恩師の娘と恋仲になる、だけど彼は「共産主義」にかぶれていた、それ故に放逐され、旅順高へと転校「北帰行」の「北」は「ソ連」です、共産主義者の祖国、「日本人」「ソ連」の板挟みの苦衷を歌ったものです、歌詞の意味を噛みしめてみてください。彼は帰国後、転向して余生を全うした。
こんばんは。今までに無い新しい情報を有難うございます。
60年安保闘争の時、少しでも、日本の将来が【良い国】に成る様にとの思いから、機動隊員と乱闘に成ったが、特別な思想にかぶれて運動をした訳で無いのに、ノンポリから、『アカ』呼ばわりされた。 真剣に日本の将来を考え、二度と戦前の過ちを繰り返さない様にとの真剣一途の思いでの行動。 でも、体制はテコでも動かない虚無感を味わった。
小林明ではなく、小林旭さんです。
あ、そうでした。早速訂正します。有難うございました。
単純にどんな悪さをしたら退学になるのかなあ、信じ難い。
教官達の気分次第だろ!戦後、新制大学にも、けったいな教授が居たわ。イイ論文が書けたら、その講座の教授に献上しないと、万年講師に干されてしまう。 ◆この歌は、五番全部を歌わないと、歌の心が伝わらない。歌手は、緑咲香澄さんが最適、最高だね。 ◆他の商業的歌手では、内容が別物に感じてしまうし、真意が伝わりにくい。 ◆ましてや、五番の内の、番数を飛ばして歌うとは、作詞、作曲の 宇田 博 博 氏に 無礼で有ろう。
北高生ガンバ!
0:172:142:481:24
倍賞千恵子ヴァージョンと小林旭ヴァージョンを聴けないときに、次に考慮しそうなヴァージョン。
北帰行が満州国で読まれた歌とは知らなかった、
小林明さんのは知っていたがコチラが白黒写真のようで良い詞は難し
現代、高校に、古典 (古文) の授業が有るのだがなあ。
校歌だったんだ。
寮歌と聞いてますが
「旅高追われ」だから校歌ではなさそう。別のコメントによれば、宇田さんが退学処分になった後も数日間旅順に滞在して旅高の友人に歌って聞かせたものだとか。
緑咲香澄さんとはどういうかたなのですか。
実体の無い声だけのもの。いわゆる合成音声ですね。ウェブで検索すると色々説明が出ています。
السلام عليكم كيوخار شكرا من.ال.يابانasno?
湖畔の宿
建大って建国大学ってのが新京にあったんですね
言霊が文字にあるのは日本語のみ。
北朝鮮へ帰る歌と教えられたが❓、はて???。
はるのうみ
歌のコメントと脱線しますけれど、日本は中国に迷惑を掛けたのでしょうか?高校を設立したり、満洲(中国東北部)には開拓し不毛だった地域が活性化されました。また中国側のトモンから朝鮮側迄鉄橋を建設し、そこに鉄道を通し現在でも中国は使用しています。
違う民族の土地だからね。それを侵略という
♥️♥️♥️💐💐💐
負ける戦争を バカどもが とんこづいて やってしまったものだから 全てを 失ってしまった ーーー佐賀人
女声だが気品があり、演歌みたいに崩してないのがいい。歌詞はこれがオリジナルらしい。メロディーはオレの友人たちが歌っていたのと少し違う。追記すみません、ピンぼけのコメントだったかな?人工音声とか😅
こんにちは。このような寮歌の類いは10人集まって歌えば節回しの違うものが現れそれも多数派に引きずられてしまうようです。よくあったことですが旧制高校のOBが記念にレコードやテープに合唱を残そうとする際、節回しの合わないことがよくあり、「俺の方が正しいのだ」「お前の方は間違いだ」とひと悶着あったということが度々伝えられています。楽譜でなく口承で伝えられてきたものですから歌い易いように変わっても当然だとおもいます。各旧制高校の寮歌編集者の間でもこの問題は最後までついて回っていました。
@@tak-si さんありがとうございます。なるほど、楽譜なしの記憶頼りでは、そうなりそうですね。学友たちも宇田さんから耳で聞いて覚えたわけだし。
ひやくまんぽんのばら
都落ち?
D
ぬ
/
60年以上も昔に、大学を出たばかりの新人先生が「正調北帰行」として、中学生の我々に教えてくれました。(歌声喫茶で流行っている歌とともに。) 「さらば祖国、愛しき(人よor 人々よ)」とか「明日は希望の旅路」とか多少語句に違いは有りますが、大勢は変わり無し。「建大」は満州の建国大学。いつしか記憶から消えていたのですが、今回この歌声で大変懐かしく、先生の熱血漢でハンサムな顔も思い出した。 「UFOから降りた乗員」
北帰行のバックグランドを知りませんでした。歴史をしれば尚更涙が出ます。
名曲中の名曲です。
高校時代によく歌いました なんか哀愁のあるメロディーに惹かれ
毎日歌ってました 今聞いても当時の若い自分が甦り これからも
残りの人生を頑張れます 青春は2度ないですね 今は静春ですかね
BS11の八代亜紀の番組にゲスト出演した小林旭が歌っていたのを聞いて、オリジナルをここで聞いた。僕の母親は大連生まれでその兄(伯父)が旅順高校に在学していた。戦後は当然旅高はなくなり、伯父は昭和22年に日本に引き揚げ後、再び高等教育を受けたかったらしいが、引き揚げ者は生きて行くのが精いっぱいで、その思いはかなわなかった。40代で早死にした…。母は、この歌のいわれを知っていて、オリジナル歌詞で時々歌っていた。その母も昨年89歳で亡くなった。引揚者も戦争の犠牲者である。
突然の終戦により混乱の中で幕を閉じた旅順高ですが、最後の入学生の在校も4か月余りで、勉学の余裕は無かったのではないでしょうか。
何度も何度も何度も聴きました。こんな詩を書ける青年がいたんですね。
旧制高校の学生=(今の国立大学の一般教養課程)の学生の学力学識の高さは、物凄く、今の東大、京大の学生並みか、それ以上。
幼い頃満洲の話をよく聞いていて近くに旅順高等学校があると教わり、ずーとあこがれていました、しかし終戦になり全てがなくなり誠に残念だったことを今でも覚えています、緑咲香澄さんの北帰行、電子音工音楽だそうえすが、懐かしくて涙が出てくるような素晴らしい曲ですね。
学生い時代、寮の中でよく歌いました。
この年になると昔の歌は何が流れてきても目頭が重たくなるもんだが ♪北帰行♪ にはもうたまらんね、涙ボロボロだ。
御意!
「目頭が熱くなる」ですね。「瞼が重くなる」と一緒になっていませんか?
同感。
山県さんが何歳かわからないが、オレもいつの間にか「この歳」になった😅
北帰行と言う、何となくオセンチな気分で歌っていました。
旅順高の寮歌?、旅順と聞くと懐かしさがありますね、小林旭さんのCDを聴いています。
皆さんのコメントの中に感銘する想いが響き伝わるものがあり、人其々に定めを感じますね。
中学時の修学旅行に行かない事を引き換えに高校受験をさせてもらった事を感謝しています。
大学受験をとっくに諦めていた我が身には事務職に就いた事を今では天職に思えますね。
正直、母の愛情を知らない私は草根逞しく我が道を行くでしかなく、亡き母方の遠くからの支援に応えるべく過ごした事の様に思えます。
自分の一番大好きな歌です。今の若者には全くうけなく、又理解出来ないでしょうね。
佐賀西高等学校の生徒たちは学校行事で歌うので、みんな歌えますよ!
緑咲さんの歌唱がこの曲を一段と素晴らしいものにしているように思われます、有り難う御座います。
こんにちは。寮歌が好きですが歌う人が減っているのは寂しい限りです。
北帰行は、小林旭の映画の主題歌と思ってました。旅順高等学校の校歌と聞き、驚きです。それにしても歌詞とメロディは、素晴らしいですね。
戦争に負けなければ又は早期講和していれば、今もある旅順高校。歴史と漢詩と和歌を習ってから旅愁切々
TAK SI様、編集のご労苦に感謝いたします。巷では簡略された詞で歌われているようですが、オリジナルの格調にはくらぶべきもありません。これからも、どうぞご健勝にて。
こんばんは。コメント有難うございます。
詩の言葉の素直さ奥ゆかしさ。心が震える旋律そして歌い手の声が良い。何回でも歌いたい。
この歌はものの記事によっては、代表的な寮歌だとされるものもあれば、学校側から「退校処分生徒のものだから歌わないように」と言われたというものもあり、詳しくは知りません。学校内ではよく歌われていたようです。旧制各高等学校の同窓会OBの責任で代表歌を持ち寄って編纂された「日本寮歌集」(平成24年版)には、旅順の6曲中には何故か入っていません。
緑咲さんの声何度聞いても飽きない
今歌っているのは人が歌っているのではありません、電子音工学ですうね、
緑咲香澄て、何て読むのか、判らない。『ミドリサキ カスミ』ですか?正しい歌手名を教えて欲しい。@@倉本武文
小林旭さんの歌謡曲だと思っていました、こうしてきちんと漢字で書かれていると、とても良い歌詞ですね。きちんと伝えてくださりありがとう、皆さんのコメントもとても良いと思いました。
北帰行のうたには歴史あったんだ
胸が詰まる
いい歌です
小林旭のと、まるで違う。
インテリジェンスの違いで、小林旭に中身の無いただの芸人が受ける薄っぺらい歌い方。作者の宇田博の経歴を、裏に理解して歌い込めば、解釈評価も変わって来る。小林の編曲歌いブリは、大陸馬賊みたいだわ。
心に染みる歌と声です。変に歌謡化していない淡々とした歌声が、なんとも染みいります。昔の人間だけでしょうか。文語体の引き締まった歌詞がたまらない。
四、五番の歌詞の空しさ、寂莫感に胸打たれます。
なでこの様な歌が感じる本当に。有り難う。
素朴な節回しで放浪したくなるような感じです。
ありがとうございます。
また貴重な証言をありがとうございます。
長生きされてください。
初めて聴きました。本歌はこんな感じなんですね😃私達が歌声喫茶で歌ってた北帰行とメロデイも歌詞も少し違うけど、これが本当の歌なんですね😃
他の歌手が勝手に適当に番数を抜いて、適当に歌っているが、作詞作者の本意を理解していない。この女性歌手が歌うと、何とも言えない感動が沸き起こる、素晴らしい歌!永遠に歌い継がれて欲しい。ただ、恩愛われを去りヌを、去らぬと歌詞が聞こえるが、耳がおかしいのかな?
北帰行は退学以前より構内で歌われていたということはありません。宇田さんは旅順高校を退学後。奉天の農業大学の学長だった父の家に行くまでの一週間、市内の旅館に宿泊しました。その時作った歌が「北帰行」です。別れの日。同級生五十人がにわかに覚えたこの歌あをバス停で歌って見送りました。最後の旅高6回生髙木
Camila Ciupakさん、こんにちは。貴重なコメントを有難うございます。6回生の方々にとられましては入学後短期間のうちに、軍の招集、終戦時の混乱で大変だったことでしょう。
この歌は「官立旅順高等学校創立四十年史」によれば、おっしゃるとおり放校時に作成されたとの記事があり、本人もそのように述べられていますが、別にインターネットの[旧制高校寮歌物語](33)名曲「北帰行」の真実 には又別の話が載っていましたのでこのような説明にした訳ですが、はたして真実は?。
貴重なコメントありがとうございます。この歌が旅順高の校歌だけしか知りませんでした。中身はもっと濃いものであることを改めて知りました。「りゅうしゅん」ってのが中国名ですよね。歴史が好きでハルピンの731部隊を見に行って来ました。
貴重な情報に感謝。
退学処分になった宇田さんが作った歌を、なぜ旅高の友人たちが知っているのか、疑問だった。
僕は中学時代に授業のクラス歌として、担任の先生が音楽の時間に良く歌ってました。
小林旭さんの歌唱だったと思います。懐かしいです曲ですね。
小林旭さんが歌ってヒットした「北帰行」の原典はこの曲だったんですね。
格調ある名曲、いつまでも歌い継がれてもらいたいです。
哀愁漂う、なぜか懐かしい歌ですね。私は、新制高校卒ですが、高校時代仲の良かったHとよく歌っていた。Hはストレートで京大に合格、私は浪人の敗残者。あのときは、北帰行の歌詞が胸に沁みたね。
河田直樹君 ほほー、そんなことがあったのですな。
Hさんはどうしていらっしゃいますかね。今が良ければ、これでいいのだ!
@@大のりたま殿、そんなことがあったんですよ。ところで、H君、ほんとに、いまは何してるんでしょうかね?私はと言えば、いま、誰かさんのおかげで幸せ一杯の毎日ですよ!のりたま君‼️
@@河田直樹-o4t 君 おー。
@@大のりたま君、おおー、ってどういう意味?
@@河田直樹-o4t 君 ん?気になる?
感嘆みたいな。合ってる?笑
良いこというね~って素直に言うべきでした。ありがと。
中学生の時、担任の先生が教えてくれました。そして、小林旭の持ち歌と思っていました。夢叶わぬ青年が東京を離れる歌と思っていました。旅順高校があったこと、知りませんでした。この歌い方、心に残ります。私もこの歌い方、練習します。
素晴らし
涙が流れるのはなぜか?
歌には其々の歴史が有りますね。
昔の儘の節回しがいいと思います。森進一さんもこの節回しだったと思います。よく聴きました。有難うございました。お気に入りに保存させていただきました。宇田さんが「俺の葬式には この歌を流すだけでいい」と言われたとか。最高の気分で 天国に行かれたでしょうね。
コメント有難うございます。メロディーは「旅順高等学校創立四十年史」に出ている楽譜に準じています。(3番の3行目を除いて)
僕が小学生のころにきいていたのは 小林旭さんの
ものでした。こんな伝統のある歌だったんですね 感動しました。
【悪い事をしたらバツが当たる】【お天道様が観ている】この言葉は日本の文化と聞いた思いがあります、勧善懲悪の心得を幾度となく聞かされていた事が彷彿されます。
母を3歳で亡くし、父は海軍志願です、203高地(旅順)など記憶にあります。
生育過程にあって、この思いに踏みとどまった事は何度も経験した思いがしますね。
戦前戦後での疎開、食糧難を経験した事です、草根逞しく現在に至っています。
母方の祖母は何時も用意していた物、「乾燥した出し昆布の細切れ」「乾燥したスルメの細切れ」があり会う度毎に”今生の別れ”として湯呑みに水を入れ酌み交わしましたね。
その時の言葉が「悪い事スルメ」「よろ昆布(コンブ)」でした。
先人達の偉大な魂に触れられる詩…
55年前 家庭の事情により文系の某有名国立大学を中退し 近くの他県の有名国立大学理系学部を受験しました。合格間違い無しと確信して大学構内で張り出された合格者名簿を見にわざわざ汽車に乗って行きましたが自分の名前は其処に無く さー これからどうしよう?来年 再受験するか?諦めて 就職口を探すか?と絶望に打ちひしがれ 夜汽車に乗って家に帰りました。汽車の窓に吹き付ける吹雪を見ながら この北帰行を口ずさんでました。そんな青春の
思い出の曲です。幸い 不合格覚悟で受験した地元の当時の二期校の理系学部には合格。その後 他の同年代の若者に較べたら多大の苦労と勉学をして
古稀半ばの現在は 自分では理想的とも思える老後を楽しんでおります。ときどき この歌を聴いて 若き日の挫折を懐かしんでおる次第です。
原作者と相通ずるものが感じられますが、いずれも将来の希望を捨てずに邁進されたのですね。旅高は関東軍管理の下におかれ、校則も厳しかったのでしょうが女友達と映画を観た位で退学とは、作者にも反骨精神が旺盛だったのではないでしょうか。退校後は再度一高に挑戦し、東大を経てTBSに入社となっています。
TAK SI ボレロボレロ
高間一郎 と
b
ばch
いい歌ですね、北帰行は私が中学生の時、小林旭さんの映画で知って感動したの、覚えています、その前に歌われていたの知りませんでした
どくとるマンボウ青春記はバイブルだった
ウチの高校は旧制中学の流れを汲んでて、寮歌の殆どを今でも歌える
「問題を見てピクリンサン
脇の下にはアセチレン
どうかスコンク、クレゾール」
というのは、読売新聞の「編集手帳」が引用していました。
始めて由来を知りました、旅順高等学校ってのが凄い歴史ですね
旅順港を見下ろす所、其処は203高地、日本の兵隊さんが命を捧げた所です。
私は当時5才ぐらいの時(1939)、203高地記念碑の台座から旅順港を見た想いが蘇ります、歌の音色に想いを巡らせています。
♫ 広瀬中佐 ♪ の……杉野は何処、杉野は何処……の歌詞が頭を過ぎりました。
図らずも同年代を発見😊
同じ歌を同じムードで味わいましたね。
オレ間もなく90歳、癌ですがUA-camで昔の歌を発見すると楽しいです。
Fチョコさんは傘寿か、卒寿の一つ前か。引き続きご健勝を祈ります。
@@theyobo4613 思わずニヤリの感ですね、癌だってこの歳になりゃ持ち合わせ十分ですね、病院の梯子を、お医者ん共仲良しになっています。
先生から来年も宜しくとのご挨拶を頂きました。(笑)
お元気のご様子、何よりです。この歳になると亡くなっても誰も驚かないし😅
それよりお互いユーチューブなど使って一応ボケてないのが最高の幸せだと思います。ボケ防止のためご自愛専一に願い上げます。
@@theyobo4613 90の声に後はもう一山100ですね、私は100を目指し満願就図と行きたいところですね。
ふと、♪「チンライ節」♫ の一節 ♫ 〜クヨクヨ シナイ アルヨ〜が過ぎりました。(笑)
傘寿から卒寿は近いけど、次の白寿は遠い😅
ところでユーチューブの昔の歌のうち、北帰行のほか琵琶湖周航や赤トンボや冬景色や我は海の子が好きで、気に入った歌唱にはよくコメント書いています。お目に止まったら返信入れて下さい。
こういう古い歌はわれわれだけが真に理解できるような気がします。
人は畑に麦を踏む げに小春日ののどけしや 返り咲きの花も見ゆ
最近のレベルでは「何で麦を踏むの?」とか「冬なのになぜ小春日なの?」とか。
父親は満州の鞍山の軍事郵便所に勤務していた現地招集で長春へ応召し終戦で武装放棄し満鉄沿いに徒歩で鞍山まで帰り数年間の抑留の後復員船で佐世保へ帰国した。本人は満州建国大学若しくは旅順高等学校へ進学する夢を持っていたようだが終戦ですべてを失い失意のうちに帰国したのです。
武装解除でした
やはり旧制高校には独特の雰囲気がありますね。
私の祖父は鹿児島出身ですが大連一中から旅順工業大学を卒業して鉄道省に入省して朝鮮鉄道の技師だったそうです。私の初恋の女性の祖父も旅順工大の出身だったそうで縁を感じて今でも仲良くしています。
旅順高等学校と旅順工大の関係は分かりませんが内地にはないロマンと同時に哀愁を感じるのは私だけでしょうかね?
戦後無理やり633を押し付けられたことに作為を感じます。
へえ、これが原曲ですか。原曲・素朴→ボニージャックス・洗練→小林旭・放逸。原曲は準寮歌の扱いだけど高等遊民的な他寮歌の中でひときわ異彩。公認されなかったのは当然でしょうね。ボニージャックス版はいかにも歌声喫茶。寮歌の括りを抜きにすれば小林旭版が作者の心情に一番合っているかもしれない。実際、作者・宇田博さんは小林旭さんの歌を非常に気に入っていたそう。
商業的な理由から二番目の歌詞は歌われないのでしょうが、この歌詞を外してしまうとこの歌の根底にある青春の蹉跌と嘆きが消えてしまいますね。本当の歌詞がわかって益々この歌が好きになりました。
5番 全部を歌うのが、作詞、作曲の、宇田博さんへの礼儀であろう。好きな女性とデートした理由だけで、旧制旅順高校を退学処分に成った。5番まで全部を歌ってこそ、作者の本意が理解出来る。いつの時代も、校則が、いい加減な物かも理解出来るはず。女学校の運動会を見学に行っただけで、停学処分も有った旧制中学など。皆さん、学校の校則の全てを納得していましたか? 才気溢れ、器の大きい人物は、時として型に填まらない筈です。
この歌を、緑咲 香澄さんが、歌う事で、宇田 博 氏の本意をより深く、歌い揚げている。他の歌手では不可能であろう。
三番の……富も名誉も〜〜恩愛我をさりぬ……悔恨と苦悩が滲み出ている想いがしますね。
ガールフレンドと映画を一緒に見に行った程度で、この歌の作者は、旅順高校を、退学処分とは、時代の差と言え、何か虚しい。
@@ghtsastigs 北帰行(S16年)とあり、この年に佐世保、山手国民学校(1年生)入学でした、また、この年、12月8日大東亜戦争勃発です。
高台にあった学校でしたのでカメラ所持不審者の報告など注意がありました、また、2年生からは手旗信号訓練から順次モールス信号の授業との事でした。
物覚えの悪い私は必死の思いだった記憶がありますね、しかし、S18年の暮れ父はラバウルに出兵、私達家族は父の田舎(福岡・田川)に疎開した様な時代背景でしたね。
満州国の歴史の勉強中でこの地の歌だったことがわかりました!大好きな曲でハーモニカのレパートリーの一つです。
そんな国に今は中国人愛妻と暮らしています…‥
戦争放棄した方々も命がけだったんですね。父は自衛隊の教官でしたけど北帰行を良く歌ってました❣️
初めて聞きました、涙
情緒を得させて頂きました
もう60年近く前になる安保の頃、寮歌集にあり良く歌った。曲は微妙に違ったが、旅順高校とは知らなかった。どうもありがとう。
Pass Kuragariさん、こんばんは。コメント有難うございます。このような歌は多かれ少なかれ、歌う人により異なることが多いですね。
@Pass Kuragari さん
私も昔、無茶苦茶な寮生活を経験しました。昔のバンカラ風の寮、懐かしいですね。もう誰も二度と経験できない寮生活です。割合最近まで京大の寮を残すか残さないか揉めていたような気がしますが・・・・
@@tak-si (、
@@tak-si ?ま((ま、んむ、む、むむ。、ん、みをめもまわむ。まめもをむももみをむをむ(む
生まれ故郷は 満州だが、全く覚えがない...何しろ 生まれてすぐ日本に帰ったので
日本人って数学や物理や英語じゃ無く美しい日本の言葉を小学生からきちんと教えれば学力レベルは自然と上がると思う。
貴方に全く同感です、もうひとつ付け加えますと平がなの文字は毛筆の名残でしょうか心にしみてとても感動的で世界に自慢できます。
100%賛成です。
二千里のはてに棲む元日本人です。日本語ができなければ外国語もできません。
旧制高校は北杜夫の青春記でいたく感動した思い出がある。旧制松本高校時代の話を元にして「どくとるマンボウ青春記」という本に出した。文庫本を二三冊買って、友人に上げたな。旧制高校は昔、エリートたちの集まりだった。
岡山県には六高があり六高マンとして今も語り継がれています、
今の岡山大学ですが検事総長の吉永さんやアラビア石油の元社長の小長さんも出身です
旅順高等学校は旧制高等学校としては昭和15年開校の最後で、そして廃校が昭和20年と内地の高等学校より早く、わずか5年の短い間存在しただけだが、「北帰行」がその短い命に哀愁をを感じさせてくれる。
Haruyama Hiroki …
共産陣営に魂を売ったあの時点での米英の愚行愚かなり。
私の父も満州の鞍山に旧制中学を卒業後軍事郵便所に就職しました内地で、獣医になろうと高校を目指したらしいのですが
上手くゆかず満州の旅順高校を目指していたようですが終戦で帰国しました。
同感。
もしもこの歌がなかったら、旅順高校などという名前はすぐに忘れ去られただろう。
60年くらい前は歌声喫茶が流行っていた、担任の教師指導で教室中に歌詞が貼ってあった。今見るとチョット変な所も有るがそれを含めて懐かしい。
知りませんでした、北帰行の北って言うのはそう言う意味があったなんて。
そう言う背景が分って歌を聞き、歌詞を読めば…、感動もひとしおです。
小林彰のや巣っぽさではこの歌の心はつたわらない
昔の人は教養というものがあったなぁ・・・
今後永久に卒業生が増えることない学校ですね。それゆえ同窓生の結びつきは非常に強いと聞いています。
旅順は内地の高校より早く(昭和20年)閉校になり、当時は混乱の中で卒業式も無かったのでしょう。3年生が19歳だとすれば、今では94歳位ですね。
@@tak-si 此の歌は昔小林旭さんが歌っているのを聞いてしんみりと心打つ良い歌だなぁと思い良く歌いました。此の美しい歌にこの様な歴史があったとは貴方のコメントを拝読して初めて知りました貴重なお話し有り難う御座いました失礼します
@@真秀國乃 さん、コメント有難うございます。うたごえ喫茶等で歌われていたものを、この歌の由来はおろか作者も分からないうちに、小林旭が歌って全国に広まりました。一部で流行っていても全国的なメディアに乗らなければ消えていく運命にあり、知る人ぞ知る歌となってしまうのかもしれません。元歌とのニュアンスは異なっていてもこのように歌う継がれているものが他にも色々とありますね。
私の父親も旧制中学から高校へ行きたかったそうですがそれもならず終戦間際の昭和20年3月に鞍山の軍事郵便所へ就職しました。 それこそ終戦直前に現地招集を受け長春に行き終戦で武装解除にあい長春から鞍山まで満州鉄道沿いに歩いて帰りました、それらの話を聞きたかったのですが
私が退職して引っ越し荷物を自宅へ搬送中に危篤となりその夜亡くなりました。転勤族で40年間、岡山県内の駐在所勤務で父親とじっくり話をする機会がなく、杉本まさとさんの吾亦紅そのものでした。父親の13回忌の昨年母親も亡くなりました。
バンカラに憧れ規律に抗して叱責され退学処分とは欧州的な学校だな。
旧制中学・高校でのバンカラは当たり前で大物も多く輩出したのだが。
金持ちの子弟が受験技術で優等になってからのエリート学校は能力も低下してきたのではないか?
寮歌に郷愁を感じる者としては悩ましい現代。
規律が厳しいのは「欧州的」というより最後の官立旧制高校として戦時下に作られた学校だからでしょう。1939年第2次世界大戦勃発、1940年旅順高校開校、1941年太平洋戦争開戦。バンカラを許す伝統も余裕もない。推察するに関東軍も多くの教官を送り込んでいたのでは。
この歌詞は素晴らしいですね。若い人たちのも聞かせてあげたい。理解出来ないでしょうが。
北帰行が旅順高の校歌とは知らなかった。若い頃聴いたボニージャックスの垢抜けた歌声を思い出す。歴史の中に消えて行こうとしている。
確か、作者 宇田 博さんは一高に入り直し、東大仏文を出てTBSの常務になられたと記憶しています。著作も数冊はあります。
父は満鉄の社員、満鉄は技術者を優遇した。満州で旅順工大を目指した中学生の望みは敗戦により一朝の夢と消えた。
心にのこりますね。2023-5-28 MT
佐賀西です
きつい時にきいています
此の歌を歌ってる女性は存じません(失礼乍ら)矢張り、此の北帰行の歌は
小林旭氏の方が私的には
大好きです❤️💐💯🎶
アンニョンハセヨがお気に入り? 韓鶴子!
題名を見た瞬間「北帰行殺人事件」(西村京太郎)を思い出しました。作中に「北帰行」という歌が出てくるのですが、それも歌詞入れ替えのメロディー同じなんかなぁ、とか思いながら、拝聴させて頂きました。
一度人の声で聴いみたいですね。
美しい言葉に触れることは大事
赤いトラクターの人の歌だと思っていたw
この思い、シンクロして欲しい。この歌詞おかしいでしょうか?涙出ます。
こんな歌詞 曲が作れるなんて
歌詞にも曲にも異同がいろいろありますね
旅順高OBの歌では,歌詞曲ともに幾らか差異があるようですが、小林旭が歌ったものは歌謡曲風にアレンジされて、詞も変えられていて、元歌の意味とは異なっているようですね。
たまには、こうした文語の歌詞の歌もいいもんだ!
今じゃほとんど聞かないからね。
ケンダイ、一高、旅高。昭和四十二年頃九大では、歌われていた。
イントロのメロディがボニー・ジャックスとかの一般のとちがうのでこちらが正調なんでしょうね
この歌を最初に聞いたのはS22(1047)私の従兄、旅順帰りの大学生、旅順高校在学時に「宇田博」本人から聞いたと言っていました。宇田博は一高在学時に恩師の娘と恋仲になる、だけど彼は「共産主義」にかぶれていた、それ故に放逐され、旅順高へと転校
「北帰行」の「北」は「ソ連」です、共産主義者の祖国、「日本人」「ソ連」の板挟みの苦衷を歌ったものです、歌詞の意味を噛みしめてみてください。
彼は帰国後、転向して余生を全うした。
こんばんは。今までに無い新しい情報を有難うございます。
60年安保闘争の時、少しでも、日本の将来が【良い国】に成る様にとの思いから、機動隊員と乱闘に成ったが、特別な思想にかぶれて運動をした訳で無いのに、ノンポリから、『アカ』呼ばわりされた。 真剣に日本の将来を考え、二度と戦前の過ちを繰り返さない様にとの真剣一途の思いでの行動。 でも、体制はテコでも動かない虚無感を味わった。
小林明ではなく、小林旭さんです。
あ、そうでした。早速訂正します。有難うございました。
単純にどんな悪さをしたら退学になるのかなあ、信じ難い。
教官達の気分次第だろ!戦後、新制大学にも、けったいな教授が居たわ。イイ論文が書けたら、その講座の教授に献上しないと、万年講師に干されてしまう。 ◆この歌は、五番全部を歌わないと、歌の心が伝わらない。歌手は、緑咲香澄さんが最適、最高だね。 ◆他の商業的歌手では、内容が別物に感じてしまうし、真意が伝わりにくい。 ◆ましてや、五番の内の、番数を飛ばして歌うとは、作詞、作曲の 宇田 博 博 氏に 無礼で有ろう。
北高生ガンバ!
0:17
2:14
2:48
1:24
倍賞千恵子ヴァージョンと小林旭ヴァージョンを聴けないときに、次に考慮しそうなヴァージョン。
北帰行が満州国で読まれた歌とは知らなかった、
小林明さんのは知っていたがコチラが白黒写真のようで良い
詞は難し
現代、高校に、古典 (古文) の授業が有るのだがなあ。
校歌だったんだ。
寮歌と聞いてますが
「旅高追われ」だから校歌ではなさそう。
別のコメントによれば、宇田さんが退学処分になった後も数日間旅順に滞在して旅高の友人に歌って聞かせたものだとか。
緑咲香澄さんとはどういうかたなのですか。
実体の無い声だけのもの。いわゆる合成音声ですね。ウェブで検索すると色々説明が出ています。
السلام عليكم كيوخار شكرا من.ال.يابانasno?
湖畔の宿
建大って建国大学ってのが新京にあったんですね
言霊が文字にあるのは日本語のみ。
北朝鮮へ帰る歌と教えられたが❓、はて???。
はるのうみ
歌のコメントと脱線しますけれど、日本は中国に迷惑を掛けたのでしょうか?高校を設立したり、満洲(中国東北部)には開拓し不毛だった地域が活性化されました。また中国側のトモンから朝鮮側迄鉄橋を建設し、そこに鉄道を通し現在でも中国は使用しています。
違う民族の土地だからね。それを侵略という
♥️♥️♥️💐💐💐
負ける戦争を バカどもが とんこづいて やってしまったものだから 全てを 失ってしまった ーーー佐賀人
女声だが気品があり、演歌みたいに崩してないのがいい。
歌詞はこれがオリジナルらしい。メロディーはオレの友人たちが歌っていたのと少し違う。
追記
すみません、ピンぼけのコメントだったかな?
人工音声とか😅
こんにちは。このような寮歌の類いは10人集まって歌えば節回しの違うものが現れそれも多数派に引きずられてしまうようです。よくあったことですが旧制高校のOBが記念にレコードやテープに合唱を残そうとする際、節回しの合わないことがよくあり、「俺の方が正しいのだ」「お前の方は間違いだ」とひと悶着あったということが度々伝えられています。楽譜でなく口承で伝えられてきたものですから歌い易いように変わっても当然だとおもいます。各旧制高校の寮歌編集者の間でもこの問題は最後までついて回っていました。
@@tak-si さん
ありがとうございます。なるほど、楽譜なしの記憶頼りでは、そうなりそうですね。
学友たちも宇田さんから耳で聞いて覚えたわけだし。
ひやくまんぽんのばら
都落ち?
D
ぬ
/