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1989年のジャパンカップを見た時からのファンです。ワールドレコードで走るホーリックスをオグリキャップだけが追いかける姿、自分の前に他馬がいることなど許さん!と諦めずに走る姿に、今も惚れています。あんなに勝利への渇望を見せた馬はいないと思います。
今でも一番大好きな馬です!子供の頃に、テレビでですがリアルタイムで引退レースのオグリコールを見られたことは本当に幸運だったと思います素敵な動画をありがとうございます
オグリキャップをそのまま解説すると、現実にいた馬なのに漫画の主人公のようなありえない存在になってしまう不具合
私は、競馬はしないんですが、オグリキャップは特別!あとにも先にも、こんなに素晴らしい馬は、出てこない!
【この動画を制作するにあたって】僕は小さい頃から祖父に競馬場に連れて行ってもらい競馬が大好きでした。小学生であるにもかかわらず、好きなゲームは『ギャロップレーサー』という、ませた小学生でした。でも、あの時夢中になったギャロップレーサー以上の面白さを感じたゲームは今もありません。恐らくそこから将来、『ジョッキーになってみたい』という気持ちが出てきたのでしょう。しかし、実際にジョッキーになるには体重制限など一般人が簡単に踏み入れる職種ではなく、諦めました。中学生になった僕は野球部に入りましたが、とてもきつく部活というものに対して嫌気がさしました。高校生では、部活をやらないことを決め、帰宅部で友達と遊んでいましたが、何か物足りなさを感じ、ある日乗馬をしてみよう!とふと思いました。体験乗馬でどっぷり馬に乗ることにハマった僕は、親の了承も受け、乗馬をはじめました。小さい頃から『馬に乗りたい』という気持ちがあったので、とてもとても楽しかったです。大学でも馬に乗ることを続けたい!と思い。僕は馬術部のある大学を選びました。馬術部で馬と触れ合い、馬術というスポーツの厳しさと楽しさを知りましたが大学四年の時、主将となってコーチと上手くいかず部活をやめてしまいました。その時、僕は部活には合わない性格をしているんだなと感じました。そしてこの『部活』という組織は社会に出たら『会社』という組織に名前が変わるだけなんじゃないか?そう思いました。だからもし会社に入ったらまた、中学・大学の二の前になってしまうと思ったんです。ということもあって、大学を卒業した僕は個人事業主として筋トレ・運動が好きだったことからパーソナルトレーナーをはじめました。さらにそのついでにTiktok、UA-camでの発信を始めてみて。現在ではそれらのSNSで生活をしています。色々自分の過去を振り返ったり自分のことを分析してみたりすると『競馬』は自分の人生の中で大きなキーとなっています。そしてこれからの人生を考えてみた時、やっぱり自分ならではのことをやりたいし自分でしかできなそうなことをやりたいので『誰もがジョッキーになることができるフィットネスクラブ』を作りたいと思いました。これは、小さい頃に自分がジョッキーになりたいと思ったことが大きい動機であってさらにパーソナルトレーナーをしていた時、運動をしていた大人の人たちはとても生き生きして楽しそうで、運動は何か人生を豊かにすると勝手に思っているからです。笑運動をしながら、自分がジョッキーになれるフィットネスクラブ。面白そうじゃないですか?18台くらい競走馬の模型を並べて大きなモニターかVRゴーグルをつけてあたかも競走馬・名馬に乗ったような感じでどんな人でもジョッキーになり、楽しく運動することができるんです。もちろんこれは理想・妄想の話なので、そんな簡単に実現するとは思っていません。だからこそ。その夢を叶えるために、長々となりましたが今。『競馬』というものをテーマに発信活動・動画制作をしています。今は、到底力不足ですが。発信を続けながら自分自身も会社経営などに対する知識を増やして力をつけいつか、そのフィットネスクラブをオープンすると皆さんにお伝えできることを目標に頑張っていきます。長文失礼しました。これからも応援してくれると嬉しいです。
動画自体はよく出来てるが、自分は岐阜は順地元なんでオグリの笠松時代からよく知ってます。オグリの動画は他にも多数ありますが、その中の情報だけで作成した感が否めません。もっとオグリに興味をもって自分の言葉でオグリを語ってもらいたい。
ディープインパクトが一番の印象ですねー
この動画に出てくるプールの様子の動画はオグリ自身ですか?だとしたらどの番組、動画から引用したのか教えてもらえるとありがたいです
ダメだ、この馬の生い立ちに関しては何度見ても何を見ても涙が出てしまうわ結果は脳裏に焼き付けられてるんだけどな勲章の数だけではその価値は計れない典型まあ、クラッシックに出れたら総ナメしてもおかしくない実力と相手関係ですがね
リアルタイムでオグリキャップを応援していた者としては、次の3つのポイントが抜けているのが少々残念です。というか、最近TVとかでもオグリキャップを回想する番組とかあっても、それを語らないのが不思議なのですが・・・。①笠松の小栗氏から佐橋氏へのトレード逸話。小栗氏には、オグリキャップを譲ってくれ、もしくは中央の馬主資格を取ってオグリキャップを連れてきてくれという声がたくさんあったそうです。しかし小栗氏には、東海ダービーを始め笠松一の馬を作ることが夢だったので、全くその気はなかったのですが、佐橋氏の「世界のオグリキャップにしませんか」という言葉に、「オグリキャップにはそんなに可能性があるのか・・・」と感じ、佐橋氏への売却を決意したそうです。②なぜ、マイルCS→JCという無茶な連闘を強いられたのか。5歳の春シーズンを走れなかった上に、勝てると思った秋天を、不利もあって負けてしまったため、新馬主の近藤氏がトレードマネーを回収するためとか言われています。そのため、突然のムチャブリに応えたオグリに対して、マイルCSの表彰式で南井騎手の涙にも感動させられました。(逆に、表彰式での近藤氏への拍手はまばらだったとか・・・)そしてそんな連闘でも見せたJCでの2分22秒2の世界レコード(2着)。大川アナの「オグリキャップ頑張れ!」の実況は、全国民の声だと言っても過言ではありませんでした。③世界への挑戦6歳も現役を続けたのは世界挑戦の話があったからで、安田記念にも騎乗した武豊騎手を背に、アメリカのアーリントンミリオンに挑戦する予定でした。実際、安田記念を当時のレコードをはるかに超えるタイムで完勝したとき、佐橋氏の語った「世界のオグリキャップ」になれるのではという期待も高まりました。しかし、アメリカ行きを考えれば無理に使う必要が無かったのでは?と言われた宝塚記念で負けたことで(ケガの発覚もあり)渡米は白紙。その後も順調さを欠き、天皇賞秋はぶっつけで臨まざるを得ず・・・。若い競馬ファンは、オグリキャップの「笠松から来て中央のエリートを負かした」「感動のラストランを飾った」という最初と最後しか知らない人も多くいるように思えて、そのことを考えれば、この動画は大変素晴らしくよくできているのですが、欲を言えば上の3つのエピソードも加えて欲しかったなあと思った次第です。でも、とてもいい動画でしたので、高評価を押させていただきました。
天皇賞(秋)とジャパンカップで惨敗した後、最後の有馬記念の前は近藤オーナーのところに脅迫状らしいのも来てたらしいですよ。後に近藤オーナーが言ってたけど有馬記念で負けるような事があれば日本には居られないと言ってましたね。
爪の回復の遅い馬で、使い詰めは良くなかった調教駆けするし、ポン使いでレコード叩き出す馬だから大事に使ってたらなあとは思うよ
初めて恋した馬がオグリキャップでした。オグリキャップが引退して競馬を観ることはなかったです。2019年アーモンド アイのレースを たまたま観て30年振りに馬に恋をしました。ありがとうオグリキャップ✨ありがとうアーモンドアイ✨大好きです♪
いつかでいいんでトウカイテイオーもよろしくお願いします
1990年の宝塚記念を勝ったのはオサイチジョージで、メジロライアンはその翌年ですよ(笑)
1989年のジャパンカップを見た時からのファンです。
ワールドレコードで走るホーリックスをオグリキャップだけが追いかける姿、自分の前に他馬がいることなど許さん!と諦めずに走る姿に、今も惚れています。
あんなに勝利への渇望を見せた馬はいないと思います。
今でも一番大好きな馬です!
子供の頃に、テレビでですがリアルタイムで引退レースのオグリコールを見られたことは本当に幸運だったと思います
素敵な動画をありがとうございます
オグリキャップをそのまま解説すると、現実にいた馬なのに漫画の主人公のようなありえない存在になってしまう不具合
私は、競馬はしないんですが、オグリキャップは特別!あとにも先にも、こんなに素晴らしい馬は、出てこない!
【この動画を制作するにあたって】
僕は小さい頃から祖父に競馬場に連れて行ってもらい競馬が大好きでした。
小学生であるにもかかわらず、
好きなゲームは『ギャロップレーサー』という、ませた小学生でした。
でも、あの時夢中になったギャロップレーサー以上の面白さを感じたゲームは今もありません。
恐らくそこから将来、『ジョッキーになってみたい』という気持ちが出てきたのでしょう。
しかし、実際にジョッキーになるには体重制限など一般人が簡単に踏み入れる職種ではなく、諦めました。
中学生になった僕は野球部に入りましたが、
とてもきつく部活というものに対して嫌気がさしました。
高校生では、部活をやらないことを決め、帰宅部で友達と遊んでいましたが、何か物足りなさを感じ、ある日乗馬をしてみよう!とふと思いました。
体験乗馬でどっぷり馬に乗ることにハマった僕は、親の了承も受け、乗馬をはじめました。
小さい頃から『馬に乗りたい』という気持ちがあったので、とてもとても楽しかったです。
大学でも馬に乗ることを続けたい!と思い。僕は馬術部のある大学を選びました。
馬術部で馬と触れ合い、馬術というスポーツの厳しさと楽しさを知りましたが
大学四年の時、主将となってコーチと上手くいかず部活をやめてしまいました。
その時、僕は部活には合わない性格をしているんだなと感じました。
そしてこの『部活』という組織は社会に出たら
『会社』という組織に名前が変わるだけなんじゃないか?
そう思いました。だからもし会社に入ったらまた、中学・大学の二の前になってしまうと思ったんです。
ということもあって、大学を卒業した僕は個人事業主として
筋トレ・運動が好きだったことから
パーソナルトレーナーをはじめました。さらにそのついでに
Tiktok、UA-camでの発信を始めてみて。現在ではそれらのSNSで生活をしています。
色々自分の過去を振り返ったり自分のことを分析してみたりすると
『競馬』は自分の人生の中で大きなキーとなっています。
そしてこれからの人生を考えてみた時、
やっぱり自分ならではのことをやりたいし
自分でしかできなそうなことをやりたいので
『誰もがジョッキーになることができるフィットネスクラブ』
を作りたいと思いました。
これは、小さい頃に自分がジョッキーになりたいと思ったことが大きい動機であって
さらにパーソナルトレーナーをしていた時、運動をしていた大人の人たちは
とても生き生きして楽しそうで、運動は何か人生を豊かにすると勝手に思っているからです。笑
運動をしながら、自分がジョッキーになれるフィットネスクラブ。面白そうじゃないですか?
18台くらい競走馬の模型を並べて大きなモニターか
VRゴーグルをつけてあたかも競走馬・名馬に乗ったような感じで
どんな人でもジョッキーになり、楽しく運動することができるんです。
もちろんこれは理想・妄想の話なので、そんな簡単に実現するとは思っていません。
だからこそ。その夢を叶えるために、長々となりましたが今。
『競馬』というものをテーマに発信活動・動画制作をしています。
今は、到底力不足ですが。発信を続けながら
自分自身も会社経営などに対する知識を増やして力をつけ
いつか、そのフィットネスクラブをオープンすると
皆さんにお伝えできることを目標に頑張っていきます。
長文失礼しました。
これからも応援してくれると嬉しいです。
動画自体はよく出来てるが、自分は岐阜は順地元なんでオグリの笠松時代からよく知ってます。オグリの動画は他にも多数ありますが、その中の情報だけで作成した感が否めません。もっとオグリに興味をもって自分の言葉でオグリを語ってもらいたい。
ディープインパクトが一番の印象ですねー
この動画に出てくるプールの様子の動画はオグリ自身ですか?だとしたらどの番組、動画から引用したのか教えてもらえるとありがたいです
ダメだ、この馬の生い立ちに関しては何度見ても何を見ても涙が出てしまうわ
結果は脳裏に焼き付けられてるんだけどな
勲章の数だけではその価値は計れない典型
まあ、クラッシックに出れたら総ナメしてもおかしくない実力と相手関係ですがね
リアルタイムでオグリキャップを応援していた者としては、次の3つのポイントが抜けているのが少々残念です。
というか、最近TVとかでもオグリキャップを回想する番組とかあっても、それを語らないのが不思議なのですが・・・。
①笠松の小栗氏から佐橋氏へのトレード逸話。
小栗氏には、オグリキャップを譲ってくれ、もしくは中央の馬主資格を取ってオグリキャップを連れてきてくれという声がたくさんあったそうです。
しかし小栗氏には、東海ダービーを始め笠松一の馬を作ることが夢だったので、全くその気はなかったのですが、佐橋氏の「世界のオグリキャップにしませんか」という言葉に、「オグリキャップにはそんなに可能性があるのか・・・」と感じ、佐橋氏への売却を決意したそうです。
②なぜ、マイルCS→JCという無茶な連闘を強いられたのか。
5歳の春シーズンを走れなかった上に、勝てると思った秋天を、不利もあって負けてしまったため、新馬主の近藤氏がトレードマネーを回収するためとか言われています。
そのため、突然のムチャブリに応えたオグリに対して、マイルCSの表彰式で南井騎手の涙にも感動させられました。(逆に、表彰式での近藤氏への拍手はまばらだったとか・・・)
そしてそんな連闘でも見せたJCでの2分22秒2の世界レコード(2着)。大川アナの「オグリキャップ頑張れ!」の実況は、全国民の声だと言っても過言ではありませんでした。
③世界への挑戦
6歳も現役を続けたのは世界挑戦の話があったからで、安田記念にも騎乗した武豊騎手を背に、アメリカのアーリントンミリオンに挑戦する予定でした。実際、安田記念を当時のレコードをはるかに超えるタイムで完勝したとき、佐橋氏の語った「世界のオグリキャップ」になれるのではという期待も高まりました。
しかし、アメリカ行きを考えれば無理に使う必要が無かったのでは?と言われた宝塚記念で負けたことで(ケガの発覚もあり)渡米は白紙。その後も順調さを欠き、天皇賞秋はぶっつけで臨まざるを得ず・・・。
若い競馬ファンは、オグリキャップの「笠松から来て中央のエリートを負かした」「感動のラストランを飾った」という最初と最後しか知らない人も多くいるように思えて、そのことを考えれば、この動画は大変素晴らしくよくできているのですが、欲を言えば上の3つのエピソードも加えて欲しかったなあと思った次第です。
でも、とてもいい動画でしたので、高評価を押させていただきました。
天皇賞(秋)とジャパンカップで惨敗した後、最後の有馬記念の前は近藤オーナーのところに脅迫状らしいのも来てたらしいですよ。後に近藤オーナーが言ってたけど有馬記念で負けるような事があれば日本には居られないと言ってましたね。
爪の回復の遅い馬で、使い詰めは良くなかった
調教駆けするし、ポン使いでレコード叩き出す馬だから
大事に使ってたらなあとは思うよ
初めて恋した馬がオグリキャップでした。
オグリキャップが引退して競馬を観ることはなかったです。
2019年アーモンド アイのレースを たまたま観て30年振りに馬に恋をしました。
ありがとうオグリキャップ✨
ありがとうアーモンドアイ✨
大好きです♪
いつかでいいんでトウカイテイオーもよろしくお願いします
1990年の宝塚記念を勝ったのはオサイチジョージで、メジロライアンはその翌年ですよ(笑)