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【訂正】読み 山城(やましろ)尾崎藩 → 尼崎藩有岡城(丹波) → 八上城ご指摘いただきありがとうございます。お詫びとともに訂正いたします。
篠山は読みが「しのやま」ではなく、「ささやま」ですので、ついでに訂正を・・・ 丹波篠山青山家5万石ですね。
有岡城は伊丹市にあるからね。
非常に有益で面白かったです。山や河川などの地形が国や藩の分かれにどのように影響したのか、文化的な断絶があったのか、重ねてもらえると面白いです。
伊賀上野、名張は言葉からすると関西弁尾鷲地域は大阪和歌山、名古屋からも遠いからまだ行ったことがない箕面出身なので摂津国の復活を希望します
世界史だとこういう地域の領土変遷のコンテンツあるのに、日本史だと見つからなかったから本当にありがたい、、!
昔の大阪府は面積は47位で46位は香川県でしたが大阪府の沿岸を埋め立て為に面積が増えた為に47位から46位になりました。47位に香川県になりました。
三重の尾鷲熊野あたりの言葉ってかなり独特。
こうしてみると和歌山の衰退が半端ない....
江戸時代、伊勢の鈴鹿の白子には和歌山藩の山田屋敷(代官屋敷)があった。白子は伊勢型紙で栄えた土地柄。さらに古くは呉(高句麗?)から連れて来られた漢織媛が織物を伝えたと伝承され白子の伊勢の森に鎮座する久留真神社(和歌山藩に上地されて山田代官屋敷となり、現在地に遷座)
熊野が和歌山から三重に移管されたのは不思議ですね(^_^;)
その昔、古代シュメール文明を興したシュメール人は自らの国をキエンキと呼んだ。その後、東の果てに移動したら彼らは自らの国を、近畿と呼んだ。
9:31 三田は「さんだ」ですね
こんにちは摂津国民です
「近畿」は律令国の首都圏の五畿(山城、大和、河内、摂津、和泉)に隣接する国を指すなので本来なら丹後、但馬、志摩は近畿には含まれない
丹後は丹波から分国。志摩は伊勢から分国(伊賀も伊勢から分国)したというもので、そこから鑑みれば近畿の定義に当てはまるものですがね。
播州3大城は姫路城(和)・白鳥城(洋)・白龍城(中)
3:16 スマンが、京都県はワロタ💦
現状は「府」をつけるほど重要な行政じゃないから県でもよいけどな。
昔の東京都は東京府だった今でも出生戸籍では高齢者の中には「東京府」生まれの人は居る
@@松尾健治-b2i 長崎府とかもあったんだよ。
@@yuriel-w3t 今は昔、破綻寸前のクソ自治体。
でも丹波や丹後は京都県がふさわしいけどね。
淡路国は表石高は6~7万石。江戸時代~廃藩置県迄徳島蜂須賀藩に属し蜂須賀小六の義弟、稲田氏が須本(洲本)に城代として統治した。稲田氏は徳島蜂須賀藩の筆頭家老として淡路国と脇町(うだつの街)を領して1万数千石の知行を有した。豊臣政権下で義兄の蜂須賀小六と共に功績があり稲田氏にも大名への打診がありましたが、義兄、蜂須賀小六への義理と信義を貫き、大出世の大名打診を断わった。↑の話などから徳島蜂須賀藩は稲田氏を重用した。但し、徳島藩に稲田藩が有る様な無い様なあやふやさや、本藩士らから稲田家臣団が蔑まれ差別的な扱いを受け続けた事等が後に廃藩置県に絡み、淡路国分離、立藩キャンペーン~最後の切腹裁定に至った庚午事変(徳島藩御家騒動)に繋がったところで、淡路産の米は全国有数の旨い上等米として高値で取引された。しかし、徳島(四国地方)は土地がイマイチでパサパサした不味い米しか採れず20万石余もありながら換金率は悪くひょっとしたら大阪の米相場取引所で、淡路の6万石と徳島の20万石余は同じ値段か淡路産がさらに上を行ったかも?
懇切なコメント参考になりました養宜館は(城やなくて守護所跡ですが)一度見学してみたいものです
関西一括りでも藩が違えば言葉使いも違う。
中央構造線断層帯の以南がやっぱりなんも期待出来ないな
【訂正】
読み 山城(やましろ)
尾崎藩 → 尼崎藩
有岡城(丹波) → 八上城
ご指摘いただきありがとうございます。
お詫びとともに訂正いたします。
篠山は読みが「しのやま」ではなく、「ささやま」ですので、ついでに訂正を・・・ 丹波篠山青山家5万石ですね。
有岡城は伊丹市にあるからね。
非常に有益で面白かったです。山や河川などの地形が国や藩の分かれにどのように影響したのか、文化的な断絶があったのか、重ねてもらえると面白いです。
伊賀上野、名張は言葉からすると関西弁
尾鷲地域は大阪和歌山、名古屋からも遠いからまだ行ったことがない
箕面出身なので摂津国の復活を希望します
世界史だとこういう地域の領土変遷のコンテンツあるのに、日本史だと見つからなかったから本当にありがたい、、!
昔の大阪府は面積は47位で46位は香川県でしたが大阪府の沿岸を埋め立て為に面積が増えた為に47位から46位になりました。47位に香川県になりました。
三重の尾鷲熊野あたりの言葉ってかなり独特。
こうしてみると和歌山の衰退が半端ない....
江戸時代、伊勢の
鈴鹿の白子には
和歌山藩の山田屋敷(代官屋敷)があった。
白子は伊勢型紙で栄えた土地柄。
さらに古くは
呉(高句麗?)から連れて来られた
漢織媛が織物を伝えたと伝承され
白子の伊勢の森に鎮座する
久留真神社(和歌山藩に上地されて山田代官屋敷となり、
現在地に遷座)
熊野が和歌山から三重に移管されたのは不思議ですね(^_^;)
その昔、古代シュメール文明を興したシュメール人は自らの国をキエンキと呼んだ。
その後、東の果てに移動したら彼らは自らの国を、近畿と呼んだ。
9:31 三田は「さんだ」ですね
こんにちは
摂津国民です
「近畿」は律令国の首都圏の五畿(山城、大和、河内、摂津、和泉)に隣接する国を指す
なので本来なら丹後、但馬、志摩は近畿には含まれない
丹後は丹波から分国。志摩は伊勢から分国(伊賀も伊勢から分国)したというもので、そこから鑑みれば近畿の定義に当てはまるものですがね。
播州3大城は姫路城(和)・白鳥城(洋)・白龍城(中)
3:16 スマンが、京都県はワロタ💦
現状は「府」をつけるほど重要な行政じゃないから県でもよいけどな。
昔の東京都は東京府だった
今でも出生戸籍では高齢者の中には「東京府」生まれの人は居る
@@松尾健治-b2i 長崎府とかもあったんだよ。
@@yuriel-w3t 今は昔、破綻寸前のクソ自治体。
でも丹波や丹後は京都県がふさわしいけどね。
淡路国は
表石高は6~7万石。
江戸時代~廃藩置県迄
徳島蜂須賀藩に属し
蜂須賀小六の義弟、
稲田氏が須本(洲本)に城代として統治した。
稲田氏は徳島蜂須賀藩の筆頭家老として
淡路国と脇町(うだつの街)を領して
1万数千石の知行を有した。
豊臣政権下で義兄の蜂須賀小六と共に功績があり
稲田氏にも大名への打診がありましたが、
義兄、蜂須賀小六への義理と信義を貫き、
大出世の大名打診を断わった。
↑の話などから
徳島蜂須賀藩は
稲田氏を重用した。
但し、徳島藩に稲田藩が有る様な無い様なあやふやさや、
本藩士らから稲田家臣団が蔑まれ差別的な扱いを受け続けた事等が後に
廃藩置県に絡み、
淡路国分離、立藩キャンペーン~
最後の切腹裁定に至った庚午事変(徳島藩御家騒動)に繋がった
ところで、
淡路産の米は
全国有数の旨い上等米として
高値で取引された。
しかし、徳島(四国地方)は土地がイマイチでパサパサした不味い米しか採れず
20万石余もありながら
換金率は悪く
ひょっとしたら
大阪の米相場取引所で、
淡路の6万石と徳島の20万石余は同じ値段か淡路産がさらに上を行ったかも?
懇切なコメント参考になりました
養宜館は(城やなくて守護所跡ですが)一度見学してみたいものです
関西一括りでも藩が違えば言葉使いも違う。
中央構造線断層帯の以南がやっぱりなんも期待出来ないな