藤原京の中軸線を歩く② コスモスが美しい藤原宮跡
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- Опубліковано 17 жов 2024
- 【藤原京の中軸線を歩く】シリーズ2回目はコスモスが咲き誇る藤原宮跡を歩きます。
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ブログ「梅前佐紀子の古代妄想日記」
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梅前佐紀子・著 「皓月 皇極・斉明天皇物語」全3巻
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梅前です。動画の中で大極殿を「たいごくでん」と言っていますが、正しくは「だいごくでん」です。ご指摘ありがとうございました。
驚きました。昨年14.15日に、私も藤原京のコスモス巡りをしてました。いつも楽しませていただいてます。ありがとうございます。
あの日にいらしてたんですね! もしかしたらすれ違っていたかもしれませんね。すごくきれいなコスモスでしたね。不思議なご縁を感じます。
一面の草っぱらでしたね。なんとなく懐かしいです。
昔の話で恐縮ですが、学校の遠足で出かけた1972年当時の平城宮跡を思い出します。
>学校の遠足で出かけた1972年当時の平城宮跡を思い出します。
平城宮跡に遠足に行かれたんですね。その当時はまだ何もなかったでしょうね。様々な建物が復元されている今の状況から見れば、ある意味、夢のような光景だったのではと想像します。
すがすがしい風景ですねぇ。コスモスも綺麗ですねぇ。心が洗われるようです。ちょっと、石神遺跡が気になりますね。まさか、このあたりに石神神社が、あったのでは。でも位置的にはどうでしょうかねえ。ちょっと近すぎますかねえ。石上神宮ではないとはおもっているのですが
ありがとうございます。石神遺跡の「石神」は、その場所の小字名です。ちなみに水落遺跡の「水落」も、小字名からきています。水時計があるとわかる前からそういう小字だったなんて、地名というのは本当に「文字の遺跡」なのだと感じます。
ありがとうございます!
いつもありがとうございます。感謝です!
前回の動画、お決まりの〇〇〇で終わってどうなるのかと心配しておりましが
さすが、すぐ本業の解説が始まりホッとしました。
左側醍醐池、右側藤原京、の道、以前よく仕事で通りました。
車の通行量が意外に多いですよね。
おっしゃる通り、春になると桜、もとてもきれいですよ。
現在の藤原京、ただの原っぱですが、梅前さんが説明していただきながら見る景色は、楽しいですね。
平城京の再建された大極殿や朱雀門を想像しながら見ておりました。
次回の動画も楽しみにしております!
おっしゃる通り、何もない原っぱに想像をふくらませるのが古代史の醍醐味ですよね。平城京のように壮大に復元するのもありとは思いますが、藤原京のような柱列だけの再現というのも、想像力がより働かせられていいと思います。(復元してしまうと、新たな発見があったときに取り返しがつかないですものね)
いつも飛鳥京や藤原京を歩いた日々を思い出して動画を拝見しています。
また行こうと思います。
ところでUA-cam の中で昔の面白いアニメを見つけました。
「よみがえる藤原京 Street Fighter 2 Return to The the Fujiwara Capital」というタイトルです。
一度検索してください。
私は何度も見ております。
ご存知なら申し訳ございません。
これからも応援しております。
ご紹介ありがとうございます♪
面白そうですね! 見てみます(^-^)
史跡めぐりをしていると、秋にコスモスを見たり、春に桜を見たり、夏に蓮の花が咲いているのを見たり、風流な気分になれます。史跡はポイント毎にしか訪れていなかったので、次回以降、さらに楽しみです。
その季節によっていろいろな風景が楽しめますよね。史跡はどんな天気でも(たとえ雨でも!)楽しいです。次回以降もよろしくお願いいたします♪
安倍文殊院の桜も綺麗です🌸
阿倍文殊院の桜、見てみたいです♪
梅前センセイ、藤原京跡の動画配信ありがとうございます。
明日香村の飛鳥京跡の次に橿原市に入り藤原京跡を見てきたことを思い出しました。太極殿跡には“持統天皇文武天皇藤原京跡”の石碑があり感動しました。動画にも映ってますが“藤原京跡”の制札板はお日様が当たって影が写って撮影に苦慮しましたよ(笑)
次回も楽しみにしてます。
飛鳥宮跡とセットにするのも楽しいですね!
どれくらい離れているか実感できますし、新しい都への期待がどれほどのものだったかわかるかもしれません。
次回以降もよろしくお願いします♪
いつも情報ありがとうございます。NHKでは藤原京は中国の漢の時代に書かれた”周礼”という本を参考にして九×九のマス目の真ん中に宮殿を作り周りに街を作ったが、実際には中国はこのような構造の都はないことがわかり、さらに下りの勾配が宮殿の方にあるために四方から汚水等が流れ、衛生状態が劣悪になったため、藤原京が捨てられたという説でした。でもこの動画を見るとまだいろいろ説があるのですね。11月に橿原神宮に4泊しましたが、藤原京には行けませんでした。(耳成山と畝山にはのぼり、以前登った香久山と
合わせて大和三山は制覇?しました)
そうなんです。おっしゃる通り、中央に宮があるのは儒教の経典「周礼」考工記にある「理想の都」の形なのですが、古代中国にその形の都が築かれた形跡はありません。なので、そうした「理想の都」を大和三山の中央に造るため、あの場所が選地されたと思われますが、いかんせん水はけが悪すぎましたね。
大和三山制覇されたんですね! 私は香久山しか登ったことがないんです。ぜひ登らねば。
梅前佐紀子さんと迷子になって、飛鳥路をフラフラ歩くのも楽しいかと思っています。
いろいろあって、まっすぐに、進まないのが、楽しいです。
迷子になるのも楽しいです!(負け惜しみじゃありません。はい、決して(笑))
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