【日本記録】鈴木啓示の思い出のホームラン!いやらしさ全開!ノムさんに打たれた屈辱のホームラン!
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- Опубліковано 7 вер 2024
- 本日のトークテーマは
・鈴木啓示の思い出のホームラン
・いやらしさ全開
・ノムさんに打たれた屈辱のホームラン
・
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オープニング及びエンディング写真提供:報知新聞
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#掛布雅之 #プロ野球 #
560本のホームランを打たれていても3000もの三振も取っている
四球も少ない。バッターと勝負した証ですね
やっぱりカッコいいわ。近鉄の選手はカッコいい。
球団が無くなった時はほんと悲しかった。
鈴木さん 話が上手い🎉🎉🎉
鈴木さんは饒舌
鈴木さんは関西弁全開のほうがトークおもろいな。本領発揮だね。
野村克也さんとの逸話は楽しいですね。
安藤さんの時も感じましたが鈴木さんの記憶力も素晴らしいですね。
この頃のパリーグ暴露面白いですね。アイドルでなく侍が多かったな💪
本当にサムライと呼ばれる選手は
昭和に多かった
70年代のパリーグは凄いエース級が凌ぎを削ってました。鈴木、山田、東尾、村田など。鈴木さんはパワーピッチャーから技巧派にモデルチェンジして結局300勝以上の勝ち星を挙げた。全盛期はメジャーで十分通用した投手です。
鈴木さんが、300勝てたのは、あのパリーグの名監督西本幸雄さんのおかげでしょうね、西本さんが、近鉄に来て二年目の1975年春の阪神とのオープン戦鈴木さんは阪神打線に捕まりKO!それをみた西本さんは、相手の阪神山本和投手を指さし「スズっ、ちょっとはあっちの若いピッチャーを見習え!」と怒鳴った。怒ったスズキさんは、その夜阪神吉田監督に電話で「わしを阪神にとってください」と直談判したが断られた。西本さんは、その後も「スズっ、技巧派に変われ!」鈴木さんがどんなに、反発しようが毎日、毎日言ってくる。ついに根負けし、「このオッサン、ホンマにわしのこと、よう見とる、この人の言う通りやってみよか」となった。西本さんが来る前、159勝、来てから158勝、合わせて317勝だ。西本さんが来なければ200何勝ぐらいで終わってたかもしれん。
鈴木啓示さんの次は落合博満さんとの対談を期待します
貴重な話をありがとうございます!お元気なうちに聞けて嬉しいです!今にも通じる話があって凄い!今選手でも大投手になっていたでしょうね。
掛布さんが昭和パシフィックレジェンドとこうして歴史を残してくださる奇跡
感謝しかありません
藤井寺日生西京極西宮大阪
もうほとんど消えてしまった中で
甲子園のスターが知らない
あの時代のパシフィック
まだまだ引き出して欲しいです
日生・西宮・大阪・・・懐かしいなぁ。
おまえーとかノリノリやんw
聞き上手やなー
打たれた本塁打560本は世界新記録🎉、無四(死)球試合78は今も破られてない日本記録🇯🇵
鈴木啓示が阪神に入団していれば
その後の阪神、近鉄の野茂、吉井はどうなっていたのだろうか?
歴史が変わっていたのだろうな
それにしても野村さんとのエピソードはおもしろい
さすが野村克也
ほぼ啓示はんが投げとるw
しかも中継ぎばりに先発をwww
さすがやなw
私が聞きたいのは、チャチャーが梨田昌孝さんでなくて、なぜ有田修三さんが専属キャチャーだったのか知りたいですね。
また、鈴木啓示さんは、有田修三さんがいいと指名が出来るわがままが通ったのでしょうかね⁉️
鈴木さんが、有田さんを指名した理由はとにかく強気、大御所に向かって「ようこんな、ヘナチョコ球で300も勝てましたなあ、」とか歯に衣着せぬことを平気で言うらしい。しかしそれがオレにはあうんだよなあ、と、梨田さんは優しすぎるから、ちょっとなあ、、、と仰ってる。それもそうだが、捕手というのは、ある意味地味なポジション、打てなくてもよいと言われてるがこの二人は共に通算本塁打100本以上を記録している、近鉄というチームある意味凄い、まあ、一人で657本も打ったここでの主役、ノムさんも居るが。
78無四球試合、340完投、4,600イニング…今の過保護すぎるピッチャー達…想像してみてください。桁違いすぎるでしょ…。若い時投げまくってます。克己心と自己管理の賜物。
この人がいなければメジャーリーガー野茂は誕生しなかったかもしれない。ある意味パイオニア。
鈴木さんはめちゃくちゃ凄いのにジミな扱いは
パ・リーグ、近鉄だけでなく、
日本シリーズでの活躍、日本一がなかった事だと思います。
先発投手での288勝は日本一だからね、
鈴木啓示さん、完全な戦艦大和型のピッチャーで、日本シリーズで先発リリーフが出来ないタイプでしたね。日本シリーズで、先発、リリーフとこなせたピッチャーは、松岡弘さん、東尾修さん、工藤公康さんだと思いますね。
日本シリーズ。1979年は完封・1失点敗戦、1980年は2完投勝利。かなりの活躍だけど、両年とも第7戦は抑えていない。それで印象に残らないのかな。
三原さんはエースを潰すイメージでしたが、こき使われて、よく潰れませんでした。
弱い近鉄でよく20勝されました。
レジェンド級の人の裏話は本当に面白い。
ただ、当時はウェスタン7球団、イースタン5球団で鈴木さんが正しいですよ。6球団ずつになったのは、福岡にいたクラウンライターが西部に移動してからですね。
ノムさん全開ですね。
同時代の名選手が挙ってノムさんについて「ホンマ、酷いおっさんやった」って称してますからね
バッターとしても、キャッチャーとしても相手から嫌がられるという、ある種の1流選手の鏡みたいな人でしたから
中日から、南海に移籍した井上登さんと言う人は、ノムさんをこう評していた。「リードの野村とか、言われてたけどハッキリいって打つことしか考えてない自分勝手な人です。」クソミソやん(笑)
完投数が勝利数を上回ってるんだよね😮どんだけタフネス‼️
掛布さん 出来れば 池永元投手を呼んで欲しいです、ナンとか!お願いします・・・🙏
去年亡くなられました。
@@EE-gw1xq わざのご返答有り難うございました❗
鈴木さんは、監督は向いていない人
でしたね😂
野茂さんとの一件は、後に反省してましたが、、、まあ、年とった証拠
野茂さん可哀想やった👹
全盛期の野村さんとやりあってる頃の映像がNHKの野村さんの特集番組で少し出てましたが、後の背中を痛めたとかで軽い投げ方に変わる前の毎年速球を武器に順調にたくさん勝ってる頃が鈴木選手の全盛と思ったらどうも大間違い?で、投げ方が全然違ってまだもっとダイナミックで、それで腕が振り切れててて、、、球速では5キロとはいかなくても当時3,4キロは速い球が行ってるようにしか見えず、、 巨人の新浦投手がセリーグNo1と言われた頃のスピードガン表示が147から9,終盤(>当然皆完投前提で登板)には9はいかなくなり5が出て来るけれど前半にはなかなか落ちない、眼鏡をかけて足の上げ方がゆっくりに等投げ方が変わった堀内投手が平均して―1キロくらいでも149行く回数が少ないような差で終盤やはり前半にはならない位だったのが大体今の表示と同じ位か?(⇔その後江川投手らの時代になると妙に皆遅い表示が出ていた;)でまた、セパの速球投手どうし比べるとパリーグの投手の方が平均してもう少し速いと言われていた等々考えると、、この頃力を入れた時には150中盤近く出てたように、、(<考えてみたら、小松・槇原投手の頃でも投手のトレーニング方法自体そんなに変わらず、「水」飲むなだって一説に松阪世代まで?殆どの学校で相当長い事そのまんま;) その高卒新人の頃の”オールスター戦で投げられる球のうちに入らない”というカーブも実際は高校時代に対戦した江夏さんが”あんな球があったら”と思って帰った(後で監督にそう言ったら殴られた云々)という位の球で、、その後”研究して持ち球にした”というのが、野村さんが”小さい変化球に絶対の自信を持っていてそれを軸にどんどん攻めて来る”と書いてた”バックドア”ですか。なるほど、、
野村克也氏はとにかくやる事がセコい🤣…江夏氏にはオールスターでパ・リーグで3試合にまたぎ15奪三振連続で取られている時に、パ・リーグの四番打者なのにバット短く持って当てに行きセカンドゴロにして記録を防ぐ、鈴木氏や稲尾氏にはオールスターの時に捕手の立場を利用して色々聞き出し、後からシーズンの試合でそれを利用して打ちまくる…サイン盗みまくる、ささやく…無心の長嶋と大違い😅
選手として超一流
人間性チーム愛2〜3流
監督としては史上最低クラス
三原監督は選手をうまく使うタイプの監督やった👹おまえがゆうな👹
掛布さん。状態悪い選手の課題をメディアで指摘するのはいいのですが、状態良い選手の攻略法をメディアで晒すのはやめてほしいですね。木浪選手の攻略法をメディアで喋っていたのには、ちょっとガッカリしました。
自分のカーブの攻略法を自ら谷沢健一さんに教えた堀内恒夫さんの例もありますが、、、