勘太郎月夜唄(小畑 実)

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  • Опубліковано 24 січ 2025

КОМЕНТАРІ • 27

  • @作田泰博-o5u
    @作田泰博-o5u 6 років тому +5

    大昔、蓄音機で聞いていました、他にのらくろ2等兵、日の丸行進曲等、約20枚位レコード、もっとあったか、何枚か
    落して、割りましたね、祖母から大目玉、今聞くと、いい思い出です

  • @hitorijime7
    @hitorijime7 6 років тому +9

    勘太郎は水戸天狗党、勤皇討幕運動の仲間入りするというのと、歌詞3番の「菊は栄える、葵は枯れる・・・」とするところが検閲パスだったみたいで映画、歌とも戦時下でも流行ったみたいですね。
    戦後の集落の演芸会では青年団がこのレコードで踊り、寸劇を楽しませてくれました。小畑 実さんの甘い歌声は大好きでした。

  • @tk.6820
    @tk.6820 Рік тому

    小畑実さんは長谷川一夫さんの映画主題歌を沢山歌ってくださっていた。
    股旅姿で山並みの綺麗な景色‥をバックに歩くㇱ∼ン‥‥
    小畑実さんの歌声が流れ‥‥美しいシ∼ン
    でした。

  • @ジロー坂下
    @ジロー坂下 10 років тому +18

    敗戦濃厚な戦時下の日本でよくこんな名曲が生まれたと感心します。
    今でもこの曲の軽やかな調子の良さを思い出し、時々口ずさみます。

    • @0klz325
      @0klz325  10 років тому +7

      コメントありがとうございます。私もそのように思います。年配の知り合いが面白いことを言っていたことがあります、詳しいことは忘れましたが、何でも「貫太郎さんは、実は政府の要員で大本営の移転先を探しに伊那まで来た事を前提に作詞してあるから発売できたんだ」と云うことです、たぶん眉唾でしょうけど面白い話でした。

    • @yasuougaya4213
      @yasuougaya4213 7 років тому +3

      二郎坂下 P

  • @187thregiment
    @187thregiment 7 років тому +8

    戦時中、子供のころにこの歌をよく聞いたことがあります。昭和30年代、東京から大阪に仕事で出脹した時、定宿が四ツ橋の旅館でした。心斎橋で地下鉄を降りて宿に帰る時、いつも目に付いたのがの小畑歌手の愛人で、大阪でクラブを営む人の住居でした。その当時は彼の生活を羨ましく思いました。これも遠い昔の懐かしい思い出です。

    • @keijikita2726
      @keijikita2726 6 років тому +4

      奥さんは阪本紡績の令嬢でした。

  • @へきむやぐん
    @へきむやぐん 3 роки тому +3

    菊は栄える葵は.,、と言うのは大政奉還の事ですか⁉️意味深な歌ですね‼️

    • @afoolsuchasi
      @afoolsuchasi 5 місяців тому

      菊の御紋=天皇家、葵=徳川家。ですね。

  • @dourin6878
    @dourin6878 6 років тому +4

    さらっと歌われていたんですね。ひさし降りに聴いて、こういう曲だったのを改めて思い出しました。

  • @日野原進
    @日野原進 6 років тому +8

    この歌たまに聴きたくなります、オヤジを思い出す為に…

    • @Nよしあき
      @Nよしあき Рік тому

      自分の父親も良く口ずさんでいました。懐かしいですね。

  • @yokomiyazawa3386
    @yokomiyazawa3386 8 років тому +5

    やはり、昔の歌は、レコードで聞くのが好いですね。しみじみと、瞼が熱くなるほど、昔が恋しい。

  • @秋山輝一-z2q
    @秋山輝一-z2q 6 років тому +4

    勘太郎月夜唄・名月赤城山・一本刀土俵入…
    歳とるほどに、慚愧の思い出が襲ってくる。そんな時に、はだしで逃げたいほどの 嫌な思い出を追っ払うのに一番効くのが、わたしの場合、鼻歌で唄う股旅演歌…特に軽くて調子がイイこの唄。
    ナンマイダブナンマイダブよりよっぽど効き目があります。文化遺産ですよ。

  • @a725590163
    @a725590163 6 років тому +9

    元日本兵の横井さんが、捜索隊が流したこの唄が沁みた(そう言ったわけではないですが)と話していたのを思い出します。

  • @神-i8g
    @神-i8g Рік тому

    子供の頃、信州伊那のГ勘太朗まつり」に、私達は、見物に行った。露店が沢山出て賑やかだった。Г小畑実」さんの歌が,流れていた。先日、「伊那市役所観光課」に問い合わせをしたら、今年8月Г勘太朗まつり」を復活すると聞いた。勘太朗さんも喜んでいる…。

  • @Ueno-eh9mu
    @Ueno-eh9mu Рік тому +2

    此の「勘太郎月夜歌」は当時ヒットし一躍歌手 小畑 実さんが脚光を浴びた曲で「湯島の白梅」或いは「高原の駅よさようなら」等次々とヒットしましたネ♪

  • @a725590163
    @a725590163 9 років тому +8

    横井さんが、戦後の捜索隊がこの曲を流した時のことを語っていたのを思い出す。名曲です。

    • @0klz325
      @0klz325  9 років тому +2

      +725590163 a コメント有難うございます。何かほっとするような名曲ですね。

  • @tk.6820
    @tk.6820 9 місяців тому

    長谷川一夫様の股旅作品は最高に良いですね❤❤格好良い❤❤

  • @nisiati1katu
    @nisiati1katu 5 місяців тому +1

    幼児の頃、よく歌っていたと
    亡き母が言っていました。
    手前みそながら、上手だったそうです。
    小生の生まれ年の歌です。
    尚、今でもカラオケは月2位します。

  • @kpo1870
    @kpo1870 6 років тому +7

    1977年4月~5月に放送されたNHK「ドラマ人間模様」の「冬の桃」(早坂曉・脚本)で、戦争最末期、空襲で壊滅する直前の神戸の古ぼけたホテルで、そこを根城にしているおばはんコールガールの楠トシエが、やたらにこの歌のレコードを掛けまくっていた。うんざりしていた朋輩の三田佳子も終いにはカード占いをやりながら「かげーかやーなーぎーか」とついつい鼻歌で口ずさむというシーンが思い出される。特に幕府贔屓としては、3番の「菊は栄える葵は枯れる」が限りなく切ない。

  • @炒飯-w4h
    @炒飯-w4h 7 років тому +12

    すいません何回か会社で流したことあります。お願いだから消さないで。10年待ったんです。原曲聴かせたくて、俺らが歌うんじゃなく。UA-camなんて昔無かったから。精一杯覚えてうたいましたよ。でもやっぱ聴かせたいんですよ。思い出の曲を本当の歌い手の声で。その時の音で。

  • @keijikita2726
    @keijikita2726 6 років тому +2

    これが戦時下の歌だとは知りませんでしたし、勘太郎さんは博徒だと思ってました。皆さんのコメントも興味深いが、勘太郎さんが鈴木貫太郎さんだったという説は面白い。

    • @keijikita2726
      @keijikita2726 6 років тому +1

      @tanaami1421 大本営の移転先を貫太郎さんが伊那まで探しに来た話を基に、本歌は発売許可になったという説がありましたので。

    • @keijikita2726
      @keijikita2726 6 років тому +1

      @tanaami1421 二郎坂下さんのコメントにアップローダーのOKLZ32さんが眉唾話として紹介されています。本歌の持つあきらめに似た侠気に本当でもおかしくないと思いました。さしずめ葵はUSAかな?