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近くに住んでいた者です。増毛や留萌を通る度に不思議に思ってました。あと2キロほどで道路を繋げられ、林道を使えば200mで繋げられるのに勿体ないですよね。1983年に認定(86年番号整理し留萌北竜線に変更)されたましたが、元々需要がないことと費用対効果の薄さにより凍結されました。個人的な考察ですが、88年頃に道道549号峠下沼田線が改良され恵比島峠を越えることができ、国道233の美葉牛峠とバイパスが可能になったことも一因だと思います。また、同時期にチバベリ地区はダム建設の話が上がり集落は消滅し意義がなくなり、また北竜側の竜西地区も増毛経由で留萌に向かっても、時間はそれほど短縮せず、さらに深川留萌道も完成し益々必要性がなくなりました。ただし、開通するチャンスは実はありました。89年に恵岱別を起点とした道道1086号増毛当別線が認定され、暑寒別の山を抜け当別町青山まで繋げる壮大な計画がありました。しかし、国定公園で稀少な動植物が存在し、冬季通行止めと工事中断、莫大な時間と工費により94年に凍結されました。名残として、恵岱別ダムに4本の橋脚があります。1086号の工事が大きく進んだら工事車両のアクセスから始まり、開通していた可能性が高かったと思います。未完の道道は壮大な計画のものが多くてワクワクします(笑)😊
こちらのコメントで初めて知ったのですが、留萌本線廃止区間と並行していた恵比島峠の道道はあれでも改良されていたのですね。1981年の道路地図では確かにΩヘアピンを含む「七曲り」のようなつづら折りのダート道で「冬季閉鎖」と記載されていました。留萌本線とは途中4種踏切らしき平面交差もあったようで、Googleマップでもこの旧道は現在も表記がありますね。また、ゾヌさんが行くべき?候補として期待したいところです。石油沢~チバベリ~幌糠を結んでいた道道以前の小径(旧道)は、恵岱別~増毛(信砂)を結ぶ現道道と併せて、石狩国と留萌国(日本海側)とを結ぶ貴重な道の役割を果たしていた感がありますね。これらの道を介して、増毛からは海産物、留萌からは加工品や石炭なども運ばれていたのではと推察されます。「道道1086号増毛当別線」の計画も初耳でしたが、全通していたら雨竜沼湿原への短絡道の役割も果たし、道内屈指の観光道路になっていたでしょうね。
@@Su----さん考察の通りです。昔は留萌~沼田地区は炭鉱が栄えており、留萌は道内屈指の貿易港、増毛も海産物と第2の留萌港として賑わってました。雄冬岬が開通したのが81年でしたがすぐに岩盤崩落で通行止めになり、留萌から万が一の為の迂回路として留萌北竜線、増毛当別線は計画されました。増毛当別線は海産物や木材の輸送、留萌港への輸送向上、暑寒別岳・雨竜沼湿原の観光、留萌からの迂回路として計画されました。しかし、栄枯衰退とバブル崩壊の煽りによって計画は消えてしまいました。恵比島峠は地滑りしやすく工期が20年ほどかかる難工事で、開通後も度々土砂崩れを起こしていました。旧道も今や廃道化しておりますが、もともとは国道233号で歴史のある道です。
@@新河尋仙 戦前、チバベリ川沿いの馬車道があった昭和初期の事情を考えると、留萌の一つ手前には映画館や病院なども擁する大和田炭鉱もあったため、北竜からですと浅野や羽幌や天塩炭鉱まで行かずとも、生活の糧となる石炭が最短距離で入手できるルートだった可能性もありそうです。(物流にどの程度使用されていたかは不明ですが)R233を90年代初頭に走った時は、急カーブこそないものの、ゆるやかな坂道+なだらかなカーブが連続しており、登坂車線や追越車線もなし。加えてトラックやダンプカーなどの往来が激しく、セダン車での運転は怖かったです。当時は増毛~雄冬~浜益間の道路も改良中のところが多くオロロンラインは大型車が好んで走る道ではなかったような気もします。高規格道路の話が出なかったら、この道道留萌北竜線は、留萌へのサブルートとして重宝されていたことでしょうね。R233の旧旧道の話は興味深く、鉄道施設の保守用という役割も担っていたのは納得です。峠下駅は最後まで保線基地として機能していたので、恵比島側が完全に廃道化のは、有人駅時代も含めて留萌側から保線をされていたからなのでしょうね。
詳しい情報ありがとうございました。大変参考になりました。1086号のハナシは、確か新十津川町史で読みました。橋脚を見ようと2回訪れたんですが、春先しゃないと無理っぽいですね
0:34「私は行ったのでお見せしましょう」ココ好き(笑)
ここは昔し行った事があり木で出来たダムがあってその先にあった歩きでなければ登れない崖を登ると仁奈良から石油沢を通り竜西に出ました。そんな場所でも富山の薬売りが紙風船を持って分け入ったそうです。右沢も左沢も人家があって住んでいた人は馬と普通に歩いて造材山に稼ぎに御料地や竜西に出たそうでその人達は冬は吹雪で前に進めなくなったら泊めて貰う家が決まっていて夏はその家に収穫物をお土産に持って行ったそうです。50年ほど前の話です。今でも峠の最後の家は灯りが見えるようにカーテンを閉める事はありません俺は今は他所に住んで何も不自由の無い生活してますが幸せってなんだったのだろうかと
木のダムってすごい気になりますね。調べたくなってきました
大昔、私の父親が北竜町の恵岱別(えたいべつ)に住んでいて、母親が当時幌糠村チバベリ左沢(現在は留萌ダムにより水没)に住んでいて・・・よく父が母に会うために、この道(当時は馬車道)を通っていたそうです。冬も馬そりで通行出来たそうです。現在留萌側の通行止箇所より、更に奥地にも人が住んでいたと父から聞いた事があります。時間が経つにつれ、昔の話を聞く機会が無くなる一方ですね・・・そんな父も7年程前に亡くなりました。
貴重はお話ありがとうございます。あのさらに奥も人が住んでいたとは。これは何か遺構がないか調べたいところ
昔(40年前)車やバイクで走っていた道ばかりで懐かしく(現在は沖縄在住)拝見しています。熊にはくれぐれも気をつけてください
UA-camのおすすめに出てきて何とはなしに見始めたらハマってしまいチャンネル登録ました🤣道民ではないですがゾヌさんの落ち着いたナレーションとロマンある廃道、執念の道路探索に惹かれました!応援しています💪💪💪
お疲れ様です。石油沢は明治時代に掘削して採油された記録がありますね。上流部に行けば,石油臭がするかもしれませんね。
やはり石油が
いきなりブツンと終わる感じの行き止まり好きです。
いいですよね
九州在住者で北海道には縁もゆかりもない者ですが、ゾヌさんのシリーズはなかなか興味深い。ナレーションがさらに面白い。熊にはくれぐれも気を付けて下さい。
ありがとうございます
留萌に3年住んでました。ダムにも4、5回は行ったかなぁ。行き止まりまで笑懐かしい映像をありがとうございました。
ゾヌさんアップを見て、ヨシ、通ってみっか!と思える道もあれば、そうでもない道もあって、ほんと、動画を見るだけで十分と思えることは多々あります(笑)たまに?アップの分断道道レポートが良き。
道内に住んでいた時はドライブが趣味だったので道中の景色を見て懐かしんでいます。これからも楽しみに拝見いたします。
こういう熊さんが飛び出してきそうな道路、好き❤️
地元民です。仕事でたまに留萌ダムに行く事はあるんですが、その先の道路があんな感じをなってたとは感心しました😆増毛稲田線の動画も楽しみにしてます🙇
初めて知りましたがこの様な分断道路があるのですね😊両側の終点も拝見でき面白かったです✨留萌ダムや雨竜町を詳しく知ることが出来、感謝します👍
こういう道路のドンツキはどうなっているのだろうと気になるのに実際には行かないことが殆ど。さーて、どんな感じなのか。ワクワクしながら観ていました。
7:22 特に看板もないロープだけの通行止めは、ボーっとしてたら突っ切ってしまいそう…特に夜はロープをぶち抜く自信しかないw
あれ、怖いですよね。クルマなら傷つくだけかもしれませんが、オートバイだと大怪我です。
沼田町と北竜町の歴史はかなり面白いところがあります。「沼田町に北竜があって何故北竜町には北竜がないのか?」が郷土史を調べるきっかけのひとつになりました。
今回の道が古道だと教えて頂き、がぜん興味が高まりました
@@ゾヌ廃道廃墟道路探索北 増毛稲田線そのものにも歴史はありますし、北竜町側の道道分岐点である竜西(分岐の東角が学校跡地で体育館と記念碑が現存しています)や御料峠を越えた増毛側の信砂御料は既に現住の方が皆無となった廃集落になります。友人が信砂御料に住まわれていた方から聴き取りを行ったことがあり、往年の生活を知って想像を絶する労苦があったのだろうと実感しました。
ゾヌさんの解説付きカーナビがあったらドライブが楽しそう
いつも行った気分になれて楽しいです、ありがとうございます!
道を造っていた人達も「え?仕事終わり?このままで良いの?」と言ってそう。
ワロタ
行き止まりが橋って、なんだか勿体ない橋ですね🙄
酔狂な方ほかにもいて草
こんばんわ🍁ゾヌさん、わざわざ行きたくても遠くていけない道道探索ありがとうございます(笑留萌側の行き止まりは不思議な行き止まりですね。急に森林?(やすけばし)学生さんが書いた銘板が淋しそうな・・!!留萌北竜線中々興味深い道道でした👍ありがとうございました。
こんばんは。せっかく書いた銘板を見てもらえないのもちょっと悲しいですね。この子は今頃何をしているのやら
留萌側の行き止まりは不思議な行き止まりですね。で追記すると留萌ダム建設(開発局管理)による付替道路区間があそこまでだったためです。ダム建設前の道道の状況は知らないのですが、既設の道道が留萌ダムの範囲に被っていたら、計画している範囲も含めてダムの管理者(開発局)が整備します。後は道道を管理する北海道次第ですが、状況的に開通する事は無いでしょう。
@@-dorahebi さま分かりやすいご説明ありがとうございます😊ひとつの道を造るという事でも双方の開発局があるなんて知りませんでした!!とても勉強になりました。結局もう道は出来ないのですね!?せっかく学生さんが書いた銘板、残念です😢 教えて頂き感謝です🤗
@@e.2659 仰る通り気の毒です。冬期間はダムの管理所までしか除雪してないし、、、です。
@@-dorahebi さま北海道はこれからの季節雪❄で寒さも増すと思います。私は関東生まれの関東育ちゆえ想像もつきませんが、故父が稚内生まれで小さな頃から北海道の話は聞いて育ちましたゆえ北海道が大好きです。ゾヌさんのチャンネルに出会えてホントに良かったと思ってます😄そしてこうやって知らなかった事へのコメントで知る事も出来、ホントに嬉しいです。これからも知り得る事がありましたらよろしくお願い致しますね!!ありがとうございました🙇
ナレーションすき。
留萌ダム周辺の橋の名は、当地開拓農家初代家長の名ですね。役所も粋なコトする。自分も各地行き止まりを見に行くから、職務質問されたら相手が納得する説明をできるか自信が無い。
そういう由来だったんですね。前に海保に密漁関係で職質された時は訳を聞いて呆れ気味でしたね😅
お疲れさまです、こんな分断された所あるんですね。橋までできているのに勿体ないなぁ~。
道路番号が4桁とか、どんだけ北海道はでっかいどー(笑)なんだよと思いたくなります。にしても、最近はヒグマのニュースばかり見ますので、動画見てたらいつかは出て来るんじゃないかと思えてなりません。(笑)
逆に遭遇したらネタにしますけどね
地元を紹介してくれて嬉しいです!あれって矢羽ポールと言うのですね…はじめて知りました…!
マニアックな探索、ありがとうございます! 私も留萌管内在住時代に行ってみたかったけど、怖くて行けなかった道でしたwww 留萌管内と空知管内、上川管内を結ぶ想定で作られたであろう道でブッツリ切れてる道が地図上にいくつかありますよね・・・。お時間ありましたら状況や経緯を探って頂けたら嬉しいです!
こういう分断道道好きだなー。私は95号(京極定山渓線)見に行きました笑
マジで北海道色々あるなぁ。こういう視点で北海道をまわるのも面白そう。
でしょ?
ひさびさに良いチャンネル見つけた😂。
ほんとですね
留萌側の分断点の終わり方は、紀伊半島の分断酷道でも割と安定定期ですが…北竜側の分断点の終わり方がダート路を走破したさらに先なので…。乗用車で乗り入れればクルマを痛めると解っていながらも、やはり真の分断点が気になるモンですね✋紀伊半島の分断酷道は地図に無い分断点の総てをこの目で見に行きました😅
ここはあまりダムがあるような雰囲気が無い比較的平らな場所なのに、高速道路の高架の向こうに見えてる茶色い何かが実はダムだという面白い場所なので、近くを通る際はちょっと見てみるのが良いと思うんですよね。しかし、この道はどういう意図の道なんでしょう、美葉牛峠を通りたくないのかな。
あまり需要がなさそうですね
ゾヌさんはじめまして(^^)最近チャンネル登録させて頂きました!!楽しく拝見させていただいております。ゾヌさんの語り口調が好きです!自分では行けない場所ばかりなので、動画を見ているとワクワクドキドキが止まりません。次回作も楽しみにしております(^-^)
だから来たんだよwマジで笑いました
そりゃうれし
沿岸バスのバス停に、チバベリというバス停がありますが、かつて集落があったんですね。
今回もお疲れ様でした_(_^_)_ゾヌさんの行かなかったダートの先が気になりました、タイミングをみて行ってみたいと思います🚙💨🧓
留萌ダムは見たところロックフェルというタイプのダムのようですね。(にわかダムマニアでした(笑))来年はカード貰いに行きます。
ダート=じゃり道、そろばん道路www以前は平気で走った砂利道も、今はパンクとかアクシデントを気にして走らないようにしています。以前、酷道に興味を持った頃雑誌で見ましたが、北海道に川を船で渡る国道があったような。
十勝のナウマン国道ですね。平成初頭まで船頭さんが手で(川の上に張られた)ワイヤーをつかんで十勝川を渡す「国道渡船」が、旅来(たびこらい)という集落→対岸に運航されていましたが、十勝川河口大橋の架橋で廃止されました。人間が数人(自転車は可だったそう)しか乗れないもので、よくある池の有料ボートと同じようなやつの側面に「開発局」のペイントが施されていました。ナウマン国道自体も当時数えるほどに減っていた「未舗装国道(部分的)」でした。
@@Su---- さまありがとうございます。たしか開発局と書かれたボートでしたね。
もともとこの道。北竜(石油沢)~チバベリ川沿い~幌糠まで馬車道として貫通していた様子が昭和初期(スタンフォード大所有)の地形図で確認されました。もしや、かつての古道を車通行可として実現するための道道1068号計画だったのかと…。9:47 ゾヌさん妄想地図は当時の馬車道とほぼマッチしています。正しい入口は 9:16 で右に分岐する小径がそれっぽく、そこから切通し(留萌川と雨竜川の分水嶺)を越えてチバベリ川へと降りていました(映像 9:08 中央右の植生が一番が低く、留萌側に降りやすいポイントであろうことが見てとれます)。チバベリ川沿いの旧道は右岸左岸を行ったり来たりで10カ所くらい橋が架かっていたようです。切通し跡とか橋梁跡とか是非探索してほしいところですが、"ヤツ" がいるのは間違いなさそうです。
ありがとうございます。馬車道と聞いて興味が湧いてきました。かなり覚悟していく必要がありそうですが😅
@@ゾヌ廃道廃墟道路探索北 戦前地形図上の道路標記において、片側が点線、もう片方が実線は「牛馬道」だったかと思いますので、たぶん荷馬車は通れたのかと想像します。北竜側の現道道終点からチバベリ川との出合の間は直線距離500m程度で標高差60~70mですので、徒歩ならめちゃくちゃ急斜面というわけではなさそう。現在の地理院地形図に掲載されている(現実は廃道?)林道は1977年当時は現役で、空中写真からも川沿いの治山&植林用に使われていた様子が見て取れ、川~石油沢間の坂道部分は廃道になっていたのもわかります。
ここは繋がることはなさそうですが、今留萌では1031号神居岩総合公園線を延長して1048号留萌小平線に接続する工事をしてる模様ですね留萌側の端を見に行った酔狂の1人ですが確かにこういうところですれ違うと「何しに来たんだろう(お前と一緒や)」ってなりますね。
先日近くを通ったんですが、あの道路はつなげる必要あるのかなあ・・
積丹半島の道道569号線も途中でぶった切れている道ですね。随分昔に行けるところまで行ってみたのですが、川で行き止まりでした。釣りの人が何人か。反対側ははっきりとは存じませんが、共和町宮丘から半島を横断する軍用道路の計画があったとか無かったとか。位置的にそこに繋げようとしていたのかも知れません。
なかなか興味深いですね
留萌側の「橋を渡ると行き止まり」と類似の行き止まりは、幌加内町(43°59'41.2"N 142°06'20.6"E)にもあります。
旭川人なのに国道233号線、旭川を経由してたの知りませんでした。ゾヌさんの解説に驚いてしまった
旭川~深川間は12号線と重複だけど標識がないですよね。GoogleMapだと旭川新道分岐~昭和通間だけ何故か233号の表示になってます。
これはテクニカルな話になるのですが、国道の重複区間でも起終点で重複する国道は現地表記が省略されています。(唯一の例外は国道40号と国道232号の稚内で理由は?)したがって国道233号の場合は、国道12号と重複する区間は深川~旭川間は省略されています。道内の国道はそういうのたくさんあって、例えば国道239号だと苫前~興部(実延長)が単独区間になるのですが、路線としては留萌~網走(総延長)になるとかそういうのたくさんあります。一番長い省略重複は、国道276号の岩内~江差の国道229号・国道276号重複ですが。現地表記が無く、知らない人がほとんどで、ややこしくなるので自分は無いものとして扱ってます。
留萌ダムはダムカードあるネ😅
10:06「やめたんだ!」って、感じが....😅
だよね
丸投げになっちゃうのですが(謎)。留萌市字留萌村、と言う場所が有ります。グーグルで見ると土場(資材置き場)らしきものと住居跡は航空写真で確認出来ました。道路は丁字路から少しだけ電線・電話線が伸びて伸びてる先は判然としません。住居か住居跡から先のデータが無い。何でこんな場所? 相続に伴い改正原戸籍を取り寄せたら曾祖父が原野二線〇番で本籍登録してて、祖父(私が高三で死亡)が死亡届を出してる。これについては何も聞いてないんです。多分、樺太からの引き上げ者用住宅とは思うのですが、留萌市史を読んでも分かりませんでした(読力が無いだけw)。もうじき降雪します、ついででかまいません。
なんか機会があったら調べてみます
今回の動画を見て思ったのですが、芦別のカナディアンワールド付近と美瑛方面を結ぶ道路も完成していなかったのを思い出しました!Googleマップを見ると、工事中には見えるのですが、どうでしょうか?もし近くを通ることがあればぜひ最新情報教えてください!
五稜道路、盤の沢道路として事業中(建設中)です。
夕張始点、旭川終点になる長い道路の一部だったんですね!道路名ありがとうございます!
芦別側を前に撮影しました
軽トラあればもう少し奥まで進めたかもしれない
これは渋いダム!
熊の気配(痕跡とか)は全く無かったのですか?
フンがあった記憶が
留萌側。なんか行ったことあるようなデジャヴ感があったんだけど堤体見て「ダムカード」もらいに行ったときだったのを思い出しました。チョベリバ集落ってのがあったんですね。
チョベリバて死語やなあ
道道巡り、ダムの詳しい説明、とてもありがたいのですが、チンプンカンプン?です。すいきょうな人?ゾヌさんのよーな人ですよね、笑えました、また楽しい・道画・とどけて下さい、おーきになも😊。
『ダムの世界へようこそ』サイフォンTV(ダム系ユーチューバー)
東京のニュースでは、あっちでクマ!こっちでクマ!でクマだらけですが、北海道はどうですか?
そりゃもうベアアタック大戦争ですよ
対向車はおそらく、◯体遺棄かもしれない😂
まだ明る過ぎですよ🤣
変態動画、ありがとうございました。
ここまで作っておいて分断放置とは・・・しかも舗装までしてあるのになぁ・・・。無駄な税金使用と言われても仕方ないレベルだけに、あと僅かなら作りきればいいのにと思うのは、それも不謹慎だろうか。あの弥助橋の銘板に採用された生徒も可哀想に思うし、開通させてほしかったな。まぁ最低限、橋を利用される状況は残してはいるけど、これじゃ余りにもなぁ。調べたら幌糠中学校も2007年で閉校してるんだね。幌糠中学校の校名も併せて残る、今後歴史に残る銘板だけに、部外者ながら余計に残念に思いました。平成17年竣工なら今年で18年、生徒は今30代半ばか・・・。
近くに住んでいた者です。
増毛や留萌を通る度に不思議に思ってました。
あと2キロほどで道路を繋げられ、林道を使えば200mで繋げられるのに勿体ないですよね。
1983年に認定(86年番号整理し留萌北竜線に変更)されたましたが、元々需要がないことと費用対効果の薄さにより凍結されました。
個人的な考察ですが、88年頃に道道549号峠下沼田線が改良され恵比島峠を越えることができ、国道233の美葉牛峠とバイパスが可能になったことも一因だと思います。
また、同時期にチバベリ地区はダム建設の話が上がり集落は消滅し意義がなくなり、また北竜側の竜西地区も増毛経由で留萌に向かっても、時間はそれほど短縮せず、さらに深川留萌道も完成し益々必要性がなくなりました。
ただし、開通するチャンスは実はありました。
89年に恵岱別を起点とした道道1086号増毛当別線が認定され、暑寒別の山を抜け当別町青山まで繋げる壮大な計画がありました。
しかし、国定公園で稀少な動植物が存在し、冬季通行止めと工事中断、莫大な時間と工費により94年に凍結されました。
名残として、恵岱別ダムに4本の橋脚があります。
1086号の工事が大きく進んだら工事車両のアクセスから始まり、開通していた可能性が高かったと思います。
未完の道道は壮大な計画のものが多くてワクワクします(笑)😊
こちらのコメントで初めて知ったのですが、留萌本線廃止区間と並行していた恵比島峠の道道はあれでも改良されていたのですね。1981年の道路地図では確かにΩヘアピンを含む「七曲り」のようなつづら折りのダート道で「冬季閉鎖」と記載されていました。留萌本線とは途中4種踏切らしき平面交差もあったようで、Googleマップでもこの旧道は現在も表記がありますね。また、ゾヌさんが行くべき?候補として期待したいところです。
石油沢~チバベリ~幌糠を結んでいた道道以前の小径(旧道)は、恵岱別~増毛(信砂)を結ぶ現道道と併せて、石狩国と留萌国(日本海側)とを結ぶ貴重な道の役割を果たしていた感がありますね。これらの道を介して、増毛からは海産物、留萌からは加工品や石炭なども運ばれていたのではと推察されます。「道道1086号増毛当別線」の計画も初耳でしたが、全通していたら雨竜沼湿原への短絡道の役割も果たし、道内屈指の観光道路になっていたでしょうね。
@@Su----さん
考察の通りです。
昔は留萌~沼田地区は炭鉱が栄えており、留萌は道内屈指の貿易港、増毛も海産物と第2の留萌港として賑わってました。
雄冬岬が開通したのが81年でしたがすぐに岩盤崩落で通行止めになり、留萌から万が一の為の迂回路として留萌北竜線、増毛当別線は計画されました。
増毛当別線は海産物や木材の輸送、留萌港への輸送向上、暑寒別岳・雨竜沼湿原の観光、留萌からの迂回路として計画されました。
しかし、栄枯衰退とバブル崩壊の煽りによって計画は消えてしまいました。
恵比島峠は地滑りしやすく工期が20年ほどかかる難工事で、開通後も度々土砂崩れを起こしていました。
旧道も今や廃道化しておりますが、もともとは国道233号で歴史のある道です。
@@新河尋仙 戦前、チバベリ川沿いの馬車道があった昭和初期の事情を考えると、留萌の一つ手前には映画館や病院なども擁する大和田炭鉱もあったため、北竜からですと浅野や羽幌や天塩炭鉱まで行かずとも、生活の糧となる石炭が最短距離で入手できるルートだった可能性もありそうです。(物流にどの程度使用されていたかは不明ですが)
R233を90年代初頭に走った時は、急カーブこそないものの、ゆるやかな坂道+なだらかなカーブが連続しており、登坂車線や追越車線もなし。加えてトラックやダンプカーなどの往来が激しく、セダン車での運転は怖かったです。
当時は増毛~雄冬~浜益間の道路も改良中のところが多くオロロンラインは大型車が好んで走る道ではなかったような気もします。高規格道路の話が出なかったら、この道道留萌北竜線は、留萌へのサブルートとして重宝されていたことでしょうね。
R233の旧旧道の話は興味深く、鉄道施設の保守用という役割も担っていたのは納得です。峠下駅は最後まで保線基地として機能していたので、恵比島側が完全に廃道化のは、有人駅時代も含めて留萌側から保線をされていたからなのでしょうね。
詳しい情報ありがとうございました。
大変参考になりました。
1086号のハナシは、確か新十津川町史で読みました。橋脚を見ようと2回訪れたんですが、春先しゃないと無理っぽいですね
0:34「私は行ったのでお見せしましょう」ココ好き(笑)
ここは昔し行った事があり木で出来たダムがあってその先にあった歩きでなければ登れない崖を登ると仁奈良から石油沢を通り竜西に出ました。
そんな場所でも富山の薬売りが紙風船を持って分け入ったそうです。
右沢も左沢も人家があって住んでいた人は馬と普通に歩いて造材山に稼ぎに御料地や竜西に出たそうで
その人達は冬は吹雪で前に進めなくなったら泊めて貰う家が決まっていて夏はその家に収穫物をお土産に持って行ったそうです。
50年ほど前の話です。
今でも峠の最後の家は灯りが見えるようにカーテンを閉める事はありません
俺は今は他所に住んで何も不自由の無い生活してますが幸せってなんだったのだろうかと
木のダムってすごい気になりますね。
調べたくなってきました
大昔、私の父親が北竜町の恵岱別(えたいべつ)に住んでいて、母親が当時幌糠村チバベリ左沢(現在は留萌ダムにより水没)に住んでいて・・・よく父が母に会うために、この道(当時は馬車道)を通っていたそうです。冬も馬そりで通行出来たそうです。現在留萌側の通行止箇所より、更に奥地にも人が住んでいたと父から聞いた事があります。
時間が経つにつれ、昔の話を聞く機会が無くなる一方ですね・・・そんな父も7年程前に亡くなりました。
貴重はお話ありがとうございます。
あのさらに奥も人が住んでいたとは。
これは何か遺構がないか調べたいところ
昔(40年前)車やバイクで走っていた道ばかりで懐かしく(現在は沖縄在住)拝見しています。熊にはくれぐれも気をつけてください
UA-camのおすすめに出てきて何とはなしに見始めたらハマってしまいチャンネル登録ました🤣
道民ではないですがゾヌさんの落ち着いたナレーションとロマンある廃道、執念の道路探索に惹かれました!応援しています💪💪💪
お疲れ様です。石油沢は明治時代に掘削して採油された記録がありますね。上流部に行けば,石油臭がするかもしれませんね。
やはり石油が
いきなりブツンと終わる感じの行き止まり好きです。
いいですよね
九州在住者で北海道には縁もゆかりもない者ですが、ゾヌさんのシリーズはなかなか興味深い。ナレーションがさらに面白い。熊にはくれぐれも気を付けて下さい。
ありがとうございます
留萌に3年住んでました。ダムにも4、5回は行ったかなぁ。行き止まりまで笑
懐かしい映像をありがとうございました。
ゾヌさんアップを見て、ヨシ、通ってみっか!と思える道もあれば、そうでもない道もあって、ほんと、動画を見るだけで十分と思えることは多々あります(笑)
たまに?アップの分断道道レポートが良き。
道内に住んでいた時はドライブが趣味だったので道中の景色を見て懐かしんでいます。
これからも楽しみに拝見いたします。
こういう熊さんが飛び出してきそうな道路、好き❤️
地元民です。
仕事でたまに留萌ダムに行く事はあるんですが、その先の道路があんな感じをなってたとは感心しました😆
増毛稲田線の動画も楽しみにしてます🙇
初めて知りましたがこの様な分断道路があるのですね😊
両側の終点も拝見でき面白かったです✨
留萌ダムや雨竜町を詳しく知ることが出来、感謝します👍
こういう道路のドンツキはどうなっているのだろうと気になるのに実際には行かないことが殆ど。
さーて、どんな感じなのか。ワクワクしながら観ていました。
7:22 特に看板もないロープだけの通行止めは、ボーっとしてたら突っ切ってしまいそう…
特に夜はロープをぶち抜く自信しかないw
あれ、怖いですよね。
クルマなら傷つくだけかもしれませんが、オートバイだと大怪我です。
沼田町と北竜町の歴史はかなり面白いところがあります。「沼田町に北竜があって何故北竜町には北竜がないのか?」が郷土史を調べるきっかけのひとつになりました。
今回の道が古道だと教えて頂き、がぜん興味が高まりました
@@ゾヌ廃道廃墟道路探索北
増毛稲田線そのものにも歴史はありますし、北竜町側の道道分岐点である竜西(分岐の東角が学校跡地で体育館と記念碑が現存しています)や御料峠を越えた増毛側の信砂御料は既に現住の方が皆無となった廃集落になります。
友人が信砂御料に住まわれていた方から聴き取りを行ったことがあり、往年の生活を知って想像を絶する労苦があったのだろうと実感しました。
ゾヌさんの解説付きカーナビがあったらドライブが楽しそう
いつも行った気分になれて楽しいです、ありがとうございます!
道を造っていた人達も「え?仕事終わり?このままで良いの?」と言ってそう。
ワロタ
行き止まりが橋って、なんだか勿体ない橋ですね🙄
酔狂な方ほかにもいて草
こんばんわ🍁
ゾヌさん、わざわざ行きたくても遠くていけない道道探索ありがとうございます(笑
留萌側の行き止まりは不思議な行き止まりですね。急に森林?(やすけばし)学生さんが書いた銘板が淋しそうな・・!!留萌北竜線中々興味深い道道でした👍ありがとうございました。
こんばんは。
せっかく書いた銘板を見てもらえないのもちょっと悲しいですね。この子は今頃何をしているのやら
留萌側の行き止まりは不思議な行き止まりですね。で追記すると留萌ダム建設(開発局管理)による付替道路区間があそこまでだったためです。
ダム建設前の道道の状況は知らないのですが、既設の道道が留萌ダムの範囲に被っていたら、計画している範囲も含めてダムの管理者(開発局)が整備します。
後は道道を管理する北海道次第ですが、状況的に開通する事は無いでしょう。
@@-dorahebi さま
分かりやすいご説明ありがとうございます😊
ひとつの道を造るという事でも
双方の開発局があるなんて知りませんでした!!
とても勉強になりました。結局もう道は出来ないのですね!?
せっかく学生さんが書いた銘板、残念です😢 教えて頂き感謝です🤗
@@e.2659 仰る通り気の毒です。冬期間はダムの管理所までしか除雪してないし、、、です。
@@-dorahebi さま
北海道はこれからの季節雪❄で寒さも増すと思います。私は関東生まれの関東育ちゆえ想像もつきませんが、故父が稚内生まれで小さな頃から北海道の話は聞いて育ちましたゆえ北海道が大好きです。ゾヌさんのチャンネルに出会えてホントに良かったと思ってます😄そしてこうやって知らなかった事へのコメントで知る事も出来、ホントに嬉しいです。これからも知り得る事がありましたらよろしくお願い致しますね!!
ありがとうございました🙇
ナレーションすき。
留萌ダム周辺の橋の名は、当地開拓農家初代家長の名ですね。役所も粋なコトする。
自分も各地行き止まりを見に行くから、職務質問されたら相手が納得する説明をできるか自信が無い。
そういう由来だったんですね。
前に海保に密漁関係で職質された時は訳を聞いて呆れ気味でしたね😅
お疲れさまです、こんな分断された所あるんですね。
橋までできているのに勿体ないなぁ~。
道路番号が4桁とか、どんだけ北海道はでっかいどー(笑)なんだよと思いたくなります。にしても、最近はヒグマのニュースばかり見ますので、動画見てたらいつかは出て来るんじゃないかと思えてなりません。(笑)
逆に遭遇したらネタにしますけどね
地元を紹介してくれて嬉しいです!
あれって矢羽ポールと言うのですね…はじめて知りました…!
マニアックな探索、ありがとうございます! 私も留萌管内在住時代に行ってみたかったけど、怖くて行けなかった道でしたwww 留萌管内と空知管内、上川管内を結ぶ想定で作られたであろう道でブッツリ切れてる道が地図上にいくつかありますよね・・・。お時間ありましたら状況や経緯を探って頂けたら嬉しいです!
こういう分断道道好きだなー。私は95号(京極定山渓線)見に行きました笑
マジで北海道色々あるなぁ。
こういう視点で北海道をまわるのも面白そう。
でしょ?
ひさびさに良いチャンネル見つけた😂。
ほんとですね
留萌側の分断点の終わり方は、紀伊半島の分断酷道でも割と安定定期ですが…北竜側の分断点の終わり方がダート路を走破したさらに先なので…。
乗用車で乗り入れればクルマを痛めると解っていながらも、やはり真の分断点が気になるモンですね✋
紀伊半島の分断酷道は地図に無い分断点の総てをこの目で見に行きました😅
ここはあまりダムがあるような雰囲気が無い比較的平らな場所なのに、高速道路の高架の向こうに見えてる茶色い何かが実はダムだという面白い場所なので、近くを通る際はちょっと見てみるのが良いと思うんですよね。
しかし、この道はどういう意図の道なんでしょう、美葉牛峠を通りたくないのかな。
あまり需要がなさそうですね
ゾヌさんはじめまして(^^)
最近チャンネル登録させて頂きました!!
楽しく拝見させていただいております。
ゾヌさんの語り口調が好きです!
自分では行けない場所ばかりなので、動画を見ているとワクワクドキドキが止まりません。
次回作も楽しみにしております(^-^)
だから来たんだよwマジで笑いました
そりゃうれし
沿岸バスのバス停に、チバベリというバス停がありますが、かつて集落があったんですね。
今回もお疲れ様でした_(_^_)_
ゾヌさんの行かなかったダートの先が気になりました、タイミングをみて行ってみたいと思います🚙💨🧓
留萌ダムは見たところロックフェルというタイプのダムのようですね。(にわかダムマニアでした(笑))来年はカード貰いに行きます。
ダート=じゃり道、そろばん道路www
以前は平気で走った砂利道も、今はパンクとかアクシデントを気にして走らないようにしています。
以前、酷道に興味を持った頃雑誌で見ましたが、北海道に川を船で渡る国道があったような。
十勝のナウマン国道ですね。平成初頭まで船頭さんが手で(川の上に張られた)ワイヤーをつかんで十勝川を渡す「国道渡船」が、旅来(たびこらい)という集落→対岸に運航されていましたが、十勝川河口大橋の架橋で廃止されました。
人間が数人(自転車は可だったそう)しか乗れないもので、よくある池の有料ボートと同じようなやつの側面に「開発局」のペイントが施されていました。ナウマン国道自体も当時数えるほどに減っていた「未舗装国道(部分的)」でした。
@@Su---- さま
ありがとうございます。
たしか開発局と書かれたボートでしたね。
もともとこの道。北竜(石油沢)~チバベリ川沿い~幌糠まで馬車道として貫通していた様子が昭和初期(スタンフォード大所有)の地形図で確認されました。もしや、かつての古道を車通行可として実現するための道道1068号計画だったのかと…。
9:47 ゾヌさん妄想地図は当時の馬車道とほぼマッチしています。正しい入口は 9:16 で右に分岐する小径がそれっぽく、そこから切通し(留萌川と雨竜川の分水嶺)を越えてチバベリ川へと降りていました(映像 9:08 中央右の植生が一番が低く、留萌側に降りやすいポイントであろうことが見てとれます)。
チバベリ川沿いの旧道は右岸左岸を行ったり来たりで10カ所くらい橋が架かっていたようです。
切通し跡とか橋梁跡とか是非探索してほしいところですが、"ヤツ" がいるのは間違いなさそうです。
ありがとうございます。
馬車道と聞いて興味が湧いてきました。
かなり覚悟していく必要がありそうですが😅
@@ゾヌ廃道廃墟道路探索北 戦前地形図上の道路標記において、片側が点線、もう片方が実線は「牛馬道」だったかと思いますので、たぶん荷馬車は通れたのかと想像します。
北竜側の現道道終点からチバベリ川との出合の間は直線距離500m程度で標高差60~70mですので、徒歩ならめちゃくちゃ急斜面というわけではなさそう。
現在の地理院地形図に掲載されている(現実は廃道?)林道は1977年当時は現役で、空中写真からも川沿いの治山&植林用に使われていた様子が見て取れ、川~石油沢間の坂道部分は廃道になっていたのもわかります。
ここは繋がることはなさそうですが、今留萌では1031号神居岩総合公園線を延長して1048号留萌小平線に接続する工事をしてる模様ですね
留萌側の端を見に行った酔狂の1人ですが確かにこういうところですれ違うと「何しに来たんだろう(お前と一緒や)」ってなりますね。
先日近くを通ったんですが、あの道路はつなげる必要あるのかなあ・・
積丹半島の道道569号線も途中でぶった切れている道ですね。随分昔に行けるところまで行ってみたのですが、川で行き止まりでした。釣りの人が何人か。反対側ははっきりとは存じませんが、共和町宮丘から半島を横断する軍用道路の計画があったとか無かったとか。位置的にそこに繋げようとしていたのかも知れません。
なかなか興味深いですね
留萌側の「橋を渡ると行き止まり」と類似の行き止まりは、幌加内町(43°59'41.2"N 142°06'20.6"E)にもあります。
旭川人なのに国道233号線、旭川を経由してたの知りませんでした。
ゾヌさんの解説に驚いてしまった
旭川~深川間は12号線と重複だけど標識がないですよね。GoogleMapだと旭川新道分岐~昭和通間だけ何故か233号の表示になってます。
これはテクニカルな話になるのですが、国道の重複区間でも起終点で重複する国道は現地表記が省略されています。(唯一の例外は国道40号と国道232号の稚内で理由は?)
したがって国道233号の場合は、国道12号と重複する区間は深川~旭川間は省略されています。
道内の国道はそういうのたくさんあって、例えば国道239号だと苫前~興部(実延長)が単独区間になるのですが、
路線としては留萌~網走(総延長)になるとかそういうのたくさんあります。
一番長い省略重複は、国道276号の岩内~江差の国道229号・国道276号重複ですが。
現地表記が無く、知らない人がほとんどで、ややこしくなるので自分は無いものとして扱ってます。
留萌ダムはダムカードあるネ😅
10:06
「やめたんだ!」って、感じが....😅
だよね
丸投げになっちゃうのですが(謎)。留萌市字留萌村、と言う場所が有ります。グーグルで見ると土場(資材置き場)らしきものと住居跡は航空写真で確認出来ました。道路は丁字路から少しだけ電線・電話線が伸びて伸びてる先は判然としません。住居か住居跡から先のデータが無い。何でこんな場所? 相続に伴い改正原戸籍を取り寄せたら曾祖父が原野二線〇番で本籍登録してて、祖父(私が高三で死亡)が死亡届を出してる。これについては何も聞いてないんです。多分、樺太からの引き上げ者用住宅とは思うのですが、留萌市史を読んでも分かりませんでした(読力が無いだけw)。もうじき降雪します、ついででかまいません。
なんか機会があったら調べてみます
今回の動画を見て思ったのですが、
芦別のカナディアンワールド付近と美瑛方面を結ぶ道路も完成していなかったのを思い出しました!
Googleマップを見ると、工事中には見えるのですが、どうでしょうか?
もし近くを通ることがあればぜひ最新情報教えてください!
五稜道路、盤の沢道路として事業中(建設中)です。
夕張始点、旭川終点になる長い道路の一部だったんですね!
道路名ありがとうございます!
芦別側を前に撮影しました
軽トラあればもう少し奥まで進めたかもしれない
これは渋いダム!
熊の気配(痕跡とか)は全く無かったのですか?
フンがあった記憶が
留萌側。なんか行ったことあるようなデジャヴ感があったんだけど
堤体見て「ダムカード」もらいに行ったときだったのを思い出しました。
チョベリバ集落ってのがあったんですね。
チョベリバて死語やなあ
道道巡り、ダムの詳しい説明、とてもありがたいのですが、チンプンカンプン?です。すいきょうな人?ゾヌさんのよーな人ですよね、笑えました、また楽しい・道画・とどけて下さい、おーきになも😊。
『ダムの世界へようこそ』サイフォンTV(ダム系ユーチューバー)
東京のニュースでは、あっちでクマ!こっちでクマ!でクマだらけですが、北海道はどうですか?
そりゃもうベアアタック大戦争ですよ
対向車はおそらく、◯体遺棄かもしれない😂
まだ明る過ぎですよ🤣
変態動画、ありがとうございました。
ここまで作っておいて分断放置とは・・・しかも舗装までしてあるのになぁ・・・。
無駄な税金使用と言われても仕方ないレベルだけに、あと僅かなら作りきればいいのにと思うのは、それも不謹慎だろうか。
あの弥助橋の銘板に採用された生徒も可哀想に思うし、開通させてほしかったな。
まぁ最低限、橋を利用される状況は残してはいるけど、これじゃ余りにもなぁ。
調べたら幌糠中学校も2007年で閉校してるんだね。
幌糠中学校の校名も併せて残る、今後歴史に残る銘板だけに、部外者ながら余計に残念に思いました。
平成17年竣工なら今年で18年、生徒は今30代半ばか・・・。