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昔美術学校に通っていた時、先輩が「本当に優れた作品は絵が生きている」と言っていたのが印象に残っています。優れたクラシック作品も作曲家の熱いエネルギーが注ぎ込まれた、まさに血で書かれたものだからこそ、時代を超えて演奏され続けるのでしょうね。車田さんの芸術についてのお話はいつも示唆に富んでいて面白いです。また違うテーマで聞ける日を楽しみにしてます♫
何だか涙がこみ上げて来ました。すごく感動しました。やっぱりベートゥベン、シューベルトにあいたーい!
そうですね。若い頃、荻窪の骨董屋のおじさんに「どうしたら本物と贋物を見分けられるようになりますか?」と尋ねたところ「上野の博物館や美術館にある物を片っ端から3年くらい観てまわれば、だいたい分かるよ」と言われました。現在では芸術とかアートと言う言葉がわりと気安く使われていますが、観る側も聴く側も、もしエンタメやスポーツやコマーシャリズムアートには無い何かを求めるのなら、それなりの努力が必要たと思います。待っていても芸術と呼ばれる物があちらからやって来ることはないと言うことだと思いますが、私がやれているかと言う自信はありません。
ベートーヴェンにとっての芸術、シューベルトにとっての芸術というところから・・・まず核心に触れてそれぞれが感じればよいというのは、流石のお話です。
先週の土曜日にフジコ・ヘミングさんと東京フィルハーモニー交響楽団のコンサートに行って来ました。初めて生演奏で『運命』を聴きました。何度も何度もCDでは聴いていましたが、まるで違うものでした。そして220年も前にこのような曲を作出したベートーベンの凄さ偉大を再確認したところです。なかなか言葉では表現が出来ませんが、とにかく素晴らしいものでした。
毎日BGMのように聴きながら楽しんでおります😊❤
『本物の芸術を知る』と言う課題は非常に難しいですね。音楽だけではなくバレエや絵画や建築や文学等、人間が創造した様々なジャンルの芸術作品が時代と共に多岐に渡り複雑さと多様性が混雑する中で芸術に対する誤解や線引きが知る事への理解や情熱を希薄にしているような気がします。コアな考え方に対して誰もが偏見や社会的境遇に左右されず自由に感じ自由に知る事が出来れば本当に素晴らしいと思います。先生の議題や問題提起はいつも感慨深く拝聴しています。
コアと熱量 情熱と感謝 ジグゾーパズルを埋めるように…芸術にとどまらない人生そのものですね。いやだから芸術は人を感動させるのですね。感激するお話ありがとうございます。
芸術に対する深いお話をありがとうございました。先生の穏やかな語りで聞けて心が落ち着きました。「決してその作品をジャッジしない」という大事なことを教えてくださりありがとうございました💐💐💐
私が中学生の時に、クラシックの作曲家になろうと思ったのは、まさにベートーヴェンのソナタを弾いて救われた経験があったからです。私は生まれつき左耳が聴こえませんが、音楽を感じ、状況にもがき苦しむ気持ちを投影させようと、ベートーヴェンの曲をどれほど練習したか分かりません。芸術に没頭することで救われるという体験は、今、当時の自分を振り返るとなんと得難い世界に自分は出会っていたかと思います。それでも、私はプロになれませんでした。芸術はあまりに遠く、自分の人生は足りません。芸術に人生を捧げる音楽家の方々を尊敬します。
素晴らしいお話、ありがとうございました。
感動的な🎉お話しをありがとう😊
同じ音楽を聴いても、聴く人の心の琴線にどう響くかは十人十色私は特に芸術音楽を最大限に理解したいから、心の琴線を敏感に研ぎ澄ますようにしようとしたんだけど、感受性が強くなりすぎて、割とすぐ感動しちゃうのよね😅
私にとっては非常にわかりやすいお話でした。ありがとうございます。なるほど、音楽だけでなく他の分野の芸術にも、お話しされていたことを当てはめてみると、これまでとは違った受け止め方で鑑賞できるかもしれません。
4:50 まずはジャッジしない、というお言葉に救われました。
マイセン実家で使ってます。チョコレートムース美味しそうですね。
私は、高校生の頃、芸術科目は、音楽、美術、書道、に分かれていて、どれか自分で選択することになっていました。結局私は、音楽を選択したわけですが、やはり、授業では、ギターの練習が多く、たまたま、私の父親がギターを持っていたので、なんとかなりました。専門家の車田さんは、芸術については、ある意味、人生論にもなりますね。私は、ベートーヴェンが、ハイリゲンシュタットの遺書で、芸術だけが、私を自殺から救ってくれた、という言葉にいつも感動しています。
本物という言葉の危険性がよくわかるお話でした。自分にとって無価値に感じるものでもそれが本物である可能性は考慮すべきです。年を経てから味覚が変化成長するように多くの芸術に触れることで芸術の感じ方もまた変化成長するでしょうから、「本物じゃない」と言って軽々に切り捨てるのは何とももったいない話。
今夜も先生の穏やかなお話聞けて1日が終えていきそうです。芸術についての深い洞察力有難うございました❤🎉😊
芸術について、あまり考えた事はありません。分からないからです。私がクラシック音楽を聴くのは感情が音楽と溶け合って動いて行くことに幸福を感じるからです。ベートーベンを中心に心の共感を楽しんでいます。音楽を楽しみましょう。 車田さんは、甘いものが大好きですね。美味しいお菓子に出会った時、これは芸術だと感じることは無いですか?
本物の芸術を理解するためのキーワードとして「熱量」のお話を伺い、なるほどな、と思いました。そしてその時、私が思い浮かべた作品はバッハのシャコンヌでした。
いつも本当に美味しそうですね🙂
いつも、美味しいお菓子、いいですねー😊
芸術の定義って難しいですね。音楽、絵画、彫刻、文学。映画や漫画だって、芸術でしょう。人々に感動、感銘を与えるという意味では、料理も芸術と言えるかもしれないですね。だから、ロッシーニは料理人になったのかも。
ロボットがロボットを作る時代になったら世界中の人々が芸術家ですね。ただ今のような芸術家でなく、ロボットにできない全てが融合されたような、つまり政治家、哲学者、自然科学者、そして人間に都合の良い改善を重ねるコンサルタントみたいな人達が全て融合した形になってゆくのかなと朧げに想像してます。芸術家という言葉も創造家とかになるのでしょうか。
芸術は身を滅ぼすかも知れませんよ。芸術を求め過ぎて散財したりするかも知れませんよ。中国の昔話でしたか、お茶道楽し過ぎて財を無くした話がありますよ。私は若い頃、 ライターや万年筆や靴等に本物を求めました。つまりそこに芸術を求めたのかも知れません。しかしその後に、 100円ライターや国産の安価な筆記用具や靴に出会いましたら、 本物指向が変わりました。芸術に少しは足を突っ込んでいる私は、 価値観が時々変化します。結論はあーだこーだ思考しながら、 人生が過ぎて行く事でした。楽しい人生でした。人生のエンディングで、 車田さんと巡り会えまして嬉しかったです。
今回の芸術の話を念頭に置いた場合、音楽の神が乗り移ったようなモーツアルトの音楽をどう捉えたら良いのでしょか?
ぼくは、坂本龍一さんが好きじゃなかった。政治的な思想が真逆でとてもじゃないが受け入れられる存在ではなかった。しかし、彼がついこの間亡くなった時、改めて彼が残した遺産を聴いてみた。後期のピアノソロを聴いているととても癒された。それらを聴いていると彼は「鎮魂」を奏でていたんだと思った。その一点において、彼は芸術家だと思った。彼に対する見る目が変わり、彼の自伝を読んだ。彼の生活や思想は受け入れられない部分はある。しかし、彼が残したものは人類に対する深い祈りと希望だった。それだけでも実に尊いものだと思った。モーツァルトもとんでもない自己愛で一方的で今なら間違いなく社会不適合者だろう。しかし、誰もモーツァルトの曲を非難したりはしない。世の中に対して良くない思いを抱き続ける芸術家は多い。中には自殺で終えてしまう人もいる。そういった作品の多くは同調しやすく、魔物を呼びやすい。しかし、例え素行が悪く思想的に相容れなかったとしても、「彼ら」が祈り続けた純粋な芸術に対する想い、神や生み出された作品を愛するこころ。これらは決して無碍にはできないことを感じた。
自由意志は、存在するのですか。
女子高生の繊細な心情を表現した美しい吹奏楽のアニメ映画「リズと青い鳥」を見にいったとき、野卑で有名なモーターヘッドのフィルムコンサートのプロモーションをやってました。そのとき、モーターヘッドの方が芸術なんだよな、と思いました。メタルロックって、ベートーベンやワーグナーと同じ様な、キリスト教に対するゲルマン神話という構造があると聞きますから。もっとも、モーターヘッドはイギリスのバンドですが。
え?マイセン?ローティーンの頃、エロイカより愛を込めてというスパイ漫画が好きで触発されてドイツが好きになりましたが、その中のハプスブルク家の血を引く主人公スパイが貴族でマイセンの食器を使っていました。だからいいなあ~と羨ましくなります。しかしいくら熱量が強くても汚いベットマットを芸術だと言われても目が点です😓
芸術・・・と云うと難しいので『美』という言葉に代えては如何でしょか?感動を共有できるものこそ芸術であり『美』ではないでしょうか。それは音楽でも彫刻でも絵画でも演劇でも或は料理でも同じではないかと。ただそれが分かる様になるには、良いと云われるもの王道と称されるものに多く触れることが必要だと思います。
芸術といえば、いわゆるJポップ歌手やロックバンド、アイドルなどの商業音楽の表現者を「アーティスト」と呼ぶ風潮に違和感を感じています。私もポップスは日頃から聴きますし、ロックやメタルも大好きですが、アーティストと呼ぶのは違うと思っています。様々なジャンルの音楽表現者をひと括りにして表す言葉としてアーティストという単語は便利なのだと思いますが、ARTISTやARTの持つ本来の意味が薄くなり、価値が下がってしまうようなイメージがあります。
徒に語義を狭めてるだけじゃないですかね。まずは「商業音楽」という発想を捨ててみてはいかがでしょうか。ベートーヴェンやシューベルトが何がしかのパトロネージュを得ていたからと言ってそれで価値が変わるなんてことありますかね?
英語圏では、芸術家はartist、商業音楽のミュージシャンやダンサーなどはartisteと言うふうに使い分けているようですね。アクセントもそれぞれ違うようです。
昔美術学校に通っていた時、先輩が「本当に優れた作品は絵が生きている」と言っていたのが印象に残っています。
優れたクラシック作品も作曲家の熱いエネルギーが注ぎ込まれた、まさに血で書かれたものだからこそ、時代を超えて演奏され続けるのでしょうね。
車田さんの芸術についてのお話はいつも示唆に富んでいて面白いです。
また違うテーマで聞ける日を楽しみにしてます♫
何だか涙がこみ上げて来ました。すごく感動しました。やっぱりベートゥベン、シューベルトにあいたーい!
そうですね。
若い頃、荻窪の骨董屋のおじさんに「どうしたら本物と贋物を見分けられるようになりますか?」と尋ねたところ「上野の博物館や美術館にある物を片っ端から3年くらい観てまわれば、だいたい分かるよ」と言われました。
現在では芸術とかアートと言う言葉がわりと気安く使われていますが、観る側も聴く側も、もしエンタメやスポーツやコマーシャリズムアートには無い何かを求めるのなら、それなりの努力が必要たと思います。
待っていても芸術と呼ばれる物があちらからやって来ることはないと言うことだと思いますが、私がやれているかと言う自信はありません。
ベートーヴェンにとっての芸術、シューベルトにとっての芸術というところから・・・まず核心に触れてそれぞれが感じればよいというのは、流石のお話です。
先週の土曜日にフジコ・ヘミングさんと東京フィルハーモニー交響楽団のコンサートに行って来ました。
初めて生演奏で『運命』を聴きました。
何度も何度もCDでは聴いていましたが、まるで違うものでした。
そして220年も前にこのような曲を作出したベートーベンの凄さ偉大を再確認したところです。
なかなか言葉では表現が出来ませんが、とにかく素晴らしいものでした。
毎日BGMのように聴きながら楽しんでおります😊❤
『本物の芸術を知る』と言う課題は非常に難しいですね。
音楽だけではなくバレエや絵画や建築や文学等、人間が創造した様々なジャンルの芸術作品が時代と共に多岐に渡り複雑さと多様性が混雑する中で芸術に対する誤解や線引きが知る事への理解や情熱を希薄にしているような気がします。コアな考え方に対して誰もが偏見や社会的境遇に左右されず自由に感じ自由に知る事が出来れば本当に素晴らしいと思います。先生の議題や問題提起はいつも感慨深く拝聴しています。
コアと熱量 情熱と感謝 ジグゾーパズルを埋めるように…芸術にとどまらない人生そのものですね。いやだから芸術は人を感動させるのですね。感激するお話ありがとうございます。
芸術に対する深いお話をありがとうございました。先生の穏やかな語りで聞けて心が落ち着きました。「決してその作品をジャッジしない」という大事なことを教えてくださりありがとうございました💐💐💐
私が中学生の時に、クラシックの作曲家になろうと思ったのは、まさにベートーヴェンのソナタを弾いて救われた経験があったからです。私は生まれつき左耳が聴こえませんが、音楽を感じ、状況にもがき苦しむ気持ちを投影させようと、ベートーヴェンの曲をどれほど練習したか分かりません。
芸術に没頭することで救われるという体験は、今、当時の自分を振り返るとなんと得難い世界に自分は出会っていたかと思います。
それでも、私はプロになれませんでした。芸術はあまりに遠く、自分の人生は足りません。芸術に人生を捧げる音楽家の方々を尊敬します。
素晴らしいお話、ありがとうございました。
感動的な🎉お話しをありがとう😊
同じ音楽を聴いても、聴く人の心の琴線にどう響くかは十人十色
私は特に芸術音楽を最大限に理解したいから、心の琴線を敏感に研ぎ澄ますようにしようとしたんだけど、
感受性が強くなりすぎて、割とすぐ感動しちゃうのよね😅
私にとっては非常にわかりやすいお話でした。ありがとうございます。なるほど、音楽だけでなく他の分野の芸術にも、お話しされていたことを当てはめてみると、これまでとは違った受け止め方で鑑賞できるかもしれません。
4:50 まずはジャッジしない、というお言葉に救われました。
マイセン実家で使ってます。
チョコレートムース美味しそうですね。
私は、高校生の頃、芸術科目は、音楽、美術、書道、に分かれていて、どれか自分で選択することになっていました。結局私は、音楽を選択したわけですが、やはり、授業では、ギターの練習が多く、たまたま、私の父親がギターを持っていたので、
なんとかなりました。専門家の車田さんは、芸術については、ある意味、人生論にもなりますね。私は、ベートーヴェンが、ハイリゲンシュタットの遺書で、芸術だけが、私を自殺から救ってくれた、という言葉にいつも感動しています。
本物という言葉の危険性がよくわかるお話でした。自分にとって無価値に感じるものでもそれが本物である可能性は考慮すべきです。年を経てから味覚が変化成長するように多くの芸術に触れることで芸術の感じ方もまた変化成長するでしょうから、「本物じゃない」と言って軽々に切り捨てるのは何とももったいない話。
今夜も先生の穏やかなお話聞けて1日が終えていきそうです。芸術についての深い洞察力有難うございました❤🎉😊
芸術について、あまり考えた事はありません。分からないからです。私がクラシック音楽を聴くのは感情が音楽と溶け合って動いて行くことに幸福を感じるからです。ベートーベンを中心に心の共感を楽しんでいます。音楽を楽しみましょう。 車田さんは、甘いものが大好きですね。美味しいお菓子に出会った時、これは芸術だと感じることは無いですか?
本物の芸術を理解するためのキーワードとして「熱量」のお話を伺い、なるほどな、と思いました。そしてその時、私が思い浮かべた作品はバッハのシャコンヌでした。
いつも本当に美味しそうですね🙂
いつも、美味しいお菓子、いいですねー😊
芸術の定義って難しいですね。
音楽、絵画、彫刻、文学。
映画や漫画だって、芸術でしょう。
人々に感動、感銘を与えるという
意味では、料理も芸術と言えるか
もしれないですね。
だから、ロッシーニは料理人に
なったのかも。
ロボットがロボットを作る時代になったら世界中の人々が芸術家ですね。ただ今のような芸術家でなく、ロボットにできない全てが融合されたような、つまり政治家、哲学者、自然科学者、そして人間に都合の良い改善を重ねるコンサルタントみたいな人達が全て融合した形になってゆくのかなと朧げに想像してます。芸術家という言葉も創造家とかになるのでしょうか。
芸術は身を滅ぼすかも知れませんよ。芸術を求め過ぎて散財したりするかも知れませんよ。中国の昔話でしたか、お茶道楽し過ぎて財を無くした話がありますよ。
私は若い頃、 ライターや万年筆や靴等に本物を求めました。つまりそこに芸術を求めたのかも知れません。しかしその後に、 100円ライターや国産の安価な筆記用具や靴に出会いましたら、 本物指向が変わりました。
芸術に少しは足を突っ込んでいる私は、 価値観が時々変化します。
結論はあーだこーだ思考しながら、 人生が過ぎて行く事でした。楽しい人生でした。人生のエンディングで、 車田さんと巡り会えまして嬉しかったです。
今回の芸術の話を念頭に置いた場合、音楽の神が乗り移ったようなモーツアルトの音楽をどう捉えたら良いのでしょか?
ぼくは、坂本龍一さんが好きじゃなかった。
政治的な思想が真逆でとてもじゃないが受け入れられる存在ではなかった。
しかし、彼がついこの間亡くなった時、改めて彼が残した遺産を聴いてみた。
後期のピアノソロを聴いているととても癒された。
それらを聴いていると彼は「鎮魂」を奏でていたんだと思った。
その一点において、彼は芸術家だと思った。
彼に対する見る目が変わり、彼の自伝を読んだ。
彼の生活や思想は受け入れられない部分はある。しかし、彼が残したものは人類に対する深い祈りと希望だった。
それだけでも実に尊いものだと思った。
モーツァルトもとんでもない自己愛で一方的で今なら間違いなく社会不適合者だろう。
しかし、誰もモーツァルトの曲を非難したりはしない。
世の中に対して良くない思いを抱き続ける芸術家は多い。中には自殺で終えてしまう人もいる。
そういった作品の多くは同調しやすく、魔物を呼びやすい。
しかし、例え素行が悪く思想的に相容れなかったとしても、「彼ら」が祈り続けた純粋な芸術に対する想い、
神や生み出された作品を愛するこころ。これらは決して無碍にはできないことを感じた。
自由意志は、存在するのですか。
女子高生の繊細な心情を表現した美しい吹奏楽のアニメ映画「リズと青い鳥」を見にいったとき、野卑で有名なモーターヘッドのフィルムコンサートのプロモーションをやってました。そのとき、モーターヘッドの方が芸術なんだよな、と思いました。メタルロックって、ベートーベンやワーグナーと同じ様な、キリスト教に対するゲルマン神話という構造があると聞きますから。もっとも、モーターヘッドはイギリスのバンドですが。
え?マイセン?ローティーンの頃、エロイカより愛を込めてというスパイ漫画が好きで触発されてドイツが好きになりましたが、その中のハプスブルク家の血を引く主人公スパイが貴族でマイセンの食器を使っていました。だからいいなあ~と羨ましくなります。
しかしいくら熱量が強くても汚いベットマットを芸術だと言われても目が点です😓
芸術・・・と云うと難しいので『美』という言葉に代えては如何でしょか?
感動を共有できるものこそ芸術であり『美』ではないでしょうか。
それは音楽でも彫刻でも絵画でも演劇でも或は料理でも同じではないかと。
ただそれが分かる様になるには、良いと云われるもの王道と称されるものに
多く触れることが必要だと思います。
芸術といえば、いわゆるJポップ歌手やロックバンド、アイドルなどの商業音楽の表現者を「アーティスト」と呼ぶ風潮に違和感を感じています。
私もポップスは日頃から聴きますし、ロックやメタルも大好きですが、アーティストと呼ぶのは違うと思っています。
様々なジャンルの音楽表現者をひと括りにして表す言葉としてアーティストという単語は便利なのだと思いますが、ARTISTやARTの持つ本来の意味が薄くなり、価値が下がってしまうようなイメージがあります。
徒に語義を狭めてるだけじゃないですかね。まずは「商業音楽」という発想を捨ててみてはいかがでしょうか。ベートーヴェンやシューベルトが何がしかのパトロネージュを得ていたからと言ってそれで価値が変わるなんてことありますかね?
英語圏では、芸術家はartist、商業音楽のミュージシャンやダンサーなどはartisteと言うふうに使い分けているようですね。アクセントもそれぞれ違うようです。