岐阜県下呂市の地名の由来と下呂温泉の歴史[歴史文化地名]

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  • Опубліковано 1 лют 2025

КОМЕНТАРІ • 8

  • @sempojp
    @sempojp 7 місяців тому +2

    呂は中国では背骨の意味もあるが、止呂が瀞と通じて流れが緩やかな場所を示すことがあるので、飛騨川の流れを上流から辿った地名だと思っていました。ちょうど飛騨川が比較的真っ直ぐになっている地点ですしね。奈良時代は都ではまだ牛車でしたし、馬はさほど多くなかったはずですしね。

    • @nihon_chimei
      @nihon_chimei  7 місяців тому

      コメントありがとうございます!
      「トロ」は流れが緩やかという意味も含んでいるんですね!やはり、地形が関係して地名が変わったのでしょうか🤔

  • @こげくさ
    @こげくさ 2 місяці тому

    嘔吐物がゲロと呼ばれるようになったのはいつなのでしょうか?

    • @nihon_chimei
      @nihon_chimei  2 місяці тому

      とても大切な視点ですね。実は、動画内で触れようかと考えたいましたが、削ってしまった部分なんです。
      ゲロが嘔吐を指すようになったことが文献で確認できるのが江戸時代以降です。
      滑稽本・江戸時代後期の風俗文学『浮世床(文化10年〜11年・1813〜14)』では、「ゲイと云って吐逆(もどし)たが 、、、 ゲロゲロゲロと両方の肩頭(かたさき)へ、、、」と嘔吐の擬音語として登場し、
      大正11年の小説『故旧忘れ得べき』で、「ゲロが溢れでてゐた」と、はっきりと嘔吐の表現としてのゲロが登場します。
      江戸時代には擬音語として認知があり、大正時代には擬音語から嘔吐することの表現として定着していたことがわかります。
      なので、少なくとも江戸時代以前に「ゲロ」という地名があっても、抵抗感など無かったのでしょう。

  • @ttttommmmmm
    @ttttommmmmm 8 місяців тому +1

    伴有駅よりも京に近いのに下留駅となったのが不思議ですね。
    他の事例では京から近い順に上、中、下となるのに。
    例えば上野国、下野国や上越、中越、下越のように。

    • @nihon_chimei
      @nihon_chimei  8 місяців тому +1

      コメントありがとうございます☺
      鋭い視点ですね!これについては、動画内で触れることをすっかり失念していました😅
      伴有駅から朝廷に向かう「上留駅」となってもおかしくないですよね。もしかすると、国レベルではなく支道の駅家なので、飛騨国府を基準としたのかと考えています。

    • @alt_zaq1_esc
      @alt_zaq1_esc 7 місяців тому +3

      @@nihon_chimei 単に川の上流側(標高が高い側)を上とした可能性はないのでしょうか?奈良の吉野川も上流が上市、下流(交通的に京都側)は下市ですし、京都市内でも内裏に距離的に近いのは上賀茂より下鴨神社のほうです。

    • @nihon_chimei
      @nihon_chimei  7 місяців тому +1

      コメントありがとうございます☺️
      標高による上下とすると、街道を歩く際に登り下りがわかりやすくて有用ですね。
      吉野の上市、下市と上賀茂、下鴨の関係性は初めて知りました、とても面白い関係ですね!
      下呂も吉野も京都も川沿いの地名なので、水に関する信仰なんかもあるかもしれませんね!