I enjoyed this vlog very much. We, the 日本人, have been reading 孫子の "Art of War" for 何百年. 上級将校 of 帝国海軍 of この時代, however, might have skipped the section on '兵站' as they showed not very much interest in destroying the enemy 兵站 and protecting their own. As a bigファン of 孫子, 武田信玄 would have been appalled.
Oil was not 'the lifeblood of the nation.' Coal was. Oil was the lifeblood of the military, and the military was not 'the nation' though the leaders of the IJN and IJA mistakenly thought so. Prior to war with China, oil provided 7.3% of Japan's total energy consumption - civilian, industry, government, and military. Coal (and coal gas) provided about 68% of the nation's energy consumption, hydroelectric 16 to 18% (depending on rainfall), and biomass (usually charcoal used for home cooking and heating) about 10%. BTW, though the US produced and consumed much more oil than Japan, the top provider of energy to America was coal as well. Coal was king in just about every industrialised country except for the few nations that had abundant hydroelectric power. Japan began rationing oil products in 1938, two years before America's restriction of the export of aviation gasoline and three years before the restriction on the export of all oil. We see companies like Toto, a maker of ceramic products which is energy intensive production, switch from oil to heat its kilns to coal and coal gas. Moreover, though the US was the world's largest producer of oil, it was not the world's top *exporter* . Venezuela was. By a huge margin. In 1928, Venezuela surpassed the US as the world’s largest oil exporter, and by 1936, it was exporting almost as much oil as the next seven exporters combined-the United States, Peru, Iran, Romania, the Dutch East Indies, Iraq, and the Soviet Union (43.05 million tons versus 44.39 million tons). Prior to WWII Venezuela was Britain's largest supplier of oil; Venezuela’s market share rose from 17 per cent to 49 per cent during the 1930s. Further, Venezuelan oil was cheaper than American. It was so cheap that in 1932 the US imposed tariffs on Venezuelan oil that removed it from the US market that had been its chief destination of output; these tariffs were ended in 1939 as American increased production to aid Britain. Yet Japan did not diversify to Venezuelan, Mexican, or Peruvian oil. Japan had 0.5% of the motor vehicles that US had, meaning little oil was used for these, and the fuel rationing of 1938 eventually removed private cars from the roads. By 1941 the 77,000 trucks operating in Japan had their allotment reduced to one-third the level of 1936. Railroads were powered by coal (intercity routes) and electricity (intracity routes). Even buses were converted to coal and charcoal beginning in 1938. Commercial airline service barely existed; Japan Air Transport carried 70,000 passengers in 1938, many of whom were military officers and government officials. Who other than the military was was the chief consumer of petroleum? The merchant marine and the fishing fleet. If we look at 'peacetime' Japan's oil imports of 1936 (before the military took over the economy), we find Japan was importing less than 30 million barrels from the US. Yet even this total was inflated due to the 1934 law requiring oil importers to maintain a 6-month stockpile in Japan. (Japan built an oil stockpile exceeding 50 million barrels, estimated to be two years of civilian consumption, before 1940.) The average price of oil in 1936 was $1.09 per barrel (and ranged from $1.02 to $1.18 per barrel from 1937 to 1941), meaning that Japan's oil bill ranged from about $32 million to $40 million. In 1938 Japan imported $60 million more in US cotton ($88.3 m) than US oil ($28.3 m). Could we claim cotton was the lifeblood of the economy? In '40 it was only $3 million more as cotton imports fell and oil imports increased. Why? War beginning in '37 and the establishment of war mobilisation in '38. In 1938 civilian consumption of petrol dropped 60% due to rationing and continued to fall. Oil consumption was a military concern and not an entire nation one. Japan was a multi-billion dollar economy, estimated to be worth from 9 to 10 billion US dollars in 1941. Its oil bill was negligible. Yet in autumn 1940 Tokyo tried to strong arm the Dutch East Indies to increase oil sales to 3.5 million tons (about 25.5 million barrels) and _accept payment in yen_ . The Dutch government responded that 1) it was not an oil merchant; Tokyo needed to negotiate contracts with the oil companies, and 2) payment in Dutch guilders or US dollars was only acceptable. Examining the claim that 'oil was the lifeblood of the nation' I've shown that the claim is untrue. It was used by the military as a pretext to rationalise the take over of the country and war. This lie cost Japan millions of lives and billions of dollars worth in misallocation of the taxpayers' money and destruction of the nation to acquire oil worth tens of millions. A dreadful return on investment.
5:55 風立ちぬで''今どき景気がいいのは造船業だけだよ''みたいなセリフがあったような気がするけどこれらの事なのかな
うぽつです。
造船、輸送、護衛
これらを揃える難しさが
改めてわかってきました。
ありがとうございます。
シーレーン絶対大事ですからね!!
無駄がなく適切な情報ありがとうございます。非常に興味深い内容でした。
ご視聴ありがとうございます!!
なんだよ結構おもしろいじゃないか
輸送船に目を向けた解説者あんまいないので面白いですね
頑張ってください
そう言って頂けると嬉しいです!!
ふんわりチャンネル 事実現在のイタリア海軍解説動画とかほとんどない(多分他にはないと思う)し興味あるけどないみたいなところを突いてきてくれて面白いです
戦標船は個人的に好き。プラモで大量に並べたい。
乗りたくはないけど。
1TL型油槽船とかは普通にカッコイイですよね!!
12:15 その資料は軍令部第4課(補給)土井大佐が作成したのですが、軍令部第1課首席神重徳大佐から「とにかく早く作ってくれ」との依頼で「やっつけで」第一次大戦のイギリスの損失量を参考したようです。土井さんは「もっと広範な研究が必要だ」と一応の留保はしてるのですが、そこは官僚ということです。
で、この動画を見て古い本ですがNHK「日米開戦勝算なし」を読み返したのですが、
アメリカ国務省戦争指導調査室1941年5月29日付けの「日本経済についての報告書」ポール・ニッツェ(後にレーガン政権の国防次官補)、これが見事というか呆れるほど的確に日本経済の実相と弱点について分析してあって、独善的で視野の狭い人材が中枢を占めていて、軍人以外を「地方人」と侮蔑していた当時の日本では、自ずと結果は火を見るより....ということなんでしょうね。
うぽつです。私の知らない限りかもしれませんが、太平洋戦争の後方輸送に具体的な資料とともに解説していただける動画は見たことなかったので、とてもありがたいです。
私も目下勉強中です!!
ua-cam.com/video/x7a92pdo2QQ/v-deo.html
他の人の動画だけど、この人とかどうだろ
イナゴ大福 ありがとうございます。時間を見つけて視聴します!
全体の流れで、理想との解離の進む様が解りやすく解説されていて見易い動画をありがとうございます。次回も愉しみにお待ちしております。
戦中活躍していた輸送や油槽船舶、大好きな造型ですだけに、海没する顛末は哀しみが押し寄せます。
二輸一輸のブロック建造は、現在の造船技術への系譜の始まりに感じるだけに、戦時に傾注された技術的現場の努力は日米両陣営で其々大事な事業だったように感じます。
船は、どの時代も魅力的ですよね。
ご視聴ありがとうございます。
戦中の日本産業界の動きとか凄く興味があるので、勉強して動画にしたいんですが時間が...
初期型の戦標船なんて戦後使うつもりだったから対して合理化してない贅沢仕様だったみたいだしねぇ
二次の手抜きっぷりと三次の逃げ足追求が戦局の推移をよく表してる。
兵站は大丈夫はっきりわかんだね
だと良かったんですが...
ダメみたいですね…
インドネシア付近での
アメリカ潜水艦隊と
日本輸送船の話しも
お聞きしたいところですね。(^_^;)
いつかやる予定の海上護衛戦についての動画で触れたいですね!!
「徹底した少品種大量生産で国全体で生産性を上げよう」
と言う考えは正しい。
戦後共産圏の鉄道車両やバスの生産も少品種大量生産だった。
海軍の存在意義は、自国の領海防衛と商船の護衛(シーレーン防衛)なんだよね!
それを師匠の大英帝国海軍から学んだのに、
なんでこうなった?
両国も島国ですから、侵略者は海を越えて来るので、それから国土を防衛するために海軍がありますね。それに特化した日本海軍に対して、世界中に植民地をもつイギリスは、それらを維持管理し何か起きれば急派する必要があります。またそれら地域からの海上交通路が途絶えれば国家は維持できない、それを護るため海軍は存在するという大きな国家戦略があったのでしょう。
日本は大艦隊を殲滅すれば制海権を抑えられるので、間接的に海上交通路は護れる。上手いこといけば日露戦争のように戦争自体を勝利に収める大きなキッカケにもなるものと考えていました。また、アジアには日本の海上交通路を脅かすような強力な海軍もありません。アメリカを仮想敵にはしていたものの、多く資源はアメリカからの輸入頼みですので、国家としては米英と本当に戦争になるとは思っておらず、まして資源確保のために列強植民地を制圧して国家を運営しようなんて発想は、大東亜戦争開戦直前までなかったと思います。ですからそのための戦略も準備もありません。
日本が守るべきシーレーンは日本と中国大陸の間のごく狭い海域だけだったからです。
海上護衛の重要さを理解していなかったのではなく、本格的に戦争が始まったら守らなきゃいけなくなるシーレーンの広さを認識していなかっただけです(´・ω・`)
素人は作戦を語り、玄人は兵站を語るって誰かが言ってましたね
日本の輸送船……海運会社所属の船と船員を丸ごと徴用していましたからね。
優秀船舶建造助成は「出雲丸(飛鷹)」と「橿原丸(隼鷹)」も海軍に引き取られましたし
大陸を想定してたのに南方に投入された陸軍もそうだけど、国家レベルでは想定外をもっとも回避すべきだよね、出来たら苦労しないけど
速度が8ノットくらいしか出なかったのと、戦争の影響で、高張力鋼が使えなくなって普通鋼の割合が多数とかになっていくし。
速度は、護衛の艦艇の運用にも影響が出るし、敵潜水艦の標的だし、民間徴用の優秀船はどんどん沈む、
戦時標準船で特殊な例は鉄道省の鉄道連絡船ですが、末期には被害が出ているし。
初めからしっかり船団護衛をしていれば、戦争中後半になっても戦前建造に優秀船舶がある程度は生き残っていたのではと考えると悔しいですね...
@@ふんわりチャンネル 確かに・・、
コンクリート船、武智丸なんて考える必要すらなかったw。
@@ふんわりチャンネル
マトモな船団護衛ができ始めたの44年の3月あたりからだもんねぇ…
戦時を考えれば高速高性能な輸送船が必要になりますけど、民需用の輸送船は戦争が無い時は軍艦と違って普通に稼がなきゃいけないんで、性能が良すぎる輸送船は経済の足かせにしかなりません。
平時の貨物船としては8ノットは現代の海運業でも十分すぎる性能で、当時それを上回る高性能輸送船を必要量揃えとけというのはそもそも無理な話なんです。
また、船団輸送は荷物を積み終わった大小さまざまな船舶が出港準備を整えるまで港近くで待たさなければならないし、到着したら到着したで多数の輸送船が一度に港にやってくるので、港湾施設が充実していなければ輸送効率が極端に悪化します。港が行楽シーズンの高速道路SA/PAみたいになっちゃうわけです。
岸壁が空くまで荷物を積んだまま港内で何日も待たねばならない船が出て来るんで、輸送船腹と港湾施設の処理能力に余裕が無ければ実施できません。つまり、ただでさえ輸送船腹がギリギリの日本で開戦当初から船団輸送を実施するというのは無理なんです。
戦争終盤になって船団輸送が実現するのは、船の数が少なくなったことで相対的に港湾施設の処理能力に余裕が出来てしまったという皮肉な事情が背景にある事を忘れてはなりません。
海軍保有の物を抜いて105とか絶望的な過ぎて草
このくらいの損害で抑えられてれば良かったんですが...
(輸送船が)足らぬ足らぬは工夫が足らぬ・・
その工夫が、まさかあんな事になるなんて...
ちょいすが渋いわー😄
もう少しメジャーな物もやりたいんですけどね...
第二次戦時標準船がヤバすぎて第一次があんまコスト下がらず目論見失敗したのが可愛く思える
E型を是非とも考察して下さい。
E型作るのはともかく人の配置どう考えていたのか
毎日出来る船に人を合理的に配置したのだろうか。 訓練ちゃんとしていたのだろうか。
何か恐ろしくなる。
第二次計画が一番おかしく次第に修正はしたのだろうけど…乗る方からしたら…
そういえばコンクリートで作られた駆逐艦か巡洋艦があったと思います。
うる覚えだけど、タンカーか貨物船ならあったけどねぇ?
生き残った2~3隻は、戦後漁港の防波堤に転用されて、今も見れます。
グーグル地図で検索すると出てくるちゃ~思いますよ。
地元の安浦漁港にコンクリート輸送船「第一・第二武智丸」が防波堤として今も着低・係留されています。大戦末期の建造でありながら粗雑さはなく、仕上がりはしっかりしていました。輸送任務中に至近で触雷、船体に亀裂が入るもののセメントを塗るだけで良かったとか。
I enjoyed this vlog very much. We, the 日本人, have been reading 孫子の "Art of War" for 何百年. 上級将校 of 帝国海軍 of この時代, however, might have skipped the section on '兵站' as they showed not very much interest in destroying the enemy 兵站 and protecting their own. As a bigファン of 孫子, 武田信玄 would have been appalled.
Thank you!!
蒸気機関車の戦時型は有楽町の駅前にあるC11
背景の前半は愛宕でトライデントの中央攻略戦?
背景の後半は金剛で隣接勢力の制圧戦かな?
わかりやすい説明ありがとう
日本は海洋国家であり海上交通による通商路は命綱ですよね
第二次標準船仕様以後、鉄や工数を大巾に節約して、しかし、戦前の建造計画を一年目も二年目も下回るかギリギリクリアする量しか造っていません。海軍が仕切っていたわけですが、残りの鉄や工数は何に使われたかわかりませんか?海防艦も鉄と予算を三百隻分別枠で享受しておきながら百数十隻しか造っていません。鉄や予算は何に使われたのですか。海軍の卑劣な不正ではありませんか?真実を知りたいです。
標準と言いつつ細かく分かれすぎているのが何もわかってないですね
第二次戦時標準船舶は轟沈型ってマジ?
それは次回をお楽しみに(番宣)
甘めの予測とはいえ、そもそも「戦争続行必要ラインを下回るのトン数で2年間もアメリカと戦え」とかすでにおかしいでは
Oil was not 'the lifeblood of the nation.' Coal was. Oil was the lifeblood of the military, and the military was not 'the nation' though the leaders of the IJN and IJA mistakenly thought so.
Prior to war with China, oil provided 7.3% of Japan's total energy consumption - civilian, industry, government, and military. Coal (and coal gas) provided about 68% of the nation's energy consumption, hydroelectric 16 to 18% (depending on rainfall), and biomass (usually charcoal used for home cooking and heating) about 10%. BTW, though the US produced and consumed much more oil than Japan, the top provider of energy to America was coal as well. Coal was king in just about every industrialised country except for the few nations that had abundant hydroelectric power.
Japan began rationing oil products in 1938, two years before America's restriction of the export of aviation gasoline and three years before the restriction on the export of all oil. We see companies like Toto, a maker of ceramic products which is energy intensive production, switch from oil to heat its kilns to coal and coal gas. Moreover, though the US was the world's largest producer of oil, it was not the world's top *exporter* . Venezuela was. By a huge margin. In 1928, Venezuela surpassed the US as the world’s largest oil exporter,
and by 1936, it was exporting almost as much oil as the next seven exporters
combined-the United States, Peru, Iran, Romania, the Dutch East Indies, Iraq,
and the Soviet Union (43.05 million tons versus 44.39 million tons). Prior to WWII Venezuela was Britain's largest supplier of oil; Venezuela’s market share rose from 17 per cent to
49 per cent during the 1930s. Further, Venezuelan oil was cheaper than American. It was so cheap that in 1932 the US imposed tariffs on Venezuelan oil that removed it from the US market that had been its chief destination of output; these tariffs were ended in 1939 as American increased production to aid Britain. Yet Japan did not diversify to Venezuelan, Mexican, or Peruvian oil.
Japan had 0.5% of the motor vehicles that US had, meaning little oil was used for these, and the fuel rationing of 1938 eventually removed private cars from the roads. By 1941 the 77,000 trucks operating in Japan had their allotment reduced to one-third the level of 1936. Railroads were powered by coal (intercity routes) and electricity (intracity routes). Even buses were converted to coal and charcoal beginning in 1938. Commercial airline service barely existed; Japan Air Transport carried 70,000 passengers in 1938, many of whom were military officers and government officials. Who other than the military was was the chief consumer of petroleum? The merchant marine and the fishing fleet.
If we look at 'peacetime' Japan's oil imports of 1936 (before the military took over the economy), we find Japan was importing less than 30 million barrels from the US. Yet even this total was inflated due to the 1934 law requiring oil importers to maintain a 6-month stockpile in Japan. (Japan built an oil stockpile exceeding 50 million barrels, estimated to be two years of civilian consumption, before 1940.) The average price of oil in 1936 was $1.09 per barrel (and ranged from $1.02 to $1.18 per barrel from 1937 to 1941), meaning that Japan's oil bill ranged from about $32 million to $40 million. In 1938 Japan imported $60 million more in US cotton ($88.3 m) than US oil ($28.3 m). Could we claim cotton was the lifeblood of the economy? In '40 it was only $3 million more as cotton imports fell and oil imports increased. Why? War beginning in '37 and the establishment of war mobilisation in '38. In 1938 civilian consumption of petrol dropped 60% due to rationing and continued to fall. Oil consumption was a military concern and not an entire nation one. Japan was a multi-billion dollar economy, estimated to be worth from 9 to 10 billion US dollars in 1941. Its oil bill was negligible. Yet in autumn 1940 Tokyo tried to strong arm the Dutch East Indies to increase oil sales to 3.5 million tons (about 25.5 million barrels) and _accept payment in yen_ . The Dutch government responded that 1) it was not an oil merchant; Tokyo needed to negotiate contracts with the oil companies, and 2) payment in Dutch guilders or US dollars was only acceptable.
Examining the claim that 'oil was the lifeblood of the nation' I've shown that the claim is untrue. It was used by the military as a pretext to rationalise the take over of the country and war. This lie cost Japan millions of lives and billions of dollars worth in misallocation of the taxpayers' money and destruction of the nation to acquire oil worth tens of millions. A dreadful return on investment.
イギリス海軍を手本としていたのに、どうしてこうなった…
個人的にはイギリス海軍を手本にしていたのは、日露戦争までの黎明期であってその後は独自路線に行ってるかと思います。
地政学的にイギリス海軍とは全く異なりますし...
OGAラテ
イギリス海軍は世界中に植民地があり、居留民や通商の保護も重大な任務としています。本国外からの海運で国家が維持しているという国家戦略に基づいた海軍です。反面、日本は長大な海上交通路を持たず、周囲には海運を脅かすのような海軍力は、日露戦争後には存在していません。また、日露戦争では旅順艦隊を閉じ込め、バルチック艦隊を撃破してしまったことで、制海権を握り間接的に交通路を護ることができたため、敵艦隊を撃滅さえすれば良いという戦略に固まってしまったということだと思います。
@@hanashim >周囲には海運を脅かすのような海軍力は、日露戦争後には存在していません。
いや、だからこそアメリカを仮想敵国に定めたんですけどね。
日本には保護すべき海上通商路が存在しなかったというのはその通りですね(´・ω・`)
レシプロはディーゼルより旧式・・・?どう言うこと?外炎と内炎って事?
間違った表現でした。
重油を用いたレシプロ機関が、ディーゼル機関より旧式のほうが正しいかも知れません..
@@ふんわりチャンネル
ディーゼルの方は内炎って理解でオケ?
蒸気レシプロ機関(重油外燃式、蒸気機関車は石炭外燃式)と
ディーゼルエンジン(重油・軽油内燃式)の比較かと。
両方式ともにピストンの往復運動を出力としますが、作動気体が蒸気あるいは燃焼ガスと、異なります。
なお、軍艦においては蒸気タービン(外燃式蒸気タービン)が主流だったかと。
内燃式タービンはいわゆるジェットエンジン、ガスタービンですが、まだないかと。
何を熱源にするか(燃料は何か)
作動流体が蒸気であるか、燃焼ガスであるか。
ピストンの往復運動(レシプロ機関)なのか、タービンの回転運動なのか。
ざっくりのイメージはこれでいいかと。(それぞれメリットデメリットがあるのでおもしろい)
@@ふんわりチャンネル 船舶用ディーゼルエンジンの中には重油を燃料にするのもあるから、その表現でも正しくないぞ(´・ω・`)?
「大平洋の嵐」というパソコンゲームが昔有った。
とても複雑でプレイするのに、とても骨が折れるゲームだった。
そのテーマは、資源とシーレーン。
資源に富む南方を占領しても、その資源を本土に輸送出来なければ、意味が無いゲーム。
とにかく、タンカーと輸送船を建造しまくるゲーム。
南方と本土の航路から、敵潜水艦を排除するゲーム。
突き詰めるとまず輸送からってなりますからね!!
太平洋の嵐・・・なつかしい。
まともにプレイするとホント大変だった。
でも一機だけ戦闘機か爆撃機を敵基地/艦隊上空に派遣して爆撃せずに帰還させると、敵の迎撃戦闘機が基地/母艦に帰ってしまうから、同じ日に同じ基地/艦隊に爆撃部隊を時間差攻撃させると第2並以降は迎撃を受けることなくノーダメージで敵基地/艦隊を壊滅できるという裏技があった!
おかげでいつも大勝利(`・ω・´)キリッ
タイヘイヨウノアラシ
1:10 レシプロ機関って言ってるけどガソリンでもディーゼルでも蒸気でもピストンの往復運動を動力に変えてるエンジンは全部レシプロエンジンやで。
おそらくレシプロ蒸気機関のことを言いたいんやろうけど
ありそうでなかった解説動画
高評価以外ありえませんな
見通しが甘いというか、都合の悪い数字は見なかったことにする政府高官の体質は今も昔も変わらないのが残念ですね
その数字が一体何を示しているのかをしっかり理解するのが大切ですね!!
なんか 悲しい!
南方にトラック等レベルの軍港を作ればよかったんじゃね?
シンガポールやスラバヤ辺りなら大きな港がありそうですけどね...
あーあー堂々のー輸送船♪
そりゃ戦争に負けますわ・・・
完膚なきまでに負けましたね...
大東亜戦争【太平洋戦争は米国の呼び名】突入した当時の日本軍部には世界情勢に極めて疎い輩しかいなかったようですね。負けて当然ですね。