バックビートはタイミング、アクセントの話ではなく、西洋音楽の小節線(重心が1拍目)とは違う「架空の小節線(Foward Motion)」を想定することです!

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  • Опубліковано 3 січ 2025
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    しかし視聴が増えるのは嬉しい反面、低評価も増えるってのは本当なんですね〜残念🥲
    小節線ですが、その存在自体が西洋音楽(クラシック音楽)目線です。われわれ日本人が地域で盆踊りの笛や太鼓を習うとき小節線ありました?大半が口伝えだと思います。今の子達はわかりませんが・・・黒人たちも同じで、曲やリズムなどは口承口伝の音楽でした。ですので西洋音楽理論に当てはめて、バック・ビート上のメロディの構造を説明すると「架空の小節線」になる、ということです。また「1拍目が強拍で2拍目が弱拍で」というのも黒人たちは違うかもしれません。「1拍目も2拍目も強拍」と思っている可能性が高いです。日本人の盆踊りや和太鼓もクラシックの言う「1拍目が強弱で2拍目が弱拍で」というのは果たして当てはまるものなのか?
    はてさて『スネアのタイミングを少しズラせばバック・ビートになる』とタイミングの話だけで理解してしまうのは全く『バック・ビートの本質には至らない』ことになるでしょう。それで判断する人はスネアが無い時どうやって判断するのでしょうか?アカペラのゴスペルを聴いても、ブルーズの弾き語りを聴いてもバック・ビートを感じることができなくなるのでは?スネアに頼るのは良い手法ではありません。バック・ビートは心理的印象的な重心なので、実音の強弱やタイミングと考えてしまうのは全く無意味です。ただ説明しやすいのでつい自分も2拍目、4拍目のスネア云々言ってしまいますが、あまり好きな説明ではないです。
    バック・ビートの話になるとどうしてもタイミングのズレの話に移行してしまいます。実際にズレは生じます。1拍目3拍目のダウン・ビートで取っている人はタイミングが若干早くセカセカした感じの演奏になる。4拍目裏のシンコペのタイミングが8分なのか16分なのかどっちなんだ?というくらい曖昧で音も張りがない、曲のスタートがタイトに決まらなかったり(ガツンと入らずモッサリと入る。カウントを単なる合図、いっせーのせっ!みたいに捉えているのか、音楽に入っていないフシが有る)ブレイクが有ると本当に時間が止まったかのように体全体の動きを止めてしまい、入りのタイミングが遅れたり早まったりし、しまいにはコチラの動きを凝視してタイミングを伺う。まるでゲームのようにタイミングが来た!体を動かす!みたいな・・など色々と症状があります。
    バック・ビートに入っていると自然に無意識的に準備動作が体や音(それが実音とは限らない)に出てきます。ギターだとパーム・ミュートやブラッシング音、ネック上で適当に指をスライドさせる動作とか・・・「あれ何で俺こんな動作入れてんの?」と動画見て気づきましたが、どうもノリに入っているとポイントを探すかのようにやっていました。
    バック・ビートで勘違いして欲しくないのは2拍4拍で、音量大のアクセントを、むやみに不自然に力こめてやることです。これはギターとドラマーに多い話かもしれませんね。スネアのリムショットでスティックを「リムに食い込ませている、または打面より先にリムを叩いている」と打撃音ばかり強調されてしまい打面の豊かな鳴り、減衰音を消してしまっている可能性があります。叩いている本人は手にかかる衝撃で気持ちいいかもしれませんがカッカッと余計な倍音が入って音抜けが悪くなるので注意です。自分がそうでした😅リムショットをハードヒットしすぎてスティックを削っている方は、打面とリムを同時に叩く角度を探してみましょう。スティックの消耗も収まるので一石二鳥です。
    バック・ビートに感じる演奏としてスネアが若干遅れているとかギター・ソロのタイミングで溜めが効いているとかありますが、やっている本人はJustでやっていると思います。ただ日本人のJust、九十九人のJust、黒人のJustが各々微妙に違うと私は考えています。ですからダウン・ビートでとる日本人のJustと、バック・ビートでとる黒人のJustはかなり大きな差となるので、そのタイミングを近づけようとして「溜める」表現になるのでしょう。それについてはいつか動画にします。ヒントは「いち」と「One」の発音に有る、と自分は推測しています。また黒人の体の動き、使い方が特徴的(クロス・ビート的?ポリセントリック的?)なのでソレも関係してくるのかもしれません。
    アクセントについても、音量的なことではなく「印象的心理的な強拍」のことを云っています。強拍を「重心」とあえていうのは小節などロストしないための灯台、錨のような感じを込めて言っています。ただしバック・ビートに重心が有ると2拍4拍でリラックスして打ち下ろすので自然に音圧が上がったり「ノリに入っているため自然にノートを強調」して音量が上がるアクセントが付いたり、スクィーズ(弦、ネックを絞るような動作=チョークで、音程をベンドする)など派手な音色を当てたり、ヴォーカルでも濁音半濁音、破裂音など使って意図的にアレンジとして強調することは勿論多いです。特にドラムが機械的になった80年代からはドラムが生み出していた位相?をヴォーカルが代わりに担うような抑揚を意図的にやっている気がします。プリンス、マドンナとか。
    はてさて「裏にクリックを鳴らして練習」なんてのもありますが、あれをそのままでやったら「タイム感を鍛えている練習」または「サブディビジョン=細分化したもの」であって、バック・ビートはもちろんリズム感の練習にもなりません。バック・ビート&ダウンビートの件=主要拍はどちらか?と、タイム感と、リズム感、はそれぞれ分けて考えてください。
    バック・ビートが得られたとしてもフレーズがダウン・ビートの作り、構造だとチグハグなものになります。いくらバック・ビートのバック演奏があってもメロディの質が、たとえば演歌調、民謡調では一体感は出せません。この点を今後『架空小節線=Foward Motion』で説明していくのがこのチャンネルの方向です。(演歌、民謡をディスっているわけではありません。むしろ職人的に優れたタイム感、リズム感を持っていないと演奏できません)
    BluesやJazzのようなバック・ビートの上で成り立っているフレーズをダウン・ビートで弾くと疾走感に欠けたり、フレーズが区切り(ノリに入っている時自然に入っている感じ。楽譜だと休符で示されるものもあれば、そうでないものもある)が無く、ダラダラとして抑揚に欠ける感じになってしまいます。これは弦楽器や鍵盤に多いですね。
    ダウン・ビートのメロディは人類が自然に発する普遍的なものです。決してダウン・ビートが劣っているわけではありません。しかし現代ポピュラー・ミュージックの殆どがアフリカ系アメリカ人の発した音楽(1900年前後に出てきたRagtime、Blues、Gospel、Jazzやアフロ=キューバン系の音楽など)が下敷きとしてあります。その発展の先にあり、黒人のR&Bと九十九人のマウンテンミュージック(ヒルビリー、カントリーの基の音楽)の要素が入ったRockをバック・ビートではなくダウン・ビートでやると躍動感が失われてしまいます。そしてなんとなくダサい・・・まぁこのあたりは聴く人や演奏者の美的センスのようなものなので正しい、正しくないの話ではないです。ただ「ダサいか、ダサくないか」です。
    自分は身なりはダサいですが演奏はダサいと言われないよう努力しています。ですので私のいくつかの演奏動画を視てダサいと思うならこれ以上は無駄な時間になるかもしれません。ただ私の説に興味が湧いたならもう少しお付き合い願います。
    バック・ビートについての私の推理ですが『バック・ビートは北アメリカのディープサウス域(ルイジアナ、テキサス、ミシシッピ、ジョージアなど)の奴隷制を受けてきた黒人たちの間で生まれた新たな手法』と見ています。ヨーロッパから来た移民(特にアイルランド系やドイツ系が多い大アパラチア域の音楽=マウンテン・ミュージック。のちのヒルビリー、カントリー音楽の元)たちの影響も受けながら、彼ら独自に仕立てきた。当時は今のようにレコーディングが出来ないので、口承音楽の形態かつ、聴くことができる場所も限定的であったと思います。バック・ビートを有す音楽が九十九人に広く認知され一般化されるようになるのはエルビス・プレスリー登場以降しばらくしてからです。そもそも九十九人らは黒人音楽=悪魔の音楽とし、煙たがっていました。チャーリー・パーカーらの音楽は九十九人の地位を脅かす存在として恐れていました。チャック・ベリーやリトル・リチャードらの古い写真では、九十九人だと勘違いしてくれることを期待したような写り方を施していることから、当時の社会環境が伺えます。そして九十九人と黒人の対立の先鋭化はKKKとブラック・パンサーに顕れています。公民権運動後、過激な思想を持った系統は現在のHip Hop界に息づいています。
    さてレコーディングが始まる前の1890年代あたりから「ラグタイム」の元とも云われているバレル・ハウス・ピアノ(安酒場のピアノ)が認知されるようになってきた。「ジ・エンターティナー」で知られるラグタイム・ピアノも、ベースのリズムはバンジョーが由来とも云われ、弦楽器とバック・ビートは深い関係がありそうな予感がします。奴隷制度解放後に増えてきたソングスターと呼ばれる流浪のミュージシャンらがバンジョーから6弦ギターに移り変わると共にブルーズ・ギターのテクニックや表現力に磨きがかかってきます。ピアノと違い弦楽器のほうがアフリカ由来のいわゆるブルーノートが出せるし、叫ぶことのできる楽器なのが相性抜群だったんですね!そしてダンス音楽の要素も強くしながら一層バック・ビートが深くなっていきます。おそらく1900年代初頭、ネグロ・スピリチュアルにあった影(黒人の悲痛、悲哀、九十九人に対するディスり)は、九十九人による黒人音楽矯正教育により取り除かれ、ゴスペルに変換していきます。後にゴスペルと呼ばれるようになる教会音楽は、西洋音楽の和声学を本格的に黒人が学ぶことになります。その過程の中、切除された影はブルーズに染み込んでいきます。ゆえにBluesの歌詞はネガティブなものやマジカル要素が多いのです。
    時代がすすんで第一次世界大戦が終結したころ。アメリカ復興とともに娯楽が戻って来るとレコーディングが増え始めます。そしてとても限定的で民俗音楽の範疇であったブルーズは1920年代半ばから録音が多くなり、明確なバック・ビートを打ち出しているのが確認できます。またブルーズと相互に影響し合ったジャグ・バンドも一時流行となり、そこにもバック・ビートがあります。ブギウギ・ピアノも大きく発展していました。しかしこれらの音楽は1930〜40年代に九十九人によって再発掘されるまで日の目を見ることはありませんでした。
    ※九十九人=百という漢字から一を引くと?
    「Guitar Rag」 Sylvester Weaver
    • Guitar Rag - Okeh 8480
    「Mistreatin' Blues」 Frank Stokes
    • Mistreatin' Blues
    「It's Nobody's Fault but Mine」Blind Willie Johnson
    • It's Nobody's Fault bu...
    「Stealin' stealin' 」(1928)Memphis Jug Band
    • Memphis Jug Band - Ste...

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