Розмір відео: 1280 X 720853 X 480640 X 360
Показувати елементи керування програвачем
Автоматичне відтворення
Автоповтор
当日私は、第二航空団でアラート勤務中でしたが空中戦はしていません。帰投したパイロットから直接聴きました。
ファイターパイロットの話はとても興味があります。当時の国防の最前線での任務お疲れ様でした。
皆さんどういう心境でしたか。 事前に米国から ミグが飛来するという通達があったというのは本当でしょうか。
@@yamaha7 私は末端兵なのでMIG飛来情報は聴いていません。当日から夜間兵装等(空対空フル装備)が有り、大変忙しかったです。<<心境は何時もと変わらず平常運転でしたよ!>>
@@hidetakask 貴重な情報をありがとうございました。 平常心を保てたのは 日頃の訓練の賜物ですね。
私は貴方より遥かに若い元陸自です。各種教育を経て随分と長くいたおかげで今はもう殆どお目にもかかれない元帝国陸海軍で自衛隊にもいた大先輩にもお会いできました。やはり先輩の時代にもそういう方々から教えをいただく事はあったのでしょうか?今は外国軍隊におります。気が向いたらで良いのです。何でも良いです、是非今後の人生訓としてお授け下さい、よろしくお願いします。
高校三年生の時、授業中、凄い爆音が、外から聞こえ、何かと見たら、赤い星の付いた、戦闘機が着陸してきました。家が、空港の比較的近くだったので、その日から、大騒ぎでした。忘れられない事件です。
お。ご近所さん
う、うらやましい~
私も高校の寮から見ました、後で米軍の大型輸送機が来て回収して行きました。
@@shinichirohatakeyamaakaber2681 同じ世代ですね。実家が湯川にあったので。最後の空港から、米軍のギャラクシーで運ばれて行くのも見物に行きました。
私は小学生の時桧山地域の海岸沿いに住んでいて、函館に向かう機体を目撃しましたよ。
つい最近にインド空軍所属のスホーイ30が百里基地に降り立ったのもいろんな意味で感動したよね
私の高校は函館山の麓にあり、校舎の窓からは、函館市内が見渡せる場所にありました。授業中に黒板ではなく窓から市内を眺めていたら、旅客機ではない機影が戸井(地名)の方向から函館空港めがけ飛来するのが見えました。そのまま着陸するのかと思ったら、着せず、市内上空を大きく2旋回してから函館空港に着陸しました。テレビニュースでそれがミグ25と知りました。単独で飛行しており、自衛隊機の追尾する機体はありませんでした。もちろん、空中戦も。
恐妻から最新鋭極秘超音速戦闘機で逃げ切った漢・・胸熱ですな・・
今年1月、小松基地F15事故のニュース番組にて、戦闘機の操縦の解説をなさっていた元空将の方が、ベレンコ氏のMigの迎撃に出動したF4のパイロットだと聞いて、凄く驚きました。
当時は自爆テロ可能な圏内まで許したですね。ベレンコ中尉のおかげで、それまで完璧と思えた自衛隊の弱点をご指導いただき更に政府を動かさざる負えない状態にし未来を確実に良い方向に変えた日本人にしては間違いなく英雄です。
ベレンコさんて苦労人というか、辛い少年時代にぐれるのではなく頭脳と体力で乗り切る決意をしたのがすごいですね。軍人になってからも正義感強すぎて仲間外れ。。空自とドッグファイトがあったかは分かりませんが、プロの彼がF4を識別できなかったとは考えづらいかな。
増槽がないと日本にまでは距離が不足するだろうからギリギリまで増槽内の燃料で飛行したから強行着陸の時に増槽がなかったのか?ファントム2対mig25 1で殺りあったねかは当事者以外分からないけど
ベレンコ中尉、亡くなったとか・・・ご冥福をお祈りします。
アーティストの辻仁成さんが高校生の時、教室からこのミグ25を目撃してるんだよね。作家としても活躍してた辻さんはベレンコ本人に会って「あなたの飛行を校舎から見てました」ってベレンコ本人に伝えて驚かせた。ベレンコを保護した北海道警察は何を食べるか分からなかったので親子丼をとった。ベレンコが親子丼を口にすると「こんなに旨いものがあったのか…」と感激した。ちなみにベレンコの嫁は相当の悪妻、エリートのパイロットと結婚したのに配属先がモスクワから遠くはなれた最果ての地、ボロい官舎に不満で夫婦喧嘩が絶えなかった。嫁の金遣いも荒く、夫婦の仲は冷めきっていた。国の待遇の他に嫁への不満が亡命の理由と言われている。
中2の時、全校サッカー大会の練習中に爆音が聞こえ見上げるとライトグレーの機体に真紅の星マーク。練習中の生徒全員と担任が見ました。夜に父親と一緒に函館空港に見物に行きました。翌々日には駒場方面から湯の川方面、そして函館空港へと陸自の6輪トラックに牽かれたL90や61式戦車、60式自走無反動砲等が隊列を組んで走っていたのを見た記憶があります。
31:07の答えは、エアインテイクの形状が異なるし、メインギアはダブルタイヤだし、コックピットはMig-25の複座練習機型みたいな前後の区画が独立したタイプとは異なる仕様のタンデム複座なので、Mig-25によく似たMig-31と言う別機体ですね。
大学生の頃、百里基地に移送されたと云うニュースを聞きギャランGTOを駆って写真を撮りに行きました。敷地外にもかかわらず空自の警務隊に執拗な妨害を受けましたが松の木によじ登り何とか撮影しましたが、機体の周りはシートで覆われており赤い星が描かれた2枚の垂直尾翼しか撮れませんでした。当時ソ連の戦闘機などUFO同様ほとんど情報が無かったので滅茶苦茶興奮したもので・・・今では良い想い出です。また面白い動画を楽しみにしております。
私の母親がお使いの途中、丸井デパートの前で「すごく大きな音がして、見上げたら赤い星★がついていて、ソ連が北海道に攻めてきた!」と思い、すぐに家に帰り避難の準備をしようとした、と話していました。
ベレンコ中尉は後に自主出版してこの日の事を詳しく語ってる…
当時、高校生でした。茨城県の日立港で船に積まれた機体を双眼鏡で眺めていたら、被せてあったグリーンのシートを一瞬持ち上げたので赤い縦の線(機体番号?)を見る事ができました。興奮したな!
16歳だったな マッハ3.2には憧れた笑長距離対空ミサイルとステルス化でマッハ2の現行機に夢は感じない 意味はなくともスピードに憧れるのが男なのだ笑
スーパーファントムは、もっと後の話ですよ…しかも、余命延長のためだと思います…後の話しになりますがF-15の導入に繋がっているのは明白です…
当時小学生だった私は、九州の玖珠駐屯地に勤務していた親父が、「北海道で何かあったらしい。しばらく帰って来られないかも」と言っていたのを記憶しています。なんだかヤバそうだと、子供心に心配していましたね・・・。
もしかしたら、ソ連の北海道侵略防衛の準備が開始されていたかもですね・・・
真偽は不明ですが、MIG25を破壊すべく、特殊部隊の出撃準備が整っていたものの、極東軍の司令官が許可しなかったとの話もあります・・・。この世界って、結構崖っぷちスレスレでここまで来てるのかもですね・・・。
乙部中学校2年の時、真上を低空飛行して飛んで行ったので翼のソ連のマークがハッキリ見えましたよ。
いつも斜め上からの視点からの解説に思わずニヤニヤしながら拝見しております。いつかA-10の特集をやっていただけたらとお待ちしております
当時のスクランブル機にミサイルがなかった事にビックリ‼️
里予 党の皆さんがやかましかったですからね冷や水ぶっ掛けるイイ機会になったコトでしょう
@@すももさん-x8g ベレンコ中尉のお陰で、バッジシステムの無能さ、F4のルックダウン能力の必要性が解り、E2Cの導入が決まった。
世界で、唯一F15が空対空ミサイルで撃墜されたと確実に判定された事例ご存じ?それは空自のF-15僚機撃墜事故です。もしそれが中ロに対するスクランブル発進時の事故だったとしたら、単なる事故だったと片付けられなかったはず。ミサイル搭載なくて撃墜されたほうが、外交上有利なことは明らか。勿論、相手に撃墜されて人的損害出たら内政上致命的ですが。
@@licky01234 自衛隊員の命は政治の駆け引きの道具じゃねーんだよ外道め
@@stealth4845 激しく同意
アフターバーナー焚いたらあっという間に燃料切れだから、航続距離を考えると空戦は無理でしょうね。
久しぶりの投稿待ってました!!失踪したかと思ってました。良かった……相変わらず内容が面白いです。
追伸、帰投したパイロットの証言、奥尻島付近で目標が高度を下げたのでロストしたそうです。当時の戦闘機レーダーの性能は現在と比べるとルックダウン性能は良くありませんでした。真空管を馬鹿にしてはいけません当時ソ連の真空管は最高だと友人の(先輩)FCS整備員が言っていました。<< 質問があればどうぞ、分かる範囲で答えます >>
@アカツキ F-4の場合同じ真空管(ミニチュア管)でしたが数時間も必要ありませんでした。従ってMIG-25もせいぜい30分以下でしょう?(予測)。アラート等緊急発進が必要であれば外部電源を投入すればOKです。エンジンスタートから離陸するまで数時間必要なら戦争には勝てません。
真空管を使うのは、核兵器の電磁パルスを受けても平気な様に、真空管を使ってると当時話があったのですが、本当でしょうか?
@@zaneri8144 当時軍用に耐える小型大出力の半導体を製造出来なかったからでしょう。
当時奥尻島南東の北海道日本海沿岸で、五時間目の授業中に突然轟音で木造校舎二階の窓ガラスが震えました。急いで窓際に駆け付けると、黒い物体がスッと山の陰に消えて行くのが見えました。多分ロスト直後の事だったのでしょうね。
その日、当時小学生だった私は丁度外に居て聞いたこともない様な轟音に一緒にいた友達と驚き空を見上げました。はじめは自衛隊の戦闘機かと思ってその機影を見ていましたが何せ自宅付近上空を飛んでいましたので子供ながらに何事が起ったのかと非常に興奮した記憶があります。
未だ未就学児童だった頃だと思うが、父が飛行機のプラモデルを作っていて、他と比べてMig-25だけは異様に大きかった思い出がある。F-14、F-15がMig-25の影響を受けている事は明らかですね。本来の用途はアメリカの爆撃機に対するインターセプターだった。
その爆撃機はお蔵入りに・・・
mig以前にもアメリカにF-15、migみたいな機体(A-5 ただ垂直尾翼は1枚だけですが…)がいるのでやはり速度を求めると同じような機体になるようですね。
高度50mを音速飛行って相当の腕だな
小学生だった当時、ニュースで流れていたな。その後プラモが発売されて作った記憶がある。
2022/4/4 何故今おすすめに上がって来たのか思いながら久し振りに拝見させて頂きました。そう思ってじっくり見てると導入の序盤にあったベレンコ中尉の切ない心情の下りが今、非常に感慨深いモノですね。
ベレンコ中尉の日本での取り調べ中にスプーンで食べた親子丼を「こんなに美味いものを始めて食べた」発言に眉唾オーバーだと疑問感じてましたが、幼少期に継母からされてた食事差別が真実味を加えていますね…
当時、航空ファンの俺はこのニュースを聞いて、いてもたってもいられなくて、現地に行きたい、実物を見てみたい、と、下宿の部屋でウロウロ歩き回っていた。
亡命後、スーパーマーケットの品ぞろえを見て、「これはアメリカが豊かだと思わせるための演出だ」とか思いこんで、なかなか現実を受け入れられなかったエピソードがないw
打っぽく者もそう思うって。以下訂正追伸ひえッ、脱北を誤変換でも、ご理解って天才の方😵
ベレンコさんのミグ・・・・空戦なんかできる程、燃料に余裕分があったとは思えないんだが?
着陸した機体に残された燃料は残り1分も無かったとか。
元々迎撃に徹した局地戦闘機な故に、長距離移動も考えられないわけですし、況してやMig25は直線番長で燃料を食うので、日本上陸の前には燃料タンクは洋上に捨てざるを得なかったのだと思います。
ないよ。
いや!無理ですよミグ25はレーダー探知を逃れるために低空飛行をして余計に燃料喰ったから空中戦なんてそもそも不可能!
函館空港到着後機体を調べた空自の調査でほぼ完全に燃料タンクは空だったことが確認されています。百里基地移送後にテストの為エンジン始動しようとしたがソ連の航空燃料のレベルがわからずしかしタンクに残っていなかったため燃料ポンプ内にわずかに残っていた燃料を分析してJP-5に近いものと分かり海自から燃料を取り寄せてテストをしています
26:34「ドッグファイトになった可能性」知らない人が信じちゃうよ、、、ドッグファイトなんかありません!
仮説って言ってるじゃないですか、、、
@@滝栄一郎-h9r 千歳から、スクランブルが上がったが、発見する前に侵入され、函館に降りたんだよ。低空で侵入され、レーダーサイトも、見失った。その結果、空自は、E2Cを、導入した。
@@nobu4771 え、ええそれは存じてますが、、、
もしやってたらF4に勝ち目はなかったな
@@panzerkampfwagenvitigeraus2364 逆ですよ。mig25は高高度でブラックバードなどの偵察機を撃墜されるように設計されていて、低空ではドックファイトも出来ず、燃費が激しくなりますから。。。
子供の頃日立港から船に積み込まれるミグを見ました!💧
この事件自体は当時五歳で覚えておりませんが、この直後兄弟が購読していた小学三年生の「名探偵カゲマン」で怪人19面相がソ連からミグ25を盗んでくると言う話が掲載されていたのを強烈に覚えております。
ミグ25は真空管が使われていましたが、真空管は電磁パルスに強いとのことで、つまりは、核爆発が起きた後でもレーダーが使えるという事だそうです。〈半導体は電磁パルスに弱い〉そういう意図があって真空管が使われていたかどうかは不明ですが・・余談ですが、ロシア製の軍事用の真空管や、第二次世界大戦の頃のアメリカ軍の無線用の真空管は、日本でオーディオ用として人気があり、オークションでも簡単に手に入ります。
最近はロシア真空管、手に入らないよ。プレミアついて高いし。人民解放軍製は今でも手に入るが、こっちは質がわるくてなぁ。まあ、オーディオ用出ない軍用真空管がそれなりに鳴るロシア製が凄いんだか、開発志向がちがうのか。どちらにせよ中華球は糞です。
@@七誌権兵衛-p3f ロシア製でも有名なものは、かなり前から入手困難ですが、そうでないものは、まだ手に入りますよ。欧米の物はそれほどでもなくても高価なものも多いですが、ロシア製は質が悪いイメージがあるのか、信頼性の高い物でもまだ安い方です。
@@user-mk3ge4bq1x 有難う御座います。真空管の音色を聴いたのは友人の持ち物でして、中華球と言えどYAHAアンプなどに使うのは勿体ないし、かと言ってまともな真空管アンプはお値段もさる事ながら熱くて重いので私は専らデジタルアンプで我慢してます。友人のアンプを借りた時も、音色を楽しむ前に壊さないかヒヤヒヤモノでした。私は彼の知識を聞くだけでも結構楽しんでます。殆ど受け売りです。でも、いつかは手を出して見たいですね。
@@七誌権兵衛-p3f ロシア製は真空管だけでなく、コンデンサーなどパーツにも優秀で音が良い物がありますよ。あまり知られてないので欧米の物に比べれば、本当に安いです。それだけ興味をお持ちでしたら、真空管アンプに行くしかないですね!
日本の技術力なら余裕で増産できるのでは?と思うけど、半導体と併用って省スペースの問題もあって難しいのかな・・・
道民ですが、70年代はスクランブルが多かった轟音でダッシュで外へ……アフターバーナーの航跡と、小さい輝点にしか見えないファントムという体験は何度もあります
ホントに空戦してたというのは初めて知りました。
@@ojyama1214 流石に空戦まではしてないと思われる。
@@koge3977 当時のヘタレな航空自衛隊はレーダー波照射までしかやっていいと思いますが、ミサイルのシーカーが反応・起動した時点で空戦ですよ
この事件でMiG-25の詳細が判明してハセガワから1/72のプラモデルが発売されました。
買いましたよ、当時www...フォクスバットってなってたような...遠き日の記憶。
ミグ25の真空管が話題になりましたが、この技術、古い訳では有りません。レーダーなどの高周波には半導体よりも真空管が多く使われ、日本の産業界でも、大出力の高周波装置には、よく使われます。後で判った事ですが、アメリカの戦闘機も真空管を使ってました。真空管と言っても、大出力用の形状はメタル菅で、ガラス管ではないと思います。また、真空管には、核戦争の電磁波対策にも有効で、「ソ連の技術が遅れてる」と言うことは、無知な人で、笑われます。
40年ぐらい前までは、高出力のマイクロ波は真空管(マグネトロン、クライストロン)などでないダメでしたよね。
@@болоСом 電子レンジは今もマグネトロンですね。
@@mogeru1 さん 出力も500wから600w位ですね。
@田中一郎 さん 以前の電子レンジは出力が1kwぐらい有りましたよね。
F-14,F-15もレーダー出力のための電波を出す送信機はTWTというやつで中は真空、プレート、カソード、ヒーターを持つ立派な真空管でガラスでは無くメタル製ペトリオットミサイルシステムのレーダー(AN/MPQ-53/65)もTWT送信機使っています。
当時の貴重?な映像が見れるとは思わなかった、この動画見るとベレンコ中尉の腕がすごいとしか言葉がない僚機に亡命悟られないように墜落にみせかけ飛行し日本のレーダー網掻い潜りファントムにも見つけてもらえず函館市上空を4周も飛び終いには強行着陸成功させてるあたり本当にすごいとしか言葉が出ない。
事実は全くの逆でしょうね。普通に考えれば無線はつながっていたし、エスコートもしてあげた。自衛隊が泥をかぶることでうまく収めたのでしょう。
そして函館空港での警備も警察にお任せしたん?
ベレンコ事案?があって、地上レーダーが更新されてたんでしたよね。このミグ飛行機を分解解析した人達が、真空管使われてるのを見て、時代遅れプギャーしてバカにしたけど後々、真空管=核戦争後でも使えると知って、戦慄したって聞きました。
核戦争云々じゃなくて、マッハ3まで出したときに耐えられるトランジスタは当時はなかった。真空管でプギャーしたのは何もわかっていない当時のマスコミ
函館の皆さまご迷惑をおかけしました。の垂れ幕が間抜けだな〜と、小学生の頃思ったのを思い出した。
自分は『ミグ君、君は悪くないよ』って思いました。まぁ、当時の函館の人は『戦争だ‼️戦場になる‼️』って気が気じゃなかっただろうし何もなかったから言える後世の人間の呑気な感想ですけどね
はじめまして偶然 チャンネルを見つけて拝見させて頂きました私は当時 茨城県小川町 空自7空団配置 輸送隊に所属しておりました。函館からわたしの憶測ですが、陸路で百里基地迄 輸送されたと思いますが間違いで有りましたら 訂正してください。因みに日通が担当したと思います。直接ミグ25 の機体を目の当たりにしたのは、ミグ機体に当時のブルーシートを調達して 目隠しに使用した際、実際に目隠し作業に駆り出されました。当時のファントムサイズよりも数段大きな機体だな と感じたのが最初でした。私は 当時21~22歳だった記憶です曹候補生コースから3曹になりたてだった頃の事件です。横田から急遽 ミグ特殊調査団メンバーが百里に常駐し、全管理権行使にて調査しておりました。日本側には調査権は無かった筈です。全てのデータ関係は横田が現場で管理維持 ㊙扱いでした。あとの光景は マスコミ メディアでの写真ビデオ等で一般国民も御存知でしょう。推力ジェットエンジン2基のサイズ感はまるで機体本体よりもジェットエンジンのスケール感の大きさが一番記憶に残っております。横田輸送関係は 政府管轄 当時の日通が担当した筈です。ブルーシート作業関連以外は 全てノータッチでしたので詳細は解りませんでした。ご参考迄に書かせて頂きました。私は現在 67歳になります失礼致しました。
その日、函館空港に結構近かった中学校で英語の授業受けてましたね。爆音凄かった事は覚えてますけど、機体は見てませんでしたので、残念です。。。
MIG25には真空管が使われていた 当時空自のレーダーでは低空は把握しなかったベレンコ中尉は千歳からファントムが来るのを待っていたが空自機は来ず 燃料がなくなったので函館空港に着陸した
この機体を見た人が錆びた箇所が色々あって、思っていたのより「ボロ」だなって言ってました。もっと軽くて硬いチタン合金をふんだんに使っていると思っていたそうです。
最新技術を使えない中で、最高の性能を目指した結果が29という訳か
大昔、この事件に遭遇した 元自衛官から お聴きしたのですけど… 函館空港の周りを 完全武装した部隊がトラックに乗って 何度もパトロールしたそうです 無線機がジャミングされ使えないので、公衆電話を使ったとか生々しかったです、この時代の東側装備はメカニカルなマニアから言わせていただければ、性能面はともかく「ガラパゴス化」みたいに見えてとてもユニークでした、
警察の方でしたか
ただでさえ強電界の空港付近で一般の無線は通用しません。有線しかまともに使えないのです。自動車のリモコンキーですら使えないのですから。
自衛隊との空中戦・・ありえないw 動画の最後辺りはミグ31フォックスハウンドだよ。
この当時、重量増になるにもかかわらず車輪が大きな事に関して「洗練されていない」と揶揄されていたものの、機体調査の結果有事に不整地での離着陸を想定した設計とわかり「シ〜ン・・・」となった的なエピソード、たしか航空雑誌で読んだ事あります。なるほどなー・・・と思いました。
なんかもはや序盤の航空ショーのMIG主演の仕方がめっちゃかっこいい!
MIG25の機体を分解してトレーラーで運ばれていくニュース映像思い出したわ、当時小学5年生だった・・・それから以降に、MIG25のプラモデルがいっぱい出てきたw
めっちゃ久々の動画ありがとうございます😭
昔の事件を思い出しました。色々な背景があったのを知って驚きでした。当時は真空管が使われていると馬鹿にされていましたが,そうでもなかったみたいですね。
真空管は本当です。しかし技術が遅れてたからではなく、核爆発に対して真空管の方が強いからではないかと言われてます。
もっとたくさん動画あげてほしー。このちゃんねるおもしろい!
F4のルックダウン能力が低く、Mig25を見失ったんじゃないかな?速度も速そうだし。
ちゃんと動画見た?全く同じこと言ってるよ?
当時、機体に錆が見えて、磁石近づけたらくっついたというニュースは今も良く覚えてます。しかし、知らなかったことたくさんありました。あんな函館低空にいて写真まで撮られていたとは。
この件は記憶していますね。交戦の有無は別としても、スクランブルした機体がまかれて、さらに函館上空を旋回してから強行着陸され、機体を調べたら真空管を沢山使っていたと言うのは、パイロットの練度の違いかと言う話が出ていたかと。
真空管を多数使用していたのは技術の遅れとして捉えた人が多かったようですが、ソ連がEMP兵器の実用化を見越して真空管を使っていた説を聞いてぞっとした事があるなぁ
核攻撃後でも真空管だと飛べるけど、電子基板だと焼き切れて使い物にはならない。
鈍重で直線番長なミグ25がF4ファントムと実際に戦ったらボロ負けじゃないかな。そもそもミグ25は空中戦など二の次で設計されてるはず。
拳銃撃ったのかなあ
それより函館に展開してた陸自高射が空自のC-1編隊を撃墜しかけた事件の方がヤバかったっていうw
当時の北海道の自衛隊の司令や指揮官たちも肝が据わっていたんだなあ。あとベレンコ中尉がその後それなりに楽しい人生を西側で送っていてよかった。アメリカがしかるべき役割を与えてあげたのもよかった。北海道でカツ丼が出されたというのを何かで読んだけれど、日本にも一度また来てほしいな。
道警が用意したカツ丼に感動した話が好きだな
親子丼ではなかったっけ?
子供の時にミグ25が函館空港に強硬着陸して亡命したのはよく覚えている。それまでは未知の最強戦闘機と、呼ばれていたがそれほどでもなかった、と評価が変わった
性能はともかくなかなかきれいな機体だなぁ
追記搬送に関しましては 日通 陸路〜海上輸送 日立港〜 日通/百里基地
ベレンコ中尉、よく着陸できたな。大したパイロットだ。
空戦なんかなかった。ファントムはルックダウンレーダーの性能が悪くて、低空のミグを発見出来なかったんだ。
ハセガワが1/72で異様な早さでキットを出したのは驚いた。ただ、エンジンノズルを前回の状態を模型化したり、色がいまひとつ不鮮明だったりしたのは懐かしい思い出。ベレンコ中尉から、ソ連はすでにこの機体の改良型に取り掛かっていると。それがミグ31フォックスハウンドだが…マイナーな機体に終わった。
展示されていたMIGはウクライナ戦線に担ぎ出されていそうだなw
前掲示にもコメントしましたが、燃料タンクの件に気付かれた事は慧眼だと思います。
当時小学生で音がすごかったのは何となく覚えていますが父親が空港建設関連の仕事だったので現場でミグ仕舞うところ見てたとか言ってましたね。
半導体は微細化が進みすぎて配線がナノスケールになっている。光の波長が課題になるレベルに来ている。 これが影響を受けやすい。ソ連のミサイルは8080CPUや真空管が使われていて遅れていると称されたが、内部配線が太く、電磁波ノイズに強いので、敢えて使用しているという見解だ。しかも真空管は高出力対応できるので今でも重宝される理由になる。カミオカンデでも半導体撮像素子なんかじゃ無くて光電子管使ってるんですもんね。枯れた技術の方が安定的高信頼に動かせるので有用なことが多い。今じゃトランジスタ半導体自身もかなり進化してきてるから通信分野での真空管利用は増える方向にはないんだろうけど。
わ。
あほ。 8080はインテル製や
凄く緊迫した事件だと思いますが、平和に解決したようで良かったです。
映画「ファイヤーフォックス」のモデルになったベレンコ中尉亡命事件。世界最速の超音速戦闘機ミグ25の衝撃的な事件で良く覚えています。
兄が仕事していたときに降りて来て近づいたら鉄砲を上に向けて打ったそうです
あの有名な?
@@ガワハセ-w3t なんか凄い勢いで叫んでいたと言ってました!
何故か機体に近づけてはいけないと思ったとか。
こまわりくん クリーン三木 木綿のハンカチーフ 真空管はカラー液晶出来るまで使ってたイャア~懐かしいですね 私も若かった
それ真空管ちゃうブラウン管や
@@yoda_dayo ウチはまだ台所で現役だぞ
@@田中一朗-y2bおじいちゃん今は「キッチン」って言うのよ。システムキッチンの吊戸棚の下からニュッと出る譜面台みたいのを「レシピホルダー」って呼ぶんだけど、最近のはその脇に給電用USBポートが付いて「iPadホルダー」って名前になってる。iPadでレシピを見ながら料理するんだと。ユニットバスにもオプションでフラットパネルテレビが選べるようになってたり、時代は変わったねぇ。
大学生の時でよく覚えてます。ベレンコ中尉のその後も分かって良かったです。
ある日、友達と外で遊んでいたら物凄い轟音で暫く耳が痛くなりその後家に帰るとテレビで函館空港にソビエトの最新鋭戦闘機が緊急着陸の速報が…空に見えたのは黒い影だけでしたが当時は幼心に戦慄を覚えました
写真で見ると、着陸直前かもしれないけれど街中でソ連の国籍マークがわかるほどの低空で飛んでいたというのはすごいことですね!当時の北海道、日本を貫いた「戦慄」がよくわかる動画でした。ベレンコ中尉はまだ70代なので一度北海道に「あの時はお世話になりました、ご迷惑をおかけしました」と言いに来るべきですwそして北海道のおいしいものをたくさん食べてアメリカに帰ってほしい。
函館まで飛ぶのがギリでしょう。燃料消費が激しい空中戦はないな。
そもそもベレンコの武器は拳銃だけwwww
恐らくは燃料消費の激しい低空での交戦だろうし、格闘戦能力に乏しい機体に強硬着陸を許すとは考えにくい。爆撃機に対する迎撃機としては優秀という見方が有るように、加速·上昇力に特化した機体だし。
さすがはソ連の戦闘機脚の強さは半端ないな
大学生の時、函館出身の西出君が高校の授業中にミグが飛んできた事を語ってました。(もう45年前なんですねぇ~バルタン西出元気か?)
その昔、電子工学の真空管の授業の際に「当時ソ連の戦闘機が真空管だと笑っていたが、電磁波高周波ノイズなど影響を受けないからだぞ!」とこの事件の事を授業で言っていた事を思い出す。
残念ながら、アメリカの人達には最後まで馴染めなかったらしいですね。
2:09 RF-4Eの武装は、せいぜい核爆弾くらいでミサイルは積んでない
超低空飛行できたか当時の地上配備のレーダーだと捕捉できないのとF4のレーダーも超低空で侵入してきたベレンコ中尉のMiG-25を捕捉できてないから空戦した可能性は低い
つかミグ25の武装は、ベレンコが持ってた拳銃だけなんだが。
子供のころは曲線の美しい米国の戦闘機より、直線的なデザインのソ連戦闘機が好きだった。しかし想像以上に最新鋭の装備とうたっている装置って当てにならんものだとわかる。
ソコル工場の展示ミグは 亡命機ではなくてMig-31かもしれませんね~ でも動画は面白かったですよ~♬
25、29,31だから mig-31でしょうね
バルカン砲打たれる距離まで近づいたのなら日本機と気づくだろうから無線で空自基地に誘導をお願いしただろうし普通に可能性は低そうかなぁ
所々小ネタも挟んで、良き動画でした。
ベレンコさんは日本のビールの美味さに驚いたらしいね
ベレンコ「たしかにビールもうまいが戦闘機の燃料のがおいしい」
触りの12分ぐらいで、ぐっと話に引き込んでからの番組タイトル挨拶。深夜ラジオみたいで上手い構成だね。
これが戦争なら北海道函館は火の海に成っていただろう!
べレンコ中尉の低空からのアプローチが世界各国に防空網を掻い潜る低空アプローチと当時の防空能力の低さを同時に知った事件ですね。
この事件をきっかけに、のちの大平内閣が1979年の閣議で、低空でもレーダー探知が可能なEー2Cの導入を決定するきっかけになりましたね。
その後、トマホーク配備問題も出てきましたねー、昭和59年頃だったかな・・・?当時は何も知らないあんちゃんだったから、組合の強制動員で、ジグザグデモに参加させられた💦
当時のTV報道とかで、真空管が使われているとかかなり旧式であるとか、コメントしていたのを覚えています
真空管は電磁波に強く核戦争になったらトランジスターは使いものにならない
真空管を使っているのは、核戦争で発生する強烈な電磁パルスにも装置が耐えられるようにするため、ともっともらしい説が当時流布されていましたよ。
函館の小学校で授業中に見た、赤い★も見た。
アンバサダーちゃんがもう出ないのかと不安になってしまいました。
この事件もショックだったけど、ハセガワがプラモデルを出した日の方が小学生の俺には大事件だった。
フォックスハウンド「人違いです…」
当日私は、第二航空団でアラート勤務中でしたが空中戦はしていません。
帰投したパイロットから直接聴きました。
ファイターパイロットの話はとても興味があります。
当時の国防の最前線での任務お疲れ様でした。
皆さんどういう心境でしたか。
事前に米国から ミグが飛来するという通達があったというのは本当でしょうか。
@@yamaha7 私は末端兵なのでMIG飛来情報は聴いていません。
当日から夜間兵装等(空対空フル装備)が有り、大変忙しかったです。
<<心境は何時もと変わらず平常運転でしたよ!>>
@@hidetakask 貴重な情報をありがとうございました。 平常心を保てたのは 日頃の訓練の賜物ですね。
私は貴方より遥かに若い元陸自です。各種教育を経て随分と長くいたおかげで今はもう殆どお目にもかかれない元帝国陸海軍で自衛隊にもいた大先輩にもお会いできました。やはり先輩の時代にもそういう方々から教えをいただく事はあったのでしょうか?今は外国軍隊におります。
気が向いたらで良いのです。何でも良いです、是非今後の人生訓としてお授け下さい、よろしくお願いします。
高校三年生の時、授業中、凄い爆音が、外から聞こえ、何かと見たら、赤い星の付いた、戦闘機が着陸してきました。家が、空港の比較的近くだったので、その日から、大騒ぎでした。忘れられない事件です。
お。ご近所さん
う、うらやましい~
私も高校の寮から見ました、後で米軍の大型輸送機が来て回収して行きました。
@@shinichirohatakeyamaakaber2681 同じ世代ですね。実家が湯川にあったので。最後の空港から、米軍のギャラクシーで運ばれて行くのも見物に行きました。
私は小学生の時桧山地域の海岸沿いに住んでいて、
函館に向かう機体を目撃しましたよ。
つい最近にインド空軍所属のスホーイ30が百里基地に降り立ったのもいろんな意味で感動したよね
私の高校は函館山の麓にあり、校舎の窓からは、函館市内が見渡せる場所にありました。授業中に黒板ではなく窓から市内を眺めていたら、旅客機ではない機影が戸井(地名)の方向から函館空港めがけ飛来するのが見えました。そのまま着陸するのかと思ったら、着せず、市内上空を大きく2旋回してから函館空港に着陸しました。テレビニュースでそれがミグ25と知りました。単独で飛行しており、自衛隊機の追尾する機体はありませんでした。もちろん、空中戦も。
恐妻から最新鋭極秘超音速戦闘機で逃げ切った漢・・胸熱ですな・・
今年1月、小松基地F15事故のニュース番組にて、戦闘機の操縦の解説をなさっていた元空将の方が、ベレンコ氏のMigの迎撃に出動したF4のパイロットだと聞いて、凄く驚きました。
当時は自爆テロ可能な圏内まで許したですね。ベレンコ中尉のおかげで、それまで完璧と思えた自衛隊の弱点をご指導いただき更に政府を動かさざる負えない状態にし未来を確実に良い方向に変えた日本人にしては間違いなく英雄です。
ベレンコさんて苦労人というか、辛い少年時代にぐれるのではなく頭脳と体力で乗り切る決意をしたのがすごいですね。軍人になってからも正義感強すぎて仲間外れ。。空自とドッグファイトがあったかは分かりませんが、プロの彼がF4を識別できなかったとは考えづらいかな。
増槽がないと日本にまでは距離が不足するだろうからギリギリまで増槽内の燃料で飛行したから強行着陸の時に増槽がなかったのか?ファントム2対mig25 1で殺りあったねかは当事者以外分からないけど
ベレンコ中尉、亡くなったとか・・・
ご冥福をお祈りします。
アーティストの辻仁成さんが高校生の時、教室からこのミグ25を目撃してるんだよね。作家としても活躍してた辻さんはベレンコ本人に会って「あなたの飛行を校舎から見てました」ってベレンコ本人に伝えて驚かせた。ベレンコを保護した北海道警察は何を食べるか分からなかったので親子丼をとった。ベレンコが親子丼を口にすると「こんなに旨いものがあったのか…」と感激した。ちなみにベレンコの嫁は相当の悪妻、エリートのパイロットと結婚したのに配属先がモスクワから遠くはなれた最果ての地、ボロい官舎に不満で夫婦喧嘩が絶えなかった。嫁の金遣いも荒く、夫婦の仲は冷めきっていた。国の待遇の他に嫁への不満が亡命の理由と言われている。
中2の時、全校サッカー大会の練習中に爆音が聞こえ見上げるとライトグレーの機体に真紅の星マーク。練習中の生徒全員と担任が見ました。夜に父親と一緒に函館空港に見物に行きました。翌々日には駒場方面から湯の川方面、そして函館空港へと陸自の6輪トラックに牽かれたL90や61式戦車、60式自走無反動砲等が隊列を組んで走っていたのを見た記憶があります。
31:07の答えは、エアインテイクの形状が異なるし、メインギアはダブルタイヤだし、コックピットはMig-25の複座練習機型みたいな前後の区画が独立したタイプとは異なる仕様のタンデム複座なので、Mig-25によく似たMig-31と言う別機体ですね。
大学生の頃、百里基地に移送されたと云うニュースを聞きギャランGTOを駆って写真を撮りに行きました。敷地外にもかかわらず空自の警務隊に執拗な妨害を受けましたが松の木によじ登り何とか撮影しましたが、機体の周りはシートで覆われており赤い星が描かれた2枚の垂直尾翼しか撮れませんでした。当時ソ連の戦闘機などUFO同様ほとんど情報が無かったので滅茶苦茶興奮したもので・・・今では良い想い出です。また面白い動画を楽しみにしております。
私の母親がお使いの途中、丸井デパートの前で「すごく大きな音がして、見上げたら赤い星★がついていて、ソ連が北海道に攻めてきた!」と思い、すぐに家に帰り避難の準備をしようとした、と話していました。
ベレンコ中尉は後に自主出版してこの日の事を詳しく語ってる…
当時、高校生でした。
茨城県の日立港で船に積まれた機体を双眼鏡で眺めていたら、被せてあったグリーンのシートを一瞬持ち上げたので赤い縦の線(機体番号?)を見る事ができました。
興奮したな!
16歳だったな マッハ3.2には憧れた笑
長距離対空ミサイルとステルス化でマッハ2の現行機に夢は感じない 意味はなくともスピードに憧れるのが男なのだ笑
スーパーファントムは、もっと後の話ですよ…
しかも、余命延長のためだと思います…
後の話しになりますがF-15の導入に繋がっているのは明白です…
当時小学生だった私は、九州の玖珠駐屯地に勤務していた親父が、「北海道で何かあったらしい。しばらく帰って来られないかも」と言っていたのを記憶しています。なんだかヤバそうだと、子供心に心配していましたね・・・。
もしかしたら、ソ連の北海道侵略防衛の準備が開始されていたかもですね・・・
真偽は不明ですが、MIG25を破壊すべく、特殊部隊の出撃準備が整っていたものの、極東軍の司令官が許可しなかったとの話もあります・・・。この世界って、結構崖っぷちスレスレでここまで来てるのかもですね・・・。
乙部中学校2年の時、真上を低空飛行して飛んで行ったので翼のソ連のマークがハッキリ見えましたよ。
いつも斜め上からの視点からの解説に思わずニヤニヤしながら拝見しております。
いつかA-10の特集をやっていただけたらとお待ちしております
当時のスクランブル機にミサイルがなかった事にビックリ‼️
里予 党の皆さんがやかましかったですからね
冷や水ぶっ掛けるイイ機会になったコトでしょう
@@すももさん-x8g ベレンコ中尉のお陰で、バッジシステムの無能さ、F4のルックダウン能力の必要性が解り、E2Cの導入が決まった。
世界で、唯一F15が空対空ミサイルで撃墜されたと確実に判定された事例ご存じ?それは空自のF-15僚機撃墜事故です。
もしそれが中ロに対するスクランブル発進時の事故だったとしたら、単なる事故だったと片付けられなかったはず。
ミサイル搭載なくて撃墜されたほうが、外交上有利なことは明らか。勿論、相手に撃墜されて人的損害出たら内政上致命的ですが。
@@licky01234 自衛隊員の命は政治の駆け引きの道具じゃねーんだよ外道め
@@stealth4845 激しく同意
アフターバーナー焚いたらあっという間に燃料切れだから、航続距離を考えると空戦は無理でしょうね。
久しぶりの投稿待ってました!!失踪したかと思ってました。良かった……相変わらず内容が面白いです。
追伸、帰投したパイロットの証言、奥尻島付近で目標が高度を下げたのでロストしたそうです。
当時の戦闘機レーダーの性能は現在と比べるとルックダウン性能は良くありませんでした。
真空管を馬鹿にしてはいけません当時ソ連の真空管は最高だと友人の(先輩)FCS整備員が言っていました。
<< 質問があればどうぞ、分かる範囲で答えます >>
@アカツキ F-4の場合同じ真空管(ミニチュア管)でしたが数時間も必要ありませんでした。従ってMIG-25もせいぜい30分
以下でしょう?(予測)。アラート等緊急発進が必要であれば外部電源を投入すればOKです。
エンジンスタートから離陸するまで数時間
必要なら戦争には勝てません。
真空管を使うのは、核兵器の電磁パルスを受けても平気な様に、真空管を使ってると当時話があったのですが、本当でしょうか?
@@zaneri8144 当時軍用に耐える小型大出力の半導体を製造出来なかったからでしょう。
当時奥尻島南東の北海道日本海沿岸で、五時間目の授業中に突然轟音で木造校舎二階の窓ガラスが震えました。
急いで窓際に駆け付けると、黒い物体がスッと山の陰に消えて行くのが見えました。
多分ロスト直後の事だったのでしょうね。
その日、当時小学生だった私は丁度外に居て聞いたこともない様な轟音に一緒にいた友達と驚き
空を見上げました。はじめは自衛隊の戦闘機かと思ってその機影を見ていましたが何せ自宅付近上空を飛んでいましたので子供ながらに何事が起ったのかと非常に興奮した記憶があります。
未だ未就学児童だった頃だと思うが、父が飛行機のプラモデルを作っていて、他と比べてMig-25だけは異様に大きかった思い出がある。F-14、F-15がMig-25の影響を受けている事は明らかですね。本来の用途はアメリカの爆撃機に対するインターセプターだった。
その爆撃機はお蔵入りに・・・
mig以前にもアメリカにF-15、migみたいな機体(A-5 ただ垂直尾翼は1枚だけですが…)がいるのでやはり速度を求めると同じような機体になるようですね。
高度50mを音速飛行って相当の腕だな
小学生だった当時、ニュースで流れていたな。
その後プラモが発売されて作った記憶がある。
2022/4/4 何故今おすすめに上がって来たのか思いながら久し振りに拝見させて頂きました。
そう思ってじっくり見てると導入の序盤にあったベレンコ中尉の切ない心情の下りが今、非常に感慨深いモノですね。
ベレンコ中尉の日本での取り調べ中にスプーンで食べた親子丼を「こんなに美味いものを始めて食べた」発言に眉唾オーバーだと疑問感じてましたが、幼少期に継母からされてた食事差別が真実味を加えていますね…
当時、航空ファンの俺はこのニュースを聞いて、いてもたってもいられなくて、現地に行きたい、実物を見てみたい、と、下宿の部屋でウロウロ歩き回っていた。
亡命後、スーパーマーケットの品ぞろえを見て、「これはアメリカが豊かだと思わせるための演出だ」とか思いこんで、なかなか現実を受け入れられなかったエピソードがないw
打っぽく者もそう思うって。
以下訂正追伸
ひえッ、
脱北を誤変換でも、ご理解って天才の方😵
ベレンコさんのミグ・・・・
空戦なんかできる程、燃料に余裕分があったとは思えないんだが?
着陸した機体に残された燃料は残り1分も無かったとか。
元々迎撃に徹した局地戦闘機な故に、長距離移動も考えられないわけですし、況してやMig25は直線番長で燃料を食うので、日本上陸の前には燃料タンクは洋上に捨てざるを得なかったのだと思います。
ないよ。
いや!無理ですよミグ25はレーダー探知を逃れるために低空飛行をして余計に燃料喰ったから空中戦なんてそもそも不可能!
函館空港到着後機体を調べた空自の調査でほぼ完全に燃料タンクは空だったことが確認されています。百里基地移送後にテストの為エンジン始動しようとしたがソ連の航空燃料のレベルがわからずしかしタンクに残っていなかったため燃料ポンプ内にわずかに残っていた燃料を分析してJP-5に近いものと分かり海自から燃料を取り寄せてテストをしています
26:34「ドッグファイトになった可能性」
知らない人が信じちゃうよ、、、
ドッグファイトなんかありません!
仮説って言ってるじゃないですか、、、
@@滝栄一郎-h9r 千歳から、スクランブルが上がったが、発見する前に侵入され、函館に降りたんだよ。低空で侵入され、レーダーサイトも、見失った。その結果、空自は、E2Cを、導入した。
@@nobu4771 え、ええそれは存じてますが、、、
もしやってたらF4に勝ち目はなかったな
@@panzerkampfwagenvitigeraus2364 逆ですよ。mig25は高高度でブラックバードなどの偵察機を撃墜されるように設計されていて、低空ではドックファイトも出来ず、燃費が激しくなりますから。。。
子供の頃日立港から船に積み込まれるミグを見ました!💧
この事件自体は当時五歳で覚えておりませんが、この直後兄弟が購読していた小学三年生の「名探偵カゲマン」で怪人19面相がソ連からミグ25を盗んでくると言う話が掲載されていたのを強烈に覚えております。
ミグ25は真空管が使われていましたが、真空管は電磁パルスに強いとのことで、つまりは、核爆発が起きた後でもレーダーが使えるという事だそうです。
〈半導体は電磁パルスに弱い〉
そういう意図があって真空管が使われていたかどうかは不明ですが・・
余談ですが、ロシア製の軍事用の真空管や、第二次世界大戦の頃のアメリカ軍の無線用の真空管は、日本でオーディオ用として人気があり、オークションでも簡単に手に入ります。
最近はロシア真空管、手に入らないよ。プレミアついて高いし。人民解放軍製は今でも手に入るが、こっちは質がわるくてなぁ。まあ、オーディオ用出ない軍用真空管が
それなりに鳴るロシア製が凄いんだか、開発志向がちがうのか。どちらにせよ中華球は糞です。
@@七誌権兵衛-p3f
ロシア製でも有名なものは、かなり前から入手困難ですが、そうでないものは、まだ手に入りますよ。
欧米の物はそれほどでもなくても高価なものも多いですが、ロシア製は質が悪いイメージがあるのか、信頼性の高い物でもまだ安い方です。
@@user-mk3ge4bq1x
有難う御座います。真空管の音色を聴いたのは友人の持ち物でして、中華球と言えどYAHAアンプなどに使うのは勿体ないし、かと言ってまともな真空管アンプはお値段もさる事ながら熱くて重いので私は専らデジタルアンプで我慢してます。友人のアンプを借りた時も、音色を楽しむ前に壊さないかヒヤヒヤモノでした。私は彼の知識を聞くだけでも結構楽しんでます。殆ど受け売りです。でも、いつかは手を出して見たいですね。
@@七誌権兵衛-p3f
ロシア製は真空管だけでなく、コンデンサーなどパーツにも優秀で音が良い物がありますよ。
あまり知られてないので欧米の物に比べれば、本当に安いです。
それだけ興味をお持ちでしたら、真空管アンプに行くしかないですね!
日本の技術力なら余裕で増産できるのでは?と思うけど、半導体と併用って省スペースの問題もあって難しいのかな・・・
道民ですが、70年代はスクランブルが多かった
轟音でダッシュで外へ……アフターバーナーの航跡と、小さい輝点にしか見えないファントムという体験は何度もあります
ホントに空戦してたというのは初めて知りました。
@@ojyama1214 流石に空戦まではしてないと思われる。
@@koge3977 当時のヘタレな航空自衛隊はレーダー波照射までしかやっていいと思いますが、ミサイルのシーカーが反応・起動した時点で空戦ですよ
この事件でMiG-25の詳細が判明してハセガワから1/72のプラモデルが発売されました。
買いましたよ、当時www...フォクスバットってなってたような...遠き日の記憶。
ミグ25の真空管が話題になりましたが、この技術、古い訳では有りません。レーダーなどの高周波には半導体よりも真空管が多く使われ、日本の産業界でも、大出力の高周波装置には、よく使われます。後で判った事ですが、アメリカの戦闘機も真空管を使ってました。真空管と言っても、大出力用の形状はメタル菅で、ガラス管ではないと思います。また、真空管には、核戦争の電磁波対策にも有効で、「ソ連の技術が遅れてる」と言うことは、無知な人で、笑われます。
40年ぐらい前までは、高出力のマイクロ波は真空管(マグネトロン、クライストロン)などでないダメでしたよね。
@@болоСом 電子レンジは今もマグネトロンですね。
@@mogeru1 さん 出力も500wから600w位ですね。
@田中一郎 さん 以前の電子レンジは出力が1kwぐらい有りましたよね。
F-14,F-15もレーダー出力のための電波を出す送信機はTWTというやつで中は真空、プレート、カソード、ヒーターを持つ立派な真空管でガラスでは無くメタル製
ペトリオットミサイルシステムのレーダー(AN/MPQ-53/65)もTWT送信機使っています。
当時の貴重?な映像が見れるとは思わなかった、この動画見るとベレンコ中尉の腕がすごいとしか言葉がない僚機に亡命悟られないように墜落にみせかけ飛行し日本のレーダー網掻い潜りファントムにも見つけてもらえず函館市上空を4周も飛び終いには強行着陸成功させてるあたり本当にすごいとしか言葉が出ない。
事実は全くの逆でしょうね。普通に考えれば無線はつながっていたし、エスコートもしてあげた。
自衛隊が泥をかぶることでうまく収めたのでしょう。
そして函館空港での警備も警察にお任せしたん?
ベレンコ事案?があって、地上レーダーが更新されてたんでしたよね。このミグ飛行機を分解解析した人達が、真空管使われてるのを見て、時代遅れプギャーしてバカにしたけど後々、真空管=核戦争後でも使えると知って、戦慄したって聞きました。
核戦争云々じゃなくて、マッハ3まで出したときに耐えられるトランジスタは当時はなかった。真空管でプギャーしたのは何もわかっていない当時のマスコミ
函館の皆さまご迷惑をおかけしました。の垂れ幕が間抜けだな〜と、小学生の頃思ったのを思い出した。
自分は
『ミグ君、君は悪くないよ』
って思いました。
まぁ、
当時の函館の人は
『戦争だ‼️戦場になる‼️』って
気が気じゃなかっただろうし
何もなかったから言える
後世の人間の呑気な感想ですけどね
はじめまして
偶然 チャンネルを見つけて拝見させて頂きました
私は当時 茨城県小川町 空自7空団配置 輸送隊に所属しておりました。
函館からわたしの憶測ですが、陸路で百里基地迄 輸送されたと思いますが間違いで有りましたら 訂正してください。
因みに日通が担当したと思います。
直接ミグ25 の機体を目の当たりにしたのは、ミグ機体に当時のブルーシートを調達して 目隠しに使用した際、実際に目隠し作業に駆り出されました。
当時のファントムサイズよりも数段
大きな機体だな と感じたのが最初でした。
私は 当時21~22歳だった記憶です
曹候補生コースから3曹になりたてだった頃の事件です。
横田から急遽 ミグ特殊調査団メンバーが百里に常駐し、全管理権行使にて調査しておりました。
日本側には調査権は無かった筈です。
全てのデータ関係は横田が現場で管理維持 ㊙扱いでした。
あとの光景は マスコミ メディアでの写真ビデオ等で一般国民も御存知でしょう。
推力
ジェットエンジン2基のサイズ感は
まるで機体本体よりもジェットエンジンのスケール感の大きさが一番記憶に残っております。
横田
輸送関係は 政府管轄 当時の日通が担当した筈です。
ブルーシート作業関連以外は 全てノータッチでしたので詳細は解りませんでした。
ご参考迄に
書かせて頂きました。
私は現在 67歳になります
失礼致しました。
その日、函館空港に結構近かった中学校で英語の授業受けてましたね。爆音凄かった事は覚えてますけど、機体は見てませんでしたので、残念です。。。
MIG25には真空管が使われていた 当時空自のレーダーでは低空は把握しなかった
ベレンコ中尉は千歳からファントムが来るのを待っていたが空自機は来ず 燃料がなくなったので函館空港に着陸した
この機体を見た人が錆びた箇所が色々あって、
思っていたのより「ボロ」だなって言ってました。
もっと軽くて硬いチタン合金をふんだんに使って
いると思っていたそうです。
最新技術を使えない中で、最高の性能を目指した結果が29という訳か
大昔、この事件に遭遇した
元自衛官から お聴きしたのですけど… 函館空港の周りを 完全武装した部隊がトラックに乗って
何度もパトロールしたそうです
無線機がジャミングされ使えないので、公衆電話を使ったとか
生々しかったです
、この時代の東側装備は
メカニカルなマニアから言わせていただければ、
性能面はともかく
「ガラパゴス化」みたいに見えて
とてもユニークでした、
警察の方でしたか
ただでさえ強電界の空港付近で一般の無線は通用しません。有線しかまともに使えないのです。自動車のリモコンキーですら使えないのですから。
自衛隊との空中戦・・ありえないw 動画の最後辺りはミグ31フォックスハウンドだよ。
この当時、重量増になるにもかかわらず車輪が大きな事に関して「洗練されていない」と揶揄されていたものの、機体調査の結果有事に不整地での離着陸を想定した設計とわかり「シ〜ン・・・」となった的なエピソード、たしか航空雑誌で読んだ事あります。なるほどなー・・・と思いました。
なんかもはや序盤の航空ショーのMIG主演の仕方がめっちゃかっこいい!
MIG25の機体を分解してトレーラーで運ばれていくニュース映像思い出したわ、当時小学5年生だった・・・
それから以降に、MIG25のプラモデルがいっぱい出てきたw
めっちゃ久々の動画ありがとうございます😭
昔の事件を思い出しました。色々な背景があったのを知って驚きでした。当時は真空管が使われていると馬鹿にされていましたが,そうでもなかったみたいですね。
真空管は本当です。しかし技術が遅れてたからではなく、核爆発に対して真空管の方が強いからではないかと言われてます。
もっとたくさん動画あげてほしー。このちゃんねるおもしろい!
F4のルックダウン能力が低く、Mig25を見失ったんじゃないかな?速度も速そうだし。
ちゃんと動画見た?全く同じこと言ってるよ?
当時、機体に錆が見えて、磁石近づけたらくっついたというニュースは今も良く覚えてます。
しかし、知らなかったことたくさんありました。
あんな函館低空にいて写真まで撮られていたとは。
この件は記憶していますね。
交戦の有無は別としても、スクランブルした機体がまかれて、さらに函館上空を旋回してから強行着陸され、機体を調べたら真空管を沢山使っていたと言うのは、パイロットの練度の違いかと言う話が出ていたかと。
真空管を多数使用していたのは技術の遅れとして捉えた人が多かったようですが、ソ連がEMP兵器の実用化を見越して真空管を使っていた説を聞いてぞっとした事があるなぁ
核攻撃後でも真空管だと飛べるけど、電子基板だと焼き切れて使い物にはならない。
鈍重で直線番長なミグ25がF4ファントムと実際に戦ったらボロ負けじゃないかな。
そもそもミグ25は空中戦など二の次で設計されてるはず。
拳銃撃ったのかなあ
それより函館に展開してた陸自高射が空自のC-1編隊を撃墜しかけた事件の方がヤバかったっていうw
当時の北海道の自衛隊の司令や指揮官たちも肝が据わっていたんだなあ。あとベレンコ中尉がその後それなりに楽しい人生を西側で送っていてよかった。アメリカがしかるべき役割を与えてあげたのもよかった。北海道でカツ丼が出されたというのを何かで読んだけれど、日本にも一度また来てほしいな。
道警が用意したカツ丼に感動した話が好きだな
親子丼ではなかったっけ?
子供の時にミグ25が函館空港に強硬着陸して亡命したのはよく覚えている。それまでは未知の最強戦闘機と、呼ばれていたがそれほどでもなかった、と評価が変わった
性能はともかくなかなかきれいな機体だなぁ
追記
搬送に関しましては 日通 陸路〜海上輸送 日立港〜 日通/百里基地
ベレンコ中尉、よく着陸できたな。大したパイロットだ。
空戦なんかなかった。ファントムはルックダウンレーダーの性能が悪くて、低空のミグを発見出来なかったんだ。
ハセガワが1/72で異様な早さでキットを出したのは驚いた。ただ、エンジンノズルを前回の状態を模型化したり、色がいまひとつ不鮮明だったりしたのは懐かしい思い出。
ベレンコ中尉から、ソ連はすでにこの機体の改良型に取り掛かっていると。それがミグ31フォックスハウンドだが…マイナーな機体に終わった。
展示されていたMIGはウクライナ戦線に担ぎ出されていそうだなw
前掲示にもコメントしましたが、燃料タンクの件に気付かれた事は慧眼だと思います。
当時小学生で音がすごかったのは何となく覚えていますが父親が空港建設関連の仕事だったので現場でミグ仕舞うところ見てたとか言ってましたね。
半導体は微細化が進みすぎて配線がナノスケールになっている。光の波長が課題になるレベルに来ている。 これが影響を受けやすい。
ソ連のミサイルは8080CPUや真空管が使われていて遅れていると称されたが、内部配線が太く、
電磁波ノイズに強いので、敢えて使用しているという見解だ。
しかも真空管は高出力対応できるので今でも重宝される理由になる。
カミオカンデでも半導体撮像素子なんかじゃ無くて光電子管使ってるんですもんね。
枯れた技術の方が安定的高信頼に動かせるので有用なことが多い。
今じゃトランジスタ半導体自身もかなり進化してきてるから通信分野での真空管利用は増える方向にはないんだろうけど。
わ。
あほ。 8080はインテル製や
凄く緊迫した事件だと思いますが、
平和に解決したようで良かったです。
映画「ファイヤーフォックス」のモデルになったベレンコ中尉亡命事件。
世界最速の超音速戦闘機ミグ25の衝撃的な事件で良く覚えています。
兄が仕事していたときに降りて来て近づいたら鉄砲を上に向けて打ったそうです
あの有名な?
@@ガワハセ-w3t なんか凄い勢いで叫んでいたと言ってました!
何故か機体に近づけてはいけないと思ったとか。
こまわりくん クリーン三木 木綿のハンカチーフ
真空管はカラー液晶出来るまで使ってた
イャア~懐かしいですね 私も若かった
それ真空管ちゃうブラウン管や
@@yoda_dayo ウチはまだ台所で現役だぞ
@@田中一朗-y2bおじいちゃん今は「キッチン」って言うのよ。
システムキッチンの吊戸棚の下からニュッと出る譜面台みたいのを「レシピホルダー」って呼ぶんだけど、最近のはその脇に給電用USBポートが付いて「iPadホルダー」って名前になってる。iPadでレシピを見ながら料理するんだと。
ユニットバスにもオプションでフラットパネルテレビが選べるようになってたり、時代は変わったねぇ。
大学生の時でよく覚えてます。ベレンコ中尉のその後も分かって良かったです。
ある日、友達と外で遊んでいたら物凄い轟音で暫く耳が痛くなりその後家に帰るとテレビで函館空港にソビエトの最新鋭戦闘機が緊急着陸の速報が…空に見えたのは黒い影だけでしたが当時は幼心に戦慄を覚えました
写真で見ると、着陸直前かもしれないけれど街中でソ連の国籍マークがわかるほどの低空で飛んでいたというのはすごいことですね!当時の北海道、日本を貫いた「戦慄」がよくわかる動画でした。ベレンコ中尉はまだ70代なので一度北海道に「あの時はお世話になりました、ご迷惑をおかけしました」と言いに来るべきですwそして北海道のおいしいものをたくさん食べてアメリカに帰ってほしい。
函館まで飛ぶのがギリでしょう。燃料消費が激しい空中戦はないな。
そもそもベレンコの武器は拳銃だけwwww
恐らくは燃料消費の激しい低空での交戦だろうし、格闘戦能力に乏しい機体に強硬着陸を許すとは考えにくい。
爆撃機に対する迎撃機としては優秀という見方が有るように、加速·上昇力に特化した機体だし。
さすがはソ連の戦闘機
脚の強さは半端ないな
大学生の時、函館出身の西出君が高校の授業中にミグが飛んできた事を語ってました。
(もう45年前なんですねぇ~バルタン西出元気か?)
その昔、電子工学の真空管の授業の際に「当時ソ連の戦闘機が真空管だと笑っていたが、電磁波高周波ノイズなど影響を受けないからだぞ!」
とこの事件の事を授業で言っていた事を思い出す。
残念ながら、アメリカの人達には最後まで馴染めなかったらしいですね。
2:09 RF-4Eの武装は、せいぜい核爆弾くらいでミサイルは積んでない
超低空飛行できたか当時の地上配備のレーダーだと捕捉できないのとF4のレーダーも超低空で侵入してきたベレンコ中尉のMiG-25を捕捉できてないから空戦した可能性は低い
つかミグ25の武装は、ベレンコが持ってた拳銃だけなんだが。
子供のころは曲線の美しい米国の戦闘機より、直線的なデザインのソ連戦闘機が好きだった。
しかし想像以上に最新鋭の装備とうたっている装置って当てにならんものだとわかる。
ソコル工場の展示ミグは 亡命機ではなくてMig-31かもしれませんね~
でも動画は面白かったですよ~♬
25、29,31だから mig-31でしょうね
バルカン砲打たれる距離まで近づいたのなら日本機と気づくだろうから無線で空自基地に誘導をお願いしただろうし普通に可能性は低そうかなぁ
所々小ネタも挟んで、良き動画でした。
ベレンコさんは日本のビールの美味さに驚いたらしいね
ベレンコ「たしかにビールもうまいが戦闘機の燃料のがおいしい」
触りの12分ぐらいで、ぐっと話に引き込んでからの番組タイトル挨拶。深夜ラジオみたいで上手い構成だね。
これが戦争なら北海道函館は火の海に成っていただろう!
べレンコ中尉の低空からのアプローチが世界各国に防空網を掻い潜る低空アプローチと当時の防空能力の低さを同時に知った事件ですね。
この事件をきっかけに、のちの大平内閣が1979年の閣議で、低空でもレーダー探知が可能なEー2Cの導入を決定するきっかけになりましたね。
その後、トマホーク配備問題も出てきましたねー、昭和59年頃だったかな・・・?
当時は何も知らないあんちゃんだったから、組合の強制動員で、ジグザグデモに参加させられた💦
当時のTV報道とかで、真空管が使われているとかかなり旧式であるとか、コメントしていたのを覚えています
真空管は電磁波に強く核戦争になったらトランジスターは使いものにならない
真空管を使っているのは、核戦争で発生する強烈な電磁パルスにも装置が耐えられるようにするため、ともっともらしい説が当時流布されていましたよ。
函館の小学校で授業中に見た、赤い★も見た。
アンバサダーちゃんがもう出ないのかと不安になってしまいました。
この事件もショックだったけど、ハセガワがプラモデルを出した日の方が小学生の俺には大事件だった。
フォックスハウンド「人違いです…」