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いつ聞いてもいい唄ですね。40数年前に円山音楽堂に通った口です!
高石友也さん、北山修さんだけでなく、永六輔さんも主要メンバーでしたね。何度か参加しました。暑い夏、京都円山公園、いい思い出です。
とても好きな歌です。歌詞の中に「京都」という単語が一度も出てきませんが、この歌ほど京都を思い浮かべさせる歌は他に知りません。耳にするたびに、はるか昔の学生時代を思い出します。当時、遠距離恋愛中で、二人は大阪出身、彼の学校は東京、私は神戸で、会うのは京都と決めていました。ちょうどこのコンサートのころのことです。結局二人は別々になりましたが、3番にある、~プラタナスの道で君を待ちながら~のところで当時を思い出してしまいます。UPありがとうございました。
ドンピシャ世代です😅 LPレコードのジャケット 懐かしい😊
北山修コンサートは私にとって、はずせませんでした。一年前に永六輔さんがゲストで,もう見られなくなってしまうかもって思って今回も行きました。高石ともやさんがゲストでした。 いきなりですが 最初の曲目は「街」でした。永六輔さんの「女ひとり」は有名です。そうそう,京都大原三千院ですが‥六輔さんは,ともやさんに京都の地名がない京都の歌を作ってくれと行って出来たのが「街」でした。‘下駄の音,路地裏通り’でウルウルきてしまいました。
最初は1978年のコンサートに当時付き合っていた彼女に連れられて行きました。それからはまりました。40年以上たった今でも、当時の歌を口ずさんでいます。107ソングブックを古本屋を渡り歩いて探し回っています。
私は初め、何方の音源なのか、私は知らない中手探りと足掛かりを頼りに、色々観察した高校生の頃に感じた事は、今も色失せない「思い出」の一コマとして、プロデューサーの「榊原 四朗さんとスタッフの皆様」の功績を、ここに称えたいと存じます❗かしこdomingo-miyake 2018,07/1313
なつかしいです、中学生から高校生のころ、毎年徹夜で並んでいってましたね、諸口あきらさん 木田高介さん 坂庭省吾さん そして永六輔さん 亡くなられましたね。
いつ聞いてもいい唄ですね。
40数年前に円山音楽堂に通った口です!
高石友也さん、北山修さんだけでなく、永六輔さんも主要メンバーでしたね。何度か参加しました。暑い夏、京都円山公園、いい思い出です。
とても好きな歌です。歌詞の中に「京都」という単語が一度も出てきませんが、この歌ほど京都を思い浮かべさせる歌は他に知りません。耳にするたびに、はるか昔の学生時代を思い出します。当時、遠距離恋愛中で、二人は大阪出身、彼の学校は東京、私は神戸で、会うのは京都と決めていました。ちょうどこのコンサートのころのことです。結局二人は別々になりましたが、3番にある、~プラタナスの道で君を待ちながら~のところで当時を思い出してしまいます。
UPありがとうございました。
ドンピシャ世代です😅 LPレコードのジャケット 懐かしい😊
北山修コンサートは私にとって、はずせませんでした。一年前に永六輔さんがゲストで,もう見られなくなってしまうかもって思って今回も行きました。高石ともやさんがゲストでした。
いきなりですが 最初の曲目は「街」でした。永六輔さんの「女ひとり」は有名です。そうそう,京都大原三千院ですが‥六輔さんは,ともやさんに京都の地名がない京都の歌を作ってくれと行って出来たのが「街」でした。‘下駄の音,路地裏通り’でウルウルきてしまいました。
最初は1978年のコンサートに当時付き合っていた彼女に連れられて行きました。
それからはまりました。
40年以上たった今でも、当時の歌を口ずさんでいます。
107ソングブックを古本屋を渡り歩いて探し回っています。
私は初め、何方の音源なのか、私は知らない中手探りと足掛かりを頼りに、色々観察した高校生の頃に感じた事は、今も色失せない「思い出」の一コマとして、プロデューサーの「榊原 四朗さんとスタッフの皆様」の功績を、ここに称えたいと存じます❗
かしこ
domingo-miyake
2018,07/13
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なつかしいです、中学生から高校生のころ、毎年徹夜で並んでいってましたね、諸口あきらさん 木田高介さん 坂庭省吾さん そして永六輔さん 亡くなられましたね。