函館 穴間 寒川 昭和30年代

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  • Опубліковано 22 гру 2024

КОМЕНТАРІ • 23

  • @わたしはだあれ-f7z
    @わたしはだあれ-f7z 4 роки тому +12

    吊り橋、なくなっていたんですね。思えば昭和53年があなまに行った最後。大学で東京に出る前まででした。入船町にはかなわないまでも準地元でしたので、かれこれ10年以上は通いました。はじめて吊り橋から海に飛び込めるようになったのは、小学校5年生。寒川は風の持つ気温はもとより雰囲気もあなまとは微妙に異なり、ひと気がないことも相まってちょっと怖かった思い出があります。たまたまたどり着きましたが、こんな映像があったなんてびっくり。なつかしさに涙が出ます。ありがとうございます。

  • @ヒロ-n5r3c
    @ヒロ-n5r3c 4 роки тому +14

    穴間から寒川へのトンネルと、吊り橋を覚えています。
    吊り橋の下の深い入り江が物凄く不気味なくらい青かったのを覚えています。
    いまから60年もまえです。

  • @twicet1398
    @twicet1398 4 роки тому +10

    今では釣り漁船でしか見ることのできない海水浴場より先の光景。
    まさかそこに集落があって、当時の写真まであることに驚き、感動しました。
    とても貴重な資料ありがとうございます。

  • @ノフアキ-y2x
    @ノフアキ-y2x 3 роки тому +4

    貴重な写真ありがとうございます! この時代の方とお話しすると色々なことがあった時代みたいですね 大森浜のサムライ部落とか自分の家の下に防空壕作ったりとか 体験談がすごいですw

  • @Lodoss3800
    @Lodoss3800 12 років тому +17

    僕がまだ小学校(高学年)その時代は穴澗から寒川に徒歩で抜けるルートが
    まだ存在してました。 ただし寒川海水浴場の看板の記憶はなく、たぶんそのころ
    すでに撤去していたのだと思う。昭和30年だと僕は生まれてもいないですからね^^;
    岩場で転び、足をすりむき怪我をした思い出。必死で潜りアワビを獲った思い出。
    これらの写真は当時を知る方々の思い出を思い浮かべる機会になると同時に資料的にも
    価値のあるたいへん貴重な写真だと思います。

  • @user-hm9uu2en7p
    @user-hm9uu2en7p 3 роки тому +5

    私はS34生まれですが小学生〜中学と穴澗にはよく行ってました!そして吊り橋まで行き左側には深そうな洞窟海岸?があり、そこをさらに越えて向こうまで行くのですが途中で行き止まり…仕方なく帰ったりしてました。成人になり穴澗手前にあったペンギンズバレーに行ってました!おしゃれな若者結構居たなぁ…その後今から10年以上前くらいに行ったら、もう無かった…建物、看板が朽ちていた。無くなったのか…と思い残念だった。一緒に行った当日の彼女がいわゆるよく視える人で海岸をずっ〜と凝視していて、どうしたん?って聞いたら海の上で人が何人かいてこっちを視ながら手招きしてると!!気持ち悪くなりダッシュで車で帰った記憶ある。でも寒川地域には結局行ってないから機会があれば行ってみたいですね。当日のこんなフイルム?があって興味深いです。ありがとうございました。

  • @仁右衛門エリザベス

    函館は奥が深く深い所なのですね!映像を見涙します

  • @ブラックパパさん
    @ブラックパパさん 3 роки тому +3

    昭和50年代ですが、当時入船の友人に連れられて何度か海水浴に行きましたが
    岩場ばかりで、凄く深かった
    焚き火するにも木材が無くタオルにくるまりぶるぶる
    後日どこまで行けるか挑戦したが、道が途切れていて断念、その先に祠みたいのがあるとのことだったが
    波も高く諦めました

  • @sssMk3
    @sssMk3 12 років тому +8

    吊橋は昭和60年ごろに撤去された記憶があります。
    その後は穴間上にある砲台付近から崖を登り降りして寒川まで行っていました。
    穴間から海岸線沿いで立待岬に行った事は良い思い出です。ちょっとした冒険でしたw
    途中巡視船に見つかり引き返すよう注意されたり、立待岬近くで崖を登らなくてはならなくなったり、そこを超えて看板を見るとマムシ注意の看板があったり。。。w
    当時の思い出と重ね合わせながら見させてもらいました。
    有難うございました。

    • @ncgarage8696
      @ncgarage8696 5 років тому

      今更コメントですが立待岬側からのルートは今も残っているんでしょうか?

    • @hennaoyanzu567
      @hennaoyanzu567 5 років тому

      @@ncgarage8696さん
      立待からだと一通帰路の道途中から踏み分け歩き崖を降りて、大鼻越えまで2ヶ所くらい泳がなければならないかと。
      トンネルは貫通していないので…
      ただ時間帯によって潮が凄く早いので、海に入っても岩や海藻を掴んでいなければ流されるかもです。
      因みに立待裏側入り江のような処には、しょっちゅう海保さんがおりますよ。

  • @akishiro2525ok
    @akishiro2525ok 5 років тому +5

    懐かしい

  • @annaexpress
    @annaexpress 6 років тому +5

    いまは海外在住ですが生まれも育ちも函館です。小学生のときに郷土史の授業で寒川という集落があったのを知って興味を持ちました。穴間には何度か海水浴で訪れていました。高校生の頃に穴間の吊り橋を渡ってトンネルをくぐり崖をへつって行けるところまで行ったことがあります。最終到達地点は緩やかな斜面の土地でここが寒川かと思いました。途中で何度もマムシを見かけて怖い思いで穴間まで引き返した記憶があります。

  • @あまつかひでき
    @あまつかひでき 9 років тому +11

    函館に36年住んでいたのに寒川村って言う所があること自体知らなかった。

  • @orange4738
    @orange4738 2 роки тому +1

    私も父が吊り橋を渡っている白黒写真を持っています。

  • @泉広樹-v7m
    @泉広樹-v7m 15 днів тому

    今道ないですよね。

  • @BBA-z3g
    @BBA-z3g 7 років тому +2

    子供の時に海水浴に行ったので、とても懐かしいです。今は、どうなのか? 何十年も行って無いので・・・・・・?

  • @codaruma
    @codaruma  10 років тому +3

    takeshiさん ペンギンズバレーはかなり前に閉店しました

    • @ゆっくり解説ぴーなっつチャンネル
      @ゆっくり解説ぴーなっつチャンネル 3 роки тому +1

      ペンギンズバレー、いいお店でしたね。
      あそこから見る夕日は最高だった。
      当時の彼女(今の妻)は、マンガばかり読んでいましたが。

  • @仁右衛門エリザベス

    はこだて Soulful!

  • @渡辺喜由
    @渡辺喜由 5 років тому +8

    将来には寒川地区の例を見るまでもなく、道南周辺は人口減が急速に進み産業の衰退や人口の更なる流出などにより限界集落どころか自治体の消滅が相次ぐでしょう。むかしむかしこのあたりに江差町や厚沢部町などがあったとさ。

  • @札詩
    @札詩 3 роки тому +1

    今現在 令和3年6月
    まだ人が住んでいると言う噂も…

    • @辻輝-k1d
      @辻輝-k1d 3 роки тому +4

      という設定の小説を構想中です。