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室町幕府の足利義満は「此れまでの中国伝来のケバケバした装飾建築をやめて日本独特に出来ないものか・・・、考えた結果、簡素で飾り気のない様式にしようと考えてこの茶室を作った・・・」と何かに書いてあった(と記憶)その美しさが「和の美=わび」で、その違い美しさを「差の美」という・・・」とした、つまり赤や緑で塗装しない経年変化のある日本らし木目の造り、中国との違い此れぞ「和美、差美」だと言ったとか私は此れが最もしっくり「侘び寂び」の説明のなっていると勝手に納得している、先生のご説明にも合致していると感じます
能の日本での文化的影響の大きさにおどろきました。武士道が能から生まれて、全国の共通語を生み出した経緯を知って、感銘を受けました。ありがとうございました。
とてもわかりやすいお話しでした。私は、日本文化論の第一人者と言われた栗田勇さんの本を通じて、茶道などに興味をもちました。話しがとんでますが、私自身の前世は武士で、武士道を心がけていたみたいですが、能の世界が武士道につながったなんて、驚きです。日本人は、欧米コンプレックスがありますが、古来から優れた文化があった事を認識すべきですね❗素晴らしいお話しでした。ありがとうございます。
善行先生のお話は本当にシンプルで解りやすく身体の中にスッと入ってきます。素敵なお話をいつもありがとうございます。
茶道をしておりますが、豪華絢爛ではなく、質素なものでも趣きがあると感じれるか。掃除も全てをキッチリきれいさっぱりするのではなく少し落ち葉を残してそこに趣きを感じるか。そんな心や精神の心持ちかなと思います。所作を重んじ、いかに無駄を省き、点前御馳走が出来るか、亭主は何を考え何を感じて欲しいかを考える。そのような心にこそ。侘び寂びがあるのだと思っております。季節、音、掛け軸、花、香り、味覚、外と内の違い等深いですよね〜
昔体力がなければ冬を越せない時代があったようです。夏の終わりに寒さを感じ始めると冬を越せなさそうな人々との別れに直面するそうで、そうした哀愁を木々の枯れ行く様に重ね合わせ、詫びや寂びという概念が生まれたと聞いたことがあります。
今年も厳しい冬がやってきます⛄️年越せるかなぁ🙄暖房筋トレだし…
詫びではお詫び申し上げてしまうので侘びで
とても説得力のあるお言葉です!!大変共感します。
難しい事をめちゃわかりやすい解説に感動しました🥹
見渡せば花も紅葉もなかりけり 浦の苫屋の秋の夕暮れ藤原定家のこのうたが大好きです。侘び、さびの美意識を分かりやすく教えてくれています。
解りやすく説明されていて、とても参考になりました。有難うございました。
わび•さび•幽玄。難しい概念をシンプルに分かりやすく説明されて、流石です。日本の伝統は奥が深いですね。ありがとうございました。
わび、さびは日本人の哲学の根本ですね。年齢がいくと、その美しさと理想に深く頷きます。「もったいない」もその1つかな。しかし、現代人はこの思想を忘れてしまったように思う。特に政治家は汚れてしまって拝金主義に溺れてしまっている。全体主義への警告。日本思想の良さを失わないようにしたい。
イーロンマスクがXで、『 侘び寂び 』と呟いたのは驚きました。何気にイーロンは日本の事を凄く気に入ってる気がして嬉しいです😊
建築家です。シンプルモダンは侘びじゃないと思いますよ。侘びは質素なものにこそ趣があると感じる心なので、ごちゃごちゃしたゴシック様式のようなものを排除してスッキリさせるのはそうですが、素材としてガラス張りのキラキラした素材や巨大なビルなんかは風流がないといいますか、自然に溶け込まず、寂につながらないといいますか。なかなかニュアンスが難しいですね。
わかります侘びとはかけ離れてますね単純に木造の素朴な建築物には侘びを感じますけどまあ木造好きな隈研吾の建築物もごちゃごちゃしてて侘びではないですね 笑
侘び寂びとは、良い例が日本国歌🇯🇵非常に短い歌詞で、内容も千代八千代さざれ石とか苔のむすまでなど侘び寂び。そして、しんみりと寂しいながら悠久性ある美しいメロディー🎉
なんか比べるものが違う気がする。アンティーク思想と混じって説明していないか?素朴な草花は決して古ぼけたものではないしな。「侘び寂び」は清楚で質素である事の中に自然の美を見出し明日には枯れてしまうような物寂しい様に美しさが備わった状態のこと。色あせていくものから感じる美しさ『はかないものを愛する』という日本人特有の美しい自然のその時のものというか、二度とないその時々を大切に思う、一期一会という言葉にいわれるところの精神にある。
はぁーなるほど。日本人が好きな感じですなぁ。ありがとうございます😊
簡潔で分かりやすい
能楽を通じて全国に武士道を広め、かつ共通語に繋がってきたと言う事に、足利将軍(義満)の後世への貢献度のすごさを感じました。また詫び、寂び、幽玄の世界の本質を学ぶことが出来て感謝です。ありがとうございます。
わかり易かったです。ありがとうございました。日本人でよかったです。
観阿弥ときたら、世阿弥もお願いします。「初心忘れべからず」「秘すれば花」とか素敵な言葉を残されてますね。
素晴らしいコメントですね‼️
小名木先生のお話には猿楽の中での歴史があり面白可笑しく記憶に残りますね。私は、寂光院での手振り素振りの解説が印象に残って居ます。
むちゃくちゃわかりやすいです。 動画ありがとうございます。
見ていて楽しく、勉強になります。ありがとうございます!
お能の背景、知りませんでした!とても面白かったです✨小名木先生の教えて下さるいろんなこと、若い頃学校で教わっておきたかったです😢
寂び、時間の経過による空間への馴染みのことかなと思いました👍
人生の荒波、風雪に耐えてわかる世界観ですね!まだまだ、修行が足りません、私には。
金継ぎが分かりやすい例ですよね。不完全さのなかに完璧をみる。
勉強になりました!いわゆるミニマリストは詫びのことですね
I’m American & I don’t speak Japanese but I love 侘び寂び. It’s becoming quite an internationally famous phenomenon
フランス人の目に映る日本ってこんな感じ「侘び寂び」というフランス人のべべちゃんがアップしてるショート動画をアップしてくれてます。それがなんとも美しく、詩的に侘び寂びを捉えていて彼の感性に感動したので興味ある方は見てほしいです。
戊辰の役でも西国の侍と奥羽地方の侍は、能のうたいで会話したそうです✨
単にシンプルというよりも複雑で機能的なのにシンプルに見えるって方がより正確な気がする。
面白かったです。🎉
まとめ 11:08
職人さんが長く使った道具はもう寂びの世界です❕
「寂び」は経年劣化ではなく、むしろ時間をかけた熟成の味です。-よくわかるのが楽器の例。もちろん、ヴァイオリニストなどの中には、使っている人によってその人の癖が楽器に沁みつくという人もいます。ですが、科学的にも判明している古い名器の秘密は、特に木製楽器の場合、木が程よく乾燥していること。そうでないと共鳴しないのです。ヴァイオリンなどだけではなく、笛や笙、箏などの和楽器でも同じ。そもそも、楽器制作の前に、使用する木材は十分乾燥させる。伝統的な和楽器の場合には、煤竹を用いるとか、100年くらい乾燥させた古木を用いるなどといわれたりもしますからね。だから、平安時代の楽器が現存していたりする。ストラディバリウスどころの古さではないですよ(笑)*****「能」の「侘び・寂び・幽玄」について。もちろん、能楽が武家の式楽になったから、謡のような発声や言い回しが武家言葉に影響した面はあるでしょう。ですが、国元の地侍同士では、やはり国が違うと言葉は通じなかった。大名などの上級武士同士で話が通じたのは、大名の妻子は江戸屋敷住まいで、跡取り息子は江戸育ちだったからです。-また、能楽の場合、所作が極端に簡素化されており、最小の動きで象徴的に表見する。ここが、もともとの「猿楽」の要素を強く残す狂言とは異なるところであり、観阿弥・世阿弥が目指した能の境地です。それが侘茶などにも通じる美学として武家に浸透していったということでしょう。そして、能の「幽玄」に大きな役割を果たしているのが、面。単に、誰でも面を付ければその役に慣れるという意味ではありません。能面は、光の当たり方によって表情が変わるように造られている。だから、顔の角度を変えることにより、同じ面でも、表情は明るくもなり、暗くもなる。僅かな所作、面の角度で、果てしなく深い感情を表現するのです。謡の声色もそうですが、能舞台の下に仕込まれている共鳴用の大きな壺に足踏みの音を共鳴させ、鼓を打つように、跳躍の足音まで音楽の一部として取り込む。そしてその際の、静寂の中に広がる僅かな音の余韻を味わうこともそうですね。これが能楽の幽玄の境地です。
昨日、お勧め動画にクレモナに工房を構えるヴァイオリン製作者、松下敏行氏を扱ったNHKの番組が出てきて、観ていたら興味深いことが。クレモナ市庁舎内のストラディバリウス博物館では、すべての楽器を専門の管理者が毎日弾くそうです。ヴァイオリンは、常に演奏していないと、素材の木が硬くなって鳴らなくなってしまうのだとか。松下氏は、自分の楽器を初めて注文購入してくれたクレモナのチェリスト宅を定期的に訪れ、楽器を最適な状態に保つそうです。毎日弾いていても、弾き方によってやはり楽器は変化するそうで、しかも魂柱の僅かなずれなどを定期的に調整していい状態に保たないと最適な状態では鳴らないらしい。-私のドイツのアパートの先住者がヴァイオリン製作者で、彼の兄もヴァイオリン製作者、妹は音大入学前にコンクールで優勝して地元のオーケストラと競演してLPを出してプロデビューしたヴァイオリニスト。「一人のヴァイオリニストに専属修理担当者が2人もついているのは贅沢だ」と彼は言っていましたが、そういうことなのですね。ですので、様々な名ヴァイオリニストに演奏されて受け継がれてきたストラディバリウスの名器が、それらヴァイオリニストらの卓抜した演奏技術によって更に磨かれて、より美しく芳醇で、表現豊かになるようになるというのは、ヴァイオリニスト気のせいではなく、実際に起こりうることのようです。-その一方で、単純に素材やニスの乾き具合の関係で、制作された直後より、何十年後かの方がよりよく鳴るというのも事実らしい。しかも古ければ古いほど良いというわけでもなく、松下さん曰く、300年前に制作されたストラディヴァリウスは、そろそろ寿命なのではないか、と。-それで松下さんは、「ストラディヴァリウスを超える名器をこの手で作りたい」とのことで、ストラディヴァリウスの名器の秘密を様々な観点から追求。ストラディヴァリウスの設計図にあるF字孔の位置がどのように計算されたものかを突き止め、個々のヴァイオリンの厚みや曲線に応じて微妙に変わるその位置の計算法を確定。クレモナ近郊の何百年もかけて育つアカマツの木の選定。湿気が多く、ヴァイオリン製作には向かないはずのクレモナで名器が生み出されたのは、ニスを振る下地の防湿性に秘密があること、そしてストラディヴァリウス独特のニスの原料や配合も突き止める。更には、木の表面に傷をつけてしまう紙やすりではなく、ストラディヴァリウスが使っていた特殊な木の葉を乾燥させて期の表面を磨いて艶を出す。そして、ストラディヴァリウス博物館でストラディヴァリウスを毎日弾いて調整している人に試し弾きしてもらって、フランスで開催された弦楽器奏者のコンクールで、日本人としてははじめと、ヴィオラ部門2位、そして演奏家が選んだ最良の音色の楽器に贈る音色特別賞も受賞。*****なので、古いものを熟成させる文化は、決して日本にだけあるわけではない。けれども、古いものを大切にする、そしてモノづくりの職人的な徹底さをもつ日本人は、外国の古い文化でもトップに立ちうるということですね。-ちなみに、古美術修復に使われる最良の紙は、土佐の雲龍紙だそうで、ヴァチカンのシスティーナ礼拝堂のフレスコ画の修復にも使われたそうです。でもこの雲龍紙、採算が取れなくて、継承者がいなくて技術が途絶える寸前とか。古いものを熟成させながら継承していくためには、継承者が必要。政府も人間国宝、無形文化財保持者などとして支援はしているのでしょうが、我々日本人が、効率性や採算性にばかり捉われて、大切なものを見失うことのないようにしたいものです。
@@erikasono565神の采配を感じます
@@erikasono565
花火、わさび、相撲・・・。一瞬の美しさ、儚さ、素晴らしさ!?人生の如し・・・。枯山水の庭に馴染む劣化した木材はいいですね・・・。モノニズム感じる水墨画みたいで、シンプルに濃淡に深い美しさを感じますね。朽ちてゆくのも美しい。人の脳内も宇宙も幽玄と言えば幽玄・・・!シンプルな「味わい。」でもいいのかな。日本料理に詫びさび幽玄観てみたいですね。南総里見八犬伝・・・仁義智信礼孝悌得・・・。武士道?国を滅ぼされて、その国の武術を禁止された国は、踊りにその趣を取り込み継承したそうです。国の再興めざして・・・。
人にも言えるんじゃないでしょうかね…難しいですけどね。
集約したのが盆栽ですね
幽玄までは分かりやすかった
とても興味深いお話でした。詫び、さび、幽玄、といった真に和的な感覚、と言われてるがいねんは、猿楽にルーツを持つ「能」からきてるんですね。能は当時の「メディア」だった、という視点が新鮮でした。義光はよくグローバリストと言われますが、能という芸能の魅力を利用して、全国の標準化をはかったんですね。面白いです。ところで、観阿弥は日本人だったんでしょうか?昔、シリア出身の知人に、日本は古いものを愛でる、という感覚があるのね、一緒よ!と言われたことがありました。さびは、今風に言えばヴィンテージ?わざと古く見せたり穴の空いたジーンズをはくとか。でも新しいものを壊してワザと古く見せるのは、単なるデカダンスかな。さびは「自然に、自ずからそうなる」という、自然への畏敬といったもにも重きを置くように思います。
楽器の価値が経年によって増していくというのはちょっと違いますね。
0:37: 📚 わびさび有限の世界についての本は難解で理解しにくいが、その理由を説明する。4:57: 📝 サビとは、時間の経過によって劣化したものの中に美しさを感じることであり、長年使っていくうちに経年劣化していく革製品なども変色や傷がつきながらも使い込んだいい色合いになることがある。8:56: 🎶 楽器の音の良さと歴史が価値を持つ世界。13:22: 🤔 儒教を学んだから武士道があるわけではなく、武士は武士道をどこで学んだのか疑問が残る。17:39: 🗣 日本の地方地方で方言が強く、言葉の違いがあったが、江戸時代には各地の人々が言葉を使って疎通していた。Tammy AIで要約できました!ご参考になれば幸いです。
御所が思い浮かびました。
サムネイルが縦書きですが、普通に読むと「寂び侘び(さびわび)」というふうに逆になってしまっています。縦書きなので右から読むはずですが、きっとサムネイルを作った方が間違えて左から読むように作ったんじゃないかと思います。せっかく日本文化についての発信ですが、ちょっと残念に思います。
今の政治家どもに武士道を学んでほしいものです。
古代より日本人はワビとサビを大切にしてきた。また日本人は言葉を略して表現することがある。ワビとサビこの大切なものを略ワサビと表現した。そしてワサビは、和食にはなくてはならないものとなった。G・H・フラナガン
詫び寂び幽玄・・・言葉にすると薄っぺらな世界になりますね?詫び寂び幽玄は感覚の世界なのか?ありがとうございました。 感謝‼ 合掌
侘び寂びがもてはやされた時代に華美が同時にあったことを忘れてはいけません。同時に華美との比較、華美の解釈なしに侘び寂びを語ることは誤解につながります。特に外見上のことを論じては嘘に近いことです。三つの意識は心です。ゴシック建築にしても当時の政治・宗教を理解しないことには論じられません。
鎌倉時代は禅で学習してましたかな
😊テンハーフーーー❣️#希望の日本再生チャンネル からきたヨーーー😊応援📣📣📣😊
日本語は縦書きの場合、右から左に読むので、サムネイルそのまま読むとさびわびになってますよ。
どこの国でもたいてい特権階級が出身地にかかわりなく共通の言葉を話すのは、共通の教育を受けているからなのでしょうね。教育の影響は絶大です。
幽玄がいちばん、難しいよね!
サムネ縦書きだから侘び寂びの位置逆の方がいいような
表面だけ見てそれっぽく語ってるのだから深さも何もないですよ。モダニズムの「合理性」と、こころもとなさの「詫び」を一緒にするのにはさすがに無理があるし「武士道」も明治からの創作で昔から続く一つの道ではないでしょう、そういうことになってるだけで。仮にあったとしても、良い武士のふるまいなんて時代によって違うのだから、それが「能」に組み込まれて普遍的な道徳教育として伝えられる。というのも苦しいですよ。
能と武士道勉強になりました。能と言うと織田信長を思い出しますが足利義満ナイスプレーですね。
ヴァイオリンは、無限の音階ってほんまかなぁー😊
ちょっと荒い説明で間違いも多いので、参考程度にした方が良いですね。
このお方は、哲学的に矛盾しているし、言葉の概念も間違っています。聞いてられない。
10:00
誰かが俺を指さして磔とかにしたがって悪い噂ばかり飛ぶように売れそんな空気 そんな空気そんな空気で盛り上がってる誰かがヘマしたときには確かに俺も嗤ってた羽目を外して 滑って転んで痛い目に遭うのさ詫びて 詫びてさ 頭下げてじっと耐えるしかない
わびさび幽玄については、間違った方向に先導されようとしてます。特に説明のわびについては、日本の美について理解されていません。お話の能については、雑学的な部分で知らない話なので、なるほどとおもいましたが、わびさび幽玄も、知らない人が聞いて、なるほどと思われるかもしれないと、悲しいです。日本の文化は、このような説明では解説できません。北原白秋をして、日本の豊満な言葉は一生涯つくしても語れないというほどですから
Oh, no❗️😮
ヴァイオリンの価値ちょっと違います。ストラディヴァリウス(確か3人くらいいる)が17〜18世紀に作ったヴァイオリンが数十台?あります。でも未だに他の人が作ったヴァイオリンはそれに匹敵する音が出ないのです。それでこれらが億の価値があります。古いからとか傷があるから、誰かが使ったからという理由ではありません😊
痛く同意します。
だったら なぜ ブラインドテストで 会場にいた 聴衆が トラディバリウス ではない 楽器の音の方がいい という 判断をしてしまったのか教えて欲しい
@@pel6664>会場にいた聴衆バカ舌ならぬバカ耳なんじゃね?🙄
ストラディバリウスは当時の塗装材料屋と組んで、ひとつの職人村をブランド化したんだよね。それが音が良いとかいう幻想生んだだけなんだよね。私は現代の鉄弦張ったストラディバリウスの音が好きじゃないなぁ。ヒステリックでさ(笑)古いものならアマデウスとか、現代作家のヴァイオリンなら沢山いい物があるのにな。私はヴァイオリン職人してたから、ヴァイオリンは構造的にシンプル故に演奏家の音が直ぐに出るんだよね。だからヴァイオリン族の系列であるギターなんかは同じように弾く人の音が出ちゃうのさ。ストラディバリウスはSDG'Sみたいなものと同じでただの幻想。
@@ChilliChilliBlack アマデウスってアマティの間違いじゃない?ストラドにスチールは使わないよ。演奏者の音になるのは同じだね。
現代日本人は武士道好きだけど、人口比率では大多数の大衆は農民 • 平民階級。軍人戦闘員階級を、農民階級が誇りに語るのは違和感が有る… (上位階級への憧れ??…)農民階級の大衆文化 • 風俗と精神性は、ある意味でおおらかでいい加減なモノこそ、現代日本が思い出すべき、精神性かと…ちゃんと、きっちりは、性に合わない農民階級より 😊😊😊
「寂び」は「時間の経過による劣化」ではなく「時間の経過による変化」では?
広く人口に膾炙しています「武士道」という語そのもの。新渡戸稲造はその名を冠した著作で知られ、「ニトベ的武士道」解釈が世界で、いな、日本でも理解されていることにいささか困窮し畏怖するものでございます。その理由は彼がキリスト教とであるという一点に尽きます。彼がそういう信徒であったから海外「キリスト教徒」に橋渡しできたその功績は認めざるを得ませんが、その解釈は大いに肯定できない側面や内容をもっています。誤解曲解と言ってもいい。NYの寿司ロールのような感じというか。そして、さらにその誤解曲解が逆輸入さえされて、現在日本人が「武士道」を自国精神文化の一部と認識してさえいる。ハラキリ・ニンジャ・サクラ・ラーメン・・・に至るまで。「微妙にそうじゃないんだけどなあ」と思う場面しきりです。無学爺のたわごとですけれども。
明日は15夜ですよー ハロウィンより🎑🌕お月見の方が カッコイイと思うの
ユウゲンが何処がどの様なのかが解りにくい。武士サルガクデンガクノウガク足利義満
趣の興
劣化ではなく熟成ですね。
納得です。ネズさんはブログの時期は良かったですが、リアル場面での表現はなんだかとなと思っています。偶々、イーロン・マスクが漢字と平仮名で4文字のみxでツィートしたのが世界で話題に成りました。それが侘び寂びです。
まあ比較で バイオリンの話をしない方が ご自分の価値を損ねないと思いますよ。 胴長 355mm の ストラディバリウス は 製作 当時から1mm だって変化してません
シンプルモダン日本起源説はちょっと笑うしかない。カナダで大失敗した様式のもほうかつ日本らしさを捨てたもの。
井上靖『本覚坊遺文』の世界観を連想してしまう……
そう考えると、侘び寂び幽玄は日本特有の文化ではない、世界共通です
さびの比喩でのバイオリンは、?です。楽器としての機能の差で尊ばれていると思います。「幽玄」とは、汚い言葉で「妄想」に似ていますね、頭の中の色んな自己体験、自然観を基本とし多彩に駆け巡る思考感と自己理解です。
「詫び・寂び」は日本人に特有の価値観だと思います。この価値観は多分、自然発生的に生まれたものと思いますが、いつ頃どのような背景のもとに生まれたかを説明しないと視聴者は以後の話が分からないです。詫び・寂びがどういう意味かではなく、なぜ日本に生まれたのかの解説をぜひお願いいたします。能と武士道の関係もよくわかりません。能とは何か、武士道とは何かを説明していないからです。
学生のとき、歴史の先生が「武士の時代がきて、京貴族たちがお金がなくて侘びしい寂しい暮らしになったのを、これがいいんだと無理やり精神勝利しだした」って言ってて、すごく腑に落ちたのを覚えてます。ホントかどうかはさておきね。
モダニズムを侘びと結びつけることと西洋のビンテージと寂びと直接結びつけるのはおかしくないですか?それに侘び寂びの概念って村田珠光や千利休が茶の湯の世界で体系化・普及したもので、それ以前は絢爛豪華が支配階級の普通の美意識だと思えるのですが。侘び寂びって、せいぜい15世紀くらいからで、「日本人と言えば」と言いきれるほどの概念ではないと思います。「大学」を名乗るなら学術的根拠を示さないと、誰も納得できませんよ。
以前我在中国学道家文化的时候老师就告诉我人死后人的灵魂想去哪就去拿大部分的灵魂会去一个没有人居住的地方只有植物和动物存在
建築については、もう少し勉強してほしいです。ガラス張りのビルが作られ、選ばれている本当の理由は建築物というモノ自体を消し去るからです。ガラス張りにすることで空をガラスに投影してビル自体が空と同化する。ずんぐりむっくりな建築物が“そこに無い”かのようにする為のデザインです。シンプルにする為のものじゃないです。。。
日本人が生きて行く為には、詫び錆びがかっこいい、栄養過剰だから、うつやアレルギーになる。朝ごはんを作らず、食べないで昼に朝ごはんで、残りを夜にいただく、デトックス、エネルギーなどの節約、外国に対抗する方法です。
ワサビ??
サムネの縦書き文だとどうしても寂び侘びと読んでしまう…あえてなんですかね?
サムネ、日本人だから、寂び侘びの順で読んだ。
小名木さん、寂び…は、経年した状態であって、別に劣化しなくても良いのですよ。簡単に説明するのは良いが、説明しきれていないように感じます。
ヴァイオリンの方理屈っぽくて人間としての魅力と云うモノの勉強した方が良いかも😂
使い古した👞革靴寂の美
沖縄は、江戸時代ごろは、日本じゃなかった。
「日本人の9割が知らない」では???
「現代チャイナがチャイナ映画を作って〜」普通に中国でダメなの?笑
なんか、突発的に口から出るワードが適当過ぎて、全体的に信憑性がなくなってる。。。
シブい
ユウキュウノ何とかについては初めて耳にしましたしよくわかりませんが、詫び寂びについて私が思うには、小名木さんは指し示しているものや表現しているものは正しいと思いますが、その表現に至る詫び寂びを観測する立ち位置が、詫び寂びを理解していない人の表現なのではないかと感じました。結論だけいうと、羽目を外しすぎて殺されそうになった私が言うのもなんですが、あらゆる意味合いにおいての”弱”の目線に立てるかどうかだということだと言えます。ですので小名木さんは、それがいいとか悪いとかいうつもりはないですが、三河武士の子孫らしく、もののふの心が強いのだと思います。
内容はいいですが、説明する言葉や仕草などが八百屋や魚屋のオトンやオ力ンのようですね。もう少しゆっくり落ち着いて説明をしてくれればもっと実感が湧いてきますが
室町幕府の足利義満は「此れまでの中国伝来のケバケバした装飾建築をやめて日本独特に出来ないものか・・・、
考えた結果、簡素で飾り気のない様式にしようと考えてこの茶室を作った・・・」と何かに書いてあった(と記憶)
その美しさが「和の美=わび」で、その違い美しさを「差の美」という・・・」とした、つまり
赤や緑で塗装しない経年変化のある日本らし木目の造り、中国との違い此れぞ「和美、差美」だと言ったとか
私は此れが最もしっくり「侘び寂び」の説明のなっていると勝手に納得している、先生のご説明にも合致していると感じます
能の日本での文化的影響の大きさにおどろきました。
武士道が能から生まれて、全国の共通語を生み出した経緯を知って、感銘を受けました。
ありがとうございました。
とてもわかりやすいお話しでした。私は、日本文化論の第一人者と言われた栗田勇さんの本を通じて、茶道などに興味をもちました。話しがとんでますが、私自身の前世は武士で、武士道を心がけていたみたいですが、能の世界が武士道につながったなんて、驚きです。日本人は、欧米コンプレックスがありますが、古来から優れた文化があった事を認識すべきですね❗素晴らしいお話しでした。ありがとうございます。
善行先生のお話は本当にシンプルで解りやすく
身体の中にスッと入ってきます。
素敵なお話をいつもありがとうございます。
茶道をしておりますが、豪華絢爛ではなく、質素なものでも趣きがあると感じれるか。掃除も全てをキッチリきれいさっぱりするのではなく少し落ち葉を残してそこに趣きを感じるか。
そんな心や精神の心持ちかなと思います。
所作を重んじ、いかに無駄を省き、点前御馳走が出来るか、亭主は何を考え何を感じて欲しいかを考える。
そのような心にこそ。
侘び寂びがあるのだと思っております。
季節、音、掛け軸、花、香り、味覚、外と内の違い等深いですよね〜
昔体力がなければ冬を越せない時代があったようです。夏の終わりに寒さを感じ始めると冬を越せなさそうな人々との別れに直面するそうで、そうした哀愁を木々の枯れ行く様に重ね合わせ、詫びや寂びという概念が生まれたと聞いたことがあります。
今年も厳しい冬がやってきます⛄️
年越せるかなぁ🙄暖房筋トレだし…
詫びではお詫び申し上げてしまうので侘びで
とても説得力のあるお言葉です!!大変共感します。
難しい事を
めちゃわかりやすい解説に感動しました🥹
見渡せば花も紅葉もなかりけり 浦の苫屋の秋の夕暮れ
藤原定家のこのうたが大好きです。侘び、さびの美意識を分かりやすく教えてくれています。
解りやすく説明されていて、とても参考になりました。有難うございました。
わび•さび•幽玄。難しい概念をシンプルに分かりやすく説明されて、流石です。
日本の伝統は奥が深いですね。
ありがとうございました。
わび、さびは日本人の哲学の根本ですね。年齢がいくと、その美しさと理想に深く頷きます。「もったいない」もその1つかな。
しかし、現代人はこの思想を忘れてしまったように思う。
特に政治家は汚れてしまって拝金主義に溺れてしまっている。
全体主義への警告。日本思想の良さを失わないようにしたい。
イーロンマスクがXで、『 侘び寂び 』と呟いたのは驚きました。何気にイーロンは日本の事を凄く気に入ってる気がして嬉しいです😊
建築家です。シンプルモダンは侘びじゃないと思いますよ。
侘びは質素なものにこそ趣があると感じる心なので、ごちゃごちゃしたゴシック様式のようなものを排除してスッキリさせるのは
そうですが、
素材としてガラス張りのキラキラした素材や巨大なビルなんかは風流がないといいますか、自然に溶け込まず、寂につながらないといいますか。
なかなかニュアンスが難しいですね。
わかります
侘びとはかけ離れてますね
単純に木造の素朴な建築物には侘びを感じますけど
まあ木造好きな隈研吾の建築物もごちゃごちゃしてて侘びではないですね 笑
侘び寂びとは、良い例が
日本国歌🇯🇵
非常に短い歌詞で、内容も千代八千代さざれ石とか苔のむすまでなど侘び寂び。そして、しんみりと寂しいながら悠久性ある美しいメロディー🎉
なんか比べるものが違う気がする。アンティーク思想と混じって説明していないか?
素朴な草花は決して古ぼけたものではないしな。
「侘び寂び」は清楚で質素である事の中に自然の美を見出し明日には枯れてしまうような物寂しい様に美しさが備わった状態のこと。色あせていくものから感じる美しさ『はかないものを愛する』という日本人特有の美しい自然のその時のものというか、二度とないその時々を大切に思う、一期一会という言葉にいわれるところの精神にある。
はぁーなるほど。
日本人が好きな感じですなぁ。
ありがとうございます😊
簡潔で分かりやすい
能楽を通じて全国に武士道を広め、かつ共通語に繋がってきたと言う事に、足利将軍(義満)の後世への貢献度のすごさを感じました。また詫び、寂び、幽玄の世界の本質を学ぶことが出来て感謝です。ありがとうございます。
わかり易かったです。ありがとうございました。日本人でよかったです。
観阿弥ときたら、世阿弥もお願いします。
「初心忘れべからず」「秘すれば花」とか
素敵な言葉を残されてますね。
素晴らしいコメントですね‼️
小名木先生のお話には猿楽の中での歴史があり面白可笑しく記憶に残りますね。
私は、寂光院での手振り素振りの解説が印象に残って居ます。
むちゃくちゃわかりやすいです。 動画ありがとうございます。
見ていて楽しく、勉強になります。ありがとうございます!
お能の背景、知りませんでした!とても面白かったです✨
小名木先生の教えて下さるいろんなこと、若い頃学校で教わっておきたかったです😢
寂び、
時間の経過による空間への馴染みのことかなと思いました👍
人生の荒波、風雪に耐えてわかる世界観ですね!
まだまだ、修行が足りません、私には。
金継ぎが分かりやすい例ですよね。
不完全さのなかに完璧をみる。
勉強になりました!いわゆるミニマリストは詫びのことですね
I’m American & I don’t speak Japanese but I love 侘び寂び. It’s becoming quite an internationally famous phenomenon
フランス人の目に映る日本ってこんな感じ「侘び寂び」というフランス人のべべちゃんがアップしてるショート動画をアップしてくれてます。
それがなんとも美しく、詩的に侘び寂びを捉えていて彼の感性に感動したので興味ある方は見てほしいです。
戊辰の役でも西国の侍と奥羽地方の侍は、能のうたいで会話したそうです✨
単にシンプルというよりも複雑で機能的なのにシンプルに見えるって方がより正確な気がする。
面白かったです。🎉
まとめ 11:08
職人さんが長く使った道具はもう寂びの世界です❕
「寂び」は経年劣化ではなく、むしろ時間をかけた熟成の味です。
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よくわかるのが楽器の例。
もちろん、ヴァイオリニストなどの中には、使っている人によってその人の癖が楽器に沁みつくという人もいます。
ですが、科学的にも判明している古い名器の秘密は、特に木製楽器の場合、木が程よく乾燥していること。そうでないと共鳴しないのです。ヴァイオリンなどだけではなく、笛や笙、箏などの和楽器でも同じ。
そもそも、楽器制作の前に、使用する木材は十分乾燥させる。伝統的な和楽器の場合には、煤竹を用いるとか、100年くらい乾燥させた古木を用いるなどといわれたりもしますからね。
だから、平安時代の楽器が現存していたりする。ストラディバリウスどころの古さではないですよ(笑)
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「能」の「侘び・寂び・幽玄」について。
もちろん、能楽が武家の式楽になったから、謡のような発声や言い回しが武家言葉に影響した面はあるでしょう。
ですが、国元の地侍同士では、やはり国が違うと言葉は通じなかった。大名などの上級武士同士で話が通じたのは、大名の妻子は江戸屋敷住まいで、跡取り息子は江戸育ちだったからです。
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また、能楽の場合、所作が極端に簡素化されており、最小の動きで象徴的に表見する。ここが、もともとの「猿楽」の要素を強く残す狂言とは異なるところであり、観阿弥・世阿弥が目指した能の境地です。
それが侘茶などにも通じる美学として武家に浸透していったということでしょう。
そして、能の「幽玄」に大きな役割を果たしているのが、面。
単に、誰でも面を付ければその役に慣れるという意味ではありません。
能面は、光の当たり方によって表情が変わるように造られている。
だから、顔の角度を変えることにより、同じ面でも、表情は明るくもなり、暗くもなる。
僅かな所作、面の角度で、果てしなく深い感情を表現するのです。
謡の声色もそうですが、能舞台の下に仕込まれている共鳴用の大きな壺に足踏みの音を共鳴させ、鼓を打つように、跳躍の足音まで音楽の一部として取り込む。そしてその際の、静寂の中に広がる僅かな音の余韻を味わうこともそうですね。
これが能楽の幽玄の境地です。
昨日、お勧め動画にクレモナに工房を構えるヴァイオリン製作者、松下敏行氏を扱ったNHKの番組が出てきて、観ていたら興味深いことが。
クレモナ市庁舎内のストラディバリウス博物館では、すべての楽器を専門の管理者が毎日弾くそうです。
ヴァイオリンは、常に演奏していないと、素材の木が硬くなって鳴らなくなってしまうのだとか。
松下氏は、自分の楽器を初めて注文購入してくれたクレモナのチェリスト宅を定期的に訪れ、楽器を最適な状態に保つそうです。
毎日弾いていても、弾き方によってやはり楽器は変化するそうで、しかも魂柱の僅かなずれなどを定期的に調整していい状態に保たないと最適な状態では鳴らないらしい。
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私のドイツのアパートの先住者がヴァイオリン製作者で、彼の兄もヴァイオリン製作者、妹は音大入学前にコンクールで優勝して地元のオーケストラと競演してLPを出してプロデビューしたヴァイオリニスト。
「一人のヴァイオリニストに専属修理担当者が2人もついているのは贅沢だ」と彼は言っていましたが、そういうことなのですね。
ですので、様々な名ヴァイオリニストに演奏されて受け継がれてきたストラディバリウスの名器が、それらヴァイオリニストらの卓抜した演奏技術によって更に磨かれて、より美しく芳醇で、表現豊かになるようになるというのは、ヴァイオリニスト気のせいではなく、実際に起こりうることのようです。
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その一方で、単純に素材やニスの乾き具合の関係で、制作された直後より、何十年後かの方がよりよく鳴るというのも事実らしい。
しかも古ければ古いほど良いというわけでもなく、松下さん曰く、300年前に制作されたストラディヴァリウスは、そろそろ寿命なのではないか、と。
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それで松下さんは、「ストラディヴァリウスを超える名器をこの手で作りたい」とのことで、ストラディヴァリウスの名器の秘密を様々な観点から追求。
ストラディヴァリウスの設計図にあるF字孔の位置がどのように計算されたものかを突き止め、個々のヴァイオリンの厚みや曲線に応じて微妙に変わるその位置の計算法を確定。
クレモナ近郊の何百年もかけて育つアカマツの木の選定。
湿気が多く、ヴァイオリン製作には向かないはずのクレモナで名器が生み出されたのは、ニスを振る下地の防湿性に秘密があること、そしてストラディヴァリウス独特のニスの原料や配合も突き止める。
更には、木の表面に傷をつけてしまう紙やすりではなく、ストラディヴァリウスが使っていた特殊な木の葉を乾燥させて期の表面を磨いて艶を出す。
そして、ストラディヴァリウス博物館でストラディヴァリウスを毎日弾いて調整している人に試し弾きしてもらって、フランスで開催された弦楽器奏者のコンクールで、日本人としてははじめと、ヴィオラ部門2位、そして演奏家が選んだ最良の音色の楽器に贈る音色特別賞も受賞。
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なので、古いものを熟成させる文化は、決して日本にだけあるわけではない。
けれども、古いものを大切にする、そしてモノづくりの職人的な徹底さをもつ日本人は、外国の古い文化でもトップに立ちうるということですね。
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ちなみに、古美術修復に使われる最良の紙は、土佐の雲龍紙だそうで、ヴァチカンのシスティーナ礼拝堂のフレスコ画の修復にも使われたそうです。
でもこの雲龍紙、採算が取れなくて、継承者がいなくて技術が途絶える寸前とか。
古いものを熟成させながら継承していくためには、継承者が必要。
政府も人間国宝、無形文化財保持者などとして支援はしているのでしょうが、我々日本人が、効率性や採算性にばかり捉われて、大切なものを見失うことのないようにしたいものです。
@@erikasono565神の采配を
感じます
@@erikasono565
花火、わさび、相撲・・・。一瞬の美しさ、儚さ、素晴らしさ!?人生の如し・・・。枯山水の庭に馴染む劣化した木材はいいですね・・・。モノニズム感じる水墨画みたいで、シンプルに濃淡に深い美しさを感じますね。朽ちてゆくのも美しい。人の脳内も宇宙も幽玄と言えば幽玄・・・!シンプルな「味わい。」でもいいのかな。日本料理に詫びさび幽玄観てみたいですね。南総里見八犬伝・・・仁義智信礼孝悌得・・・。武士道?国を滅ぼされて、その国の武術を禁止された国は、踊りにその趣を取り込み継承したそうです。国の再興めざして・・・。
人にも言えるんじゃないでしょうかね…難しいですけどね。
集約したのが盆栽ですね
幽玄までは分かりやすかった
とても興味深いお話でした。詫び、さび、幽玄、といった真に和的な感覚、と言われてるがいねんは、猿楽にルーツを持つ「能」からきてるんですね。能は当時の「メディア」だった、という視点が新鮮でした。義光はよくグローバリストと言われますが、能という芸能の魅力を利用して、全国の標準化をはかったんですね。面白いです。ところで、観阿弥は日本人だったんでしょうか?昔、シリア出身の知人に、日本は古いものを愛でる、という感覚があるのね、一緒よ!と言われたことがありました。さびは、今風に言えばヴィンテージ?わざと古く見せたり穴の空いたジーンズをはくとか。でも新しいものを壊してワザと古く見せるのは、単なるデカダンスかな。さびは「自然に、自ずからそうなる」という、自然への畏敬といったもにも重きを置くように思います。
楽器の価値が経年によって増していくというのはちょっと違いますね。
0:37: 📚 わびさび有限の世界についての本は難解で理解しにくいが、その理由を説明する。
4:57: 📝 サビとは、時間の経過によって劣化したものの中に美しさを感じることであり、長年使っていくうちに経年劣化していく革製品なども変色や傷がつきながらも使い込んだいい色合いになることがある。
8:56: 🎶 楽器の音の良さと歴史が価値を持つ世界。
13:22: 🤔 儒教を学んだから武士道があるわけではなく、武士は武士道をどこで学んだのか疑問が残る。
17:39: 🗣 日本の地方地方で方言が強く、言葉の違いがあったが、江戸時代には各地の人々が言葉を使って疎通していた。
Tammy AIで要約できました!ご参考になれば幸いです。
御所が思い浮かびました。
サムネイルが縦書きですが、普通に読むと「寂び侘び(さびわび)」というふうに逆になってしまっています。
縦書きなので右から読むはずですが、きっとサムネイルを作った方が間違えて左から読むように作ったんじゃないかと思います。
せっかく日本文化についての発信ですが、ちょっと残念に思います。
今の政治家どもに武士道を学んでほしいものです。
古代より日本人はワビとサビを大切にしてきた。
また日本人は言葉を略して表現することがある。
ワビとサビ
この大切なものを略ワサビと表現した。
そしてワサビは、和食にはなくてはならないものとなった。
G・H・フラナガン
詫び寂び幽玄・・・言葉にすると薄っぺらな世界になりますね?
詫び寂び幽玄は感覚の世界なのか?
ありがとうございました。 感謝‼ 合掌
侘び寂びがもてはやされた時代に華美が同時にあったことを忘れてはいけません。
同時に華美との比較、華美の解釈なしに侘び寂びを語ることは誤解につながります。
特に外見上のことを論じては嘘に近いことです。三つの意識は心です。
ゴシック建築にしても当時の政治・宗教を理解しないことには論じられません。
鎌倉時代は禅で学習してましたかな
😊テンハーフーーー❣️
#希望の日本再生チャンネル
からきたヨーーー😊
応援📣📣📣😊
日本語は縦書きの場合、右から左に読むので、サムネイルそのまま読むとさびわびになってますよ。
どこの国でもたいてい特権階級が出身地にかかわりなく共通の言葉を話すのは、共通の教育を受けているからなのでしょうね。教育の影響は絶大です。
幽玄がいちばん、難しいよね!
サムネ縦書きだから
侘び寂びの位置逆の方がいいような
表面だけ見てそれっぽく語ってるのだから深さも何もないですよ。モダニズムの「合理性」と、こころもとなさの「詫び」を一緒にするのにはさすがに無理があるし「武士道」も明治からの創作で昔から続く一つの道ではないでしょう、そういうことになってるだけで。仮にあったとしても、良い武士のふるまいなんて時代によって違うのだから、それが「能」に組み込まれて普遍的な道徳教育として伝えられる。というのも苦しいですよ。
能と武士道勉強になりました。能と言うと織田信長を思い出しますが足利義満ナイスプレーですね。
ヴァイオリンは、無限の音階ってほんまかなぁー😊
ちょっと荒い説明で間違いも多いので、参考程度にした方が良いですね。
このお方は、哲学的に矛盾しているし、言葉の概念も間違っています。聞いてられない。
10:00
誰かが俺を指さして
磔とかにしたがって
悪い噂ばかり飛ぶように売れ
そんな空気 そんな空気
そんな空気で盛り上がってる
誰かがヘマしたときには確かに俺も嗤ってた
羽目を外して 滑って転んで
痛い目に遭うのさ
詫びて 詫びてさ 頭下げて
じっと耐えるしかない
わびさび幽玄については、間違った方向に先導されようとしてます。
特に説明のわびについては、日本の美について理解されていません。
お話の能については、雑学的な部分で知らない話なので、なるほどとおもいましたが、
わびさび幽玄も、知らない人が聞いて、なるほどと思われるかもしれないと、悲しいです。
日本の文化は、このような説明では解説できません。
北原白秋をして、日本の豊満な言葉は一生涯つくしても語れないというほどですから
Oh, no❗️😮
ヴァイオリンの価値ちょっと違います。ストラディヴァリウス(確か3人くらいいる)が17〜18世紀に作ったヴァイオリンが数十台?あります。でも未だに他の人が作ったヴァイオリンはそれに匹敵する音が出ないのです。それでこれらが億の価値があります。古いからとか傷があるから、誰かが使ったからという理由ではありません😊
痛く同意します。
だったら なぜ ブラインドテストで 会場にいた 聴衆が トラディバリウス ではない 楽器の音の方がいい という 判断をしてしまったのか教えて欲しい
@@pel6664>会場にいた聴衆
バカ舌ならぬバカ耳なんじゃね?🙄
ストラディバリウスは当時の塗装材料屋と組んで、ひとつの職人村をブランド化したんだよね。
それが音が良いとかいう幻想生んだだけなんだよね。
私は現代の鉄弦張ったストラディバリウスの音が好きじゃないなぁ。ヒステリックでさ(笑)
古いものならアマデウスとか、現代作家のヴァイオリンなら沢山いい物があるのにな。
私はヴァイオリン職人してたから、ヴァイオリンは構造的にシンプル故に演奏家の音が直ぐに出るんだよね。
だからヴァイオリン族の系列であるギターなんかは同じように弾く人の音が出ちゃうのさ。
ストラディバリウスはSDG'Sみたいなものと同じでただの幻想。
@@ChilliChilliBlack
アマデウスってアマティの間違いじゃない?
ストラドにスチールは使わないよ。
演奏者の音になるのは同じだね。
現代日本人は武士道好きだけど、人口比率では大多数の大衆は農民 • 平民階級。
軍人戦闘員階級を、農民階級が誇りに語るのは違和感が有る… (上位階級への憧れ??…)
農民階級の大衆文化 • 風俗と精神性は、ある意味でおおらかでいい加減なモノこそ、
現代日本が思い出すべき、精神性かと…
ちゃんと、きっちりは、性に合わない農民階級より
😊😊😊
「寂び」は「時間の経過による劣化」ではなく「時間の経過による変化」では?
広く人口に膾炙しています「武士道」という語そのもの。新渡戸稲造はその名を冠した著作で知られ、「ニトベ的武士道」解釈が世界で、いな、日本でも理解されていることにいささか困窮し畏怖するものでございます。その理由は彼がキリスト教とであるという一点に尽きます。彼がそういう信徒であったから海外「キリスト教徒」に橋渡しできたその功績は認めざるを得ませんが、その解釈は大いに肯定できない側面や内容をもっています。誤解曲解と言ってもいい。NYの寿司ロールのような感じというか。そして、さらにその誤解曲解が逆輸入さえされて、現在日本人が「武士道」を自国精神文化の一部と認識してさえいる。ハラキリ・ニンジャ・サクラ・ラーメン・・・に至るまで。「微妙にそうじゃないんだけどなあ」と思う場面しきりです。無学爺のたわごとですけれども。
明日は15夜ですよー
ハロウィンより🎑🌕お月見の方が
カッコイイと思うの
ユウゲンが何処がどの様なのかが解りにくい。
武士
サルガク
デンガク
ノウガク
足利義満
趣の興
劣化ではなく熟成ですね。
納得です。ネズさんはブログの時期は良かったですが、リアル場面での表現はなんだかとなと思っています。偶々、イーロン・マスクが漢字と平仮名で4文字のみxでツィートしたのが世界で話題に成りました。それが侘び寂びです。
まあ比較で バイオリンの話をしない方が ご自分の価値を損ねないと思いますよ。 胴長 355mm の ストラディバリウス は 製作 当時から1mm だって変化してません
シンプルモダン日本起源説はちょっと笑うしかない。カナダで大失敗した様式のもほうかつ日本らしさを捨てたもの。
井上靖『本覚坊遺文』の世界観を連想してしまう……
そう考えると、侘び寂び幽玄は日本特有の文化ではない、世界共通です
さびの比喩でのバイオリンは、?です。
楽器としての機能の差で尊ばれていると思います。
「幽玄」とは、汚い言葉で「妄想」に似ていますね、頭の中の色んな自己体験、自然観を基本とし多彩に駆け巡る思考感と自己理解です。
「詫び・寂び」は日本人に特有の価値観だと思います。この価値観は多分、自然発生的に生まれたものと思いますが、いつ頃どのような背景のもとに生まれたかを説明しないと視聴者は以後の話が分からないです。詫び・寂びがどういう意味かではなく、なぜ日本に生まれたのかの解説をぜひお願いいたします。能と武士道の関係もよくわかりません。能とは何か、武士道とは何かを説明していないからです。
学生のとき、歴史の先生が「武士の時代がきて、京貴族たちがお金がなくて侘びしい寂しい暮らしになったのを、これがいいんだと無理やり精神勝利しだした」って言ってて、すごく腑に落ちたのを覚えてます。ホントかどうかはさておきね。
モダニズムを侘びと結びつけることと西洋のビンテージと寂びと直接結びつけるのはおかしくないですか?
それに侘び寂びの概念って村田珠光や千利休が茶の湯の世界で体系化・普及したもので、それ以前は絢爛豪華が支配階級の普通の美意識だと思えるのですが。
侘び寂びって、せいぜい15世紀くらいからで、「日本人と言えば」と言いきれるほどの概念ではないと思います。
「大学」を名乗るなら学術的根拠を示さないと、誰も納得できませんよ。
以前我在中国学道家文化的时候老师就告诉我人死后人的灵魂想去哪就去拿大部分的灵魂会去一个没有人居住的地方只有植物和动物存在
建築については、もう少し勉強してほしいです。
ガラス張りのビルが作られ、選ばれている本当の理由は建築物というモノ自体を消し去るからです。
ガラス張りにすることで空をガラスに投影してビル自体が空と同化する。ずんぐりむっくりな建築物が“そこに無い”かのようにする為のデザインです。シンプルにする為のものじゃないです。。。
日本人が生きて行く為には、詫び錆びがかっこいい、栄養過剰だから、うつやアレルギーになる。朝ごはんを作らず、食べないで昼に朝ごはんで、残りを夜にいただく、デトックス、エネルギーなどの節約、外国に対抗する方法です。
ワサビ??
サムネの縦書き文だとどうしても寂び侘びと読んでしまう…
あえてなんですかね?
サムネ、日本人だから、寂び侘びの順で読んだ。
小名木さん、寂び…は、経年した状態であって、別に劣化しなくても良いのですよ。簡単に説明するのは良いが、説明しきれていないように感じます。
ヴァイオリンの方
理屈っぽくて人間としての魅力と云うモノの勉強した方が良いかも😂
使い古した👞革靴
寂の美
沖縄は、江戸時代ごろは、日本じゃなかった。
「日本人の9割が知らない」では???
「現代チャイナがチャイナ映画を作って〜」普通に中国でダメなの?笑
なんか、突発的に口から出るワードが適当過ぎて、全体的に信憑性がなくなってる。。。
シブい
ユウキュウノ何とかについては初めて耳にしましたしよくわかりませんが、詫び寂びについて私が思うには、小名木さんは指し示しているものや表現しているものは正しいと思いますが、その表現に至る詫び寂びを観測する立ち位置が、詫び寂びを理解していない人の表現なのではないかと感じました。結論だけいうと、羽目を外しすぎて殺されそうになった私が言うのもなんですが、あらゆる意味合いにおいての”弱”の目線に立てるかどうかだということだと言えます。ですので小名木さんは、それがいいとか悪いとかいうつもりはないですが、三河武士の子孫らしく、もののふの心が強いのだと思います。
内容はいいですが、説明する言葉や仕草などが八百屋や魚屋のオトンやオ力ンのようですね。もう少しゆっくり落ち着いて説明をしてくれればもっと実感が湧いてきますが