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実は狩りに出かけたまま行方不明になり死体も見つかっていないため、陵墓である山科陵には天智帝の遺体はないという話もあるよね。
夏目漱石だったかな、天智という諡号は古代中国の暴君として知られる殷の紂王が天智玉を持ったまま討たれた故事から付けられた漢風諡号なのでいい意味ではないと指摘していたと記憶しています。
森鴎外じゃなかった
森鴎外ですね。
みんなよく知っているねー。
ここまで政敵粛清どころか政敵になりえる親族まで徹底的に消してるところを見たら藤原鎌足が消されなかったのが不思議なぐらい。
弟の大海人皇子すら消そうとしてたようだしね😱
織田信長が消されたのもこの時代の遺恨と見ているよ、自分は。ヒントは三つある。(天下布武、安土城、第六天魔王(本当に天魔なのか?))
この時点での 中臣氏って没落しかけた 中流貴族だから むしろ 天智天皇の後ろ盾がないと 失脚してしまうぐらい弱かったから驚異にはなりえない 多少落ち目になってきていたとはいえ この時点では 蘇我氏の方が全然 勢力が大きい
考えてみたら暗殺者が天皇になってしまうというのも恐ろしい話。
😅
反キリだでな、
でもこの頃から平安あたりにはあったんじゃなかったっけ?
@@竹田玲子-v8s 親子や兄弟でも権力争いしてた時代ですからね。
天智天皇マジで怖い
額田王の話も出てくるかと思った。
里中満智子さんの漫画で何度も何度も読んで額田王の歌のとりこになった😊 娘の十市が悲劇的だったわ。
顔が似てると人生が似るという話を大友と話する場面があるけど親子で2人の男の間で揺れる人生という意味では似てると思う。
最近の有力な学説では、蘇我蝦夷・入鹿親子は皇位簒奪なんて考えておらず、むしろ皇室に忠実だったと言われていますね。
後から見ると皇位を狙っていたのは天智天皇だったわけだw
山背大兄王さんを追い込んだのは蘇我氏じゃないんか?🤔
この時代を、大河ドラマは、絶対しないよね。見てみたいんだが。
大河ドラマでは今の所ないが、NHKの単発ドラマではあった。2005年1月放送『大化の改新』主人公は、岡田准一演じる中臣鎌足だが、中大兄皇子を演じていたのは、小栗旬だった。( ´∀`)
イロイロ難しいでしょうね。今は不敬罪という罪状はありませんけど。天皇を擁する考えは立派にありますし、海外でも影響力がありますから。
需要ないからね
百済などと関連する白村江の戦い(はくすきのえのたたかい、はくそんこうのたたかい、)や乙巳の変(おっしのへん、いっしのへん、)などと関連する天智天皇(中大兄皇子)などは百済などの王族である翹岐(ぎょうき)などらしいです。藤原鎌足(中臣鎌足)などは百済などの王族の扶余豊璋(ふよほうしょう)などであるという説もあるらしいです。
それを採用したのが『ビッグコミック』で連載していた『天智と天武-新説・日本書紀-』ですね。
乙巳の変でブルっちゃう話って、荊軻の始皇帝暗殺失敗のエピソードを思い出すね。その辺を借りた捏造というのは想像つくし、頷けもする。
飛鳥時代の万人恐怖😱
霊夢さん感想「両親とも教師って同級生はいたけど、天皇の人はいなかったなぁ」←笑ってしまいました。
なんだかんだ、混沌とする権力争いを避け続けた中臣鎌足とその一族は凄いと思う!だって後の藤原家なんだから!
すごい野心家で、息子の不比等あたりから勢力伸ばしていくんだよねー。
自分は表舞台に立たず、裏で暗躍という道を歩んでますから
霊夢ちゃんの発想が自由で素敵✨
石川麻呂弱気すぎて ガンガン付け込まれて気の毒だわ……
日本書紀の定説では、古事記と違い日本書紀は漢文で記載され「外国に向けて日本の歴史を紹介する目的」となってるんだけど、その定説はおかしいんだよね。その諸外国先からみて事件目撃者が生存してる「乙巳の変」が相手国に記録に無いのだから創作。となると日本書紀の記載目的がその諸外国向けというのは一番あり得ない。 せめて辻褄が合う説を知りたいんだが、どこにも無いんだよなー
ヒントにあたる要素があるとすれば日本書紀は天武朝に於いて編纂されているということでしょうね~要するに天武朝のクーデター自体とその後の天武系政権を正当化する目的で天智天皇と大友皇子の近江朝政権を否定することも主眼となっていることは言うまでもないワケです。しかも天智天皇暗殺説も俄然有力視される昨今の歴史研究業界ではなおさらでそもそも壬申の乱の目的が大海人皇子と鵜野讃良皇女一族郎党の自衛行動を伴う政権奪取でありその大きな原因動機の一つとして挙げられるのが天智天皇近江朝政権による唐新羅に対する軍事と外交面政策についての異議対立にあった訳です。天智天皇近江朝政権の対外政策を危険視した勢力が山科付近に遠乗りに出かけた天智天皇を密かに待ち伏せて暗殺したという説が出ておりますので。そんな天智天皇近江朝政権自体の最も重大な外交政策を否定する天武朝政権が中大兄皇子時代の天智天皇の乙巳の変クーデターを国内向けに正当化することはともかく天智天皇その人自身と近江朝政権を持ち上げる目的で乙巳の変を対外的に持ち上げるとは考えにくいということになるでしょうか。そんなことしたらあの倭国の身の程知らずどもがまだ我が唐に逆らうと言うなら膺懲戦争して倭国に侵攻してくれるわ!って最悪の事態になってもおかしくないというモノです。唐新羅に対する外交政策の方針転換を図った天武朝政権としては何としても外交関係の再構築によって日本国家の存立を第一にしてたワケですからそれが辻褄が合う乙巳の変と日本書紀の関係性についてのアリバイになりそうです。
おっしゃるように、私も漢字記載は外国向けだけと言う単純なことじゃないと思います。天皇の御代が現在まで継続している状況で、ある意味改竄が目的ととられるような表現はさすがに言いにくいのではと思います。国史編纂の観点からみれば、最も古いとされる帝紀、旧辞、蘇我氏滅亡とともに焼けたとされる天皇記、国記に代わって新たに国史が必要とされたとも言えるし、海外を含め多くの人に共通理解できる漢字を使う意味もないこともない。しかしながら、内容はというと、古代の記述に関して古事記と日本書紀でも違いがありますし、記紀と残存する風土記や、信憑性が疑われるいわゆる古代文書らとも違いがあります。歴史は見る側によって事実も記述も変わります。当時の為政者にとって都合のいいものに改竄する必要性等も考えられる。むしろ、諸外国に於いて国史とはそういうものである。漢字による編纂が対外目的とする説の背景には時代的要因が関係してると思われます。国史編纂は天武天皇(673~686)に始まりましたので、唐&新羅との闘いからあまり経っていない時期です。この頃、新羅によって百済高句麗が滅亡し半島情勢が変わり、新羅と唐が対立する。新羅の対日本外交方針も変化するでしょう。完成したのは720年、対外的に日本の正当性をアピールする必要は薄れても、その後も国司は編纂され続けました。
@@maxmax1999max この記事の主題は、蘇我氏は天智が排除した。by天武。蘇我氏の子孫諸君、天智子孫には敵対してね、私の味方してね。という効果を生みます。では何故外交の場で起きたとしたのか?それが謎だなー と思ってます
@@maxmax1999max貴方の様な疑問を持つ人があまりにも少なすぎなのが現状です そもそも日本書紀と古事記が同年代である事がおかしいのですよ。 まぁ日本書紀の成立は760年頃だと思われますが 701年前の記紀の記述は一切信用できませんよ
簒奪ですなこれが当時の宮廷闘争恐いですね😨
長屋王も
そもそも、中大兄皇子って今でいう皇太子ではないですし皇位継承権でいうと二番目以降って意味
藤原と聞くとむかつくのはなぜなんだろう。
前世が菅原道真さま?
まぁ、色んな他氏族を排斥して常に権力の中枢にいたわけだしね いい気がしないのも仕方ないと思う
1〜3年前に発見された、天武が天智より年上だというのはどうなったんだろう?ちなみに今の天皇は、天武系ではなく天智系。
天上の虹、参考にされてます?
犬上御田鍬とかいう吉田松陰
わざわざ蘇我入鹿暗殺シーンをドラマティックに仕上げる理由は············?当時の日本書紀編纂者のセンスを感じる
歴史編纂したのはどなたのどなた?結局ついでいったのが天智系だった気がする
蘇我入鹿は冤罪無実のような気がする
実際に天智天皇陵には御遺体は無く、代わりに沓(くつ)=履物が納められているそうです。ちなみに、愛媛県新居浜市の大生院(おおじょういん)には「天智天皇が亡くなった場所である」という言い伝えがあります。「大生院」とは「往生院」の言い換えではないかとも考えられます。「高貴な方が亡くなった」という意味なのかも知れません。また、新居浜市の隣の四国中央市には、斉明天皇の最初の墓があったとされる神社もあります。最終的に、天武天皇が改葬されて、奈良県の越智山陵(おちのみささぎ)が斉明天皇陵となっています。中大兄という人物は、皇族ではなく、テロリストだったのではないか?という疑念があります。持統天皇は天武天皇の皇后ですが、天智天皇の娘で、母親は石川麻呂の娘です。持統天皇が生まれたのは645年。乙巳の変(入鹿暗殺のクーデター)の年ですね。何か臭い。怪しい。
まぁ当時の蘇我氏と同じような事を平安時代にどっかの氏族がやった気もするけどねw中大兄にとって自分がコワがっている亡霊が周囲八方を囲んでいる土地ですよ難波の宮ってw北=神功皇后が勇ましくなった疣水神社がある、北東=佐太(出雲に本宮がある)の宮がある守口、東=物部の土地、南東=聖徳太子の近津飛鳥南=出雲王事代主(=えべっさん)がいる、南西(南側に少しずれるけど)=高師小僧の製鉄民がいる、西=浦島太郎(=武内宿禰)のついた港。北西=蘇我本願地の出雲
天智天皇と天武天皇は、異父兄弟。
でも今の皇室は天智天皇系なのよねぇ。天武天皇系でいこうと頑張ってたけど、ピンチヒッターで天智天皇系の光仁天皇を即位させたら、そのままそれが続いて今に至っているわけで。
汚れを恐れる天皇家の人物が、自ら暗殺者になるのは疑問そういう事が出来る位置(継承権)に居たとしか思えないんだけどなぁ
漫画『天智と天武-新説・日本書紀-』では中大兄皇子は若くして大陸の覇者になった唐の太宗皇帝である李世民、『銀河英雄伝説』のラインハルトのモデルにもなった政治・軍事の天才皇帝にコンプレックスを抱いていた描写がなされていました。李世民も自分の兄弟を殺して皇位を勝ち取った皇帝ですから。
サムネビビった😂
里中マサコ?マチコ?って漫画家が作った天上の虹がわかりやすいと思うよ。これは天智天武の後を継いだ持統天皇が主役の話だけどこの人の立場は天智天皇と石川麻呂の娘との間に生まれてのちに天武天皇の妻、皇后になる。天武天皇が亡くなると共同統治していたこともあって持統天皇として即位する,という天智天皇を知るならかなり重要なポイントだよ。興味ある方はぜひ一度読んで頂きたいな。ちょいと長いけど。
中大兄皇子の有間皇子にしたあれやこれは許せない
私も天智天皇は過大評価だと思ってた😊
頼朝と似てる。兄弟、親戚ことごとく殺すところが。
天智天皇が転生したのが源頼朝だったりして。残酷な性格もそっくりだし。
天智と天武って漫画があったなぁ
中大兄皇子を持ち上げれば持ち上げる程、勝ち者が歴史を作りかえると思い、事実は真逆だと思う
間人(はしひと)ってさぁ、当時の言葉では、ペルシャ人っていう意味なんだよ。
天武天皇(大海人皇子)は、実は乙巳の変の後殺されたと記される「古人大兄皇子」(舒明天皇の第一皇子・母は蘇我馬子の娘法堤郎女)ではないか?! と云う見方が有りますネ゙。※天智天皇(中大兄皇子)の「弟」とされているが、日本書紀に不思議に「生年月日」の記載が無い。又、天智天皇は、娘4人を天武天皇に嫁がせている。※弟にしては気の使い過ぎでは。(実は腹違いの兄!?)
蘇我入鹿を討った事で日本は10年は時代遅れになったとも言われてるね。当代切っての優秀な人材だったらしいから。それに比べ・・・。蝦夷の邸宅ごと当時の重要な書物が焼失してしまったらしいから、当時を含めそれ以前の歴史を知るのが、天武天皇が編纂した「日本書紀」がメインになってるのが残念。
更に加えて言えば、弟の大海人皇子と関係のあった額田王を奪い、自分のものとした。尤も、これは記紀にはなく、万葉集にある和歌から類推されることだが。
三国の調の儀式は、高句麗、百済、新羅が日本の属国だったので、貢物を日本本土へ持ち込んだ儀式だったのだな。そんなときにね。
石川麻呂っていたんですね。兄弟の仲が悪いタイプと思って良いんですか?それとも謀反を起こしやすいタイプ?超絶陰謀好きな複雑なDNAっぽい印象ですが、石川五右衛門とかってその子孫ですか?
この時代の歴史小説でこの話を知りました。天智天皇の百人一首の歌のイメージと違ってて驚きました。教科書で大化の改新って綺麗そうな言葉で言われてるけど、ただの暗殺。 それからこの人は嫌いになった。もっと事実を知りたい。 はめられた犠牲者の有間皇子の歌を中学の時に国語の時間に習いましたが、切なく哀しい。50年経っても忘れない海南市藤白に残されている歌2首、「家にあれば 笥に盛る飯を 草枕 旅にしあれば 椎の葉に盛る」 「磐代の 浜松が枝を 引き結び 真幸くあれば またかえりみむ」
天智天皇に先祖が今も使ってる氏を頂いたから(元は藤原氏派生した一族らしい)サイコパス言われてるのショック😱ガーン私は、聖徳太子の子孫を暗殺した輩の方がヤバいと思ってる😤昔は、天皇でも上皇でも政治絡んだりしてたから、ヤバい事が多かったからなぁ🤔天皇は、祭事が一番の仕事だから昔は、側近が権力集中になりやすく、それがヤバいと揉めるんだろうね。日本史の先生とか、歴史好きな元カレとかにも「いい家だろ?(お金持ちとかいう意味ではない)」と言われ本家からは、今だに〜家本家ってドーンって書いてあるから珍しいッて思ってた。で、家系を調べた。
大阪ABC開局25周年ドラマSP井上靖原作「額田王」この時の中大兄皇子天智天皇が近藤正臣これがまさに冷徹な演技で中大兄皇子のイメージが近藤正臣さんに固定された(笑)ちなみに大海人皇子天武天皇が松平健大田皇女が鮎川いずみ鵜野讃良皇女持統天皇が樋口可南子間人皇女が秋吉久美子蘇我入鹿が津川雅彦中臣鎌足が三國連太郎額田王が岩下志麻もう大阪ABCの本気丸だしの配役(笑)
「熟田津に船乗りせんと月待てば潮もかないぬいざ漕ぎいでな」 額田王 だったかな?見たかったな~!それこそ大河ドラマでやって欲しい。無理かな。
@@kuruko676 おそらくは劇中で演ったんじゃなかろうかと。岩下志麻の額田王が京マチ子の斉明天皇相手に。ちなみにドラマSP額田王は大阪ABC山内久司プロデューサーの作品で大田皇女の鮎川いずみ大友皇子の三田村邦彦蘇我赤兄の藤田まことという配役…つまり大阪ABC開局25周年に必殺仕事人も始まった!つまりドラマSP額田王は必殺仕事人の事前番宣という目的がありました。
大友皇子が三田村邦彦さんでした
えー!それ今観たい、今!再放送しないかなぁ!
当時番組CMはよく見たけど本編は見ていないので是非見たいな。
天皇家って狂ってるなあ・・・。
実は狩りに出かけたまま行方不明になり死体も見つかっていないため、陵墓である山科陵には天智帝の遺体はないという話もあるよね。
夏目漱石だったかな、天智という諡号は古代中国の暴君として知られる殷の紂王が天智玉を持ったまま討たれた故事から付けられた漢風諡号なのでいい意味ではないと指摘していたと記憶しています。
森鴎外じゃなかった
森鴎外ですね。
みんなよく知っているねー。
ここまで政敵粛清どころか政敵になりえる親族まで徹底的に消してるところを見たら
藤原鎌足が消されなかったのが不思議なぐらい。
弟の大海人皇子すら消そうとしてたようだしね😱
織田信長が消されたのもこの時代の遺恨と見ているよ、自分は。
ヒントは三つある。(天下布武、安土城、第六天魔王(本当に天魔なのか?))
この時点での 中臣氏って没落しかけた 中流貴族だから むしろ 天智天皇の後ろ盾がないと 失脚してしまうぐらい弱かったから驚異にはなりえない 多少落ち目になってきていたとはいえ この時点では 蘇我氏の方が全然 勢力が大きい
考えてみたら暗殺者が天皇になってしまうというのも恐ろしい話。
😅
反キリだでな、
でもこの頃から平安あたりにはあったんじゃなかったっけ?
@@竹田玲子-v8s 親子や兄弟でも権力争いしてた時代ですからね。
天智天皇マジで怖い
額田王の話も出てくるかと思った。
里中満智子さんの漫画で何度も何度も読んで額田王の歌のとりこになった😊 娘の十市が悲劇的だったわ。
顔が似てると人生が似るという話を大友と話する場面があるけど親子で2人の男の間で揺れる人生という意味では似てると思う。
最近の有力な学説では、蘇我蝦夷・入鹿親子は皇位簒奪なんて考えておらず、むしろ皇室に忠実だったと言われていますね。
後から見ると皇位を狙っていたのは天智天皇だったわけだw
山背大兄王さんを追い込んだのは蘇我氏じゃないんか?🤔
この時代を、大河ドラマは、絶対しないよね。見てみたいんだが。
大河ドラマでは今の所ないが、NHKの単発ドラマではあった。2005年1月放送『大化の改新』主人公は、岡田准一演じる中臣鎌足だが、中大兄皇子を演じていたのは、小栗旬だった。( ´∀`)
イロイロ難しいでしょうね。
今は不敬罪という罪状はありませんけど。天皇を擁する考えは立派にありますし、海外でも影響力がありますから。
需要ないからね
百済などと関連する白村江の戦い(はくすきのえのたたかい、はくそんこうのたたかい、)や乙巳の変(おっしのへん、いっしのへん、)などと関連する天智天皇(中大兄皇子)などは百済などの王族である翹岐(ぎょうき)などらしいです。藤原鎌足(中臣鎌足)などは百済などの王族の扶余豊璋(ふよほうしょう)などであるという説もあるらしいです。
それを採用したのが『ビッグコミック』で連載していた『天智と天武-新説・日本書紀-』ですね。
乙巳の変でブルっちゃう話って、荊軻の始皇帝暗殺失敗のエピソードを思い出すね。その辺を借りた捏造というのは想像つくし、頷けもする。
飛鳥時代の万人恐怖😱
霊夢さん感想「両親とも教師って同級生はいたけど、天皇の人はいなかったなぁ」←笑ってしまいました。
なんだかんだ、混沌とする権力争いを避け続けた中臣鎌足とその一族は凄いと思う!だって後の藤原家なんだから!
すごい野心家で、息子の不比等あたりから勢力伸ばしていくんだよねー。
自分は表舞台に立たず、裏で暗躍という道を歩んでますから
霊夢ちゃんの発想が自由で素敵✨
石川麻呂弱気すぎて ガンガン付け込まれて気の毒だわ……
日本書紀の定説では、古事記と違い日本書紀は漢文で記載され「外国に向けて日本の歴史を紹介する目的」となってるんだけど、その定説はおかしいんだよね。その諸外国先からみて事件目撃者が生存してる「乙巳の変」が相手国に記録に無いのだから創作。となると日本書紀の記載目的がその諸外国向けというのは一番あり得ない。 せめて辻褄が合う説を知りたいんだが、どこにも無いんだよなー
ヒントにあたる要素があるとすれば
日本書紀は天武朝に於いて編纂されているということでしょうね~
要するに天武朝のクーデター自体と
その後の天武系政権を正当化する目的で
天智天皇と大友皇子の近江朝政権を否定することも主眼となっていることは言うまでもないワケです。
しかも天智天皇暗殺説も俄然有力視される昨今の歴史研究業界ではなおさらで
そもそも壬申の乱の目的が
大海人皇子と鵜野讃良皇女一族郎党の自衛行動を伴う政権奪取であり
その大きな原因動機の一つとして挙げられるのが
天智天皇近江朝政権による唐新羅に対する軍事と外交面政策についての異議対立にあった訳です。
天智天皇近江朝政権の対外政策を危険視した勢力が
山科付近に遠乗りに出かけた天智天皇を密かに待ち伏せて暗殺したという説が出ておりますので。
そんな天智天皇近江朝政権自体の最も重大な外交政策を否定する天武朝政権が
中大兄皇子時代の天智天皇の乙巳の変クーデターを国内向けに正当化することはともかく
天智天皇その人自身と近江朝政権を持ち上げる目的で
乙巳の変を対外的に持ち上げるとは考えにくいということになるでしょうか。
そんなことしたら
あの倭国の身の程知らずどもが
まだ我が唐に逆らうと言うなら
膺懲戦争して倭国に侵攻してくれるわ!
って最悪の事態になってもおかしくないというモノです。
唐新羅に対する外交政策の方針転換を図った天武朝政権としては
何としても外交関係の再構築によって
日本国家の存立を第一にしてたワケですから
それが辻褄が合う乙巳の変と日本書紀の関係性についてのアリバイになりそうです。
おっしゃるように、私も漢字記載は外国向けだけと言う単純なことじゃないと思います。天皇の御代が現在まで継続している状況で、ある意味改竄が目的ととられるような表現はさすがに言いにくいのではと思います。
国史編纂の観点からみれば、最も古いとされる帝紀、旧辞、蘇我氏滅亡とともに焼けたとされる天皇記、国記に代わって新たに国史が必要とされたとも言えるし、海外を含め多くの人に共通理解できる漢字を使う意味もないこともない。しかしながら、内容はというと、古代の記述に関して古事記と日本書紀でも違いがありますし、記紀と残存する風土記や、信憑性が疑われるいわゆる古代文書らとも違いがあります。歴史は見る側によって事実も記述も変わります。当時の為政者にとって都合のいいものに改竄する必要性等も考えられる。むしろ、諸外国に於いて国史とはそういうものである。
漢字による編纂が対外目的とする説の背景には時代的要因が関係してると思われます。国史編纂は天武天皇(673~686)に始まりましたので、唐&新羅との闘いからあまり経っていない時期です。この頃、新羅によって百済高句麗が滅亡し半島情勢が変わり、新羅と唐が対立する。新羅の対日本外交方針も変化するでしょう。完成したのは720年、対外的に日本の正当性をアピールする必要は薄れても、その後も国司は編纂され続けました。
@@maxmax1999max この記事の主題は、蘇我氏は天智が排除した。by天武。蘇我氏の子孫諸君、天智子孫には敵対してね、私の味方してね。という効果を生みます。では何故外交の場で起きたとしたのか?それが謎だなー と思ってます
@@maxmax1999max
貴方の様な疑問を持つ人があまりにも少なすぎなのが現状です そもそも日本書紀と古事記が同年代である事がおかしいのですよ。
まぁ日本書紀の成立は760年頃だと思われますが
701年前の記紀の記述は一切信用できませんよ
簒奪ですな
これが当時の宮廷闘争
恐いですね😨
長屋王も
そもそも、中大兄皇子って今でいう皇太子ではないですし
皇位継承権でいうと二番目以降って意味
藤原と聞くとむかつくのはなぜなんだろう。
前世が菅原道真さま?
まぁ、色んな他氏族を排斥して常に権力の中枢にいたわけだしね いい気がしないのも仕方ないと思う
1〜3年前に発見された、天武が天智より年上だというのはどうなったんだろう?
ちなみに今の天皇は、天武系ではなく天智系。
天上の虹、参考にされてます?
犬上御田鍬とかいう吉田松陰
わざわざ蘇我入鹿暗殺シーンをドラマティックに仕上げる理由は············?
当時の日本書紀編纂者のセンスを感じる
歴史編纂したのはどなたのどなた?結局ついでいったのが天智系だった気がする
蘇我入鹿は冤罪無実のような気がする
実際に天智天皇陵には御遺体は無く、代わりに沓(くつ)=履物が納められているそうです。
ちなみに、愛媛県新居浜市の大生院(おおじょういん)には「天智天皇が亡くなった場所である」という言い伝えがあります。「大生院」とは「往生院」の言い換えではないかとも考えられます。「高貴な方が亡くなった」という意味なのかも知れません。
また、新居浜市の隣の四国中央市には、斉明天皇の最初の墓があったとされる神社もあります。最終的に、天武天皇が改葬されて、奈良県の越智山陵(おちのみささぎ)が斉明天皇陵となっています。
中大兄という人物は、皇族ではなく、テロリストだったのではないか?という疑念があります。
持統天皇は天武天皇の皇后ですが、天智天皇の娘で、母親は石川麻呂の娘です。持統天皇が生まれたのは645年。乙巳の変(入鹿暗殺のクーデター)の年ですね。何か臭い。怪しい。
まぁ当時の蘇我氏と同じような事を平安時代にどっかの氏族がやった気もするけどねw
中大兄にとって自分がコワがっている亡霊が周囲八方を囲んでいる土地ですよ難波の宮ってw
北=神功皇后が勇ましくなった疣水神社がある、北東=佐太(出雲に本宮がある)の宮がある守口、東=物部の土地、南東=聖徳太子の近津飛鳥
南=出雲王事代主(=えべっさん)がいる、南西(南側に少しずれるけど)=高師小僧の製鉄民がいる、西=浦島太郎(=武内宿禰)のついた港。北西=蘇我本願地の出雲
天智天皇と天武天皇は、異父兄弟。
でも今の皇室は天智天皇系なのよねぇ。
天武天皇系でいこうと頑張ってたけど、ピンチヒッターで天智天皇系の光仁天皇を即位させたら、そのままそれが続いて今に至っているわけで。
汚れを恐れる天皇家の人物が、自ら暗殺者になるのは疑問
そういう事が出来る位置(継承権)に居たとしか思えないんだけどなぁ
漫画『天智と天武-新説・日本書紀-』では中大兄皇子は若くして大陸の覇者になった唐の太宗皇帝である李世民、『銀河英雄伝説』のラインハルトのモデルにもなった政治・軍事の天才皇帝にコンプレックスを抱いていた描写がなされていました。李世民も自分の兄弟を殺して皇位を勝ち取った皇帝ですから。
サムネビビった😂
里中マサコ?マチコ?って漫画家が作った天上の虹がわかりやすいと思うよ。これは天智天武の後を継いだ持統天皇が主役の話だけどこの人の立場は天智天皇と石川麻呂の娘との間に生まれてのちに天武天皇の妻、皇后になる。天武天皇が亡くなると共同統治していたこともあって持統天皇として即位する,という天智天皇を知るならかなり重要なポイントだよ。興味ある方はぜひ一度読んで頂きたいな。ちょいと長いけど。
中大兄皇子の有間皇子にしたあれやこれは許せない
私も天智天皇は過大評価だと思ってた😊
頼朝と似てる。兄弟、親戚ことごとく殺すところが。
天智天皇が転生したのが源頼朝だったりして。残酷な性格もそっくりだし。
天智と天武って漫画があったなぁ
中大兄皇子を持ち上げれば持ち上げる程、勝ち者が歴史を作りかえると思い、事実は真逆だと思う
間人(はしひと)ってさぁ、当時の言葉では、ペルシャ人っていう意味なんだよ。
天武天皇(大海人皇子)は、実は乙巳の変の後殺されたと記される「古人大兄皇子」(舒明天皇の第一皇子・母は蘇我馬子の娘法堤郎女)ではないか?! と云う見方が有りますネ゙。
※天智天皇(中大兄皇子)の「弟」とされているが、日本書紀に不思議に「生年月日」の記載が無い。又、天智天皇は、娘4人を天武天皇に嫁がせている。※弟にしては気の使い過ぎでは。(実は腹違いの兄!?)
蘇我入鹿を討った事で日本は10年は時代遅れになったとも言われてるね。
当代切っての優秀な人材だったらしいから。それに比べ・・・。
蝦夷の邸宅ごと当時の重要な書物が焼失してしまったらしいから、当時を含めそれ以前の歴史を知るのが、天武天皇が編纂した「日本書紀」がメインになってるのが残念。
更に加えて言えば、弟の大海人皇子と関係のあった額田王を奪い、自分のものとした。尤も、これは記紀にはなく、万葉集にある和歌から類推されることだが。
三国の調の儀式は、高句麗、百済、新羅が日本の属国だったので、貢物を日本本土へ持ち込んだ儀式だったのだな。そんなときにね。
石川麻呂っていたんですね。兄弟の仲が悪いタイプと思って良いんですか?それとも謀反を起こしやすいタイプ?超絶陰謀好きな複雑なDNAっぽい印象ですが、石川五右衛門とかってその子孫ですか?
この時代の歴史小説でこの話を知りました。天智天皇の百人一首の歌のイメージと違ってて驚きました。教科書で大化の改新って綺麗そうな言葉で言われてるけど、ただの暗殺。 それからこの人は嫌いになった。もっと事実を知りたい。 はめられた犠牲者の有間皇子の歌を中学の時に国語の時間に習いましたが、切なく哀しい。50年経っても忘れない海南市藤白に残されている歌2首、「家にあれば 笥に盛る飯を 草枕 旅にしあれば 椎の葉に盛る」 「磐代の 浜松が枝を 引き結び 真幸くあれば またかえりみむ」
天智天皇に先祖が今も使ってる氏を頂いたから(元は藤原氏派生した一族らしい)
サイコパス言われてるのショック😱ガーン
私は、聖徳太子の子孫を暗殺した輩の方がヤバいと思ってる😤
昔は、天皇でも上皇でも政治絡んだりしてたから、ヤバい事が多かったからなぁ🤔
天皇は、祭事が一番の仕事だから昔は、側近が権力集中になりやすく、それがヤバいと揉めるんだろうね。
日本史の先生とか、歴史好きな元カレとかにも「いい家だろ?(お金持ちとかいう意味ではない)」と言われ
本家からは、今だに〜家本家ってドーンって書いてあるから珍しいッて思ってた。
で、家系を調べた。
大阪ABC開局25周年ドラマSP
井上靖原作「額田王」
この時の中大兄皇子天智天皇が近藤正臣
これがまさに冷徹な演技で中大兄皇子のイメージが近藤正臣さんに固定された(笑)
ちなみに大海人皇子天武天皇が松平健
大田皇女が鮎川いずみ
鵜野讃良皇女持統天皇が樋口可南子
間人皇女が秋吉久美子
蘇我入鹿が津川雅彦
中臣鎌足が三國連太郎
額田王が岩下志麻
もう大阪ABCの本気丸だしの配役(笑)
「熟田津に船乗りせんと月待てば
潮もかないぬ
いざ漕ぎいでな」
額田王
だったかな?
見たかったな~!
それこそ大河ドラマでやって欲しい。
無理かな。
@@kuruko676
おそらくは劇中で演ったんじゃなかろうかと。
岩下志麻の額田王が京マチ子の斉明天皇相手に。
ちなみにドラマSP額田王は大阪ABC山内久司プロデューサーの作品で
大田皇女の鮎川いずみ
大友皇子の三田村邦彦
蘇我赤兄の藤田まこと
という配役…
つまり大阪ABC開局25周年に
必殺仕事人も始まった!
つまりドラマSP額田王は
必殺仕事人の事前番宣という目的がありました。
大友皇子が三田村邦彦さんでした
えー!それ今観たい、今!再放送しないかなぁ!
当時番組CMはよく見たけど本編は見ていないので是非見たいな。
天皇家って狂ってるなあ・・・。
中大兄皇子を持ち上げれば持ち上げる程、勝ち者が歴史を作りかえると思い、事実は真逆だと思う