「やはり養子だったみたいだよ」近所のうわさで知った出自 女性が探す「自分の生い立ち」は閉ざされていた【赤ちゃんあっせん事件の光と影・前編】

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  • Опубліковано 1 гру 2024
  • 養子として迎えた子どもと夫婦が実の親子関係を結べる「特別養子縁組制度」運用開始から35年が過ぎましたが、ある一人の女性の告白から制度創設の影の一面が浮き彫りとなりました。
    特別養子縁組制度とは
    1988年に運用が始まった「特別養子縁組制度」は、子どもを望む夫婦が様々な事情を抱えた親元から子どもを迎え入れ、我が子として育てていくものです。「普通養子縁組」と異なるのは、迎えた子どもと法律上も「実の親子」になれるということです。制度創設のきっかけを作ったのが、宮城県石巻市の菊田昇医師(1926年~1991年)でした。菊田医師はまだ制度がなかった50年以上前から予期せぬ妊娠で生まれた赤ちゃんを、子どもを望む夫婦に託す「あっせん行為」を密かに行っていました。1973年に自らの行為を新聞紙上で告白して法整備の必要性を訴え、制度創設のきっかけをつくりました。菊田医師は制度ができる前に200人以上の赤ちゃんをあっせんしていたと言われています。そのうちの1人の女性が、今回初めて心境を明かしてくれました。
    自分の生い立ちが知りたい
    石巻市に住む佐藤晃子さん(40代)。自身の生い立ちについて情報提供を呼びかけたいと今回の取材に応じてくれました。佐藤さんは去年、母親が亡くなった後に自分が「養子」だったと知りました。きっかけは、近所の「うわさ」でした。佐藤晃子さん:
    「(知人が)お父さんもお母さんも亡くなって、晃子ちゃん養子だけどこれからどうするの、という話をされたようで、『やはり養子だったみたいだよ』と教えてもらいました。その後、親戚や近所の人に聞いて間違いないと思いました。(Q養子だと聞いたときは)やっぱりかと思いました」30年前に亡くなった父・輝夫さんと去年亡くなった母・さだ子さん。佐藤さんは一人っ子でした。両親からは何も聞かされていませんでしたが、佐藤さんは小学生のとき「あることに気付き」違和感を抱いたと言います。佐藤晃子さん:
    「父と母と、私の血液型が合わないことに気付きました。私はA型で、父と母はO型です。生物学的にありえないという人もいれば、そういうこともあると話す人もいました。私自身はそんなこともあるのかなと思いながら生きてきました」
    不自然な母子手帳
    母子手帳にも不自然な点がありました。通常、母子手帳は妊娠がわかった時点で交付されます。ところが、佐藤さんの母親が持っていた母子手帳は、出産予定日のわずか1週間前の交付でした。また、母子手帳の中身は妊娠7か月から記載が始まっており、妊娠初期の記載はありませんでした。そして、生まれた当日のページには、菊田昇医師の直筆のサインが記されていました。菊田昇医師は当時、妊娠7か月を過ぎてから中絶したいと駆け込んできた女性を説得し、生まれた赤ちゃんを子どもを望む夫婦に託していました。佐藤さんが持っていた母子手帳も妊娠7か月から記載が始まっています。状況が一致していることから、この母子手帳は佐藤さんが養子であることを裏付ける証拠の一つと言えます。佐藤晃子さん:
    「産みの母親が妊娠7か月になって初めて菊田先生のもとを訪れて、そこから記載が始まったのではないかと推測できます。そのときの体重が52キロだったこと。出産に10時間かかったということ。産みの母の情報は、それしかありません」一方で、佐藤さんは父親や親戚と顔が似ていると言われることが多かったといいます。このため「自分は本当に養子なのか」確証を得たいと思っています。
    出生証明書の偽造
    しかし、それを妨げていることがあります。佐藤さんが見せてくれたのは、自分の戸籍謄本です。そこには「養女」ではなく「長女」と記載されていました。佐藤晃子さん:
    「本来は養女と記載されますが、菊田先生が偽造の書類をつくって提出したので“長女”と記載されたと思われます」菊田医師は、制度がなかった当時、養子として迎えた子どもと夫婦が実の親子となるよう、偽の出生証明書を作成していました。明らかな違法行為でしたが、菊田医師は「赤ちゃんの命を守るためには形式的に法を犯さざるを得ない」などと説明していました。違法行為に手を染めてまで赤ちゃんの命を救おうとした菊田医師の行為に対し、今は称賛の声が多く聞かれます。しかし、出生証明書の偽造によって、生い立ちを調べる手段が永遠に閉ざされてしまったのです。佐藤晃子さん:
    「産んだ人の秘密を守る、なのでその人(産みの母)の情報は教えない、残さないと(記事に)書いてあった気がしますが、生まれた子どもが親を知る権利とか出自を知る権利が奪われているので、それが一番問題だと思っています。自分が養子だと知ってびっくりはしませんでしたが、疑問がたくさんあることにもやもやして、ストレスを感じています。菊田産婦人科医院で働いていた方や生まれた方からもお話を聞いてみたいと思っています」後編では…。佐藤さんは、近所の“うわさ”によって自分が「養子」だと知りました。菊田医師は、周りに知られないよう赤ちゃんを、子どもを望む夫婦に託していて、本来であれば関係者以外は事情を知らないはずです。それなのに、なぜ近所の人は佐藤さんが養子だと知っていたのでしょうか。佐藤さんが真相を話してくれました。
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