【歴史講座14】謎多き勾玉の正体|小名木善行

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  • Опубліковано 22 жов 2024

КОМЕНТАРІ • 117

  • @堀百夏
    @堀百夏 6 місяців тому +60

    勾玉には魂が宿っている!
    日本人のモノ作りの原点は、勾玉作りにあったと言っても過言ではない、日本人の持つ極めて繊細で丁寧に作り上げる力は、古代の日本の歴史を秘めた勾玉が私達に教えていた事を初めて知り感動した。

  • @fuku7565
    @fuku7565 6 місяців тому +34

    10年前以上に原料が蝋石の「勾玉制作キット」を子供たちと一緒に作りました。蝋石はやわらかいのでサウンドペーパーで制作したのですが、それぞれ個性豊かな作品ができあがりましたよ🫠子供たちは今でも大切にしてるそうです🐱作品に魂が宿って祖先の文化がある意味伝わっていればうれしい😊

    • @花よりだんご-d1p
      @花よりだんご-d1p 6 місяців тому +5

      うちの子も学校で作ってきました~。ちょうど良くこのチャンネルと出会いました!!

  • @平安至上主義者
    @平安至上主義者 6 місяців тому +84

    私は翡翠で勾玉を作つている者です
    確かに翡翠は硬い石ですが、繊維が絡み合つた石なので割れずらく、穿孔も樂です
    最近は實驗考古學で勾玉の製作もされており、長さ一寸の勾玉を慣れない人でも一週間程で作れることがわかりました
    竹管穿孔も3時間で貫通できます
    私も砥石で成形しますが、以外と早く削れます
    專問の玉造部なら數日で作れたはずです

    • @アイキング-y5h
      @アイキング-y5h 6 місяців тому +8

      道具は?

    • @knjssk5830
      @knjssk5830 6 місяців тому +7

      ろくろがいつから使われたのか?という問題があります。
       ニカワに固い石の粉末を混ぜて塗り固め、平面、棒状、円盤状の物を回転させれば、現代の旋盤のような加工ができます。

    • @あん-o1n
      @あん-o1n 6 місяців тому

      @@knjssk5830
      ロクロより紐きり式火おこし器も使えるのかも、、、

    • @平安至上主義者
      @平安至上主義者 6 місяців тому

      @@アイキング-y5h 樣
      古代では翡翠を翡翠で叩き割り、それを砥石で成形、竹管に石英砂を付け舞錐や弓を使い回轉穿孔(チャートや石英製の石錐や鐵錐もある)
      研磨は推定ですが、木の板にベンガラを付け研磨
      私の作り方はダイヤモンドバンドソーで切斷し、グラインダーで成形、ステンレス管に金剛砂を付け穿孔、砥石で研磨した後、紙鑢で仕上げ研磨です

    • @HitYoutube
      @HitYoutube 6 місяців тому +6

      @@アイキング-y5h クズ翡翠の原石を使えば良いのではないでしょうか
      同じ硬度の粒子がたくさん入っていれば研磨は容易だと思います。
      石器にも穴が開いたものが沢山あって穴あけはそんなに難しい技術ではなかったかと。

  • @伊東寿朗-o2y
    @伊東寿朗-o2y 6 місяців тому +26

    まさに魂を込めて削り出してたのかもしれないんですね!
    本当に貴重なのは、悠久の時を経ても残り続けるものを
    『形』にしてくれたことなんだと思いました。

  • @イートンハーブ
    @イートンハーブ 6 місяців тому +41

    勾玉を見ると3,4週目の胎児の姿を思い出します。 「いのち」の象徴性もあるように思います。

  • @哲雄-v9n
    @哲雄-v9n 6 місяців тому +29

    函館市の1万年ほど前の縄文遺跡は、青森や岩手などに住んだいた
    縄文人の別荘地であったとも言われていますが、まさに、一度海外に
    渡って戻ってきた日本人がいて文化を持って戻ってきたというのは、
    信憑性がありますね。
    弥生人といわれる方々の多くも、そうであっかも知れませんね。

  • @ktubebox
    @ktubebox 6 місяців тому +9

    急に勾玉が気になり始めUA-camで検索したらこちらの動画があり見ました。最近縄文時代の不思議も理解が深まってる中でまた点と点が繋がってなるほどなあと唸ってます。

  • @護美箱-d3n
    @護美箱-d3n 6 місяців тому +4

    出雲国造御用達の勾玉をいっぱい持っており、大好きなアイテムですね。
    あれ見るだけでも癒やされます。
    日本人は尊いことが解りました。
    私達は、遠くから来たのではなく、一回は勾玉持って遠くに行き、勾玉持って帰ってきた。
    楽しいお話し、ありがとうございました😊

  • @2st-fan
    @2st-fan 6 місяців тому +15

    勾玉は陰と陽のマークにしか見えないのですが!最後の繋がりのお話、とても意味深でした。

    • @榎-s3x
      @榎-s3x 6 місяців тому +4

      その通りです。身に付けるのは目に見える世界「陽」です。しかしその対に 目には見えないけれど「陰」が形成されています。縄文のシャーマンが身に付ける為の装身具でした。

  • @user-mx1vh24
    @user-mx1vh24 6 місяців тому +10

    以前、三内丸山遺跡で見たアクセサリー類は石に勾玉と同じく孔が開けられていて驚きました。しかも凄く綺麗なんですよね😮 
    それより驚いたのはミニチュア土器❗️
    遊び心満載で、高い文化があったのは実感湧きました😊
    日本はカッコいい😎👍

    • @月舟
      @月舟 6 місяців тому +5

      やはり日本人は縄文の昔から小さいものが好きだったんですね。

  • @森上翠里
    @森上翠里 6 місяців тому +19

    学校でやるべき授業だ!

  • @nomado93
    @nomado93 6 місяців тому +13

    つい最近、古墳遺跡公園で買った「勾玉つくりキット」で挑戦してみましたが、紙やすりで1時間程度でほぼ完成の状態まで作れました。
    年単位の時間を要する作業となると、それに見合う対価・報酬をもらわないと やってられなですね

  • @yas5152
    @yas5152 6 місяців тому +17

    素晴らしーですね。誇らしくなります

  • @みーこ-m4k
    @みーこ-m4k 6 місяців тому +9

    お~久しぶりに小名木先生が飛騨王朝の話をしてくれた。ありがとう。山本健三さんのお弟子さんと言う方々は何人かいらっしゃるんです。稗田阿礼の子孫は清見村に今もいらっしゃるそうです。

  • @原田慎也-h8z
    @原田慎也-h8z 6 місяців тому +8

    素晴らしいお話です🥹
    見終わった時に泣いてました

  • @iyi553
    @iyi553 6 місяців тому +21

    私は、あの形は「流産した時の胎児の形」だと思います。
    つまり、鎮魂でもあり、生命の起源エネルギーが宿るものとして大切にされたと思います。

  • @mikayamakiarisu3594
    @mikayamakiarisu3594 29 днів тому +1

    すばらしい。人間集団の動きと「不変のモノ」の関係、「不変のモノ」の役割を、こんなに明快に解説してもらえるとは。単なる権威財とか不死への憧れなどと言う話にしてしまうと、実にチンケな話になりますが、拡大する日本人のルーツ証明書として「不変のモノ」があったと。そうだよなあと、素直に納得できます。

  • @MO-dn7ks
    @MO-dn7ks 6 місяців тому +10

    ピラミッドでもなんでもそうだけど意外としっかりした作り方があると思うな
    5年もかけるとは思えない
    割れる可能性があるなら穴からあける
    凄い技術があった事と美的センスがあった事は真実

  • @萩原耕介
    @萩原耕介 6 місяців тому +2

    「まがたま」ですか~由来の解説恭しく拝聴致しました。ニッポン大好き先生のお話でニッポン大好きになりました。
    有り難う御座いました91歳ポンコツ爺。一方でpyramidが好きなんですよ。下から観てるのが好きですね~石を数え始めるんですが途中でやめてしまいます(atarimaeda)

  • @13ichirouyuukijun15
    @13ichirouyuukijun15 6 місяців тому +12

    弓を使ったドリルをつかっていたようなので、結構早く加工できたようです。

  • @keikoi94
    @keikoi94 6 місяців тому +5

    常に顔を突き合せる肉親よりも遠ーい親戚の方が懐かしく心落ち着くこともある。
    勾玉はないけど、海外で日本語が通じ合う時の喜びがそれなのかも。
    どうぞどうぞと互いに譲り合って仲良くなるのも現在何人であっても古ーい親戚かもしれない。

  • @g19527
    @g19527 6 місяців тому +3

    素晴らしい番組本当にありがとうございます⭕重ねて、天御祖神様に『大和の始まり』に心から尊敬感謝致します。

  • @みゆみゆ-q4g4h
    @みゆみゆ-q4g4h Місяць тому +1

    とてもいい形。
    芸術家ですね。日本

  • @とら丸-c6i
    @とら丸-c6i 5 місяців тому +3

    硬度7.5の鉄ばん石榴石の砂を私たちは金剛砂と言っていました。
    家の近くで翡翠と同じ硬度の瑪瑙(木の化石)がとれます。
    おそらく当時は金剛砂と竹ひごで瑪瑙や翡翠に孔を開けたのだと思います。

  • @じいたけ-s1d
    @じいたけ-s1d 5 місяців тому +5

    日本古代史に関する配信を毎回楽しく拝聴しています。
    翡翠の加工に関することですが「釜蓋遺跡」という遺構はご存じでしょうか?
    北陸新幹線上越妙高駅建設時に発見された翡翠加工専業と思われる遺跡遺跡で弥生時代頃の遺跡とのことでした。
    国の文化財として指定されたことと都市計画の関係から遺跡の全貌は未だ解明はされていませんが加工中の翡翠などが多く発見されています。
    特に勾玉や管玉に穴を開けている最中でその穴を開けるための石針と言われる道具も発見されました。
    この石針も翡翠製のようで木製の柄の先に取り付け錐のようにして使用されたのではないかと考察されていました。
    上越妙高駅西口に隣接し、小さいながらもミュージアムが設置され現物が展示されていますので何かの機会にご覧いただければ地元の者として嬉しく思います。

    • @fu-ten-tiger23.62
      @fu-ten-tiger23.62 5 місяців тому +2

      全く知らなかった情報 ありがたい
      早速行ってみたいと思います。

  • @sumaotoraibe4761
    @sumaotoraibe4761 6 місяців тому +8

    すでに出たコメ「翡翠は硬い石ですが、繊維が絡み合つた石なので割れずらく、穿孔も樂です最近は實驗考古學で勾玉の製作もされており、長さ一寸の勾玉を慣れない人でも一週間程で作れる」。おっさんが5年かける工作は今も昔もありえね~

  • @cavalynjp
    @cavalynjp 6 місяців тому +5

    自分が1万年昔に糸魚川で勾玉を作る。と考えれば、勾玉材料の翡翠を多く拾って来て翡翠同士をぶつけ合わせて割り粉状になった翡翠をアスファルトorコールタールで棒とかに付けて固め、それで勾玉を削る。新潟は石油が出るからアスファルトもあったろうし。作るに何年もかかったとは思えない。確か黒曜石とかの鏃を矢に固定するのにもアスファルト?が使われていた筈。

  • @月舟
    @月舟 6 місяців тому +4

    島根は瑪瑙や碧玉で作っているので硬玉製は別のところということになりそうですね。時代も下りますし。

  • @トビオくん
    @トビオくん 6 місяців тому +12

    そういえば、長江上流からきた文化も勾玉文化でしたね

  • @flightdeck5165
    @flightdeck5165 6 місяців тому +3

    翡翠にも色々な種類があって、含有する成分で硬さは変わりますが、モース硬度で6.5~7です。石英(概ね純粋なガラス)が7なので、これとほぼ同じ程度の硬さがある。瑪瑙も似たようなもの。
     翡翠、瑪瑙は金属の酸化物つまり、「錆び」が単結晶の状態で存在するもので、地中の高圧力環境下において、火山の熱と、金属酸化物の生成反応が生じる環境があり、それが火山爆発などで外表面に噴出したものとして考えることができます。だから、火山の周囲の岩石層が風化によっ崩れ、川に流れれば河原で目にすることができるようになるわけです。
     重要な基礎知識として、「鉱物の加工は、それよりも硬い鉱物を使う」という、工学的知見があります。材料科学の教科書にも書いてある内容です。
     つまり硬さ7よりも硬い鉱物を使わないと、容易には加工できないと言うことです。これに該当するのは硬度8~9の
    アルミニウムの酸化物である「ルビー(Al2O3+Cr2O3))、サファイア(Al2O3+TiO2+FeO)、アレキサンドライト(Al2O3+Cr2O3+BeO)」しかなく、大気中にある石英の粉末が付着しても、決して磨かれた表面が曇ることはありません。 こうした鉱物を「宝石」と呼んで区別します。 硬度7以下の綺麗な酸化物は「飾り石」と呼びます。翡翠、瑪瑙は「飾り石」ですが、その中でも最高位の硬さを持っているわけです。(トルコ石、アメジスト、ガーネットなども該当する)
     最高の硬さを持つのは「ダイアモンド」のみで、モース硬度で10です。だから「永遠の輝き」なのです。これはダイアモンド、あるいは「正方晶ジルコニア(Cubic ZrO2 人工酸化物で天然には存在しません/工業用ダイアモンドとも称し、トンネル掘削マシン、ボーリングマシンの先端に取り付けられています)」以外で研磨できません。
     勾玉を加工した縄文時代の人々は、上記の「ルビー」あるいは「サファイア」をわずかに含んだ「磨き粉」を手に入れていたものと思います。砥石はそうした鉱物の混合物を割り出して作ったものです。
     当然、磨き粉に適した鉱石は決して多くなかったものと思われます。「河原の石を細かく砕いた磨き粉」を使い、恐らく年単位で、数人の加工職人が交代で加工していたと思われます。磨き粉は竹や木の先端に粘土とともに塗りつけ、硬い石の上に布を敷いて、そこに硬質砂を含んだ粘土を塗って、圧迫しながら磨いていたことと思います。これなら確かに職人が10人もいれば、一年間で10個以上の勾玉ができたでしょう。

  • @もも-g6u
    @もも-g6u Місяць тому

    これを英語バージョンも作って世界にも知って欲しい😊

  • @Nachi77
    @Nachi77 6 місяців тому +3

    勾玉の素材は瑪瑙や水晶もあるのですよね?残って無いけど木や動物の骨や焼き物もあったのかも?
    当時 歩くしか方法の無い時代に他の地域に行くには一番の問題は食料の調達だったと思います、私は勾玉を美しい加工品と捉えて考えれば、貨幣の様に使用してたとは考えられませんか🤔?

    • @AKwin-fc8nc
      @AKwin-fc8nc 2 місяці тому

      面白いご意見ですが、貨幣として使うほどの量があったようには思えません
      あと、その場合、糸魚川周辺がめちゃくちゃ金持ち集落になります
      当時は山も海も食糧豊富なので、調達しながら旅をする事は可能だったと思われます
      また、「まれびと文化」として知られるものですが、各地の村は外部の血を定期的に取り入れないといけないので、旅人を歓待する習わしもあったと推測できます
      (古事記序盤のヒルコも近親婚の警告と考えられますし、よその人を歓待するエピソードもありますね)
      縄文人は結構、気楽に旅してたと思われます
      物々交換の対象になるものは、他には植物の種子でしょうね

  • @fu-ten-tiger23.62
    @fu-ten-tiger23.62 5 місяців тому +2

    糸魚川翡翠専門で勾玉などを制作しておりますが、自分の中では胎児にしか見えません
    制作者の中でも胎児ではなかろうかと言う方が一番多いです
    ですが唯一言える事は勾玉が何を模しているのか記録には一切残っておらず、謎ということだけです
    個人的には韓国で発掘された、鏡 剣 勾玉が付いている天馬塚金冠が素晴らしいです。

  • @キョロちゃん-p2z
    @キョロちゃん-p2z 6 місяців тому

    まるで単線鉄道で昔使われていた離合時正面衝突防止用のタブレットのような
    勾玉の連続性のあるお話に感動しました

  • @jun6185
    @jun6185 6 місяців тому +6

    勾玉は国力🇯🇵✨
    ものつくりの伝統✨✨
    天皇の魂の継承✨✨🤲
    末裔である和多志士達❤
    今、目の前にあるご縁、
    繋がりは魂の継承🧬
    結🪢なのだと感じました。
    小名木先生の今までのご講義で話されていた大和魂✨✨🪭
    美しい勾玉の背景を通して
    学ぶことができました😃🙏
    日本をカッコよく👍✨✨
    小名木先生✨🪭
    ありがとうございます😊🙏

  • @YAnzai-xm3hz
    @YAnzai-xm3hz 6 місяців тому +9

    「こんな話」の引用資料を示してください。

  • @スズキ-k2h
    @スズキ-k2h 6 місяців тому +2

    勝手な想像ではありますが、古い時代にも体を悪くした人はいたと思います。ただ食べさせて貰うだけとは考えにくく、もしかすれば勾玉などの装飾品は、怪我で仕事が出来なくなった人や老人が作り始めたのではないかとも思ったりもします(初期は御守的なモノ?とか)

  • @カイザーラインハルト-p8z
    @カイザーラインハルト-p8z 6 місяців тому +1

    博物館で度々勾玉を見かけますが、勾玉が血筋を証明する物とは。勉強になりました。

  • @グリフィス-x7w
    @グリフィス-x7w 6 місяців тому +8

    勾玉についてのお話は誰から何処からの話なのでしょうか?

    • @AKwin-fc8nc
      @AKwin-fc8nc 2 місяці тому +1

      飛騨地方に残っているとされる口伝を山本健三という研究者が本にしたものです
      (この山本氏は超心理学?の研究者でちょっと怪しいのですが)
      ただ、カルデラ噴火~日本建国まで飛騨周辺に一大集落があった可能性は検討の余地があります

  • @ほりぐちあつし
    @ほりぐちあつし 6 місяців тому +2

    勾玉作りならば足の不自由な人にも出来ますね。
    福祉政策の面もあったのでは?

  • @峰一橋本
    @峰一橋本 6 місяців тому

    ありがとう御座いました🐉

  • @1977takumi
    @1977takumi 6 місяців тому +2

    島根で碧玉の勾玉を20年近く前に買って....
    日本人の誇りとともに、ずっと首に下げてます

  • @聡平野-e8c
    @聡平野-e8c 6 місяців тому +2

    隕石でも使ってたのかも
    縄文はまだまだ不可思議のカルテです♪♪♪

  • @れおプラス
    @れおプラス 6 місяців тому +1

    お隣太極旗が何故勾玉模様なんでしょうか? 
     
    気になってます

  • @ニャル-i3b
    @ニャル-i3b Місяць тому +6

    勾玉の形はヘブライ文字のやという文字です。ヤハウェのやです。お守りとして常に身に着けて男女問わず大切にされたのです。これをつけるなら、敵対する異教徒ではないという印にもなりました。伊勢神宮の外宮の祭神の天の御中主とはヤハウェの事です

  • @kooota7455
    @kooota7455 6 місяців тому

    3万年前の磨製石器も何年もかけて作られたのでしょうか?
    やわらかい石を使って短期間で作り、いざ使ってみたらすぐ欠けそう。
    儀礼用で実用的なものじゃなかったのかな???

  • @たかまる-v3u
    @たかまる-v3u 6 місяців тому +4

    勾玉の原石といえば翡翠で、翡翠の産地といえば糸魚川。糸魚川には奴奈川姫にまつわる伝承や神社が満載の土地。
    糸魚川から静岡-糸魚川構造線に沿って真っ直ぐ南の方に行くと諏訪に至る。諏訪といえば諏訪大社で、ご祭神は建御名方神。
    この建御名方神の母親が奴奈川姫であり、父親は大国主となっている。
    古事記では、建御名方は武甕雷に相撲で負けて出雲から逃げてたどり着いたのが諏訪となっているが、地理的には諏訪は糸魚川構造線と中央構造線の交点となっており、明らかに交通の要地。さらに、黒曜石の産地のふもとでもある。
    ところで、ヌナカワといえば綏靖天皇。ご丁寧にヌナカワミミとおっしゃる。
    なるほど三種の神器の一つに八尺瓊勾玉があることからも、この辺にはアナザーストーリーがありそうと思うと、我が国の深さ、面白さが沸々と湧き上がる。

  • @津田博行-e9f
    @津田博行-e9f 6 місяців тому +3

    勾玉は茨城地方にしか無いと聴きました❗️出雲地方は縄文時代は移動家屋で大規模の遺跡は弥生後期まで在りません❗️玉造の勾玉は古墳前期から製造仕出したのではありませんか

    • @月舟
      @月舟 6 місяців тому +5

      茨城だけってことはないと思いますよ。

  • @さいらなおき
    @さいらなおき 2 місяці тому +3

    6:44 五百箇御簾統の“五百”は千客万来の“千”などと同様に、単に“たくさん”という意味だと捉えるのが妥当ではないでしょうか。パッと見て何個か分からないくらい、つまり数十箇あれば、五百箇御統と呼ばれてもおかしくない状態になったと思われます。しかも、それら全てが勾玉でなくても、権威の象徴として十分でしょう。なのに、「日本ではそれをつけている人が普通にいた」というのは矛盾していて、そんなに普通の品だったら、権威の象徴になろうはずもない。そしてそれを天照大御神がスサノオノミコトを出迎えるために身にまとったというのであれば、逆にスサノオノミコトを馬鹿にするためにわざとみすぼらしい格好をしたことになりはしませんか。五百箇御統は天照大御神がスサノオノミコトを出迎えるために身にまとった、特別な装飾品なんでしょう? だとしたら、「貴重な勾玉を五百個も連ねたすごい首飾り」というのは神具としてスーパー盛られた厨二病的表現であると考えるのが理に適っていると思います。と、こんな風に歴史学の素人である私にすら矛盾や誇大表現を指摘されるようでは、動画の主張内容そのものの信憑性が揺らぐでしょうし、何よりとてもカッコ悪いです。日本をかっこよくするんでしょう? でしたら、神話と史実をごちゃ混ぜにするような誇大表現はひかえた方が良いのではないですか。

    • @邑人-k1s
      @邑人-k1s 10 днів тому +1

      動画主を誉めるファンが多い中、知的なコメントに感心しました。私は考古学関係者ですが、ほとんど無知でいわば素人のホ
      ラ話です。勾玉の出現は弥生時代後期で(縄文時代の似た例は写真の勾玉とは言わない)、しかも、500個の勾玉を連ねた埋
      葬例など皆無です。かつて私の若年時に、メノウで砥石を使って手作りしたが、長さ4~5cm、1日1時間程度で、約1週間余
      でほぼ外形は完成。あまりに非科学的な古代史動画が氾濫する中、この方は「古墳造営残土処理説」を初め、発掘現場や考古
      学の基礎知識すら欠いた、いわば思想家で、「歴史を話題とする講釈師」です。ご指摘通り、荒唐無稽な動画は、良識で判断
      しうる筈なので、普通専門家は恥ずかしくて相手にせず、無視。余計なお世話ながら、ご賢察通り、妄説に信を置いてはいけ
      ません。

    • @さいらなおき
      @さいらなおき 10 днів тому

      @@邑人-k1s ​ @邑人-k1s 身に余る賞賛、ありがとうございます。やっぱり大変とは言え、そんなに非現実的なほど時間のかかるものではないのですね>勾玉作り。となると、勾玉が日本に多く、中国に少ないのは美意識や文化習慣の違いと考えるのが妥当と言えそうです。
      私も日本で生まれ育った以上、日本は世界にかけがえのない国で、なくなってほしくないと思いますし、そのために尊厳を持つべきだと思うのですが、いわゆる保守を名乗る人たちは、日本人の精神性における天皇と天皇制の重要性を過度に強調する人が多かったりして、とても残念に思います。歴史に誇りを持つにしても、その歴史が嘘や誇張ばかりだったら、その歴史に誇りを持つことがとても恥ずかしいことになってしまうと思うのですが、そういうことは考えないのでしょうかね……。残念なことです。

    • @邑人-k1s
      @邑人-k1s 4 дні тому +1

      @@さいらなおき 久しぶりに再訪して拝読、全く同感です。10数カ国程度だが、私も外国を旅して我が国の良さを痛感、感謝
      の想いはつきません。過度で虚偽の「国粋思想」の吹聴は、やがて真面目な保守の側からも反発を招きます。私自身も天皇家
      に敬意を抱く一人だが、仁徳天皇(崇神・履中も)も決して仁愛ばかりの聖帝では無く、兄弟の隼別皇子・雌鳥皇女二人を弑
      逆しており、これは別方法で事実と論証し得ます。他方、武烈天皇は悪逆の帝とするが、これらは『日本書紀』編纂時に、自
      ら属す側の皇統の正当性を強調する思惑からの誇張とするのが通説で、そのまま全てを事実と信じるのは非学問的とされてい
      ます。なお、別動画の、我が国の歴史研究が依然GHQの影響下にあるかのような、動画主の時代錯誤の認識は、一体どこから
      きているのでしょうか。また、中南米の国々も日本人が祖先であるかの妄言に、ペルーの人から抗議のコメントがあったが、
      国民の一人として汗顔の至り(謝罪しました)。数々の非現実的な前提を一方的に設定しておいて、妄説を展開する手法の動
      画ばかりアップされているが、いただけません。やがて信用を失います。

  • @チュンチュン丸-y5z
    @チュンチュン丸-y5z 6 місяців тому +3

    かっこいいね

  • @lovenippon2942
    @lovenippon2942 14 днів тому

    世界で途切れてしまった文化が日本で伝承されている場合がありますよね。日本は世界のタイムカプセルや。

  • @bokichi62
    @bokichi62 2 місяці тому

    貨幣だったりして、、、もうそれ以上は知らなくて良いw

  • @こまこま-d7e
    @こまこま-d7e 6 місяців тому +5

    後期勾玉は翡翠だけでなく様々な素材で作られたが、これは勾玉が共通貨幣として使われていたからだろう。つまり土器製なら百円、水晶製なら千円といった感じで…縄文において勾玉は私有財産として認められるもので、物々交換ではなく勾玉と品物を交換する事で、世界最古の貨幣経済圏が発展していったと考えられる

  • @隆浩菅野
    @隆浩菅野 5 місяців тому +2

    勾玉は胎児に見えます。健康に子どもが産まれてくるようにとの願いがあったのでは。想像を掻き立てられます。

  • @wadakanade6193
    @wadakanade6193 3 дні тому

    縄文時代に製作されて居た内地産の勾玉の史実ですね❗
    青森県には→1万6500年前の集落の遺跡が有りまする❗
    砂鉄を焼いて叩いて冷して、また焼いて叩いて冷してを
    繰り返して棒状に作り砂を動物の脂と混ぜ合わせて穴を開けたのかも❗
    知れませんね❗

  • @うまいおやこどん
    @うまいおやこどん 6 місяців тому +4

    勾玉は金玉とは関係ありませんでしょうか。形がちょっと似ているかなと😅

  • @9zico9
    @9zico9 6 місяців тому +6

    1年もかけるのかなぁ?

    • @アイキング-y5h
      @アイキング-y5h 6 місяців тому +12

      ご自分でやってみては?
      河原に行って石拾って来て、石同士擦り合わせて磨くとか。

    • @邑人-k1s
      @邑人-k1s 3 дні тому +1

      疑問をお持ちの件正当です。私は考古学関係者ですが、メノウを用いた実際の製作では1週間余りでほぼ完成。この動画主
      さんは全くの素人で、製作された他の種々な動画も学問的基礎を欠く妄説です。

  • @山口孝作
    @山口孝作 6 місяців тому +3

    うん 良い話だった 公安に監視されてる連中に 聞かせてやりたい

  • @gahoocom
    @gahoocom 6 місяців тому +3

    納得できる部分もあるが勾玉についてこんな話を聞いたことがあります。。なんていうのはいくらでも作れる話。しかも2700年以上前の話である以上かなり胡散臭い。

  • @Rockin-Jiro
    @Rockin-Jiro 5 місяців тому +1

    面白いお話しでした
    だけど、翡翠の加工を手作業でやっていたとは考えにくいです
    翡翠は、水晶やメノウより更に硬いです
    縄文の人達は、波動が使えました
    今では奇蹟のような事にも思えますが
    波動で翡翠の形を勾玉に成型していったと感じます
    それが他の土地からの入植によって混血化が進み
    どんどん波動を使える人が少なくなっていった・・・
    それが、弥生の土器にも表れていますね
    それ以降の翡翠の加工は、手作業になったでしょうね

  • @恵子-v7m
    @恵子-v7m 6 місяців тому

    アクセサリーやグッズで勾玉有りますよー

  • @山王芳雄
    @山王芳雄 5 місяців тому

    翡翠は 明星山の岩
    明星山の女神は諏訪の女神
    たぶん イナンナ(イシュタル)の勾玉
    そして
    春分と秋分で交代する女神・天照大御神

  • @なぎさのちゃっぴぃ-e6u
    @なぎさのちゃっぴぃ-e6u 6 місяців тому +2

    めでたしめでたし

  • @怨染魂誤
    @怨染魂誤 5 місяців тому +1

    絶対そんなに時間かかってないだろ😂😂

  • @伊藤彰浩-o1l
    @伊藤彰浩-o1l 6 місяців тому

    『心の幸せな平等社会、心を置き去りしない成長社会。』
    『年相応に心の成長を伴った日本の國づくりの社会について真剣に考えて見ませんか?』
    日本國に年間3万人の自死が在るのは國の在り方として國内政治と経済と治安が崩れている事を示します。
    つまり、日本の國の心の平和と心の平等の安息感がないのだと思います。
    誰でもが平等にこの事が訪れる事を想定した上で心の成長と心の平和と心の平等社会として考えて見ませんか。
    若者はハングリー足れ、心の平和と心の平等は年相応に中庸の精神を學べばそれで良い。

  • @朝田明己
    @朝田明己 6 місяців тому +3

    張り扇は嘘っぽくて品がない

  • @國田牧子
    @國田牧子 6 місяців тому

    私 の 実家 の 母方 
    平氏  安堵   源氏
    家紋 は 元 首相 
    細川 家
    東北 の 伊達 政宗 と 同じ

  • @ucoco4770
    @ucoco4770 6 місяців тому +1

    磐座とかと同じく手で整形したのではないでしょうか。
    道具など一切不要。
    スプーン曲げのもっと高度なもの。
    弥生では無理ですが、縄文なら。

  • @bluelagoon1926
    @bluelagoon1926 6 місяців тому +1

    勾玉というのは
    今で言うところの
    Bluetoothで骨伝導型のイヤホンだったという説が有力

  • @清水宏幸-j5c
    @清水宏幸-j5c 6 місяців тому

    もっと身近なもの。動物や人間の歯でやってたと思うんだが。

    • @市川武功-o1g
      @市川武功-o1g 6 місяців тому

      勾玉はヘブル言語のヨッドであり、ヤーと発音し神様
      を表す。

  • @國田牧子
    @國田牧子 6 місяців тому

    まがたま の 形 は OOO を 表現 シテ いる よう に 思えて 仕舞う ノア? 
    私 だけ?

  • @國田牧子
    @國田牧子 6 місяців тому

    家紋 と 苗字 で 出自 が ほぼ わかる

  • @國田牧子
    @國田牧子 6 місяців тому

    いつも 見させて 頂いて 今 ス

  • @國田牧子
    @國田牧子 6 місяців тому

    私 は 朱鷺 ところ に より 貝 に なります と よく 言って いる の ですが
    ピラミッド の 枠内 に おさまり きらない 例 の あの お方 も 同じ やうな 
    こと も 言って いた 時 が あるよう です  貝 ばーん 以上 の 一族?

  • @minosuper999
    @minosuper999 6 місяців тому

    結局日本は凄いw いやよその国の方が言ってくれるならそれは素晴らしい。 でも日本人が日本のすばらしさを力説してもねえ

  • @39日和
    @39日和 6 місяців тому +3

    小名木さん大事な事を忘れていますよ❗勾玉は主に日本の何処で作られていたかの説明を。主に作られていたのは今の島根県だとの事だそうです。

  • @The_monspubis_is_my_mother
    @The_monspubis_is_my_mother 5 місяців тому +1

    中国の玉(ぎょく)を貴重とする考え方と、勾玉はどっちが先にできたんでしょうね。
    3個の勾玉でも喜んだのは、玉でできたものだったからに他ならないと思います。

  • @恵子-v7m
    @恵子-v7m 6 місяців тому

    アクセサリーやグッズで勾玉有りますよー