【廃線跡】駅も街も消滅しました。その20 Stations and towns have disappeared.Part 20

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  • Опубліковано 18 тра 2024
  • 今回は今まで巡った廃線跡で、かつては駅を中心に形成された街(市街地、集落)が消滅、もしくは著しく衰退してしまった場所を駅跡を中心に紹介していきます。
    20回目の今回は胆振線 脇方支線線(1970年廃止)より脇方駅跡です。脇方駅跡以外に脇方支線が分岐していた京極駅跡や京極町生涯学習センター「湧学館」にも行ってきました。脇方にはかつて駅があり街があり、街には診療所、学校、郵便局もありましたが、現在は無住地帯と化し原野に還りつつあります。
    動画で使用している過去の航空写真はこちらで閲覧できます。
    国土地理院HP:www.gsi.go.jp/top.html

КОМЕНТАРІ • 139

  • @ZeekLiu
    @ZeekLiu  +36

    まさに脇方支線廃止(昭和45年)は、北海道における大規模路線廃止の始まりとなった。 幸いなことに、赤字 83 線の廃止計画は 1970 年代に中止され、多くの線路が 10 年以上存続し、今日参照できるテキストとビデオ データがさらに多く残され、今日の人々が国鉄を記憶できるようになりました。かつての鉄道の輝かしい道路網と多数の未成線。

  • @user-ig7us5en6v

    親の代までが脇方に住んでいました。毎年現地に行っていますが、こうやって映像でみると違う雰囲気で原野に帰っていく姿。寂しく思います。

  • @user-fz3uv5im5o

    記念碑をいくら建てても、原野に還ってしまっては、見に来る人もいませんね。

  • @user-vj7pe1fh9x

    郵便局がなくなったのも小泉純一郎元自民党総理の責任だ🤐

  • @user-ij3qv1rt4w

    初めて北海道に行ったのが88年。その2、3年前にたくさん廃止されてしまい間に合わなかった。涙。

  • @user-cq9zz5tw7b

    なんか熊🐻出そうです危険🏃⚠️かも😂

  • @user-dt2sw4xl5w

    胆振線は、なんとか乗車出来ましたが、さすがに支線は乗れませんでした。その頃は幼児だったので…😢。いまや、胆振線が接続していた、函館本線の山線すら、無くなろうとしているのですね…

  • @user-nf1bo5ms1l

    原野に戻っていく姿が切ないですね

  • @user-mk4lf7wn2q

    胆振線脇方支線は1970年(昭和45年)に廃線になっているんですね😅JR移行の昭和62年より遥か前に廃線😵この辺りは鉱山が多いと聞きましたが、現在の虻田郡はインバウンド需要で盛り上がってますね!

  • @7toms786

    やっぱり『逝く⚡❤👍』のですネ♬ ひろりん♬さんの『信じる』道を🦾🔥

  • @aikosweet4062

    10年以上も前ですが、友人の親類が京極町に住んでおられてそのお宅へ友人とともに訪問したことがあります。たまたま私がこの京極にもかつて国鉄胆振線が走っていましたよね?と話をふると、それまで静かに微笑みながら私たちと奥さんであるお婆さんの会話を聞いていたお爺さんが突然身を乗り出すようにして饒舌に語りだしたので驚きました。

  • @kutakichi

    この辺りは火山帯で、胆振線はちょうど戦時中に起きた火山活動により何度も路盤が隆起して

  • @user-xx1by8zo3r

    ひろりんさんへ

  • @user-zh4ih2dl9d

    ちょうど最初の動画のスタート地点の右側に私が住んでいた鉱山住宅がありました。

  • @djebel200

    ひろりんさん、お疲れ様です🫡

  • @ktkab
    @ktkab  +5

    母の出身地が脇方なので懐かしく拝見させて頂きました😊

  • @user-cu3ll3ti8p

    胆振線の探訪、ぽ疲れさまでした。

  • @user-vl6bn2ho9z

    こういう寂れた街に行くと大抵、「忘れないよ私たちの故郷」みたいな看板があってほんと悲しくなる。儚いなぁ。

  • @user-jz2cq2ly2k

    いや、自分は九州から牧場に働きに行って数年間だけ日高地方に居たけど隣地域で廃線して廃れた姿を見ると日高本線廃止以上の寂しさがあるし日高本線は駅跡の建物が保管されてるのは奇跡だなと思った。

  • @user-up8gk3ek9i

    脇方支線は1970年廃止なので,当時2歳でしたから乗れませんでした。