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全成の娘が、後醍醐天皇の后となったとは知りませんでした‼️ 歴史は、色んな所で繋がっていますね👍🥰
教科書だとどうしてもお兄さんの頼朝と弟の義経しか出てこないから知らなかったな💡
阿野廉子(あのれんし)は、後醍醐帝の側室&後村上帝の生母となり、鎌倉幕府(北条氏)にリベンジするから、歴史は面白い!大河ドラマ「太平記」では原田美枝子さんが廉子を演じました。「13人」の静御前を演じた石橋静河ちゃんのお母さんです。
その大塔宮護良親王を何と読むか?もりよししんのう?もりながしんのう?なんかそれによって年代がバレるとか、バレないとか…
その大河『太平記』と今期朝ドラ『ちむどんどん』。阿野廉子(原田美枝子さん)・北条高時(片岡鶴太郎さん)・足利直義(高嶋政伸さん)が滅茶苦茶からんでいます(^^;。
阿野全城の生涯、興味深く学ばせて頂きました。有り難うございます。真剣な読み方に、引き込まれました。
今若丸ですよね。雪深い吉野の山中を母や兄弟とさ迷った。せっかく助かったのに。ここでやられるとは!
今若丸です!常盤御前の3兄弟もついに…
おぉー阿野家の系譜ですか。面白いです。
ありがとうございます!全成とはだいぶ関係が離れてしまいますが、意外なつながりですよね!
時元に関しては、実朝が死んだ時点で、源氏の血を引く、成人した、男性と言う条件をただ一人満たしていたにも関わらず、北条が周りを固めてしまい鎌倉幕府に反乱を起こしたとも聞きます。後、全成さんのお墓のある沼津市井出の大泉寺さんは、旧旧東海道に面した源氏にとって、東進してくる平家を迎え撃つ最前線基地が元だったと言う話もあるとか。
私は京都在住で名字が「阿野」なんですがどこかで繋がってるのかなと歴史に興味が湧きました。「あの〜w」と小馬鹿にされる事が多かった嫌な名字ですが少し好きになれそうです。
公家の阿野家、全成の子、時元に連なる阿野家、いずれにせよ歴史的には何らかの関わりがありそうな素晴らしい家系ですね。京都にゆかりがあるのであれば、公家の方と何か繋がりがあるかもですね!
私も阿野です!私の祖父の話では、阿野家は近畿に散らばっていて以前は阿野家で集まることもあったそうですよ
阿野全成の墓が近くにあるから今度行ってみようと思ったけど大河ドラマ観てなんか呪われそうで怖くなって来た。
沼津 井出の大泉寺ですね。大丈夫ですよ、落ち着けるお寺ですので。
昭和で断絶というのは悲しかったです
そうですね。本動画を作るにあたって、阿野家のお墓を訪問してきたのですが、お墓参りに来られる方が少ないのか雑草が生え放題になっており、悲しい気持ちになってしまいました…
室町将軍家の御台所を輩出してきた日野家も断絶決定らしいですね。現当主の方が独身で結婚して子供を作る気は全くないらしいので…
Y遺伝子ってなんだろうね。
ひとりで寺を抜け出して参陣して『兄上,弟です!』といってDNA鑑定も証明するものもないのに頼朝が泣いて喜んだというのは,そのころってて基本的に人はうそをつかない世の中でいえば信じてもらえる感じだったのでしょうか。すごいですね✨
全成に成り代わって醍醐寺で修行していた赤の他人という可能性も十分ありますからね。確かに気になります。
娘がいたのね
多分娘の母親は阿波局でしょうね、子孫の廉子には彼女の血も感じますから
河内源氏の本家筋にあたるのは多田源氏のはず。そっちはどうなってもうた?
最後の多田源氏の当主である源行綱は、平家討伐戦で義経と行動を共にしたことで義経一派と見られたことや、清和源氏発祥の地である多田荘を頼朝が欲しがったこともあり、義経討伐の際には頼朝から迫害を受けて、消息不明になったみたいですね。
来週、全成とらえられてしまうのかな?
@生粋のバルセファン まあ頼朝の弟の中で頼朝の死後まで生きたのは全成だけですからね。
兄の頼朝に謀反を疑われ、自滅した弟の義経、兄の範頼を見て、慎重に行動したはずが、「一応、北条一族だから」と油断してしまったのでしょうね。
あの人形を拾ったのが誰か、めちゃ気になる!w
処刑される前に呪文を唱え、嵐を呼んだのは流石だった
私分からないんだけど、全成って何故実衣を娶ることが出来たの?出家してたんよね?
仏教の原則上はダメなのですが、鎌倉時代あたりから朝廷等による管理がゆるくなったこと。また、鎌倉仏教の考え方にもあるように、自分が規則を守るか守らないかを判断し、他人は強制できないという考え方が主流になっていったことから、結婚するしないは全成の考え次第だったと考えられます。
おぉ!解説ありがとうございます。たしかに鎌倉時代と令和とでは考え方が微妙に違いますよ。武士道も画一してないですし。勉強になります。
こえ
全成の娘が、後醍醐天皇の后となったとは知りませんでした‼️
歴史は、色んな所で繋がっていますね👍🥰
教科書だとどうしてもお兄さんの頼朝と弟の義経しか出てこないから知らなかったな💡
阿野廉子(あのれんし)は、後醍醐帝の側室&後村上帝の生母となり、鎌倉幕府(北条氏)にリベンジするから、歴史は面白い!
大河ドラマ「太平記」では原田美枝子さんが廉子を演じました。「13人」の静御前を演じた石橋静河ちゃんのお母さんです。
その大塔宮護良親王を何と読むか?
もりよししんのう?
もりながしんのう?
なんかそれによって年代がバレるとか、バレないとか…
その大河『太平記』と今期朝ドラ『ちむどんどん』。阿野廉子(原田美枝子さん)・北条高時(片岡鶴太郎さん)・足利直義(高嶋政伸さん)が滅茶苦茶からんでいます(^^;。
阿野全城の生涯、興味深く学ばせて頂きました。有り難うございます。真剣な読み方に、引き込まれました。
今若丸ですよね。
雪深い吉野の山中を母や兄弟とさ迷った。
せっかく助かったのに。
ここでやられるとは!
今若丸です!
常盤御前の3兄弟もついに…
おぉー阿野家の系譜ですか。面白いです。
ありがとうございます!
全成とはだいぶ関係が離れてしまいますが、意外なつながりですよね!
時元に関しては、実朝が死んだ時点で、源氏の血を引く、成人した、男性と言う条件を
ただ一人満たしていたにも関わらず、北条が周りを固めてしまい鎌倉幕府に反乱を起こしたとも聞きます。
後、全成さんのお墓のある沼津市井出の大泉寺さんは、旧旧東海道に面した源氏にとって、東進してくる
平家を迎え撃つ最前線基地が元だったと言う話もあるとか。
私は京都在住で名字が「阿野」なんですがどこかで繋がってるのかなと歴史に興味が湧きました。
「あの〜w」と小馬鹿にされる事が多かった嫌な名字ですが少し好きになれそうです。
公家の阿野家、全成の子、時元に連なる阿野家、いずれにせよ歴史的には何らかの関わりがありそうな素晴らしい家系ですね。
京都にゆかりがあるのであれば、公家の方と何か繋がりがあるかもですね!
私も阿野です!私の祖父の話では、阿野家は近畿に散らばっていて以前は阿野家で集まることもあったそうですよ
阿野全成の墓が近くにあるから今度行ってみようと思ったけど大河ドラマ観てなんか呪われそうで怖くなって来た。
沼津 井出の大泉寺ですね。
大丈夫ですよ、落ち着けるお寺ですので。
昭和で断絶というのは悲しかったです
そうですね。
本動画を作るにあたって、阿野家のお墓を訪問してきたのですが、お墓参りに来られる方が少ないのか雑草が生え放題になっており、悲しい気持ちになってしまいました…
室町将軍家の御台所を輩出してきた日野家も断絶決定らしいですね。現当主の方が独身で結婚して子供を作る気は全くないらしいので…
Y遺伝子ってなんだろうね。
ひとりで寺を抜け出して参陣して『兄上,弟です!』といってDNA鑑定も証明するものもないのに頼朝が泣いて喜んだというのは,そのころってて基本的に人はうそをつかない世の中でいえば信じてもらえる感じだったのでしょうか。すごいですね✨
全成に成り代わって醍醐寺で修行していた赤の他人という可能性も十分ありますからね。確かに気になります。
娘がいたのね
多分娘の母親は阿波局でしょうね、子孫の廉子には彼女の血も感じますから
河内源氏の本家筋にあたるのは多田源氏のはず。そっちはどうなってもうた?
最後の多田源氏の当主である源行綱は、平家討伐戦で義経と行動を共にしたことで義経一派と見られたことや、清和源氏発祥の地である多田荘を頼朝が欲しがったこともあり、義経討伐の際には頼朝から迫害を受けて、消息不明になったみたいですね。
来週、全成とらえられてしまうのかな?
@生粋のバルセファン まあ頼朝の弟の中で頼朝の死後まで生きたのは全成だけですからね。
兄の頼朝に謀反を疑われ、自滅した弟の義経、兄の範頼を見て、慎重に行動したはずが、「一応、北条一族だから」と油断してしまったのでしょうね。
あの人形を拾ったのが誰か、めちゃ気になる!w
処刑される前に呪文を唱え、嵐を呼んだのは流石だった
私分からないんだけど、全成って何故実衣を娶ることが出来たの?出家してたんよね?
仏教の原則上はダメなのですが、鎌倉時代あたりから朝廷等による管理がゆるくなったこと。
また、鎌倉仏教の考え方にもあるように、自分が規則を守るか守らないかを判断し、他人は強制できないという考え方が主流になっていったことから、結婚するしないは全成の考え次第だったと考えられます。
おぉ!解説ありがとうございます。
たしかに鎌倉時代と令和とでは考え方が微妙に違いますよ。
武士道も画一してないですし。
勉強になります。
こえ