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ご視聴ありがとうございます続きの動画もぜひ合わせてご覧ください↓ua-cam.com/video/op4n83SV44E/v-deo.htmlsi=L_-_QagZiIPP615
ヨーロッパは紙が異常に高いってのは現代日本人が思う以上で、幕末のパリ万博を見学した日本の武士が持参した紙で鼻かんで、その紙を当たり前の様に捨ててるの見たヨーロッパ人が紙が勿体無いと紙を拾ってるの見て武士が驚いたなんて話があるくらいなんだよな。
武士ではなくて、大工ではありませんでしたっけ?
日本の「紙」文化は凄い。障子や襖など住居にも使われ、行燈や提灯、祭の出し物、人形、包装、財布まで、ありとあらゆる物を紙で作ってきた。海外で板や皮に絵を描く事への対比が面白い。
みなもと先生、風雲児を明治維新まで書いて欲しかった😅長年楽しませてもらいました。ご冥福を祈ります。
あ〜💦💦風雲児たちのみなもと太郎先生だ〜めっちゃ嬉しい〜😂
貴重な動画をありがとうございましたみなもと太郎先生のモンテクリスト伯とレミゼラブルが私の愛読書でした(涙)
日本人は宗教もそうだけど【抽象的な物】を嫌い、【具体的な物】を好むんですよね。ユダヤ・キリスト・イスラム教では言葉と論理を重要視するんですが、日本では自然という具体的な物を信仰するからかもしれません!
我が国の劇画は作りこみが凄過ぎて、昭和初年の亡母も、大正11年生まれの近所の床屋のおばさんも、小池一夫・梶原一騎両先生の原作には感涙にムセんでました。同棲時代・巨人の星・タイガーマスクなど、私ら子供たちより熱心に読み返していた。映画に行かなくてもいいとか、テレビにはこの感激はすくないとかのたまわってた。 一徹がせっかく出征から生きて帰ってこれたのに足に後遺症が残って魔送球を開発し、川上哲治に巨人軍を去れって言われちゃったり、オズマもベトナムで負傷して帰ってきたけど、脊椎に榴弾の破片が残って結局死んでしまったり、東京下町の大空襲をようやく逃れられたのに、戦後すぐ春江お母さんが苦労で死んでしまうし、光の家の子等は皆捨て子だったし、次郎と今日子がお給料日にゆくおでん屋さんのご夫婦が朝鮮人だったり、私ら当時の小中学生の子供らよりも、その親を泣かすために画いたとしか思えなかった。母などは紫電改のタカを読んで、ちばてつや先生にファンレターを送って、ちゃっかりお返事をもらっていた。
最近、和紙の歴史に関する動画を観たけど、奈良時代には紙の製造に関する役所があったから日本人は昔から紙を重要と思ってたんだろうね。
日本は木が豊富だったから紙の技術が伝わって木簡よりも取り扱いがしやすいことから一気に導入が進んだのだろう。木簡と違い長文を伝えられるし軽量かつ保管もしやすい木を削って木簡作るより一括生産も出来る。欧州も中国もそれなりに木は豊富だと思うが農耕地として活用し木は燃料としてしか見ていなかったのでは?。日本の場合、山が多く平地が少ないので木簡では輸送はかなり大変だったともう。
オノマトペが豊富なのと、絵で物語を表現するというのは類似があると思う。
コウゾ・ミツマタという紙の原料が豊富だったのが幸いした
今となっては チョウ貴重な映像や(++)キラーン
わいは、小遣い貰えなかったから新聞配達で「ジャンプ」買ってた同時に「デラ・ベッピン」も買ってたw
いやぁ、説得力がありました 紙が潤沢にあったは着眼ですね 租調庸に紙もあった気がする 絵巻物・・なるほど 寺子屋で習字、紙に書いてる 冷泉家の蔵は紙の山・・・言われて気づくことばかり ありがとさん
一番は漫画は子供が見るもので馬鹿になるという偏見です。2000年頃まではオタクや事件などと結びつけて蔑まれてきました。
否定されなかった理由:・紙が安かった(温帯モンスーンで樹木の再生力が高いからかな?)・時系列の流れを順に表現する絵物語が何故か昔からあった(中国にはない。欧州では一枚で全部描くのはある)・小遣い文化があった(大人が買い与えるのではなく漫画を読むであろう子供が自分の判断で面白いものを買うから発達し易い)
色々な条件が重なって偶然今に至ったんだろうな
『紙と小遣い』は漫画が発展するための外部要因。当然これだけでは漫画は発展しないけど、これが無ければ漫画が発展しなかったのも事実。
日本は“カミ”が豊かだった。多神教ですから(?)。 みなもと太郎さん、亡くなっていたのですね。「風雲児たち」を愛読していました。合掌。
紙が安かった!知らんかった和紙文化あるもんね
著作権、二次創作は、日本に『本歌取り』という概念があるんだけど
戦後日本は真面目に表現の自由を実践していた
識字率の高さと印刷技術が紙芝居という文化を発展させたと思う。結果として制作者は事業として成立する土壌になるから多様化していく。紙芝居を並べて読む形で4コマ漫画の土台ができ、より細かな印刷ができるようになって今のコマ割の原型ができたのでは。漫画は個人の発想力で映画と同じようなことを個人でできるから音がないだけで最高峰の総合芸術だと思う。その音すらも日本語のオノマトペが補完してしまうわけだけど。
埴輪以前から、縄文土器の繋がりからディフォルメ造型の萌芽がありますよね。ステンドグラス、フレスコ、キリスト教布教に絡んだ絵画表現って、タイミング的に平安貴族の絵巻物文化が先行してそう。フレスコ実際に描きますと解りますが、左官屋さんの技術と一気呵成に短時間で描きあげるため事前にデッサンの準備やらライブ感を抑えた表現に留まる要因かも?
日本には偉くて、面白くて、スゲーのがたくさんいる。それが分かりました。
四畳半で創造されて来た独特な文化だと思う。浮世絵師が書き上げる空間も四畳半。明治に入ると欧米風のシンプルな風刺漫画の技法を得るが独自性はまだ無かった。日本のマンガとして花開いたのは戦後。みな映画への憧れが強くあった。そして戦後娯楽の少ない中多くの出版社と作家、読者という戦後型娯楽モデルの成功も寄与していた。月刊週間子供向け漫画誌が廃れないで続いてるのは恐らく日本だけでしょう。
道成寺絵巻などの成立はいつ頃なんだろうか?。
ホモホモ7、当時は凄くヤバおもろい漫画でしたね。
日本人は絵で時間経過を伴う物語を描きたがるというのは面白い発想ゲームでも昔の和ゲーは物語を重視しがちだったなぁ『ドンキーコング』も何がエポックメイキングかって4ステージ使ってストーリーを語ってる事だもんね
民話とか昔話とか伝承とかを親から子へ子から孫へ、語り、話し、伝えてきた。物語を作ったり、話したり、聞いたりするのが好きなんじゃね?
日本人が文字を覚えるときは書いて覚える欧米人が文字を覚えるときは読んで覚える
漢字文化だからじゃないですかね?漢字自体は中国から伝来したものだけれども、象形文字から表意文字の流れみたいに、具体から記号を取り出してまたその記号を組み合わせて新しい漢字を作る、ってのを日本人は繰り返してきたから、現実世界を記号のように描き表すことに抵抗がなかったんじゃないんですかね?
むずかしいな。なんで日本だけ漫画が発展したのか?紙が安かったから・・うーん。。少なくとも「絵画」という文化に。庶民階級が参加して楽しんでた、という点では、欧米よりもはるかに歴史がある。欧米は貴族階級のものだったけど。日本じゃ、江戸時代にすでに庶民に親しまれてた。北斎漫画なんてのもあるしね。昔から庶民の文化だった。その蓄積が漫画へ移行した。だから紙が安いのと。平和な時代が長くつづいたのと。庶民に絵を楽しむぐらいの余裕があったから、かな。
熱帯雨林では時間の概念がないという話から、私は日本には四季の移ろいからくる生活や感情の変化があるからストーリーを蓄積していく必要性があったのではないかと考えました。
ちょっとおもしろいのが世界では”漫画”は流行ってないんだよね流行ってるのは”アニメ” もちろんかつてと比べたら日本漫画が読まれるようにはなってるけど圧倒的に海外の人が見るのは”アニメ”逆に日本人は圧倒的に漫画が好き
恥ずかしがり屋で人前に出ることが苦手な人が多く表現手段として自分が前に出るコント、演劇よりアバターを使うマンガが発達したというのはどうかな。
美濃和紙再評価の流れでしょうか?
昔、ハンバーグ店のびっくりドンキーが、ディズニーのキャラクターをパクッて「ドナルドダック」って店名でやっていた頃がありました。当然訴えられて当然なわけで、急遽オリジナルのキャラをコンセプトにした店舗にした経緯がありますよね。
100%文字と日本語のおかげでしょう・日本語は縦書きも横書きもできるから表記に融通が効く・三種類の文字があり表現が多彩・多種多様なオノマトペ・表意文字の漢字を使用でき子供でも語彙の理解が容易・省略による短文化で一目で状況の把握が可能
日本のマンガを特別と位置付けるなら影響を与える文化的特別性は漢字仮名交じり文かな。衰退した映画·文学etcから流入した才能が表現を重層化し全世代が楽しめるマンガ体系を可能にした。ってのもある。
ある意味平面2次元的発想が凄い日本人系と3次元立体的発想が主な欧米という事でしょうか
20世紀後半以降の漫画アニメ文化の興隆は東映動画長編スタッフがやぶにらみの暴君に影響を受けた事にせよ大友克洋にせよ絵に立体性を持たせる事に傾倒した結果の表現力の向上による所が大きいでしょう
いらすとやなんかも外国人はびっくりするらしいね。同じ絵柄を描くイラストレーターが何人もいると思うらしい。
これずっと自分も気になってたんだけど漫画文化て日本だけなのかなって。別に日本はすごい、日本上げ⤴️がしたいわけじゃない。30年マンガを購読してきたけど将来は他の国の人たちが子どものころらんま1/2やドラゴンボールなんかを読んで触発されてマンガ家目指して外国の方から新しい表現のマンガ読めるのかなて期待してた。でも自分の知る範囲では外国のマンガてないの?てぐらい全然出てこないのな。お隣韓国にマンファていう縦読みの似たものあるぐらいか??😂
結構前のユリイカだったけど、戦後の復興期にアメリカやフランスでも同時期に似たようなコミックムーブメントが起こってて、日本のガロやCOMみたいな雑誌もあったみたい。団塊にあたる世代が、平和な社会の中で不平等や理不尽に疑問と不安を感じて表現した…みたいな。ベトナムなんかもあったしね。日本に生まれ育ち、日本のマンガばっかり浴びてると、他国にもそういう文化がある事を知らないまま、日本特別だと思いがち。日本にあるなら他にもあって当たり前なんだよね。
@@まさあき-f3wでも日本の漫画は日本独特のものですよね。他国はそれぞれの漫画(というかグラフィックノベル)があるわけで。
日本の書き文字自体成り立ちからして絵なんです特に今の日本人が借外語なんかで安易に捨ててる漢字が基ですねこれ一覧性が高く情報量が多いから過去の日本人は捨てず発展させてきたんですが価値に無理解な日本人が多過ぎます ちゃんと日本の文化歴史勉強し使いましょう
絵巻物に言葉が付いて、長い巻物――その次にーーやはり、紙芝居じゃないでしょうかなーバットマン、バットマンですよ、10円握って、水飴買って、自転車の後ろに並んでオジサンの話に酔いしれた、--その後、貸し漫画、--その次に少年サンデー?
手塚治虫が、日本映画をいかにダメにしたか?の視点から、漫画を見ないと、ほんとのところはわからんと思うぞ
ちびくろサンボは元本(1899年)がイギリスだけど、アメリカでコピー(海賊版)されまくってたぞ。だから本来インド人であるサンボがアフリカ系になってしまったという
ちびなコロンボ(セイロン島の首都)のサンボで絵本作ったら差別にならない?!
紙と小遣いは一理あるけど、なぜ漫画なのかってところが弱い
ua-cam.com/video/3XwpQF3XLe0/v-deo.html 紙が安かった。
ヤマトの国でよかった(笑)
日本で漫画が発展した理由なんて「日本には手塚治虫がいたから」。これ以外の理由は無いよね。
手塚の存在が大きいのは確かだけど、それすら要素の一つに過ぎないくらい日本のマンガは異質て広大という話だと思うが。
@@まさあき-f3w どう考えても、手塚治虫だと思う。技法の発展が読み物としての漫画を奥行きのあるものに変えた。日本的というのは後付けの様に感じる。そんなこと言い出したら、あらゆるエンタメや芸術は日本的だよ。日本は外来のエンタメも、無の領域に入れて外に出すので、その時には日本的になってると。
@@mamanaranai どう考えても〜とか、〇〇に決まってる〜みたいな断定するのは、思考停止でつまんない考え方だと思いますけどねー。半可通の言う事。歴何十年のマンガ家が言うなら、いろいろ調べて経験の積み重ねがあっての事なので、その裏にもの凄いバックボーンがある。ただのファンが言うのは、いくつか作品読んで、そういう先人の言葉を受け売ってるだけだからなあ。もうちょっと視野を広くした方が楽しいと思うよ。
@@mamanaranai 田川水泡・・・。
@@まさあき-f3w 思考停止と視野が狭いのはあなたの方で、たった一人が世界を変える事がある。ゲームの世界では、マリオを作った宮本茂が例で、彼がドンキーコングやマリオを作ったことで、ゲームに物語性が生まれたと。彼がいなかったらその後のゲーム業界の発展はなかったと。それ動画のおっさんの言ってる事と同じでしょ?漫画に限った話ではなく、日本的になっていくのは他のものも一緒と書いてるでしょ?要素の一つではなく、手塚治虫があったればこそ技術的な開発が、漫画を奥行きのあるものに変えたと。これも岡田さんと一緒に、漫画夜話に出てた、夏目房之介さんが昔語ってた。田川水泡さんのノラクロと手塚漫画の違いを例に出して、大きな技法の発展があったと。単に物語が面白いからというのでは説明がつかないと。
紙芝居の代わりに リアルに演劇が盛んだったじゃん?
アメリカにもアメコミ文化があるわけだしねえ
話を譲らない人同士の会話は聞くのもしんどいな
日本では6世紀ころまで文字がなかった。だから絵が発達したんじゃね?
日本が貧しいから。欧米なら小説家になる、画家になる
ご視聴ありがとうございます
続きの動画もぜひ合わせてご覧ください↓
ua-cam.com/video/op4n83SV44E/v-deo.htmlsi=L_-_QagZiIPP615
ヨーロッパは紙が異常に高いってのは現代日本人が思う以上で、幕末のパリ万博を見学した日本の武士が持参した紙で鼻かんで、その紙を当たり前の様に捨ててるの見たヨーロッパ人が紙が勿体無いと紙を拾ってるの見て武士が驚いたなんて話があるくらいなんだよな。
武士ではなくて、大工ではありませんでしたっけ?
日本の「紙」文化は凄い。障子や襖など住居にも使われ、行燈や提灯、祭の出し物、人形、包装、財布まで、ありとあらゆる物を紙で作ってきた。海外で板や皮に絵を描く事への対比が面白い。
みなもと先生、風雲児を明治維新まで書いて欲しかった😅長年楽しませてもらいました。ご冥福を祈ります。
あ〜💦💦
風雲児たちのみなもと太郎先生だ〜めっちゃ嬉しい〜😂
貴重な動画をありがとうございました
みなもと太郎先生のモンテクリスト伯とレミゼラブルが私の愛読書でした(涙)
日本人は宗教もそうだけど【抽象的な物】を嫌い、【具体的な物】を好むんですよね。
ユダヤ・キリスト・イスラム教では言葉と論理を重要視するんですが、
日本では自然という具体的な物を信仰するからかもしれません!
我が国の劇画は作りこみが凄過ぎて、昭和初年の亡母も、大正11年生まれの近所の床屋のおばさんも、小池一夫・梶原一騎両先生の原作には感涙にムセんでました。同棲時代・巨人の星・タイガーマスクなど、私ら子供たちより熱心に読み返していた。映画に行かなくてもいいとか、テレビにはこの感激はすくないとかのたまわってた。
一徹がせっかく出征から生きて帰ってこれたのに足に後遺症が残って魔送球を開発し、川上哲治に巨人軍を去れって言われちゃったり、オズマもベトナムで負傷して帰ってきたけど、脊椎に榴弾の破片が残って結局死んでしまったり、東京下町の大空襲をようやく逃れられたのに、戦後すぐ春江お母さんが苦労で死んでしまうし、光の家の子等は皆捨て子だったし、次郎と今日子がお給料日にゆくおでん屋さんのご夫婦が朝鮮人だったり、私ら当時の小中学生の子供らよりも、その親を泣かすために画いたとしか思えなかった。母などは紫電改のタカを読んで、ちばてつや先生にファンレターを送って、ちゃっかりお返事をもらっていた。
最近、和紙の歴史に関する動画を観たけど、奈良時代には紙の製造に関する役所があったから日本人は昔から紙を重要と思ってたんだろうね。
日本は木が豊富だったから紙の技術が伝わって木簡よりも取り扱いがしやすいことから一気に導入が進んだのだろう。木簡と違い長文を伝えられるし軽量かつ保管もしやすい木を削って木簡作るより一括生産も出来る。
欧州も中国もそれなりに木は豊富だと思うが農耕地として活用し木は燃料としてしか見ていなかったのでは?。
日本の場合、山が多く平地が少ないので木簡では輸送はかなり大変だったともう。
オノマトペが豊富なのと、絵で物語を表現するというのは類似があると思う。
コウゾ・ミツマタという紙の原料が豊富だったのが幸いした
今となっては チョウ貴重な映像や(++)キラーン
わいは、小遣い貰えなかったから新聞配達で「ジャンプ」買ってた
同時に「デラ・ベッピン」も買ってたw
いやぁ、説得力がありました 紙が潤沢にあったは着眼ですね 租調庸に紙もあった気がする
絵巻物・・なるほど 寺子屋で習字、紙に書いてる 冷泉家の蔵は紙の山・・・
言われて気づくことばかり ありがとさん
一番は漫画は子供が見るもので馬鹿になるという偏見です。2000年頃まではオタクや事件などと結びつけて蔑まれてきました。
否定されなかった理由:
・紙が安かった(温帯モンスーンで樹木の再生力が高いからかな?)
・時系列の流れを順に表現する絵物語が何故か昔からあった(中国にはない。欧州では一枚で全部描くのはある)
・小遣い文化があった(大人が買い与えるのではなく漫画を読むであろう子供が自分の判断で面白いものを買うから発達し易い)
色々な条件が重なって偶然今に至ったんだろうな
『紙と小遣い』は漫画が発展するための外部要因。
当然これだけでは漫画は発展しないけど、これが無ければ漫画が発展しなかったのも事実。
日本は“カミ”が豊かだった。多神教ですから(?)。
みなもと太郎さん、亡くなっていたのですね。「風雲児たち」を愛読していました。合掌。
紙が安かった!知らんかった
和紙文化あるもんね
著作権、二次創作は、日本に『本歌取り』という概念があるんだけど
戦後日本は真面目に表現の自由を実践していた
識字率の高さと印刷技術が紙芝居という文化を発展させたと思う。
結果として制作者は事業として成立する土壌になるから多様化していく。
紙芝居を並べて読む形で4コマ漫画の土台ができ、より細かな印刷ができるようになって今のコマ割の原型ができたのでは。
漫画は個人の発想力で映画と同じようなことを個人でできるから音がないだけで最高峰の総合芸術だと思う。
その音すらも日本語のオノマトペが補完してしまうわけだけど。
埴輪以前から、縄文土器の繋がりからディフォルメ造型の萌芽がありますよね。
ステンドグラス、フレスコ、キリスト教布教に絡んだ絵画表現って、タイミング的に平安貴族の絵巻物文化が先行してそう。
フレスコ
実際に描きますと解りますが、左官屋さんの技術と一気呵成に短時間で描きあげるため事前にデッサンの準備やらライブ感を抑えた表現に留まる要因かも?
日本には偉くて、面白くて、スゲーのがたくさんいる。それが分かりました。
四畳半で創造されて来た独特な文化だと思う。浮世絵師が書き上げる空間も四畳半。明治に入ると欧米風のシンプルな風刺漫画の技法を得るが独自性はまだ無かった。
日本のマンガとして花開いたのは戦後。みな映画への憧れが強くあった。
そして戦後娯楽の少ない中多くの出版社と作家、読者という戦後型娯楽モデルの成功も寄与していた。月刊週間子供向け漫画誌が廃れないで続いてるのは恐らく日本だけでしょう。
道成寺絵巻などの成立はいつ頃なんだろうか?。
ホモホモ7、当時は凄くヤバおもろい漫画でしたね。
日本人は絵で時間経過を伴う物語を描きたがるというのは面白い発想
ゲームでも昔の和ゲーは物語を重視しがちだったなぁ
『ドンキーコング』も何がエポックメイキングかって4ステージ使ってストーリーを語ってる事だもんね
民話とか昔話とか伝承とかを
親から子へ子から孫へ、語り、話し、
伝えてきた。物語を作ったり、話したり、
聞いたりするのが好きなんじゃね?
日本人が文字を覚えるときは書いて覚える
欧米人が文字を覚えるときは読んで覚える
漢字文化だからじゃないですかね?漢字自体は中国から伝来したものだけれども、象形文字から表意文字の流れみたいに、具体から記号を取り出してまたその記号を組み合わせて新しい漢字を作る、ってのを日本人は繰り返してきたから、現実世界を記号のように描き表すことに抵抗がなかったんじゃないんですかね?
むずかしいな。
なんで日本だけ漫画が発展したのか?
紙が安かったから・・うーん。。
少なくとも「絵画」という文化に。
庶民階級が参加して楽しんでた、という点では、欧米よりもはるかに歴史がある。
欧米は貴族階級のものだったけど。
日本じゃ、江戸時代にすでに庶民に親しまれてた。
北斎漫画なんてのもあるしね。
昔から庶民の文化だった。その蓄積が漫画へ移行した。
だから紙が安いのと。平和な時代が長くつづいたのと。
庶民に絵を楽しむぐらいの余裕があったから、かな。
熱帯雨林では時間の概念がないという話から、私は日本には四季の移ろいからくる生活や感情の変化があるからストーリーを蓄積していく必要性があったのではないかと考えました。
ちょっとおもしろいのが世界では”漫画”は流行ってないんだよね
流行ってるのは”アニメ” もちろんかつてと比べたら日本漫画が読まれるようにはなってるけど
圧倒的に海外の人が見るのは”アニメ”
逆に日本人は圧倒的に漫画が好き
恥ずかしがり屋で人前に出ることが苦手な人が多く
表現手段として自分が前に出るコント、演劇よりアバターを使うマンガが発達したというのはどうかな。
美濃和紙再評価の流れでしょうか?
昔、ハンバーグ店のびっくりドンキーが、ディズニーのキャラクターをパクッて「ドナルドダック」って店名でやっていた頃がありました。当然訴えられて当然なわけで、急遽オリジナルのキャラをコンセプトにした店舗にした経緯がありますよね。
100%文字と日本語のおかげでしょう
・日本語は縦書きも横書きもできるから表記に融通が効く
・三種類の文字があり表現が多彩
・多種多様なオノマトペ
・表意文字の漢字を使用でき子供でも語彙の理解が容易
・省略による短文化で一目で状況の把握が可能
日本のマンガを特別と位置付けるなら影響を与える文化的特別性は漢字仮名交じり文かな。衰退した映画·文学etcから流入した才能が表現を重層化し全世代が楽しめるマンガ体系を可能にした。ってのもある。
ある意味平面2次元的発想が凄い日本人系と3次元立体的発想が主な欧米という事でしょうか
20世紀後半以降の漫画アニメ文化の興隆は
東映動画長編スタッフがやぶにらみの暴君に影響を受けた事にせよ大友克洋にせよ
絵に立体性を持たせる事に傾倒した結果の表現力の向上による所が大きいでしょう
いらすとやなんかも外国人はびっくりするらしいね。
同じ絵柄を描くイラストレーターが何人もいると思うらしい。
これずっと自分も気になってたんだけど漫画文化て日本だけなのかなって。別に日本はすごい、日本上げ⤴️がしたいわけじゃない。30年マンガを購読してきたけど将来は他の国の人たちが子どものころらんま1/2やドラゴンボールなんかを読んで触発されてマンガ家目指して外国の方から新しい表現のマンガ読めるのかなて期待してた。
でも自分の知る範囲では外国のマンガてないの?てぐらい全然出てこないのな。
お隣韓国にマンファていう縦読みの似たものあるぐらいか??😂
結構前のユリイカだったけど、戦後の復興期にアメリカやフランスでも同時期に似たようなコミックムーブメントが起こってて、日本のガロやCOMみたいな雑誌もあったみたい。
団塊にあたる世代が、平和な社会の中で不平等や理不尽に疑問と不安を感じて表現した…みたいな。
ベトナムなんかもあったしね。
日本に生まれ育ち、日本のマンガばっかり浴びてると、他国にもそういう文化がある事を知らないまま、日本特別だと思いがち。
日本にあるなら他にもあって当たり前なんだよね。
@@まさあき-f3wでも日本の漫画は日本独特のものですよね。他国はそれぞれの漫画(というかグラフィックノベル)があるわけで。
日本の書き文字自体成り立ちからして絵なんです
特に今の日本人が借外語なんかで安易に捨ててる漢字が基ですね
これ一覧性が高く情報量が多いから過去の日本人は捨てず発展させてきたんですが
価値に無理解な日本人が多過ぎます ちゃんと日本の文化歴史勉強し使いましょう
絵巻物に言葉が付いて、長い巻物――その次にーーやはり、紙芝居じゃないでしょうかなーバットマン、バットマンですよ、10円握って、水飴買って、自転車の後ろに並んで
オジサンの話に酔いしれた、--その後、貸し漫画、--その次に少年サンデー?
手塚治虫が、日本映画をいかにダメにしたか?の視点から、漫画を見ないと、ほんとのところはわからんと思うぞ
ちびくろサンボは元本(1899年)がイギリスだけど、アメリカでコピー(海賊版)されまくってたぞ。だから本来インド人であるサンボがアフリカ系になってしまったという
ちびなコロンボ(セイロン島の首都)のサンボで絵本作ったら差別にならない?!
紙と小遣いは一理あるけど、なぜ漫画なのかってところが弱い
ua-cam.com/video/3XwpQF3XLe0/v-deo.html
紙が安かった。
ヤマトの国でよかった(笑)
日本で漫画が発展した理由なんて「日本には手塚治虫がいたから」。
これ以外の理由は無いよね。
手塚の存在が大きいのは確かだけど、それすら要素の一つに過ぎないくらい日本のマンガは異質て広大という話だと思うが。
@@まさあき-f3w
どう考えても、手塚治虫だと思う。
技法の発展が読み物としての漫画を奥行きのあるものに変えた。
日本的というのは後付けの様に感じる。
そんなこと言い出したら、あらゆるエンタメや芸術は日本的だよ。
日本は外来のエンタメも、無の領域に入れて外に出すので、その時には日本的になってると。
@@mamanaranai どう考えても〜とか、〇〇に決まってる〜みたいな断定するのは、思考停止でつまんない考え方だと思いますけどねー。半可通の言う事。
歴何十年のマンガ家が言うなら、いろいろ調べて経験の積み重ねがあっての事なので、その裏にもの凄いバックボーンがある。
ただのファンが言うのは、いくつか作品読んで、そういう先人の言葉を受け売ってるだけだからなあ。
もうちょっと視野を広くした方が楽しいと思うよ。
@@mamanaranai 田川水泡・・・。
@@まさあき-f3w
思考停止と視野が狭いのはあなたの方で、たった一人が世界を変える事がある。ゲームの世界では、マリオを作った宮本茂が例で、彼がドンキーコングやマリオを作ったことで、ゲームに物語性が生まれたと。彼がいなかったらその後のゲーム業界の発展はなかったと。それ動画のおっさんの言ってる事と同じでしょ?
漫画に限った話ではなく、日本的になっていくのは他のものも一緒と書いてるでしょ?
要素の一つではなく、手塚治虫があったればこそ技術的な開発が、漫画を奥行きのあるものに変えたと。
これも岡田さんと一緒に、漫画夜話に出てた、夏目房之介さんが昔語ってた。
田川水泡さんのノラクロと手塚漫画の違いを例に出して、大きな技法の発展があったと。
単に物語が面白いからというのでは説明がつかないと。
紙芝居の代わりに リアルに演劇が盛んだったじゃん?
アメリカにもアメコミ文化があるわけだしねえ
話を譲らない人同士の会話は聞くのもしんどいな
日本では6世紀ころまで文字がなかった。だから絵が発達したんじゃね?
日本が貧しいから。欧米なら小説家になる、画家になる