『かもめ』貴志康一の日本歌曲【ソプラノ歌手西尾薫とピアニスト山中歩夢】#86

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  • Опубліковано 10 лип 2022
  • インパクト大の日本歌曲!
    貴志康一はかごかき、赤いかんざしだけではありません。
    関西が誇る作曲家、貴志康一の作品がさらに広まりますように!
    声楽コンクール動画審査用にとったものを編集しなおしました。
    私はきれいに歌いすぎているのでもっと良い意味で汚く、勢いよく歌った方が良いと思います。(この撮影の約2ヶ月後に歌った公演ではこの動画よりも15秒も短くなっていました!笑)
    低いところも多いので、メゾ、テノール・バリトンの方にも合うと思います!
    楽譜は、貴志康一作品集を使用。
    楽譜の購入は、学校法人 甲南学園 貴志康一記念室へ
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    貴志康一記念室へは、わたしも行きました!
    超貴重な直筆のスコアなど見せていただきました。
    作曲の試行錯誤のあとも見ることができます。
    例えば、「かもーめーM~~」と歌うところも、はじめは「かもーめー かーも~~め~~」と歌詞をつけて書かれてありました。でも書き直すうちにM~~に変えて今のようになっていました。
    訪問の際は、必ずホームページで開館日をご確認の上、事前に電話でご連絡お願いします。
    電話で見せてほしい譜面などを事前に伝えておくとスムーズです。
    詳細

    貴志康一記念室開室日のご案内
    www.konan.ed.j...
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    貴志 康一 Koichi Kishi(1909-1937)
    大阪に生まれ、芦屋で育つ。
    17歳のとき、甲南高等学校を中退後、ヴァイオリニストとして留学。
    19歳のときスイスのジュネーヴ音楽院を優秀な成績で修了後、ドイツのベルリン高等音楽学校へ入学。
    20歳のときストラディヴァリウスを入手する。
    作曲家パウル・ヒンデミットや、当時ベルリンフィルハーモニー管弦楽団の常任指揮者であったヴィルヘルム・フルトヴェングラーとも交流があり、大きな影響を受ける。
    その後、作曲家・指揮者に転身。
    25歳のとき、近衛秀麿に次いで日本人で二番目にベルリンフィルハーモニーを指揮する。
    交響曲やヴァイオリン曲、日本歌曲、オペレッタなどを作曲。
    帰国後も第九を暗譜で指揮して絶賛されるなど華々しく活躍するも、
    27歳のとき、突然病に倒れる。
    心臓麻痺のため28歳の若さで逝去。
    甲南高等学校・中学校ホームページ
    貴志康一
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    🎵かもめ 1934(昭和9)年
    貴志康一 作詞作曲
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    ♦歌・録音・撮影・動画編集
    ソプラノ歌手 西尾薫
    kaorusoprano.w...
    ♦ピアノ
    ピアニスト 山中歩夢
    ayumuyamanaka....
    ♦演奏撮影場所
    音楽ホール&ギャラリー里夢 SATOM
    www.satom.jp/
    この動画は、2022年5月17日に撮影しました。
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    🎼西尾薫情報
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